ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
死ぬほど厳しい夏合宿はつつがなく進み、遂に5日目に突入した。桐生院の丁寧な指導ととみおの鬼畜なスパルタが合わさって、トレーニングの効率が最強に思える。
実際、2人の対極的なトレーニング論がミックスされた結果、私とハッピーミークは著しい成長を見せていた。
ハッピーミークの長所は、短距離重賞を取れるほどの優れたスピードとパワー。短所は、適性があるのに長い距離を走るには不安なスタミナと、競りかけられると負けがちになってしまう貧弱な根性。
対して、アポロレインボウの長所は4000メートルを軽く走破する無尽蔵のスタミナと、大逃げをしても
……言わずとも明らかだが、私はミークちゃんのスピードとパワーに憧れを抱き、逆にミークちゃんは私のスタミナとど根性を羨んでいるのである。その結果、2人の間に強烈な相乗効果が生まれた。
互いが互いの長所に目を向け、背中を追う。きっと将来は別々の道を走ることになるだろうが――互いに負けたくないと思っていた。そこに最高のライバル関係が完成していたのだ。
これまでの5日で、私達はとみおや桐生院が舌を巻くほどの成長を見せた。ミークちゃんのスタミナは平均以上になり、私のスピードとパワーも短所ではなくなる程度に成長した。
成長を得られたのはいいことだ。しかし、そこで終わりではない。夏合宿5日目の終わり際、私達は2人だけの模擬レースを行うことになった。
芝の左回り、距離は2400メートル。世界各国のビッグレース――クラシック・ディスタンスの根幹を担う距離だ。この距離で開催されるビッグレースは、各国のダービーやオークス、ドバイシーマクラシック、ジャパンカップ、香港ヴァーズ、BCターフ、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、そして凱旋門賞など……。
この2400メートルという距離は、とりあえず適性があるなら損がない。2400メートルのレースは開催数が多いし、何より高い賞金も栄誉もある。
まあ、話が逸れたので戻すと――2400メートルはミークのスタミナが足りるギリギリであり、私の距離適性の下限に届こうかという距離なのだ。色々と理由付けしてみたけど、とみおと桐生院がこの距離にしたのはそういうことだ。
マッチレースの形になるとはいえ、この模擬レースは合宿の集大成。お互いに本気でレースに挑むことになる。
ハッピーミークの作戦はこれまでの傾向からして、先行か差し。少し未来の話になるが、もしも「鋼の意志」に準ずる技術を手に入れたなら、彼女が選ぶ作戦は差しになるだろう。最内枠にでもならない限りね。
それでは、このマッチレースではどの脚質を選ぶだろう。分かりきった大逃げをするアポロレインボウを早めに捕まえるため、前目の仕掛けをする先行? それとも、大逃げで私を自由に走らせておいて、温存していたスタミナと末脚で最後に賭ける差し?
「とみお、ミークはどっちで来ると思う?」
灼熱の炎天下が鳴りを潜めた昼下がり。合宿所の付近にあったコース上で、私はストレッチをしながらとみおに尋ねた。少し離れた場所には、同じようにして作戦会議をするハッピーミークと桐生院の姿が見える。
「う〜ん……ミークのスタミナが劇的に成長したとはいえ、まだ2400メートルは中々きついんじゃないかな……」
「なら、スタミナを温存気味にしてくる差しで来るってこと?」
「うん。大逃げと差しのマッチレースとか初めて見るけど……恐らくはそうなるだろうな」
「わけわかんないレースになりそうだね」
「大勝ちも大負けも有り得るな。俺達以外にウマ娘がいればよかったんだが……」
大逃げウマ娘のいるレースは、その多くが非常に荒れると言われている。理由は様々だが――今は私とミークちゃんのマッチレースだから、逃げウマがいない場合を考えてみようか。
逃げウマがおらず、大逃げウマのみがレースを引っ張る展開となれば、2番手である先行のウマ娘が実質的にバ群のペースメーカーとなる。しかし、先行ウマ娘は逃げほどペースメイクに秀でているとは言い難い。好位置につけて、垂れてきた逃げウマを差し切る……それが先行の持ち味にして勝ちパターンだからだ。その時点で、ラップタイムやレース展開はかなり乱れる。
