ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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今回はトレーナー視点っぽい三人称視点です。
また、《ウマ娘の障害競走≌ハードル走》という(恐らく)独自設定をふわっと扱いました。これ以降はこの設定も恐らく出てこないのでふんわりとね。


10話:アポロレインボウのトレーナー

 桃沢とみおトレーナーは生粋のステイヤーを探していた。しかし、メジロマックイーンのトレーナーに「お前は出来る奴なんだから、いい加減独立したらどうだ」と言われてサブトレーナーを辞めたものの、どうにもメジロマックイーンの幻影が振り払えない。

 

 彼女はあまりにも偉大だった。菊花賞を制し、春の天皇賞を連覇。その他にも宝塚記念などの中長距離重賞を制し、名門メジロ家の威厳を支えるには充分な実績を残したのだから、それも当然だ。

 

 ステイヤー狂の桃沢トレーナーにとって、マックイーン以上の才能を持ったウマ娘などそう易々と見つかるはずもなかった。

 

 彼女程ではないものの、ステイヤーの才能を秘めたウマ娘に声をかけては断られる日々。50人以上に声をかけてみたが、答えは渋いものばかりだ。メジロマックイーンの()()()トレーナー……響きだけは一丁前だが、その実は素人同然の新人トレーナーなのだから、彼の依頼を断ったウマ娘の嗅覚が優れていたということか。

 

 スカウトでダメだった桃沢トレーナーが選抜レースの勝ちウマに見向きされるはずもなく……いっそのことマックイーンのサブトレーナーに戻ってやろうか――なんて思っていた時。

 

 出会いは図書館だった。

 

 とりあえずステイヤーのトレーニング方法についての研究でもするか、と図書館に寄ったトレーナー。そこで色々な本を漁っていたところ、自分と同じ本を取ろうとしていたウマ娘に出会ったのだ。

 

(この子は……先日の選抜レースで大逃げを決めたアポロレインボウじゃないか。しかも、ステイヤーの才能がありそうなんだよなぁ……はぁ。いいなぁ、大逃げでほとんど理想形のステイヤー……俺の好みどストライクなんだけど、もうスカウトされてるよなぁ……)

 

 眉毛の下に切りそろえられた前髪、首元まで伸びたストレートのボブカット。ピンクに近い芦毛を生やした小さなウマ娘。その目はアメジストの輝きを帯びており、強い意志を秘めているように見える。

 

 体躯はあまり大きい方ではないが、長い距離を走るには小さな身体の方が燃費は良い。トモの作り、身体の筋肉、ありとあらゆる要素がステイヤー向きの身体をしているのが分かって、トレーナーは歯噛みした。

 

 そりゃ、選抜レースを勝利している上、ここまでの才能を秘めていれば引く手数多だろう。

 

(担当、してみたかったなぁ……)

 

 微妙な気持ちになりながら、トレーナーはアポロレインボウと世間話をすることにした。しかし、その会話の中でアポロがトレーナーと契約を結んでいないことが明らかになって、彼は戸惑いを隠せなかった。しかも、あろうことか彼女の方からトレーナーになってくれと頼み込んできたのである。

 

 トレーナーは喜びながらも、とんだ原石を手にしてしまったものだ――とプレッシャーを感じることになった。

 

 そしてその予感は的中することになる。トレーナーとアポロレインボウが契約を結んでから数週間が経ったが、彼はアポロの才能をひしひしと感じていた。

 

 まずは脚質について。様々な脚質でのラップタイム計測や模擬レースを行ってみたところ、彼女の適性は「大逃げ」のみに存在することが分かった。「先行」は言うまでもなく、「逃げ」ですら若干合わない。「差し」や「追込」はボロボロだった。

 

 だからこそ、アポロには才能があると思った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。正直な話、桃沢トレーナーはそんなウマ娘を見たことがなかった。思うような結果が出ず、賭けに近い大逃げを打った結果成功を収めました……というウマ娘ならいるのだが。ツインターボとかメジロパーマーとか。

 

 パーマーもターボも、己の大逃げ適性に気付くのには時間がかかった。それは戦績を見れば明らかだ。それほどまでに大逃げ適性を知ることは難しい。

 

