ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
5月の最終日曜日、時刻は15:00。天候は曇り、発表は良馬場。上着を着た私達18人のウマ娘がパドックに姿を見せると、押し寄せた17万人の大観衆から声が上がる。パドック周りの柵が押し倒されてしまうのではないかという声量で、人口密度も満員電車に勝るとも劣らない。もしかすると、この周辺にいる観客はパドックから動けないままレースを終えることになるのではなかろうか。人の圧で怪我人が出ないことを祈ろう。
地下道からパドックに広がっていく18人。これからパドックのお披露目が始まるのだ。私達はそれぞれのトレーナーを隣に引き連れて、相手のウマ娘を選別しにかかった。パッと見では前評判通り、調子の良さそうなウマ娘がほとんどだ。例外は明らかに血色の悪いセイウンスカイ辺りか。
『いよいよこの日がやって参りました。東京優駿――日本ダービー。集まったのは世代の競走を勝ち抜いてきた、たった18人のウマ娘。そんな彼女達のお披露目がこれより始まろうとしています』
『日本ダービーが今年もやって来ましたねぇ。私はこの季節が近付くと、どうも興奮して眠れなくなってしまうんですよ。今年は歴代最高と囁かれるほどメンバーが揃っていますから、お客さんの中にも眠れなかった人は居るんじゃないですかねぇ』
実況と解説が軽い会話を交わしつつ、ダービーの始まりを演出していく。私は1枠1番だ。そろそろスタッフさんに呼ばれてお披露目する頃合だろう、と準備を始める。
『本日の東京レース場に詰めかけた観客の数は何と――17万7620人とのことです! これは伝説となったアイネスフウジンの日本ダービーに大きく迫る観客入場ですよ』
『いやぁ、懐かしいですねぇ。優勝したアイネスフウジンを讃えるコールは、昨日のことのように覚えていますよ』
『今日の日本ダービーではトゥインクル・シリーズに残る伝説が生まれるのか? ここに集った17万人の観客は歴史の証人となるのでしょうか? パドックの準備が整いました。いよいよお披露目のスタートです』
私はスタッフに導かれて真っ先にステージ上に上がり、肩にかかった上着に手をかける。そのまま捲り上げるようにして上着を吹き飛ばして、私は勝負服を堂々と曝け出した。オオッ、と唸るような大歓声が鳴り響いて、多くの観客がタオルや新聞を振り回しているのが見えた。すごい盛り上がりように私は驚きを隠せない。やはり、日本ダービーはどのレースとも比べようがないくらいに格別なのだ。トゥインクル・シリーズの祭典で1番人気に推された喜びと誇りを胸に、私はみんなに向かって大きく手を振った。
『1枠1番、アポロレインボウ。1番人気です』
『未だに重賞を勝ったことはありませんが、地力の高さは誰もが知るところです。1枠1番1番人気――何か運命じみたものを感じますね。絶好調の彼女には、是非ダービーウマ娘という最高の栄誉を手にして欲しいものです。私イチオシのウマ娘ですよ』
ウマスタで沢山の応援メッセージを貰った。顔も本名も知らない人達からではあったけど、全てのメッセージから溢れんばかりの熱い気持ちが伝わってきた。アンチコメントや意地悪なコメントは一切無く、本当に多くの人が私の勝利を望んでいるのだと思って涙しそうになったのを覚えている。
全部に返信はできなかったけれど、1万件近くのメッセージ全てに目を通した。だから――みんなの気持ち、伝わってるからね。精一杯の笑顔を振り撒いて、私はお披露目を終了した。
「見ろよ、アポロレインボウの周り。何かキラキラしてないか?」
「どうした急に。彼女が可愛いから輝いて見えるってことなら、みんなそう思ってるぞ」
「違う違う。オーラを感じるのはもちろんなんだけど……雪の結晶みたいな粒子が見えるんだよ。お前、何か知ってるか?」
