ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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16話:京都にて舞う

 まだまだ夏の残滓が猛威を振るう10月3週目。夏と冬の間の季節、秋が無くなってきている……なんて言われ始めたのはいつ頃からなのだろうか。紅葉の存在しない10月というのは視覚的に些か寂しいものとなった。

 

 私達が降り立ったのは千年の都、京都。関東にあるトレセン学園からは新幹線を使っての遠征になった。大事を取って2日前から現地入りした私達は、手狭なホテルに泊まることにした。

 

 そしてレース前日、私達は京都レース場の下見に来ていた。ホテルから電車に乗って、淀駅で下りる。すると、淀駅のあちこちに『月刊トゥインクル』の交通広告がビッシリ。未だに会ったことはないが、乙名史記者の担当する雑誌である。中々雰囲気があるなぁ、さすがにレース場の最寄り駅だなぁ、なんて思いながら私達は僅かな人の流れに沿って歩いた。

 

 屋根付きの通路を通って、あっという間に見えてきた京都レース場。レース場に渦巻く熱気はどこへやら、京都レース場は遠くから聞こえてきそうな川のせせらぎに囲まれて沈黙していた。

 

「うわ〜、初めて来たよ……ここが京都レース場かぁ!」

「京都レース場……菊花賞と天皇賞・春が行われるレース場だ。アポロと俺にとっちゃ、東京とか中山よりも馴染みのあるレース場になるかもしれないな」

 

 基本的に土曜日と日曜日以外にはレースの行われないトゥインクル・シリーズ。しかし、レース場の多くは平日や祝日にも入場可能だ。人はあんまりいないけどお店はちゃんとやっているし、スタンド周辺の公園などには家族連れの姿も見えた。平日はレース場と言うよりテーマパークとしての側面が強いのだろうか。

 

 私達はスタンド裏手から京都レース場に入場し、そのまま高くそびえ立つスタンド内に入った。目指すはレース場を斜め上から展望できる、スタンド5階の屋外席である。

 

 私達は京都レース場の一種のシンボルとも言える細長いスタンドを上り、5階までやってきた。さすがは一大エンターテインメント、客席の広さが半端じゃない。

 

 土日の間は有料の指定席とされているらしい室内空間を抜け、私はとみおの背中を追い抜いて屋外席にかじりついた。

 

「わぁ……!」

 

 地上からかなりの高さがある屋外席は、清涼な風の吹き抜ける開放的な空間だった。1階席からでは見えなかったであろう向正面まで肉眼で捉えることができる。より熱心なファンは、こうして人混みのない席からウマ娘達を応援するのだ。空が近い。いい眺望ではないか。

 

「はしゃぎ過ぎて落ちるなよ」

「あんまりバカにしないで」

 

 後ろから私を追ってきたとみおが、からかうように笑った。私はむっと頬を膨らませて、持ってきた双眼鏡を取り出す。トレーナーもバッグから双眼鏡を取り出して、人差し指でくるくると回転させた。

 

「太陽は絶対に見るなよ〜」

「とみおじゃないんだから、そんなことしないもん」

「おいおい」

 

 冗談を言い合いながら、私達はコースの下見を開始する。

 

 様々な写真やマップ、3Dデータで京都レース場を観察する機会はいくらでもある。しかし、肉眼で実物を見るのと見ないのでは天と地の差がある。2日前に現地入りして、レース前日を全てコース観察に費やそうとしているのもそういう意図があった。

 

 ――さて。京都レース場はよく「淀の坂」とか「淀のナントカ」なんて言われるが、実際は宇治川の傍にある。向正面の更に向こう、地平線と交わりそうなところにキラキラとした水面が僅かばかり覗いている。これが宇治川。

 

 ちなみに、「淀」というのは地名だ。川名ではない。淀川自体は、宇治川と桂川と木津川と合流したその先にある。まあ、細かいことはどうでもいい。オタクの悪いところだ。淀という地名からこの愛称が出来たらしい、と言うことを何となく知っておけばいい。

 

 で、京都レース場と言えば――内バ場に大きな池があることで有名だ。かつて存在した三日月湖を利用して作った池らしい。私も最近まで知らなかったけど、京都レース場は大外に芝のコースがあり、その内側にダートコース、そして最内に障害レース用のコースが存在する。つまり、障害コースの内柵の更に内側、楕円になっている部分の多くが水で満たされているというわけだ。

