ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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45話:最後のピース

 ――東京優駿、日本ダービー。URAが東京レース場で施行するトゥインクル・シリーズの重賞競走(G1)にして、その中核を担う大競走である。

 

 近年は距離適性による厳格な使い分けの影響で、カテゴリーごとのチャンピオンを選別する体系に遷移しつつある。それでも1年間のトゥインクル・シリーズを振り返る時に日本ダービーの優勝ウマ娘が挙げられる程度には、その特別性は保たれている。

 

 誰もが憧れる至高のレース、それがダービー。このレースを制することは、トゥインクル・シリーズに関わる全ての関係者が憧れる最高の栄誉の1つとされ――ダービーを優勝することは、一国の王になることよりも難しいとも言われている。

 

 

 運命の5月下旬、東京レース場に押し寄せた観客は17万人。朝一番から現地入りした私達が観客の数を目の当たりにして驚くのは、しばらく後のことになるが……これは従来の東京レース場の観客入場数レコードに肉薄する数字であった。

 

 これは桜花賞で爆発した『第3次トゥインクル・シリーズ・ブーム』によるものだろう。第1次ブームがハイセイコーによるブーム、第2次ブームがオグリキャップによるブームだとしたら、私達の世代を中心にして巻き起こっているのが第3次ブームである。

 

 先週に行われたティアラ路線の頂点――G1・オークスが盛り上がったことも要因のひとつだろう。オークスはハッピーミークが4身の勝利を上げ、グリ子以外には負けないぞと気を吐いたレースとなった。この圧勝劇に世間は更に盛り上がりを見せ、熱狂度は今までにないくらいおかしなことになっている。

 

 東京レース場の入場数レコードは196517人。これは、カサマツから中央に移籍してきたオグリキャップの登場――つまり第2次ブームによる恩恵が大きい。しかし、レースに出走したウマ娘の層も厚かった。かつてのアイドルウマ娘・ハイセイコーの意志を次ぐウマ娘――『白いハイセイコー』と呼ばれたハクタイセイ、メジロ家悲願の日本ダービー制覇に向けて勝利を目指す未完の大器・メジロライアン、名脇役・ホワイトストーン、ダービーの勝者となった逃げウマ・アイネスフウジンがいたのだ。これで盛り上がるなと言う方がおかしい。

 

 そんな当時のダービーのレコードに肉薄した今日の17万人という数字は、控えめに言って異常だ。アイネスフウジンの日本ダービーは、東京レース場に入場規制が行われていなかったからね。

 

 

 ――現在時刻は12時を過ぎた頃。昼食を食べ、お茶で軽く喉を潤した私達は、ゆっくりと身体を解すように柔軟運動を始めた。そんな中、カバンにしまっておいたウマホの着信音が鳴り響いた。誰だろうと思ってデバイスを取り出すと、画面に映っていたのは『グリ子』の文字だった。不可思議に感じながら受話器のマークをタップして、スピーカーをオンにする。

 

「もしもし。どしたんグリ子? 何かあったの?」

『何かあったの、じゃないよ! どうして朝イチで起こしてくれなかったの!? ダービー前に言いたいこと、いっぱいあったのに!』

 

 ウマホのスピーカーから漏れ出すグリ子のデカい声。私が起きた朝6時、グリ子は向かいのベッドでぐっすり寝てたから、起こすのも悪いかなと思って放置してきたのだ。言いたいことがあったとしても、トレーニングで疲れてるグリ子をわざわざ叩き起すのは申し訳なかったし……。

 

「だって、グリ子気持ちよさそうに寝てたじゃん。目覚まし鳴ってても起きなかったし、私が声掛けても意味なかったと思うよ」

『ぐ、ぐぅ……それは言わないでよアポロちゃん。……まぁいいや。これ以上時間取らせる訳には行かないから、今から手短に用件だけ伝えるね! よく聞いてよ!』

「ん。分かった」

『――日本ダービー、絶対に怪我しないこと! あとは、絶対に1着を取ること! 分かった!?』

「結構エグいこと言ってない?」

『それくらいの気持ちで行けってこと! あ、そうだ。エルちゃんには絶っっ対に負けないでよ? 特に怪我に関しては私との約束! いいよねアポロちゃん?』

「あはは、肝に銘じとく」

『……よし。ダービー前に話せてよかった。それじゃ、時間取らせてごめんね! 切るよ!』

「ううん、緊張が取れていい感じになったよ。ありがと、グリ子」

『いいっていいって。じゃーね!』

「うん、また後で……」

 

