ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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108話:夢を……

 

 シャンティイのトレセン学園に来てから数日が経った。生活に多少慣れてみると、案外こっちも日本と変わらないなぁと思うようになっていた。

 具体的に言うと、授業中に寝る子がいるし、カフェテリアでお腹を膨れさせるウマ娘もいるし、プールトレーニングではビート板を使うウマ娘がいるし――何ならカイフタラさんがビート板を使用していた――国が変わっても大体こんな感じなんだなぁと感動さえ覚えるくらいだった。

 

 ただ、違うこともある。それはウイニングライブに対する考え方だ。シャンティイの森には屋外ステージは存在せず、こぢんまりとした屋内ステージまたはダンススタジオでライブの練習が行われていたのである。

 『ウイニングライブを疎かにする者は学園の恥』と口酸っぱく言われていたジュニア級を経験していた私からすれば、えっ何でライブに力を入れないの? ファンのみんなのために踊らないの? と疑問符が浮かびまくりだ。

 

 ただ、留学生用の授業を受けて分かった。これも文化の違いなのだ。

 ウマ娘史で見た時、『走ること』と『ライブをすること』のどちらが最初に行われていたかというと、当然前者の『走ること』である。走ることがウマ娘の本能と結びついているとしても、ライブすることは結びついていない。日本以上に歴史と伝統を重要視するヨーロッパでは、ライブのような文化よりも、古より伝わる『走ること』にリソースを割くような構造になっているわけだ。

 

 その煽りを受けてかファン感謝祭のような大規模な祭りは存在しないため、ファンとの交流イベントは日本に比べて少し寂しいものになっている。ただし、これらのイベントは『ロイヤルアスコット』『凱旋門ウィーク』などの重賞競走集中開催と混ざっている節があるため、一概には言えないが。

 

「……ふぅ」

 

 私は授業で取ったノートを見返しつつ、ベッドで横になった。新しい寮の自室は広々としていて、軽く縄跳びでもできそうなほど空間が取られている。ベッドもセミダブルの大きなサイズであり、何度寝返りを打っても端に到達することはない。私はベッドの上をごろごろと転がりながら、大きく溜め息を吐いた。

 

「はぁ……」

「どうしたんデス、溜め息なんか吐いちゃって」

「いや〜……環境が変わった上、覚えることが多すぎてさ……エルちゃんは大丈夫なの?」

「エルは深く考えないことにしました!!」

「……ダメじゃん」

 

 私は再び重苦しい息溜まりを吐きながら、ゆったりと上体を起こす。そのままエルちゃんの脇腹を突っついて、きゃあきゃあ騒ぐ彼女で暇つぶしをすることにした。

 ヨーロッパでの新しいルームメイトは、私の(くすぐ)りで笑い転げるエルコンドルパサー。この部屋は3人部屋なので、そのうちグリ子かジャラジャラちゃんが同室に入ってきて騒がしくなるだろう。

 

「ちょっ、脇はやめてください! くすぐったいデス!」

「おりゃおりゃ〜!」

「あはっ、あははははっ!」

 

 このフランスで日本語を話すことのできる者は少ない。それこそ、今話せるのはエルちゃんやトレーナーの2人くらいか。そんな2人と話していると、言いようもなく落ち着けるのだ。エルちゃんもそう思ってくれているのだろうか、同じクラスになった私と彼女は、休み時間やお昼休憩の間べったりとくっついている。どちらともなく行動を共にするようになり、日本の頃よりも距離が近くなった印象だ。

 元々仲は良かったが、環境がそうさせているのだろう。英語を話せないことはないけど、頭を使うし疲れるからね。外国に“日本街”的なコミュニティがあるのはそういう理由があると身に染みて分かった。

 

「やりましたねアポロちゃん!? こっちも黙ってませんよ、それっ!」

「やっ! そこダメっ、ヤバいって!」

「仕返しデス! ここが弱いんですね!?」

「み、耳はほんとにっ――」

 

