ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
正月休みが終わり、1月も中旬になった。学校の授業が再開し、年始特有のドタバタ感が抜けていくと、ちらほらレースに関する噂が耳に入ってくるようになった。そう、クラシック級はもう開幕してしまったのだ。
「失礼します!!」
「うおお!? な、何だアポロか……驚かせるなよ」
「とみお、京成杯の映像見せて!!」
「はいはい、ちょっと待ってろよ」
放課後。トレーナー室の扉をぶち破る勢いで入室した私は、彼に思いっきり食ってかかった。その理由は単純で、セイウンスカイが昨日行われたG3・京成杯を鮮やかな逃げで勝利したらしいからだ。シンザン記念を制したエルコンドルパサーに続いた形になる。
本人に問い詰めたところ、けらけらと笑って「いやいや、セイちゃんは運良く勝っちゃっただけですって〜」みたいなことを言って誤魔化された。最強世代における二冠馬が弱いはずないだろう、と言いかけた口を何とか閉じて、「またまたご冗談を〜」とか言って話の雰囲気を合わせたのを覚えている。
史実で皐月賞を制したのはセイウンスカイだ。スペシャルウィークやキングヘイローを捩じ伏せての逃げ切り勝ち。順調にいけば私も出走することになるであろう皐月賞、最も警戒しておかなければならないのは間違いなく彼女だ。性格的に見ても、彼女は何をしてくるか一番予想がつかない。ゴルシちゃんとはまた別の意味でね。
お前は大逃げだから、セイウンスカイの逃げを上から潰せるだろって? 違うんだな、これが。前までは私もそう思ってたけど、レースはそんなに単純じゃない。逃げの中には
私はソファに座り、モニターに流れ始めた京成杯の映像を食い入るように観察し始めた。
――1月3週に行われた芝2000メートルG3・京成杯。良バ場の中山レース場で行われ、ゲート入りしたのは15人。セイウンスカイは1枠1番のゲートだ。とみおが私の隣に座り、恐らく何度も見返したであろうレース映像を一緒に見てくれる。
さて、映像はまずパドックから始まった。何だかぼんやりした様子のセイウンスカイ。頭の後ろで両手を組んで、時々気の抜けた笑顔を添えて手を振っている。人気は6番人気。
この6番人気は私からすればありえない。スペちゃんやキングちゃん達からしても同意見だろうが、上手いこと猫を被っているのだろう。実際、目に見えるトリック(?)として……わざと髪の毛や尻尾をボサボサにしてみたり、暗い表情を装っているのが見えた。人気を落としてマークを回避する――彼女の考えそうなことだ。
ワザとらしすぎて観客のざわめきが聞こえてくるが、彼女とそのトレーナーは全く気にしていない。精神的にタフというかなんと言うか。
パドックの映像が終わると、本バ場入場が始まった。続々と返しウマするウマ娘達。セイウンスカイはのろのろとした走りで、最低限のウォームアップを済ませていた。
ファンファーレが鳴り響き、ゲートインが進んでいく。逃げにとっては絶好の最内枠に入ったセイウンスカイの眼差しに、ぎらりと光る闘志が宿った。これは来るぞ、と考えたのも束の間、レースが始まった。
全員が横一線のスタート。3人いた逃げウマ娘がすいすいと前に押し出して、ハナを奪い合う。その中にセイウンスカイも混じっていたが、彼女は先頭に立つことなく2番手追走の形になった。
――そう、セイウンスカイはハナに立たなくても力を発揮できるウマ娘なのだ。私やサイレンススズカなんかは先頭にいないと気が済まない逃げウマで、中団に控えてしまえば実力を発揮できない。だけど、セイウンスカイはある程度融通が利く逃げなのだ。それは私のような大逃げがいても、あまり動じずに自分のレースをできるということで。
『最終コーナーを曲がって、セイウンスカイ抜け出した! ぐんぐん加速して後続を引き離していきます!』
ふらふらとペースを変えながら最終直線で先頭に立ったセイウンスカイは、2番手に3/4バ身差を付けての勝利を収めた。
『ゴール! セイウンスカイが僅かに前! 春に迫る皐月賞に名乗りを上げたのはセイウンスカイだっ!』
レース映像を見て思ったのは――計算尽くの逃げだな、ということ。ペースを緩めたかと思えば急激に加速して、周りのウマ娘を戸惑わせているのだ。あえて2番手に控えたことで、先頭のウマ娘をかけてワザとペースアップさせたり、後続のウマ娘――特に『差し』作戦のウマ娘――を意識して
……ん?
