ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
いよいよゴールドカップが近付いてくるに当たって、私のDMには様々なメッセージが飛んできていた。
日本語から英語、フランス語、ドイツ語、その他多国籍の応援メッセージが届いていて、朝ごはんや歯磨きの間に追い切れないくらいの量が貯まっている。これまでも大きなレースが近付くと共に応援メッセが増えていく傾向にはあったが、今回は国を跨いでいるためか段違いの量のメッセージが押し寄せていた。
今はスキマ時間を通して逐一反応しているけれど、そのうちキツくなってくるかもしれない。荒らしもアンチもほとんどいないから滅茶苦茶平和なんだけど、いつか追い切れなくなることを考えて、ウマスタ公式アカウントの運営を代理人やトレーナーに任せてみようかな……。
今日は安田記念を勝利したグリ子が
その机とベッドは、この前届いたにんじん入りダンボール箱とエルちゃん荷物の置き場所と化していたので、そこら辺はちゃんと片付けて掃除しておいた。
早朝から始めた掃除が終わり、テレビをつけると丁度『グリーンティターンが来仏!』という見出しのニュース番組が生中継されていた。場所はシャンティイ最寄りの空港。ファンと報道陣はグリ子が来るのを出待ちしているらしい。
私の中のグリ子といったら気の置けない友達という立ち位置なので忘れがちになるけど、彼女はれっきとしたG1ウマ娘だ。というか、タイキさんやパールさんに勝ったことがあるし、クラシック級の時点でシニア級との混合G1を2つも勝っているし(香港スプリントに関しては凱旋門級に難しいと言われてるらしいんだけど、クラシック級で勝ってるのヤバくね?)、普通にバケモンみたいな成績を残している快速ウマ娘である。
グリ子の主な勝ちレースは、阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)、桜花賞(G1)、スプリンターズステークス(G1)、安田記念(G1)、アルクオーツスプリント(G1)、香港スプリント(G1)……今の時点でG1を6勝って、何だコイツ!? ヤバすぎでしょ。私より2つも多くG1を勝ってるの、何かムカつくな……。
ちなみに、私の同期で最もG1を勝利しているのはハッピーミーク様である。今年はドバイワールドカップに始まり、アメリカのシニア級ダート路線で勝ちまくっているらしい。
通算G1勝利数は8。主な勝ちレースは、全日本ジュニア優駿(G1)、秋華賞(G1)、オークス(G1)、ジャパンダートダービー(G1)、JBCレディスクラシック(G1)、ドバイワールドカップ(G1)、ハリウッドゴールドカップステークス(G1)、メトロポリタンハンデ(G1)……これでシニア級1年目の春って何の冗談ですか? あまりにもミークちゃんがヤバいということで、
話が逸れてしまったが……そんなわけで日本代表の快速ウマ娘として殴り込みをかけてきたグリ子であるから、空港に到着すると同時にマスコミとファンの手厚い歓迎を受けていた。その様子は複数のチャンネルを跨いでテレビ中継されており、私とエルちゃんはカタコトの英語で話そうとするグリ子を見て和やかな気持ちになった。戦績とのギャップ萌え。
相変わらず英語を含めた勉強はサッパリのようだけど、ちょっと見ないうちに雰囲気が変わった印象を受ける。……彼女がクラシック級だった頃、特に香港スプリントを勝ったあたりから
「グリ子ちゃん、いつの間にか落ち着いた感じになりましたよね。腹が据わってるというか、どっしりした感じデス」
「それはエルちゃんもでしょ。イスパーン賞を勝ってから……なんかこう、変わったじゃん」
「そうですかね? 私よりもアポロちゃんの方が変わった気がしますけど……」
「あ、グリ子が諦めてトレーナーさんに翻訳を任せ始めた」
「……最初から無理する必要なかったのに」
