ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
――シャンティイ・トレセン学園、その深い森の中のトラックコースにて。エプソムレース場を模したタフなコースにて、4000メートルのマッチレースが行われることになった。
立会人と判定担当を兼ねているとみおは、カイフタラさんの了承の元ビデオカメラでの撮影を行う。あくまでフェアな勝負であるから、もちろんカイフタラさんにも映像を渡す約束を結んでおいた。
自分の走る映像を渡すことに抵抗はなかった。どちらかといえば私達はカイフタラさんの生み出すレース映像が欲しいのだ。カイフタラさんも彼女自身の映像というよりは、私の映像やデータを欲しがっているように見えた。
お互い同じ気持ちなのかもしれない。
正直、私の大逃げはマジでイカレていると思う。逆に私の走りを打ち破る可能性を秘めているライバル達がおかしいのだ……と、ある意味達観した考えさえ持っている。
「それじゃ2人とも、準備はいいかな」
「ああ」「うん!」
「予期せぬギャラリーが集まってしまったみたいだけど、本番でも人の注目はあるから……このまま始めようか」
集合時間は放課後――つまり昼休み後になっていたのだが、思わぬ数のギャラリーが集まってしまった。どこから噂を聞きつけたのか、エンゼリーちゃんやアレフランスさん、その他のトレーナーなどが柵付近に殺到している。
とみおは予想外かのように振る舞っていたけど、私とカイフタラさんにとって人の視線なんてのは空気に等しい。幾度もグレード・レースを走ってきたから、注目を集めることには慣れっこなのだ。
まぁ……エンゼリーちゃんに見られるというのは、どうにも嫌な感じがするけど。
(エンゼリーちゃん……間違いなくあの子は牙を隠してる)
エンゼリーには競走馬時代にカイフタラを倒せる実力があった。であれば、ウマ娘として存在するこの世界でも、エンゼリーちゃんの実力は相当なものに仕上がっているはずだ。なまじカイフタラさんの末脚を知っているぶん、史実でゴールドカップに勝利したエンゼリーちゃんの実力は計り知れない。
内ラチ付近で私達に手を振るエンゼリーちゃんを流し見て、ふうっと息を吐き出す。ああやって可愛い顔をしておいて、ヴィコンテスヴィジエ賞で
ド派手な脚質や博打打ちによって勝利するウマ娘は少なくないが、その逆は稀である。地味な立ち振る舞いのまま、呆気なく勝つ――それ即ち、
ただ、とみおと協議した結果でもあるが、私達はカイフタラさんを1番に警戒すると決めている。そういう風に決定づけてしまった。もし負けてしまった時は、エンゼリーちゃんがカイフタラさんや私よりも強かったのだと諦めるしかない。そういう選択をしたのだから。
(……しかもあの子、重賞連勝中のくせに超晩成タイプっぽいからなぁ。カイフタラさんもエンゼリーちゃんも、強い要素てんこ盛りすぎだっつの)
99年のゴールドカップに勝利した際、エンゼリーの関係者は『エンゼリーは晩成だからね。これからまだまだ良くなるよ』というコメントを零したという。この発言がリップサービスなのかは分からないが、優秀なステイヤーが晩成傾向がちなのは明確な事実だ。シニア級の春を迎えて更に伸び盛るウマ娘は結構いる。
この世界のエンゼリーちゃんもその例に漏れず、これからが全盛期なのだろう。生憎エンゼリーちゃんと模擬レースをする時間・体力の余裕はないため、彼女への細やかな対応は半ば仕方のないものとして切り捨てる他ないのである。
「位置について」
体操服の裾を伸ばして、スタート地点に立つ。私が内側、カイフタラさんが外側。ストップウォッチを握り締めたとみおは、フラッグを片手にレーススタートの合図を出すべく私達の斜め前に立っている。多くの観客がいるため、彼はカメラ役を誰かに任せたらしかった。
「用意――……」
観客の期待感がじりじりと上がっていく中、とみおはキレのある動きでフラッグをはためかせた。
パン、と空気の弾けるような音がして、私達はターフを蹴りつける。轟音が急加速して、ふたつの風となる。森のあちこちから歓声が上がり、穏やかなざわめきで包まれていたシャンティイの森に、模擬レース開始の鮮烈な雰囲気が吹き込んだ。
