ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
初日の出を見るために外に出たはいいものの、私達は身体を芯まで凍らせてしまいそうな夜風を浴びて早速尻込みした。
「さっっっむ……!」
「やばばすぎるるる! とととみお、はやくエンジンかけて!」
歯がカチカチと鳴り、首元から吹き込んでくる冷たい空気に私達は絶叫した。すぐさま車に乗り込むが、車内もまた冷え込んでいる。白い息が私達の口元を隠し、冷え切ったシートが私達を歓迎してくれた。エアコンが効いてくるまで地獄のような寒さは続くだろう。
夜明け前というのは最も気温が低くなる時間帯だ。しかも、天気が良すぎるせいで放射冷却が発生し、相乗効果によって強烈な低気温になっているようである。
トレーナーが寒さを誤魔化すようにキーを差し込み、エンジンをかける。あっという間に車が発進して、夜の空気を切り裂くようにトレセン学園の裏門に向かっていった。
「おぉさむ……そうだアポロ。裏門を通る時、守衛さんから見えないように隠れてくれないか?」
「え、何で?」
「そりゃ、君……正月とはいえトレーナーとウマ娘が夜中にこんなことしてちゃまずいかもしれないだろ」
「あー……それもそっか」
言われてみればそうだ。夜中にトレーナーと教え子が車で出かけるなんて教育上よろしくない。禁断の関係が疑われるわけではなく、単純に未成年が夜中に外出するのは健全とは言い難いからだろう。でも、保護者兼トレーナーがついてればいいんじゃないの? とみおの考え過ぎだと思うけどね〜。
「そろそろ裏門だ。隠れてくれ」
「はいは〜い」
私は助手席側のダッシュボード下に身体を滑り込ませた。車がゆっくりと速度を落とし、停止する。とみおが窓を開けて守衛さんと何かを話した後、車はあっさりと通行を許可された。
いい加減姿勢もキツかったので、私はさっさと助手席に座り直してシートベルトを締める。エアコンから吹き出す暖かい風によって車内は快適な温度になっており、上着のボタンを外して少し楽をすることも出来るようになった。もこもこの上着を擦りながら、私はハンドルを握る彼に質問する。
「何話してたの?」
「あぁ、こんな時間にどこ行くの〜って。コンビニに飯を買い込みに行くって言ったら通してくれたよ」
「ふ〜ん。……コンビニでご飯、ねぇ」
「な、何だよ……」
「別に、何も無いけど」
先程の守衛さんとの会話。よく聞こえなかったけど、とみおは守衛さんとある程度顔なじみの様子だった。彼の夜中の外出には慣れた声色だったし……もしかしてトレーナーは、かなりの頻度でコンビニに飯を買い込みに行っているのではなかろうか。だから「あぁ、いつものね」という感じで守衛さんを誤魔化せたのかもしれない。
……とみおは私の生活習慣にはケチつけるくせに、自分の身体は顧みないのか。そんなの不公平じゃない? 文句こそ言わなかったが、私は思いっきり口を尖らせた。車内は暗く、間隔を空けて存在する街灯でたまに照らされる程度だから、とみおは私の不機嫌に気付かない。
今はとみおが若いからいいけど、夜中までお仕事したりコンビニ弁当やカップラーメンに頼ったりする生活が続けば、遠からず限界が来るに決まっている。レースに連続出走し続けると、競走寿命を大きく削ってしまうのと一緒だ。過酷な環境に身を投じていると、精神的にハイになる。だから競走寿命にしろ寿命にしろ、大事なものを削られていることに気付かないし気付けないのだ。
「はぁ……」
思ったよりもとみおの不養生は酷いのかもしれない。なら、せめて私が彼の食生活だけでも改善してあげるべきだろう。担当ウマ娘として、彼を心配するひとりの人間として。
「無理しちゃダメだよ、本当に」
「ん、何か言ったか?」
「……別に」
私は彼の肩をこつんと小突いた。でも、湿っぽい嫌な話はこれまで。今は大好きな人と過ごせるお正月なんだから、めいいっぱい楽しまなきゃ損だよね。
「ところでさ、私達って今どこに向かってるの?」
「おう、穴場の高台だ。……と言っても、トレセン学園付近は都会だから、本当の穴場なんてそうそう無いんだけどな」
「あはは。じゃあ、私達が行くのは人がいっぱいいるダメな方の穴場?」
「いや。俺しか知らない本当の穴場だ」
ちょっと、ドキッとした。彼だけが知る場所。彼は私をそこに連れていってくれるつもりなのだ。秘密の共有という単純な行為がどうしようもなく嬉しかった。
深夜の道路は信号がほとんどフリーパス状態である。年末とはいえ私達以外は誰もおらず、とみおは法定速度以下を守ってその場所に向かって車を飛ばす。走る道は段々と寂しさを増していった。
