ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
年内最後のG1――ホープフルステークス。舞台は中山レース場、芝2000メートルの右回り。
ジュニア級とはいえG1なので、現地の中山レース場はレース3時間前だと言うのに早くも大盛況を迎えていた。新聞やメディアの煽りが効いたのだろうか。有マ記念が終わってからは、インターネット・テレビのニュースがずっと「来年のクラシックを占う大事な一戦! 早くも“三強”が中山の地に集結!」みたいなことを言っていた。
スペシャルウィークは『未来の日本代表ウマ娘』『大地を揺るがす豪脚』なんて言われており、メディアの評価が最も高かった。実力で言えば彼女が一番飛び抜けているのは間違いない。
キングヘイローは『連勝街道を突き進むお嬢様』『世代屈指の末脚』と言われ、私と2番手争いをしていた。メディアの評価はまちまちで、その多くが2着止まりの予想である。中には彼女が1着を取ると太鼓判を押した雑誌やサイトもあったらしい。
私――アポロレインボウは『ジュニア級2000メートルレコード保持者』『狂気の爆逃げウマ娘』『世代人気NO.1ウマ娘』なんてぶち上げられていた。1着になると予想されていたり、最下位になると予想されていたり。まぁ爆逃げってのはムラがあるから予測がつかなくて当然だ。
メディア的には、スペシャルウィークがやや優勢の評価か。しかし三強ムードは既に決定的なようで、どこを見てもスペちゃん、キングちゃん、アポロレインボウの3つの名前が並んでいる。恐れ多い。
年末だと言うのに陽炎が立ち昇りそうな熱気の中、私達はタクシーを下りて中山レース場の控室に向かう。スタッフの方々が私達を取り囲んで、人混みから守ってくれたから良かったが……とんでもない人口密度である。
私とトレーナーは顔を見合わせて、「電車で行かなくてよかった」と胸を撫で下ろした。中山レース場近くの駅――東中山駅や船橋法典駅からここまでの道はきっと阿鼻叫喚になっているはずだ。満員電車もビックリな人混み。その中にG1出走ウマ娘の私が紛れていたらと思うと、ぞっとする。人の波に押し潰されて、冗談じゃなく死んでしまうかもしれない。
こうして私は初めて中山レース場内に足を踏み入れた。その際、すれ違う人々が「アポロちゃ〜ん!」「応援してるぞ!」と応援してくれたので、私は笑顔で手を振って応えた。大体の人は「はうっ」とか「可愛すぎる」とか言っていたのだが、中には私が手を振っただけで卒倒し始めた人がいてびっくりした。……とみお曰く、私はSNSでの人気がカルト的に高いらしい。
物好きな人もいるものだなぁ、と思いながら控室に入った私達は、いよいよ緊張感の高まりを感じた。
「やっぱり緊張するね……」
「ま、初めてのG1だからな。俺も心臓バクバクだよ」
ホープフルステークス――第9レースまで3時間もあるのだが、この人混みではレース場の外周コースを走ることもままならない。仕方が無いので、彼にことわって勝負服に着替えることにする。
「お手伝いしますよ」
「あ、ありがとうございます」
トレーナーが呼んだのか、ウマ娘のスタッフが駆け付けてきた。彼の姿は既に無く、目の前には純白の勝負服が置かれていた。
私は制服を脱ぎ、勝負服に手をかける。相変わらず慣れないドレスだ。私には綺麗すぎる。
スタッフに手伝ってもらいつつ勝負服を身に纏うと、スタッフから「お綺麗ですよ」とお褒めの言葉がかかる。やはり、綺麗と褒められるのは嬉しいが、どうにもくすぐったい。ありがとうございますと言いつつ、ハイヒールの具合などを確かめる。
――うん、バッチリだ。全身にフィットするし、力もみなぎってくる。今の私は絶好調だ。
そして、姿見に映る自分と視線を突き合わせて気づいた。
……お腹、結構ガッツリ透けるんだね。トレーナー室で着た時は部屋全体が薄暗かったから気づかなかった。
私の勝負服の胴部が透ける素材から作られているのは知っていたが、こうして明るい場所で見ると腹部の素肌が丸見えだ。透けている分、ちょっと艶かしい。縦に少し割れ、美しい曲線美を描く自慢の腹筋。やっぱりURAにはへそフェチがいるな。
まさか、私の勝負服の郵送が遅れた理由って、この機能を付け加えたから? ……いや、考えすぎか。
お腹の辺りをぺたぺたと触っていると、スタッフの人がお化粧道具を持って私に近付いてくる。
「お化粧もするんですか?」
「はい。G1レースですから」
