ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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47話:死闘!日本ダービー!その2

 曇り空が広がる東京レース場のターフ。天気のせいか、良場なのにどこか重さを感じる芝を踏み締めながら、私達は返しウマを行い始めた。

 

 東京レース場における2400メートルのレースは、覇を争うためにタフな起伏の構成で行われる。スタートを基準に追っていくと、スタート直後には長い直線が待ち受ける。次に1コーナーから第2コーナー、そして向正面半ばにかけて高低差1.9メートルの長い下り坂が続く。

 

 その直後、3コーナーの手前には高低差1.5メートルの上り坂が待ち受ける。 その最初の坂を上りきった後は、若干の平坦部分を走ってから下り勾配を走る。4コーナー手前からは再び長い上り勾配が顔を見せ、最終直線には残り460メートルから300メートルにかけて更なる上り坂が待ち受ける。

 

 中山レース場の急坂や阪神の坂と比べると勾配自体は緩やかだが、その高低差は2メートルにも及ぶ。坂を登り切った後は、平坦な300メートルの直線を走り切ってゴール。コースを1周する間に『2つの坂』を上り下りするレイアウトは福島レース場と同じだが、そのスケールは段違いである。

 

 また、東京レース場は小回りのコーナーではなく、ゆったりとした半径を取った緩やかなコーナーである。そのため、位置取り争いがゴチャつかない可能性が高い。コースの幅員も広く、4つのコースを使い分けることで芝の痛みも少なくなっている。少なくとも皐月賞のような『グリーンベルト』ができあがる可能性は低く(今日のダービーでグリーンベルトは確認されていない)、ウマ娘の能力がストレートに結果に反映されるコースと言える。

 

『返しウマにも関わらず、地響きのような大歓声が包む東京レース場! 夢のゆりかごが揺れております!』

『相変わらずアポロレインボウは元気ですねぇ……彼女は返しウマの常識を覆そうと画策しているのかもしれません』

 

 超満員のスタンドを横切るように、私は全力の返しウマを行う。目の前に広がるターフは整備が行き届いていて、非常に走りやすい。距離も2400メートルと、長距離の時の私には及ばないが、ほとんど全ての力を出し切ることが可能だろう。ターフを管理してくれる関係者の人達には感謝である。

 

 返しウマが終わろうかという頃、空模様が明らかに怪しくなり始め、スタートまでに天候が持つか心配になってきた。遥か遠くの空から、石臼を挽くかのような雷鳴が轟いてくる。雨の予感を感じさせながら、曇天の下で急かされるようにファンファーレが鳴り響いた。

 

 遠くに聞こえたファンファーレが終わると、目の前に設置されたゲートが壊れるんじゃないかというくらいの爆音――いや、大歓声が東京レース場に生まれた。重く沈み込んできそうな曇天を跡形もなく吹き飛ばしてしまいそうな声量である。

 

『頭上に広がる曇天。灰色の空が広がる東京レース場――いよいよ世代の頂点を決める戦いが今、始まります』

『天気、持ち堪えてくれるといいのですが』

 

 大歓声に驚いたウマ娘が多かったらしく、気を取り直してのゲートインが行われていく。1枠1番の私が真っ先にゲート入りし、すぅっと深く酸素を取り込んだ。

 

『1枠1番1番人気のアポロレインボウ、今ゲートに収まりました』

『気合十分! いい顔してますね!』

 

 鋼鉄のゲートに収まった途端、私の視界は著しく狭まった。遂に降り出した雨に当てられたが、湯気が噴き出しそうなほどの熱量で跳ね返す。己の拍動の音が高まる。異常なまでの集中と、心地よい高揚感が私を包んでいく。幸いなことに、燃え上がりそうな思考は雨の冷たさでクールダウンされている。

 

 早く走りたい――そんな気持ちが溢れ出し、閉じたゲート内で暴れそうになる中、次々とウマ娘のゲートインが完了していく。

 

『2番人気のスペシャルウィークが静かな表情でゲートに入ります』

『目の錯覚でしょうか、彼女の周りだけ雨が降っていないように見えますよ……』

 

 スペシャルウィーク。

 

『落ち着いた表情でキングヘイローがゲートインします』

『堂々としていますね。腰を据えたレース展開が期待できそうです』

 

 キングヘイロー。

 