「……まぁ、俺にも見えるよ。幻覚だと思って黙ってたんだがな。何と言うか、鬼気迫ってた時のライスシャワーから漏れてた、あの青薔薇みたいなオーラに似てるような気がするな……」
「そう言われてみれば確かにそうだな。きっとライスちゃんと同じく、とてつもない努力でダービーに向けて仕上げてきたに違いねぇ。……今日こそアポロちゃんがG1を勝てるように、思いっ切り応戦しようぜ!」
「あぁ! アポロレインボウ、頑張れよ〜っ!」
「うぉぉおおおおおおおおお!!」
そのままお披露目台から降りようとしたところ、メイクデビューの時からずっと見てくれている男性客2人組と目が合った。他にも私を追ってくれている人はいるかもしれないけど、彼らはどこか特別に感じる。私は『ずっと応援してくれてありがとう』という意味を込めて2人に軽くウインクをしてから、とみおの傍に駆け戻るのだった。
「どうだアポロ、日本ダービーのパドックは緊張するか?」
「何だよぅ、偉そうに。どっちかと言えばとみおの方が足腰ガクブルじゃん」
「……か、カッコつけさせてくれよ」
「あなたには変なカッコつけなんて似合わないでしょ♪ トレーナーはありのままの方がいいよ!」
「はは、結構悲しいものがあるけど……その調子じゃ、本当に緊張してないみたいだな。良かった良かった」
ちなみに、とみおの脚が産まれたての子鹿並にガクガクなのは本当だ。控え室では『俺達が絶対に勝つさ』とかドヤ顔キメてたくせに。そういう締まりきらないところが私の心をくすぐるのだ。
さて、順番は巡って1枠2番のキングヘイローになった。彼女のハイヒールがステージを踏み締める音が微かに聞こえると、キングヘイローの雰囲気に気圧されて辺りが一瞬静まり返る。
ばさり、とマントでも翻すように上着を脱ぎ捨てたキングヘイローは、艶やかな髪の毛を手で払って堂々たる佇まいを披露した。深い緑の勝負服が明らかになり、高貴な雰囲気と自信に満ちた表情が披露される。
『――1枠2番、4番人気のキングヘイローです』
『公式戦の勝利から遠ざかっている彼女ですが、ここで復活の勝利を上げることができるでしょうか。調子は良さそうですから、凄まじい切れ味を持つ彼女の末脚に期待しましょう』
キングヘイローの調子は最高潮と言っても差し支えない。彼女が綺麗なのはいつものことだが、今日はいつにも増して美しく艶やかな印象を与えてくる。心身共に絶好調ということか。
笑顔を振り撒くキングヘイロー。彼女の視線を浴びた女性客が喜びの悲鳴を上げているのが聞こえた。そして彼女の視線が私とぶつかると、キングヘイローの背中から膨大な熱量と細やかな光の粒子が噴き出したのに気付く。同時、私の周りに雪の結晶が舞い始めた。
(な、何だこれ――)
意表を突かれたような気持ちになって瞠目すると、キングヘイローの背中に深い闇が拡がり始めた。その闇は彼女を完全に覆い隠していたが――やがて、汗粒のように光る雫が彼女の髪や瞳から溶け出してきて、彼女の姿を薄ぼんやりと明らかにしたのが分かった。
決して煌びやかで派手なものではないが、彼女の強い精神力と努力を感じさせるオーラ。――間違いない。あれはキングヘイローの『
しかし、キングヘイローの表情が少し驚いたようなそれになったことから、向こうも私の雪の結晶を目撃した――つまり、私の『
――『
キングヘイローの視線が私から外れると、お互いの『
キングヘイローの次にパドックに立ったのはバイタルダイナモ。そして彼女の次はエルコンドルパサーだ。どこにいてもよく目立つ深紅の勝負服に奇抜なマスクを着用しているエルコンドルパサーは、大袈裟な動作と共に上着を薙ぎ払った。
『2枠4番、エルコンドルパサー。3番人気です』