聞いてみたところ、レース前に軽いお化粧を、ウイニングライブ前にもう一度崩れた化粧を整えるらしい。ウイニングライブに出る前は自分でやってね、という旨の発言を頂いたので脳死で頷く。
軽いお化粧が終わると、スタッフと入れ替わりにとみおが入って来た。彼は私の姿を一瞥して、固まっていたその表情をだらしなく緩めた。
「アポロ、やっぱり綺麗だよ」
「っ……う、うるさっ」
この男、歯の浮くようなセリフをぬけぬけと……。私はスカートをぎゅっと握りながらトレーナーを睨んだ。
「あんまりそういうこと言って女の子を勘違いさせちゃダメだよ」
「……? 俺はアポロにしか言わないけど」
…………。
はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜………………キュンと来た自分が嫌だ。
私ってチョロい女だなぁ……。
気を取り直して、私はウマホから出走表を確認する。
1枠1番、1番人気スペシャルウィーク。
1枠2番、4番人気ウィキッドレディ。
2枠3番、17番人気ライムシュシュ。
2枠4番、10番人気ノーティカルツール。
3枠5番、14番人気コンテストライバル。
3枠6番、2番人気アポロレインボウ。
4枠7番、15番人気ツウカア。
4枠8番、5番人気ウイストクラフト。
5枠9番、16番人気ルミナスエクスード。
5枠10番、8番人気クラシックコメディ。
6枠11番、9番人気クラリネットリズム。
6枠12番、13番人気ムシャムシャ。
7枠13番、3番人気キングヘイロー。
7枠14番、12番人気ムーンポップ。
7枠15番、18番人気ルーラルレジャー。
8枠16番、6番人気オーバードレイン。
8枠17番、11番人気ノワールグリモア。
8枠18番、7番人気オーボエリズム。
初のフルゲート、18人での発走になる。1、2、3番人気の私達は、4番人気以下を大きく引き離している。何度も言うが、このレースはスペシャルウィーク、キングヘイロー、アポロレインボウの三強と言われている。
私がマークするのはスペシャルウィーク。彼女に加えてキングヘイローもマーク出来るほど私は器用ではない。今日一番の敵がスペシャルウィークだと決め打ちして、キングヘイローは捨て置くしかない。レースに勝つには実力と運が必要なのだ。
とみおと話し合って、そこら辺は抜かりない。スペシャルウィークの末脚、差しの作戦、スパートをかけるタイミング、癖――その全てを頭に叩き込んだ。後は後悔のないよう、全力全開でターフを駆け抜けるだけだ。
ホープフルステークス開幕まであと数時間。
私は息を整え、集中力を高め続けた。
いよいよ始まるホープフルステークス。レース開始40分前、私達は中山レース場のパドックにやって来ていた。数万人の大観衆が見守る中山のパドックに、ジュニア級の中距離G1を虎視眈々と狙う18人が立つ。ウマ娘達がパドックに集まってくると、鋭く研ぎ澄まされた闘志に当てられて観客達が静まり返る。これがジュニア級の覇気なのか、という声がどこからか聞こえた気がした。
(……ジュニア級とか、クラシック級とか、関係ない。私達は目の前の勝利をもぎ取るためにここにいるんだ)
全国で誕生したウマ娘の中で実力を認められ、選りすぐられたトレセン学園生。その才能の奔流に呑まれてなお折れなかったジュニア級の精鋭達だけが、この舞台に立っている。
――たった18人。ここに立つのを許されたのは、それだけのウマ娘なのだ。数字にして、何千・何万分の1。実力と運で苛烈な競走社会を勝ち抜いてきた強者達――こうして対峙するだけで肌がひりつく。
そして、その中でもひときわ目立つ2人のウマ娘がいる。その2人から目を離せないし、離さない。ほとんど睨みつけるように私は彼女達を威圧し続ける。
上着を着て勝負服を隠した状態で、そのうちの1人――スペシャルウィークがお披露目台の上に立った。重賞以上の競走では、アニメでやっていたように上着をバッと放り投げるのだ。誰がやり出したのかは不明だが、今はパフォーマンスの一環として定着している。
『1枠1番、スペシャルウィークです』
『この子が1番人気ですか。それに相応しい爆発的な末脚を持っていますよ』
実況を受けて、スペシャルウィークが上着を上空に放り投げ――るのではなく、地面に叩き付けた。えっ、という実況の困惑が響き渡る。後続に控えていた私達17人は思いっ切りずっこけた。
『し、失礼致しました。……スペシャルウィークの状態は良さそうですね』
『えぇ。毛艶が良く、身体つきもしっかりとしていますね。見るからに絶好調という感じです。彼女は私イチオシのウマ娘ですよ』
