ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
ゴール板を駆け抜けると同時、はち切れんばかりの大歓声が私達を包んでいた。視界に色が戻ってきて、私とスペシャルウィークの『
本来であればガッツポーズのひとつでもしたい気分だったが、ゴールしたタイミングがタイミングだ。私の勘違いでなければ完全に同時のゴールイン。私は隣をゆっくりと走るスペちゃんに視線を送ると、彼女もまた歓喜と困惑の混じった表情をしていた。
どっちだった、と視線で語りかけると、彼女は大きく首を振った。どうやら彼女にも分からないらしい。皐月賞の終幕は僅か9センチの差だったが、敗北を確信できるほど大きな差だった。あの時の感覚が正しいとすれば、皐月賞よりも僅差での決着ということになる。
勝者がどちらかは分からなかったが、不思議と私は満足感に包まれていた。お互いによくやったではないか。かけがえのない楽しい時間だったよ。そういう意味を込めて、私はスペシャルウィークの背中に手を回した。
それに気付いたスペちゃんは、闘志の抜け切ってふやけた笑顔になった。つい先程まで互いに本気で潰し合っていたと言うのに、余韻は形容しがたいほどに爽やかだった。
全力の疾走から突然速度を落とすのは怪我の危険がある。私達はほとんど歩くようにゆっくりとコースを一周し、電光掲示板の前で立ち止まった。そこには他の6強――セイウンスカイ、キングヘイロー、エルコンドルパサー、グラスワンダーの姿があって。彼女達は全てを出し切ったと言わんばかりの清々しい表情をして、私達を拍手で出迎えてくれた。そのスポーツマンシップ溢れる姿に、観客席から拍手喝采が巻き起こる。
光る電光掲示板、示された着順は『3着エルコンドルパサー』『4着グラスワンダー』『5着キングヘイロー』。6着にはセイウンスカイが入っただろうか。1、2着には『写真』の文字が踊っている。そして着順の下――タイム表示ゾーン付近にはレコードの赤い文字が輝いていた。
――2:22:5。それが私達の死闘が作り出した狂気の時計だった。レコードタイムを目の当たりにした観客から、喜びや驚愕と言うよりは――若干
「……スペちゃん。ダービー、終わっちゃったね」
「うん。最高に楽しくて、キラキラ輝いてて、全身全霊を出し切れた。着順が確定して……たとえアポロちゃんに負けたとしても、後悔はないよ」
「……そういえば、まだ判定は終わらないのかな? ずっとドキドキしっぱなしなんだよね。心臓に悪いよ……」
レースが終わってもう10分は経っている。いい加減、神聖なターフの上で立ち話をしているのも居心地が悪い。というか生きた心地がしない。足元がずっとふわふわしている感じがするし、落ち着いてきたせいか疲れがどっと噴き出してきて、今にも座り込みそうになってしまう。ターフビジョンで繰り返し流されているレース映像は、そろそろ見飽きてしまう頃だ。ただ、ゴールの瞬間の映像は何度見ても同着にしか見えない。アングルによってはスペちゃんが前に出たように見えるが、また別のアングルでは私が1着に突っ込んでいるように見えなくもない。
「……長いね」
「……うん」
いつの間にか、スペシャルウィークを支えていたはずの私が、支えられる形になってしまった。足元が覚束無い。怪我はしてないだろうか。一度は力尽きたにもかかわらず、残り100メートルで前方の4人をごぼう抜きして並んでゴールインだなんて……我ながら無理を通しすぎた。スペシャルウィークと並んで泥だらけの勝負服が激戦を物語っている。
そして、ゴールから15分程度経過した時だろうか。突然、観客席の一部から歓声が上がった。「おおっ」とか、「ええっ」とか、その反応は懐疑と驚きに満ちていて。何だろうと思って客が指さす方向に見ると――
「――っ!」
電光掲示板に『確定』の文字が点っていた。私に肩を貸してくれるスペちゃんの身体が硬直し、あっと声が上がる。勝負の行方は――
――『同着』。
『Ⅰ』のローマ数字の横。1番と5番の文字が並んで、一定の感覚で明滅を繰り返していた。
遂に私は愕然と力尽きて、ターフに膝をついた。あまりの出来事に、観客席から笑い声のような歓声さえ聞こえるではないか。
「あ、アポロちゃん! 同着! 同着だよっ!」
「――――」
スペちゃんが私の袖を引いて訴えてくるが、私の脳内は見事にパンクしてしまった。何も反応することができない。
――ダービー、ウマ娘。
私が……この私が、ダービーで勝ったのか? 何もかもダメだった1年前、選抜レースでスペシャルウィークに大差負けした私が……最強世代の優駿に肩を並べることのできる存在になれたのか?
