ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
――5月1週、天皇賞・春。
京都レース場・芝3200メートルの条件で行われる、伝統のシニア級最強ステイヤー決定戦だ。日本のトゥインクル・シリーズで開催されるG1の中でも特に長い歴史と伝統を持つレースとされる。優勝賞金の他に賞品として皇室から『楯』が下賜されており、天皇賞・春は『春の盾』と呼ばれることもしばしば。
こうして私が目指してきた大舞台となる春天だが、現在3000メートル級のG1競走を行っているのは僅かに5カ国しかない。日本(天皇賞・春、菊花賞)、イギリス(ゴールドカップ、グッドウッドカップ、セントレジャー)、フランス(ロワイヤルオーク賞、カドラン賞、ロワイヤリュー賞)、アイルランド(アイルランドセントレジャー)、オーストラリア(メルボルンカップ、シドニーカップ)。
しかし、超長距離レース開催国が少ないからといって、ステイヤーのレベルが低いというわけではない。ここに勝たなければ、どうしてヨーロッパで結果を残せるというのだろうか。
そんな天皇賞の当日、私は早朝のうちから早々と現地入りしていた。軽くランニングして身体を温めた後、昼食を軽く胃に入れてストレッチを繰り返して、いつレースが始まっても良いように静かに呼吸を整える。
私は手元のデバイスで出走表を睨みつける。そこには『1番人気アポロレインボウ』の文字が煌めいていた。以下、出走表である。
1枠1番、6番人気マチカネフクキタル。
1枠2番、7番人気リボンフィナーレ。
2枠3番、2番人気スペシャルウィーク。
2枠4番、13番人気リトルフラワー。
3枠5番、1番人気アポロレインボウ。
3枠6番、14番人気ジュエルジルコン。
4枠7番、15番人気イラッパ。
4枠8番、3番人気セイウンスカイ。
5枠9番、18番人気レベレント。
5枠10番、4番人気メジロブライト。
6枠11番、12番人気デュオタージェ。
6枠12番、8番人気ラピッドビルダー。
7枠13番、16番人気ヤムヤムパルフェ。
7枠14番、11番人気ジュエルアメジスト。
7枠15番、17番人気ステイシャリーン。
8枠16番、5番人気ジャラジャラ。
8枠17番、10番人気ディスティネイト。
8枠18番、9番人気ジョイナス。
この中で最も対戦数が多いのは、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、ディスティネイトの同世代3人。インタビュー時から彼女達の調子は変わっていないようで、控え室に居るというのにスペシャルウィークの仕上がりの良さが耳に入ってくるレベルだ。
かく言う私も、とみおの絶妙な調整によって完璧な仕上がりになっている。鏡の前に立ってみると、髪と尻尾は艶やかな光沢を放っているのが分かった。肌艶も素晴らしい状態である。精神的にも上手いことコントロールされて、苛立ちを覚えるほど走りたくて堪らなかった。レース数日前から全力疾走を禁止されていたせいだ。
「アポロ、調子は良さそうだな」
「まあね」
「ごめん、調整に力を入れすぎたかも」
「……今更すぎるけど」
私は爆発しそうな闘争心を前掻きによって抑えつけ、その場で旋回を始める。脚先に焦燥感が集まっていて、腸が煮えくり返るかのようだ。激怒した瞬間の沸騰が永遠に続いているかのような感覚に、私は彼を恨みさえしている。走るには最高のコンディションすぎて気が狂いそうだ。
「もうちょっと我慢してね」
「…………」
言いながら、とみおは控え室から出ていく。両耳を倒して撫でてくれるのを待っていたのだが……下手に甘えてしまうと闘争心が削がれると判断したのだろう。軽く無視された。少し情けない気持ちになる。レース当日に彼に甘えて勝てるほど、この天皇賞は甘くないということだ。私は目の前の敵を打ち倒すことだけ考えていれば良い。
前掻きは止まらなかったが、スタッフさんが入室してきたので動きを止める。スタッフさんも溢れ出る威圧感を察したのか、少しぎこちない手つきで私の着替えを手伝ってくれた。軽くお化粧を済ませて、準備万端。いつでもパドックに出られるようになった。
とみおとスタッフが入れ替わりの形になって、部屋に2人きりになる。「うん、今日も綺麗だ」なんて歯の浮くようなセリフを吐きつつ、とみおは息を荒くした私の前に立った。