スペちゃんが照れ笑いしながら観客に手を振っている。紫と白色を基本にした、主人公然とした勝負服が見える。こうして目の前にすると、彼女の純粋な強さが怖い。ああやって抜けた雰囲気を演出して、私達を油断させようとしているんじゃ……なんて思ってしまう。まぁ、彼女に限ってその心配はないけど。
『続いては1枠2番、ウィキッドレディ――』
しばらくして横に流れて行ったスペシャルウィークは、トレーナーらしき飴を咥えた男性に頭をチョップされていた。レースに出るウマ娘の一般常識として知られているから、あのパフォーマンスについてトレーナーがわざわざ教えることもなかったのだろう。
『3枠6番、アポロレインボウ。2番人気です』
『彼女のレースにも期待がかかります! 何せ、ジュニア級2000メートルのレコード保持者ですからね!』
私の名前が呼ばれたので、一歩踏み出す。パドックに設置された台に乗り、注目を浴びる形になる。私は前の子がやっていたように、肩に乗せられただけの上着に手をかけ――思いっ切り投げ出した。
刹那、パドックを囲む僅かな喧騒が完全に消え去った。私の周りの視線が驚愕に見開かれ、瞬きさえ忘れているようだった。
(えっ、何この反応……私、やらかしちゃった?)
実況解説さえ沈黙し、不気味な静寂が中山レース場を包む。数瞬の後、ざわざわとした騒がしさが戻ってくる。実況も自我を取り戻したかのように喋り始める。
『失礼致しました……アポロレインボウの勝負服に見とれてしまいました』
『う〜ん、素晴らしい勝負服ですねぇ……意匠に目を惹かれてしまいますよ』
……どうやら、みんなが私の勝負服に驚いてしまったようだ。まぁ、こんなウエディングドレスみたいな勝負服じゃ驚くよね。あはは……。
「こんなに見惚れてしまったウマ娘はアポロちゃんが初めてだ」
「どうした急に」
「前回のレースから更なる成長をしていることに加え、あの闘志、あの勝負服。言葉もない。俺の1番人気はアポロレインボウひとりだ」
「本当にどうしちまったんだ」
パドックでのお披露目が終わると、すぐに本バ場入場が始まる。コースの外柵に行こうとしたとみおを引き止め、その手を握る。これがレース前最後の会話になるからだ。
彼の温もりに触れ、恋心を闘争心に変えていく。心が冷え切っていき、恐ろしいまでの冷静さが流れ込んでくる。
「……トレーナー、行ってくる」
「あぁ。作戦は話した通りだ。……でっかく行け。後悔のないようにな」
とみおの言葉に背中を押され、私は遂にターフに足を踏み入れた。
小走りで駆けていくと、既に本バ場入場をしたウマ娘達が返しウマを行っていた。返しウマとは、簡単に言えばウォームアップだ。バ場状態を確かめると共に、自分の調子を知る重要な行為。
私は颯爽とギアを全開にし、返しウマだと言うのにホームストレートを全速力で駆け抜けた。観客と実況が沸き立ち、歓声が大きくなる。走りたがりのツインターボちゃんの真似をした……という訳ではなく、戦略的行為だ。
『おぉっと、アポロレインボウ全力疾走! 観客が大いに沸き立っております!』
私に2000メートルは
返しウマが終わると、私達ウマ娘は所定の位置に連れて行かれる。すぐさまG1専用ファンファーレが流れ出し、割れんばかりの大歓声が中山レース場を包み込む。地響きに似たそれが収まると、実況がはきはきとした喋りで語り始めた。
『暮れの中山レース場、何と集まった観客は10万人! 有マ記念に全く引けを取らない人数がジュニア級G1に詰めかけました!』
次々とゲートインするウマ娘達。スペシャルウィーク、キングヘイロー、そして私。
あぁ……もう時間になってしまった。本当に始まってしまうのか、G1が。
『3枠6番、アポロレインボウがゲートに収まります』
『彼女の大逃げがこのレースの鍵です! そういう意味では最も注目すべきウマ娘でしょう!』
芝を踏み締めて、捏ねる。ぎゅっという音がして、足の裏に良好な感覚が伝わってくる。……うん、トレーナーの調整のおかげで絶好調そのものだ。
数回深呼吸して、眉間に力を込める。観客席の喧騒がどこか遠くに遮断されたかのような感覚に陥る。思考が澄み切っている。緊張感は吹き飛んで、闘争心だけが心を焦がしている。
『さぁ、全てのウマ娘のゲートインが完了しました。ジュニア級チャンピオンに輝くのは誰か! 中山レース場、芝2000メートル――ホープフルステークス! いよいよ発走です!』
ターフが静寂に包まれる。いよいよ激闘の2分間が幕を開ける。18人の中で1番になれるのは1人だけ。王座につくのは、たった1人。他は要らない。2着以下は不要なのだ。
