ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
夏休みが終わり、9月を迎えたトレセン学園。夏合宿をしていたクラスメイトの多くは、一皮剥けたと言っていいほど雰囲気が変わっていた。やけに目つきが鋭くなっている子がいたり、筋肉の付き方がエグいことになっていたり。
私は日焼け止めを塗りまくっていたからあんまり日に焼けてないけど、みんな健康的な小麦色の肌になっている。中には、海辺で夏合宿を行っていたため、水着の形にくっきりと焼け痕が残ってしまった子もいるらしい。
世間一般で言うような温い「夏休み」を過ごしたウマ娘は多くない。みんな、狂気的なまでに自分磨きに勤しんでいたはずだ。昔は「どうしてそこまで自分を追い込むことができるのか」と不思議に思っていたのだが、今なら彼女達の気持ちがよく分かる。誰もが強い理由や目的を持っているからだ。ウマ娘の勝ちに対する異様なまでの欲求は、感情と強く結びついてその効力を増す。私だって例外ではない。入学したての頃より、心も身体も遥かに成長した。
次なる目標は10月3週の1勝クラス・紫菊賞。京都で開催されるレースで、芝2000メートルの右回り。それを勝てばいよいよオープン戦か重賞に挑戦、といったところである。
始業式を終えたオフの日、トレセン学園内をウロウロしていると、中庭の方面をメジロパーマーとダイタクヘリオスが歩いていた。
「ほんとにウェイって言うんだ……」
2人は仲睦まじく会話をしながら私の前を通り過ぎていく。オタクに優しいガチ陽キャのヘリオスちゃんは何を言っているかよく分からないが、パーマーちゃんの口調は比較的常識人っぽい。
まあ、若者らしくきゃいきゃいと戯れてはいるものの、2人ともG1を勝った名ウマ娘だ。制服の下に隠された肉体は鋼じみているし、脚は言うまでもなく鍛え抜かれている。
(やっぱ、G1級にはまだまだ敵わない……か)
あの人達の脚に比べたら、私の脚なんて木の棒みたいなものだ。羨望の眼差しを向けて、私は2人を見送る。
そんな中、彼女達が通った道にハンカチが落ちているのに気づいた。
「ん……?」
可愛らしい花柄のハンカチだ。土を払いながらそれを拾い上げ、持ち主を探して辺りを見回す。これ、パーマーちゃんかヘリオスちゃんのやつだよね? 早く届けてあげなきゃ。
でも、話しかけるのはさすがに緊張するなぁ……。爆逃げの大先輩だもんね。しない方がおかしいというものだ。でも、私ってば既にマルゼンさんと仲がいいし、大物に話しかけるなんて今更だな。
「あ、あの――すみませんっ!」
私は小走りでパーマー・ヘリオスのギャルコンビの背中を追った。ほとんど同時に2人の耳がこちらを向き、怪訝そうな視線が私に浴びせられる。まあ、友達といる時に見知らぬ他人に呼び止められてモヤッとしない人はいないだろう。それにしてはちょっと怖いけど。
「お、落し物……です」
どちらかと言えば話の通じそうなメジロパーマーに涙目で縋りながら、おずおずとハンカチを差し出す。2人は顔を見合わせてから、それぞれのポケットを探り始めた。
あっ、という声を上げたのはダイタクヘリオスだった。照れくさそうに頬を搔いて、彼女はぺろりと舌を出した。
「ごめ、それウチのやつだ☆」
「もう……ヘリオスはうっかり屋さんだなぁ」
「あはは! マジ気づかなかった!」
ダイタクヘリオスがけたけたと笑い、メジロパーマーが嬉しそうに溜め息をつく。一応落し物を届けたのは私なんだけど、彼女達の雰囲気が強すぎて、2人の間だけで話が進んでいるみたいだ。何故か私だけが置いてきぼりにされてる感覚。
ちょっと居心地が悪いので、私はヘリオスちゃんにハンカチを渡すと、そそくさと2人から距離を取った。
「それじゃ、私はこれで――」
そのまま背を向けて寮に走ろうとした、その瞬間だった。
「待った」
メジロパーマーの声が私の背中に飛んでくる。
「あなた――アポロレインボウちゃんだよね」
「えっ」
理外の一言だった。思わず振り向いてパーマーちゃんを見る。どうして私の名前を知ってるんだ? まさか、目をつけられていた? なんで? グランプリウマ娘のパーマーちゃんに?