「アポロ、俺達の目標はステイヤーズミリオン完全制覇だ。でも、それは天皇賞・春で負けていい理由にはならない。それは分かってるな?」
「もちろん」
「……ところで、レースに勝ったら何が欲しい?」
「?」
「いやさ、今までG1を勝った時もご褒美なんてあげてなかったよな〜って思ってさ。トレーニングは人一倍厳しいって評判だし、こんな優秀な成績を収めているのに何もしてあげられなかったのは申し訳ないなって」
「……考えとく。でも、私のお願いは絶対にやってもらうからね」
「もちろんさ」
「…………」
言質、取ったからね。私はポーカーフェイスを装いながら、控え室から出て地下道を歩み始めた。コンクリートの壁に足音が反響するのを聞きながら、更に集中力を高め続ける。
天皇賞・春。このレースを制することが名ステイヤーの仲間入りの絶対条件と言っても過言ではない。メジロマックイーン、ライスシャワー、シンボリルドルフ――彼女達の姿を瞼の裏に浮かべて、京都レース場のパドックに向かう足は、天皇賞というレースの伝統と歴史を感じて微かな緊張を孕む。
ただ――これは良い塩梅の緊張感。ベストパフォーマンスを披露するには丁度いい。
京都の特徴である真円のパドックに姿を現すと、私を見たファンから歓声が湧き上がった。
『早くも初夏の暑さを感じさせる淀の地に、歴代屈指の好メンバーが集いました! 集まった優駿に導かれるように、京都に押し寄せたファンは15万人を越えようかという数です!!』
『昨年から客入りが多いですねぇ。本当に嬉しいですよ』
『最高のメンバーに応えるように、空は雲ひとつない絶好の晴れ模様!! 歴史に刻まれるようなレースを予感してしまいます!!』
実況解説の煽りに湧き上がる観客席。丁度いいタイミングで1枠1番のマチカネフクキタルが姿を現して――というか勝負服変わってるんですけど――そのままステージに立つと、彼女は上着を投げ捨てて一風変わった勝負服を披露する。
一点に拍手喝采が集中し――いよいよパドックのお披露目がスタートした。
『――1枠1番、マチカネフクキタル。6番人気です』
『素晴らしい仕上がりです……が、勝負服を変えて天皇賞に挑むようですね。その効果が果たして現れるのでしょうか、注目しましょう』
――全ての幸運を一身に溜め込んだラッキーの化身、『フルアーマー・フクキタル』だ。事前インタビューの時はセーラー服のような勝負服だったのに、ここに来て新衣装をお披露目とは。とんだサプライズではないか。しかし、
気を取り直してマチカネフクキタルの様子を観察する。服装が変わっても調子の良さは継続しているようだ。いつも以上に輝く瞳が良い証拠だ。
マチカネフクキタルがお披露目台から去り、リボンフィナーレの後にスペシャルウィークの番がやってくる。すると、強力な磁場が展開されたかの如く空間が歪んだ。目を擦って何度も瞬きするが、彼女から滲み出る黒い迫力は変わらない。
どうやら私含めた出走ウマ娘のみに見えているようだ。見ているだけで肋骨の内側が締め付けられる。
『――2枠3番、スペシャルウィーク。2番人気です』
『直近のG1大阪杯を快勝し、その実力は日本でも最上位と言われています。天皇賞・春に同年のダービーウマ娘が集まることなんて二度とないでしょうね……その走りには期待せざるを得ません』
ダービーウマ娘の登場に、うねりのような声があちこちから上がる。彼女は指先で上着を弾き飛ばすと、アイドル風の勝負服を露わにした。露出した腕や脚から分かる凄まじい肉体の仕上がり。薄い皮膚の下に野性的な筋肉が蓄えられているのが分かる。少し動くだけで鍛え抜かれた筋肉が呼応するのが見て取れた。
彼女の一挙一動を受けて、17人に緊張が走る。もちろん私達は全員己のコンディションキープに専念していて、彼女をじっと見つめ続けて自分の闘志を途切れさせるようなことはしなかったのだけど、でも、17人は内心に「やばいぞ」と呟き、一同に生唾を嚥下するような、張り詰めた空気が漂った。
「とみお、スペちゃんは差しで来るかな?」
「どうだろう。絶好の内枠だから、まだどちらとも言えないな。だけど……前話した通りの展開になりそうだ」
とみおが天皇賞・春の脚質データや枠ごとの勝率を調べたところ、逃げ先行の前脚質が有利で、かつ
つまり私達の予想では、スペシャルウィークは前目の策――つまり先行で来ると見ていた。統計的に見ても、得意脚質からしても、そうなると思って間違いないだろう。