『エルコンドルパサーがたった今、ゆっくりとゲート入りしました』

『風格がありますねぇ。NHKマイルカップのような圧勝を見せてくれるでしょうか?』

 

 エルコンドルパサー。

 

『青葉賞の勝ちウマ娘、グラスワンダーもゲートイン』

『彼女は誰よりも落ち着いていますねぇ』

 

 グラスワンダー。

 

『6強のひとり、セイウンスカイがゲート入りします』

『これで6強が全員ゲート入りしましたね。全員に凄まじい風格が漂っていて、シニア級と見紛うほどですよ』

 

 最後にセイウンスカイ……6強が全員ゲートに収まり、それぞれが前を向いて発走準備が完了した。

 

『さあ全てのウマ娘のゲートインが完了しました。雨が降りしきる中、いよいよ日本ダービーの開幕です!』

 

 場状態は辛うじて『良』で持ち堪えている。私は蹄鉄で芝を磨り潰すようにして具合を確かめ、スタートの構えを取った。

 

 ――かつての私の『ウマ娘プリティーダービー』は、勝つことが当たり前だった。負けなど許されるはずがなかった。距離適性さえあれば無敗のクラシック三冠を獲得し、目標レースの被りさえなければシニア級王道完全制覇を達成することが日常茶飯事で。何なら継承によって無理矢理距離適性を上げて、ダートの短距離から芝の長距離までを勝たせることが可能だった。

 

 そうやって生み出してきた物語が正しいかどうかは分からない。でも、少なくともあの頃の自分は、担当ウマ娘の負けひとつさえ許せない()()()()()だった。

 

 ――あぁ、そうやって紡いできた物語は、何と無機質なものだったことか。私は雨の匂いをめいいっぱい吸い込んで、その呼吸を止めた。ゲートの扉を目前に控え、今か今かとゲート・オープンの瞬間を待ちわびる。

 

 ――今の私は、とんでもなく不細工なウマ娘だ。負けて負けて、弱点が存在して、実力差に打ちのめされて、運命のイタズラに邪魔をされて、また負けて。それでも何とか勝ちを拾ってやっと掴んだダービーの舞台。今なお重賞の勝利が無いという時点で、私は最強のウマ娘には程遠い。

 

 でも、それでも。私はトレーナーと共に歩んできた今の自分が大好きだ。仮に天下無双で完全無欠の私が存在していたとしても、私は地を這いずり回って血反吐を吐いてきた今の自分の方が好きだと――そう答えられるくらいには自信に満ち溢れていた。

 

 最弱から目指す最強も面白いではないか。名だたるウマ娘には約束されているかもしれない大舞台での勝利をぶち壊し――歴史の裏付けのないモブウマ娘が、胸がすくような大勝利を収めるのだ。つまらないわけがない。敗北を支えてくれたトレーナーへ捧げるには、これ以上ない最高のプレゼントではないか。

 

 ――命を削る覚悟で勝ちを拾いにいく。これは、歴史に存在しなかったウマ娘の反逆だ。なけなしの矜恃が歴史的名馬達に叩きつける、一世一代の逆襲劇だ。

 

 しんと静まり返ったレース場。針で突けば破裂してしまうのではないか、そう感じるほどの張り詰めた静寂の中。運命のゲートが開いたと同時、私は地面を渾身の力で蹴り放った。

 

『――今! 日本ダービーがスタートしました! 各ウマ娘素晴らしいスタートです! セイウンスカイがちょっと出遅れたか!?』

『いえ、すぐに立て直しましたね。やはりポンと飛び出したアポロレインボウと、速度を上げていくセイウンスカイがハナを争うようです』

 

 爆発した歓声に背中を押されてロケットスタートを決める私。そのまま皐月賞では最後まで掴むことのできなかった先頭を奪い取り、殺人的ハイペースによるレースメイキングを始める。

 

 ――皐月賞、よくもやってくれたではないか。そんな恨み節を内心呟きながら、外の方から内側に切れ込んできたセイウンスカイを睨めつける。激情の赴くままに私は歯を食いしばり、トップスピードに乗る。セイウンスカイも慌ててギアを上げて追いすがってきた。私が内側でアタマ程度の差を取って、セイウンスカイが外側で追随する。

 

 これではまるで、皐月賞と逆の立場ではないか。しかし、枠の有利不利が逆転し、グリーンベルトも存在しないこの日本ダービー……ただでさえ調子の悪いセイウンスカイのトリックが発動する確率はほとんどゼロに近いだろう。皐月賞のトリックやペースダウンによる()()がそのまま通じるほど、6強は弱くないのだ。

 

(セイウンスカイ――あなたには絶対にハナを譲らないから!)