そして、ウマ娘達は大逃げのウマ娘をいつ捕まえるか迷うだろう。他のウマ娘に「大逃げのアイツを捕まえにいけよ」「アンタが行きなさいよ」「私は嫌だ、お前が」と目配せして牽制し合っているうちに、ほぼ間違いなくレース中盤まで大逃げウマ娘を自由に走らせることになる。逃げが存在しないレースにおいて、敗北覚悟で大逃げを捕まえにいけるウマ娘がどれほどいるだろうか。
そう、いないのだ。この場合、大逃げウマがとんでもなく垂れたりしない限りは、後続が足を余して伸びきらず、大逃げウマが1着でゴールインしてしまうことが多いのである。
いずれの場合にせよ、大逃げウマ娘がいるせいで、ペースメーカーは自分のペースが速いのか遅いのかの判断がつきづらくなる。ハイペースであれば差しと追込が有利になり、スローペースであれば大逃げや逃げ・先行が有利だ。
これから始まるマッチレースは、スタート直後からぐんぐん差が開いて――中盤辺りには恐らく大差がつくだろう。
ここで狙うべきは、大逃げをしたと見せかけてスローペースに持ち込んで、そのままゴールインすること。もしくは、サイレンススズカのように永遠に加速し続けてゴールすることだ。
今までの私であれば前者を選びつつがむしゃらに走っていただろう。しかし、これは本番ではないのだ。実戦形式の、ただの練習。
本番の走りに活かすため、様々なことを試す良い機会だ。今から取る作戦が合わないなら、スローペースに持ち込む作戦を取ればいい。少し考えた後、私は大逃げ――いや、爆逃げを選択することにした。
とみおにそれを伝えると、「好きにするといい」と口元を歪めていた。「ただし、怪我しそうになったらすぐに止まること」という文言を付け足してくるのも彼らしい。
周囲を見ると、遠くにいるハッピーミークがスタートラインに向かっていた。どうやら用意ができたらしい。私もそろそろ行くとするか。
足がミークの下に向かおうとしたが、すんでのところで停止する。大事なことを忘れていた。
「そうだトレーナー、ちょっといい?」
「ん? どうかしたか?」
胸の内に燻るこの感情を利用し、闘争心に転換する――その予行練習をするべきだ。私はとみおの手を両の手のひらで包み込んだ。
「な、何を……」
彼の手のひらの感触を確かめるように、親指でにぎにぎしてみる。トレーナーが手を引っ込めようとするのが分かったけど、腕をぐいっと引くと抵抗はなくなった。
……温かい。私の手を合わせると、全部包み込まれてしまいそうなくらい大きい。やっぱり、とみおの手に触れていると落ち着くな。
心臓がどきどきしている。トレーナーの顔は少し不安そうだが、私を信頼してくれているから、ずっとされるがままだ。
……ごめんねとみお。その信頼、ちょっと裏切ることになるかも。
私は彼の手を取り、そのまま自分の胸に押し当てた。
「ちょっ!?」
とみおが思いっきり仰け反って右腕を引く。あまり強い力をかけて拘束していなかったので、彼の腕はあっさりとすり抜けた。
「何で引っ込めたの?」
「何でって、てめぇこの野郎……!」
とみおは顔を真っ赤にしながら右手を押さえている。そっか、とみおもドキドキしちゃったんだ。私も結構緊張してたけど、何か変なの。
ぼーっとした私の様子をどう受けとったのか、とみおは優しく説教してくる。
「あ、あのな。女の子が軽率にそういうことはしちゃいけないんだ」
「…………」
「……アポロ、模擬レース前だぞ。集中を乱してるんじゃないか?」
「乱してないよ」
「…………」
私の即答にとみおは言葉を噤んだ。そう、今の私はこれ以上ないほどの集中状態を維持している。だからこそ彼は困っているのだろう。いきなり担当ウマ娘に胸を触らされた、なんて困惑することこの上ない。
私は更なる一歩を踏み出す。
「トレーナー」
「どうした?」
「もっと触って」
「は!? ちょ、アポロ――」
トレーナーに近づいて、その手を掴む。驚くとみおの双眸を覗き込んで、つま先立ちになる。ぐっと近づく2人の距離。その唇が触れ合いそうな程に肉薄する。彼は動かない。いや、動けないのか。
瞬きひとつしないまま、私は彼の耳元で囁いた。
「お願い、私を見てよ、とみお。
「……!?」
息を飲む彼を尻目に、私はその手に頬を擦り寄せた。
――この独占欲に塗れた恋心を
そうだ、もっと
緩やかでぽかぽかとした感情に支配されていた心を入れ替える。淡い恋心と期待を全て火に焚べて、燃焼させる。
どくん、と心臓が跳ね上がった。視界が著しく狭窄し、世界の時間経過が緩やかになっていく。