スペシャルウィークがお披露目台を去って、次の次は私の出番。とみおに背中を押されつつ、簡易ステージに上がる。かかとを鳴らして立ち止まると、上着を無造作に鷲掴む。そのまま肩口から捲り上げるように空高く上着を飛ばして、私は両腕を振って自分の存在と仕上がりをアピールした。
『――3枠5番、アポロレインボウ。1番人気です』
『絶好調ですね。ドバイでは日本代表として力のあるところを見せてくれました。この天皇賞・春に勝利して、ヨーロッパへ繋げることができるでしょうか。また、菊花賞、有馬記念、天皇賞・春を勝利して、日本の長距離レース完全制覇となるでしょうか? 私イチオシのウマ娘ですよ』
すっかり着慣れた勝負服を身に纏い、腕を組んで気取ってみる。白いドレスに身を包み、可愛らしいスカートを揺らめかせて。白い手袋に、白いタイツに、白と黒のハイヒールを履いて――そして、色んな夢と想いを背負ってここに立っている。
精神も肉体もスペシャルウィークに劣らず絶好調。溜め続けた
早く走らせろ。そして、私を勝利させろ。この大舞台での勝利が欲しい。好枠順、絶好調、良馬場の条件が揃った今、ここにいる17人に負けるわけにはいかない。
スカートを大きく翻してやると、観客席が大きな盛り上がりを見せる。
もっと私に夢中になれ。濁流のような想いを私に注ぎ込め。みんなの高まりに当てられるたび、私はきっと強くなれる。
披露の最中、遥か遠くの客席に見知った友人や先輩の姿が見えた。
グリ子、マルゼンさん、パーマーさん、ヘリオスさん、バクシンオーさん、マックイーンさん、ルドルフ会長、タキオンさん。目が合ったのを確認して、マルゼンさん達が目を細めて手を振ってくれる。私の思い込みかもしれないけど、まるで壮行のようだと思った。
大衆に向けてのパフォーマンスに潜ませて、みんなに軽いウインクで感謝を伝える。多分伝わったはずだ。伝わってなくても、それでいい。私が勝手にそう思っていれば良いんだから。
「アポロレインボウはこの天皇賞でレコードを出して勝つと思うぜ」
「どうした急に」
「菊花賞のレコード勝ちは言うまでもないが、ダブルトリガーを抑えたステイヤーズステークスでの快勝、そしてドバイゴールドカップはレコードを演出しての2着……3000メートル以上のレースではほぼ確実にレコードを叩き出している。負けるとしても掲示板入りは固いだろうな」
「それはそうだけど、今回は流石にアポロちゃんを止める子が出てきてもおかしくないだろ。自由な大逃げなんてさせてもらえないって」
「いや……アポロちゃんは事前インタビューで新しい走法を身につけたと言っていた。ウマ娘は常に進化を続けているんだよ、勝利の可能性は無限大さ」
「ま、18人全員が無事に走りきってくれるのが1番だな!」
「おう! せっかくのG1なんだ、みんなには頑張ってほしいよな!」
私は踵を返してお披露目台を下りた。背中に惜しむような声を浴びつつ、次のウマ娘に出番を譲る。
セイウンスカイの調子はまずまず。闘争心を上手く隠して、のんびりした様子で観客の声に応えている。いつも通りの彼女と言ってしまえばそれまでだが。
メジロブライトとジャラジャラは絶好調と言って差し支えない。ジャラジャラと僅かに視線が交錯する。お互いに微笑み合って、言葉を交わすでもなくすれ違った。
パドックのお披露目が終わり、人の波がスタンド正面――つまりレースコースの方角へと流れていく。ただ、京都レース場の限界収容人数は12万人。確か今ここにいるファンが15万人だったから、パドック周りから動けないままレースを終える人も出てきてしまうだろう。
しかし、まるでジェットコースターに並ぶ人々のように、ファンは5分にも満たない天皇賞・春を今か今かと待ちわびている。怪我なくみんなが走り切ってくれますように、推しのウマ娘が結果を残してくれたらいいな、大波乱を巻き起こす伏兵が現れれてほしい――そんなそれぞれの夢を抱いて、15万人のファンがスタンド正面に押し寄せた。
地下道を通っていよいよターフに駆け出そうとした際、私とトレーナーの隣を抜けていく芦毛のウマ娘がいた。セイウンスカイだ。
芦毛、逃げウマ、ゆるふわ系、割と気性難な方。私とセイウンスカイの共通点はかなり多い。そもそも、「俺」はセイウンスカイのような子になりたかったのだ。見た目はもちろん、一筋縄ではいかないけれど勝利にどこまでも貪欲なところとか、まさにそう。
似た者同士なのだ。そっくりさんなら尚更負けられない。どちらが優れているか、ここらで白黒はっきりつけておこうじゃないか。