(ぐ、ぅ――……!)

(()()()()()!!)

(っ――……)

 

 私の闘志に気圧されたか、それとも競り合って序盤で磨り潰されることを嫌ったか。セイウンスカイが恨めしそうな表情をして、少しだけ位置取りを下げた。早くも第1コーナー手前でセイウンスカイを振り切って2番手に付けさせ、私が完全にハナを奪った形になる。

 

 日本ダービーの舞台となった東京レース場は、スタートから最初のコーナーまでの距離がおよそ400メートルと長い。また、2400メートルというクラシック・ディスタンスで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのため、位置取り争いは詰まったバ群の中で熾烈に行われる――つまり、私の後ろでスタミナを激しく削り合ってくれるはずだった。しかし、第1コーナー手前で後ろを確認して、その常識は早くも破壊されることになる。

 

 その理を無視したウマ娘が、何と私含めて6人いたのである。またの名を『黄金世代』の6強――スペシャルウィーク、セイウンスカイ、エルコンドルパサー、キングヘイロー、グラスワンダー。序盤から飛ばしに飛ばして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。逃げとか、先行とか、差しとか、追込とか――そんな陳腐な作戦など関係ないと言うように、6()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

『ええっ!? だ、第1コーナーを曲がりながら、6強全員が前に上がっていきます!! これは一体どうしたことでしょう!?』

『わ、分かりません……分かりませんが。もしかすると、全員がアポロレインボウを止めなければいけないウマ娘だと考えて、無理をしてでも捕まえに行こうとしているのではないでしょうか。これは大変なことになりましたよ……』

 

 本来予想された脚質構成は、大逃げが1人、逃げが1人(セイウンスカイ)、先行6人(スペシャルウィーク、エルコンドルパサーはこのグループ)、差し7人(キングヘイロー、グラスワンダーはこのグループ)、追込が3人だったはずだ。

 

 それが、大逃げ1人、逃げ6人、中団以下に11人と、どう足掻いても大荒れ必至の脚質構成になってしまった。コーナーを曲がりながらスペシャルウィーク達の表情を確認すると、逃げを打ったお互いの顔を見て少し驚いたような顔をしていたが――それでも構わないという風に、私に向けて敵意のこもった鋭い視線を投げかけてきた。

 

 これもまた、運命による妨害か。それとも、今まで目立ちすぎたが故の必然の結果だったのか。私の与り知らぬ間に、アポロレインボウという爆逃げウマ娘がここまで大きな敵になってしまっていたとは。1枠1番1番人気の弊害だ……!

 

 私は背後を走る6強に怒りを含んだ視線を送る。が、返ってくるのもまた、怒りと激情に満ちた5対の眼光。あろうことか、6強のウマ娘達は1対5のレースを作ろうとしていた。

 

 流石にここまでの事態は予想外だ。多少なり動揺してしまう。それに、私がセイウンスカイなどから与えられるプレッシャー対策をして来たとはいえ、一度に5人分のプレッシャーを受けるとなると――対策の度合いとか完成度は一切関係なくなってしまった。絶対に動揺せざるを得ない。

 

『第2コーナー曲がって向正面に入ります! ここまでのペースは殺人的! アポロレインボウの表情が歪んでおります! これは雨に打たれる苦しみによるものだけではないでしょう!』

 

 第2コーナーを曲がってバックストレートに入ると、私の後ろの位置取りがある程度決まる。1番手はアポロレインボウ。2番手はスペシャルウィーク。3番手はスペシャルウィークのすぐ後ろのエルコンドルパサー。4番手はセイウンスカイ。そのほぼ真横に、キングヘイロー、グラスワンダーと走っている。

 

 6番手までは全くもって団子状態。7〜18番手のウマ娘達も唖然としながら団子を形成しているが、そっちに意識を回す暇はない。2〜6番手のウマ娘がとてつもないプレッシャーを放ちながら、私を喰い殺しに来ているのだ。

