ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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27話:若駒の不穏

 1月4週、京都レース場。レース前日に現場入りをした私達はホテルに泊まり、しっかりと睡眠・休養を取って若駒ステークスに備えた。そして今日、いよいよ新年初のレースが始まろうとしている。

 

 若駒ステークスをたかがオープン戦と侮るなかれ、このレースを制して大成した競走馬は数知れない。トウカイテイオー、ハクタイセイ、ディープインパクトなど名馬がズラリ。言わば栄光への過程であり、己の状態とクラシック戦線で通用するかを占う大事な一戦となる。

 

 第9レース、昼下がりから始まる若駒ステークス。私は午前中に控室にやって来て、さっさと体操服に着替えて体を冷やさないようにジャージを着る。1月下旬で冬真っ盛り、外はめちゃくちゃ寒いからね。身体を温めるつもりで軽い柔軟をこなし、いつでも動けるようにしておく。

 

 若駒ステークスのフルゲートは16人だが、今回は7人での発走となる。寂しいレースだなぁと思うかもしれないが、このレースが10人以上で行われたことはほとんどないらしい。つまり、人数について気にすることはない。以下、出走表である。

 

 1枠1番、ブラウンモンブラン。2番人気。

 2枠2番、パワーチャージャー。3番人気。

 3枠3番、アジャイルタレント。7番人気。

 4枠4番、エンチュフラ。6番人気。

 5枠5番、ジュエルネフライト。5番人気。

 6枠6番、アポロレインボウ。1番人気。

 7枠7番、ディスティネイト。4番人気。

 

 全員の作戦と特徴は頭に入っている。最も警戒しなければならないのは、これまでの4戦を1着2回、2着2回と好走している2番人気のブラウンモンブラン。作戦は先行、距離適性はマイルから中距離。気になったこととしては、彼女のウマスタが「妥当アポロレインボウ!!」(誤字してる)という呟きが多かったことだ。かなりの対策を練ってきているに違いない。

 

 次に警戒すべきは、1着か最下位しか取ったことのない4番人気のディスティネイト。勝つか負けるか、0か1か。末脚が上手くぶっ刺さるか空振りするかの漢らしいスタイルで、早くもコアなファンを獲得しているウマ娘だ。5戦2勝、作戦は追込、距離適性は恐らく中距離と長距離。勝った未勝利戦・1勝クラスのレースは全て5バ身以上の着差をつけてぶっちぎっているが、マイル以下の距離や仕掛けどころをミスったレースでは例外なく最下位に沈んでいる。こういう極端なタイプは誰しも苦手とするところだろう。

 

 軽いゼリー食をお腹に入れて、お茶で喉を潤す。そろそろスタッフが迎えに来てくれる時間だ。私は何回かジャンプをして、その場で旋回を始めた。

 

「そろそろパドックのお披露目が始まるね」

「そうだな。もうスタッフの方も――ほら来た」

 

 彼が言及すると同時、控室のドアがノックされる。私達は京都レース場のパドックに向かった。

 

 京都レース場はそこそこの混雑模様で、ざっと見渡してホープフルステークスの半分くらいの観客が集まっていた。今日は中山レース場でG2・アメリカジョッキークラブカップがある日だ。ライブビューイングに訪れた客も多いのだろう。例によって、私達の走る若駒ステークスはついで程度に見に来たのだろうが――

 

 とにかく。私は目の前の状況に全力で挑むべく、パドックに足を踏み入れたのだった。

 

『1枠1番のブラウンモンブラン、2番人気です』

『好位置から前を捉えるレースで、ここまで全て2着以内の好走を見せています。この世代でもブラウンモンブランほどの安定感を持つウマ娘は他にいないでしょう』

 

 クリーム色の栗毛をショートカットに蓄えたウマ娘――ブラウンモンブランが柔らかく微笑んでいる。ウマスタではかなり強気の発言の目立つ彼女だが、見た目は温和そのものだ。

 

 尻尾や髪のツヤは太陽光を反射するほどに輝きを帯びていて、笑顔の下に見える闘志は熱く燃えている。時々私に視線を送ってきては、お嬢様のようにお淑やかな動作で手を振ってくる。どんだけ意識して欲しいんだ、と思いつつ私は手を振り返した。

 

