ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
大学病院に行った私は、早速右脚の精密検査を受けることにした。右脚の筋肉を最新鋭の機械によって確認し終わると、結果が出るまで待合室で待たされることになった。でっかい機械で右脚をウィンウィンされたのは色んな意味で怖くて、機械恐怖症もとい病院恐怖症になりそうである。
違和感はすっきり抜けきったが、刺激を与えるとまずいかもしれないので、私は今車椅子に座らされている。トレーナーがゆっくりと車椅子を引いてくれているため、歩かないでいいし楽である。ただ、こんなに大事にされると何故か申し訳なさが出てきてしまうものだ。
病院はとにかく嫌な感じがする。まず臭いが嫌だ。アルコールというか、薬の臭い……これがきつい。時々目眩がして意識が飛びそうになる。そもそも病院にいい思い出なんてないし、本気で絶不調まっしぐらなんだが。
周りを見ると、私の他にも病院を訪れているウマ娘がいた。その多くが脚に包帯やギプスをつけており、見ていて痛々しい。この世に走るウマ娘がいる限り、怪我に泣くウマ娘がいるのだろうか。
「怪我なんてこの世から無くなればいいのにね」
「……そうだな」
ここに来てからずっと歯切れの悪いとみおに言葉をかけるが、返ってくる声は弱々しい。多分、病院の雰囲気に当てられて後ろ向きになっているのだ。いい加減、いつもの調子に戻って欲しいなぁ……と言っても原因は私にあるし、何なら診断の結果によってはもっと落ち込むことになるかもしれないのが辛い。
私は隣に座るトレーナーに適時声をかけながらアナウンスを待った。結局、検査から1時間後――私達はアナウンスによって呼び出された。
『アポロレインボウさん、1番の部屋にどうぞ』
「あ、はい!」
「アポロ、座ってなさい」
思わず立ち上がろうとしたところをとみおに制される。危ない危ない……いつもの癖で立ちそうになっちゃった。
車椅子を押されて指定の部屋に入ったところ、白髪のお医者さんがカルテを広げて向こう向きの状態で出迎えてくれる。看護師さんが扉を閉め、白い部屋の中は4人だけになった。
お医者さんが椅子を回転させ、私ととみおの顔を交互に見る。私達はどきどきしながら彼の言葉を待った。
「アポロレインボウさんの右脚ですが――悪性寸前のコズミですね」
「っ……」
「アポロさん。最近過度なトレーニングをしたとか、無理をしたとか、そういうのはありますか」
「過度なトレーニング……まあ、結構な強度のトレーニングは去年の5月くらいからずっとやってます。あ、でも無理をしたとかじゃないんですよ!」
「…………」
お医者さんはトレーナーの顔を見て、瞳で問う。とみおが無言で頷くと、お医者さんは紙に何かを書き込んでいく。
「桃沢さん、アポロさん。2月に入るまではランニングとかの激しい運動は禁止ね。あと、踏ん張るようなトレーニングもダメ。日常生活には車椅子は不要だけど、完全安静にしてくださいね。それと、今後についてしっかりと2人で話し合ってください」
バインダーに挟んだ紙を看護師さんに渡し、パソコンに何かを打ち込むと、お医者さんは「お疲れ様でした」と言ってにこやかに微笑んだ。あまりにもあっさり終わったと言うか何と言うか。いや、大事であった方が良かったとかそんなのじゃないんだけど……まぁ、とにかく身構えた割には軽度の怪我で良かった。……これって軽度なのかな? よく分かんないけど、すぐに治りそうだし悪くはないか。
車椅子が要らなくなったので、待合室に戻った私はすぐに車椅子から立ち上がった。とみおはさっきからずっと後ろに立って、私がいちいち動く度に手を伸ばしてくる。
「もう。運動しなければどうってことないんだし、そんなに心配しなくていいよ」
怪我は軽〜中程度のものだ。今後1週間一切の運動が出来ないのは痛いが、その時間はレース研究に当てれば良い話。時間を無駄に使わなければ、スペちゃん達との実力差が開くことは無い……はず。
ただ、ジュニア級からの半年間でここまでの筋疲労が溜まっているのは予想外だった。あのお医者さんの「今後について話し合え」という言葉には、そういう意味があるんだろうか。
私達はタクシーに乗ってホテルに戻り、その足で新幹線に飛び乗った。トレセン学園に戻ってやらなければならないことは沢山ある。これから大変になるぞ。
私は胸に荷物を抱え、眠りについた。
後日、トレーナー室にて――
私は意外な人物の来訪にぎくしゃくしていた。