この甘えた感情を全て燃焼させるのだ。
恋心を燃料として、心の底に火柱が立つ。そこに、鋭く研ぎ澄まされた闘争心という刃を曝す。この恋心が燃え盛れば燃え盛るほど、炎に炙られた刃は鋭さを増す。
激情に熱されて、赤められた闘争心の塊。それを理性で整えていく。心は熱く、思考は冷静に。未完成で荒削りではあるが――ひと振りの刃が完成する。闘争心という名の刃。新たに手に入れたこの武器で、いざハッピーミークを打ち砕かん。
――よし、準備ができた。間違いない、これこそウマ娘の本能による極限の集中力だ。視界がクリアで、周りのものもよく見える。
「――ありがと、トレーナー。それじゃ行ってくるから」
「あ、あぁ……」
私は困惑するトレーナーを尻目に、さっと踵を返してスタートラインに向かった。
スタートライン上では、ハッピーミークがこちらを見て微妙そうな表情をしていた。
「……人が待ってるのに、何してるの」
「勝つための準備……ってやつかな」
「……?」
「絶対に負けないからね、ミークちゃん」
私は犬歯を剥き出しにして笑った後、スタートの構えを取った。準備ができたのを見て、桐生院がスターターピストルを上に構える。設備の揃った合宿施設とはいえ、ゲートが無かったらしく……あのピストルはゲートの代用である。
隣に立つハッピーミークが私の先程の行為を訝しみながらも、腰を沈めた。桐生院がとみおと見つめ合って、頷いた。耳を塞いだ桐生院の両肩に力が篭もる。
「位置について! 用意――」
パン、と乾いた音が響くと同時、私はターフを蹴りつけてロケットスタートを決めた。少し遅れてハッピーミークが追随してくる。
このレースは本気で
「――!?」
私は身体を前傾させ、ぐんぐんと加速した。第2コーナーを曲がりながらトップスピードに乗り、ドリフトするかの如く内ラチいっぱいを攻める。驚いていたハッピーミークを置き去りにして、私だけが向正面の直線を走る。
レースの前半800メートル程度が終わり、その差は14バ身。これが同一のレースだと言うのだから――勝負は面白い。しかも、私が負ける可能性の方が高いと見える。こんなの、
「ははっ――!」
思わず零れてくる笑み。この笑いは狂気的に見えるだろうか。でも、己を試しているこの瞬間が堪らなく楽しいのだ、許して欲しい。
この合宿で鍛え抜かれた脳内時計が、1000メートル走破タイムを告げる。
――57秒9。
ダメだ、まだ足りない。マッチレースでこの程度だなんて――サイレンススズカやメジロパーマーの背中は遥かに遠い。同世代のトリックスター、セイウンスカイにも敵わないだろう。
ここまで200メートル毎のラップタイムは12.7-12.0-11.0-11.0-11.0秒と来たから――もっともっと速く走り抜けないと。
底のない闘争心と成長した身体は更なる速度を求めている。
しかし――脚が持たない。これ以上走れば壊れてしまう。
「っ、はあっ、はあっ!」
2400メートルはアポロレインボウの脚に
アプリにおいて、シンボリルドルフやライスシャワーがマイル戦で事故るように――私もまた噛み合わない歯車のまま走らされている。それでも相手はこちらの事情などお構い無しにぶつかってくる。
大差をつけられていたはずのハッピーミークは、7バ身まで差を詰めてきている。……いや、私が無意識のうちに減速してしまっているのか。
第4コーナーを抜けて、最終直線に入る。ラップタイムは最早ぐちゃぐちゃだ。それでもハイペースと言える時計だが――体力が持つかどうか。
――いや、体力が持つかどうかではない。
「うあああぁぁぁああああああっ!!」
底を尽きていた体力を、気力と根性と勝利への独占欲で補う。とうに使い果たしたはずの末脚を復活させ、肺を空っぽにしながら最終直線を駆け抜ける。
ここからは東京レース場を模した高低差2メートルの坂がある。肺に鋭い痛みが走る中、私はど根性で坂を駆け上がる。
そして、残り200メートルを切ろうかという時。
背中に悪寒が走った。
(き、来た――っ! ハッピーミーク!!)
ズン、ズン、と鳴り響く足音。重賞ウマ娘が背後に迫ってきている。
後ろに振り向く暇なんてない。追い抜かれる恐怖に脅えながら、私は再び絶叫した。
「負けて、たまるかああぁぁぁあああああ!!」
刹那、真後ろにあった気配が横にズレる。
(スリップストリームを抜けて、追い抜きに来る!?)