車内は多少のエンジン音以外しない。私はダッシュボードに積んであった古めかしいCD集を手に取って、無造作に選んだ一枚を備え付けのCDプレイヤーに差し込んだ。
ウィーンガチャという分かりやすい効果音を吐き出してから、ちょっとの間を空けて音楽が流れ始める。流行りのウマ娘バンドの曲だったら私にも分かったのだが、その音楽は聞き馴染みのないものだった。
「……なんて名前の曲?」
「“頂点”って曲。俺が子供の頃、親が車で流しててさ」
「あ〜、あるよねそういうの。と言うか、自分の好きな曲って大体親が聞いてた曲に似てくるんだよね〜」
「はは、分かる。習い事の送り迎えの時に流れてた音楽とかさ、妙に頭に残るんだよな。曲名は覚えてないけど、メロディーは覚えてるような曲ばっかりだ」
小気味よい曲調が転調し、激しさを増していく。されど優しく、胸を打つような透き通った歌声と共に歌詞が紡がれていく。
「……いい曲だね、これ」
「この曲が出た年はトゥインクル・シリーズが盛り上がってたらしくてさ。ライバル同士の争いにインスピレーションを受けて作ったらしい」
彼の言葉通り、歌詞は「夢を諦めない」とか「憧れに向かって」とか、痛いくらいの青春ソングの様相である。とみおが子供の頃――つまり私が産まれていない頃から、人はウマ娘のレースを見ていたんだなぁ。当たり前のことだけど、しみじみしてしまう。
……あ、そうだ。とみおは帰省の予定とかないんだろうか。私は「少なくともシニア級になるまでは実家に帰らない」宣言を過去にしていたらしく、母さんや父さんとはメッセージをやり取りするに留めている。……ま、まぁ、あれだ。私が実家に帰る時は、とみおも連れていこうかな……な〜んて。
「んんっ、とみおは実家に帰る予定とかないの?」
「え? あぁ……しばらくは無いかなぁ。アポロの担当期間が終了するまで、帰るにも帰れないだろうし」
――担当期間。それは、私達の「最初の3年間」にあたる期間である。シニア級2年目になった時点で一旦契約は解除され、そこから再び契約を結ぶか破棄するかを選択できるのだ。私はとみおを手放す気は毛頭ないけれど、中にはあっさりサヨウナラをする子もいるみたい。
「私、とみおの実家にお邪魔してみたいな」
「何でだよ」
「何でって、いっつもお世話になってるからね」
「……トレーナーとして当然のことをしてるまでさ」
トレーナーは車のライトを消すと、エンジンを止めた。どうやら目的の場所に到着したようだ。同時に車から降りて、人気のない駐車場を見回した。持ってきた懐中電灯で足元を照らすと、至る所のコンクリートがボロボロになっていて、ひび割れた隙間から苔や植物が覗いている。
「……本当に人っ子ひとりいないね」
「まあそういう場所だからな」
近郊の忘れ去られた高台は、ボロボロになった駐車場と、ぽつんと1つ設置されたベンチだけが沈黙していた。何のために作られたのか誰も知らない場所。
ここに繋がる道が分かりにくい上に狭いから、みんな入ることを躊躇っているのだろうか。とにかく、私とトレーナーの懐中電灯の明かりしか存在しない空間だ。街の灯りも遠く、頭上を見上げれば星空が広がっていた。
「わぁ――」
「時々、辛くなったらここに来てたんだ。そこら辺に寝っ転がって、ぼーっと星を眺めてさ。……前に来たのは2年以上前だから、結構久々だな」
とみおは慣れた様子で、丘の上にあるベンチに向かって歩き出す。結構足元が悪いんだけど、とみおは糸を引かれるようにすいすいとベンチまで辿り着いてしまった。
私も細心の注意を払いながらとみおの背中を追う。夜明けが近いのか、遠くの空が僅かに白んで星空を押し退け始めている。一度侵攻が始まると呆気ないもので、どんどん果ての空から太陽が昇ってきた。
丁度朝日の一端が見え始めると同時に、私は彼の隣に腰掛けた。お互いに黙って初日の出を見届ける。
年間に365回も日の出は起きているのに、どうして初日の出だけは特別綺麗に見えるのだろうか。1年の始まりの象徴だから? 私達が生来持ち合わせる感性だから? それとも、彼と見ているから? よく分からない。
次第に大きさを増していく太陽に私は目を細めた。横目で彼の様子を窺おうとすると、ほっぺたに硬い感覚が当たる。何だろうと思ってそれを見ると、とみおがコーヒー缶を密かに持ってきていたらしく。
「ごめん、存在を忘れてたから温くなっちゃってるけど」
「ううん、ありがと」
私の好きな微糖コーヒー(ミルク入り)が近くに差し出されていた。ありがたく受けとって、新年初コーヒーを啜る。ずずず、と舌先から苦々しい風味が忍び込んできた。この口の中に残る苦味……やはり新年になっても変わらないものは変わらないなぁ。
「綺麗だね」
「そうだな」