 ツインターボが大逃げらしい大逃げを披露したのは、シニア級で迎えたG3・七夕賞が初めてだ。それまでは負け続きの()()()()()()()だった。それが何を思ったか超ハイペースの大逃げをした結果、七夕賞やオールカマーに勝ってしまったのだから、レースも人生も分からないものである。

 

 メジロパーマーだって、1度は障害競走に転向した苦労人だ。しかし、転向した障害競走では核心と言えるハードル飛びが下手くそすぎて、毎回ボロボロになって帰ってきたらしい。そのため、トレーナーは数戦を戦ったのみで障害競走に見切りをつけた。

 

 だが、パーマーの障害転向は無駄にはならなかった。一説によると、障害練習を行ったことにより、下半身の筋肉とスタミナが強化されたという話もある。そして平地の競走に帰ってきたパーマーは思い切った大逃げを打ち、その年の新潟大賞典と春秋グランプリ制覇を果たした。

 

 この時点で、大逃げの適性に早々と気づけたことのメリットが分かるだろう。ただ、大逃げはその性質上ムラのある成績になりやすい。ハマれば強いが、レース中の少しのミスで全てが無駄になる。その点は個性として受け取りつつ、上手く育てていくしかないだろう。

 

 次にスタミナについて。彼女の走りや蓄積されたデータを見たところ、アポロのスタミナは既に完成の域にある。そのスタミナ量はジュニア級――いや、それどころかシニア級に比肩する。しかも、まだまだ成長限界が見えないのだから恐ろしい。

 

 彼女の無尽蔵のスタミナが判明して、距離適性も判明した。1800〜2399メートルも走れなくはないが――2400〜4000メートル。それが彼女のベストな距離だった。

 

 距離適性に3000メートル後半までを含んでいる子はトレーナーも見たことがある。しかし、4000メートルを走れるような子は日本で見たことがない。

 

 日本で収まる器ではない……それが桃沢の感想だった。

 

(この子を育てきれないとなると、明らかに俺の実力不足になるな)

 

 アポロレインボウは重バ場を得意とする。ダートDくらいの適性もある。重バ場もダートも走り慣れてこそいないが、()()に適性があるのなら欧州の重い芝も難なく走ることが出来るだろう。

 

 いや、寧ろ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 持ち前のど根性だけで日本の芝に適応しているのではないか。

 そう思わせる程のデータが、トレーナーの手元に揃い始めていた。

 

 トレーナーのスパルタに耐えてくれるおかげで、アポロレインボウはとんでもない成長速度を示している。この調子で行けば、来年の大目標である菊花賞だけではなく、天皇賞・春、海外の名だたる長距離G1にも手が届くだろう。

 

「間違いねぇ。この子は俺が追い求めていたステイヤーその人だ! 上手く行けば、世界最強のステイヤーになれるぞ……!」

 

 桃沢トレーナーは、薄暗いトレーナー室で独りほくそ笑んだ。最強ステイヤーを育て、最高の栄誉を手中に収める……その夢が現実となりつつあるのだ。

 

 ここが深夜のトレーナー棟でもなければ高笑いしたい気分だったが、彼にはもうひとつ心の底から笑えない理由があった。

 

 ……アポロレインボウの距離感が近すぎるのだ。トレーニング中、何かにつけてボディタッチしてくるし、()()()()()()()()()()()()接してくる。しかも本人がそれを意識している素振りがないのだから、トレーナーもお手上げ状態である。

 

 アポロレインボウの致命的なフォームのズレを直していた時期、それは特に顕著であった。フォームを直すのだから、どうしてもトレーナーは彼女の手や脚に触れないといけないのだが――その際アポロは必ずと言っていいほど胸を押し付けてくる。

 

 流石に思うことのあった桃沢トレーナーはアポロの行為に突っ込もうとしたが、アポロレインボウには桃沢を()()()()()()()()()()()()()()()――そんな邪な気持ちは全くないようであった。

 

 バランスを崩してちょっとトレーナーに寄りかかった結果、偶然胸が当たったり、ボディタッチしてしまったり。アポロレインボウは、トレーナーを色々な意味でドキリとさせる星の下に生まれてしまったようである。

 

 直させたいが、直させることができない。嬉しいような、嬉しくないような。直させるべきなのだろうが、絶妙に言い出しづらい。微妙な気持ちを抱えたまま、トレーナーの夜の時間は過ぎていくのだった。

 

 

 