 私は赤い受話器のボタンを押して、ウマホをカバンに押し込んだ。グリ子は青葉賞の翌週に行われたG1・NHKマイルカップにて、エルコンドルパサーに2身の差をつけられての2着に敗れた。

 

 相当悔しかったらしく、グリ子が人目もはばからずに大泣きしていたのを昨日のように覚えている。寮に帰っても彼女の落ち込みようと言ったら痛々しいほどで、3日間は塞ぎ込んだままだった。4日目には気持ちを切り替えていつものグリ子に戻ったのだけど。……やはり、エルコンドルパサーのことがかなり気になっているらしい。グリ子のためにも、このダービーは負けられないよ。

 

 とみおに声をかけて再び柔軟運動を再開すると、彼の口から「良い友達を持ったな」と言われた。だから、「当たり前じゃん」と軽口で返してやった。だってグリ子だよ? 記憶喪失になったとか言ってる同室のウマ娘に優しくしてくれて、サッパリしていて頼りがいがあって。私が勝手に思っているだけかもしれないが――と言うか照れ臭くて本人には言えないけど――私とグリ子は姉妹のようなものだと思っている。それくらい彼女は大切な存在なのだ。

 

 またひとつ、私の背中に積み重なる想いが増えた。気持ちの高揚感は最高潮に達している。私は彼と言葉少なく会話を続けながら、脳内でダービーのシミュレーションを繰り返す。

 

 皐月賞ウマ娘、6番人気のセイウンスカイ。トライアルの青葉賞を制した5番人気のグラスワンダー。同じくトライアルのプリンシパルステークスを制した12番人気コルネットリズム。NHKマイルカップウマ娘・3番人気のエルコンドルパサー。5月2週のG2・京都新聞杯を制した10番人気のコインシデンス。これは前走が『勝ち』のウマ娘。いいイメージを持ったままダービーに向かってきていることは間違いない。

 

 レースにせよ何にせよ、『良い流れ』は確実に存在しうる。前のレースを勝って来たウマ娘――特に連勝中のエルコンドルパサーとグラスワンダーは警戒レベルを引き上げておかねばならないだろう。

 

 身体を解し終わると、ウマ娘のスタッフが入ってきた。勝負服を着付けてもらった後、お化粧をしてくれるのだ。私はとみおの背中を見送ってから、キャリーケース内に大切に保管された純白の勝負服を取り出した。

 

「……ん?」

 

 すると――幻覚だろうか。ウェディングドレス風の勝負服が、キラキラとした粒子を纏っているように見えた。何度か目を擦って、勝負服の生地を間近で凝視する。

 

 ……間違いなかった。細やかな水色の刺繍のあちこちから、雪の結晶のような何かが浮かんでは消えてを繰り返していた。唖然としながら勝負服を指さしてみるが、スタッフさんはにこやかに微笑みながら首を傾げるだけだった。

 

 私だけに見える幻? それとも、勝負服の隠された機能? 煌びやかに舞う結晶の原因は分からなかったが、時間に余裕があるわけではなかったので、私はジャージを脱ぎ捨てて勝負服をスタッフさんに手渡した。

 

 勝負服の着付けとお化粧が終わると、いつもより光を纏ったような風体の自分が鏡の中にいた。……まだ雪の結晶みたいな粒子が、私の勝負服の周りに浮かんでいる。心なしか、勝負服の肌触りがいつもよりひんやりしているように感じた。

 

 スタッフさんにお礼を言うと、彼女は満足そうな顔をして控え室から出ていった。入れ替わりにとみおが入ってくると、たちまち驚いたような表情に変化した。

 

「……アポロ、いつもと何か違うね?」

「え」

「何て言うんだろう。ホープフルステークスや皐月賞の時も君は輝いていたけど――それよりももっとキラキラしてるというか、オーラを纏ってるように見えるというか」

「…………」

 

 とみおが訝しみながら顔を近づけてきたので、私は目を逸らしながら鏡に視線を逃がした。彼の舐めるような視線が私のつま先から髪先まで移動する。かなり照れ臭いけど……この反応からして、トレーナーにも見えてるのかな? この雪の結晶みたいなキラキラ。

