ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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22話:来年に向けて

『――ゴールッッ!! お見事!! 年内最後のレースを勝利したのは――キングヘイロー!! 三強対決を制し、ジュニア級チャンピオンに輝いたのは――キングヘイローだっ!!』

 

 ――ハナ差。私がキングヘイローに付けられた差は、悔やんでも悔やみきれないそれだけの差だった。

 

 数ヶ月、いやそれ以上の月日をこのレースに費やしてきた。努力して努力して、それこそ血反吐を吐きそうなほど苦しみ抜いて。それが――たった数センチ差の結末。

 

 悔しさは湧いてこなかった。ただただ呆然と、現実を理解できずにいた。

 

 速度を緩め、膝から崩れ落ちそうになりながら内柵に寄りかかる。大歓声が中山レース場に響き渡る中、電光掲示板が点灯した。

 

 タイムは2:00:8。

 1着はキングヘイロー。

 2着はスペシャルウィーク。

 3着はアポロレインボウ。

 

 全てがハナ差の表示であった。愕然と身体中から力が抜ける感覚がした。

 ――スペシャルウィークにも負けたのか、私は。()()()()()と思っていたのに。これが彼女の底力なのか。

 

 息が切れ、酸欠に陥りそうになる。そのまま地面に倒れ伏しそうになった時、私の肩を支える手があった。緑の勝負服――キングヘイローだ。

 

「……キングちゃん」

「アポロさん、大丈夫?」

「うん、何とかね……」

 

 雪混じりの重バ場を走った影響で、彼女の勝負服は汗と泥まみれだった。彼女の艶やかな髪は額や頬に張り付き、端正な顔が土に汚れている。

 

 私達が飛ばしてしまった泥や土を顔に受け、それでも真正面から食らいついてきたのだ。その根性には天晴れと言うしかあるまい。

 

「1着おめでとうキングちゃん。まさかあんな所から届くとは思いもしなかったよ……」

 

 肩を支えられながら、私はキングちゃんに向けて力の抜けた笑みを浮かべる。今日は完敗だ。きっとキングちゃんをマークしていても結果は変わらなかった。私をマークしに来ていたスペちゃんにかけられて、今日と似たような展開になっていただろう。

 

 彼女と話したことで、爛れるような悔しさと全力を尽くした結果の爽快感が胸をすかした。屈辱、無念、後悔、その上に「もう一度やりたい」という清々しいまでの期待が膨れ上がる。

 

 そうだ、また戦いたい。キングちゃんやスペちゃんがいれば、私はもっともっと強くなれる。私はキングちゃんの顔に付着した汚れを手で払い、髪の毛を整えてあげた。くすぐったそうにしながら、キングちゃんは私に熱の篭った視線を投げかけてくる。

 

「……私が勝てたのはアナタのおかげよ」

「え……私?」

「どんな苦境が待ち受けていようと、前だけを見続ける。自分を貫き続ける。それを徹底したから、このタフなレースを勝つことが出来たのよ」

 

 スペちゃんが私達の下に駆け寄ってくる。微かに悔しさの浮かぶ表情だが、私と同じく清々しい余韻が勝っているようだった。

 

「キングちゃん、おめでとう!」

「スペシャルウィークさん。……まさか、アポロさんにつけて前目の展開に持ち込むなんて驚いたわよ」

「私だってキングちゃんの末脚にはビックリしたんだから! むぅ、もっとトレーニングしなきゃなぁ……」

「キングちゃん、そろそろウィナーズサークルでインタビューが始まるんじゃない? みんなが待ってるよ!」

「い、いっけない! ごめんなさい2人共、またウイニングライブで!」

 

 キングちゃんは私を解放してスペちゃんに任せた後、ウィナーズサークルに向かって走り出した。

 

 スペちゃんと向かい合う。ギラギラと枯れない闘志を秘めた双眸が私を捉えている。

 

「キングちゃん、強かったね」

「……お互いマークして潰し合っちゃって、キングちゃんの末脚を忘れてたねぇ……」

 

 軽口を叩き合うように、短い会話を交わす。私はスペちゃんの肩から離れ、1人で歩けるよと示してみせる。私達もそろそろ控室に向かってウイニングライブの準備をしなければならない。

 

 ウィナーズサークルの方角に目をやると、キングちゃんの言葉に反応したのか、ワッと歓声が広がっていた。スペちゃんも釣られてウィナーズサークルに視線を彷徨わせると、バ道の方角に向かって歩き出した。

 

「アポロちゃん、()()()()()()

「……あったりまえじゃん。キングちゃんにもスペちゃんにも、絶対負けないから」

 

 私はスペちゃんの背中を見送った後、少し間を開けて控室に向かった。膝が笑っていて上手く歩けない。しかし、怪我をしたとか骨折したとか、そういう異常は見られない。まずは怪我なくG1を走りきれたことを誇るべきだろう。

 