私が1着になる。他のウマ娘に先頭を譲るものか。ギリリ、と奥歯を噛み締め、怒りに似た闘志に火を焚べた。
ターフが静寂に包まれる。現在気温5度。先日の雪の影響で、芝は重バ場。身体の芯まで凍ってしまいそうな風が吹く中――
――ガシャコン、とゲートが開いた。
『さぁ、各ウマ娘一斉にスタート! 綺麗な出だしです! ポンと飛び出したのはやはりアポロレインボウ、大逃げでレースを引っ張ります!』
『予想通りの展開ですね! 彼女のことですから、ハイペースの展開になるでしょう!』
運命のレースが始まったのだ。反射的にスタートを切り、背中を弾かれるように前傾姿勢になって加速する。私は風を切って第1コーナーに向かい、周囲を確認する。
――誰もいない。どうやら序盤から私を潰しに来る子はいないらしい。そりゃそうだ、私に競りかけるということは即ち敗北を意味する。高速で逃げる大逃げウマと競り合って体力を無くす――そんなことは誰もしたくないからだ。
末脚や体力を使いたくないから、全員が譲るように大逃げウマに先を行かせる。そう仕向けるのが、私達陣営の狙う展開のひとつである。
前走で大逃げによるレコードを記録したのが効いたのかは定かじゃないけど――図らずも、私の大逃げという脚質は予想以上にみんなの脳に焼き付いているらしい。道連れ覚悟で潰してやる、なんて子はいない。ここまでは狙い通りだ。
私は前を向いて第2コーナーに向かう。
マークの付いてない大逃げウマは楽に逃げられる。いや、楽なんてことは無いが――マークが付くよりは大分余裕を持って走れる。向正面に入った私は、スペシャルウィークの位置を確認すべく少しだけ視線を後ろにやった。
――勝つのは私だ。
そんな双眸をしたスペシャルウィークが、
ぞっとした。混乱した。まさか、私のペースが緩んでいる? いや、そんなはずはない。ずっと全力全開で脚を使って逃げている。何故スペシャルウィークがここにいる?
『第2コーナーを抜けて向正面に入りました! なんとなんと、2番手はこれまで後ろ気味の作戦を得意としていたはずのスペシャルウィーク! アポロレインボウが慌てた様子でペースを上げ始めた!』
『大逃げが得意なアポロレインボウとはいえ、これは明らかにオーバーペースです。これは……そうですね。スペシャルウィークがアポロレインボウを
そこまで思考して気付く。――このレースには逃げウマが私以外にいなかった。つまり、スペシャルウィークは逃げ気味の先行作戦を取り、私にプレッシャーをかけに来たのだ。
盲点だった。スペシャルウィークの作戦は
私は彼女に追いつかれないようペースをぐっと上げ、限界寸前の脚を回転させて彼女を引き離しにかかった。しかし、スペシャルウィークは歯を食いしばって食らいついてくる。
「――ぐうっ!!」
(スペシャルウィーク――っ、邪魔をするな!!)
(いやだ!! 私は日本一のウマ娘になるんだ!!)
意地の張り合いか、それともスペシャルウィークの作戦か。とんでもない闘志と熱量が私の背中に突きつけられる。まるで刃だ。
――マークすることに慣れていても、マークされることに慣れていない。それも、世代トップクラスのウマ娘からのプレッシャーなど味わったことがなかった。私の走りの乱れは至極当然の理由からやって来ていた。
『ぜ、前半1000メートルを超えて――タイムは56.1秒!? 先頭で競り合っている2人は持たないぞ!!』
『タイムがどうこう、と言うよりも――怪我をしてしまうのではないかと心配になりますよ!』
展開はオーバーペースもオーバーペース、前半1000メートルを超えて56秒台を刻んだ。応援の声とは違ったどよめきが観客席から聞こえてくる。
――だけど。
タイムがどうした。そんなもの知らない。関係ない。先にゴール板を駆け抜けた者が1着だ――なんて思ってしまうのは、かかってしまっているからなのだろうか。
スペシャルウィークと競り合ったまま、第4コーナーを曲がっていく。2人の意地の張り合い。泥臭さに塗れた死闘。心臓破りのペースを維持したまま私達は最終直線に差し掛かる。
『最終コーナーを抜けて直線に入ります!! 後続は3バ身の差がついている!! これは2人だけの勝負になるか!?』
スペシャルウィークは、私に競りかけてきながらも、しっかりと空気抵抗を受けないように姿勢を低くしている。私の背後に回り、スリップストリームに入っているのだ。憎たらしいほど巧い。
だが、それがどうした。私の根性を舐めるなよ――!