 そして、私の番が来た。京都レース場の特徴的な真円のパドックに入り、お披露目を行う。にこやかな笑顔を添えて手を振って、私は調子の良さを観客にアピールした。自分でも驚くくらい身体が軽い。ちょっと無理をしても応えてくれそうな、そんな予感がする。

 

『6枠6番のアポロレインボウ、1番人気です』

『気合いが入ってますねぇ。彼女はホープフルステークス3着の実績がありますから、納得の1番人気ですよ』

 

 お披露目を終えて、私はスキップを踏むようにとみおの傍に駆け寄る。トレーナーははにかんで、「調整が上手くいって良かったよ」と胸を撫で下ろしている。

 

 G1・ホープフルステークスというジュニア級の大目標に向けて長期に渡る調整をしていたから、とみおは私の調子が下り坂なことを気にかけていたのだ。彼が上手く調子を上向かせてくれて、見事若駒ステークスにピークをぶつけることができた。

 

 私はとみおにブイサインを作って、他の子のお披露目を待った。

 

『7枠7番のディスティネイト、4番人気です』

『圧勝か最下位か……その極端なレースぶりが人気を博しているウマ娘です。今年は個性派に実力派に賑やかな世代ですねぇ』

 

 黒鹿毛ロング、勝気な雰囲気のウマ娘が拳をぐるぐるとぶん回して観客を盛り上げている。ディスティネイト――ムラっけの塊のようなウマ娘。トレーナーの制止を無視して柵に乗り上げ、何かを叫びながら観客を煽っている。

 

 色んなウマ娘がいるのだなぁと思いながら、パドック内を歩き回ることにする。トレーナーとパドック内のウマ娘の様子を確認して、マークするウマ娘の変更がないかを小声で話し合う。大まかな変更はない。1番にマークするのはブラウンモンブラン。不穏な動きを見せ、上位に食い込む動きを見せた場合はマークをディスティネイトに変える。

 

「いいか。爆発した時に怖いのはディスティネイトだ。勝手に自滅してくれれば嬉しいんだが、データが足りなくて細かい判断がつかん。だから、第4コーナーに入って上がってきそうだったらマークを変えるんだ」

「分かっ――」

 

 そして会話の途中。突然、かくん――と、右脚の力が抜けた。

 

「アポロ!?」

 

 とみおが叫ぶ。右膝が地面につく寸前、彼が腰を支えてくれた。とみおの叫び声に、レースに出場するウマ娘とそのトレーナーがこちらを向く。観客もちょっとした騒ぎに気付き、視線が集まる。

 

「どうした!? どこか怪我したのか!?」

「け、怪我っていうか、何か変なの――」

 

 右のふくらはぎが痙攣している。確かに、今日は己の脚にほんの僅かな違和感があった。しかし、それは喉に米粒が一瞬引っかかった程度のもので。10秒もしないうちにその変な感じは消えたし、その後も特に何も無かったはずだ。

 

 その程度の違和感をとみおに言い出すのには勇気が必要だった。親に怒られることを何より嫌がる子供のような心境。だが、今はどうだ。未知の不安と自分を襲う異常に恐れおののいている。彼に違和感を伝えなかったことを酷く後悔した。だが――言えない理由もまたあった。

 

 右脚の感覚が遠い。圧迫感に似たモヤつきと、痺れるような不快感が右のふくらはぎに絡みついてきている。私は彼の袖を引き、ひとりでに震える右脚を見せつけた。

 

「な、なにこれ、どうしよう、私――」

「――触るぞ」

 

 観衆が見守る中、とみおの触診が始まる。この時には既に、この場にいた全員が私を見ていた。ある者は単純な疑問の目を、そして勘の鋭い者やウマ娘は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()視線を向けていた。

 

『おっと――アポロレインボウ、異常発生か? 何やら騒ぎになっています』

『大事でなければ良いのですが』

 

 ウマ娘用の医学書を読んでいた私には、この症状の心当たりがいくつかあった。ただ、知っているのと味わうのでは違うのだ。致命的な異常なのか、大したことがないのか、皆目見当もつかない。

 

「おいおい……アポロちゃん、大丈夫か?」

「まさかとは思いますが、アポロちゃん……あなた――」

 

 パドックの一角に腰を下ろした私に近づいてくるディスティネイトとブラウンモンブラン。私はその2人に「分からない」と短く言って俯いた。

 

「桃沢トレーナー、少しよろしいですか?」

 