イケメン度が増したように見えるグリ子は、時折海外のファンにウインクをしながら質問を受け付けていく。その質問は、長期滞在に当たっての大目標たるレースは何ですか、誰と対戦してみたいですか、ファンの皆さんに一言、などなど。
グリ子の目標は10月のマイルG1・クイーンエリザベス2世ステークス。そこに至るまでは短距離マイル路線のG1を数回走るようだ。グリ子がウインクする度、視線の先で海外仕込みのガチな悲鳴が飛び交う。見ている分には楽しいが、ガチ恋勢を視線で殺すのはやめてあげてほしい。
グリ子がマスコミに見送られてタクシーに消えると、グリ子の過去のレース映像が流れ始める。彼女の輝かしい栄光がナレーターによって語られ、ニュース番組がどこかで見たことのあるドキュメンタリーじみた番組に変化していた。
私達は「あと数時間で着くかな?」「グリ子が到着したらいよいよ欧州短距離路線も終わりですね」「アメリカはスズカさんとミーク様が荒らしてるからなぁ……」などと話しながら彼女の到着を待つのだった。
生中継にグリ子の姿が映らなくなって2時間後、彼女はアレフランスさんに連れられて私達の部屋にやってきた。久々の再会となったものの、いざ対面してみると何を話せばいいのか分からず、その直後は軽く挨拶を交わすに留まる。
「グリ子、おひさ」
「アポロちゃんもエルちゃんも久々!」
「元気そうで良かったデス!」
「シャンティイの暮らしはどう? さすがにもう慣れちゃった?」
「ご飯が日本に比べてちょっとアレなくらい!」
「ちょっ、アレフランスさんがいる所でそんなことを言うのはまずいデス!」
「お構いなく〜」
「ヒュッ」
「ケ」
「え? 今アレフランスさん何て言ったの?」
その後はグリ子の荷物整理を手伝ったり、近況報告と雑談に花を咲かせたりして午前中を過ごした。
しかし、ゴールドカップまでの残り期間は非常に少ない。すぐにイギリスに発たなければいけないから、グリ子との再会を喜んでいる暇は無いなと寂しく思うのだった。
グリ子やエルちゃん達と一緒にトレーニングをして、フランスでの最終調整を終えたゴールドカップの10日前。私は6月4週のゴールドカップに備えるため、飛行機に乗って開催地のイギリスに向かった。
ゴールドカップ開催地のアスコットレース場は、イギリスの首都ロンドンから西に約40キロ離れたバークシャー州に存在するレース場だ。空港に着いてから電車に揺られて数時間。そこから徒歩10分で到着する場所にある……と言ってもピンと来ないだろう。私もよく分からない。ヨークシャーカップと言いゴールドカップと言い、遠征が多くて土地勘を養う方がむしろ難しい。海外で唯一慣れているのはシャンティイくらいだ。
そんなアスコットレース場だが、数百年前この地に居住していたウマ娘好きの女王が、後にレース場となる広大な丘を発見して「ここら辺の土地ってウマ娘が全力疾走するのに最高の場所じゃね」とレース場の建築を命じたことが始まりらしい。
……本当はそんな軽いノリじゃなかったと思うけど、ルモスさんがそう言っていたから……まぁそういうことにしておこう。
実際にアスコットレース場を目の当たりにしてみると、壮大な草原の中にそそり立つスタンドと広々としたコースに唸ってしまった。周回コースだけでもその起伏は20メートルに及び、私が初めて経験する2桁メートル高低差のレース場である。今まで走ってきたレース場と迫力がまるで違う。
日本からやって来た私に対して、立ちはだかる歴史と伝統の重みが目に見えて現れたような気がした。シャンティイの森にある例のコースで鍛えてはいるけど、アスコットのコース形状がかなり特殊なため初見同然の心持ちで挑まなくてはならないのも辛いところだ。
とみおが持っていたアスコットレース場の3Dデータでイメトレは重ねていたけれど、実際に走るとなるとまた違った景色が見えてくるものだ。コース調査が終わった後、ターフをランニングして芝や高低差の具合を確かめてみる。