「やった、やったぁ……! ダービーっ!! ダービーウマ娘になれたあっ!! やったよお母ちゃんっ!!」
スペシャルウィークが脱力する私を抱き上げ、わんわんと大声を上げて泣き叫ぶ。彼女の胸に抱かれ、彼女の瞳から零れ落ちた大粒の涙が私の頬に伝う。
そして、まだ現実を直視できていない私に――曇天を突き破って燦々と輝く太陽の光が降り注いだ。雲間から照らす美しいヤコブの梯子。夢のゆりかごに力強い陽光が差し込んでくる。同時、雨と泥に濡れて光る私達の勝負服。きらきらと光を反射するスペシャルウィークの涙。汗が伝って、ターフの上に流れ落ちる。視線を流すと、雨露に濡れてターフが一面の光に包まれてるのが分かった。
雨が上がり、雲が散り、遥かな空の向こうに虹がかかり始める。光るターフの上で大きくアーチを広げた七色の橋は、私の勝利を祝福しているかのようだった。
「――あぁ――」
あまりのショックで感情を失っていた心が、雄大な自然が作り出した奇跡を受けて再び動き出す。ふつふつと湧き上がる喜び。感謝。達成感。充足感。安堵。でも、一番大きかったのは――やはり感謝の念だった。
ありがとう――全ての存在にありがとう、と。そう言って回りたいくらいの気持ちに囚われて、漏れてくる声を抑えきれなくなって。遂に涙が決壊し、私は感情に導かれるままに号泣した。
「う――うわあぁぁんっ! スペぢゃんっ! わだじ、やった――やったんだ――ダービーウマ娘になったんだぁっ!」
「うん――うんっ!!
「ありがとう――みんな、ありがとうっ!! 嬉じぃ……うぅ、前が見えないよぉ……」
一度堰を切って涙が溢れ始めると、もう止まらなかった。拭っても拭ってもどんどん溢れてくる。悔しさでもなく悲しさでもなく、喜びで涙が止まらないなんて――そんな経験は人生で初めてだった。私を支えてくれたみんなと、私に立ち塞がってくれたライバル達への感謝が、胸の中から湧いて溢れて止まらない。果てしない感謝と喜びの涙が、ひっきりなしに私の喉奥を突っついてくる。派手にえずいて、しゃくりあげて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、私はスペシャルウィークと強く抱擁し合った。
そして、どちらからともなく――両手を取り合って、突き上げる。瞬間、大地を震わせるような大歓声が東京レース場で爆発した。それは、2人のダービーウマ娘が共に上げる勝鬨だった。互いの健闘を讃え合い、そして世界の全てに感謝を伝えるような、そんなパフォーマンスだった。
『――夢を掴んだスペシャルウィーク!! 夢のゆりかごに虹の橋を架けたアポロレインボウ!! ここに2人のダービーウマ娘が誕生し、17万人の拍手喝采が注がれています!! 素晴らしい戦いを見せてくれた2人に――いや、18人に惜しみない拍手を!!』
実況が叫ぶと同時、また歓声が一段階大きくなり、観客が突き上げていた新聞紙やタオルが宙を舞った。紙吹雪のように見えた。スペシャルウィークとアポロレインボウの名前を叫ぶコールがどこからともなく始まって、大きくなっていく。スタンドの一角から始まったその声は、やがてスタンド中を埋めつくして。スペシャル、アポロ、ありがとう――と。見渡す限りのスタンドから注がれる声に、私達は再び涙を流すのだった。
こうして、後に伝説の死闘として語り継がれることになる日本ダービーが幕を閉じた。6強の対決、劇的な幕切れ、着順確定後に架かった虹、2人のダービーウマ娘の名を叫ぶ17万人の観客。全てが奇跡に満ちた光景で、とめどなく溢れる涙が煌めき続けていた。
