ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
ヨークシャーカップが迫る中、私達は日本を発つ準備をほとんど終わらせた。でも、私達は最後にやり残したことがあって――その目的を果たすため、私達はシリウスシンボリさんを呼び出すことにした。
目的はヨーロッパへの知見を更に高めること。シリウスさんは日本ダービーを勝利し、長期間に渡って欧州に滞在した経験があり――対する私は今年の秋までシャンティイのトレセンに留学が決定しているため、彼女の知識を分けてもらおうというわけだ。
予約した会議室に集まったウマ娘は、私とジャラジャラとグリ子。この2人もヨーロッパ遠征を控えているため、トレーナーに確認した上で誘っておいたのである。
ちなみに、グリ子とシリウスさんが一堂に会するという噂を聞きつけたネットのファン達(夢女界隈)は妙にザワついているらしい。いったいどこの誰から聞き出したのやら。
「グリ子はシリウスさんと話したことあるの?」
「いや、全然。ジャラジャラちゃんは?」
「面識はないかな……」
「じゃ、みんな初対面なんだ」
「近寄り難い雰囲気がね〜……話したらきっと良い人なんだろうけど!」
ウマ娘3人で雑談していると、突然会議室の扉が開かれる。慌てて口を閉じて前を向くと、とみおに続いてシリウスシンボリさんが入室してくるのが分かった。
独特のオーラを漂わせるシリウスさん。切れ長の瞳。まつ毛が長すぎる。スタイルもいい。ずるいなぁ。
「よろしくお願いしま〜す!」
噂通りのシリウスさんに見惚れつつ、私は頭を下げて彼女に向かって挨拶した。他の2人も一瞬呆気に取られて遅れたものの、わざわざ時間を作ってくれた先輩に失礼のないよう、私と同じような挨拶をしていた。第一印象は大事。つまり挨拶は基本である。
そんな私達の声を受けてか、シリウスさんは少し機嫌を良くしたように見えたのだが――私の隣で微笑をたたえるシンボリルドルフ会長を見て、明らかに頬を引き攣らせてしまった。
「……何で生徒会長サマがここにいるんだよ」
「おや、私がここに居てはまずかったかな」
「……ちっ、勝手にすればいいだろ」
「そうさせてもらうよ」
シリウスさんはルドルフ会長に妙な視線を送ると、彼女から最も遠い場所に座った。ルドルフ会長は普通の視線だが、シリウスさんが会長に向ける視線はどこか冷たい。先の会話も相まって、鈍い私でも会議室内の空気が居心地の悪い感じになっているのが分かった。
ただ、これからシリウスさんのことを知ろうという段階なので、2人の過去とか因縁についてはよく分からない。ジャラジャラ・グリ子・私が嫌な空気に対して引き気味で構えていると、とみおが咳払いすることで空気が緩和された。
「……おほん、それじゃあみんな集まったようだし始めようか。今からやることは知ってると思うけど、シリウスシンボリにヨーロッパのトゥインクル・シリーズについてミニ講義を行ってもらう。そこにいるシンボリルドルフは補佐役として立候補してくれたので、そういうことでよろしく」
「あぁ。さっさと始めていいか?」
「うん、基本的には自由に話してくれていいよ」
「そりゃどうも」
シリウスシンボリさんはとみおの案内で前に出ると、自己紹介を交えつつ私達3人を見渡す。講師として呼ばれたからには本気でやってくれるらしく、年季の入ったノート片手に――“ヨーロッパ”という単語だけが表紙に書かれたもの――ホワイトボードにペンを走らせ始めた。
そのノートの貫禄たるや、思わず生唾を呑み込んでしまうような威圧感に溢れていて。ヨーロッパで戦ってきた彼女の血の滲むような努力が窺えた。
――シリウスシンボリ。日本ダービーを勝利した後、2年間の長きに渡ってヨーロッパ遠征を経験したウマ娘だ。かの有名なG1・
また、シリウスさんはあの『世界最強』ダンシングブレーヴが勝利した凱旋門賞に出走したウマ娘でもあり――日本においてもオグリキャップ、タマモクロスなどのスターウマ娘と
私達はシリウスさんの話に必死でメモを取りつつ、その内容に聞き入った。