 

 京都レース場のシンボルは、その池に飼われているらしい白鳥(スワン)。私達がいるスタンドも「ビッグスワン」だの「グランドスワン」だの、特殊な呼び方があるらしい。

 

 京都レース場のコース以外の部分を充分に堪能した私は、双眼鏡を使って本命のコースをなぞるように観察し始めた。

 

「やっぱりあの坂ヤバくない? ここから見てもすごい盛り上がってるじゃん」

「……う〜ん。そこ以外が平坦だから、あの山場でバランスを取っているんじゃないかな。スピード・スタミナ・根性・レース勘の良さ……これら全てを競い合うのがトゥインクル・シリーズだからね。レース場による違いはあるけども」

 

 私ととみおが注目したのは、向正面の終わり際から第4コーナーの始まりまで続く大きな上り坂と下り坂だ。そこには、私のような逃げウマ娘を潰すためだけに用意されたかのような、高低差4メートルの丘が控えている。急な上り坂と急な下り坂は、常に全力疾走せざるを得ない私のスタミナと脚を根こそぎ持っていくだろう。それ程までに、高低差4メートルというのは強烈だ。

 

 まあ、逆に言えば――それ以外はほとんど平坦なコースである。そこさえ大崩れせずに越えられたなら、私の勝利は確約されると言ってもいい。それが出来れば苦労なんてしないけど。

 

 かなりの時間集中しながら双眼鏡を介してコースを見ていたため、目の奥がずきずきとした疲れを訴えてくる。双眼鏡を下ろして、人差し指と親指で目頭を押さえた。遠くをずっと見てると何で疲れるんだろうなぁ……。

 

 ぐしぐしと目を擦り、再びコース観察に精を出そうとすると、ふと隣のとみおの真剣な姿が目についた。双眼鏡に目を当てて、ぶつぶつと独り言を呟いている彼。ウマ娘程ではないが、人間にしてはかなりの量の闘志が溢れ出している。

 

 私のために、本気になってくれているんだ。うず、と身体が震える。尻尾が揺れる。彼に触れたくなってしまう。独り占めしたくなってしまう。あぁ、こんなにも湧き上がる衝動を抑えきれないなんて。

 

 だけど――まだだ。この想いを解放するのはずっとずっと先のことになるだろう。その時までは我慢。溜め込んで溜め込んで、闘争心に置換していかなければならない。

 

「ね、トレーナー。そろそろお昼にしない?」

 

 私は頭を振って、トレーナーの袖を引いた。私の手の感触に気づいた彼は、双眼鏡を引っ込めて私の方を見てくる。

 

「そうするか。このレース場のグルメも知っておきたいしな〜」

 

 こうしてコース観察を終えた後、私達はスタンド内にある飲食店を見て回ることにした。

 

 

 昼食を食べて帰路に着く際、レストランブースに『名ウマ娘の殿堂』と銘打たれた小規模なコーナーがあった。そこにいたのは、怪我に苦しんだ三冠ウマ娘のナリタブライアンと、世間に芦毛旋風を巻き起こしたオグリキャップの等身大パネル。

 

 レースを勝ちまくれば、私もいつか彼女達の隣に並び立つことが出来るのだろうか。そんなことを思いながらホテルに帰った私達は、長いミーティングを終えた後、明日に備えて早々と身体を休めることにした。

 

 

 

 そして迎えた10月第3土曜日、京都レース場第8レース紫菊賞。13時過ぎの発走になる紫菊賞だが、私は集中力を高めるために10時に現地入り。熱気渦巻くレース場の雰囲気に当てられて、テンションを高めつつレース場周りを軽くランニングしていた。

 

 今日から日本の空は低気圧に覆われ、秋相応の気温へと落ち着いていくらしい。今日の最高気温は24度と落ち着いている。風は無く、発表は良バ場。走るにはうってつけのコンディションだ。

 

 グリ子やジャラジャラちゃんは食堂のテレビで私のレースを見てくれるらしい。マルゼンちゃんからは「自宅から見てるわよ〜」とのメッセージを、パーマーちゃんとヘリオスちゃんからは「爆逃げしか勝たん」とのコメントを賜った。ギャル2人はちょっと何を言っているか分からないけど、とにかくありがたい限りである。