 私の靴と靴下を脱がせてくれているとみおの横、前髪をかき上げながらブラウンモンブランが腰を下ろした。とみおは私の右脚から目を離さず、ブラウンちゃんと短い会話を交わす。

 

「何か用か、今は見ての通り一刻を争う状況なんだが」

「私、親の影響でスポーツ医学に多少精通しておりまして。アポロちゃんの()()の理由が分かるかもしれません」

「本当か」

「私がこの場で嘘を言う必要はありませんよ。無論、桃沢トレーナーより知識は劣るやもしれませんが――」

「いや、構わない。知識はあればあるだけいいからな……よし、ブラウンモンブランさん、君もこっちに来てくれ」

「承知致しました。私のトレーナーにも様子を診させますので」

「……助かる」

 

 素足になった私の周りを、とみお、心配そうに眉根を寄せたディスティネイトとそのトレーナー、ブラウンモンブランとそのトレーナーが取り囲んだ。ディスティネイトが混乱する私の肩に手を置いて、「大したことねぇから大丈夫だって」と励ましてくれる。

 

 何だか、当人を置いて事態が大きくなり始めていた。パドックの周囲のざわめきは非常に大きく、そして何故か遥か遠くに聞こえる。若駒ステークスの出走取消――いや、ひょっとしたら、二度とレースを駆けることが叶わなくなってしまうかもしれない。

 

 瞼の裏に湧いてくる最悪の状況。訳の分からないくらいの激情が溢れ出して来て、叫び出しそうになる。ネガティブが加速し、視界が大きく歪み、涙が止まらなくなる。

 

 そんな中でも私を取り囲む人達は冷静そのものだった。その手で触診を行ったとみお、並びにブラウンモンブランとそのトレーナーが顔を見合わせて何らかの討論を展開している。

 

 私が聞き取れた単語は「骨折ではない」「屈腱炎でもない」とかその程度だ。最悪中の最悪――というわけではないようで、ほんの少しだけ安心する。

 

 でも、指圧されると右のふくらはぎが痛むのだ。泣きながらそれを伝えると、彼らは顔を見合わせて更なる議論を交わし始めた。松尾トレーナーと呼ばれた男性――ブラウンちゃんのトレーナーだ――は糸目を開いて私の右脚を間近でずっと見てくる。

 

 しばしの観察が終わると、松尾トレーナーはとみおとモンブランちゃんと言葉を交わし、私に向かってこう言った。

 

「桃沢さん、アポロさん。これ、コズミじゃないですか」

 

 ――コズミ。所謂、ウマ娘における筋炎や筋肉痛の俗称である。軽症の場合は指で圧すると痛みが出る程度だが、重症の場合は歩行が乱れたり走行フォームに狂いが生じてしまう。動きがスムーズでなくなり、歩行がぎこちなくなったのはこのせいだったのか?

 

「ええ、間違いないと思います……」

 

 とみおが歯を食いしばって頷く。私は胸を撫で下ろした。コズミというのは、軽度であれば通常はレース前のウォーミングアップで改善されるのだ。だが、松尾トレーナーは誰もが感じていた疑問を口にした。

 

「しかし、少し怖いですね。突然脚が痙攣して立てなくなるだなんて。寒さのせいだとしても、あのレベルの痙攣はちょっとおかしいですよ」

 

 そう――コズミの症状とは思えない現象が私の右脚に起こったのだ。大まかな症状はコズミに共通するものだが、それだけが心配である。私は涙目でみんなを見上げる。ディスティネイトとブラウンモンブランが私の背中をさすってくれているので、大分落ち着いてきた。

 

 松尾トレーナーが顎に手を当てて、とみおにぼそりと呟いた。

 

「桃沢さん、あなたのトレーニングは厳しいものらしいですね」

「……ええ、アポロには強度の高いトレーニングを課しています」

「休養は……取らせていますよね。ええ。あなたはウマ娘の安全を第一に考えていますから。失礼……何でもありません、忘れてください」

 

 松尾トレーナーの言っていることは分からなかったが、2人のトレーナー間では話が通じているらしく――とみおは苦しそうな表情で首を振り、松尾トレーナーに絞り出すような声で言った。

 

「……いえ。ウマ娘の身体はまだ完全に解明されたわけではないですから……俺のトレーニングの疲れがオフで抜けきっていなかったんでしょう。長期疲労がここに来て呈出してしまったんだ」

