ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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40話:決戦!皐月賞!その2

 私は太陽の眩しさに目を細めつつ、遂にターフの上に降り立った。そこには想像もつかないくらいの観客がいて、遥か遠くまで続くスタンドを埋めつくしていた。

 

『大歓声がターフを包む中山レース場! 果たして誰がこの歓声を返しウマのものだと思うでしょうか!? さあ、その歓声を作った原因とも言える芦毛の爆逃げウマ娘――アポロレインボウがホームストレッチを爆走しています!』

『見慣れた光景とはいえ、些かシュールですねぇ……』

 

 本場入場が行われ、早々と返しウマが行われる。私はコースを軽く回るついでに例の『グリーンベルト』を主とした芝の状態を確かめるべく、視線を下に落としていた。

 

 うん……思った通り、走路の内側はめちゃくちゃ走りやすい芝のコースができている。だけど、少し外に持ち出せば足を取られかねないボコボコの悪い芝があって……更に大外には状態の良い芝が広がっている。

 

 それは遠くから見ても明らかだった。大内側3メートル分は青々とした緑の層になっていて、その外側の荒れたゾーンは若干土っぽくくすんだ色の層になっている。

 

 返しウマを行っているウマ娘全員がターフを睨んでおり、その『グリーンベルト』に気付かぬウマ娘など皆無という状態だ。あるウマ娘に至っては、『グリーンベルト』と『グリーンベルト外』を走り比べるという返しウマまで行っていた。

 

 返しウマ兼準備運動が終わると、G1専用のファンファーレが鳴り響く。ウマ娘に関わる者なら誰もが耳にしなかったことはない壮大なファンファーレ。胸が高鳴り、視界がより狭まっていく。戦時中に音楽を鳴らして士気を高める部隊がいたそうだが、今ならその気持ちが分かった。

 

『雲ひとつない快晴の下、中山レース場に集った世代を代表する精鋭18人。春の穏やかな空気に交じって、緊張感が辺りを包んでいます。10万人を超える観客に見守られる中、次々にゲートインが行われていきます』

 

 続々とゲートインが完了し、閉じられていく背後の柵。私も颯爽とゲートインし、胸に手を当てた。

 

『外枠のアポロレインボウもゲートイン。残ったのは、少しゲート入りを拒んでいるセイウンスカイです――が、今入りました。これで全員のゲートインが完了、いよいよ発走です』

 

 ――大丈夫。私にはトレーナーがついているんだ。

 黒い闘争心を剥き出しにして、ターフを踏み締める。苛立ちに似た激情に心が支配されているが――思考は冷静そのもの。周りも良く見えている。腰を沈め、遥かな沈黙の中、私はスタートの瞬間を待つ。

 

 今か。いや、次の瞬間か。それとも、その次の刹那か。

 ギリギリまで重心を落とし、力を溜めるように踵に力を入れ――

 

『世代で最も“はやい”ウマ娘を決める皐月賞が今――』

 

 ――ガシャコン、と音がした瞬間、私はゲートを飛び出した。

 

『――スタートしました!!』

 

 皐月賞が開幕した。ワッと歓声が上がり、熾烈な位置取り争いが始まる。

 

『ポンと飛び出したのはセイウンスカイ。アポロレインボウも負けじと好スタートです。2人が前に行き、ペースを作ります』

『後ろ気味の作戦の子はごちゃついたスタートになりましたね。これは後続の位置取り争いが激しくなりそうです』

 

 ロケットスタートを成功させた私はぐいぐいと前に持ち出し、足を使ってハナを奪取しに向かった。今回の脚質構成は、逃げ2人、先行7人、差し5人、追込4人。差しの位置にキングヘイローとスペシャルウィークがいるはずで、私と同じように先頭を取りに来るであろう“逃げ”のセイウンスカイは――

 

 ――いた! どうやら彼女も良いスタートを決めてきたらしい。内側のコースを走っている彼女と目が合った。私は大外枠のスタートだったため、スピードを上げて内ラチ目掛けて一直線に走った。ほとんど横並び――僅かにセイウンスカイが優位に立ちながら、ホームストレッチをひた走る。

 

『坂を上り、まだ先頭は決まらない。セイウンスカイとアポロレインボウが争っている。1番人気のスペシャルウィークは後ろの集団やや外めに取り付いたぞ! キングヘイローはスペシャルウィークの内側前目につけて周囲を窺っている!』

 

 坂路トレーニングの成果が出たのか、かなり楽な手応えで1度目の坂を上り切る。しかし、内ラチにいるセイウンスカイも全く譲らずに加速してきた。やはり()()()()()()()()()()。私は既にトップスピードに乗っているというのに、セイウンスカイはまだ余力を残したような表情でついてくる。それどころか、私を引き離すように速度を上げようとしているではないか。

 

(させるか――!)