まずヨーロッパのレース風土。ヨーロッパのトゥインクル・シリーズにはダートレースが存在しない。その代わりに平地レース、障害レース、速歩レース(競歩みたいなもの)が執り行われている。欧州では障害レースの人気が圧倒的に高く、ヨーロッパのレース売上上位20位において、1位はぶっちぎりでG3のグランドナショナル(障害レース)となっている。また、20位中に障害レースが15つランクインするなんてことは毎年起こっており、とある年は売上上位20位中19つが障害レースだった……なんてこともあったそう。それほど障害レースの人気が高いのである。
また、障害レースの最短施行距離は何と3200メートル。ヨーロッパでは5000メートル、6000メートルを走るのは日常茶飯事なのだ。様々な障害が待ち受けている上に壮絶なスタミナを要求される障害レースと比べて、平地の長距離レースは退屈だと見なされてしまい、その結果平地長距離レースの人気が落ちた……という声もある。平地レースの高速化とレベル低下が人気下落の主な要因だろうが、確かに障害レースの隆盛が一因を担っているとも言えるだろう。
つまり――
ルモスさん曰く、平地長距離の人気をぶち上げる算段は立っているらしい。その根拠として、売上1位が定位置となっているG3・グランドナショナルは、イギリス国内だけで総人口の6人に1人にあたる1000万人がテレビ観戦しているという調査結果が出ている。つまり、同じ『レース』でここまで支持を獲得しているのだから、平地長距離レースの地位向上も不可能ではないはずだ――という考えがあるみたい。
でも、国や地域には価値観の違いというものが存在する。一言で片付けるのは難しいけれど、日本では平地の芝レースが、ヨーロッパでは障害レースが好まれるような価値観が既に完成しているのだ。長きに渡って育まれてきた文化を下地にして、もはや成熟していると言ってもいい。
例えばヨーロッパではエキサイティングで激しいモノが好まれる。ヒトのスポーツで言えば、ラグビーやサッカーやF1などの、とにかく分かりやすい競技に注目が集まりやすい。そんな彼らが平地と障害を見比べた時、彼らの価値観からすれば平地が見劣りするように見えても仕方の無いことだ。
逆に、日本は引き算的。障害レースのように、怪我の不安を感じさせるようなレースは若干好まれない傾向にある。また、日本人は待つことが苦痛でない……と言われているため、平地レースはそんな私達にマッチしたスタイルなのだろう。
ただ、ルモスさんはその価値観の違いを知った上で世界を覆そうとしている。既に根付いた価値観を破壊して一過性でない人気を取り戻せるかは分からないが、最強ステイヤーの夢を叶えつつ人気を取り戻せるチャンスなんて二度とない。ルモスさん達の悲願を叶えるために一肌脱がせてもらうのは当然のことだ。
「さて、いよいよレースについての説明に入るんだが、そこのトレーナーにも色々と補足してもらう。ニワカってわけじゃないが、トレーナーの方が詳しいだろうからな」
「……シリウスシンボリを呼んだ理由は経験談の部分が1番大きなところだから、気にしなくていいよ」
日本のトレセン学園に勤務するトレーナーと言えど、海外の事情に精通しているのは当たり前のこと。本題はシリウスさんのレース経験談の部分だからか、2人は少し早口気味でヨーロッパのレースの特徴について語り始めた。
日本とヨーロッパの違いは簡単。『人工物』か『自然物』かの違いである。アメリカに倣った日本のレース場が人工物なら、元祖と言えるヨーロッパのレース場は自然そのもの。そのため、芝が切り揃えられることはなく――つまり芝は長い――森や丘がそのままレースコースになっているので、日本ではありえないレベルの高低差があるのは当たり前なのである。ヨーロッパのレースコースはコーナーが緩やかで、直線が長い。
タイキさんが勝ったG1・ジャック・ル・マロワ賞が直線1600メートルだったり、特にマイル以下の距離は直線限定であることもしばしば。2000メートルの直線コースもあるくらいだ。
こうした状況下で走り続けた結果、ウマ娘達は地域ごとに最適な走法を身につけてきた。それがレーススタイルの違いである。大きく分けると、欧州のウマ娘は『直線の長いコースに強いウマ娘』が多く、アメリカのウマ娘は『カーブが多いコースに強いウマ娘』が多くなった。
日本のコースはアメリカの特徴を受け継いだものが多いので、日本のウマ娘はカーブに強いウマ娘が多いと言われている。付け加えるなら、スローペースの末脚勝負になればかなり強いだろう。