 

 軽いゼリー飲料を胃に入れて、遂に発走時間の30分前を迎える。控え室で体操服に着替え、とみおと軽く話した後、私は地下道を通ってパドックのお披露目に向かった。

 

 パドックには、何故か多くの観客が訪れていた。とみおが「心配はしていないけど、当てられるなよ」と漏らす。それ程までに観客の入りが多く、私は困惑した。

 

 京都レース場の第10レースとして、ダートスプリントのオープン戦「太秦(うずまさ)ステークス」があるのだけど……そのレースのおかげで賑わっているわけではなさそうだ。

 

 耳を澄ませてみると、なるほど東京レース場第10レースとして「アイルランドトロフィー府中ウマ娘ステークス」が行われるらしい。エリザベス女王杯のステップレースにして、1800メートルのマイルG2。京都レース場周辺に住む人は、パブリックビューイングのためにここに訪れたのだろう。

 

 まだ第10レースまでは時間がある。ならば、それまでの時間潰しとしてこの紫菊賞を見に来ても何ら違和感はない。来年のクラシックに挑むウマ娘は有望株が多い。早いうちに唾をつけておいて、後から「俺、〇〇ちゃんのレースは条件戦からずっと見てたぜ!」とマウントを取りたいという人は結構いるからね。

 

「アポロレインボウしか勝たん」

「どうした急に」

「見ろよあの足回り。前回の未勝利戦から更に鍛えてきてるのがよく分かる。目測2センチは太ももが太くなっているだろう?」

「確かに……二の腕も筋が浮いて見えるぞ」

「何より、爆逃げの脚質はシニア級の子達でさえ慣れている子が少ない。デビュー戦のトラウマを乗り越えたという精神的アドバンテージもある」

「そういうことか! 1番人気の理由が分かった気がしたぞ……!」

 

 観客の声を聞き流しつつ、パドックでとみおと最終確認。今日の作戦はいつも通りの大逃げだ。一切の手を抜かずにぶっちぎっていいらしい。これから来たるであろう重賞の予行練習でもあるのだが……私、他のウマ娘をちぎれるほど強くはないと思うんだけど。

 

『1番人気はこの子、アポロレインボウ』

『落ち着いていますね。断然この子の実力は抜きん出ていますよ。ここを順当に勝ち上がれば、ホープフルステークス並びに重賞が見えてくるところです』

 

 ホープフルステークス……ジュニア級G1のひとつ。スピーカーから飛んでくる耳触りの良い声はそんなことを言っているが、どうにも実感が湧かない。私がハッピーミークやスペシャルウィークをライバル視し、己の実力のなさを嘆いているからだろうか。

 

「アポロ。脚に違和感を感じたらすぐに止まること。チャンスは何度だってあるんだからな」

「うん、分かってる。それよりさ、手出して」

「……また()()か? 勘弁して欲しいんだが」

 

 私はとみおに迫る。パドックで目立つ位置にいるため、とみおは周囲を見渡して引きつった笑いを浮かべている。

 

「大丈夫。手を握るだけだから」

「そ、そうか。それならまぁ」

 

 おずおずと差し出された手を取って、私は両手で包み込む。

 

 とくん、とくん、と心臓の鼓動が高まっていく。

 

 すかさず、その温かみを手放して――冷酷に燃え盛る闘争心に変換させる。ぎゅぅと彼の手を握り締め、私はとみおに笑いかけた。

 

「――行ってくる」

「おう、待ってるからな」

 

 すぐに本バ場入場が始まり、ファンファーレが鳴り響く。これまでは8人がフルゲートだったため小ぢんまりとしていたゲートも、今日はより大きい。

 

 私は胸に秘めた闘争心を糧に、ひゅぅと息を吸い込んだ。

 

 ――行ける。

 心は熱く、思考は冷静そのものだ。

 

 ゲートに入り、ライバルには目もくれずに真っ直ぐ前だけを見る。

 

『京都レース場、第8レース。ジュニア級1勝クラスの紫菊賞がこれより発走します』

『来年のクラシックを占う大事な条件戦です! 頑張って欲しいですね!』

『1番人気のアポロレインボウは4枠7番のゲートに入りました。落ち着いた表情です』

『私イチオシのウマ娘です! 見る者を魅了する大逃げに期待がかかります!』

 