思考に溶け込んでくるような実況解説の声はなく、そこそこの歓声と2つの足音だけが辺りに響いている。本番レース同然の緊張感と、何にも邪魔されない疾走感によって、どこか不思議な感覚があった。
元来エプソムレース場は周回のない全長2400メートルのコース形をしている。この森の中のトラックコースは、蹄鉄のような形をしていたエプソムレース場を周回可能なように楕円形へ改造したものである。そのためコース全体の高低差は約40メートル、1周約2800メートルという独特の条件になっている。
中でも高低差40メートルという異常な条件が曲者で。並のウマ娘がこんなコースを2周して4000メートルを走るとなれば、あまりの苦しさにしばらく動けなくなってしまうのが容易に考えられた。
カイフタラはこのコースで練習を重ねていたから、規格外の力を手にすることができたのだろう。私は柔らかいターフを蹴りつけてトップスピードに乗る。相も変わらずカイフタラは後方待機。最初の数百メートルを通過するまでに、早くも4馬身程の差がついてしまった。
(私がレース中に
広い視野でもってカイフタラさんを捉えると、彼女の黄金の瞳が目に入る。穏やかな波のように、僅かばかりの感情だけが見え隠れする彼女の双眸。そこには確固たる自信と冷静さが見て取れた。
心は熱く、思考は冷静に。そんな基本を徹底するかのように、カイフタラさんは己のペースを貫いている。既に600メートルを通過して最終直線に向いており、残り3400メートルとなった。その差は8馬身。
ここまでは私のペースだ。と言うより、カイフタラさんがハナを奪う気がないから
無論、余計な思考は純粋な闘志を削ぐだけ。あるがまま大逃げする私がいちばん強いというのは誰もが知るところ。私はホームストレートに位置する急坂を登って、カイフタラさんとの差をぐんぐんと開いていく。
「アポロさん、頑張れ~!」
「きゃ~! かっこかわいい~!」
普段では絶対に聞こえることのない個人個人の声を切り裂いて、隆起した丘を駆け抜ける。トラックコースと言うよりはまるでオフロード。青々と茂った芝に加えて凹凸の激しい柔な地面が、循環器にダイレクトなダメージを与えてくる。早くもじんわりとした鈍痛のような感覚が胸の中にある。残りは3000メートル程だが、既にかなり苦しい。
(っ……、この坂、容赦なさすぎ……!)
40メートルの高低差なんて、軽い山登りではないか。しかも、このコースには歩きでさえキツい勾配の坂が用意されている。ターフの質も相まって、山肌を走らされた夏合宿が脳裏を過ぎっていた。
「はっ、はっ――……!」
息が上がる。純粋に走っているだけで苦痛が伴う。――ダメだダメだ。こんなんじゃ、カイフタラに負けてしまう。もっとペースを上げなければならない。何のためにカイフタラは自分のペースを貫いていると思う? 計算づくのラストスパートで私をぶち抜くためだ。
それを未然に防いでやれ。できるだろ。もっと速く走れるだろ。死ぬほど苦しいのは分かる。でも、平坦な10000メートルの道なら全力疾走しても体力が持つって知ってるだろ。だから走れ。極限の苦痛に身を投じるのだ、アポロレインボウ。
「アポロちゃん、残り1周だよ! ガンバ!」
ゴール板付近で切株に座っていたエンゼリーの声を受け、限界ギリギリのところで踏ん張ってみせる。ここで弱さを見せたら食われる。エンゼリーにもカイフタラにも。私の1番強い状態が常時の全力疾走なら、スタートからゴール板までその状態を緩めるわけにはいかない。大逃げは私のプライドの表れでもあるのだから。
1000メートル通過タイムは――65秒1。確かゴールドカップのレコードは4分16秒9だった。つまり、このペースを維持すればレコードに肉薄するタイムを叩き出せるわけだ。更に加速すれば3分台が見えるかもしれない。
第1コーナーと第2コーナーを曲がって、残り2400メートル。スタート地点まで戻ってくると、カイフタラとの距離が開きすぎて彼女の姿が見えなくなっていた。森の中という条件のせいで、樹木によって視界が狭くなったためだ。
(――それでもあの人は来る! 私が残り1000……いや、1500メートルを切った辺りから超ロングスパートで襲いかかってくるはず! 油断するな!)
