ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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37話:桜花、咲き誇る

 皐月賞の2週間ほど前から、私ととみおは皐月賞前の特別トレーニングに臨んでいた。今日は丁度皐月賞の1週間前だが、これで都合10日間も特別トレーニングに勤しんでいることになる。

 

『アポロ、もっと太ももを上げるんだ! その程度でへたれてたら、中山の坂は登れないぞ!!』

「ぐっ――んなこと、分かってるっつの!」

 

 じゃあその特別トレーニングで何をしてるの? って話になるが、今日のところは初めから終わりまでずっと坂路を走らされている。

 

 そんなトレーニング漬けになっている原因は、半月前の若葉ステークスでの走りにあった。

 

 若葉ステークス当日、私は世間一般では「完璧」と称されるほどの大逃げをしてみせた。しかし、とみおは私のレースを完璧だと思わなかったらしい。特別トレーニングが始まったおよそ2週間前のこと、彼はこう言った。

 

『アポロ。若葉ステークスの最終直線……脚が止まったな?』

 

 私としては、最終直線も全開の速度で走り抜けた気でいた。確かにスタミナ切れ寸前の死にかけだったことは覚えているが、それでもディスティネイトの猛追をぎりぎり凌ぐ程度には速かったはずだ。

 

 だが、彼が記録したラスト200メートルのタイムや最終直線の映像を見ると、その甘い考えは覆った。タイムはお世辞にもトップを争うレベルではなかったし、阪神の坂道を上り始めた途端急ブレーキが掛かったようにスパートの速度が落ちていた。上半身が持ち上がりかけていたし、本当に気合いひとつで持ち堪えていたような状態。無論、トレーナーや鋭いウマ娘じゃないと分からないような微妙な変化とタイムだけれど……。

 

 この体たらくでは、最終直線に急坂が待ち構える中山レース場で満足に戦い抜くことは不可能だ。それに、皐月賞は出走メンバー自体の強さも段違いである。トライアルという一定のレベルが確保された環境からとはいえ、オープンクラスからG1に舞台を移すとはそういうこと。

 

 小さくともG1級では命取りになる弱点を洗い出され、私は彼の提案により生まれた『中山レース場攻略特別トレーニング』に身を投じることになった。

 

 よくよく考えれば、この坂道苦手とも言うべきパワー不足は、去年の中山レース場で行われたG1・ホープフルステークスの敗因の一端にもなったはずだ。あの時のスペシャルウィークと私は最後の坂を超える頃にはバテバテだったし、オーバーペースに加えて末脚を削られていたことがキングヘイローの逆襲を許した理由とも言える。

 

 何にせよ、ジュニア級からパワー不足や末脚の爆発力の無さを解決しかねていた私達に、とうとう苦手解消のきっかけが訪れたと喜ぶべきだろう。サイレンススズカのようにレース最終盤で()()くらいのパワーがあれば、この皐月賞は奪取できる。皐月賞にもしも勝てたなら、後は距離延長を残すのみ。コースの違いこそあるが、私にとって距離延長はプラス要素でしかない。2000メートルの初戦さえ何とかなったなら、まさかまさかの三冠ウマ娘まで見えてくる。

 

 事はそう単純には行かないのだろうけど、モチベーションのためにそう思うことにする。

 

 さて、中山レース場攻略トレーニングと銘打たれたこのトレーニング。今は坂路を繰り返しやっているが、さすがに四六時中坂道を走り抜いているわけではない。坂道克服が1番の課題なのは間違いないけれど、何も最終直線の坂だけが中山レース場じゃないからね。

 

 中山レース場の2000メートルは、内回りコースを走っての競走となる。直線入口からのスタートとなり、第1コーナーまでの距離が長いため位置取り争いが熾烈になりがちだ。また第1コーナーまでに一度坂を上らなけれならないため、これが後になって脚に効いてくるだろう。

 

 コーナーを曲がりつつ1690メートルを走り抜くと、いよいよ最終直線がやってくる。最後の直線は310メートルと短く、残り180メートルから70メートルにかけて例の急坂が待ち構えている。

 

 中山レース場の特徴は、小回りコーナーと短い直線、そして急坂だ。皐月賞2000メートルの舞台を走り切るには、十分なスピードはもちろん、最後まで走り抜くスタミナとパワーを必要とする。私が主に不足しているのはパワーのため、私達のトレーニングは、小回りコーナー練習1割、最終直線の走り方のトレーニングを2割、急坂対策を7割という配分で行っている。

