ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
G1。それは、トゥインクル・シリーズの最高の格付けに位置するレース。誰もが憧れる最高の栄誉だ。出場するだけで一生食い扶持にできるくらいには、その存在は大きい。
そして、皐月賞はクラシック路線・G1の第1戦として行われ、最もスピードのある優秀なウマ娘を選定するためのチャンピオンレースとされている。
しかし、そのグレード・ワンという最高格付けのレースに出場できるのは、1年を通してもたった100人程度。数千数万を超えるウマ娘達がその狭き門を通ってG1に出場するには、天性の才能と豪運と諦めない心が必要なのだ――
――4月3週目。いよいよ待ちに待った皐月賞がやってきた。舞台は中山レース場、芝2000メートルの右回り。去年のホープフルステークスと同じ条件での対戦になる。
現地に朝一番から入場したところ、さすがに人は疎らだったのだが……10時を超える頃には人が溢れんばかりの大盛況。「お昼ご飯は中山レース場で食べてしまおう」ということなのだろうか。早くもスタンドには熱心なファンの姿が見え始め、空き席が分からないくらいの状況になりつつあった。
その原因の一端を担うのは、先週行われた桜花賞であろう。グリーンティターンとハッピーミークの2強対決に世間が湧き、連日報道された結果、その余波が皐月賞にも及んでいるようだ。SNSでグリ子をエゴサーチしてみたところ、彼女の泥まみれの勝負服と地を這うようなフォームが、ファンを超えて一般にまで認知されるに至ったのだとか。彼女の美形な顔の写真写りが非常に良かったせいもあるだろうが、友人の人気が急上昇と聞いて嬉しい限りだ。
所謂『流行』というのは、そのジャンル外の人間を取り込んだ結果巻き起こるものだ。時々爆発する漫画・アニメ作品は元より、フィットネスブーム然り、アイドルブーム然り。元々国民的エンターテインメントだったトゥインクル・シリーズだが、圧巻の金鯱賞や激戦の桜花賞を経て更に拡大を見せつつある。普段はそっぽを向いていた一般層が、ここに来てレース場に集まり始めたのだ。
昨年の朝日杯FS、阪神JF、ホープフルステークス、そして今年に入ってのサイレンススズカの連勝、激闘の桜花賞――この1年でスターウマ娘が次々と誕生し、異常なくらいの盛り上がりを見せていたから、むしろ関係者からすれば「やっと爆発したか」くらいの気持ちなんだろうけど。
ノリに乗ってウハウハなURAがバンバン広告を打ちまくるし、それに応えるように凄まじいレースが数々生まれるのだから、このブームはしばらく終わらないだろう。
私は控え室まで響いてきそうな観客のざわめきに辟易としながら、インターネット上のニュースを見る。タップしたのは、月刊トゥインクルが配信しているWebの記事だった。
――『4強、中山の地に集う!』の見出しでデカデカとぶち上げられたその記事。一見すれば表面をなぞるような浅い内容しか書いていなさそうなものだが、『乙名史記者』が書いているので安心だった。この人の記事は見応えがある。
記事の内容は、スペシャルウィーク、キングヘイロー、セイウンスカイ、アポロレインボウに注目したものだった。
まずはスペシャルウィーク。圧倒的1番人気に推されているウマ娘だ。沖野トレーナーが「自信がありますよ」と記事内で答えているように、最もメディアに持ち上げられている。弥生賞の強い勝ち方や、専門家の言葉を吟味しての評価だ。
体重はやや増。トレーニングで計測されたラップタイム、専門家のコメント、ついでに好きな食べ物(スペちゃんはにんじんが好き)を載せて、スペシャルウィークの欄は終わった。最後のいる?