 距離の近くなったエルちゃんのプロレス技が炸裂し、組み敷いていたはずが立場逆転。押し倒されて脇腹や首筋や耳付近を擽られるハメになる。どうやらグラスちゃんに対しては怖くて()()()()()()ができなかったらしく、私は憂さ晴らし(?)の相手になっているようだ。

 そのまましばらくベッドの上でくすぐり合って大騒ぎしていると、ドン、と鈍い音が部屋の中に響き渡った。所謂『壁ドン』というやつで、涙を拭きながら音のした方向を見ると、壁が僅かに震えているのが分かった。

 

「うわぁ、壁ドンって万国共通なんだねぇ」

「怖いデ〜ス」

「私達の来仏、みなさんに壁ドンで祝って頂けて……感無量です。礼には礼を以て返さねば、ですね」

「ブふッ……それ、グラスの真似ですか? 本人が聞いたらとっても怒ると思いますよ」

「スキあり、はいこちょこちょ〜」

「あはっ、ちょっとアポロちゃん! またっ、あはははっ!!」

 

 変なテンションのまま、再びこちょこちょ我慢比べが始まる。時間に比例して大きくなる笑い声。壁ドンもまた加速する。そして壁ドンを超えて壁バンになったところで、突然壁を叩く音が止まる。何事かと思って二人一緒に耳を澄ませていると、叩きつけるような足音が接近してくるのが分かった。巨人のものと聞き違いそうになる足音は、間違いなく私達の部屋に向かってきていて。

 

「あ、これはまずいやつデス」

 

 時すでに遅し。やらかしたことに息を呑むと同時、寮室のドアが蹴破られる。ドミノのように倒れた扉を踏みながら姿を現したのは、部屋着姿の鹿毛のウマ娘――カイフタラだった。

 珍しく怒りを露わにした黄金の瞳をこちらに向けてきながら、頭頂部をボリボリと掻いて尻尾を荒ぶらせている。カイフタラさんはエルちゃんに鋭い視線を向けたかと思うと、私の姿を見つけて――大きな大きな溜め息を吐いた。

 

「またお前か……」

「カ、カイフタラさん……隣のお部屋だったんですね」

「あぁ」

「ご、ゴメンナサイ。調子に乗りました」

「そのようだな」

「あの、今度パフェ奢るので許してくれませんか」

「うるさい。黙って寝てろ。二度と騒ぐな」

「す、すみませんでした……」

「ごめんなさいデス……」

「……フン」

 

 カイフタラさんは蹴り破った扉をいそいそと修復してから、私達の部屋から出ていった。その際、目線で「ついてこい」と言われた気がしたので、私はこっぴどく怒られることを予感して背筋を丸めながら彼女を追った。

 窓辺で私を待っていたカイフタラさんは、先程とは打って変わって穏やかな様子で口を開く。

 

「お前……次走はヨークシャーカップに決まったらしいな」

「あ、はい……」

「今から暇か? 暇ならオレが直々にヨークレース場を走るコツを教えてやろうか」

「……!?」

 

 その言葉に、私は困惑した。この前までは突き放すような態度を取っておいて、唐突にこんなことを言われたら誰だって混乱するだろう。初対面のドバイでは嘲笑されたし、その後も色々あったのに……。

 

「……何が狙いなんです?」

「狙いがないといけないのか?」

「えっ」

「いや、まぁ……そうだな。これまでの言動からして、今の言葉は確かに怪しく感じるか。周囲の人間に色々と言われて、ほんの少し気が変わったと言ったら信じてくれるか?」

 

 ぶつぶつと口の中で言葉を捏ねるカイフタラさん。やっと自分の行いを省みてくれたのかという思いはあるが、突然親身というか()()になった彼女には疑問と警戒の気持ちしかない。

 その感情を後押しするかのように、カイフタラさんの瞳には未だに底知れない感情が見え隠れしている。いやまぁ、教えてくれるだけなら全然取捨選択できるからいいんだけどさ……。

 

「フ……ま、ついてこいよ」

 