 

 私は彼に質問してみようと思ったけど、すんでのところで言葉を呑み込んだ。ダービー直前に訳の分からないことを話し合っても、何の意味もないと感じたからだ。緊張を紛らわせるための雑談としてちょっと話すならいいが、私の目にキラキラが見えている以上会話が長くなりそうだしね……。

 

「き、気のせいでしょ。……見すぎだって、もう」

「あ、ごめん」

 

 とみおが私のへそ付近を見ていたので、彼の頬を両手でぎゅっと挟みながら向こうを向かせる。グエッという声がしたが、まあ彼のことだし大丈夫だろう。

 

 気を取り直して時計を見ると、時刻は14:40を示していた。そろそろダービー前のレース――東京レース場第9レース、条件戦のむらさき賞が始まる頃だろうか。控え室の外から地響きのような唸り声が聞こえてくるから、丁度レースをやっている頃合なのだろうか。それは分からないが、パドックまではあと30分ほど。発走まではあと1時間ほどしかない。あの『日本ダービー』まで、残りたった60分もないのである。期待と不安でおかしくなりそうだ。

 

 よくよく考えてみれば、おかしな話だ。1年前の惨状からは考えられないほど実力をつけてきたとはいえ、日本ダービーに出られるだなんて。

 

 全国で誕生したウマ娘の中から選りすぐられたトレセン学園生。才能があることを前提にトレセン学園に入学してきた私は、数多の天才達と激しくぶつかって切磋琢磨してきた。それでも、アポロレインボウは日本ダービーという限られた出走枠に入れるほど出来たウマ娘なのか、と今でも思ってしまう自分がいる。

 

 だって、考えてみて欲しい。例えば『近所の牧場に日本ダービーに出た馬が来るらしいぞ!』と言われたらどう思うだろうか? ある程度競馬を知っている人なら、間違いなく一度は見に行こうとなるはずである。少しズレた例えかもしれないが、分かってほしい。今の私は、果たしてそこまで大きな存在なのだろうか――と、不安になってしまうのだ。

 

 自分がスペちゃん達と争えるくらい強いことは知っている。でも、未だにその実力に納得したことはない。まだG1に勝ったことがないからだろうか。トレーナーと一緒にがむしゃらに走ってきて、脳味噌まで筋肉になってしまったのだろうか。どこまでも根本的な自信がない。

 

 日本ダービーに出られるのは、砂漠の砂のひと握りのような存在だ。数字にして、何十万分の18。それを勝ち抜いてやってきた才能の暴力たちと戦えるのか、と自分を客観視した時にどうしようもない不安に襲われるのだ。

 

 日本ダービーの1番人気に推されてはいるけど、ここに来て本当に自分というウマ娘が分からなくなってきた。

 

 重い重い、一生に一度の日本ダービーというレース。これ以上考えたら、頭が爆発してしまいそうだった。

 

「――っ……」

 

 ぐちゃぐちゃになりそうな情緒に打ちのめされ、ぶるぶると震えていると――私の周りを漂っていた雪の結晶が勢い良く弾け、突然視界が眩い光に包まれた。

 

 反射的に顔を背け、目を閉じていると――隣のとみおの気配が掻き消えていた。思わず彼のいた方に振り向くと、彼の姿はなかった。それどころか、私が立っている場所が控え室では無くなっていた。

 

 そこは粉雪が降り注ぐ幻想的な雪原。しかし、頭上には満天の星が広がっており、何故か満月までもが見えていた。この時点で私は異常に気づく。雪が降っているのに雲ひとつない上、太陽に見紛う程の月明かりがあるのに一面の星空が展開されているし――とにかく、全てがおかしかった。

 

「え、ちょ――なにこれ……」

 

 私は半歩後退して、降り積もった雪を踵で踏み締めた。この感覚、この肌寒さ、地球上に存在するはずのない幻の風景。先程まで控え室にいたはずなのに、一体どうしたと言うのだ。私の頭がおかしくなってしまったのか? 私は周囲を見渡して、地平線まで続く雪原の中で途方に暮れた。

 

『――――』

 