 紫菊賞はフルゲートに満たない15人で行われることになった。私は中央内枠気味のゲートに入って頬を叩く。そもそも10人以上のレースは初めてだが、序盤の紛れさえなければバ群に沈む恐れはない。

 

 必死に練習してきた。想いの力もある。何の心配もないのだ。胸を張って、とみおが育ててくれたアポロレインボウを見せつけるだけである。

 

 全てのウマ娘がゲートインし、しんと静まり返る観客席。数万の観客が入っているそうだが、マナーの良さに驚くばかりである。

 

『さぁ、紫菊賞がスタートしました!』

 

 静寂を破ったのは、私のロケットスタートだった。地面に沈み込むような姿勢で、早くも2番手を置き去りにする。

 

 ここからは2000メートルの一人旅。淀の坂で潰れるかどうか――つまり自分との戦いになる。

 

 私はぐんぐんと速度を上げて独走態勢に入った。第2コーナーを抜けて向正面。2番手との距離は……大差がついていてよく分からない。

 

 でも、あの合宿のハッピーミークはどうだった? 距離は2400メートルだったものの、あっという間に追い詰められてクビ差まで迫られた。かの優駿達はここからどうする? スペシャルウィークは? エルコンドルパサーは? グラスワンダーは? 全員が全員、間違いなく私の横を抜けていくだろう。

 

 レースとは、一番速い者が勝つのではない。一番強い者が勝つのではない。一番()()者が勝つのだ。

 

 どれだけ遅かろうと弱かろうと関係ない。トリックでも()()でも何でも使って、ゴール板を最初に駆け抜ければいいのだ。

 

 だからこそ、私の爆逃げはフィジカル・ギフテッドを持つ者達には効かない。何かしらの未熟さを抱えていなければ、このハイペース戦術は何の効果も持たないのである。例えば精神力の弱さ。「あんなに離れていて追いつけるだろうか」という焦りを期待してのこの爆逃げは、過剰なまでの自信と実力を持つ者に対してはかなり弱い。

 

 極端な話、最終コーナーまで()()()()()()()()()()()()で進まれて、そこから溜め込んだ末脚を爆発させられたら、私はあっけなく負ける。ハッピーミークの時もそうなりかけた。

 

 相手の不安に期待する脆弱な作戦。私の爆逃げは相手のミスに期待したものでしかないのだ。もしかすると、メジロパーマーやダイタクヘリオスは、この()()()()()()()に苦言を呈していたのかもしれない。

 

 迫り来る淀の坂。酸欠状態のためなのか――脳が作り出した優駿達の幻影が私の背後を走り始める。ぎょっとするのも束の間、セイウンスカイが()()をしてくる。グラスワンダーが私を睨んで()()()くる。スペシャルウィークが真っ直ぐこちらを目指して加速してくる。キングヘイローが最後方で私を窺っている。エルコンドルパサーが完璧な先行策で抜け出さんと迫ってくる。

 

 どいつもこいつも、めちゃくちゃなスペックだ。面白いくらい、そのスタミナを使って()()()()()。とことんまで才能の差を叩きつけてくる。バカにしやがって――トレーナーと私を舐めるなよ。

 

 淀の坂を根性で上りきり、緩やかに下っていく。セイウンスカイが仕掛けてくる。エルコンドルパサーが上がってくる。まずい、と思ったのも束の間、セイウンスカイが舌を出しながら私を抜き去った。

 

 完璧な爆逃げ、後続を潰す高速逃げだったはずだ。

 しかし、指折りの才能達は私を嘲笑うかのように先を行く。

 

 セイウンスカイに抜かれた瞬間、エルコンドルパサーとスペシャルウィークが私の横を抜けていく。第4コーナーに入って、グラスワンダーやキングヘイローにも抜かれた。

 

 何で、どうして。叫びたくなる気持ちを抑えつけて走る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私は敗北感に苛まれながら、1着で見事ゴール板を駆け抜けた。

 

 

 しかし――優駿達の幻影とは大差の6着。

 私はまだ、最強世代には遠く敵わない。

 

 


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