 カイフタラさんは寮の外に出て、シャンティイの森の中をゆっくりと歩き始めた。私はその半歩後ろを追うように早歩きで薄暗い森を進む。森の中に隠れるようにしてトレセン学園が建っているため、ここはむしろ野生動物のテリトリーだ。狼とか出たらどうしようと引き気味でいると、カイフタラさんは少し開けた場所に進んでいく。

 何があるのかは分からなかったが素直に着いていってみると、そこには自然のトラックコースがあった。芝が長々と蓄えられており、高低差はめちゃくちゃ。見通しを妨げるようにあちこちに木々やツタが生い茂っており、整備された日本のコースとは比べるべくもない。しかし、世界で最も過酷なレース場のエプソムを模して作られたような感じがした。

 

 隠されたトラックコースは彼女がよく使うのか、カイフタラさんは慣れた様子で倒木に腰掛けた。ざざ、と木々が揺れ、カイフタラさんが棒立ちになっていた私に対して顎で「座れよ」としゃくる。彼女はどこか穏やかな目をしていた。

 

「良い場所だろ」

「安全面の考慮がされてないように思えますが」

「どのレース場も本質的には危険なものさ」

 

 明らかに今までとは様子が違っている。初めての対話ができそうだと思った。私がカイフタラさんの顔を覗き込むと、彼女は私を愛でるように目を細める。夜空で鈍く輝く月と対比されるような、黄金の美しい瞳だった。

 しばらく夜風で涼んだ後は、カイフタラさんのレクチャーが始まる。彼女の口から、ヨークレース場についての細やかな説明がされることになった。

 

「ヨークレース場は日本のウマ娘にとって非常に走りやすいコースだ。ただ、それは()()()という形容詞が着いての話……日本に比べれば地面はガタガタだし、カーブの形も同じ箇所がない」

 

 ヨーロッパのレース場は伝統的に自然の地形のまま作られているため、激しい高低差に歪なカーブを持つレース場が多い。彼女の言う通り、ヨークレース場は比較的マシというだけだ。

 最後の直線が僅かな登りになっている以外は、大小2回のカーブを曲がるのみの平坦なコースという特徴があるヨークレース場。幅も広く、マークされなければ余裕を持ってレースできる公正なレース場と専らの評価である。

 

「オレからのアドバイスは2つ。既に実践しているならいいが、蹄鉄をこっち(ヨーロッパ)用の物に変えること。それと、()()()()()()()()()()()()()……この2つだ」

「蹄鉄は今色々と試してて……明日のトレーニングでどういう物にするかを決めるつもりです」

「大変結構。その調子ならお前は危なげなく勝てるだろうな――オレ以外には」

「…………」

「何だその目は。文句があるのか?」

 

 日本とヨーロッパのターフの違いは言うまでもないが、走り方の考えを変えると共に蹄鉄も変えなければならない。地面が固く芝の短い日本に適応した蹄鉄は、ヨーロッパの物に比べて薄く仕上がっている。逆に地面が柔らかく芝の長い欧州用の蹄鉄は、厚めの仕上がりが流行している。

 もちろん鉄の塊なので、蹄鉄は規格に従って極限まで重量を削ぎ落とされている。だから、違いが出るといっても僅か数ミリ――いやコンマ数ミリの世界だ。それでも走り方に支障が出る子はいるし、私のように変わりなく走れる子もいる。ウマ娘はとにかく繊細なのだ。

 

 カイフタラさんは少し笑って、自然のままのコースに出る。門限まであと少しだったけれど、彼女の純粋な微笑みを見ていると、水を差す訳にはいかないなと感じて足が視線とコースに向く。

 そうして2人で森の中のコースを歩く最中、カイフタラさんが唐突にこんなことを言った。

 

「お前には大切な人がいるか?」

 

 予期せぬ質問に私は返答しかねる。彼女はそんな私に苦笑いすると、こう続ける。

 

「何だ、いないのか。誤魔化しているんだろう」

「どういうことですか?」

「今更すっとぼけるつもりか? トレセンの生徒はみ〜んな、お前がトレーナーのことを大好きだって知ってるんだぜ」

「な、なななな――……!!?」

「エルコンドルパサーが数日前に言いふらしていたよ。まあ、お前を知ってるヤツは全員気がついていたが」

「エッ……エルコンドルパサー……!!」

 