 そんな最中、後ろの方角から誰かの声がした。聞いたことがある、温かみのある声。身を翻して声の方向に視線を投げかけると、そこにはマルゼンスキーやメジロパーマー、ダイタクヘリオス、グリーンティターン、サイレンススズカの姿があった。

 

『大丈夫よアポロちゃん。自信が無いって、そんな気持ちでダービーに臨んじゃダメダメ! お姉さんが太鼓判を押したんだから、思いっ切り楽しんでいきなさい! きっと全部上手くいくから――』

「マルゼンさん……」

『バッチグーよ!』

 

 雪の中に佇むマルゼンスキーが投げキッスを振り撒きながらウインクしてくる。最後に両手でサムズアップした彼女が半透明になったかと思うと、マルゼンスキーの残滓らしき光が私の勝負服に溶け込んで、すっと心の中まで浸透してきた。顔を上げると、マルゼンスキーの姿は消えていた。いや、消えたというよりは……この世界の彼女と一体化したと言うべきか。形容しがたい熱と想いが胸の中に込み上げてくる。

 

『私は確かな自信を持てるまで、周りの人に沢山迷惑をかけた。揺るぎない自信を持つのって、結構時間がかかることだと思うよ。だから、今のアポロちゃんがもし自信が持てないなら、私達が自信になってあげる』

『爆逃げしか勝たん! アポロっち、ハジけた日本ダービー期待してるからヨロ!』

『少し前にエールは送ったけど、もう1回応援するね。頑張ってねアポロちゃん! 胸張ってでっかく行こ!』

『ウェーイ!』

「パーマーさん、ヘリオスさん……」

 

 メジロパーマーとダイタクヘリオスがハイタッチしたかと思うと、彼女達の存在もまた光となって私の胸の中に飛び込んできた。胸に湧き上がった熱が身体中に広がっていき、強さを増していく。

 

『さっきの電話だけじゃ伝えられないこと、沢山あってさ。NHKマイルカップの時、アポロちゃんってばレース場に来て【頑張れグリ子 私達の星】って小っ恥ずかしい垂れ幕をぶち上げてくれたじゃん? あれ、泣きそうになるくらいすっごく嬉しくてさ。……結果は2着だったから、結局泣いちゃったんだけどね。ま、私もアポロちゃんにお返しがしたかったってことで』

「……グリ子」

『アポロちゃんの頑張りは桃沢トレーナーの次に知ってるつもりだよ。ずっと苦楽を共にしてきたルームメイトだしね? じゃ、頑張ってきなよ』

 

 白い歯を見せて笑ったグリ子が腕を組むと同時、彼女の存在が光の粒子に変換される。彼女の強い心と真っ直ぐな精神が、私の存在と重なっていく。降りしきる雪に負けない温かさが四肢の先にまで行き渡っていく。

 

 最後に残ったのは、サイレンススズカ。彼女もまた雪景色が似合うウマ娘だなと思っていると、彼女は一言だけを告げて淡い光になった。

 

『……運命を、変えて。アポロレインボウさん』

「スズカさん――」

 

 サイレンススズカの言葉は私の脳髄に膨大な衝撃を与え、激情を呼び覚ました。それは『自信』と呼んでも差し支えない自負だった。

 

 サイレンススズカの光が心の中に染み渡ると、私の身体と勝負服が眩い光を放ち始めた。余韻を感じながら目を閉じ――ふと目を開くと、そこは東京レース場の控え室だった。勝負服から雪の結晶は出ていないし、あの幻想的な雪景色も消えてしまった。しかし、私はあの幻の正体を探ろうとか、そういう気にはならなかった。

 

 ただ――乱れていた動悸はすっかり収まっていて、私の心が全くもって平静になったという事実だけで充分だった。私はにやりと笑って、隣に立つトレーナーに問いかけた。

 

「とみお。今日の日本ダービー、勝てる自信はある?」

「何だよ急に。そんなの、答えは決まってるじゃないか」

 

 とみおは私と同じく意地悪い笑みを浮かべて宣言した。

 

「俺のアポロが――いや、()()()()()()()()()

 

 

 

 多くのファン、マルゼンスキー、メジロパーマー、ダイタクヘリオス、グリーンティターン、サイレンススズカ、そしてトレーナー。数々の思いを受け取って、私はいよいよ日本ダービーに挑む。

 

 ――日本ダービー開幕まで、残り1時間。

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