 桃沢とみおには同僚トレーナーがいる。その名を桐生院葵と言う。彼女はトレーナーの名家の出自であり、桃沢トレーナーと同じくハッピーミークという専属契約したウマ娘がいた。

 

 桃沢にしてみれば桐生院は遥か高みの存在。同僚とはいえ、話しかけることは躊躇われるような女性だ。言うなれば、平民が貴族に話しかけることを躊躇ってしまうような……そんな遠慮がある。

 

 だが、桐生院は何故か桃沢トレーナーとの距離を縮めたがっているようだった。断りきれない性格の桃沢は、桐生院となし崩し的に連絡先を交換することになり――アポロレインボウのメイクデビューを控えたある日、2人は慰労とストレス発散を兼ねて飲み会に行くことになった。

 

「「かんぱーい!」」

 

 既に桐生院の担当ウマ娘――ハッピーミークはメイクデビュー戦で勝利を収めている。桃沢トレーナーは、初のメイクデビューをあっさり勝ち上がらせた際のコツや、トレーニング方法の共有を裏目的としてこの飲み会を開いた。マックイーンのトレーナーから吸収できるものは大方学んでおいたが、同僚トレーナーからもまた新たな情報を得ておかねばなるまい。腹の探り合いをしながらどれだけ情報を引き出せるか。

 

(桐生院さんも俺のそういう下心には気づいてるはず……だよな? う〜ん、この人純粋すぎて分かってないかも……)

 

 桐生院は両手でジョッキを持って、ちびちびとお酒を飲んでいる。一応同世代のウマ娘を持つライバルなのだから、桃沢トレーナーにしてみれば、もっとこう警戒心を持って欲しいものである。

 

 世間話をして段々と酔いが回ってくると、桐生院の無防備レベルは突然段違いに上がった。何故かシャツの第一ボタンを外し始めるし、ちょっと他の人に見せられないような表情をするし。

 

 急に桃沢の肩に寄りかかってきたと思えば、彼女はすやすやと寝息を立てていた。

 

「えぇ……」

 

 本題に入る前に桐生院葵は酔い潰れてしまった。酔う前の会話の中で僅かばかり得られた情報もあるが……これは……。

 

「…………」

 

 箱入り娘というか、大切に育てられてきたんだなぁ……と思いつつ、桃沢は会計を済ませる。わざわざ酒の席に引っ張ってこなくても、彼女なら欲しい情報を教えてくれるだろう。彼女を悪意に引っ掛けるのはやめておこう。その時は自分からも何かの情報を渡した方がいいかもしれないな。

 

 飲み会自体は楽しいものだったが、彼女の純粋さを利用しようとした己の意地汚さが少し嫌になった。桃沢は彼女を背中に担ぎ、近くのホテルに桐生院葵を連れ込んだ。

 

 どれだけ揺すって声をかけても起きないので、仕方あるまいとシャワーを浴びて、桃沢はソファで横になった。

 

 

「――ええええええええええっ!!?」

 

 後日、桃沢を起こしたのは桐生院葵の絶叫だった。ソファから転げ落ち、何事かとホテル内のベッドに駆け寄る。

 

「どうされました桐生院さん」

「あ、あのっ、桃沢トレーナーっ」

「はいはい、何かありましたか?」

「いや、えと、私、昨日――何が――」

 

 桐生院は慌てた様子で自分の身体を確認している。寝ている間に乱れたのか外したのかは不明だが、第二ボタンまでが外れているので目を逸らす。

 

 桃沢トレーナーは、「あぁそういうことか」と合点する。桐生院は何かを勘違いしているらしい。誤解を解くためにトレーナーは口を開いた。

 

「昨日は凄かったですね」

「――!?!?」

 

 桐生院の顔から湯気が出てくる。彼女は自らの身体を抱き締め、耳まで真っ赤にしてしまった。やべ、とトレーナーは口を閉じた。

 

(また悪い癖が出てしまった。酔い方が凄かったですねって言おうとしたんだが……何とか軌道修正しないと)

 

 桃沢は生来口下手な人間だ。思ってもみない解釈をされたり、冗談のつもりで言った「バカ野郎が……」などの暴言もネタにされがちである。トレーナーは倒れてしまいそうな桐生院の身体を揺すり、目を突き合わせて誤解を解きにかかる。

 

