ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
月日が流れ、2月になった。
私のトレーニングには予告通り天海トレーナーが現れ――これは予想外だったのだが――なんと、彼女についてくるようにメジロマックイーンもやって来てしまったのである。
「まっ……マックイーンちゃん? とみお、何であの人がこんなところに」
「え、だって天海さんの担当ウマ娘だろ。そりゃ来るでしょ。言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!! 来るなら来るって言ってよ!!」
天海さんと仲睦まじく会話しているメジロマックイーン。彼女は天海トレーナーに相当懐いているようで、普段のテレビで見る硬派な表情はどこへやら、年相応の少女の笑顔を向けていた。3年間以上共に戦ってきたパートナーと一緒にいると、あんな感じになるのだろうか。
「はわわ……本物のマックイーンちゃんだ……」
メジロマックイーン。艶やかな薄紫の芦毛が目を引く、美しいウマ娘だ。一挙一動から高貴さが溢れていて、私とは別次元の存在に思えてしまう。あの子が最強ステイヤーのひとりなんだ。本物が目の前にいる。ドキドキが止まらない。均整の取れた肉体、すらりと伸びた四肢、私の視線に気づいて細められる瞳。まつ毛なっが。うぅ、本気で美しすぎるよ……女性ファンが多いのも納得。
やばい方のアグネスみたいに限界化していると、こちらに向かって歩いてくるマックイーンちゃん。ぎょっとして逃げようとするが、あっという間に距離を詰められて、両手を握り締められてしまった。
「貴女がアポロレインボウさんですのね。噂はトレーナーさんからかねがね聞いておりますわ。本日はよろしくお願いいたします」
「よ、よろしゅ、よろしくお願いしましゅ!」
や、やば……本物のマックイーンちゃんと触れ合っちゃった。鼻血が出そう……。おてて柔らか――いや。かなりしっかりしてるな。柔肌の下に鍛え抜かれた肉体が隠されている。私はマックイーンちゃんの手を握り返し、指先で弄り始める。こういう触診チックなことをしてしまうのは、とみおに似たのかもしれない。
「あ、あの……アポロさん?」
「――あ。す、すみませんマックイーンさん!」
私はさっと手を離して、誤魔化すように苦笑いした。
今日の練習メニューの強度は軽めだ。どちらかというと精神的疲労が溜まるトレーニングかもしれない。
その内容とは、マックイーンちゃんと併走の後、軽く模擬レースを行うというもの。模擬レースではしっかりとボコボコにしてもらいつつ私の弱点を見てもらう予定だ。そういう意味で精神的に疲れるだろうということ。
「ストレッチしたら、マックイーンと併走しておいてくれ。俺は天海さんと話してくる」
「あ、うん。分かった。また後でね!」
私は天海さんの下に向かったとみおに手を振り、マックイーンちゃんに向き直った。
――この子が、天皇賞・春を連覇した優駿。凛とした雰囲気を漂わせつつも、天海さんにどこか似て抜けた雰囲気のある彼女が……私の目標であるステイヤーの完成形のひとりだ。
正直言って、彼女の靴を舐めて能力が手に入るなら即・舐めている。マックイーンちゃんって中距離でも強いし、短所という短所が見つからないし。
……おっといけない。鼻息が荒くなってしまった。私は咳払いしてマックイーンちゃんを柔軟に誘う。「ンフ、マックイーンさぁん。背中押しますよぉ」って気持ち悪い感じになったが、もはや何も言うまい。
ジャージ姿のマックイーンの背中を押す。猫のようにしなだれる上体。やはり柔軟性が高い。私もある程度は身体が柔らかくなったけど、まだまだ成長途中だ。彼女くらい身体が柔らかければ、中距離も走れるようになるのだろう。
柔軟を交代し、私が前屈運動を開始する。うわぁ、マックイーンちゃんに触られてるよぉ……緊張する……。
「あら、柔らかいのですね。サブトレー……桃沢トレーナーには、相当柔軟性に欠けているという話を聞いたのですが」
「毎日やってるんで、前に比べたらめっちゃ柔らかくなってます!」
ジュニア級の頃、私の柔軟性は目も当てられなかった。前屈しようとしても、膝までしか手が伸びないし……開脚しようとしたら120度くらいで痛くてギブアップしちゃうしで、とみおが頭を抱えていたのを覚えている。
それから私は毎日、風呂終わりに柔軟運動を行ったのだ。目標のためにそれを欠かしたことは無い。……結果、同年代の平均よりも軟体になるまでになった。