 

 私はセイウンスカイに体をピッタリと寄せ、肩がぶつかる寸前まで肉薄する。そして、その瞳で『ハナは絶対に譲らない』と睨みを効かせる。無論、セイウンスカイがここまで競り合って来ると言うことは、彼女とて先頭を譲ってくれる気なんてないのだろうけど。

 

『ホームストレートを駆け抜ける18人。1番手は僅かに内側のセイウンスカイ。2番手は外を追うアポロレインボウ。3番手は3身離れてリトルトラットリア。先行した集団の先頭です。12番手にはキングヘイロー、13番手にスペシャルウィーク。最後尾はディスティネイトが行きます』

 

 時速70キロを超す高速で競り合う私とセイウンスカイ。彼女はペースメイクを放棄したのか、レコードペースで爆走する私に抜かれまいと前を行っている。

 

 第1コーナーの曲がり初めまであと少し。そろそろ『グリーンベルト』の外の荒れた場を走らされ続けるのはキツい……!

 

 横並びでハナを争っているこの状況を打破するため、私はコーナーリングを利用していよいよトップスピードに乗り、セイウンスカイを引き離しにかかろうとした。

 

 ――が、セイウンスカイは私の走りを横目で確認すると、更に加速してギアを上げてきた。ぎょっとしながら私は前傾姿勢になり、“いつものアポロレインボウのペース”で爆逃げを開始する。

 

 私の位置取りは外を回らされての2番手。しかし、目まぐるしく脚を回転させてかなりの高速にある。彼女が私を抑え込もうというつもりなら、私はどれだけでも反発してやる。だから、セイウンスカイの望むようなスローペース展開にはさせてやるまい。諦めることだ、セイウンスカイ。私はかなり根性があるんだから。さぁ、大人しく先頭を奪わせろ――!

 

『第1コーナー曲がってレースはいよいよ中盤。3番手以下の争いはある程度落ち着いてきましたが、先頭の2人がまだまだ激しくやり合っています。2番手のアポロレインボウに押されるように、セイウンスカイはどんどんペースを上げているぞ。これはかかっていますかね?』

『どうでしょうか。セイウンスカイの作戦と言ってしまえばそれまででしょうが……純粋なスタミナ勝負ならアポロレインボウに分があるでしょうね』

 

 第1コーナーを曲がって、1番手はアタマ差でセイウンスカイ。縮んでも抜かしきれない僅かな差。直線からずっとそうなのだが、一瞬ほんの少しだけなら抜かせてくれるのだが、私がセイウンスカイの前に入ろうとした途端に速度を上げてきて、どうにも完璧なハナを取れないのだ。内枠の有利を活かしたいやらしい技巧。

 

 私はまだ粘ってくるセイウンスカイに苛立ちと焦りを覚えていた。必死の形相で内枠を走るセイウンスカイ。スピードを上げても上げても、僅かばかり先頭を譲ってくれない。とうに『最初の200メートル』は終わりを告げ、レースは第2コーナーを抜けてバックストレートが見えてきた。

 

 ――まだ、抜かせてはくれない。全力全開で走っているのに、内枠で粘るセイウンスカイが粘りに粘る。しかも、コーナーの外側――しかも大きく荒れた芝を回らされているため、スタミナロスがいよいよバカにならなくなってくる。

 

「ぐっ――どうして――――!」

 

 ちかちかと光る視界の中、疑問が生まれる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 彼女の得意分野は集団のペースを握り、前後のウマ娘にトリックをかけ、レースの時計を掌握することではないのか。セイウンスカイの実力なら、私にハナを奪わせて自由に走らせ、その上でトリックなり布石なりを仕掛けて勝利を奪いにきそうなものなのに――

 

 これでは作戦もクソもない。私達が組み立ててきた綿密な作戦は、ハナを取った上で成り立つものだったというのに――プレッシャー対策やその他の会議が水の泡だ。

 