「何も覚えてないんですか? 桐生院さんが潰れちゃったから、俺がここに運んできたんですよ。仕方なく泊まっただけで、何もしてないですからね」

 

 何故だろう。何もしてない、ということを強調すると逆効果な気がする。トレーナーは頭を抱えたくなったが、桐生院が案外素直に信じてくれたので、ほっとしながら彼はソファに腰掛けた。

 

「……桐生院さん、帰りましょうか」

「……ご迷惑をおかけしました」

「あ〜、いえ。全然大丈夫です。ただ、こんなにお酒が弱いとは思わなくて……そこは申し訳ない。もしよろしければ、また飲みましょう」

「……! は、はいっ!」

 

 こうして飲み会兼情報交換を終えた桃沢は、トレーナー室に向かった。

 

 

 帰り道のタクシー内で桐生院から得た情報を元に、アポロレインボウの最終調整の予定を組む。

 

(俺のトレーニングはスパルタだ……というか、スパルタしか知らねぇ。桐生院さんとトレーニング方法を共有できてよかったぜ)

 

 桃沢がスパルタトレーニングの内容を明らかにすると、桐生院も嬉々として調整の仕方やトレーニング内容を教えてくれた。無論、それらの詳しい内容は所謂『秘伝』なので、表面をなぞる程度のものだったが……点と点を繋ぐようにそこからアレンジを加えればいい話だ。

 

 桐生院に感謝しながら桃沢は最終調整を作り上げた。スパルタトレーニングに慣れきったアポロレインボウからすると、「え? こんなんでいいの?」というツッコミが飛んできそうだ。

 

「ふふ……」

 

 桃沢は口元を緩ませた。

 いよいよメイクデビューがやってくる。ずっと頑張ってきたアポロが遂に報われるのだ。最近はずっと、アポロレインボウが1番にゴールを駆け抜ける情景を想起している。

 

(なるほど、教え子がデビューするのはこんなにも緊張するものなのか……。マックイーンのサブトレーナーしてた時もドキドキが止まらなかったけど、ここまでじゃなかったな)

 

 緊張、期待、不安、様々な感情が入り乱れている。

 だが、そんなぐちゃぐちゃの感情に曝される中で――桃沢はアポロレインボウの勝利を確信していた。

 

(遂に()()()()()()()()()()()()()()()のかぁ……楽しみだぜ)

 

 何故なら、彼女はトレーナーのしごきに耐え続けていたから。最初の頃は体力の限界を迎えて毎日のように倒れていたそうだが、今は体力が底上げされて潰れることも無くなった。その実力は元より、単純なトレーニング量では同世代の誰にも負けるはずがない。そう考えてやまなかった。

 

 

 しかし――アポロレインボウのメイクデビューで、事故は起きた。

 

「――っ!!」

 

 第4コーナーの終わりかけ、内枠から強引なオーバーテイクを試みたジャラジャラの腕がアポロレインボウにぶつかった。顔を押さえて大外に後退していくアポロ。黒がかった血液がゼッケンと体操服を汚していく。

 

 周囲の観客が立ち上がって悲鳴を上げる。アポロレインボウは一瞬喉を押さえる動きを見せた後、ふらふらと走行を再開した。

 

「や、やめろ――もう走るな――」

 

 大量の鼻血を零し、両目の焦点が合っていないアポロ。脳震盪でも起こしているのか。顔も真っ青だ。口の端から泡が漏れている。

 

 それでもアポロは走っていた。持ち前のど根性が発揮されたのか、無意識なのかは分からないが――彼女は競走を中止することなく、2000メートルを走り切ってしまった。

 

 ゴールと同時に前のめりに倒れるアポロ。トレーナーは柵を乗り越えて彼女の下に向かう。バッグにしまっていた救急箱からガーゼを取り出しながら、桃沢はアポロに向けて大声を出す。

 

「アポロ! おいアポロ! 聞こえるか!?」

 

 返事はない。気絶している。少し痙攣しているようにも見える。

 

(あの時一瞬喉を押さえていた。血が喉に詰まったに違いねぇ!)