 

 これが、草食動物の魂を受け継いだ少女の姿なものか。こんなの、獲物を狩る肉食動物さながらではないか。5人分の威圧感は『領域(ゾーン)』の恐怖に引けを取らない。つまり、私は第1コーナーからずっとその圧に曝されていることになる。まだ前半1000メートルを走破しただけだと言うのに、早くもスタミナの底が見えてきやがった。

 

『前半1000メートルを通過して――えっ!? タ、タイムは57秒9!? 6強のウマ娘全員が57秒台で前半1000メートルを走破している!! 対して7番手以下のウマ娘は遥か後方に離されている!! その差は8――いや、10身はある!!』

 

 向正面が終わるとカーブがやってくる。しかし、既に私は疲労困憊だ。とてつもない威圧感に1分近く曝されて全速力を続けろだなんて無理な話だ。それでも、無理を通して――不可能を可能にしてこそG1を勝ち切ることができるのだ。

 

「ぐ、あぁぁぁあああああああああっっっ!!!」

 

 私は第3コーナーに入ると同時、更に全速力のギアを上げて走り始めた。ぎょっとしたように後ろの5人が目を剥くが、それでもなお食らいついてくる。

 

 最悪で最強のウマ娘共。憎たらしい。際限のない怒りさえ湧いてくるほどの優駿達。しかし、若干の外側を走らされていたグラスワンダーとキングヘイローの表情が歪み始めている。

 

 それも無理はない。このハイペースで外側を走らされるということは、他のウマ娘よりも長い距離をその速度で駆け抜けなければならないと言うことだから。単純計算で言うと、東京レース場の2400メートルにおいて、最内のウマ娘より3メートル外にいるだけで、1周走る時の距離の差は20メートルにも及ぶのだ。高速で走るウマ娘にとってはたった数歩の差だが、その差がどれほど重いものか知らない私ではない。僅かばかり見えてきた光明に私は縋り付く。やはり、純粋なスタミナ勝負では私の方が上なのである。このまま歯を食いしばり続けて押し切るしかない……!

 

『第3コーナー曲がって最終コーナーに入ります!! もはや7番手以下のウマ娘達は全員蚊帳の外!! 10――いや、15身以上の差をつけられています!! 先頭のアポロレインボウはずっと粘っている!! 2番手のスペシャルウィークとエルコンドルパサーが激しいプレッシャーを掛けているが、まだ垂れない!! まだ彼女の夢は潰えない!!』

 

 身体を思いっ切り前傾させ、内ラチのスレスレに倒し、ほとんどドリフトするように私は東京レース場の最短距離をひた走る。第4コーナーの終わりは近い。だが、背中に張り付いてくる6強もまた肉薄している。どれだけの根性があるのだろう、早くも全員が私を追い抜く姿勢に入っているではないか。

 

『最終コーナー曲がって、最後の直線500メートル!! 大外に持ち出したグラスワンダーが苦しみながら追い上げてくる!! エルコンドルパサーも外に持ち出して追い抜く姿勢だ!!』

 

 そして最終コーナーを回って最終直線に向いた途端――大外を回らされて苦しんでいたグラスワンダーから、怒気に似た炎が噴出した。私達は理解する。グラスワンダーの『領域(ゾーン)』だ。ほとんど同時に、軽やかなステップで外に位置取ったエルコンドルパサーからも深紅の『領域(ゾーン)』が溢れ出す。

 

 尻尾の先から、2人の煮え滾るような激情に灼かれていく。黒く染まった勝利への欲望に背中までを呑み込まれ、心臓を鷲掴みにされる。死さえ感じてしまうほどの絶望に曝される。見せられ、魅せられる。怪我で戦えないもどかしさ、休養中に火花を散らして戦うライバル達への焦り。或いは、世界に憧れる純粋な想いから紡がれる圧倒的な熱量。

 

 強さを等身以上の薙刀に変えて、想いを肉体技(プロレス)に変えて――グラスワンダーとエルコンドルパサーの末脚が爆発した。残り400メートル。最終直線の坂に差し掛かると同時――私は()()()()()2()()()()()()()()()。そして、セイウンスカイとキングヘイローも『領域(ゾーン)』など要らぬと言わんばかりに爆走して私を追い抜いていく。スペシャルウィークにも追い抜かれ、私は6番手まで落ちた。