 私は斜め前方を走るセイウンスカイを睨む。セイウンスカイは私を確認すると同時、チラチラと視線をターフの下に落としていた。

 

 そこで気づく。セイウンスカイが走っているコースが、内ラチやや外寄り――『()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そこは、ターフの大内コースではない。内側にはウマ娘ひとりが入れるか入れないかくらいの隙間が開いている。当然疑問が生じる。何故最短距離を走らない? と。

 

 私だったらもっと内ラチ側に詰めて最短距離を走る。ならば、セイウンスカイが内側の柵に激突することを恐れているとか。……いや、これは違う。彼女のレース映像を見る限り、セイウンスカイは内ラチに激突することなど恐れてはいない。なら、どうして――?

 

(まさか、このウマ娘――)

 

 ――ここまで思い至って、私の脳に激震が走った。

 

 あるではないか。あえて最短距離を走らず、グリーンベルトの外側に詰める理由が。

 

「――っ、セイウン――スカイ――っ!!」

 

 このウマ娘――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 中山レース場に作られた『グリーンベルト』は、幅3メートルの内ラチ沿い。つまるところ、ターフを走るウマ娘1.5人分の感覚しかない。セイウンスカイはあえて内ラチいっぱいを走らず()()()()()ことによって、私をグリーンベルト外に完全に押し出していたのだ。

 

 そうすることで、セイウンスカイは経済コースを通りつつ脚を比較的温存することができる。逆に、彼女がマークしているアポロレインボウは、同じコースを走っているというのに必要以上に脚へのダメージを受ける。彼女とて、ハイペースによってある程度のスタミナが削られるのは計算の内という訳だ。それ込みで、内枠と『グリーンベルト』の優位を取りに来た。

 

 私の焦燥に駆られた表情を見て、『やっと気づいたか』と意地悪くにやりと笑うセイウンスカイ。しかし、一瞬表情が歪んだかと思うと、顔を真っ青にしながら「かひゅ――」と鋭く息を吸い込んだ。私のペースが想像以上に速かったのか、彼女とてそこまでの余裕は無いらしい。

 

『第2コーナー曲がって向正面に入りました。前半の1000メートルを通過して――ペースはかなり早い57.8秒を計測しました! これは驚きです、やはりアポロレインボウのペースに付き合うのは危険だ!』

『セイウンスカイは言うまでもありませんが、アポロレインボウも苦しそうですね。荒れたターフのゾーンを走らされているからでしょうか。どちらにせよ、暴走じみたこのハイペース……前の2人はレース後半に後続に捕まるかもしれません』

 

 苦しげに呼吸を繰り返すセイウンスカイを見ながら、私の脳裏に2つの選択肢が過ぎる。

 

 ――1つ。このままグリーンベルト外を走らされ続けたら、途方もない体力消費によって最終直線の坂で力尽きてしまう恐れが大きい。だから――苦しい決断になるが、セイウンスカイにハナを譲る。2番手追走の形にして『グリーンベルト』を駆け抜けてスタミナを温存し、最後のチャンスに賭ける――これが1つ目の選択。

 

 ――2つ。私がハナを取れなかった場合の走りなど、ゴミ同然だ。逃げ以外の作戦を取った選抜レースは大敗に終わり、その他のトレーニングでも()()()()()レース展開には向かないことが明らかになっている。どうしても先頭は譲れない。だから、死ぬ気で速度を上げてセイウンスカイを磨り潰し、先頭を奪いにかかる――これが2つ目の選択。

 

 どちらの選択にも穴はある。1つ目の選択の脅威は、セイウンスカイが私をブロックしつつスローペース展開に持ち込むかもしれないということ。また、2番手になった途端に自分の走りを見失い、二度と先頭に上がれなくなるかもしれないこと。

 2つ目の選択については、言うまでもなくスタミナ切れによる失速が怖い。もしもセイウンスカイが意地を張って頑としてハナを譲らなければ、逃げウマ2人は仲良く自爆だ。上手く先頭に立ったとしても、セイウンスカイと争いすぎた結果、最終直線で争う体力がなくなる恐れもある。

 

 どちらを選んでも地獄。この状況にされたことがそもそも絶望的だ。セイウンスカイというトリックスターにしてやられ、私は追い詰められている。

 