「こんにちはアポロレインボウさん。あなたの噂はそこの桃沢君からよく聞いているわ」
「こ、こんにちは天海トレーナー……初めまして」
天海ひかり。20代後半、黒髪をサイドアップにした、ちょっと気の抜けた雰囲気のある女の人。しかしその実、メジロマックイーンのトレーナーを勤め上げた現役トップレベルの人物である。
放課後。いつもみたいに雑なノックでトレーナー室に入室したら、天海トレーナーがいたものだから……私はぶったまげた。だって、トレーナーの中でもトップクラスの御仁だもの。スペちゃん担当の沖野トレーナー、エルちゃんグラスちゃん担当の東条トレーナー辺りがトップティアーである。まあ結局はウマ娘当人の努力に依存するところがあるから、トレーナーの実力なんて一概には言えないけどね。相性とかもあるし……。
さて、天海トレーナーと言えば、私のトレーナーこと桃沢とみおの師匠である。とみおがそんな彼女をトレーナー室に呼んだ理由が分からない。決して疑うとかじゃないが、どうしても警戒感が出てしまう。
「……ご、ごめんねアポロさん。別に偵察とかをしに来たわけじゃなくて……あなた達の今後について助言を欲しいって、桃沢君から頼まれたのよ」
あたふたしながら両手を振って、とみおに話を振る天海トレーナー。控えめに言って彼女の雰囲気が頼りなさすぎて、失礼ながらこんな人がメジロマックイーンのトレーナーをやっているのか疑問に思えてしまう。
「とみおが天海トレーナーを呼んだの?」
「……あぁ。新人トレーナーの俺じゃ、色々と限界だったんだよ。天海さんの力を借りないと、また同じことが起きると思ってな……」
とみおがコーヒーとお菓子を天海トレーナーに差し出す。彼女はぱっと目を輝かせてそのお菓子を食べ始めた。「桃沢君、私の好みを覚えてたんだ!」とか言い出したから、ちょっとムッとしてしまう。
「アポロ、そろそろ大事な話をするからそこら辺に座ってもらっ……おい、何で俺の隣に?」
「別にいいでしょ」
「……まぁ、いいけど。それじゃあ、始めようか」
私は丸椅子をわざわざ持っていって、彼の隣に腰掛けた。尻尾をとみおの背中に巻き付けて所有権を主張しつつ、私達の「話し合い」が始まる。
「えー、まず俺達の今後で整理しておかなければならないのは、大まかに2つ……『次走について』『トレーニング強度と方法について』だ。特に後者については俺の知識と経験が不足していて、このまま突き進めば
「……うん」
「じゃあ、まずは次走について話し合おうと思う。今一度俺達の目標を確認するが――今年は『菊花賞』を大目標にしている。間違いないな、アポロ?」
「うん。私の夢は最強のステイヤー……菊花賞でそれを証明したい」
「良し……俺達の目標はブレてないな」
私の目標は『最強ステイヤー』。そこは全くもってブレていないつもりだが、時間が経った結果二人の間の目標がズレていました、なんてことは案外容易に起こり得る。こうして口に出して確認するのは大事なことだ。
なまじ2000〜2400メートルを走れるようになっていただけに、とみおの目標が『アポロレインボウを三冠ウマ娘にする』ことになっていてもおかしくはなかった。そこはブレないでいてくれて非常に助かった。実は私自身、調子に乗ってそうなりかけた日があったのは秘密だ。
天海トレーナーは、チョコクッキーを頬張りながら私達の会話を黙って傍観している。何かを納得したように頷いて、コーヒーを啜ってニコニコしていた。ちょっと気持ち悪い。
とみおがデスクから紙を引っ張ってきて、視線をその紙の上で彷徨わせる。ペンを唇に当て、数回叩くような動作を見せた後、彼はゆっくりと口を開いた。
「……さて。
そう言って、とみおはテーブルに紙を滑らせた。その紙の上には、汚い文字で『すみれステークス(2200m)→テレビ東京杯青葉賞(2400m)→日本ダービー(2400m)→神戸新聞杯(2400m)→菊花賞(3000m)』と書かれていた。
これは私が苦手とする2400メートル以下の距離を極力絞った――と言うか皐月賞を完全に捨てるローテーションだろうか。私も色々なローテーションを脳内で考えていたのだが……これと一緒のローテーションが1番いいかな、と思っていたところだ。しかし、このローテーションではとあることが問題になってしまうのだ。
「でも、このローテーションだと――」
「……そう。これは予想でしかないが、出走レース的に
――私が絶対に対策しなければならないウマ娘は、5人。
絶対的実力を秘めたウマ娘、スペシャルウィーク。