恐らく私との差は17馬身から20馬身といったところ。同一レースとは思えないほど極端な展開だが、きっとゴール板の前では接戦になる。冷静になると訳分かんないや。
他人事のような思考が生まれると同時、太ももの根元――腰の付け根付近に違和感が生まれた。重い重い、水を含んだ真綿に包まれているかのような疲労感。痙攣のような震えを起こして、痺れていた。少しだけ不穏に思った。
向正面の中間地点を通過して、残りは2000メートル。第3コーナーは見えているが、カイフタラの姿は見えな――いや、今見えた。速い。もう加速し始めている。
私が4000メートルの全区間を全力疾走する大逃げウマ娘なら、カイフタラは後半の1000~2000メートルを大逃げ以上の速度で駆け抜ける超追込ウマ娘。理論値で言えば私の方が速いはずだけど、今目に見えている
(ぐっ……残り1600メートルっ!! もっと速く!! もっと速く走るんだ!! あの人は私の何倍も速い末脚を持ってるんだから!!)
具体的な数値は分からないが、体感で言えば私と彼女のラストスパートには1.1倍くらいの差があると考えている。仮にこの数字が正しければ、私が時速70キロメートルで走っている時カイフタラはその1.1倍――時速77キロメートルで追い上げてくることになる。私が時速80キロメートルであれば、彼女は88キロメートル。大差をつけて走っている今だって、どれだけ速く走っても追い抜かれそうな不快感をひしひしと感じてしまう。
予感がある。抗い難い嫌な感じ。ドバイの敗走が思い起こされるような薄ら寒さ。対策を考えていようと、そんなの関係ねぇよと言わんばかりの圧倒的な暴力でぶん殴られるような。重機の如き無機質な圧力に押し潰される予感がある。
短距離同然の速さを誇るまで私の大逃げは成長した。それに易々と食らいついてくるカイフタラがおかしいのだ。これまでに練り上げた想いの力で立ち向かう以外に勝ち目はない。
気合いを入れて再加速すると同時、ゆっくりと膨らんでいく『
――どこからともなく声がする。
鈴の音のような、芯の通った声。
刹那、ぞわり――という寒気に襲われた。20馬身もの遥か後方から、偉大なる心象風景の光が私の心臓を貫く。忍び寄る黒い瘴気が鋼鉄の鎖となって、私の四肢の動きを封じ込める。
「――アポロ。この声が聞こえているだろう」
餌食を狙う蜘蛛のように、カイフタラは音もなく接近してくる。鬱蒼とした森の茂みのせいで彼女の姿は満足に視認できない。黒い瘴気の向こうから差し込んだ光だけが、薄ぼんやりと彼女の存在を知らせていた。
「お前は大切な
ぐにゃり、視界が歪む。残り1200メートル。死神が動き出している。奴との差は18馬身。カイフタラは完全に『
そして、残り1000メートルを切ろうかという時。
四肢に絡みついた鎖が強烈な重石となって、私の動きを捩じ伏せた。
「ぐ、お――……脚が、動かな――……っ!?」
ここで初めて気付く。カイフタラの『
3000メートルという距離を続けて走った上、高低差40メートルの道を周回しているためか――後ろ髪を引かれるかのような感覚に対して、急に脚が回転しなくなってしまう。じゃらじゃらと鬱陶しい音が鳴り響いて、鎖がその存在を主張していた。
そうか――あの時ジャラジャラが呆気なく躱されたのは、この拘束によって動きが鈍くなったからなのか――!