……もしかして。
セイちゃんは京成杯を使って本番の予行練習をしているのか?
「とみお、セイちゃんのレース運びで気になったことがあるんだよね」
「ほう?」
「セイちゃんのこの……なんて言うんだろう。必要以上にペース配分を乱してる感じがさ、私とスペちゃん、キングちゃんを意識してるように見えるんだよね」
先頭の逃げウマを私――アポロレインボウに、セイウンスカイが乱した差しの子達をスペシャルウィークとキングヘイローに見立ててレースをしていたのなら、絶好の最内枠にも関わらず彼女がハナに立たなかった理由が理解できる。
――仮に、今のところ賞金的な不安のある私が皐月賞に出られるようになったとして。アポロレインボウ、スペシャルウィーク、キングヘイロー、セイウンスカイが出る皐月賞をこの京成杯と重ねて考えてみよう。
内枠だろうが外枠だろうがロケットスタートを決め、とにかく序盤からアクセル全開でハナを奪うアポロレインボウ。私の背中を追う形でセイウンスカイが2番手になるだろう。後ろに控えたスペシャルウィークとキングヘイローのスタミナ配分を狂わせて末脚を削りつつ、爆走するアポロレインボウのペースを意に介さず最終コーナーへ。そのままアポロレインボウと入れ替わるように先頭を攫い、キングヘイローとスペシャルウィークの追走を凌ぎ切って逃げ切り勝ちをする――のが、セイウンスカイにとっては理想の展開だろうか。
見れば見るほど、セイウンスカイは私達を意識したレース運びをしているではないか。先頭の子のペースを異常に上げ、あえて前が厳しい展開にしている時点で気づくべきだったか。
「……やっぱりアポロもそう思うか」
「でしょ? 明らかにそれっぽいよね!」
とみおも腕を組みつつ頷いてくれる。やはり、セイウンスカイは皐月賞を意識してレースしていたのだ。
「それにしても……セイちゃんってば、こんなにペースを上げたり下げたりして大丈夫なものなのかな? 私がこんなことやったら、ペースを見失っちゃいそうだけどなぁ」
ウマ娘が相手を
それは、言わば諸刃の剣。確かに自分のペースを変えれば多くのウマ娘を惑わすことが可能だが、当然自分自身のスタミナ消費や位置取りも大きく変わってしまう。下手をすれば自滅まで有り得てしまう、ハイリスクハイリターンの賭けなのだ。
私はそういうことをレース中に考える脳がないから、最初から最後まで全力の爆逃げをしている。私のようなレース脳の無い子がトリックを発動しようとしても、間違いなく失敗に終わって負けてしまうだろう。
「これを見てくれ」
とみおがデスクから紙切れを持ってきて私に見せてくる。何だろうと思ってそれを見ると、『2:04:1―――26.0―24.4―26.0―24.4―23.3』という殴り書きの数字の羅列だけが書かれていた。
「……これは?」
「セイウンスカイの出した2000メートルのタイムと、400メートル毎のラップタイムだ。この子は相当体内時計が優れてるよ」
その言葉にぎょっとして、もう一度紙に目を落とした。片手に紙を、片手にリモコンを持って京成杯のレースを見直すことにする。
最初の400メートルはスローペースで1番手を自由にさせ、次の400メートルではペースを大きく上げて前後にプレッシャーをかけている。きっと401〜800メートル地点において、先頭の子はハナを奪い返されると思ってペースを上げたのだろう。焦った先頭のウマ娘はオーバーペース気味になっている。
しかし、801〜1200メートル区間では再びのスローダウン。先頭の子は混乱する。だがペースを戻すこともできず、どんどん前に行く。セイウンスカイの後ろに付けていた子は、彼女が垂れてきたことにより「先頭は暴走気味だ」と判断してペースを落とす。だが、タイム自体は平均的なものだ。