次にセイウンスカイ。弥生賞に敗北したとはいえ、その内容の良さを評価されての2番人気。京成杯で見せた綿密なラップタイムや、弥生賞での粘って前に残す力について触れられており、記者はレースをよく見ているんだなという印象だ。
体重は不明(計測拒否)。ラップタイムも不明(計測拒否)。好きな食べ物はにんじん……って、何の役にも立たないな。
3番人気に推されたのは私、アポロレインボウ。記事には、これまでの全レースを振り返っての評価と、知らぬ間にインタビューを受けていたらしいとみおのコメントが記されていた。
曰く、『アポロレインボウが勝ちます』――と。うっと声が出そうになったが、後ろでソワソワしている本人に気付かれないように堪えた。ページをスクロールしていくと、『狂気の逃げウマ』『殺人ラップの刻み手』という物騒な異名が囁かれていて、嬉しいような嬉しくないような感じ。トラウマを克服してから掲示板を外したことがないし、もしかしなくても妥当な人気なのかもしれない。まだ実感は湧かないけどね。
体重は増減なし。ラップタイムはいつも通りレコード級、好きな食べ物は甘いお菓子。……好きな食べ物欄は、ファンに向けてのものなのだろうか。
4番人気はキングヘイロー。弥生賞では不発に終わったが、その末脚が世代ナンバーワンなのは誰もが認めるところ。4番人気とは思えない賛美の言葉が並ぶ。
体重は増減なし(本人コメント「一流のプロポーションよ!」)。ラップタイムは上がりの時計が凄まじい。好きな食べ物はにんじんハンバーグ。ウマ娘は、好きな食べ物をにんじんと答えておけば安牌なところがあるな。
そして、残りのメンバーをおさらいしたところで記事は終わった。特にめぼしい情報は得られなかったが、まぁメディアにそんな良い情報を漏らすわけがないから……良しとしよう。
ふぅと息を吐くと、そわそわしているとみおが私に話しかけてきた。
「アポロ、今何時だ?」
「12時ってところかな」
「う、まだそんな時間か……そろそろご飯食べとくか? トイレとか大丈夫か? それとも、もう勝負服に着替えとくか?」
一応G1に挑むのは2度目なのだが、子を初めての学校へ送り出そうとする親みたいにトレーナーはあたふたしていた。
「心配しすぎだって。あと4時間近くあるんだから」
「俺にとっては、開幕まであとたった4時間しかないんだよ……おえぇ、マジで吐きそうだ」
とみおはネクタイを緩め、スーツのボタンを外し始めた。去年のクリスマス、私が贈った水色のネクタイが目に入る。彼はそのネクタイを随分丁寧に扱ってくれているため、シワひとつない。
だけど、皐月賞だからと高いスーツに身を包んできたのに、それを着崩すのは元も子もない。私はジャケットを脱ごうとした手を取って、逆に着せつけ始めた。
「こら、ネクタイは緩めない。そろそろスタッフさんが入ってくるかもしれないでしょ」
「息苦しさで死にそうなんだよ……勘弁してくれ……」
「だ〜め。ほら、ネクタイ締めて。それとも私がやる?」
「い、いや……自分でやるよ」
ネクタイも締めてあげたかったんだけどなぁ、と口の中でもごもごして、私はデバイスの画面に再び目を落とした。明るくなった画面が「12:06」と示した後、ふっと明かりを落とす。
――本当に、あと少しで皐月賞が始まってしまうのだ。彼の緊張が伝播したのか、私も背中に震えが上って来た。武者震いと言うやつだ。レース前特有の胃を刺すような緊張感と、燃え上がるような闘志がごちゃ混ぜになっている。早く走り出したくなって、その衝動を無理矢理抑え付けるように、私は控え室をぐるぐると旋回し始めた。
「……軽くランニングしたくなってきた。でも、この調子じゃ外には出られないよね」
「残念だが、そうなるね。返しウマが皐月賞前最後のランニングになるのかもしれないな」
ネットを見ていると、早くも中山レース場は阿鼻叫喚の嵐になっているようだった。人が集まりすぎて、客席はともかく、通路やスタンド内、中山レース場から最寄り駅に至るまでの人口密度がえげつないとか何とか。しかもゴールドシップと思しきウマ娘が焼きそばを売りさばいているとかいう情報も入ってきた。いや、これはどうでもいいか……?