 あんの野郎……帰ったらしばき倒す。私は頬がかあっと熱くなるのを感じながら、首の辺りを手で扇いだ。

 

「わっ……私ととみおはそんなんじゃないですぅ。は、話を振ってきたカイフタラさんこそどうなんですか」

「オレにはいるよ。まだ小さいが……大切な妹がいる」

「へえ、妹さんですか!」

 

 カイフタラさんに姉妹がいるという事実を、どこかで小耳に挟んだことがある。確か、姉にはオペラハウスさん、妹にはジージートップちゃん……競走馬的に言えば、オペラハウスはテイエムオペラオーの父として有名だ。現役時代はコロネーションカップ・エクリプスステークス・キングジョージのGIを3連勝し、特にキングジョージではコマンダーインチーフやホワイトマズル、ユーザーフレンドリーなどの名馬を退けての勝利を収めた競走馬である。ジージートップも確かオペラ賞というG1を勝っていたはず。

 ここで言う妹とはジージートップちゃんのことなのだろう。生憎、こちらではジージートップちゃんにもオペラハウスさんにも会ったことはないが……カイフタラさんにとって、妹は途方もなく大切な存在らしい。

 

 私もお父さんお母さんは大好きだけど、今も()もひとりっ子だ。きょうだいの存在というものを感じたことはなかった。姉妹のことを引き合いに出すカイフタラさんに羨望の念が湧く。

 

「……お前に対する態度が突然変わって気持ち悪いと思うかもしれんが、まぁ……色々あってな。例を挙げると、つい先日妹に『態度が悪すぎる』と叱られたんだ」

「それはそうですよ!」

「は? 調子に乗……うほん、うん。まぁ、そういうことで、これからは態度を改めるつもりだ。昨日ルモスに態度のことを搾られちまってな……あの人には逆らえない」

「あ〜……やっぱりそうなんですね」

「ただ、ルモスに搾られてばっかりじゃないぜ。色々と思うところがあったのさ。久々に頑張ってみようかな――と思える夢が出来たんだ。()()()()()()()()()()()()()

「……!」

「あぁ、夢に関しては思い出したと言った方がいいかな」

 

 ――夢。その言葉に、膝の力が抜けるような感覚がした。私の心はまだ闇を彷徨っている。私はずっと(わだかま)りが解決しないままで、心の奥深くの突っかかりを誤魔化すように過ごしてきた。

 私が迷っている間に、カイフタラさんは夢への障害を乗り越えたのだ。明らかに不安定だった心の安寧を取り戻し、あまつさえ一皮剥けたような雰囲気ではないか。肉体的にも精神的にも著しい成長が見えており、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――……。

 

 彼女の大人びた雰囲気を間近で感じて、私の中でカイフタラさんの精神的成長が決定的なものになる。数日前のエンゼリーちゃんとの一件から見ても、完璧な大人になったわけではないだろうが――それでも、肉体的にも精神的にもリードを許してしまったのは揺るがぬ事実だった。

 

「まくし立てて申し訳ないが、ひとつ聞いておきたいことがある。いいか?」

「え、えぇ……何ですか?」

「日本から来たお前だから聞きたい。正直な感想を言ってくれて構わないんだが――今のヨーロッパのステイヤー路線に、明るい未来はあると思うか?」

「――――……」

「……隠す必要はない。ありのままを言うんだ」

「そ、それは…………」

「それは?」

「――…………()()()()()()……」

「……()()()()()()。ありがとう」

 

 カイフタラさんは一瞬だけ目を伏せた後、私の両頬を挟み込んで無理矢理視線を合わせてきた。

 

