ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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129話:グッドウッドは譲れない②

 

 ――ヤバい。やらかした。

 良場だから滑らないって思って。3200メートルという距離なら、ギリギリを攻めないとカイフタラの追込に勝てないと思って。安定して勝利を収められないメンツならこれまで以上に極端なロケットスタートをやらなきゃって――

 

 だから、滑った。

 踏み込んだ足が力み過ぎて、私の脚は2歩ほど遅れを取ったんだ。

 

 高速で進むレースにおいてスタートダッシュで2歩の差がつくのはあまりにも致命的だ。いつもとは違う、ウマ娘達の背中に塞がれた景色。私の先頭の光景は遥かに遠い。

 

 悲鳴が木霊するグッドウッドレース場。50万の不可避な絶叫が背中に降り注ぎ、私は体力消耗に関係のない脂汗を流した。

 

(やばい――やばいやばいやばい!! この大一番でどうしてっ!? 早くリカバリーしないと!!)

 

 視界が狭窄し、会場の雰囲気に呑まれていく。1番人気の強烈なプレッシャー。実況が叫ぶ言葉の意味を理解できず、私は強烈な吐き気を覚えてしまった。

 

 どうしよう。どうすればいい。誰か助けて。トレーナー、こういう時どうすればいいんだっけ?

 終わる。私のステイヤーズミリオンが終わってしまう。私ととみおの夢が消えてしまう。そんなの嫌だ。どうにか打開しないと。

 

 ……でも、どうやって?

 背筋に鳥肌が立ち、気絶しそうになった次の瞬間――

 

『スタートから400メートルを通過して、後続をぐんぐん引き離していくカイフタラ。()()()()()()()()()()()()()()()となっていますが、かかってしまっているのでしょうか?』

 

 実況解説の声が耳に入ってきて、私は正気に戻っていた。

 

(()()()()()()()()()()!? あのカイフタラが大逃げのようなペースで暴走を!? 何で!?)

 

 カイフタラが逃げた。その言葉の意味を理解しようとして、私の思考はいくらかの冷静さを取り戻していく。首を振って周囲を見ると、他のウマ娘も酷く動揺していた。集中が散漫になっており、もはや全員がレースどころではない。

 そして何より――私の前後にカイフタラの姿は無かった。()()()()()()()()()()()。彼女は出遅れた私に視線を送りながら、レース終盤に爆発させるはずの末脚を長く薄く使って大逃げを敢行していた。

 

『現在1番人気のアポロレインボウは中団に控えて7番手! 場内の騒然は収まることを知らず、その声に急かされるようにカイフタラは後続を引き離していきます!』

 

(あの感じは狙ってスタートダッシュしたようだけど――)

 

 異常事態が起こった時、私達はパニックに陥ってしまうことがある。しかしあまりにも予想外のことが起きると、1周回って冷静さを取り戻せるものだ。

 今の私はまさにそれだ。私を現実に引き戻したのは、一番のライバルであるカイフタラが意表を突く逃げに転じていたこと。

 

 私は追走しながらその理由を探る。

 ……まさか、私の失敗と彼女の作戦が()()()()()のか? そうに違いない。私を潰すために大逃げに転じて、だけど私の出遅れとカイフタラの不意打ちが噛み合って、誰もが予想すらできなかったレースが展開されている。

 

 先頭はカイフタラ、7番手に私。スタートから600メートルが経過したものの、全員が動揺して展開作りどころでは無くなっている。

 恐らくカイフタラをマークしていたであろうジェットバイシクルが、私とカイフタラを見比べてどっちつかずな位置取りに控えているし――他のウマ娘もぐちゃぐちゃな位置取りをしており、先頭を走るカイフタラを止めることができない。

 

(これが……()()()()()! 大逃げの威圧感! 早く止めないとまずい! このままじゃ負ける!!)

 

 凄まじいプレッシャーを撒き散らしながら大逃げするカイフタラ。追込するためのスタミナと爆発力を全て序盤のスタートダッシュに注ぎ込み、私の大逃げと遜色ない速度で先頭をひた走っている。

 相当練習していたのだろう。勝つために手段を選ばず、何が何でも勝つという強い意志が伝わってくる。

 

 普段から私は大逃げで相手をちぎって勝ちを重ねてきた。トレーニング限定でなら差し先行も平均程度こなせると自負しているが、何しろ私には大きく欠けていることがあった。

 ――サイレンススズカ以外の大逃げウマ娘と戦ったことが無いのだ。

 

 加えて、差し先行時に大逃げを相手取った経験は皆無だ。夏合宿の時にサイレンススズカと併走したことはあるが、模擬レース時に大逃げ同士でやり合った程度。差し先行時にサイレンススズカと戦ったことはない。

 経験不足は自信の喪失と不安に繋がる。大逃げするカイフタラと目が合う。ぞわりとする。()()()()()()()、そう言われている気がした。

 