 しかし――私は3着。マークしていたスペシャルウィークにさえ前を行かれ、仕方なくマーク対象から切り捨てざるを得なかったキングヘイローには1着をかっ攫われた。

 

 悔しいが、もう決まったことだ。相手が強かったと唇を噛み締めるしかあるまい。ただ、レース中の失敗は真正面から受け止め、来年のクラシックに活かすのだ。ジュニア級レースは全て終わった。もう私達のクラシック級は始まっているのである。

 

 まずは()()やプレッシャーへの対策を考えるべきか。スペシャルウィークに強烈なマークをされた結果、私はペースを大きく乱して2000メートルを走るには破滅的なタイムで暴走してしまった。

 

 こんなのじゃ、来年成長してくるであろうみんなに太刀打ちできない。早急にトレーナーに話をして、そこら辺の対応も考えておかねばなるまい。

 

 そんなことを考えているうちに、私は控室の前にやって来ていた。中にトレーナーの気配がする。

 

 私は特に躊躇もなく扉を開いた。向こう向きの背中が見えた。とみおだ。

 

「……トレーナー、ごめん。私、負けちゃった」

「アポロ……」

 

 私は肩を竦めて彼に言った。敗北の報告などしたくはなかった。とみおがゆっくりと私に近付いてくる。

 

 とみおのことだから、私を見損なう――なんてことはないだろう。でも、間違いなく()()使()()()()()()()だろう……という事実が身を抉るように辛い。私は彼が目の前まで迫ったのを確認して、きゅっと目を閉じた。

 

「――良く、無事に帰ってきてくれた……アポロ」

 

 スーツの彼は汗と泥に汚れた私をしかと抱き締めていた。そうだ、彼はどんな結果だろうと優しく受け止めてくれる。だからこそダメなのだ。この優しさに触れ続けたら、私は弱くなる。甘えていたらダメなんだ。

 

 私は彼の抱擁から抜け出そうとするが、想像以上の力が加わっていて抜け出すことは叶わなかった。背中に手を回されて窮屈な状態のまま、抗議するように彼の顔を見上げる。

 

「――っ」

 

 彼は泣いていた。上を向き、涙を零すまいと肩を震わせていた。

 

 何故泣いているのか分からないわけではない。しかし、私自身よりも悲しんでいるのを見て、微妙な気持ちになった。私達は悲しんでばかりいるわけにはいかないのだ。さっきのレースで得られたことを元に、更にトレーニングを重ねないと。

 

 そう言おうとすると、彼の涙声が私の頭上から飛んでくる。

 

()()()()()()()()()()。無茶なペースの中、良く前に残ってくれた。あんなハイペースのレースで怪我をしなかっただけで、俺は……俺は……」

 

 何を言っているかはよく分からなかった。でも、私が思っているよりも深刻な心配があったようである。先程頭の中に思い描いていた言葉を失って、私は無抵抗で彼の腕の中で力を抜いた。

 

 しばらくすると、気が済んだ彼が私を解放してくれた。ちょっと寂しかったが、私はコホンと咳払いして至って普通の表情を取り繕った。

 

「もう、息が苦しかったんですけど」

「ご、ごめん……」

 

 私から離れた彼のスーツが汚れているのが分かる。ふと鏡に映る自分が目に入った。純白の勝負服は泥に塗れ、先程のレースがどれだけの激戦であったかを物語っていた。

 

 ……そう、むしろ私は誇るべきだ。超ハイペースに持ち込んでなお3着に粘り込めた。不得意な2000メートルのG1で掲示板内に入ることが出来た。()()それで充分ではないか。

 

「……とみお。来年、絶対勝とうね」

「あぁ」

 

 センターをキングちゃんに譲り、3番手で踊るウイニングライブ。「ENDLESS DREAM!!!」の歌詞を紡ぎ、振り付けを踊りながら、私は大盛況の客席に向かって心からの笑顔を振り撒いた。

 

 勝負の楽しさと、敗北の悔しさ。このホープフルステークスで、私はその両側面を知ることになった。

 

 アポロレインボウのジュニア級は5戦2勝。主な勝ち鞍は1勝クラス紫菊賞。

 

 最強ステイヤーにはまだまだ程遠い。

 しかし、その兆しが見えないわけではない。

 私はトレーナーと走り続けるだけだ。

 

 ウイニングライブを笑顔で終えて、私は未来への期待に心を膨らませた。

 

 

 

 

 ホープフルステークスが開幕して早々、桃沢トレーナーは悲鳴を上げそうになった。

 

 アポロレインボウが刻むペースが速すぎたのだ。柵に手を付き、前のめりになってレースに齧り付く。

 

 原因は明らかだ。アポロレインボウをマークしに来たスペシャルウィーク。お互いにマークし合う形になって、暴走気味にペースが上がっている。

 

 実況が驚愕しながら読み上げたタイムは、前半1000メートルで56.1秒。頭のおかしくなりそうなタイムだ。まるでスプリント戦の時計ではないか。

 