例の破天荒ウマ娘に意識が持っていかれかけたが、今日は皐月賞本番なのだ。いつもならゲラゲラ笑っていたところだけど、数時間後に迫った本番に向けて気持ちを高めていかなければならない。私はウマホをカバンに押し込んで、邪念を払った。
「とみお。柔軟運動手伝ってくれない?」
「おぉ、いいぞ」
昂る気持ちを誤魔化すように、私は柔軟運動を始めた。アキレス腱、手首足首を解した後、床に座って背中を押してもらう。手馴れた一連の動作。彼の両手の動きに合わせて、上半身を前方向に思いっきり倒す。床に胸がつくまで前傾しても、痛みは全くない。
「……柔らかくなったな」
「毎日やってるからね〜」
「……そうだよな。毎日――ずっと、頑張ってきたんだもんな」
「…………」
私の背中に添えられた両手に力が込められたのが分かった。私は前屈をやめて、彼に向き直った。
「頑張ってきたのは私だけじゃないよ。トレーナーもずっと頑張ってきた。そうでしょ?」
「……俺は君のサポートに徹していただけだ」
私は彼の頑張りを知っている。私の頭の中に叩き込まれたライバルウマ娘のデータは、彼の血と汗と涙から成り立っているのだ。そんな彼の頑張りに応えたくて、厳しいトレーニング漬けの日々に身を投じているとも言える。
「とみおがそうやって謙遜するのは知ってたけど、なんだかなぁ」
「努力を口に出すのは美学に反するだろ」
「あはは、言えてるかもね」
くすくすと笑い合う私達。一息つくと、お互いの目には煮えるような闘志が宿っていた。『勝ちたい』という2人の想いが通じ合い、深く繋がっていく。
「……柔軟運動しながらでいいからさ、もう一回作戦の確認をしよっか」
「そうだな……そうするか」
視線を切って、私は真横に大きく開脚する。両脚を180度開き、お腹側に上体を倒していく。これも毎日継続して努力して得た柔軟性だ。
「まずはスタートだ。アポロは8枠17番というかなり不利な枠になった」
「……うん」
「外側の芝はこれまでのレースで荒れ気味。それに比べて、内ラチ側の芝の状態はかなり良い。まずはスタートを絶対に出遅れるな。そして内ラチに張り付いて最短距離で駆け抜けるんだ。……ま、スタートに関して心配はしてないけどな」
「もちろん。逃げウマはスタートが命だもんね」
拡げた両の爪先に向かってそれぞれ身体を倒しながら、私は彼の言葉に頷いた。ちなみに、皐月賞の出走表は以下のようになっている。
1枠1番、11番人気シャドウストーカー。
1枠2番、9番人気ギミーワンラブ。
2枠3番、2番人気セイウンスカイ。
2枠4番、14番人気ミニオーキッド。
3枠5番、7番人気リトルトラットリア。
3枠6番、12番人気トゥトゥヌイ。
4枠7番、13番人気フリルドバナナ。
4枠8番、8番人気ピンクシュシュ。
5枠9番、16番人気カラフルパステル。
5枠10番、15番人気ブラックディップド。
6枠11番、10番人気ディスティネイト。
6枠12番、4番人気キングヘイロー。
7枠13番、17番人気コンテストライバル。
7枠14番、5番人気ジュエルアズライト。
7枠15番、6番人気チョコチョコ。
8枠16番、18番人気フリルドグレープ。
8枠17番、3番人気アポロレインボウ。
8枠18番、1番人気スペシャルウィーク。
私とスペシャルウィークが大外のゲートを運悪く引いてしまった形になる。逃げウマにとっては言うまでもなく不利な外枠だが、ここに『とある事情』が重なった結果、外枠スタートは更に不利なものへと変貌した。
その事情とは何か。
――URAが芝の保護を目的として、内側の移動柵を3メートル外側にずらした上で、競走を施行していたのだ。ただし、皐月賞2日前に移動柵は内側に移動させられ、現在はホープフルステークスを走った時の感覚と同じように走ることが出来る。
なお、とみおの情報では――コースの内側3メートル幅分に、芝生が生えそろった『グリーンベルト』が形成されているとのことだった。この『グリーンベルト』がどういう意味を持つかと言うと――まずは芝状態とウマ娘について話さなければならない。
まず、馬場(芝の状態)と言っても様々だ。レース開幕週における芝の状態は、つまるところ誰にも荒らされていないから、クッションが効いて先行したウマ娘がバテにくくなる。つまり、先行したウマ娘が有利になるのだ。