(どけ!! 沈め!! 私が1番だ!!)
(いやだいやだ!! 私が1着に!!)
『残り400メートルを切って、先頭の2人が並んだ!! スペシャルウィークとアポロレインボウ、横一直線!! スペシャルウィーク躱すか!? アポロレインボウ粘っている!! とんでもない粘り腰!! スペシャルウィーク躱せない!! むしろ突き放されるぞ!?』
スペシャルウィークがスリップストリームから抜け出し、私を抜かしにかかる。しかし、そのタイミングを見計らって限界の速度を一段階引き上げる。スペシャルウィークの表情が苦痛に歪む。嘘だろ、という口の動き。
抜かそうとした瞬間に速度を上げられれば、
脚が壊れてしまいそうだ。肺が破裂してしまいそうだ。でも、負けることの悔しさに比べたらこんな苦痛など屁でもない。
(どうだ、見たかスペシャルウィーク!! これが私の根性だ!!)
(まだだ――まだ諦めない!!)
(しつこいな、もう――!!)
『残り200メートルを通過して、アポロレインボウ僅かに前!! しかしスペシャルウィーク懸命の末脚!! 先行気味だったからか、疲れも見えるがどうか!?』
(スペシャルウィーク、私は二度とあなたに負けないと心に決めていたんだ!! 今日は私が勝つ!!)
(――っ)
真横のスペシャルウィークと睨み合う。彼女の呼吸が限界を迎えようとしている。対する私はほんの僅かに余裕がある。
――しかし。
「う、あああぁぁぁあああああああっっ!!!」
スペシャルウィークの気迫が耳をつんざいた。グンと速度を上げるスペシャルウィーク。驚愕する暇などない。スペシャルウィークが息を吹き返した。吹き返しやがった。これが優駿の意地か……!
「ぐ――ぉ、あああああぁぁあああっっ!!!」
涎を垂らし、汗を垂れ流し。何も取り繕わず、私は少し前に出たスペシャルウィークに追いすがった。スペシャルウィークもまた驚愕に目を見開く。
『残り100メートル!! 並んだ並んだ!! スペシャルウィークとアポロレインボウ!! これは首の上げ下げで決まるか!?』
お互い、全身全霊のラストスパート。胸をいっぱいに反らし、或いは倒れそうなほど前傾姿勢になる。
歓喜の瞬間が訪れる。どちらに栄光が渡るのか。
誰もが息を呑んだその瞬間だった。
『あっ、後ろから誰か来ます! あれは――』
「諦めないわ――絶対に!!」
――刹那。
全力で競り合っていた私とスペシャルウィークの内ラチ側。ギリギリいっぱいの隙間を縫うようにして、彼女がその末脚を爆発させたのだ。
――翡翠の電撃。
誰もが唖然とした。その位置から届くのか、と。だって、残り200メートル地点で3バ身は離れていたでは無いか、と。
だが、そんな疑問すら関係ないと切り捨てる。撫で切る。それが彼女の末脚だった。
『き、キングヘイロー!? キングヘイローがすっ飛んできたっ!? スペシャルウィーク、アポロレインボウ、キングヘイローッ!! 最後の競り合いはこの3人だけの世界――!!』
アポロレインボウとスペシャルウィークと競り合う新たな優駿、キングヘイロー。トップスピードの乗りは、後方でずっと我慢していたキングヘイローに軍配が上がる。
競り合い、競り合い、競り合っていたはずが――
――ほんの数センチ。キングヘイローの闘志が、前に出た。
不可能を可能にするのが彼女――キングヘイローだった。
『――ゴールッッ!! お見事!! 年内最後のレースを勝利したのは――キングヘイロー!! 三強対決を制し、ジュニア級チャンピオンに輝いたのは――キングヘイローだっ!!』