身体の柔軟性が高まるということは、距離適性が広がるということ。ただ、距離適性が丁度いい感じに短くなったわけではない。2600〜3800メートルだった適性距離が、2400〜4000になったようなものだ。せめてもう二段階柔軟性を上げて、2000メートルを走れるようになりたい……のだが。
正直な話、私の柔軟性が今の状態で頭打ちになった疑惑がある。ジュニア級の早いうちに2400〜4000メートルを完璧に走れるようになったはいいが、そこからずっと私の距離適性の成長は停滞したままだ。
……天海トレーナーは、ライバルと戦うことで私の距離適性が限界を超えると言っていた。今はまだその言葉の真意が分からないけど、とにかく戦いに備えて準備を整えるしかないか。
ストレッチが終わると、マックイーンちゃんとの併走が始まる。とみおと天海トレーナーが見守る中、私はマックイーンの走りを食い入るように見つめた。
言わば、ステイヤーのお手本が目の前にいるのだ。吸収しないわけにはいかない。遠くからとみお達がトレーニング理論について議論する声が聞こえてくるが、なるべく気にかけないようにする。むしろシャットダウンしてやった。私の五感全てを用いて、マックイーンちゃんの普段の息遣い、腕の振り方、地面の
「――すごっ」
元々の才能もあっただろうが、メジロマックイーンの走りは芸術の域に達していた。映像で見るよりもずっと感じるものがある。一流の中の一流の走りに肌を焼かれる。嫉妬すら湧いてこないような、まさに完成されたフォーム。
なんて綺麗なんだろう。これが最強ステイヤーの走り。ライスシャワー、トウカイテイオー、メジロパーマーらとしのぎを削ってきた脚なのか。
久々のトレーニングだというのに、彼女と一緒に走っていると私の心に煮え滾るような闘志が湧いてきた。しばらくの併走が終わると、天海トレーナーが私達に向かってタオルを放り投げてきた。半歩後ろに立っているとみおは何だかやつれて見える。よっぽどトレーニング理論についてダメ出しされたんだろうか。
「アポロさん、マックイーン。しばらく休憩した後、タイムを計測しつつ2400メートルを走ってもらうわ」
私は天海さんに、8割程度の全力で走ってくれと言われた。病み上がりだから無理してくれるなということだろう。で、天海さんはマックイーンちゃんに、
超絶格上なのは分かっていたが、目の前でそんなことを言われちゃ黙っていられない。私の闘志を煽る天海さんの意図なんだろうけど、私は売られた喧嘩をガッツリ買い込むウマ娘だ。
早速トラックコースのスタート位置について、呼吸を整える。憧れのステイヤーと戦える高揚感と、敗北前提のトレーニングみたいなこの雰囲気を吹き飛ばしてやる。心は熱く、思考はクールに。
……良し、落ち着いた。行ける。
私は隣に立つマックイーンちゃんに声をかけた。
「……マックイーンさん、その胸お借りします! よろしくお願いします!!」
「ええ。アポロさん、
軽い会話が終わると、マックイーンちゃんの表情が氷の如く冷たさを帯びる。メジロ家のお嬢様ではなく、ひとりの勝負師の顔になった。ゾクッとして、私もひとりのファンであることを捨てる。勝ちへ手段を選ばぬ競技者へと変貌していく。
そう、誰だって負けるつもりで戦うんじゃない。勝つために挑んでいるんだ。
「位置について! 用意――スタート!」
天海トレーナーの叫び声を聞き流し、私達はスタートした。
得意のロケットスタート。右脚の具合を確認しつつ、スピードをぐんぐん上げていく。マックイーンは私の後ろ、2バ身ほど差をつけて走っている。
……うん。右脚は完治したようだ。痛みも違和感も全然ない。全力は禁じられているから本当のトップスピードには持っていけないが、ある程度の速度を維持してコーナーに入っていく。これでも時速70キロを超えた高速だ。マックイーンは私のコーナーリングに驚いたように息を吐き出した。
向正面に入って、マックイーンとの差は5バ身。彼女の代名詞たる超ロングスパートのすり潰しは、第3コーナーの入りから始まる。あまりにも有名で、知らないものはいない恐怖の末脚。
それに対する私の作戦はこうだ。第3コーナー、マックイーンの超ロングスパートと同時、私も速度を更に引き上げ――
言うは易く行うは難し。出来れば苦労しない、いや……誰もがそうしようとして出来なかった作戦だ。だけど、私のバカみたいなスタミナならやれないことはない! やってやる、マックイーンちゃんをも超える超ロングスパートを!