逆に、レースを重ねてボコボコに荒れた馬場はクッションが効きづらく、先行したウマ娘がバテやすくなる。無論、荒れた馬場が得意か苦手かどうかの適性もあるのだけれど……概ね差しや追込ウマ娘が有利になる。荒れた内馬場を避けて大外を回るのにもスタミナが要るし、展開のアヤも関係してくるけどね。
これらを照らし合わせて考えると、今回の馬場はかなり特殊だ。大内――つまりウマ娘1.5人分のコースは綺麗な芝状態で、少し外に出ればボコボコに荒れた芝が待っている。更に大外に持ち出せば、距離の超大幅ロスはあるものの、再び綺麗な馬場が顔を覗かせる。
内枠のウマ娘や逃げウマ娘に有利な反面、中途半端な先行策では荒れた馬場を走らされてスタミナロスは免れないという状況だ。
つまりどういうことかと言うと――最初の直線でセイウンスカイを競り落としてハナに立たないと、荒れた馬場を走らされてしまうということだ。スタミナには自信があるとはいえ、今日の私は2001メートルできっかり体力を使い果たすような走り方を研究してきた。単純なスピードが足りないから、生来多く兼ね備えた
言ってしまえば、この皐月賞はスタートで全てが決まる。最初の200メートルで、残りの1800メートルの展開が全て決定づけられてしまう。私はいつも以上に、ゲートからの飛び出しに気を遣わなければならないのだ。
正直、URAをちょっと恨みたくなった。その理由は致し方ないものとはいえ、私にとっては強い強い向かい風となる障害だから。無論、しっかりと公式にアナウンスがなされていた情報だし、それを受けて作戦を考えるのも私達の役目なのだが……爆逃げすることしか能のない私には、この状況を有効利用するようなアイデアが思い浮かばなかった。
「俺達がマークするのは――同じく逃げの作戦を取ってくるであろうセイウンスカイだ。スペシャルウィークとかキングヘイロー、その他の子にぶっ差されたなら俺を恨んでくれ」
「恨まないよ。2人で話し合って決めたことじゃん」
「……そう、だな。それに、どうせアポロが勝つんだから負けた時のことを考えてもしょうがないか……」
「さすがに強気すぎない……?」
「ここまでやることはやって来た。これで勝てないのはおかしいってもんさ」
そして、枠番が決まってから幾度のミーティングを経て、私がマークするのはセイウンスカイに決まった。これにはしっかりとした理由がある。
まず、大外枠のスペシャルウィークは、わざわざ危険を犯してまで先行策に打って出る可能性が限りなく低いからだ。ホープフルステークスの時のように、逃げの有力ウマ娘が1人だけなら彼女も食いついてきたのだろうが……今回は内枠と外枠に人気上位の逃げウマがいる状態。ハイペースかスローペースになるかの予想がしづらく、わざわざリスクのある前目の策を選ぶとは思えない。よって、スペシャルウィークは大人しくバ群の後ろにつけてのレースをすると考えられたため、私の意識外に置いて良い存在だと結論付けた。加えて、今回は馬場状態の影響で差しウマでも大外枠に不利があるため、ある程度は脅威ではなくなるととみおは力説していた。
次にキングヘイローだが……彼女は6枠12番。枠番に対して特筆することはないが、彼女の弥生賞のレースっぷりから言って、キングヘイローは枠番に応じて柔軟な策を取るとか――そういう気はさらさらないと見えた。つまり、彼女は今回も差しで来る。よって、逃げの私とはある程度離れた距離関係になると予想されたため、彼女もマーク対象から外れた。また、馬場の勝手が違う中山のコースで
結局、私がマークするのはセイウンスカイ。逃げウマの相手は逃げウマなのだ。彼女はスタートがそこまで上手くないから、何とかハナを奪って――逃げて逃げて逃げまくってやる。セイちゃんが私のペースを乱そうというのなら、私は暴走気味に速度を上げてやろう。逆に
会議を兼ねた柔軟運動が終わると、控え室の扉がノックされた。「失礼します」と扉の向こうから顔を出したウマ娘のスタッフは、現在時刻がレース2時間前であることを告げた。とみおは着替えが始まるのだと察して、そそくさと控え室を後にする。
それを確認して、ウマ娘のスタッフは薄く微笑んだ。
「アポロレインボウさん。勝負服に着替えた後、お化粧をしますので」
……いよいよだ。私は純白の勝負服を手に取り、ジャージを脱ぎ捨てた。