上辺をなぞる説明が終わると、いよいよシリウスさんに発言権が移る。次は向こうのレーススタイルと主な対策方法について、経験を混じえながら説明してくれることになった。
「――今説明した通り、ヨーロッパのスタイルは理解できたと思う。ま、大雑把に言えば『最後に勝てば何でもいい』ってスタイルだ。スタートに力を入れてるウマ娘は日本より少ないし、強えウマ娘を勝たせるためにラビットと呼ばれる逃げウマ娘が出走してくるのも大きな特徴だな」
では、ヨーロッパのレース場に適応したその走法と、ラビットによる不利展開を打ち破るにはどうすれば良いか。シリウスさんは人差し指を立ててこう言った。
「最も過酷なレース場と言われるエプソムレース場の高低差は40メートル。アスコットレース場でも20メートルのアップダウンがある。日本じゃ考えられないだろ? ――だから、当然日本と同じ走り方じゃまず勝てねぇ。中距離以上を走るならレーススタイルを変えろ……というのが私なりの答えだ」
ノートを持つシリウスさんの手に力が入る。具体的に何を変えれば良いのか、走法はそのままで良いのか、過酷な高低差をどうやって乗り越えるかなどなど……経験談を元に有益な情報を次々に語ってくれた。
ヨーロッパの土は柔らかいから一歩一歩走るだけで体力をゴリゴリ削られるだとか、森の深い場所にコースがあるため鹿や野ウサギが平然と現れるだとか、あちこちにモグラが掘った穴があるだとか……とにかく内容が盛りだくさんだった。
そんな中、シリウスさんは私を名指しして、「お前はそこのトレーナーに言われた通り、走法を変える必要はねぇ。良さが潰れちまうからな。だが、
とみおもこの発言に浅く頷いており、助けを求めるようにルドルフ会長を眺めると、彼女は困ったように首を振るだけだった。それを見たシリウスさんは、鼻を鳴らしながら会長に食ってかかった。
「――ハッ。そこで黙って見てる生徒会長サマはアポロの走りに対してどう思ったんだよ? 可愛い後輩に向けてアドバイスのひとつでもしたらどうだ?」
「……そうだな。私から言えることはひとつ、『怪我をしないこと』だ。怪我をすれば当然レースにを走ることはできない。挑戦することすらできないまま終わるのは悔やんでも悔やみ切れないだろう?」
「……フン、文句のつけようもねぇアドバイスをありがとさん」
その後、シリウスさんはジャラジャラちゃんにスタミナキープのコツを伝授し、グリ子には重馬場への対策を練ることを提案した後――
「ここまで教えてやったんだ。3人とも、結果残せよ」
と言い残して部屋を出ていった。
「はい!」「もちろんです!」「頑張ります!」
質問したいことは沢山あったけど、シリウスさんもまた忙しい身。むしろ時間を作って貴重な話を聞けたことに感謝である。
シリウスさんに鬱陶しげな目で見られていたルドルフ会長は、帰っていった彼女に代わって前に出た。
「シリウスシンボリはノートの内容を語り尽くしてくれたようだ。質問があれば、私に何なりと言ってくれ。もっとも、私の遠征先はアメリカだから、期待に沿う答えは出てこないかもしれないがね」
こうして“シンボリ”2人によるバトンタッチが行われた後、数十分に渡る質疑応答が始まり――
「どんなウマ娘にも弱点は必ずある。無双のウマ娘がいたとしても、無敵のウマ娘はどこにもいないものだよ。己の弱点を見直した後は、自ずと敵の弱点も見えてくるだろう。健闘を祈る」
……という会長の締めの言葉と共に、ミニ講義は終わりを迎えた。
ミニ講義が終わった後、私は明日の旅立ちに向けて自室で荷物を纏めていた。そんな私の後ろでグリ子が悲しそうに耳を伏せる。視界の端で感情を露わにする彼女を捉えつつ、私は重くなりかけた空気を茶化すように笑い飛ばした。
「もう、1ヶ月もすればまた会えるじゃん! 何でそんなに寂しそうなんだよ〜」
「……だ、だって」
「だって……何よ?」
「2年間ず〜っと一緒の部屋で過ごしてきたんだよ? レースで勝ったらプチ祝勝会開いてさ。うるさくしすぎて隣の子に怒られたり、2人一緒に寝坊遅刻して責任擦り付け合ったりしてさ。1ヶ月とはいえ、うるさい同居人が居なくなるんだもん。そりゃ寂しいって」
グリ子が消え入るような声で言うと、今度こそ部屋の空気がしんみりとしてしまった。