セイウンスカイの仕掛けた罠にハマっていることにも気付かず、1201〜1600メートル区間に入る。先頭の子はセイウンスカイによる再三のプレッシャーによりスタミナを大きく消費しており、最終コーナーで力尽きかけていた。それを見逃さず、セイウンスカイはペースを上げて1番手に躍り出る。後続は判断が遅れた。「暴走していた先頭を追い抜いた」「これはオーバーペースなのでは」「慌てずとも末脚勝負で抜ける」と多くが考えたのだろう。セイウンスカイが差をつけて最後の400メートルに入る。
ゴール板が近づいてきて、後ろの子達は判断ミスに気づく。ゴール板までの距離が想像以上に短く、セイウンスカイを差し切るには足りないのだ。
結局、トップスピードに乗ったセイウンスカイはゴール板を真っ先に駆け抜けた。上位人気の差しウマ達は脚を余し、セイウンスカイの背中を抜き去ることは叶わず。
……なるほど。
とんでもないトリックスターではないか、セイウンスカイは。
「セイウンスカイは次走に弥生賞を選んだらしい。キングヘイローも次は弥生賞。スペシャルウィークはきさらぎ賞に出てから弥生賞かな」
「ひえ〜……トライアルから過酷だね……」
「あぁ。とんでもないメンバーだよ」
ちなみに今年のアポロレインボウの始動は、今週末のオープン戦・若駒ステークス。京都レース場で行われる右回りの芝2000メートルだ。ここを勝たなければ、セイちゃん達と争えるはずもない。あと、賞金的な意味でも勝たないとヤバめである。
理想の予定は「若駒ステークス→弥生賞→皐月賞→日本ダービー→神戸新聞杯→菊花賞」。若駒ステークスに負けると、ワンチャン弥生賞で除外を食らうかもしれないのだ。色んな意味で負けられない戦いである。
ところで、1月2週目のシンザン記念に勝利したエルコンドルパサーの予定は、「シンザン記念→ニュージーランドトロフィー(G2・4月2週目)→NHKマイルカップ」となっているらしい。少なくとも弥生賞や皐月賞には出走してこないみたいだ。
そして、昨年の朝日杯フューチュリティステークスの覇者グラスワンダーについてなのだが……彼女は先日、定期検査に引っかかって骨折が判明した。足に小さな亀裂が入っていたらしい。復帰時期までは知らないが、皐月賞には間に合わないだろうとのことだ。
「……さて。そろそろトレーニングに行くぞ。セイウンスカイ対策はまず若駒ステークスを勝ってから考えること」
「は〜い。じゃ、着替えてくるね! 先に体育館で待ってて!」
「おう」
私は着替えを持って廊下に飛び出した。体育館近くの更衣室に走り、中に入る。すると、顔面に柔らかい感覚がして跳ね飛ばされた。
「ぶぇ!」
「ケ!?」
尻もちをついて鼻を押さえる。鼻血は出ていない。多分人にぶつかったんだろう、謝らなきゃ。涙目になりながら顔を上げると、目の前に手が差し伸べられていた。
「アポロ、大丈夫デスか?」
「エルちゃん」
「怪我はありませんか? 痛くなかったデスか?」
「全然大丈夫、ありがと」
私はエルちゃんの手を取って立ち上がった。前傾姿勢で更衣室に突入したから、幸か不幸かエルちゃんの胸に顔面を跳ね返される形になったのだ。お互いに怪我はしていないっぽい。
私はスカートについた埃を払って、その流れで着替えをしつつエルコンドルパサーと世間話をすることにした。
――現在絶好調のエルコンドルパサー。いっつもマスクを付けていて分かりにくいが、結構……いやかなりの美形だ。元気で明るくて優しくて、ちょっと調子に乗ってグラスちゃんに怒られることもあるけど……とにかく良い子だ。骨折して落ち込んでいたグラスちゃんを慰めていたし、本当に気遣いの出来る子なのだ。
彼女とは話が合う。プロレスについての知識は全くないんだけど、お互いに「いつか海外重賞を取りたい」という目標があるからだ。エルちゃんは凱旋門賞制覇が最大の目標で、私が取りたい海外重賞はゴールドカップかカドラン賞。どちらとも4000メートルの超ロングディスタンスを誇るG1であり、最強ステイヤーを名乗るならば是非とも勝っておきたい海外重賞である。