とみおと私はコーヒーを啜りながら、昇っていく太陽を言葉少なく見守り続けた。
「日の出」とは言い難いくらい太陽が位置を上げて、ありがたみも薄れてきた頃。ふと思い出したように私はウマホを掲げて写真を撮った。まずは見下ろす風景と朝日を映したものを一枚、インカメにしてトレーナーの肩に頬を擦り寄せたものを一枚。
後者の写真は後々個人的に楽しむとして、前者の写真を私はウマスタグラムにアップロードしようと考えたのだ。私のウマスタアカウントは1ヶ月前の最後に更新を停止していた。
更新停止……なんて言っても、私はそもそも見る専門だった。1ヶ月前まで、パーマーちゃんやヘリオスちゃんやツインターボちゃんの投稿に「ウマいね!」をしていた程度のゴミ垢である。
何となく写真を投稿しようと考えたのは、まぁ新年になって何かを始めたくなったことが理由の1つ。理由の2つ目は、この写真と共に新しい目標を宣言して自分を追い込むためだった。
人生に1度っきりのクラシック級。あまりにも重く厳しい憧れの舞台で私が戦うためには、自分を肉体的にも精神的にも追い込まねばならない。そのために(居ればの話だけど)私のファンを利用するのだ。ファンに認知されればされるほど、私の宣言が重みを増して自分に返ってくるというわけ。
「とみお、こっちの写真をネットに上げてもいい?」
「……いいよ。ネットの使い方は心得てるな?」
「もちろん!」
「よろしい」
私はとみおに日の出の写真を確認してもらい、「今年も頑張るぞ!」の一文と共に写真を投稿した。すると、10秒もしないうちに「100ウマいね!」されて、滝のようなコメントが通知欄に押し寄せた。
何だ何だハッキングか? いや通知がバグったのか? 想定外の事態に驚きつつホーム画面に戻ると、「120フォロー」の横の「147511フォロワー」の表示に目玉が飛び出した。
「え゛」
「ど、どうした? 誹謗中傷でもされたのか? 心無いDMでも送られたとか――」
「ち、違くて……ウマスタのフォロワー、何もしてないのに14万人になってた……」
「…………??」
「わ、私……何かしちゃったのかな……」
フォロワーが微増し始めたのは、パーマーちゃんヘリオスちゃんとの3ショットがウマスタに上げられてからだ。それからは通知がウザくなって切っていたから、フォロワーが何人かなんて気にしていなかった。まさか、見る専モブウマ娘のアカウントをフォローする物好きが14万人もいたなんて。
最後にフォロワーを確認したのが1000人くらいの時。なんで半年もしないうちに140倍になってるのさ。
慌てた様子で自分のウマホを見るとみお。彼はしばらく画面をタップした後――白い息を吐きながらウマホをポケットに押し込んだ。その表情は柔らかく、コーヒーの苦味で隠そうとしても、こみ上げたような嬉しさが滲み出ていた。
「君の頑張りに心打たれた人が沢山いたみたいだ。……そのフォロワーはアポロの頑張りを応援してくれる人だから、大切にするんだよ」
「……?」
「そろそろ車に戻って、帰り道のついでに初詣をして行こうか」
「あ、うん」
私達は古ぼけたベンチから立ち上がって、車に乗り込んだ。またこの場所に来ることがあるのだろうか。シートベルトを締めると車が発進し、彼の秘密の場所は遠ざかっていった。
最寄りの神社に行く頃にはすっかり朝日も昇り、初詣に来る客が辺りを賑わせていた。お賽銭箱までは長蛇の列が出来ており、定期的にガランガランという音が響いてくる。
「アポロは何をお願いするんだ?」
「こういうのって他の人に言ったら意味ないんじゃないの?」
「確かに」
「まあ、公然の目標としては『菊花賞ウマ娘になる』ことかな!」
「はは、俺も『アポロを菊花賞ウマ娘にする』のが今年の目標だよ」
会話を楽しみながらすれ違う人々に目をやる。着物を着ている女の子が沢山いて、みんなキラキラと輝いて見える。今度は私も可愛い和服を着てみようかな。
私達の番が来たので、五円を投げ入れて両手をパンパンと合わせる。流れでガラガラも揺らしてお願いごとを神様に祈る。
やってから気付いたが、作法ってこれで合ってるっけ。まぁ日本はそういうところに疎いから神様も許してくれるかなぁ。
私は菊花賞ウマ娘になること、そして良き人とのご縁がありますようにとお願いした。とみおはどんなことをお願いしたんだろう。
「……じゃ、帰ろっか」
「そうだな」
初詣と言っても特にやることも無く、私達はトレーナー室に帰った。そしてとみおと一緒におせちを食べたりしながら三が日を終えた。
こうして安らかな日々は終わり、トレーニング漬けの日常が戻ってくる。そんな最中飛び込んできたのは――セイウンスカイとエルコンドルパサーが重賞を勝ったというニュースだった。