私はトレーナーと別れてターフに足をかけようとしていたセイウンスカイに、ちょっとした挨拶のつもりで声をかける。レース直前だから無視されても仕方ないと思っていたが、彼女は案外あっさりこちらを見てくれた。
澄んだ青空のような瞳。雪のように白い肌。さらさらと風に
――
皐月賞の第4コーナー、そして最終直線。あの日見た背中と横顔が脳裏を
こうして近くで見ると分かる。なんて調子の良さだ。何故気づかなかった? いや、調子の良さを隠すのが上手くなったのか。
「アポロちゃん、大事なレース前だよ〜? そんな深刻な顔しちゃって、もしかしてセイちゃんに愛の告白でもしてくれるの? にゃは、なんちゃって!」
彼女の闘争心の強さなど、もはや公然の事実とも言える。まだそれをひた隠しにしようとする彼女に、焦りに似た苛立ちさえ感じてしまう。でも、全力を尽くしてたったひとつの盾を奪い合うからこそ、勝者の価値が高まるというもの。私は口角が持ち上がるのを抑えられなかった。
「
私はあなたの内側の奥深くが見たい。剥き出しになった柔らかい心を喰らいたい。お互いが死力を尽くしあって、もう何も残らなくなるまで戦いたい。皐月賞の時に感じたような恐怖すら味わいたいと思っていた。
セイウンスカイに怪訝な表情で見つめられる。違うのだ。本当に
私の不穏な笑みに肩を竦めた彼女は、やれやれといった風にそっぽを向く。尻尾の艶やかさが目に入って、セイウンスカイはやはり最高潮の状態にあるのだと確信を強める。
そのセイウンスカイは光の中に足を踏み入れると、こう言い残して走り出した。
「セイちゃん、菊花賞で勝てなかったのは心残りなんだよね〜。だから……ちょっとだけ本気出しちゃおっかな〜って」
セイウンスカイが一足先に、淀の芝へと消えていく。
「……いっつも本気なくせに」
ライバルが強いほど、私も強くなれる――どこで聞いた言葉だったのかは忘れたが、そんな想いが胸の内に渦巻いている。セイウンスカイの絶好調に、滾る心が震えていた。ウマ娘としての本能なのか、想像以上の仕上がりなセイウンスカイに歓喜の波が押し寄せる。
スペシャルウィーク、マチカネフクキタル、ジャラジャラ――みんなが闘争心を剥き出しにして私に向かおうとしている。だけど、彼女達3人から与えられる恐怖ではまだ足りないと思っていた。
私が更に殻を破るためには、皐月賞のような、焦れったくて鮮烈な激情が必要なんだ。大いなる屈辱と涙の敗北、悔しさと怒りと情けなさ――あの時の感情全てを再び刻みつけてほしい。
「アポロ、熱くなりすぎだ」
「……!?」
獰猛な思考に身を任せて走り出そうとすると、優しい声が私の頭の上に下りてきた。軽く頭を撫でられ、加熱しすぎた感情が多少の落ち着きを取り戻す。
そこら辺のコントロールもお手の物なのか、とみおは感情が沸点を迎える寸前のところで手を引っ込めた。先程よりも鎮静化したが、それでも少しの刺激を与えれば激情に身を任せられるような状態。
「……ありがと。ちょっと冷静になるね」
「そうしてくれ。ただ、俺もコンディション管理を失敗したかもしれん。辛くしてごめんな」
「謝罪はあとあと。気にしないで」
とみおはそう言って腕時計を見る。もう時間がない。私はセイウンスカイの後を追って、地下道から抜け出して光の中に飛び込もうと膝を上げる――が、最後の最後に言い忘れたことを思い出して立ち止まる。
「最後に言いたいことがあったんだった」
「?」
「ね、とみお」
「何かな?」
「私が帰ってきたらさ、いっぱい抱き締めて……たくさん褒めてくれる?」
上目遣いで、彼の袖をそっと摘む。
「あぁ……なるほど。それがご褒美の内容?」
「……ん」
「もちろんいいよ。……言いたいことは済んだかな?」
「うん。言質、取ったかんね」
「はは、困ったね」
「……それじゃ、行ってきます!」
「楽しんでおいで」
トレーナーの声に見送られて、私はコンクリートを蹴って光の中に駆け出した。
恋もレースも1着を取る。
それがアポロレインボウだ。
「――しゃあっ! いっちょ、やったりますか!」
――6番人気、マチカネフクキタル。
倒す。
――5番人気、ジャラジャラ。
倒す。
――4番人気、メジロブライト。
倒す。
――3番人気、セイウンスカイ。
倒す。
――2番人気、スペシャルウィーク。
倒す。
全てに背中を見せつけてやる。
ど根性で逃げて逃げて逃げまくって――絶対に勝ってやる。
さあ、絶対に負けられない天皇賞・春が始まる。