「オレはヨーロッパに明るい未来なんて来ねえと思ってる。ステイヤーの価値が低くなっているのは言うまでもないからな。だが……ステイヤー(オレ達)は王道路線から外れて仕方なくここにいるウマ娘か? 障害レースほどの超長距離を走れず、飛越に対する適性もない半端者達の集まりなのか? ……違うだろ。オレ達は誇りをもって平地長距離路線を走っている。()()()()()()()()()()。オレ達はクラシック・ディスタンスや障害レースの二軍じゃねぇんだ……まだ、魂は死んじゃいねぇ。そこにきっと、復活の兆しがある。()()()()()ってのは、今までのお前なら有り得ない回答だぜ。何を迷っている?」

 

 黄金の瞳が血走る。彼女の言葉に胸を打たれたような衝撃が走った。

 彼女が持ち合わせていた獰猛性と、真っ直ぐに目標を目指す意志が組み合わさって、カイフタラはもはや別人になっている。未来を信じるその強さに、私の弱さが浮き彫りになるかのよう。

 

()()()()()()()()()()。負の連鎖も、人気低迷も。希望はオレ達が作り出す。お前もそう思っていたんじゃないのか」

 

 ひと皮剥けた、なんて偉そうに思っていたが――カイフタラさんはひと皮もふた皮も剥けて、黄金の輝きを放っていた。彼女が()()()()()()()()()()()高潔な精神力がオーラとなって表出し、生き生きとした生命力に圧倒される。

 夜闇が深さを増す。心の底で()()()()()()と偉ぶっていた私はとっくの昔に矮小な存在に成り果てて、呼吸することすら苦しくなっていた。

 

 ドバイゴールドカップまでは、間違いなく彼女の心は迷いの中にあった。それで()()暴力的なまでの強さを誇っていたのだから、心の靄が晴れた彼女の強さなど言及するまでもないだろう。

 では、私はどうだ? 夢の根幹も、未来さえ見えなくなっている。

 

 私は胸の辺りを握り締めながら、呻くように訊く。

 

「どうして……カイフタラさんは夢を見られるんですか?」

 

 カイフタラさんは眉尻を下げると、ふっと息を吐いた。人差し指で頬を掻いて、視線を二度三度泳がせて、彼女は気まずそうに思いの丈を吐露する。

 

「……お前がいたからだ」

「え?」

菊花賞(セントレジャー)で走っていたお前に嫉妬したからだ。ダブルトリガーを満足させたお前を羨んだからだ。盛り上がりきらないヨーロッパと熱狂の中にある日本の違いに嫌気さえ感じてた。ドバイでお前に当たっちまったのは……単純な八つ当たりさ」

「……でも、私は……」

「オレはお前の走りに夢を見た。大丈夫、お前の状態は会話の中で何となく分かってる。お前はよく頑張ってきた。頑張りすぎて、訳わかんなくなっちまったんだよな……」

 

 三日月の淡い光が照らす中、カイフタラさんが私の肩を強引に引き寄せる。寝巻き越しに感じる彼女の肌は、とても温かかった。突然、熱いものが目の奥から溢れ出してくる。歪む視界と震え出す喉奥。何もかもが分からなくなった私は、いつの間にか嗚咽して涙を流していた。

 私は肩口に額を擦り当て、衝動のままに泣き叫ぶ。自分を見失い、ライバルに置いていかれて、ぶつける先のない感情を次々に涙に変えていく。

 

 傍若無人なイメージのあった彼女が、優しく髪を撫でてくる。その手つきは優しく、妹を宥める時にもこうしていたのだろうか、と他人事のように思った。

 夜が耽けていく。カイフタラの心がまたひとつ成長し、美しい『未知の領域(ゾーン)』の心象風景を見せつけてくる。

 

 それは、深い深い闇の中から現れたドンカスターレース場だった。最古のレースが行われる歴史あるレース場で、豪華絢爛なパレードが行われている。花吹雪が舞い、大歓声が押しては引き、熱気の篭った空気が渦巻いている。

 それは、隆盛を取り戻したステイヤーのシンボルに見えた。

 

「アポロレインボウ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 優しい温もりに包まれて、私はゆっくりと目を閉じる。

 世界が闇に溶けていく。異形の一本桜が、吹雪の中に消えていく――……

 

 

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