ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
『日本ダービーに世代の“6強”が集結!』との見出しで各社からニュースが飛び交うようになったダービー前日のこと。私達は最後のトレーニングを軽いランニングで済ませ、早々とトレーナー室に引っ込んで最終チェックを行うことにした。
出走表は以下の通り。前日時点での人気も出ている。
1枠1番、1番人気アポロレインボウ。
1枠2番、4番人気キングヘイロー。
2枠3番、17番人気バイタルダイナモ。
2枠4番、3番人気エルコンドルパサー。
3枠5番、2番人気スペシャルウィーク。
3枠6番、16番人気セプタゴンサモナー。
4枠7番、12番人気コルネットリズム。
4枠8番、13番人気タイドアンドフロウ。
5枠9番、8番人気メジロランバート。
5枠10番、5番人気グラスワンダー。
6枠11番、14番人気ジュエルトパーズ。
6枠12番、6番人気セイウンスカイ。
7枠13番、15番人気キーカード。
7枠14番、18番人気アテーメ。
7枠15番、9番人気ディスティネイト。
8枠16番、11番人気アルゴル。
8枠17番、10番人気コインシデンス。
8枠18番、7番人気ミニジニア。
私の1番人気は恐らく皐月賞の結果と枠番を考慮してのものだ。前レースの皐月賞は、逃げの私に対して絶望的な不利がありながらもハナ差の2着に食い込めた。それが評価されたのだろう。それと、勝てそうで勝てない判官贔屓的な人気もあると思う。それが推されての1番人気。
無論、どんな形にせよ1番人気は変わりない。一生に1度、夢の舞台の日本ダービーで――私は1枠1番1番人気という豪運に恵まれたのだ。やっと三女神様も私の背中を押してくれる気らしい。ここで勝たねばウマ娘が廃る。
2番人気になったスペシャルウィークは、皐月賞こそ4着だったものの、あれは大外の不利と集団に囲まれていたための敗北だった。地力の高さなら間違いなくG1級と太鼓判を押され、私に次ぐ2番人気となった。
3番人気のエルコンドルパサーは、ここまで無敗。しかし、『シンザン記念(G3・1月2週)→ニュージーランドトロフィー(G2・4月2週目)→NHKマイルカップ』までのローテーションは全て1600メートルの舞台で戦ってきている。それがいきなり800メートルの距離延長に加え、過酷な中1週での参戦。いくら無敗のウマ娘とはいえ、少し厳しいレースになるのではないかという評価だ。
4番人気のキングヘイローは、ホープフルステークス1着、弥生賞3着、皐月賞3着の安定した成績を評価されてこの位置だ。エルコンドルパサーと同じく距離延長に対して疑問の声が上がっているものの、全てのレースで必ず掲示板に突っ込んでくること、加えて完全爆発した時の末脚を脅威とされていて、依然として高い人気だ。
5番人気のグラスワンダーも、ここまで無敗。2400メートルの距離延長もG2・青葉賞で問題なしとされた。……だが、ファンや関係者が青葉賞の走りを見た際、少なくない人数が『グラスワンダーは左回りが苦手』だという印象を抱いたらしく、この人気に落ち着いた。
皐月賞ウマ娘セイウンスカイの人気が6番になっているのは、皐月賞での勝利を『グリーンベルトと内枠有利が重なっただけ』とフロック視されたためだ。それと、撮影やインタビューによって調子が大きく狂ってしまったそうで、人気がここまで落ちるに至っている。とはいえ、7番人気とは大きく差を空けての6番人気なため、結局6強なことは変わりなさそうだ。
「――というわけで、明日はいよいよ日本ダービーだ。俺達の大目標は菊花賞とはいえ、負けるためにダービーに挑むわけじゃない。本気で勝ちに行く」
ホワイトボードを持ってきたとみおが東京レース場のコースを描き始め、私に向き直る。今から行うのは、これまで何度も繰り返し確認してきた作戦のおさらいだ。
「作戦をおさらいする前に、『6強』のウマ娘がどんな風に動くかの予想をもう一度確認しておこう」
そう言ってとみおは、2番人気のスペシャルウィークの顔写真をマグネットで貼り付けた。ホワイトボード上にある私とエルコンドルパサーとキングヘイローの顔写真も集まってくる。
「まず3枠5番のスペシャルウィークの立場になって考えると――右隣にエルコンドルパサーがいて、3つ隣にはキングヘイローがいる状態だ。そして最内枠のアポロがいて……とにかく選択肢が多い。差しの作戦で行くならキングヘイローをマークするだろうし、先行で行くならエルコンドルパサーかセイウンスカイかアポロをマークするかの択になる」
「……とみおの考えで言えば、スペちゃんは『先行』を選ぶだろうって話だよね? キングちゃんは内側スタートだから馬群に呑まれると読んだ上で、早めに好位置につけて私達を捕まえに来るって」
「その通り。だからスペシャルウィークは最も警戒すべきウマ娘のひとりだな」
そう言って、とみおはスペちゃんの顔写真を手の甲で叩いた。