 

 で、その坂道トレーニングが死ぬほどキツイという話だ。こんなに強度が高いトレーニングは久々に味わう。

 

 だが、その程度で挫けていられない。折れそうになる気持ちの対抗策として、トレーニング中にスペシャルウィークやセイウンスカイ、そしてキングヘイローの幻影を作り出して、私は死ぬ気で競い合うことにしていた。

 

「ほら、もう一本行くぞ。向こうから全力で駆けてこい。絶対に怯むんじゃないぞ」

「……っ、分かってる。そっちこそ、私がとんでもないタイムを出して怯まないでよね」

「言うじゃないか」

 

 厳しいトレーニングの最中、ウマ娘の中にはどうしても気が立ってしまう子がいる。所謂『気性難』と評されるウマ娘。私は一応それに該当しているが、夢に対する憧れとトレーナーの上手い操縦によって今のところは上手くいっている。

 

 ただ、今回ばかりは悪態というか口が悪くなってしまうことが増えた。だって許して欲しい、私はトレセン学園が誇る最大傾斜の坂路――全長1085メートル、高低差32メートル、上り勾配がスタートから300メートルまでは2.0%、続く570メートルは3.5%、次の100メートルは4.5%、最後115メートルで1.25%――を、この短期間で何百回何千回と走らされているのだから。

 

 0メートル地点、つまり最も低い所に戻ってきた私は、ウマ耳につけたピンマイク付きのイヤホンに声を吹き込んだ。これは、トレーナーとウマ娘が離れてしまうトレーニングでも十分な意思疎通が出来るように――と、秋川理事長が取り寄せたトレセン学園の備品である。何かとこの1085メートル坂路にお世話になることが多いので、私ととみおはこの機械をよく装着している。

 

「最初の位置に戻ったよ」

『ご苦労さま。それじゃ、用意してくれ』

「……ん」

『行くぞ。用意――スタート!』

 

 イヤホンから彼の声が聞こえた瞬間、私は長い長い標高32メートルの坂道を駆け上がり始めた。最初の一歩目から感じる重い傾斜角、2.0%もの急傾斜。こんな坂道がおよそ1.1キロずっと続いていて、しかも体力の持つ限り全力疾走しろと言われている。日によっては本気で100本走らされることもあるこの過酷なトレーニング、ストレスが溜まらない方がおかしかった。

 

 ――が。敗北への恐れと、勝利への渇望が私の脚を突き動かす。1生に1度のクラシックという事実の重みが、後悔のない方に私を走らせる。私の心は今までに無いくらい燃えていた。

 

「ふっ、ふっ――!」

 

 中山レース場のコース全体の高低差は何と5.3メートルにも及ぶ。つまり、皐月賞を走り切る間に私は建物2階建て分の高さを昇り降りしなければならないのだ。また、最終直線の最大勾配は2.24%。どのレース場と比べても最も過酷な高低差2.2メートルの坂は、今私が走っている坂路の何倍も厳しいものになるはず。坂路トレーニングと本番レースの坂は、全くもって都合が違うのだ。

 

「負ける、もんか――!」

 

 長い長い坂路を全力で駆けながら、歯を食いしばる。苦しいけれど、ワクワクするのだ。1998年という、競馬にとって伝説的な年に集った優駿達と対決できるというのは、例えようもないくらい胸を高鳴らせてくれている。本当に楽しみで楽しみで仕方がない。

 

 永遠に思えた過酷な坂路も、残り400メートルを切った。息切れして倒れ込みそうになったが、私は皐月賞の最終直線を思い描き――追い上げてくるライバル達を幻視した。視界がぎゅっと狭まる感覚。背後に現れる3つの影。後ろに誰かがいると思うと、闘志が燃え上がった。

 

 最も近いのは、ほとんど隣につけているセイウンスカイ。元の歴史の皐月賞馬にして、逃げ一本で二冠を取った最強のトリックスター。皐月賞本番は私からハナを奪い、スローペースに持ち込んでくるのだろうか。それとも、私を徹底マークして()()()()()のだろうか。しかし、後者に関してはお生憎様――時々グリ子やマックイーンちゃんに頼んでマーク戦法をしてもらうため、私はその弱点を克服しつつあるのだ。まだ完璧とは言わないし動揺自体はするけどね。