『NHKマイルカップを制した無敗のマイル王ですよ。ローテーションの間隔は厳しいものになりますが、調子はまずまずと言ったところ。善戦が期待できそうです』
さすがに『NHKマイルカップ→日本ダービー』という中1週のローテーションは厳しかったのか、NHKマイルカップよりは調子を落としているように見えるエルコンドルパサー。彼女は恐らく、間隔を空けて大事に使った方がベストを尽くせるタイプのウマ娘だ。調子の良さだけで言ったら、皐月賞から直行してきたウマ娘の方がよっぽどいい。
それでも『好調』程度には気分の良さを保っているエルコンドルパサー。彼女の単純にして純粋に強い先行策には充分注意しておこう。……『
エルコンドルパサーのすぐ次にはスペシャルウィークが待っている。こうして考えると、『6強』のうちの4人が内枠寄りのスタートだ。私の爆逃げも相まって、やはり好位置から差す先行策が人気になりそうだなと考えられた。
スペシャルウィークの番になると、周辺の雰囲気が一変した。私やキングヘイロー、エルコンドルパサーの時とは全く違った風が周囲に漂い始める。未完の大器――いや、日本総大将たるオーラを感じさせながら、彼女の足音だけが東京レース場のパドックを支配する。
痛いほどの静寂と、17万の観衆の視線が一点に注がれるパドック上で、スペシャルウィークは肩にかけられた上着を頭上に投げ払った。これまでにあった初々しさやたどたどしさは全て消えていた。
『――3枠5番、スペシャルウィーク。2番人気です』
『あまりの仕上がりに、17万人を超える観客が静まりかえってしまいましたよ……これは驚きです。体重は微減とのコメントですから、身体を絞ってきたようですね。しかし身体に備わった筋肉が削ぎ落とされたようには見えませんし、見劣りどころか完成された身体に見えますよ』
普段は人当たりの良い、ふにゃふにゃとした表情のスペシャルウィークが。今日ばかりは、静かな殺気に満ちていた。少し、怖かった。思わずとみおの陰に隠れると、私の動きを察知したスペシャルウィークと目が合う。すると、やはりと言うべきか――ぞわり、とした怖気が私を呑み込んだ。尻尾の先からおぞましい何かに侵食されるような――そう、メジロマックイーンや皐月賞の時のセイウンスカイのような『
ひっ、と小さく声を上げそうになったが、負けじと睨み返す。雪の結晶が私の周りから噴出し、スペシャルウィークを威圧する。対する彼女の背中側の空間に生み出されたのは、遥かなる星空と――流れ落ちる流星。
あれだ。あれが弥生賞で覚醒していたであろうスペシャルウィークの『
「……トレーナー。スペちゃん、ヤバい」
「あぁ……鈍い俺でも分かる。あれは
あまりにも静かな東京レース場は、お披露目台からスペシャルウィークが去ると、ざわめきが少しだけ戻った。だが、活気ある喧騒と言うよりはもっとこう……民衆が恐怖や威圧感を感じた結果出てくるような騒がしさだった。お祭り前とは思えない異質な雰囲気を漂わせたまま、パドックのお披露目は続いていく。
しばらく間が空いて、5枠10番のグラスワンダーの番になった。半月以上前の青葉賞を制しての登場となる。彼女の静かな歩みは観客に固唾を呑ませるようで、ステージ上に上がっていく彼女から視線を離せなくなる。
着物でも着ているかのように振る舞うグラスワンダーは、ゆったりとした動作で上着を脱ぎ捨てる。そのまま斜め後ろに上着を放り捨てた彼女は、ぎらりとした視線を観客に向けて振り撒いて、小さく手を振った。
『5枠10番、グラスワンダー。5番人気です』
『昨年のマイルG1・朝日杯フューチュリティステークスを制したウマ娘ですね。ですが、距離延長への疑問を一蹴するように2400メートルの青葉賞を快勝して、エルコンドルパサーと並んでここまで無敗。昨年のマイル王が世代の頂点に立つのでしょうか? 彼女の走りには要注目ですよ』