スペちゃんに感情移入して考えるなら、400メートルの距離延長を鑑みてホープフルステークスの時みたく露骨に私を捕まえに行くことはしないだろうが、自分のベストな走りをしたいはずだ。であれば、内枠の有利を活かしつつレースを広く俯瞰できる前側待機が丸い。スペちゃんの作戦は先行、マーク対象はセイウンスカイかアポロレインボウかエルコンドルパサー。
……こう言うとアレだが、私は弱くない。それどころか、対策をしなければ易々と勝利されてしまうほどには強いのだ。客観的事実として、ホープフルステークスや皐月賞でセイちゃんスペちゃんのマークをガッツリ食らってなお、僅差の負けにまで持ち込めたわけだから……気づくのが遅かったと捉えるべきか、器用じゃない私が対策の対策を実行するのは難しかったと考えるべきか。
とにかく、私もそこまでのウマ娘になったのだ。こうしてしらみ潰しに作戦を考えて、皐月賞のようなことがないようにしなければならない。
「次に2枠4番のエルコンドルパサーについて考えてみよう。絶好の内枠だから、彼女の作戦はまず先行で間違いない。問題はマーク対象だな。スペシャルウィークか、セイウンスカイか、それともアポロか。まあ、彼女は王道のレース運びを好む傾向にあるから、アポロみたいな殺人ラップを嫌うだろう」
エルちゃんの顔写真が私の顔写真の上に重ねられる。とみおの予想で言うと、エルコンドルパサーは私をマークしに来ると決め打ちされている。
「ただ、向こうからしてみれば君の爆逃げは初めての経験だ。無論、かなりの対策を積んできてはいるだろうが、こっちだってプレッシャーやトリック対策はできている。ま、そういう意味では五分五分だな」
とみおはエルコンドルパサーの顔写真を外すと、次はキングヘイローの顔写真をホワイトボードに貼り付けた。
「キングヘイローは1枠2番なんだが……彼女は迷いどころなんだよなぁ。内枠で臨んだ弥生賞は、馬群に呑まれたことが敗因のひとつだし……とはいえ、彼女からしても得意の差しのスタイルは崩したくないだろうからなぁ」
キングヘイローの顔写真が、ホワイトボード上に描かれた東京レース場の上をうろちょろする。とみおが未だに彼女の動向を掴みかねているように、私がキングちゃんの立場に立って考えてみても『差し』か『先行』かを選ぶのは非常に難しかった。
これまでのキングちゃんのスタイルは全て差し。弥生賞では馬群に包まれてペースを乱し、皐月賞では途中のスローペースによって
それをとみおに伝えると、彼は「アポロもそう思うよな……」と言ってキングヘイローの顔写真を睨んで頬を掻いていた。
「キングヘイローに関しては、馬群に包まれること覚悟の『差し』かもな……」
とみおは続いてグラスちゃんの顔写真を貼り付ける。
「5枠10番のグラスワンダー……青葉賞こそ勝って来たが、正直今の彼女は敵じゃない。左回りの悪癖が治らない限りはノーマークだ。それに、今の彼女じゃ……
――日本ダービーは、
とみおはグラスワンダーを『差しウマ』の位置に持ってきて、キングヘイローと隣り合わせた。これで『先行ウマ』がスペシャルウィークとエルコンドルパサーの2人、『差しウマ』がキングヘイローとグラスワンダーの2人。残るは『逃げウマ』の領域だが……ここに入るのは言わずもがなセイウンスカイだ。
外枠な上にかなりの不調とは聞くが、舐めてかかったらトリックの手中に嵌って食い殺される――セイウンスカイはそういうウマ娘だ。とみおは6番人気のセイウンスカイの顔写真を持ってきて、私の顔写真と向かい合わせた。
「……皐月賞のようにはいかせたくない相手だな」
『逃げウマ』の枠に私とセイウンスカイの2人が収まり、これで6強の作戦予想は終わった。セイウンスカイがどのように動くかは最も予想しにくい。今回はハナに立とうとはしてこないのではないだろうか、2番手追走で色々と仕掛けてくるのではなかろうか、という考えで纏まっている。
そして、私が彼女にできる対策は――絶対にハナを譲らないことだ。隣に並びかけられたら息を入れずにペースを上げ続けて磨り潰し、もし抜かされたら何百メートルを使ってでもいいから抜き返す。また、彼女の仕掛ける不穏な動きに何の反応も示さずに前を向き続けること。そんなめちゃくちゃな行為だけがセイウンスカイ潰しの光明だ。
結局のところ、全員まとめて私の背中を追わせる形にしつつ、思いっ切り走ることが私の作戦である。私の脚質的に考えて、がむしゃらに走ることが最も強いのだ。それが難しいんだけど、とみおに「無我夢中で自分のペースを守り続けられるなら、アポロは間違いなくサイレンススズカ級の逃げウマ娘になれるよ」と発破をかけられた。間違いなく逃げウマ娘に対する最上級の賛辞である。そこまで言われたら、全力で無心の疾走に挑戦するしかなかった。
日本ダービー、私は数多のマークを受けるだろうけど……私がマークする相手はいない。強いて言うなら、気にするのは自分自身だけ。