 

 さぁ、そのセイウンスカイや私をぶち抜く勢いで上がってくるのはスペシャルウィーク。この世代でたった一頭のダービー馬に輝いた、日本古来の名牝シラオキ系と大種牡馬サンデーサイレンスの血を継ぐ優駿。元の歴史の皐月賞では色々な不利があって3着になったわけだが……この世界ではどうだろうか。

 

 大外側から突っ込んでくるのはキングヘイローだ。現役競走馬時代、1200メートルから3000メートルまでを走って好成績を収めたとんでもない良血馬。この世界のキングヘイローは、2000メートル以上に対する苦手意識が無くなっている気がする。……ホープフルステークスで『領域(ゾーン)』に目覚めかけたからだろうか。詳しい理由は不明だが、彼女もマークからは外せない。

 

 彼女達の幻影と戦えば戦うほど、3()()()()1()()()()()()()()()()ように思える。実力が拮抗していて、誰が抜け出すか想像もつかない。そして、彼女達を抑え込まないと皐月賞を勝てないだろう私もまた、己の実力と彼女達の実力差を測りかねていた。

 

 だが、あの弥生賞を肌で感じた私なら分かる。自分は、スペシャルウィークやセイウンスカイ達にはあと一歩敵わないのだと――

 

 残り200メートル、坂路の終わりが見えてくる。鬼の如き3.5%の傾斜が私の脚を削る。幻影達が果敢に坂を上り、私を抜き去って1着争いを繰り広げる。何度も見た光景だ。3.5%の傾斜が1.25%に落ち着いても、その位置関係が変わることはなく――私は4着で坂路を走り切った。

 

「ぜっ、はっ――……!」

 

 ()()()。また負けてしまった。0勝1000敗ってとこか……?

 

 幻相手とはいえ、ここまで負けが込むと疑問を生じずにはいられない。私が生み出した幻影達が、本物に比べて速すぎるのだろうか? ……ううん、そんなはずはない。何百何千ものウマ娘の頂点を争うウマ娘は、私のようなモブウマ娘なんて軽く超えていかなければおかしいはずだ。

 

 ……むしろ、ここまで喰らいつけている私を褒めるべきなのか? 歴代屈指のウマ娘達の影を踏めている私を。

 

 仮にそうだとしても、私は勝利という結果が出るまで自分を褒めたくない。調子に乗ってしまうことだけは何よりも避けたいのだ。であれば、たとえこの幻影に負けようと勝とうと、黙々とトレーニングすることが正解なのだろうか。

 

 ……いや、今は幻影の正確さはどうでもいいな。ライバルの背中を見せつけられて、負けても負けても決して諦めず、ひたむきに努力し続ける――それで良い。私にお似合いだ。

 

「……うん、うん。よくやったアポロ。ここに来てベスト更新だ」

 

 大きく肩を上下させる私に向かって、パソコンを弄りつつバインダーに何かを書き込むとみおが上機嫌で言った。私はジャージの袖で額の汗を拭って、とみおに言ってみた。

 

「もう一本、はぁ、はぁ……行っていい?」

「え? あぁ、良いけど……15分休憩しようか。そこから再開だ」

「……は〜い」

 

 とみおに遠回しにストップをかけられたので、私はスポーツドリンクとタオルを取りに行った。すると、坂路コースの向こう側には私と同じく休憩時間らしいグリ子がいた。

 

「あれ、グリ子じゃん」

「その声はアポロちゃん。そっちも休憩中?」

「まあね」

 

 グリ子は今週末の桜花賞に挑む予定になっており、トレーニングメニューも軽くランニングして汗を流す程度に留めるらしい。

 

 彼女の春のローテーションは、G2・報知杯フィリーズレビュー→桜花賞→NHKマイルカップ。クラシック路線とティアラ路線を往復しながら短距離レースを皆勤するというものだ。3月に行われた1400メートルG2・フィリーズレビューでは見事3/4差をつけて1着に輝き、桜花賞の大本命として推されている。

 

 私は彼女の足先から髪の毛の先までを舐め回すように観察した。パッと見でも分かるくらい『良い』。なんかこうツヤツヤしてるし、ふくらはぎも絶妙なバランスに熟している。トレーナーさんの調整が上手いんだなってのがよく分かる。