 こうなると、トレーナーの脳裏には「競走中止」の文字がチラついた。元々行きたがりのアポロレインボウが作り出した破滅的ペース。全員がそれに付いて行けば、その内の誰かが潰れて怪我をしてしまうかもしれない。それが最も気がかりだ。

 

「た、頼む――誰かの怪我だけは止めてくれ、神様……!」

 

 ペースが上がる、それ即ち脚部への負担が増すということ。ウマ娘がレース中に自分を客観視するのは難しい。燃え盛る闘志と勝利への欲求が爆発し、「脚が壊れてでも勝ちたい」と短絡的な思考に結びつくことも考えられる。

 

 アポロ、違和感を感じたら止まるんだぞ――トレーナーは片手でメガホンを作ってそう言おうとした。しかし、それ以上に「この狂気の時計が刻むレースを最後まで見届けたい」という狂人じみた考えもまた湧いてきていた。

 

 一瞬でもその思考がチラついた己に嫌気がさす。ただ、レースに携わる職業である以上、限界のその先を見たいという考えもまた普遍的なのかもしれない。

 

 ぐっと拳を握って、桃沢は相反する2つの感情を抱える。トレーナーとして持つべきはアポロレインボウの無事を祈る気持ちだ。だが、どうしても彼女の作るレースを見届けたい。桃沢の気持ちはぐしゃぐしゃだった。

 

 トレーナーは祈るようにアポロレインボウを見つめる。彼女は明らかに無理している。先頭であのペースを作っている彼女は、いつ脚を怪我してもおかしくない。ゴール前の攻防とはまた違った、ハラハラした恐怖が桃沢トレーナーを襲う。

 

 しかし、第3コーナーを抜けて第4コーナーに向かう彼女を見て、桃沢は更なる異常性に気付くことになる。

 

「ど、どうして――」

 

 ――どうして、ペースが落ちないんだ。桃沢トレーナーはがたがたと震えながら、手元に置いたストップウォッチを見た。1600メートル時点で、1分31秒。狂気の時計だ。1600メートルのレコードタイムに肉薄している。いや、もしかしたら超えていたかも。桃沢トレーナーの震えは止まらない。最終コーナーに向かってなお加速する彼女の姿を見て、アポロレインボウへの恐怖は増していく。

 

 だって、今日は泥のような重バ場だぞ? 足元が悪いのは言うまでもない。内ラチ側はバ場が荒れていて、もはやダートに近い。アポロ達は何も言わずにそれを避けて走っているのだから、当然()()()()()()()()()()()ということだ。

 

 それなのに、2000メートルレコードに迫らんばかりの時計。こんなの、異常を超えて恐怖を感じざるを得ない。トレーナーだからこそ分かる――いや、レースを知る者なら誰にでも理解出来るアポロレインボウの異常性。

 

「頑張れアポロちゃーん!!」

「スペシャルウィーク、差してくれぇっ!!」

 

 様々な声援を背後に、桃沢はレースの行方を見失った。彼はてっきり、アポロレインボウが「最強のステイヤー」になる才能のみを秘めていると思っていた。しかし、これを見てその考えは180度変わった。アポロレインボウは「最強ステイヤー」のみならず、「最強ウマ娘」になる才能を秘めている。そう確信した。

 

 最終直線まで()()()()()アポロレインボウを見て、その考えはより強固に変容していく。もはや勝敗などどうでも良い。いや、細かく言えばどうでも良くはないが――とにかく彼女が無事に帰って来れば、それだけで大きな収穫だった。

 

『――ゴールッッ!! お見事!! 年内最後のレースを勝利したのは――キングヘイロー!! 三強対決を制し、ジュニア級チャンピオンに輝いたのは――キングヘイローだっ!!』

 

 ただ、かち合う同世代のウマ娘が悪かったと言わざるを得ない。超ハイペースに付き合い続けてアポロレインボウを差し切って2着につけたスペシャルウィーク。ペースメーカー不在の大荒れペースの中我慢し続けて、先頭2人を差し切ってしまったキングヘイロー。彼女達もまた「最強ウマ娘」になる才能を秘めた超絶的な優駿達だ。

 

 しかもこの世代には、底知れない芦毛の逃げウマ娘・セイウンスカイや――マルゼンスキーの再来と評される栗毛の怪物・グラスワンダーがいて――世界へ羽ばたくことを目標に据え、それに相応しい実力と才能を秘めた怪鳥・エルコンドルパサーもいるではないか。

 

 あまり戦うことはないだろうが、短距離の雄・グリーンティターン、超万能ウマ娘のハッピーミークもいる。

 

 アポロレインボウは彼女達を目標に据え、戦うことで成長している。あぁ、生まれた世代が良かったのか悪かったのかとことん分からなくなる。

 

 トレーナーはストップウォッチをポケットに押し込んで、青く澄んだ空を見上げた。


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