もちろん、お互いに当面の目標は「国内G1の制覇」。エルちゃんはNHKマイルカップを本命に、私は菊花賞を本命に――もちろん皐月賞や日本ダービーも絶対に勝ちたい――据えているから、海外に挑戦するのはシニア級以降になるだろうけど。
「この前のシンザン記念見たよ! おめでとう!」
「ありがとうございます!」
「完璧なレース運びだったねぇ、惚れ惚れしちゃった」
「むふふ、鼻高々デス!」
エルコンドルパサーが出走した1600メートルG3・日刊スポーツ賞シンザン記念は、見事の一言で総括されるものだった。逃げた2人のウマ娘の後ろ――4番手の好位置に付けたエルコンドルパサーは、誰にも邪魔されることの無い王道のレースを展開した。
目を見張るべくは、第4コーナー終わり際からの超加速。いっぱいになった逃げウマ2人を抜き去り、疾風の如き末脚であっという間に後続を置き去りにした。的確なレース勘から生まれる、漸進するような展開力。一切の無駄を削ぎ落としたコース取りと、レースの王道たる先行押し切りでエルコンドルパサーは1着を掴み取った。
レース後の勝利者インタビューでは、彼女の口癖(?)である「世界最強は? そう、エルコンドルパサー!」という言葉が飛び出した。これから彼女の代名詞として扱われそうな大言である。まぁ、それに見合うだけの実力を持っているから文句の付けようがない。もしあれほどの自信家になれたら、見える景色は今と違ってくるのだろうか。
「ですが、まだまだクラシック級は始まったばかり! 今日も鍛錬あるのみデェス! それじゃあアポロ、また会いましょう!」
「うん、またね!」
ズバッと両手を空に掲げ、高笑いしながらエルちゃんは更衣室から出て行った。ハイテンションな彼女がいなくなると、更衣室の静けさがやけに際立った。……私も、エルちゃんくらい明るく素直になりたいなぁ。
私は着替えを終えてジャージを着ると、体育館に向かって駆け出した。
今日のトレーニングは、室内で反復横跳びや筋トレを行うことになっている。ただ、室内トレーニングの場合、その前にやることがある。受身の練習である。
私はとみおの前で、数セットに渡って受身の練習を行った。これは彼が良しと言うまでしばらく続く。無論、私も本気で受身をする。
別にふざけて受身の練習をしているわけではない。ウマ娘はまず第一に受身を完璧にさせられるのだ。何故なら、高速で走るウマ娘は
筋肉のバランス・健康状態を完璧に保って怪我のリスクを最低限に抑えつつ、最悪の状況を想定して受身を練習しておく。私とトレーナーが本腰を入れて話し合うまでもなく「やろう」という結論に達するほど、その重要度は高い。
私はありとあらゆる最低の状況を想像して、何度も受身を取った。スタート直後の転倒に対して。トップスピードに乗った状態でコーナーを曲がり切れず、遠心力で吹き飛ばされてしまった場合に対して。最終直線の競り合いで、私の前の子が急に意識を失ってしまって追突が避けられない場合に対して。
転ばぬ先の杖になればいいのだけど――私は受身の練習をしている際、ずっとこう思っている。転んで怪我などしたくはない。私以外の子にも怪我なんてしてほしくない。練習だけで済めばいいのに。
しかしそう願っても、毎年1人はレース中の怪我負傷によって夢を断ち切られていく。怪我とウマ娘は切っても切り離せない関係だ。たとえ受身が完璧でも、超絶的な速度の競走に身を投じる以上はリスクを覚悟せねばならない。
ウマ娘とはそういう生き物なのだ。
一見強いように見えて、とても脆く危うい。
だから私達にはトレーナーがついている。
怪我管理において私のトレーナーはとても几帳面で、私の身体を隅々まで知っている。体重から筋肉量から、何から何まで。スパルタトレーニングで変な噂が立ちかけているけど、絶対に一線を超えたりはしないし、怪我をするようなトレーニングを課したりもしない。
彼の管理は絶対で、彼に従ってリスク管理を怠らなければ大丈夫だと――心の底の底で僅かな油断があったのかもしれない。
若駒ステークス当日。
私は右脚に微かな違和感を感じた。