 

「仕上がりめちゃくちゃいい感じじゃん」

「先輩とトレーナーのおかげかな。でも、これだけ調子が良くてもミークちゃんに勝てるかどうかは分かんないや……」

 

 ハッピーミークは昨年12月のダートG1・全日本ジュニア級優駿(1600メートル)を制した後、芝のG2・チューリップ賞(1600メートル)を大外差し切りによって勝利した。ダートG1→芝G2制覇の快挙に世間はどよめきを見せ、シニア級で芝G3・中山金杯とダートG1・フェブラリーステークスを立て続けに制したグルメフロンティアと共に脚光を浴びることになった。きっと、彼女達の存在は芝ダートの二刀流を切り開いていくことだろう。

 

 しかし、そんなハッピーミークに易々と芝G1を取らせるわけには行かない――というのが、ジュニア級短距離女王の意地だ。最近話したミークちゃんはあんまり気負っていないみたいだったけど、それは私の目に見えていないだけで、桐生院さんによるとかなり緊張している様子とのことだった。それも、グリ子を随分と意識しているらしく。

 

 お互いに戦ったことはないが、同じ路線に身を投じる者同士意識することがあるんだろう。前評判で言えばティアラ路線はグリ子とミークちゃんの2強だし、嫌でも意識に入ってくるだろうしね。

 

「桜花賞、明後日かぁ。早いねぇ」

「本当にね。阪神ジュベナイルフィリーズを勝った時、『あと3ヶ月ちょいあるから準備しよ!』とか思ってたのに……思ったより早く春が来ちゃった感じ」

 

 グリ子はどこか遠くを眺めた後、ふぅと溜め息を吐いた。ワクワクを抑え切れないが、不安もある様子だった。……グリ子もミークちゃんも友達だから両方勝ってくれだなんて、傲慢だろうか。どちらにも勝って欲しいと願うのは、競走者としては失格なのだろうか。

 

 現実はそうならないことの方が多いけれど、この気持ちは間違ってないはずだ。私はスポーツドリンクを飲むグリ子の背中を強く叩き、そのまま坂路に戻ることにした。大きくむせながらグリ子が何かを騒ぎ立てていたが、大きく手を振って誤魔化しておいた。

 

 ウッドチップコースのど真ん中に座り込んで、ノートパソコンを弄っているトレーナー。私は彼に近づいて、背中をとんとんと叩いた。

 

「とみお、帰ってきたよ」

「おう。それじゃ、また坂路トレーニングするか」

 

 ぬっと立ち上がるとみお。こうして私達はしばらくの間トレーニングに勤しみ、大量の汗を流すのであった。

 

 

 

 ――そして、迎えた4月2週のG1・桜花賞にて。

 

『残り200メートルを切ってグリーンティターン伸びてきた! ハッピーミークも追いすがる! しかしハッピーミーク僅かに届かないか!』

 

 キングヘイローとは一風変わった緑の勝負服に身を包んだグリ子が、桜花賞のゴール板を1着で駆け抜けた。

 

『ゴォォールッッ!! やったぞグリーンティターン!! トレーナーに初のクラシック級G1タイトルをプレゼントすると共に――重賞3連勝!! 残り300メートルから見事に先頭集団を差し切り、その力を証明しましたっ!! 2番人気のハッピーミークは届かず2着!』

 

 劇的な勝利だった。スタート直後からバ群に揉まれ、身体をぶつけ合いながら好位置につけたグリーンティターン。汗にまみれ、泥に汚れ、それでも己の末脚を信じ続けた彼女の脚が、曇りの重バ場を豪脚一閃切り裂いた。

 

 煌めく汗と緑の勝負服。はためいた深緑のマントが風を切り、ここに泥だらけの女王が誕生したのだ。私はテレビ越しにガッツポーズをかまし、食堂にいた周りの子達を驚かせてしまったが……それはそれとして。

 

『アポロちゃん、私……やったよっ!!』

 

 勝利者インタビューで涙ながらのブイサインを映したグリ子に貰い泣きしそうになりながら、私は皐月賞への強い想いをより一層深めていくのだった。

 

 そしてその時――私の心の底の底で、何かがハジける音がした。


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