「はぁぁぁぁああああああああっっ!!」
第3コーナーの初め、私はマックイーンちゃんが動いた気配を察して長い末脚を使い始める。全力全開のスパートには及ばないが、それでもかなりの速度。並のウマ娘なら置き去りに出来るスパートだ。
マックイーンはぴったりと私の5バ身後ろを追走している。彼女が前傾姿勢になり、スパートをかけているのが気配で分かる。差は縮んでいない。ずっと5バ身のまま。
――良し、作戦は成功している! これなら行ける! 天海トレーナーには申し訳ないが、1着になるのは私だ!
――と。
希望が舞い降りたかに思えた。
第4コーナーに差し掛かった瞬間、全てが変わった。
「――!?」
私の尻尾と後ろ髪を黒い何かが侵食し始めたのだ。
尻尾の毛先を、チリチリと――おぞましいモノが喰らっていく。抗えない。スパートをかけたはずの脚が止まりかける。身体の動きが拘束される。振り払おうとしても敵わない。懸命に腕を振ってソレを吹き飛ばそうとしても、更に深く纏わりついてくる。
(な、に――これ――!!)
それは
私とはレベルの違う、桁違いの力そのもの。
見せられる。魅せられる。メジロマックイーンの心象風景が脳内に流れ込んでくる。豪華絢爛な庭で、優雅にティーブレイクをするメジロマックイーン。メジロ家の誇りを抱き、決意した瞳の輝き。或いは、翼をもがれ、天空を落ちる中、再び羽ばたこうとする強い意志。
あまりにも眩い輝き。力の塊に呑み込まれる。
後続のマックイーンとの差は1バ身もない。
私はこの悪寒に似た感覚をホープフルステークスで味わったことがあった。
――キングヘイロー。
いや、彼女のそれよりももっと強い力だ。
初めて
「あっ」
あっという間に抜き去られ、最終直線に入る。差は5バ身。しかし、向こうの直線とは全く逆の位置関係。
大逃げの私に末脚は残っていない。もうその差を縮めることは不可能だった。
「っ……!」
メジロマックイーンに7バ身の差をつけられたところで、ゴール。
私はゼェハァと息を切らし、ターフに涎を惨めったらしく垂らした。勝者たる芦毛の名優は、薄紫のロングヘアーをさらりと撫でている。
「く、そ――ぉ」
なんてウマ娘だ、メジロマックイーン――これがある種の最強の完成形だと言うのか。
地面に膝をついてしまい、敗北感も相まって立ち上がれない。脚がガクついている。どんどん姿勢が低くなってしまう。……マックイーンを自慢のスタミナでぶっちぎるどころか、彼女の代名詞であるロングスパートによって私のスタミナはすり潰されていたらしい。
とみおとマックイーンが私の方に向かってきて、立ち上がらせてくれる。四肢が動かない。全力を出すなと言われていたが、いつの間にか負けたくない一心で本気を引き出されてしまったらしい。これは後で説教を食らっても文句は言えないな。
とみおに汗まみれの顔を拭いてもらいながら、私はマックイーンに食ってかかる。その余裕綽々の表情がどうしても気に食わなかった。
「まっ……マックイーンさんっ……! 私、4000メートルなら絶対に負けませんから!!」
マックイーンと天海トレーナーは顔を見合せて、きょとんとした。一瞬間を開けて、ぷっと2人は噴き出した。
しまった、と思った。さすがに失礼に当たる行為だ。先輩にトレーニングを付き合わせておいて、この大口はかなりまずい。勝負事に熱くなりすぎてしまう私の悪い所がバッチリ出てしまった。
しかし、天海トレーナーとマックイーンはにこにこ顔を崩さない。むしろ、闘争心溢れる私の態度を気に入ったようである。
「桃沢君、本当にアポロさんは良いウマ娘ね。普通、大先輩に遊ばれて、負けてなお食ってかかる子なんていないわよ。大体の子は心が折れちゃうもの」
「うふふ……アポロさん。
すっかり頭も冷えて、私は天海・マックイーンコンビに対して首を縦に振ることしかできなくなった。