世代屈指の末脚、キングヘイロー。
予想のつかないトリックスター、セイウンスカイ。
王道のレース運びで後続を封じる怪鳥、エルコンドルパサー。
未知なる栗毛の怪物、グラスワンダー。
そして菊花賞を目標に据えた時、ライバルとなって立ち塞がるであろうウマ娘は――スペシャルウィークとキングヘイローとセイウンスカイ。そう、セイウンスカイが1番の問題なのだ。
だから、(今の予想では)彼女達と戦うのが『日本ダービー』だけでは足りないのだ。とみおはそういうことを言っている。実際、セイウンスカイは史実なら神戸新聞杯ではなく京都大賞典に行ったし……彼女の出走するであろう皐月賞もセイウンスカイ対策に費やしたいところ。
「次に、対策を積むという意味での理想のローテーションは……これだ」
そう言って、とみおがもう1枚の紙を取り出した。『若葉ステークス(2000m)→皐月賞(2000m)→日本ダービー(2400m)→神戸新聞杯(2400m)→菊花賞(3000m)』と書かれたこの紙の内容は、ある意味もうひとつの理想ローテーションか。
何度でも言おう。私達は、栄光のタイトルである皐月賞と日本ダービーを、
特にその2レースは全員が本気で走ってくるだろうから、私の爆逃げ対策もガチガチに固めてくるはず。つまり、データを取るには都合がいい。距離の違いはあるものの、私の爆逃げ対策の方法を少なくとも2回は集約できるわけだ。
もちろん、データ収集――詰まるところ、ほとんど負け覚悟のような心持ちで走るのは正直嫌だ。負けた時の悔しさと虚しさは決して気持ちの良いものではない。皐月賞も日本ダービーも絶対に取りたい。負けるつもりなんて絶対にない。それでも、本気で勝ちに行くレースを絞らなければ、この世代で勝ち抜いていけない。生まれた世代が悪かったと割り切るしかないのが辛いところだ。
エルコンドルパサーやグラスワンダーは3000メートルへの距離適性が無さそうなのだが、未来のことなんて分からない。今のところの敵はスペシャルウィークとキングヘイローとセイウンスカイ――史実で菊花賞に出た3人に絞られるが、エルコンドルパサーとグラスワンダーもマークしておいて損は無いだろう。
結論を言うならば、次走については『すみれステークス』『若葉ステークス』の2択。つまるところ、皐月賞に出るか出ないかを選ぶことになる。今年の皐月賞は、ほとんど全員が重賞ウマ娘の出走だと予想されていて……勝っても優先出走権のない『すみれステークス』では賞金が足りなくなる恐れがあった。皐月賞に出るならば、2着までに皐月賞の優先出走権が与えられる『若葉ステークス』を選ばなければならないわけだ。
「……さぁ、どっちを選ぼうか」
「…………」
とみおが問うてくる。非常に難しい問題だった。ゆったりとした調整で日本ダービーを経験しつつ、本番の菊花賞に無理なく挑む『すみれステークス・ローテーション』か。春先から激しい戦いに身を投じ、アポロ対策の対策を積むためにクラシック戦線を皆勤する『若葉ステークス・ローテーション』か。
すぐに答えを出せるわけが無い。
だって――
残酷な現実。泣きたくなるくらい厳しい、
欲を言えば全部勝ちたいんだ。皐月賞も、日本ダービーも、菊花賞も、全部全部欲しい。もっと言えば、菊花賞だけだなんて小さく纏まらず――全てを根こそぎ勝ちまくってやりたい。だって、バク逃げの三冠ウマ娘なんてとてつもなくかっこいいではないか。きっと空前絶後のウマ娘になれる。自分のために、とみおのために、G1レースを何度でも勝ちたい。最強ステイヤーである前に最強のウマ娘になりたい。あぁ、理想を追い求めるとキリがない……。
この選択が一生きりのクラシックの道標になる。決定には時間がかかりそうだ、と肩をすくめる。とみおは苦笑して「ゆっくり時間をかけていいぞ」と言った。天海トレーナーもニコニコしている。
「……うふふ。良い信頼関係ね、桃沢君」
「はは、恥ずかしながらアポロには毎回助けられてますけどね。頼りないトレーナーです……」
「いいじゃない。私だってマックイーンには毎度毎度助けられてたわ。時には支え合うのが“人バ一体”ってものよ」
「そんなもんですかね……」
とみおは頭を掻いて謙遜した。天海さんが私の方に向き直り、真剣な眼差しを投げかけてくる。
「アポロさん、桃沢君はとても良いトレーナーよ。この通り、ちょっと扱いにくいところがあるけど……」
「誰が気性難ですか!」
「うふふ」