「…………」

「……アポロ。このレースは出走取消にしよう」

「えっ」

 

 ディスティネイトが素っ頓狂な声を上げる。「そ、そんなぁ! アタシ、アポロちゃんに勝つために対策練ってきたのにぃ!」というディスティネイトの口を、彼女のトレーナーが慌てて塞いだ。

 

 ブラウンモンブランは俯いている。『仕方ない』という感情と、『非常に残念だ』という無念さの混ざった――如何とも形容しがたい、難しい表情をしていた。

 

 私も納得がいく部分といかない部分があった。

 

「ま、待ってよ! これがコズミなんだったら、ちょっとストレッチとウォーミングアップをしたら治るって!」

 

 そう――コズミとは、言わば筋肉痛のことだ。従って、レース前の準備運動で身体を動かしてしまえば、その多くは解消されるはずなのである。しかし、とみおは一歩も引かない。

 

「いや、許可できない。君の身体が一番なんだ。コズミに加えて、俺達の知らない症状も出たとなると……今レースに出るのは得策とは言えない」

「でも、若駒ステークスを取消したらっ」

 

 ――若駒ステークスを出走取消になれば、弥生賞に出られる可能性がぐっと低くなる。賞金額的にこの若駒ステークスを好走ないし勝利しなければ、弥生賞を除外されてしまうかもしれないのだ。つまり、弥生賞――そして皐月賞や日本ダービーのためには、この若駒ステークスを実質的に回避できないのである。

 

 精神的にも絶好調をキープした今以上の力を出せるかと言えば難しいし、正直な話をすれば無理をしてでも走りたい。そして、この燃えるような闘志と激情に身を任せて、脚を壊してでも1着を取りたいのだ。

 

 とみおの双眸を見つめる。彼の漆黒の瞳が私を見つめている。微かな逡巡の後、眉間に皺を寄せ、涙を零してしまいそうなほど苦痛に顔を歪め、とみおは私の肩を両手で掴んだ。

 

「――君は最強のステイヤーになる逸材なんだ! 今は無理をする場面じゃない……!」

「っ……でも、こんなに頑張ってきたのにレースを走れないなんて……」

 

 私は背中を支えてくれるディスティネイトとブラウンモンブランの顔を見る。ディスティネイトは涙目で、ブラウンモンブランは瞳を閉じて辛そうに天を仰いでいた。

 

 誰もが微妙な反応をしている辺り、違和感を押してレースに出るか――異常を重く見てレースを回避するかは難しい問題なのだろう。

 

「じゃあさ、こうしようよ。返しウマで軽いランニングをして、まだ違和感があるようだったら走らない。違和感が()()()()()()無くなってたら、全力で走る。……どうかな?」

「…………」

 

 とみおは私をほとんど睨むような視線を送ってくる。彼とて心配してくれているのだ。その気持ちは分かるけど、それ以上に若駒ステークスに備えてきた時間と努力を無駄にしたくないというか――私のために頑張ってくれていたとみおに、1着を取る私を見てもらいたいという気持ちがあった。

 

 私がおかしいのだろうか。それとも、彼が正しいのだろうか。

 しばらくの間、私達は敵同士のように睨み合っていた。

 

 すると、彼が諦めたように視線を逸らした。

 

「……松尾さん。最悪の事態に備えて、URAの職員の方々に事情を話しておいていただけないでしょうか。担架と医療班の準備はこちらがしておきます」

「いいですよ。では、奥田さんはレース遅延についての説明をお願いします」

「あ、ウス。向こうさんも困ってるでしょうしね、早めに言っときましょう」

 

 ディスティネイトのトレーナー……奥田トレーナーが頷くと、松尾トレーナーと奥田トレーナーはパドック奥のスタッフ専用スペースに駆けて行った。

 

 とみおが私の肩を強く掴み、ぐっと力を込める。

 

「……アポロ。ごめん……」

「何で謝るの……無理を言って走ろうとしてる私が悪いんだから」

「…………」

「……絶対、大丈夫だから。あなたが育ててくれたアポロレインボウだもん――絶対、無事に帰ってくるよ」

 

 とみおは俯いたまま、遂に私の顔を見つめ返してはくれなかった。





【挿絵表示】

前回頂いた寝娘 様の絵、なんと未完成のものだったらしく……カラーつきのものが送られてきました!
色がついたことで解像度が更に上がりましたね。額縁に入れて飾りたいです。

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