 どっちだ。どっちにする。

 私は未だに譲らないセイウンスカイを見て、苦渋の判断を下した。

 

『おっと!? アポロレインボウがペースダウン!! 行った行ったの位置取り争いが遂に終わったのか!? 会場が大きくざわめいています!』

『これは――スタミナ温存のためでしょうか? 怪我をしたわけではなさそうです』

 

 私が選んだのは――2番手追走。何もかもが最悪な賭けだったけど、私はより勝利確率の高い方を選ぶことにした。例えこの先でセイウンスカイを競り落としたとしても、最終直線で競り合うスタミナが無ければ勝てないのだ。兎にも角にもスタミナ切れだけは何としてでも避けなければならない。

 

 私は大きく息を入れてペースを落とした。上体を起こして速度を緩めたと同時、セイウンスカイの鋭い視線が私の身体を射抜く。するとどういう訳か、セイウンスカイも私に合わせるようにペースを落としてきたではないか。いや――()()()()()()()()()()()()()()()()。これは一体――?

 

『んん!? セイウンスカイもペースダウン!? セイウンスカイ、アポロレインボウを目視した後、不可解な失速! 2人は並んだままだぞ!?』

 

 結局、速度を緩めたセイウンスカイと私は併走の形でバックストレッチを終えることになった。まだ彼女は私の内側を走っている。()()()()()()()()()()()()()、ずっと張りついてくる。第3コーナーを曲がりながら、私の頭は激しく混乱していた。

 

 もう私はハナを取ることを諦めたのだ。何故ピッタリとついてくる? それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嫌な予感がした。今世紀最大級の混乱と、ぞっとするような恐怖と、敵意と、苛立ちと、感嘆と――ぐしゃぐしゃになった激情が脳を支配していく。

 

 もしそうだとしたら――私はどうなる。セイウンスカイはどうなる。私は負ける。セイウンスカイが勝つ。勝ってしまう。そんなの嫌だ。まずい、非常にまずい――状況は最悪最低だ。どれだけ思い切った読みなのだ。この大一番で、どうしてそんなことができるのだ。

 

(セイウンスカイ、私の思考と展開をここまで読み切って――)

 

 これがトリックスター、セイウンスカイの本領だと言うのか。

 

(だけど――認めない!! 絶対に譲らないっ!! セイちゃんにもスペちゃんにもキングちゃんにも、他の子には絶対に負けたくないよ!! ――やれることを考えろアポロレインボウ!! 術中にハマったなら、ハマったなりにベストを尽くせ!!)

 

 だが、セイウンスカイに読み切られたとしても――絶対に諦めない。私は絶望と酸素不足を受けて限界寸前の脳を高速回転させ、この状況の打開策を探る。

 

 『グリーンベルト』内を走らせてくれないなら、私は必然的にスタミナ保持のためにペースを緩めざるを得ない。当然のように横並びになってくるセイウンスカイは、私が速度を落としたことによってスローペース展開を作り出した。セイウンスカイが息を入れる隙も生まれてしまい、皐月賞のペースは明らかにセイウンスカイの手中にある。

 アポロレインボウという暴走ウマ娘の存在があるため、殺人的ハイペースが鳴りを潜めるとは思ってもいないだろう後続のウマ娘達は、位置取りが下がってきた私とセイウンスカイを避けるようにペースを落としていく。私達は、彼女の逃げによって上手く転がされてしまったのだ。気付いた時にはもう手遅れな、彼女のトリック。アポロレインボウと『グリーンベルト』の存在を逆手に取った大胆な作戦。これらが実を結び、彼女は皐月賞というタイトルをぐっと引き寄せている。

 

 だが、やれることはまだ残っている。残り600メートル、後悔のないように動け、考えろ、勝利へと続く光を探し出せ! この最終コーナーで彼女を捕まえて、そして最後に引き離してやるのだ。

 

 ――そう思考し、第4コーナーに差し掛かった瞬間だった。

 

 うなじから背中にかけて、ばっさりと抉り取られた――そう感じてしまうほどのとてつもない怖気が私の背筋を襲った。誰かの『領域(ゾーン)』だと反射的に理解したが、時すでに遅し。その恐怖を司るウマ娘は――目前を走るセイウンスカイだった。

 

「――うぐッ!!」

 