恐ろしくなってその場からびたりとも動けなくなる。メジロパーマー魅惑のタレ目が私を睨む。ぬるりと肉薄してきたパーマーは、私の首に腕を巻き付けてきた。
ひょえ、という情けない声が私の口から漏れる。
や、やば……! パーマーちゃん近くで見るとクソ可愛いし美しい……! あと凄くいい匂いがする……さすがメジロ家のお嬢様だぁ。
びくびくと身体が震える。春秋グランプリ連覇の爆逃げウマ娘に触れてもらえるとかどんなご褒美だよ。しかも、パーマーちゃんは私の耳元でこんなことを囁いてくる。
「ハンカチのお礼させてよ、アポロレインボウちゃん。あなたのことずっと気になってて、いつか話したいと思ってたんだ」
その瞬間、白目を剥いて痙攣しなかっただけ私は偉いと思う。爆逃げの先輩と話したかったのはむしろ私の方だ。私は高速で首を縦に振って、メジロパーマーの顔をガン見した。やばい、メジロパーマーちゃん好きすぎる。
「なになに!? パーマーこの子と知り合いだったん!?」
私達の様子を見て、物凄い勢いでヘリオスちゃんが私とパーマーちゃんに抱き着いてくる。爆逃げギャルにサンドイッチされる形になって、私は今度こそ悲鳴を上げそうになった。図らずも百合の間に挟まる男になった気分だ。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。
「この子めちゃくちゃいい爆逃げするんだよ? ヘリオスもアポロちゃんのレースを見たらきっとファンになると思うよ」
「マジ!? ちょー気になるんですけど!」
「あわわ……」
こうして私はギャル2人組に挟まれたまま、どこか遠くに連れ去られてしまうのだった。
彼女達に連れられてやって来たのは、ウマスタグラムで人気のスポットである「ウマーバックスコーヒー」だ。とりあえずここで買ったコーヒーだのエスプレッソだのをウマスタに上げれば陽キャアピールが出来るらしい。グリ子談。
……さて。
私は今、陽キャ特有のゴリゴリした距離の詰め方に困惑しています。先程からほっぺたをふにふにしてくるヘリオスちゃんにされるがまま、私はウマーバックス店内のテーブル席に座っていた。
ありがたいことに、私はカプチーノを奢ってもらった。パーマーちゃんはホットチョコレートを、ヘリオスちゃんはモカを頼んでいた。商品を並べてパーマーちゃんがウマホでパシャリ。ヘリオスちゃんは内側にカメラを向けて、3人の顔を画面内に収めてからシャッターを切った。
「アポロちゃん。この写真、ウマスタに上げてもいい?」
「あ、はい! 全然いいですよ!」
「ウチも上げていいかな? 顔写っちゃってるけど」
「オッケーです! ……後でその写真くれませんか?」
「もち! じゃ、アプリで友達になっとこ!」
「あ、私も登録よろ〜」
「分かりました!」
ウマスタのフォローを交換し、メッセージアプリで友達登録を行う。しばらく待っていると、ヘリオスちゃんとパーマーちゃんのウマスタが更新される。メジロパーマーのウマスタに上げられた写真は、3つのコーヒーカップが寄り添うような写真。四隅には僅かなデコレーションがされており、こういう細かい編集にもギャルっぽさが垣間見える。パーマーちゃんの写真に添えられた一言は『期待の後輩とウマーバックスなう!』。どうして私のことを知っているのか後で聞くとしよう。
対して、ダイタクヘリオスのウマスタに上げられた写真は、とびきりの笑顔を披露するギャル組と――2人に挟まれて引きつった表情のアポロレインボウが写ったものだった。写真に添えられた『ウェイ!』の一言が男らしい(?)。
つーか、上手いこと加工して違和感のないように仕上がっているけど、私の場違いな素人ですよ感が半端ない。
やっぱりG1ウマ娘ともなると、モデルの仕事やテレビの取材をしたこともあるんだろう。写真の写り方がめちゃくちゃ上手い。この辺もいつかは覚えるべき時が来るんだろうか……。
私も一応友達付き合いの中でウマスタアカウントを作っている。ちなみに、写真は一切上げていない。だって、重賞を取ってから活動しないと生意気に思われそうだからさ……。今も特に、呟きをするとか、写真を上げたりするとかはしない。