観客のみんな、ファンのみんな、応援してくれてありがとう。マルゼンさん、ヘリオスさん、パーマーさん、スズカさん、親友にしてライバルである同世代のみんなにも――感謝を。私は独りでは強くなれなかった。だから、ありがとう。ありがとう――
盛大な祝福を受けながら私はターフを後にした。しかし、まだやるべきことが残っていた。これから感謝を伝えないといけない人がいる。いっぱいいっぱい、ありがとうって言いたい人がいるのだ。
「トレーナー……!」
早く会いたい。あの人に、報告しなきゃ。ダービー、頑張ったよって。夢の舞台で勝ったんだよって。あなたのおかげで勝てたんだよって言わなくちゃ。
疲労困憊の身体を引きずって、私は地下道を小走りで進む。コンクリートを踏み付ける蹄鉄の乾いた音が、一定間隔のもと刻まれる。コツン、コツンとリズムを踏んで、数十メートル程度進んだ時。
道の向こう側に、呆然と立ち尽くしている彼がいた。その姿を見て、少し笑いそうになった。スーツは乱れ、ネクタイはひん曲がり、髪は雨に濡れてぐしゃぐしゃで――その暴れる髪に負けないくらい、涙でめちゃくちゃになった表情をしたトレーナー。私の姿を見つけると同時、彼の表情は少年のように純粋なものに変わっていく。
「――アポロ!!」
名前を呼ばれて、私の耳が大きく跳ねる。棒のようになっていたはずの脚が、「走れ」という命令を下す前に動き出す。私の身体はあっという間に彼へと近付いていった。トレーナーが両腕を広げたのを見て大きくジャンプすると――お互いに濡れて汚れた服のまま、私達は固く抱き合った。
勢いを殺すためにトレーナーの脚を支点として回転しながら、私達はしばらくの間、互いの身体をしっかりと抱きとめる。勢いをつけすぎたかな、と思ったが、彼の上手いエスコートによって2人は見事に静止する。
回転が止まったあとも、私達はしかと抱き締め合って離れなかった。彼から何か言葉を話し出す気配はない。私の言葉を待っているのだろうか。私は一旦身体を離して、至近距離で見つめ合った。彼は何も言わず、20センチほどの身長差を埋めるべくかがみ込んだ。そのまま瞳を閉じて、互いの額と額を触れ合わせて、私は彼が求めているであろう言葉を口ずさんだ。
「――ただいま、トレーナー。私、やっと勝てたよ――初めてG1ウマ娘になれたよ――」
「あぁ――あぁ。おかえりアポロ……本当に良くやった。俺はやっと、君の努力に報いることができたみたいだ……」
お互いに涙を流して、それぞれ呟き合う。
「レース中にマークを受けるとは思ってたけど、あそこまで強烈だとは予想できなかった。あれは俺の落ち度だ。苦しいレースにさせちまって、本当にごめんな……」
「もう……こんな時まで謝らなくていいって。それとも、同着とはいえダービーを勝ったのに、お気に召さなかった?」
「いやいや、そんなことはないよ。しかし、あの位置にアポロが沈んだ時はもうダメかと思ったもんだが――諦めないで応援して良かった。アポロは俺の誇りだよ」
「二人三脚で頑張ってきたもん。とみおも私の誇りだよ」
「あぁ――本当に――うれしいなぁ。っ……うれしいなぁ……っ」
とみおは何度も何度も繰り返して、その場で深く俯いて肩を震わせ始めてしまった。彼の足元に光る雫が流れ落ちていく。私も彼の涙に再びの嗚咽を誘われながら、漏れそうな声を何とか抑えて、とみおの顔を胸に抱き寄せた。