……単純な言葉じゃ表しづらいけれど、ヨークレース場や日本のレース場と比べるとスタミナ消費量がえげつないものになりそうな印象であった。高低差20メートルの脅威は言うまでもないし、芝の重さもまた厄介だ。ヨークレース場よりも芝が重めかつ高低差も激しい仕上がりになっているため、脚に纏わりついてくる疲労感が段違いである。
欧州のレース場は自然の一部を切り抜いたものが多いため、より奔放なフィールドで構成されている。そのためスピードよりスタミナが求められるのが常となっており、私達日本のウマ娘はギャップで苦しみやすい。
欧州G1を勝利したエルちゃんやタイキさんはダート適正の高いウマ娘だ。彼女達曰く、欧州の芝はダートを走るくらいの気持ちで挑んだ方がいい――恐らく日本の芝と欧州の芝は別物という心構えで挑戦するのが良いと言いたかったのだろう――らしい。
「長期天気予報によると、レース当日は天候が怪しくなりそうだ」
「……なるようになる、としか言えないね」
「良馬場でも不良馬場でも、俺達がやることは変わらないからな。この調子だと当日は雨で確定みたいなもんだ」
私はホテルの窓から夜闇のアスコットを眺める。街明かりが照らす夜空は、どんよりとしたうねりで覆われていた。長期天気予報の結果によると、ゴールドカップ当日は降水確率が100%。間違いなく稍重以上のターフになるだろう。
この地に降り立ってから来てからずっと雨の匂いがしている。その香りは天気予報の数字以上に深い暗雲の訪れを予感させた。
仮に馬場が渋れば、先日とみおが言ったような想定のレース展開になるだろう。しかし、欧州の滞在期間がまだ2ヶ月にも満たないということで、私は欧州の芝における不良馬場でのトレーニング経験が圧倒的に不足している。そもそも重馬場を超えた不良馬場なんて土砂降りの最中か直後くらいでしか拝めないものだ。不良というのは田圃に相当するほど状態が悪く、単純に危険なため室内トレーニングをするのが一般的である。
そもそも、気候区分的にフランスは降水量が少ない。日本が降りすぎというのもあるが、バケツの中身を叩きつけるような土砂降りは日本より起こりにくいのである。
というわけで、シャンティイに滞在してからのトレーニングは、雨が降った日に行った『重馬場』までの想定ばかり。ヨーロッパ出身のエンゼリーちゃんやカイフタラさんよりも圧倒的に不良馬場の経験が不足しているのは言うまでもなかった。
それでも負ける気はないし、相対的に自信が無いというだけで、仮に不良となってもレコードペースで走り切るスタミナはちゃんと持ち合わせている。……持たなくなるとしたら、私の脚だろうか。怖いのは速度の限界の先にある致命的な怪我だ。全速力で走っている時に
水を含んだ芝と地面は、速度を出しにくくなること以上に危険が付きまとう。水滴と芝が組み合わさることによって
その足で踏み締める1歩1歩に、致死量の恐怖が待ち受けているのだ。生身の生物が発揮する限界速度で転倒すれば、それこそ『死』という最悪の結果が見える。つまり、良馬場の時と比べてどうしてもブレーキをかけてしまうのだ。限界の1歩手前、もしくは安心と闘争心が均衡を保つような速度で走らざるを得ない。
――恐怖を乗り越えて全力疾走できるか否か。とみおは私が安全性を意識した走りを見せて2着以下に沈んでも、厳しく叱咤するようなことはしないだろう。
――だが。私が知る限り、カイフタラさんの覚悟は尋常ではない程に強い。エンゼリーちゃんの闘争心も常軌を逸している。何より、彼女達は私が全力を尽くしてくれることを期待している。とみおも、ルモスさんも、ファンの人達も、URA関係者も、みんな期待している。私達が生み出す恐怖の先の超越的な疾走を。
ゴールドカップは来年も開催される、ステイヤーズミリオン完全制覇は来年でも成し遂げられる――などと考えてはいない。だって、カイフタラさんやエンゼリーちゃんの集うレースが来年も開催されるかなんて誰にも分からないから。カイフタラさんやエンゼリーちゃんが引退するかもしれないし、怪我で休養を取っているかもしれない。
そうでなくても、欧州長距離界復権のためには