 ――セイウンスカイとの皐月賞が脳裏に浮かぶ。

 手のひらで転がされ、全てを読み切られ敗北したあの悪夢が再び思い出されるのだ。あの時とはまた違う状況だが、皐月賞と同じく不利な立場に置かれているのは間違いない。

 

 大逃げは()()()()()()()()()。完璧な大逃げを披露すれば、後ろのウマ娘は誰も追いつくことができない。スタミナの持つ限りハイペースで逃げて差せば、後続は太刀打ちできず頭を垂れるだけ。完全な大逃げは理不尽そのものなんだ。

 そして、私がやって来たことは()()だ。相手に理不尽を押し付けて、力のままに押し潰す。それをそっくりそのまま返されている気分である。

 

 今先頭を走るカイフタラは、()()()()()()()()()()()()()。その事実を私が世界で1番よく分かっている。

 

(くっそ……運がいいのか悪いのか分かんないね……!)

 

 私の差し先行はそこまで器用じゃない。だから誰かにカイフタラを止めに入ってほしいのに――()()()()ウマ娘は誰もいない。かと言ってレース後半に備えた無闇矢鱈なペースダウンはカイフタラの一人旅を許すことになるだろう。

 大逃げの理不尽さというものを、私は今身を以て体感している。不気味すぎるカイフタラの背中。開いていく私との距離。無尽蔵に思える敵のスタミナ。実現性は低いが、強い時はとことん強い――

 

 カイフタラに引き離されるイメージが鮮烈になり、集団の中で恐怖に呑まれそうになる。心臓がバクバクと高鳴り、喉がカラカラになる。視界の端に映るのは、私と同じ気持ちを抱いているであろうライバル達の姿。

 ゴールドカップを乗り越えてきた者も、あの時とは別の感情に支配されて苦しんでいるのだろう。

 

 考えてみてほしい。大逃げの本命たる私が出遅れて差し先行の位置取りをして、追込1番のカイフタラが意表を突いた大逃げをするなんて考えられるだろうか?

 加えて、その大胆な作戦を実行したカイフタラを止めに行こうと考えられるウマ娘がこの場にいるか?

 

 ――答えは否。思い切った大逃げをするカイフタラを止められる者はいないのだ。精神的優位は圧倒的に彼女にある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな万が一の可能性に賭けられるウマ娘は絶対にいない。この異常事態を予測できたならそれは化け物である。

 

(誰かに捕まえに行ってほしいけど……行けるはずがない! 大逃げを()()()()()上、マークするウマ娘がズレちゃってるんだから――!)

 

 私を捕まえようと準備していたウマ娘は私の前で戸惑っているし、カイフタラを潰そうとしたウマ娘は私の後ろで愕然としている。そんな状況でどうしろと言うのだ。

 

『前半1200メートルを経過して、カイフタラが一人旅! 誰も止めることができません! アポロレインボウは5番手まで上がってきたが、カイフタラとの距離は14身程も開いている!!』

 

 1200メートル通過、残り2000メートル。既に10メートル以上の高低差が存在する区間を超えて、残るは平坦な地形のみだ。

 そろそろ背中を見せ続けるカイフタラに対して焦り始めなければならない頃合で、後続集団は焦ったように様子見する回数が増えていた。

 

 ――大逃げされる方の気持ちが今、やっと分かった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 中途半端にハイペースで走らされて、もうハナを奪いに行く体力の余裕が無いのである。

 

 ――なら、私が。私がやるしかないのか。

 カイフタラの大逃げはかなり上手に見える。ただやはり、私やサイレンススズカ程の完成度には及ばない。そこに付け入る隙がある。

 

 何が何でも勝ってやる。絶対に追いついてやる。一瞬の躊躇いを乗り越えて、私は遥か前方に待つカイフタラの元へ進出していく。

 レースが動いたのだ。そこに集った50万の観客が唸りのような歓声を上げ、それに呼応するようにカイフタラが私の方を振り向いた。

 

 ギラついた光を放つ双眸。彼女の瞳もまた、勝利への渇望を叫んでいた。

 こっちに来いアポロレインボウ。やれるもんならやってみろ。そんな挑戦的な眼光が私を誘い、残り1600メートルのデッドヒートが幕を開けた。

 

『レースは残すところ1600メートル! 地獄から来た蝙蝠の如く悪魔的なハイペースで逃げるカイフタラと、それを懸命に追いかけるアポロレインボウ!! 勝利の女神が微笑むのはどっちだ!?』

 

(――食らいつくっ!!)

(逃げ切ってみせる!!)