グラスワンダー……彼女も『
グラスワンダーと目が合うと、彼女の瑠璃色の瞳が細められた。何だか、しばらく前からずっとマークされていると言うか……嫌な感じだ。ねっとりと絡みついてくる上に、喉元に薙刀でも突きつけられているかのような感覚になる。ある意味一番怖いウマ娘である。
次に『6強』の最後――6枠12番のセイウンスカイの番がやってきた。彼女はウマ耳を大きく垂れさせて、澄んだ蒼い瞳にも光がないような状態で。上着を着ている状態でも一見して分かってしまうほどに『絶不調』だった。
セイウンスカイは、はっとしたように上着に手をかけて、勢い良く後方に投げ捨てた。ふわふわの勝負服が姿を表すと同時、自分の調子の悪さを誤魔化すように後頭部の辺りで両手をクロスさせ、苦笑いを浮かべるセイウンスカイ。観客や鈍いウマ娘はそれで誤魔化せたかもしれないが、少なくともトレーナーに対してはそんな付け焼き刃の演技は通じない。ウマ耳と尻尾に元気はないし、髪の毛の艶も皐月賞の時と比べればかなり落ちている。
『6枠12番、セイウンスカイ。6番人気です』
『う〜ん、皐月賞の時のような元気さがありませんねぇ。しかし、彼女は皐月賞ウマ娘。エルコンドルパサーと並んで、クラシック級G1を制した素晴らしいウマ娘です。6強のひとりとして頑張ってもらいたいものですね』
自由気ままと言えば聞こえはいいが、詰まるところそれは気性難の言い換えである。そんな彼女に沢山のインタビューや取材のスケジュールが組み込まれれば――どうなるかは想像に難くないだろう。セイウンスカイのトレーナーも常日頃から「スカイの調子管理は難しいんだ」と呟いていたので、そういうことだ。スポーツであり興行たるトゥインクル・シリーズの側面に邪魔されたということか。
私ととみおは目を合わせて頷き合う。『セイウンスカイは、ほとんど放置していいな』――と。ここまで調子が悪いとは2人とも知らなかったのだ。スペシャルウィークの仕上がりが予想外なこともあって、もしかするとセイウンスカイを気にしている暇はないかもしれない。
「日本ダービー、アポロちゃんが勝つと思うか?」
「どうした急に。勝つに決まってるだろ……と言いたいところだが、スペシャルウィークが怖いな」
「2番人気だからか? 実績で言えばエルコンドルパサーの方が怖くないか?」
「いや、
「すまん。アポロちゃんのへそを見てて分からなかった」
「…………」
こうしてパドックが終わると、地下通路を通ってターフ内に移動することになる。トレーナーと話しながら、或いは言葉を交わさずに集中力を高めて地下道を歩いていくウマ娘達。私は前者であり、後者のウマ娘でもあった。トレーナーと軽口を叩き合いながら、それでいて集中力を高めていく。
東京レース場の地下通路は長いようで短くて、すぐに終わってしまった。目の前に光の広がる通路出口が現れて、心地よい高揚感と安心感の混ざり合った会話の終わりを告げる。
「もう、ここまで来ちゃったね」
「……あぁ。始まるなぁ、日本ダービー」
「まだ実感が湧かない?」
「そりゃもちろん。でも、俺はアポロが勝つって知ってるからなぁ。逆に緊張は無くなったかな」
「ふふ、何それ。何回カッコつけてもちょっとダサいよ」
「はは、そうかい。……まぁいいや。後ろ、つかえてるから、そろそろ――」
「……ん」
2人で向かい合って、視線を交わす。一生に一度の日本ダービー。様々な感情が込み上げてくるが――彼と交わす最後の言葉に、私はこの言葉を選んだ。
「行ってきます、トレーナー」
「うん。行ってらっしゃい、アポロ。ゴール板の向こうで待ってるよ」
最後にトレーナーと軽い抱擁を交わしてから、私は光と歓声が包むターフへと駆け出した。
――日本ダービー開幕まで、残り0分。
後悔も言い訳も通用しない戦いが今、始まる。