ファンというのはある意味残酷で、見たいものを見ようとするものだ。界隈の人達の努力の程度に関わらず、世の中に発表されたものがつまらなければあっさりと離れていく。
一過性のブームではなく、10年――50年――いや、みんなの生活の一部となるようなエンターテインメントにするためには、ゴールドカップの凡走は絶対に回避しなければならない。
だからこそ私は、
そして、私はそういう打算と安全性を天秤に掛けなければならない。
――だけど、私が
リスクは知っている。家族やトレーナーが私の身体を案じてくれるのも知っている。それでもこの瞬間に燃え上がる夢への憧憬は止められない。そもそもレースとは危険なもの。今更危険性に怯えるのは愚かしい。私のために、みんなのために、私は心のブレーキをぶち壊すのだ。
雨だろうが雪だろうが、全力で駆け抜ける。憧れに向かって、夢のために駆け抜ける。私はそう強く誓った。
「とみおは怖い?」
「なにが」
「何がって、ゴールドカップが」
「そりゃ怖いよ」
「どうして?」
「……今まで夢だったものが、もうすぐやって来る。
「…………」
「それに、今回は注目度が異常に高い。慣れっこなはずなんだけど、
「ううん、仕方ないよ。私も全然現実味がないっていうか……何かふわふわしてる感じがあるし」
「大丈夫か?」
「うん。明日のインタビューで切り替えるから」
「頼もしいね」
「私を誰だと思ってるの?」
「アポロレインボウ」
「せいか〜い」
「俺のウマ娘だ」
「うふふ」
「何なんだ、このやり取りは」
「さあ?」
「……お喋りはもういいかな? 早く寝ちゃいなさい。今日からゴールドカップまでは徹底的に早寝してもらうからね」
「は〜い」
既にお風呂に入っていたので、私は大人しくベッドの上で寝転がった。それを見て「おやすみ」と言うとみお。電気を消して部屋から出ていこうとした彼の袖を摘んで、私は小声で「もうちょっとだけ私の傍にいて」と呟いた。
とみおは暗闇の中で微笑んで、そういう所は変わってないな、とぼやいた。強気でいたいのは山々だけど、ほんの僅かな不安があるのもまた事実。きゅっと彼の手を握って、私が寝るまで一緒にいて欲しいと暗に伝えてみる。
彼の返事は肯定だった。私が寝ているベッドが軋んだかと思うと、頭の上に大きな手が置かれる。流れに沿って髪の毛を撫でられた私は、思わず空気の塊を吐いた。その息遣いを聞いてか、彼の手つきがより優しくなる。意識がゆっくりと微睡みに落ちていく中、彼がぽつりぽつりと言葉を落とし始めた。
「そうだよな……君は世界中にファンがいるスターウマ娘だけど、まだまだ子供なんだよな……」
「…………」
「君が望むなら、俺は何でもするよ。パートナーとして」
「……ありがとう」
「俺はターフで走れないからな……これくらい当然のことだよ」
とみおの手がウマ耳を巻き込みながら髪を撫でる。呼吸が深くなり、眠気が強まってきた。最後の会話として、私は唯一の不安を吐露した。
「……ゴールドカップ、多分重馬場か不良馬場になるよね」
「だろうな」
「思いっ切り走ったとして……私の脚、大丈夫なのかな」
「大丈夫、君が思うようなことにはならないよ……
とみおにそう言われて、漠然とした不安が掻き消えていくのを感じた。手のひらで頭を撫でられ、指先で頬をくすぐられ、五感の全てが温かな光に満ちていく。
……ごめんね。ありがとう、トレーナー。今日だけは私の弱さを包み込んでほしかったんだ。あなたの一言で背中を押してほしかったんだ。
私、この夜が明けたら、変わるから。みんなが望む最強のステイヤーになるから。
でも……あなたの前だけは。
これまでも、これからも。
……普通の女の子でいさせてね。
――賽は投げられた。
最強ステイヤーとしての自覚が確固たるものへと成長し、その精神に呼応して更なる“果て”が姿を現す。
終わりが近づいてくる。
始まりが近づいてくる。
3人の優駿が交錯する運命のゴールドカップが、いよいよ始まろうとしていた。