 

 超絶的な脚質の逆転。互いの強さを知り尽くした私達だからこそ、何をすれば相手が嫌がるかを本能的に理解していた。

 

 奥歯を噛み砕いて、怒りに似た闘志に火を焚べる。それはカイフタラも同じ。殺意よりもどす黒い剥き出しの激情をこちらに差し向けてくる。

 並のウマ娘であればこの気迫に呑み込まれてしまうだろう。下手をすればスタミナ切れ、戦意喪失を起こしてもおかしくない――そんな激情のままに、私達は長い長いデッドヒートに身を任せた。

 

 残り1000メートル。カイフタラとの差は7身。大差は縮まらないまま、最終コーナーの入口に入る。

 ドバイから長距離路線を争い続けてきた私達が、身を焦がすような火花を散らす。2人の意地の張り合い。泥臭さに塗れた死闘。カイフタラが心臓破りのペースを維持したまま、私達は最終直線に差し掛かった。

 

 見えない妖精の翼を広げて、こころを破壊しながら躍動する。

 最早私達の走りは、長距離を心臓破りのハイペースで駆け抜けた者の速度ではない。明らかに身体の限界を超え、肉体組織の破壊が見えてしまうほどの高速であった。

 

『残り600っ! アポロレインボウがカイフタラに肉薄するっ!!』

 

 不壊の肉体を持つウマ娘など存在しない。その破壊を誤魔化しながら、破滅までの残り時間をレースに使っているだけだ。

 慣れない脚質は2人の競走寿命を容赦なく削っていく。それでも勝ちたい――隣を走るライバルには負けたくないと思うからこそ、私達は命の灯火を燃やしている。

 

 隣を走るカイフタラから伝わる気迫。そこに在る魂から伝わってくる勝利への執念。レースにかける矜恃。究極の対話を通して、私達は肉体の限界を超えていた。

 

 一歩一歩走る度、私の競走能力の終わりが近づいてくる。

 燃えていく。妖精の羽が――焦げていく。

 

 無理を貫いて、根性で押し通して。ボロボロの肉体を引きずって、気持ちひとつで走り続けて――私はあと何回走ることができるんだろうか。

 妖精の羽が焦げ落ちていくのを感じながら、それでも走る。互いの『未知の領域(ゾーン)』の発動条件外で、私達は決死のラストスパートをかけた。

 

『残り400っ! 天才ステイヤーは芦毛の妖精の追随を振り切れないか!! 遂に横並びになったっ!! 胸を張って、反らして、1センチ1ミリでも前に出ようとしているっ!!』

 

 ――競走寿命の終わりが近づいてくるのが分かる。

 いつかは終わる運命だ。いくばくかの猶予は残されているが、そこに永遠は無い。

 でも――私が夢のために駆け抜けて、歴史に名を残すことで永遠に近づけるのならば――この命をレースに捧げても悔いはなかった。

 

 命を懸けて脚を動かし、ライバルより前へ。ここで尽きる命だったとしても、夢の途中で果てるなら本望だ。

 

『残り200メートル!! ここでアポロレインボウ抜け出したっ!! 激しい攻防の末、僅かばかりのリードを奪ったアポロレインボウ!! 対してカイフタラは脚の動きが鈍い!! ここに来て序盤のスタートダッシュが響いてきたか!!』

 

「ああああああああぁぁぁっっ!!」

「お――おおおおおおおおぉぉっっ!!」

 

 残り200。

 もう隣も後ろも見なかった。

 

 真っ白な世界の中で加速し、カイフタラの作り上げた世界を容赦なく壊していく。

 

 命を燃やして勝てるなら、何度でも燃やしてやる。

 ボロボロになっても食らいついてやる。

 夢のためなら何だってこなしてやる。

 

 競走寿命なんて関係ない。

 私のために、みんなのために、私は永遠の夢を目指すだけだ。

 

『アポロレインボウ先頭!! アポロレインボウ先頭!! そして今――』

 

 皐月賞の悪夢に別れを告げる。

 私はゴール板に向かって胸を反らした。

 

『――アポロレインボウが逆境を押し退けて、グッドウッドのウイニングポストを通過したっ!! 2着に入ったのはカイフタラ!! 天才ステイヤーの奇襲を跳ね除けた芦毛の妖精が、再びイギリスの地に虹をかけましたぁっ!!』

 

 ――グッドウッドカップ。かつての隆盛はなく、過去の栄光と比べて最も凋落したと言われているレース。

 しかし、今この瞬間――グッドウッドには残酷な夢の輝きがあった。遥かなる夢を賭けて戦うウマ娘の姿があった。あれほど恋焦がれたステイヤーの最盛期が再び訪れたのだ。

 

 世界が熱狂に包まれ、爆発した50万の歓声が私に浴びせられる。

 スタンドに向かって手を振りながら、私はゆっくりと減速していく。

 

 全てを絞り出して、最早今の私は出涸らし同然だった。今回のレースでひと味違う頑張り方をしてしまったためか、身体の芯が削られている感覚がした。

 

(……それでも、勝った。私、勝ったんだ!)

 

 私は拳を突き上げ、勝鬨を上げる。振り上げた拳はどこか頼りなかったが、50万の歓声に支えられて、小さな手は確かな存在感を放っていた。

 

 

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