しかし、ギャル組の写真がアップロードされた数分後から、私のウマホの通知が止まらなくなった。フォロワー爆増のお知らせである。いや、まだ私何も呟いてないんですけど……。
……流石は若者に超人気のギャルウマ娘。フォロワー50万人越えは伊達じゃない。
ひやひやしながら私はウマホをしまった。そして、正面にいる2人の爆逃げウマ娘に視線を投げかける。
「……で、パーマー先輩。どうして私のことを知ってるんです? ジュニア級でメイクデビューをしたばかり、重賞に掠りもしてないただのウマ娘を」
私の質問に、メジロパーマーはにこにこと柔和な表情を崩さない。上品な仕草でホットチョコレートを啜ると、彼女は考え込むような素振りを見せた。
「……マックイーンの元サブトレーナーの人、桃沢トレーナーだっけ」
「とみおがどうかしたんですか?」
「マックイーンがさ。『独り立ちしたサブトレーナーと担当ウマ娘が立派に成長するまで、私達がしっかり見守ってあげませんと』……みたいなことを頻繁に言っててね、ずっと心配そうにしてたんだ」
……驚いた。マックイーンちゃんがサブトレーナーだったとみお(とその担当ウマ娘である私)を心配していたとは。
「マックイーンがあんまりにも心配そうにしてるもんだから、私もすっかり気になっちゃってさ。アポロちゃんのこと、マックイーン以上にずっと追いかけてたんだ。……と言っても、レース結果だけなんだけどね」
頬を人差し指で掻くメジロパーマー。ダイタクヘリオスはうまつべから私のレース動画を探して視聴しているらしく、ウマホをずっと注視している。
「メイクデビューと1回目の未勝利戦、凄く苦しかったと思う。……でも、2回目の未勝利戦でアポロちゃんは不安とか心配を全部ぶっ壊してくれた! 動画を見て、アポロちゃんの逃げには間違いなく人を惹きつける力があるって確信したよ!」
キラキラと目を輝かせながら私に熱く語りかけてくるパーマーちゃん。レース動画を見終わったのか、ヘリオスちゃんも叫び出しそうな勢いで机に身を乗り出してくる。
「アポロちゃんはもっと上に行ける。でも、それにはちょっと足りないことがあるかな」
「足りないこと?」
待ってましたと言わんばかりにヘリオスちゃんが私の後ろに回り、あすなろ抱きしてくる。
「アポロっち、ちょっと走り方を変えるだけで、マジパないウマ娘になれると思うよ! 今の走り方じゃキュークツじゃない?」
「わ、私の走り方に欠点があるんですか?」
「欠点というか、何と言うか。爆逃げに慣れてる私達には分かるんだ。ちょっと違和感があるって。でも、それには
「……?」
「負けてから見直すのでも悪くはないと思うよ。もちろん、私達のこの指摘が間違ってるかもしれないから……桃沢トレーナーとよく話し合ってくれると嬉しいな」
そう言って、パーマーちゃんはホットチョコレートに口をつけた。洗練されたその動作に見惚れていると、彼女はすっと席を立った。
「お節介なことしてごめんね。余計なことを言っちゃったかも……まあ、世話焼きな先輩が応援してるよってことでここはひとつ」
何か予定があったのだろうか。メジロパーマーは席を立って、申し訳なさそうにしながらその場を後にした。
「爆逃げ最高! 応援してるよアポロっち! ウェーイ!」
ダイタクヘリオスもそんな彼女に続いて店内から姿を消した。
「…………」
残された私はぽかんとしながら、パーマーの残してくれた金言を思い出した。
……私の爆逃げには、何か形容しがたい弱点があるようだ。もちろん私自身、この爆逃げが完璧だなんて思ったことは一度たりともない。それでも、その道の先輩が明言してくれるのとしてくれないのでは、かなりの差がある。
『私自身が気づいて直すべき』、『敗北してから見直しても遅くはない』――か。
「一体、
私は温くなったカプチーノを啜った。
そして――時は過ぎて、10月中旬。
迎えた紫菊賞、私は驚くべきレースを経験することになる。