 

 このダービーの舞台で、全員が限界を超えたのだ。超えてしまったのだ。スペシャルウィークも、キングヘイローも、エルコンドルパサーも、セイウンスカイも、グラスワンダーも――全員が全員、内に在った何か大きな壁を破壊したのだ。

 

 殺人ラップを刻んだことにより、彼女達に限界を越える術を与えてしまったのか。くそ――そんなことがあってたまるか。おかしいだろ。ありえないだろ。こんなに頑張ってきたのに、また私は負けるのかよ。

 

『残り300メートルを通過して、1番手はエルコンドルパサー!! 2番手にグラスワンダーとキングヘイロー、セイウンスカイ!! 少し後ろにスペシャルウィークとアポロレインボウ!! これはエルコンドルパサーとグラスワンダーの勝負になるか!?』

 

 絶望に打ちひしがれる私の前方。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。容赦の無さすぎる――絶望的なタイミングでの出来事だった。遂に気持ちが折れた私の瞳から涙が溢れ出す。――間違いない。あれは、スペシャルウィークの『領域(ゾーン)』だ――。嫌だ。もう二度と負けたくない。絶対に負けたくないのに。どうして、こんな、こんなことが――……。

 

 苦しみに喘ぐ私の目前、エルコンドルパサーとグラスワンダーの『領域(ゾーン)』とは比べ物にならないほどの闇が生まれる。それは私だけでなく、他の6強を呑み込んで全てを喰らっていく。恐ろしいまでの密度で練り上げられた『領域(ゾーン)』。抗いようのない強さの塊にして、優駿の証明たる絶対的な末脚。

 

 途方もなく強いチカラ――激しく燃焼される想いが私の四肢から脳髄に焼き付けられる。一瞬だけ視界が闇に覆われると、やがて闇の中から眩い光が差し込んできて、見せられる。魅せられる。スペシャルウィークの心象風景。

 

 ――田舎の原風景の中、満天の星を眺めるスペシャルウィーク。流星が流れ出したのを見上げて思わず立ち上がり、彼女は想いを募らせた。彼女の心の奥底に根付く存在――生みの親と育ての親。2人の『お母ちゃん』とみんなの想いを受けて、日本一のウマ娘になる憧れに向かって走り出す彼女。

 

 スペシャルウィークの根底には、()()()()()()()という強い想いがあるのだ。私は涙を流したまま、はっとなって現実に戻ってくる。そうだ――思い出した。何故私は結果が確定していないのに諦めようとしているのだ。あまつさえ、レース中にライバルに励まされるなど――

 

 一瞬の『領域(ゾーン)』で開かれた心象風景が消えると、スペシャルウィークが末脚を爆発させて一気に1番手まで躍り出た。遠くなっていく背中。残り200メートル程、先頭までの差は4身。逃げウマ娘がつけられるには余りにも絶望的な距離だ。

 

 でも。

 私は、()()()()と抗い続けなければならない。

 

 私を応援してくれるファンのために。

 私の背中を押してくれたマルゼンスキーやメジロパーマー、ダイタクヘリオス――彼女達が叶えられなかったクラシックG1優勝のために。

 運命に打ち勝て、と私を激励してくれたサイレンススズカのために。

 そして――私のトレーナー。ずっとずっと一緒に苦しんできたあの人のために。

 

 基礎の基礎――腕を強く振って、ターフを()()ように蹴りつけて。持ち上がりかけていた上体を限界近くまで倒して、爆発しそうな肺と心臓の苦しみを握り潰して噛み殺して。

 

 私は涙ながらに絶叫する。

 悲鳴ではない。

 これは、魂から絞り出した咆哮だった。

 

「絶対に――負ける、もんかあああぁぁああああっっっ!!」

 

 ――刹那。

 

 限界の先の先を迎え、超越的な何かを破壊した私の視界が、眩い光に包まれた。

 

 

晴れ渡る星空と 辺りを照らす月明かりと 遥かなる雪原の中 私は独り

いつからかは分からないけれど ずっと走り続けていた

 

誰も邪魔する者のいない刹那の永遠 先頭の景色

純白の雪と 美しい月と星空だけが覆う視界

頬を吹き抜ける鋭く冷涼な風

鼻を突く爽やかな雪の香り

雪を踏み締める柔らかな音

四肢は凍りつき

されど 滾る血流が燃え上がらせている

 