彼女は安田記念の後にヨーロッパへ遠征してくるが、それまではしばしのお別れ。1ヶ月ほどすれば彼女もシャンティイのトレセンに来ると言うが、それでも寂しいものは寂しいというのが本音だ。機嫌が良い日も悪い日も顔を合わせ、お互いに知らないことなんてほとんど無いレベルで密接に過ごしてきた。彼女がいなくなった時、フラットに雑談ができる相手は誰もいない。そういう意味でもグリ子は私にとって大きな存在だ。
とは言え、私はそこまでの心配はしていない。彼女と培ってきた絆は、海を越えても絶たれることはないと信じているから。
「……大丈夫っしょ。私達、
そう言いながら人差し指をグリ子の胸に突きつけると、彼女は軽く吹き出した。自分でも似合わないセリフだと思ったけど、笑われるとは心外だ。結構勇気を振り絞ったのに。
「ちょ、なんで笑うの! サイテー!」
「いやいや、バカにしたわけじゃなくてさ……何か安心しちゃって。そうだよね、アポロちゃんってこういうヤツだったわ〜」
「何それ、もう電気消していい?」
「ごめんごめん! 拗ねないで!」
「電気消しま〜す」
「ひえ〜!」
私はキレた演技をしつつ布団に潜り込んだ。きゃいきゃい騒ぎながらグリ子もベッドに向かってくれたので、明日の出発に備えて早めに眠れそうだ。私は目を閉じて、ウマ娘の聴力を以ってしても聞こえないレベルの声で「ありがとね」と呟いた。反応は返ってこなかった。
しばらく布団の中で蠢いていると、強烈な眠気が生まれる。いよいよ寝られそうだと思った時、グリ子の声がした。
「――アポロちゃん」
「……んぅ、なにぃ……?」
「
「…………」
「
グリ子が何かを言おうとした瞬間、眠気が限界を迎えた。グリ子の言葉を待たずして意識が闇に溶け始める。トレーナーに話せず、頼れる先輩にも話せず、同室の大親友にしか話せなかった
――俺達はまだまだ不完全だからボロが出る。
私のかかり癖は、単なる悪癖以上の意味を持っている。『最強ステイヤーになりたい』というどこか現実味のない夢と、その
菊花賞の後から現れた底なしの不安は、今の私を蝕む毒だ。極限まで研ぎ澄ませた肉体と技術をぶつけるトゥインクル・シリーズ。G1というレベルの高い舞台にもなれば、肉体や技術面ではライバルと大した差がつかない。だからこそ、諦めない執念が戦いの力になるというのに――この
「俺」は続ける。
俺達はまだ不完全なんだ。だからボロが出るし、本当の意味での会心の走りができない。一段階上のステージ――理想のウマ娘になるには、お前がちゃんと思い描いた夢の中で戦う必要があるのさ。そうすればきっと、至上の課題である
「俺」は私の様子を見ている。
――そう。私が忘れていたのは夢の根幹に関わることだ。菊花賞で肉体の限界を超え、夢に挑む準備は完了したのだが――その先に待っているはずの夢には靄がかかっていた。その靄の正体は分からない。いつどこで発生したのか、その翳りが何なのかは皆目見当もつかない。強いて言うとするなら……翳りの原因は、私が最強ステイヤーになろうと決意したあの日に生まれたもの……な気がする。
夢を抱いたその日は、両親と一緒にレースを見ていた。長距離戦だったはずだが、どこで誰が走っていたのかは思い出せない。輪郭がはっきりしない。……レース内容は薄らと覚えているのに、勝利したウマ娘の名前は思い出せない。
しかし、それが根幹だ。最強ステイヤーになりたいと誓った日に見た――
じゃあ、それが意味するところは何だ?
あの雪の結晶と、テレビの中のウマ娘が語った言葉の意味とは――?
『この⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎で⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎と戦えて、私は――』
こめかみが鋭く痛む。
まだその時じゃないんだ。本能的に察する。
しかし、こめかみに激痛が走ると同時に見えたものがあった。
――
で、あれば――
ルモスさんの言葉が駆け巡る。
……カイフタラを助ける?
そんなことはない。私は彼女に助けてもらう側でもあるんだ。
直感でしかないはずだが、確信めいた感情で私は思う。
私達は惹かれ合っている。海を隔てても強く求め合っている。
この渇き、この衝動、不安、希望、羨望、嫉妬、狂乱、敗北感、闘争心――私の全てを受け止めてくれるのは、雪の結晶を持つカイフタラしかいない。
他の誰でもない、あなたしか。