そして、私の作戦は全力全開で先頭を突っ走って、悔いのない日本ダービーにすること。頭に入れておくことは沢山あるけど、私のような爆逃げウマは結局自分の弱さと戦い続けることになるのだ。厳しいマークを受け、激しいプレッシャーに曝されてもなお折れない強い心を持つことが私の作戦と言えた。
こうしてダービー最後のミーティングが終わると、すっかり太陽は沈んでしまっていて、辺りが真っ暗になっていた。ふと、トレーナー室の開いた窓から流れ込んできた涼しい風に気づく。ほのかに香ってくる青い芝の匂いと、何か運命じみたモノを感じて、私の心はトラックコースを思い浮かべた。
「早めに寝るんだぞ」という忠告を受けながらトレーナーと別れると、私の足はターフに向かっていく。
――何故だろう。心臓が高鳴っている。誰も待っていないかもしれないのに、予感じみた私の第六感が『待ち人』の存在を告げている。早く行け、お前達の未来に必要な人だ――と、私の知らない私が言っている。
早歩きになってトレセン学園内のトラックコースに着いたが、そこには誰もいなかった。照明に照らされたウッドチップコースや、手入れが行き届いて長さの揃った芝がただ沈黙している。月夜の夜風を受けてぶるると震えた私は、ぼそりと呟いた。
「……トラックコース、やっぱり誰もいない……よね。何だったんだろう」
しかし、私の声が闇夜に溶けていったかと思うと、背後の闇から誰かが姿を現した。うわっと声を上げながら照明の照らす方へと逃げると、顔の見えないソイツが手を伸ばして来た。
「あの、あなた――アポロレインボウさんよね?」
「え――サイレンススズカ先輩……?」
闇から光の中に飛び出してきたのは、柔らかい雰囲気を纏うウマ娘――サイレンススズカだった。私は驚いた。まさか、サイレンススズカに名前を覚えられていたとは。直接的な関わりは無かったはずだが、一体どこで……?
私が疑問に思っていると、サイレンススズカはバツが悪そうにジャージの裾を握って目を逸らしていた。
「……えっとね、アポロさんに話しかけたのは……何か用があったとかそういう訳じゃなくて」
「……?」
「何て言えばいいのかしら……そのぅ……
彼女のメンコをつけたウマ耳がバラバラに動いている。サイレンススズカが話している内容はちょっと分かりかねるが、彼女自身も何故か理解していないらしい。運命を感じたとか、誰かに導かれたとか……要領を得ない言葉ばかりだ。
だが、ここに来た理由を答えられないのは私も同じ。得体の知れない何かに誘われてこの場所にやってきた。私は顎に手を当てて考え込むサイレンススズカに近づいて、その手を取った。何故そうしたのかは分からない。ただ、身体が動いていた。
「……アポロさん?」
「と、突然ごめんなさい。でも、
「……そうね。私もそんな気がしてた」
「…………」
中身のないような、そうじゃないような、変な会話だった。彼女と話す私自身も分かったような分かってないような……気持ちがふわふわしていたけど、それでも心に浸透してくる温かいモノがあって。私は気の赴くままにサイレンススズカと触れ合った。彼女も不思議そうにしながら私の頬に触れてくる。
「……私達、初対面よね?」
「私が聞きたいくらいですよ」
「どうしてこんなに感じるものがあるのかしら」
「……さぁ?」
「私、多分この場所であなたに何かを伝えたかったんだと思うわ」
「何かって……何です?」
「――これだけは分かるわ。日本ダービーのことよ」
サイレンススズカが日本ダービーという言葉を口にした途端、ざあっとつむじ風が起こった。彼女の美しい栗毛が舞い上がり、横に流れる。照明の光に当てられて眩く光るロングヘアー。至近距離で通じ合う視線と視線。私はじっとサイレンススズカを見つめたまま、次なる彼女の言葉を待った。
サイレンススズカの視線が彷徨う。右に、左に――。しばしの迷いが終わると、彼女の眉が寄せられて、視線に力が籠った。恐る恐るといったように、その口から鈴の音のような声が紡がれる。
「アポロさんにしてみれば全然そうじゃないかもしれないけど……アポロさんは私に似ているような気がするの。本当に上手く言えないけど……運命じみたものを感じてしまうくらいよ。だから、日本ダービー……絶対に勝ってほしい――……。うん、やっぱり私は
私はその言葉に正直ぎょっとした。理由は言うまでもない。スペシャルウィークの存在だ。てっきり――というか公然なのだが――サイレンススズカはスペシャルウィークを応援しているものだと思っていたから、驚愕もひとしおである。私の目がそう語っていたのか、スズカはくすりと笑った。
「スペちゃんに勝って欲しいのはもちろんだけど、何故かあなたも応援したくなったの。スペちゃんにも、あなたにも――両方、日本ダービーを勝ってほしいなって――」
「――……」
「――それだけよ。それじゃ、おやすみなさいアポロさん。日本ダービー、頑張ってね」
サイレンススズカはそう言うと、にこりと微笑んで闇に消えて行った。光の中に取り残された私は、己の脚を見下ろした。
――日本ダービー開幕まで、残り24時間。