心地よい疾走の中で私は思っていた

 

――ああ ずっとこの景色を見ていたい――

 

この感覚も この景色も

全て すべて 私だけのモノ

 

でも やがて空が暗雲に覆い尽くされて 猛吹雪がやってくると 私の歩みは止まり始めた

 

視界を失い 星空は見えなくなり 月もどこかに消えてしまった 世界が白に染まっていく

 

身体の芯を凍らせる心の冬

冷酷で過酷で残酷な運命

走り続ける脚は猛吹雪に打ちのめされ

力尽きようとしていた

 

――誰か助けて――

 

止まりそうな私の身体

疲れ果て精根尽きて 限界を迎えたその時

遂に私は雪原に倒れ伏した

 

だが 地平線の向こうから私を呼ぶ声がする

私の背中を押す確かな音がする

 

それは見知らぬ者の声

私を応援する者の声

或いは唯一無二の好敵手達の声

憧憬の中にいる優駿達の声

そして――あなたの声

 

――頑張れ アポロレインボウ――

 

あぁ 行かなくちゃ

その声に魂を奮い立たせ 私は血を滾らせる

 

雪を掻き分け 猛吹雪に立ち向かって

私は月虹の向こうを目指す

 

【果ての銀雪、月虹が照らす先へ】

 

諦めるな――

絶対に諦めるな!!

 

私が――私達が見たい景色は 限界の先にあるのだから

 

 

 光の中の心象風景が消えると、私の視界は白と黒に断絶された。前を走るセイウンスカイの尻尾が跳ね上がり、視線が会合する。彼女の反応など関係なかった。

 

 強い想いに背中を押される。重い綿の中にあったはずの四肢は軽さを取り戻し、スタート直後のような感覚に復活している。雨粒を切り裂いて、抵抗する目前の空気をこじ開けて。私は全てを終わらせるために、全力全開でターフを蹴りつけた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『あ、アポロレインボウ!? アポロレインボウが差し返した!! 一度は躱され、6強に呑まれたはずのアポロレインボウが!! スペシャルウィークに再びハナを突き合わせる!!』

 

 一度は堕ちたはずの芦毛のウマ娘が、バ群を割って先頭に躍り出る。セイウンスカイを、キングヘイローを、グラスワンダーを、エルコンドルパサーを抜いて。興奮と絶叫の坩堝と化した東京レース場が割れんばかりに揺れ、17万の激情がとぐろを巻く。

 

 スペシャルウィークに並ぶ。残り100メートル。激しくぶつかり合い、睨み合い、削り合う。されど、死闘の中で戯れながら、微かに笑い合いながら、その魂と魂が激突する。

 

『残り100メートルを通過して! 雨雲を切り裂いて東京の空に虹をかけるかアポロレインボウ!! それとも流星の煌めきが勝るかスペシャルウィーク!! 両者ともに譲らない!! 1センチも1ミリも譲らない!! どっちだ!! どっちが前に出る!!』

 

「ああぁぁぁあああああああああっっっ!!」

 

 ――私だ。私を見ろ。世界中の人間は、アポロレインボウという存在をその目に焼き付けろ。これが私だ。どこまでいっても私だ。不細工でもかっこ悪くても前を向き続ける――これがアポロレインボウというウマ娘なんだ!!

 

 全身全霊、魂のラストスパート。

 全てを出し尽くして、ここで終わってもいいと叫んで。

 終わりなど来ないのではないか。いや、この激しくも心地よい気持ちが続いたらいいのにな、と思いながら。

 

 私とスペシャルウィークは、()()()()()ゴール板を駆け抜けた。

 

『ゴォォーールッッ!! アポロレインボウとスペシャルウィークが全く同時にゴールイン!! これは写真判定です!!』

 




【果ての銀雪、月虹が照らす先へ】
レース最後半まで全力全開で先頭を走り続けて遂に力尽きようとする時、みんなの強い想いと絶対に諦めない心が背中を押し、ものすごく速度が上がる
領域覚醒:距離適性アップ
【中距離C→中距離B】
【2200~4000m】

うみへび 様に素晴らしい挿絵をいただきました。ありがとうございます。
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