瞬間的に判断して、私はめいいっぱい胸を反らしてゴール板に向かう。ミークに抜かれると思うと同時、速度を一瞬だけ上げて、追い抜きの邪魔をする。転倒寸前の超前傾にして、自殺行為に近いゴール板への飛び込み。
負けられないのだ。私は絶対に勝たなければならない。
自分の夢と、トレーナーのために。
「――っ!」
ハッピーミークが息を飲む音が微かに聞こえて――私は1着でゴール板を駆け抜けた。
いや、駆け抜けたと言うよりド派手に転んだのだけど。
「――ひゅっ、ぜっ、はあっ……!」
上手く受身を取りながら、私は大の字になってターフに横たわる。極限の集中力と、最後の跳躍をもってして、やっと得ることのできた意味のある勝利。私は天に拳を突き上げて、からからと笑った。
「あは、あはは。何だよ……何とかなるじゃん」
ほとんど奇跡に近いが、私はハッピーミークの猛追を凌ぎ切った。体力はゼロ。末脚も根性も使い切ってしまった。
身体に痛みが無いことを確認して立ち上がろうとするけど、膝も腕も棒のようになってしまって動かない。こりゃ、全力を出しすぎたね……たはは……。
胸を上下させて、口をめいいっぱい開けて、酸欠になった身体に酸素を取り込む。そんな無様な勝者のもとに、ハッピーミークがやってくる。
「……アポロ、大丈夫?」
「う、うん……ギリギリ、なんとか、ね……」
額から滝の如く流れる汗を拭って、私はミークに向けてVサインを作る。普段から滅多に表情を崩さないミークが唇を結んでいた。
「……最後の200メートル、勝ったと思ったんだけど……アポロの根性には驚かされてばかり」
「どちらかというと、はぁはぁ……私はミークちゃんの末脚にびっくりしたけどね……」
「……怪我、してない?」
「ちょっと擦りむいたかも」
ミークが私に肩を貸してくれる。彼女の体操服はびっしょりと重くなるほど汗を含んでおり、全力の疾走だったことが窺えた。私が後先考えない跳躍をしなければ、負けていたのは私だっただろう。
ふらふらと歩く私達に向かって、桐生院ととみおが駆けてくる。
「アポロ、大丈夫か!?」
「あー、ちょっと無理しすぎた。ごめん」
「ミーク、アポロを下ろしてくれ」
ミークはとみおに言われた通り、肩の補助をやめた。支えを失った私は前のめりに倒れ込む。そんな私をトレーナーは優しく抱き止めて、お姫様抱っこをしてくれた。
「桐生院さん、申し訳ない! 医務室に行ってるので、反省会はまた今度ということで!」
「分かりました!」
そのまま、ウマ娘には到底及ばないけど――全力疾走と分かるそれで、トレーナーは私を宿泊施設の医務室に連れていってくれた。
心地よい彼の温もりに抱かれながら、私は走る彼の顔を眺める。あぁ、中々良い勝利の褒美ではないか。お姫様抱っこに、真剣な彼の表情。これなら頑張った甲斐があったというもの。役得、役得。
「アポロ、下ろすからな!」
足で豪快に医務室の扉を開けたトレーナーは、私をベッドの上に下ろしてくれた。それにしても、ここまで全力で走ったのは初めてかもしれない。本当に立ち上がることができない。ウマ娘の本能を上手く利用すれば、全ての力を出し切ることができてしまうのか。妙に納得しながら、私は医療キットを探すトレーナーに視線を送った。
「軽く擦りむいただけだよ」
「激しい運動直後だから、痛みを感じてないだけだ」
「そんなことないのに」
私は自分の頑丈さを知っている。ヒヤリとはしたものの、この程度の無茶で怪我をすることはない。
とみおが私の膝元に手を伸ばす。消毒液を染み込ませた綿を押し付けられ、痛みで身体が動く。
「いてて」
受身を取る時に膝を擦りむいたらしい。自動車と同程度の速度で走ってこの程度の怪我で済んだのだから、幸運と頑丈さもいいところだ。
苦笑いしながら痛みを主張していると、とみおが唇を結んでいた。何か言いたげな視線。私は茶化した表情をやめて、「どうしたの」と彼に語りかける。彼の言葉は不思議なものだった。
「どうして君は……そんなにも全力でいられるんだ?」
「どうして、って……そんなの決まってんじゃん」
私は白い歯を見せて、あっけらかんと笑った。
「自分のためだよ」
――模擬レース、走破タイムは2分25秒00。
大いなる成長と、新たなる大逃げの境地と可能性を垣間見て――私達の合宿は終了した。