「……ありがとう――」
彼がいなければ、私はここまで来れなかった。トレーナーは、私の弱点を克服するようなトレーニングメニューを組み、自身の
彼を信じて、彼に信じられて、何回も失敗し、たまに成功して、お互いに壁にぶち当たって、試行錯誤を繰り返して――やっと掴んだダービーウマ娘の称号。余韻に浸り、言葉だけでなく行動で感謝を示す。強く強く彼を抱き締めて、彼の震えを止めようとあれやこれやと画策する。そんな自分もはちゃめちゃに泣いているし、何より私が何をしてもトレーナーの嗚咽が強まるので……似たもの同士というか何と言うか。
そうやって関係者用の通路で自分達だけの世界を作り出す傍ら、聞き馴染みのある声が私の背中に飛んできた。
「――アポロさん」
「え、天海トレーナー……?」
彼をかき抱きながら振り向くと、そこにはメジロマックイーンのトレーナーである天海ひかりが立っていた。弟のように厳しくも優しく接してきたと言うとみおの姿を見て、彼女は私達に近づいてくる。接近してやっと分かったが、天海トレーナーの目は少し腫れていて。――ぐいっと引き寄せられたかと思ったら、私ととみおは天海トレーナーに抱き締められていた。力任せで不器用な抱擁。とみおは困惑したように顔を上げて、天海トレーナーを見ていた。
「――桃沢君。アポロさん。本当に、本当におめでとう……!」
「あ、天海さん……っ」
「あなたは紛うことなき一流トレーナーよ、桃沢君。このダービーの勝利を誇りなさい。そして、アポロさんと共に技術を磨き続けなさい」
「は、はいっ! 天海さん、本当にありがとうございます!」
「……そろそろウイニングライブの準備をすることね。それじゃ、ステージで待ってるわ」
天海トレーナーは私達に薄い微笑みを向けた後、通路奥に消えて行った。私達は顔を見合わせて頷き合う。ダービー勝利に気を取られて、ウイニングライブのことをすっかり忘れていたではないか。慌てて控え室に戻って、勝負服の汚れを落としつつお化粧を済ませる。とみおの入念な汚れチェックの後、ドタバタしながら私達はウイニングライブのステージに向かった。
観客席から見てるからなと言うトレーナーと別れて、私はステージ裏にやってくる。今回は1着が2人いるため、若干特別仕様のライブになる。と言っても、センターの振り付けをするのが私とスペちゃんになるだけだが。3着のエルコンドルパサーが2着用の振り付けを行い、4着のグラスワンダーが3着用の振り付けを行うのも、細かな差異と言えるかもしれない。
歌唱曲は『winning the soul』。既にステージ上にはスチームパンクを思わせるセットが用意されており、スタッフさんがバタバタしているのが見て取れた。もうお客さんはライブ会場に集まり切っている。今か今かと待ちわびる声が裏の方まで聞こえてきそうだ。
所定の位置で待っていると、スタッフさんの合図が出た。私はスペちゃん達とアイコンタクトを取り、大きく頷いた。いよいよライブが始まるのだ。幕が上がり、暑く感じるほどの照明がステージ上に照射される。
そして激しいギターのイントロが鳴り響くと同時、過激なハードロックが会場を揺らした。歓声が上がり、ペンライトの海が目前に広がる。その中でゆっくりとペンライトを振るトレーナーを見つけて、私は軽くウインクをした後、スペシャルウィークと視線を合わせた。
息を整え、歌声を重ね合わせて紡ぐウイニングライブ。4人の声が響き渡った会場では、アンコールの声が鳴り止まなかった。