 ――まずい。何かが来る。恐ろしい何か――抗いようのない強さの塊が。直感的に彼女の背中を捕まえにかかるが、全てが遅すぎた。目の前の光景が歪み始め、セイウンスカイの全身から生み出された黒い瘴気が私の四肢を呑み込み始める。途方もなく強いチカラ――激しい想いが私を侵食してくる。

 

 やがて闇の中から眩い光が差し込み、黒い瘴気を通して私の中に激情が流れ込んできた。見せられる。魅せられる。セイウンスカイの心象風景。水平線が広がる大海に、ぽつんと孤独に浮かぶいかだ。その上で瞳を閉じ、寝ているのか起きているのかは分からないが――釣竿をしかと握っているセイウンスカイ。間を開けずに竿を持ち上げた彼女は、見事に大物を釣り上げてみせた。

 

 その場にいる全員の意表を突き、胸をすかすような大勝利を掴みたいというセイウンスカイの強い意志が、私の瞼の裏に焼き付けられる。或いは、彼女が自覚する才能のなさから来る圧倒的な不安。絶望。その中で見出した希望、『祖父』との思い出。

 

 あまりにも眩い輝きに、私の身体は一瞬だけ動きを止めた。

 

 ――【アングリング×スキーミング】

 

「――――じいちゃん――――」

 

 刹那、何かを呟いたセイウンスカイが前傾姿勢になり、最終コーナー終わり際からラストスパートを開始した。ぎょっとして仕掛け遅れた私は、打開策の無いままに2番手を懸命に追走する。メジロマックイーンに全く引けを取らない『領域(ゾーン)』の輝きに呆気に取られてしまった。この立ち遅れが、後になって悔やんでも悔やみきれない差になるかもしれない。私は懸命の疾走で最終直線に入っていく。

 

『第4コーナー曲がって最後の直線に入ります!! 残り310メートル、中山の直線は短いぞ!! 先頭はセイウンスカイ!! 少し離れてアポロレインボウ、更に後ろにキングヘイロー!!』

 

 最終コーナーを曲がって、1番手は2身前を行くセイウンスカイ。2番手は私、3番手に上がってきたのは更に2身ほど開いてキングヘイロー。6番手にスペシャルウィークの姿も見える。

 

 私はここで初めてグリーンベルト内に足を踏み入れる。僅かな差だが、グリップが効いて確かに走りやすかった。これなら追いつけなくもないはず――と、私も全速力のスパートを開始した。幸運にも、先程のペースダウンでラストスパートをかけるくらいのスタミナくらいは残っていた。問題は坂だが――そこは持ち前の根性で乗り切るしかない。

 

 立ち塞がる急坂に挑んでいくセイウンスカイを視界の真ん中に、私は坂を上り始めた。今までのラストスパートとはペースも展開も違う。それでも皐月賞の栄光のため、私は走らなければならない。

 

――アポロ、もっと太ももを上げるんだ! その程度でへたれてたら、中山の坂は登れないぞ!!――

 

 トレーナーの言葉が脳裏に響く。残り180メートルから70メートル地点に待ち受ける、たったそれだけの坂。しかし、私はこの一瞬の距離を走るために長い時間をかけてきた。この坂道は何歩で走破できるのか? 10歩か、それとも20歩か? 綿密な計算とシミュレーションを行い、この坂を超えることは中山レース場を攻略することだと、そういう信念のもとトレーニングを行ってきた。

 

――俺はターフの上じゃ戦えない。君はこれからひとりで戦わないといけない。でも、俺はずっと走る君の隣にいる――

 

 坂を駆け登る。止まりそうになる身体を押す不思議な力があった。ひとりで走る私に寄り添う想いがある。私を信じてくれる人がいる。そう自覚すると、疲れ切っていた私の脚が再び回転を始め、驚異的な加速を始めた。

 

 セイウンスカイの背中は見えていた。ラストスパートに入った彼女に再び並ぶ準備はできている。後ろからキングヘイローが凄まじい脚を使って追い上げてくるが、ペースを乱したのか『領域(ゾーン)』は発動していない。それでも私やセイウンスカイを捉える圧倒的な速度だ。

 

『残り200メートルの標識を通過して、セイウンスカイ!! セイウンスカイがひた走る!! 芦毛のトリックスターが皐月賞の戴冠を目指して懸命に腕を振っている!! しかし、それを防ごうと走るのもまた芦毛!! アポロレインボウがここに来て再加速!! 先頭との距離を縮めている!! どちらが勝つのか全く分からない!!』

 

 ここで、セイウンスカイに予想外のペースダウンが起こった。彼女の上体がブレて、回転の早い脚の動きが止まりかけている。続いて、速度が目に見えるくらいに落ちた。

 

 そうだ、セイウンスカイとて、グリーンベルト外を走っていた私の超ハイペースに向正面まで付き合っていたのだ。であれば、彼女のスタミナは予想以上に削れているはず。彼女にも予知できないことがあったのか……!