とみおのツッコミが入って和らぐ雰囲気。天海トレーナーはコーヒーカップに口をつけると、答えを出しかねている私に助言を与えてくれた。
「アポロさん。桃沢君。先輩トレーナーとして助言するなら……あなた達は『若葉ステークス』に出るべきだわ」
「……理由を聞いてもいいですか?」
「……そうね。ちょっとした昔話になるけれど、いいかしら」
私ととみおは顔を見合わせる。二人一緒に頷くと、天海トレーナーはぽつりぽつりと話し始めた。
「ウマ娘は――……いえ、私達はね。ぶつかり合うライバルがいなければ、限界を超えた成長なんて出来ないのよ」
天海さんの話は続く。
曰く、メジロマックイーンはトウカイテイオーを初めとしたライバル――ライスシャワー、メジロパーマー、イクノディクタスなどのウマ娘がいなければ、歴史に名を残すウマ娘にはなれなかったと。
曰く、ライスシャワーが天皇賞・春でメジロマックイーンを破り、トウカイテイオーが奇跡の復活を果たすという極限のパフォーマンスを可能にしたのは――
曰く、アポロレインボウの
――つまり、天海トレーナーは『若葉ステークス・ローテーション』を推した。『すみれステークス・ローテーション』はぬるま湯に等しく、死闘の中に身を置かないと菊花賞を勝つことはできないと
「強き者と戦うのは辛くて苦しいでしょうけど、いつかは超えなければならない壁よ。栄光を求める優駿が集まるG1を勝つということは甘くないの。生まれた世代が悪かったなんてことはないわ。死ぬ気でぶつかって、がむしゃらに走って、対策を練って、挑み続けなさい。そうすれば、きっとあなたは見違えるように成長するわ」
「……そ、それが私の言いたかったことです……」と締めくくった天海さんは、誤魔化すようにクッキーを食べ始める。
そこまで発破をかけられては、引き下がるわけにはいかなかった。
考えに考え抜いた、一生に一度のクラシックの行先。私はとみおと顔を見合せて――『若葉ステークス・ローテーション』を選んだ。天海トレーナーに言われなくても、きっとこの選択をしていただろう。
……気になるのは、距離適性の限界だの、今の走りのその先という言葉か。どういう意味なんだろう?
「良し。今後の予定は決まったな。天海さん、ありがとうございます」
「いいのよ〜」
とみおが立ち上がり、ホワイトボードに『若葉ステークス・ローテーション』の紙を貼り付けた。とみおがすたすたと元の位置に戻ってくると、次の話題に話が推移していく。
「さて、次は『トレーニング強度と方法について』なんだが……アポロ、よく聞いてくれ。2月初週からしばらくは、天海さんと一緒にトレーニングすることになる」
反射的に天海さんの顔を見る。彼女はクッキーを齧りながら手を振った。
「……スパルタトレーニングをやめるってこと?」
「やめるというか、何と言うか。とにかく、天海さんと一緒に既存のスパルタくらい効率のいい普通のトレーニング方法を練り上げて、長期的な筋疲労が溜まらないようにしていく」
……とみおのトレーニングは、ミホノブルボンをも超える狂気のスパルタによって成り立っている。恐らくサブトレーナー時代に練り上げた独学の賜物なのだろうが、如何せん私の身体の限界に挑戦しすぎた。そのため、若駒ステークスに挑む寸前でガタが来てしまったのだ。
しっかりオフの日を作ったり、毎日マッサージをしてくれたりしたけど、身体の芯に蓄積されていた疲労は抜けなかったらしい。丈夫さが取り柄な私の身体でさえこれだ。こんな密度のトレーニングでは、他のウマ娘に転用すらできないだろう。そういう意味でも、とみおのトレーニング方法を変える時が来たのだ。
ただ、とみおは本当にスパルタトレーニングしか知らない……という内容の発言をしていた。そこで、彼の師匠たる天海さんの意見を借りたいということだろう。
「よろしくね〜」
「あ、よろしくお願いします」
私はゆる〜く手を振る天海トレーナーに挨拶をした。とみおが「ま、今日はこの辺で終わりかな」と言って、何となく解散の流れになった。多分、私は帰ってもいいよということなのだろう。
「トレーニング理論については俺と天海さんで話し合っておくから、アポロは帰ってしっかりと休んでおくこと。いいな」
「え〜……でも、こんな早くから帰っても暇だよぉ。レース映像見て色々と研究したいからさ、ここにいちゃダメ?」
とみおは天海トレーナーと顔を見合わせる。天海さんの表情が崩れ、にへら、とふやけた笑顔になる。「全然いいよ〜」とのことだった。
こうして私はレース映像を見つつ、2人の会話に耳を澄ませるのだった。