 

 トレーナーはアポロを抱き上げ、口を開けさせる。ごめん、と謝ってから、ガーゼを巻いた指先をアポロの喉奥に突っ込む。ビクリ、とアポロの身体が跳ねる。トレーナーは己の痛みを堪えるように顔を顰めた。そのまま喉を探る。生温かくてドロリとした感触があったので、喉の内側を傷つけないように塊を掻き出した。

 

 指を引っ張り出すと、彼女の細い喉に入るには大きすぎる血の塊が乗っていた。大きく咳き込んだアポロの呼吸が戻る。舌打ちしながら、ガーゼに包んでビニール袋に放り込む。

 

「くっ――」

 

 涙が出そうだった。こんなに頑張ってきたアポロを虐めるようなこと……しなくていいじゃねえかよ。そう思って、トレーナーはアポロを抱き締めた。

 

 誰かが呼んでくれた救急車がやってくる。トレーナーとアポロはその救急車に運び込まれる。耳うるさいサイレンが鳴り響く中、観客は騒然としながら救急車を見送った。

 

 ――病院に向かう中、目を閉じたアポロが呟いた言葉が忘れられない。

 

「ごめん……トレーナー……」

 

 彼女の頬には透明な雫が流れていた。その言葉を聞いて、トレーナーは己の胸の内に湧き上がる無念の感情を抑えることが出来なかった。

 

 

 

 メイクデビューの敗戦の後、トレーナーは更なるスパルタトレーニングで絶対的なスピードを付けようと考えた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、彼はそのトレーニングに夢中になるあまり、大切なことを見落としていたことに気付く。

 

 ――気付いたのは、未勝利戦の後だった。

 

 確かに、アポロレインボウのスピードは前よりも高まった。しかし、トレーナーはアポロレインボウを見ていなかったのだ。彼女を理想のステイヤーに仕立て上げることしか考えていなかった。

 

 何よりも大切な彼女の精神状態を鑑みずにレースに出した結果、彼女は第4コーナーで失速した。

 

 明らかにメイクデビューの事故の影響だった。トレーナーである桃沢自身の責任だ。余計な敗北だ。彼女の戦績に傷をつけてしまった。

 

 トレーナーは曇天の中、空を見上げた。無念を感じることさえ烏滸がましい。己の無能さ加減に腸が煮えくり返る思いだった。

 

 敗北に呆然とするアポロに言葉少なく声をかけて、初めてのライブに送り出す。

 

 ぼーっとする気分の中、ライブが始まった。アポロは懸命に笑顔を振り撒いて、可愛らしくダンスをしていた。

 

 だけど、()()()()()()()()()。センターは他の子に取られてしまった。その事実に胸が詰まり、視界が歪んだ。

 

「――っ、ぐっ……くそぉ……!」

 

 涙が溢れていた。いい歳をした大人が、周りの目なんて気にせず涙を流してしまった。際限なく胸を締め付ける悔しさと怒り。止めようと思えば思うほど涙は量を増やし、嗚咽も大きくなってしまう。

 

 大音響が鳴り響いているから、誰にも聞こえるはずがない。だから、トレーナーは大声で泣いた。泣き喚いた。己の力不足を嘆いた。それで許されるはずもない。ネクタイをぐしゃりと握り締め、地面に膝をつく。

 

(――俺は、この子を見ていなかった……)

 

 ライブが盛り上がりを見せる中、トレーナーの心の内側が冷酷さを帯びる。

 

(そうだ。俺はこの子の何を見ていたんだ? この子は俺の脳内にあるような無敵のステイヤーじゃない。俺の言うことを聞くだけの人形じゃない。トレーニングをすれば勝手に育ってくれる無敵のウマ娘じゃない。長所も短所もあって、確固たる意志を持った、アポロレインボウという個性あるウマ娘なんだ……。俺が間違っていた。脳内で作り出した理想のステイヤーの幻影を追って、君の何たるかを考えていなかった)

 

 ステージ上で踊るアポロレインボウを涙ながらに見るトレーナー。

 

(許してくれアポロ……今からでも遅くないかな? 本当の意味で『アポロレインボウのトレーナー』になるのは)

 

 ひとしきり涙を流した彼の瞳には、炎が宿っていた。

 後悔と、自責と、無念と、罪悪感と、苦悩。

 それら全てを受け止め、未来の糧にすると誓って。

 

 ――ここに『アポロレインボウのトレーナー』が誕生した。

 

 

 ――そんな彼らの努力が実って、初勝利を収めるのは……少し未来の話。

 


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