 

 これまで完璧にセイウンスカイの手のひらの上で転がされ、少なくない絶望を感じていた私は、差し込んできた希望の光に縋りついた。大声を上げながら、加速した身体を思いっ切り沈み込ませる。彼女を追い抜くために外に持ち出し、荒れたターフの上に再び躍り出る。蹴りつけた土混じりのターフが踵で跳ね上げられて、遥か後方へと吹き飛んでいく。それに呼応するように、私の身体は前へと押し上げられていく。

 

「うああぁぁぁああああああああっっっ!!!」

 

 2身あったセイウンスカイとの差は1身――いや、1/2身。鋭く胸を刺す痛みに顔を顰めながら、私はセイウンスカイを横目に睨んだ。彼女は必死の形相で懸命に胸を反らし、息も絶え絶えに咆哮している。

 

 私もセイウンスカイも限界ギリギリ――いや、もう限界などとうに超えている。気を抜けば差される――または逃げ切られると、極限の緊張感の中走り続けている。そして、両者とも絶対に諦めてなどいない。ここから差し切る。前に残して粘り切ると――2つの激しい想いがぶつかり合っている。

 

 ただ、ボコボコのターフを走ったことで削られに削られた私の体力も空っぽだ。グリーンベルト外を実質1800メートルは走っていたのだ――残り100メートルを切って、私の脚は既に棒切れ同然になっている。

 

『セイウンスカイに迫るアポロレインボウ!! 中山レース場の青空に虹が掛かるか!? 2人の優駿が死闘を繰り広げている!! そして、更に大外からジュニア級チャンピオンが突っ込んでくる!! ターフの上で緑の勝負服が踊っている!! 王座は譲れないぞキングヘイロー!! 1番人気のスペシャルウィークは4番手でもがいている!!』

 

 気がつけば、背後にキングヘイローが突っ込んできていた。その差は1身。相も変わらずぶっ飛んだ末脚。しかし、残り100メートルもないこの距離――僅かに届かないはずだ。

 

 つまるところ、私とセイウンスカイとの一騎打ち。魔王の如き掌握力を潜めていたトリックスターと、逃げることしか能のないスタミナお化け。最初から最後まで意地の張り合いとなった皐月賞、私と彼女の差はアタマ差だった。

 

「絶対――負ける、もんかあぁぁあああああああっっっ!!!」

 

 死ぬ気で首を伸ばし、皐月賞のゴール板に近づいていく。栄光まで残り50メートル。喉が干上がってちぎれそうだ。膝が悲鳴を上げている。腕の先の感覚がない。汗が視界に入って邪魔だ。赤い。苦しい。でも、もっと速く――!!

 

『残り50メートル!! 先頭は2人並んだ!! 首の上げ下げ!! 首の上げ下げ!! 頑張れアポロレインボウ!! 頑張れセイウンスカイ!!』

 

 遂に真横に並んだセイウンスカイと睨み合う。彼女は息も絶え絶えで歯を食いしばり、虫の息だ。私に並ばれて、その表情は絶望に大きく歪んでいた。

 

 ――しかし。

 

「クラシックは――皐月賞は、私のモノだぁぁぁああああああっっっ!!!」

 

 ――セイウンスカイの悲鳴に似た絶叫が、彼女の背中を押した。『領域(ゾーン)』の残滓か、それとも彼女自身の底力か――或いは両方か。

 

 全身全霊のラストスパート。

 闘志を剥き出しにして、喉が枯れんばかりに叫んで。

 

 私達は縺れ合ったままゴール板を駆け抜けた。

 

『ゴォォールッッ!! 同時にゴール板を駆け抜けたのは、アポロレインボウとセイウンスカイ!! 僅かにセイウンスカイが体勢有利か!? これは写真判定です!!』

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