「さて、アポロさん。あなたの走り、クラシック級の初め――しかも病み上がりにしては素晴らしいものだったわ。弱点という弱点はほとんど無いに等しいし、正直……スタミナと根性を活かしたえげつないレースっぷりに、驚きを通り越して感心しているくらい。間違いなくG1タイトルに手が届く走りをしていると言えるでしょう」
この模擬レースの目的は、マックイーンちゃんが間近で私の走りを見て、大きな弱点を探すことだった。だが、天海トレーナーは意外にも私を褒め称えるような言葉を並べた。マックイーンちゃんもうんうん頷いているし、これでは「アポロレインボウがメジロマックイーンに順当に負けた」という結果しか残らないではないか。
思わず口を開こうとすると、天海トレーナーが私の口に人差し指を立てた。
「――でも、それは
私はうっと声を漏らした。私の走りに対応してくるウマ娘――例の『最強の5人』。スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダー、エルコンドルパサーのことだ。敏腕トレーナーである天海さんに言われて、その事実が重く私の両肩にのしかかってくるのが分かった。
私の走りに弱点がないと言ったくせに、G1レースを勝てないと? だったらどうすればいいのだ。私は歯噛みした。天海トレーナーはそんな私の様子を見て、ゆっくりと言葉を続けた。
「ここでアポロさん、ひとつ質問をいいかしら」
「……質問?」
「あなた、
「――!?」
天海トレーナーの言葉に、私は脳髄をぶん殴られたような衝撃を受けた。最終コーナー序盤に見た、メジロマックイーンの幻覚。現実味のないあの光景は、誰もが見る共通の認識だったのか?
私はマックイーンと天海トレーナーを交互に見た。マックイーンはスポーツドリンクで喉を潤わせていて、喋る役を天海さんに任せるつもりのようだ。
「アポロさん。ウマ娘というのは人々の想いを乗せて走るって、聞いたことはない?」
ウマ娘の生体は科学によって解明されたわけではない。ただ、歴史的事実として『その想いの強さに呼応して強くなる』というものがある。それに追随するように、『ウマ娘は人々の想いを乗せて走る』なんて言われることもある。
「ありますけど……それが何か?」
「それを念頭に置いて、これから話すことを聞いて欲しいの」
話が二転三転するから掴みどころがないが……困り眉になった私に、天海さんは数回咳払いしてこう続けた。
「……時代を作るウマ娘が必ず持ち合わせるものがあるわ。それは、ライバルと限界を超えた死闘を繰り広げた際に獲得できるとされる、
「……ゾーン……?」
「……実は、今日のトレーニングではそれを見せてあげたくてね。マックイーンも『
にわかには信じ難い話だったが、信じるしかなかった。私が体感した第4コーナーの異常と共通するからだ。
「第4コーナーから襲い掛かる超速のロングスパート――これがマックイーンの『
「…………」
「アポロさんの世代で言えば、キングヘイローさんがあと一歩のところで『
「……! キングちゃんが、やっぱり……」
「その様子だと心当たりがあるみたいね。ホープフルステークスで見せたあの末脚は、彼女特有の
「そ、そんな。それじゃあ、私は置いてきぼりじゃないですか!」
「……そう。あなたは置いてきぼりなの。ライバルとのレースを回避してたら、同世代の背中にスパルタトレーニングなんかじゃ追いつけなくなるわ」
「っ……」
「今日のトレーニングでは、あなたが目標に向かうためには単純な肉体の力だけではなく更なる力が必要――ということを伝えたかっただけ。スパルタトレーニングも悪いことじゃないけど、ウマ娘には
「…………」
私がG1を勝つためには、『
その事実を突きつけられて、私は天を仰いだ。
……優駿への道は遠いみたいだ。