「ヨーロッパのステイヤーの意地と誇りは未だに死んでいないと――その身をもって知るがいい!! アポロレインボウッ!!」
私の心が反応するよりも早く、カイフタラの心が世界に拡がった。闇夜の中から姿を現す黄金郷が隆盛を取り戻したレース場を形作っていく。瞬間、カイフタラの背後から伸びた鎖が、私の脚の動きを完全に停止させてしまう。ごっそり削がれる気迫と体力。一瞬の超絶的な不快感を前にして、私の集中力はあっさりと霧散した。
「――……う、ぉ――――」
彼女に対抗するための『
しかも、この威圧感は
「この走りを焼き付けろ!!
――【Turn of a Century】
最終コーナーの急坂を前にして、欧州の王者が進軍を開始した。シャンティイの森に暴風が吹き荒れ、私の背中に掘削機のような威圧感が当てられる。彼女の『
――剣だ。剣を押し当てられているかのようだ。
なけなしの気勢で作り出した私の『
無理もない。私は
そのまま残り400メートル地点を通過した時。
今度こそ歓声は悲鳴に変わった。
それ即ち――瞬殺。
残り1000メートル地点で15馬身。
800メートル地点で11馬身。
600で6馬身。
400で1/2馬身。
――そして、残り200メートルを待たずして、逆転した。
私とカイフタラの位置関係は完全にひっくり返った。
デッドヒートなど生み出さない、一方的な虐殺。
カイフタラの『
大逃げなど関係ない。立ち塞がる者は全て切り捨てる。そう咆哮するかのような、猛々しい疾走だった。
ゴール板の寸前。私の目の前で、最強の背中が飛び跳ねていた。翼が生えていた。
言葉を失って、呼吸さえ忘れた。模擬レースという建前さえ忘れて、彼女のどす黒い輝きに手を伸ばそうとしてしまった。その時点で私は勝負を放棄していたのだ。
――
――
私は何もかもで負けていた。肉体でも、気持ちでも。全てが劣っていた。
私は模擬レース直前、こう思っていた。
仮に私達の実力が本当に同じなのだとしたら、勝敗を分けるのは経験の差なのだろうか――と。
――甘かった。甘いなんてもんじゃない。競技者失格だった。経験とか理屈じゃない。本当に気持ちの面で大きく負けていた。『
――だけど、ライバルに気持ちの面でも負けるだなんて。そんなの有り得ない。夢の根幹を思い出して、レース前は闘争心に溢れていて。先刻の私は全くもって十分すぎる状態だったではないか。
であれば、この人を突き動かす信念はどれだけ強いのだろう。ふと、そんなことを思いながら――疎らに上がった歓声を聞いて、私の模擬レースは終わった。
終わってみれば、1着のカイフタラとは5馬身の差をつけられた。しかも、勝負ありと判断したカイフタラは最後の最後に流して走ってゴール板を駆け抜けていた。それでも追いつけなかった私は、もはや悔しさを感じることさえ叶わない。
純粋に強い。カイフタラの仕上がりは、そう形容するしかなかった。弱点も見えない。相手のミス待ちに期待することしかできないが、そのミスにも期待できない。カイフタラはどこまでも容赦のないウマ娘だと、私が1番知っているから。
こんなの、災害みたいなものだ。どうしようもないではないか。どう対策を取ればいい? なんで私の大逃げをぶっちぎることができる? 私の大逃げは、バクシンオーさん達の協力で遂に完成したはずなのに。絶対に攻略できるはずのない無敵の走法に昇華したはずなのに。どうして。
ゴールドカップまであと2週間。
この僅かな期間の間に……私は何ができる?
おめおめと敗北を受け入れる気はない。ゴールドカップを勝ちたい気持ちはある。
しかし――既に私の肉体と走法はある程度完成の域に達していて。それは同時に、アポロレインボウというウマ娘がこれ以上劇的な成長を見込めないということでもあり――
「大丈夫か、アポロ」
「――はい、何とか」
このままじゃ勝てない。その事実をまざまざと見せつけられ、陰に隠した握り拳にあらん限りの力を込めながら――私はやり場のない感情を殺し続けた。