ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
ダービーが終わってからの数週間は、それはそれは多忙を極めたものになった。インタビューに次ぐインタビュー、よく分からないテレビの取材、雑誌に載せさせてほしいからと頼まれた写真撮影。元々休養を摂るためにトレーニング予定は空きがちだったが、その代わりにぶち込まれる予定が多すぎて結局疲労が抜けた感じはしなかった。トレーナーはトレーナーで、ギチギチになったスケジュールの確認や鳴り止まない電話対応でデスマーチ状態だった。
色んな経験ができて楽しかったが、心配なのは連日深夜まで仕事をしていて死にそうになっていたトレーナーである。私がトレーナー室に行っても、マスコミからの電話に追われてばかりで、まともに会話ができない日があったくらいだ。あれだけダービー後に休もう、オフを取ろうと互いに言っていたのに、トレーナーはむしろダービー前よりも忙しさが増えてしまった感じがある。どうしようもないこととはいえ、正直酷い話だ。本気で早死する。トレセン学園は彼に長期休暇とたっぷりボーナスを与えて然るべきだろう。
そしてダービーが終わって、更に安田記念もタイキシャトルの圧勝劇で幕を下ろし、6月3週目。ある程度落ち着きを取り戻した私達のもとに、差出人『URA』の大きなダンボール箱が5つほど届けられた。久々にゆっくり過ごしていた放課後、たづなさんが両手に抱えてそれを持ってきたのだ。
「たづなさん? そのダンボールはいったい……え? もう行っちゃうんですか?」
応対するとみおを視界の端に捉えていると、扉の向こう側で「それでは失礼します」と頭を下げているたづなさんが目に入った。一応姿勢を正して会釈して、扉の前に置かれたダンボールのことを聞いてみる。しかし、彼女はにこにこしながら「開けてからのお楽しみですよ」なんてもったいぶって、すぐに去っていった。コーヒーとかお菓子を出そうかな、と思う隙すらなかった。残された私とトレーナーは顔を見合わせて、ゆっくりとマグカップを置いた。
「何だこれ?」
「何でとみおが知らないの?」
「ご、ごめん……」
「別に謝らせたかったわけじゃ……とにかく、ダンボール開けてみよ?」
「そうだな」
トレーナーと私はそれぞれ行動を始めた。私がデスクからハサミをひったくってきてトレーナーに手渡すと、彼は爆弾でも扱うかのように慎重に包装を解いていく。
ダンボールを閉じていたガムテープを切り裂き、とみおが中に手を突っ込んでそっと
「え、私のぱかプチじゃん。もうできたんだ、早いなぁ……」
「そうだ。思い出した。アポロのグッズが出来たら届けてくれるんだったわ……たづなさんめ、サプライズ好きだなぁ」
とみおはそれを見ると合点したように何度か頷いて、アポロレインボウのぱかプチを高々と持ち上げた。
――ぱかプチ。キャッチコピーは『ターフを駆け抜けたあのウマ娘が、2.5頭身になってあなたの隣にやってくる!?』――みたいな感じの、つまるところウマ娘の人形である。見た目は私達をかなり可愛いよりにデフォルメしたミニキャラで、2.5頭身のため顔がかなり大きく(ビワハヤヒデさんのことじゃないよ!)見える。
とみおが高い高いしている私のぱかプチだけど、私の耳はこんなにデカくない。あと、鏡や写真で見る現実の私に比べると目もかなり大きくなっていて……相当なデフォルメの効きようである。それでも一目してアポロレインボウのぱかプチだと分かるんだから面白い。
そしてこの『ぱかプチ』、見た目で侮るなかれ。超がつくほどの人気商品なのである。URAが公式に発売する商品は他にも様々あるが――例えば、スポーツ選手らしくカラー写真が印刷されたクリアファイルとか、ぱかプチ風のキーホルダーとか缶バッヂとか――その中でも群を抜いて売れているのがこの人形なのだ。
一般流通するぱかプチ人形のサイズは、小(15センチ)、中(30センチ)、大(50センチ)、特大(1メートル)と多岐にわたる。とみおが持ち上げているのは特大サイズのぱかプチである。サイズが大きいほど値段は張るが、抱き心地がとても良いらしく……販売開始して一番最初に売り切れるのが特大サイズというのは有名な話だ。あと、特大サイズ入荷の時間になると公式販売サイトが落ちるというのも有名な話。
オグリキャップとかハルウララのぱかプチなんか、今でも売れまくっているらしい。車の後部座席に乗せてる人とかよく見るわ。
……遂に私も、グッズを作られるまでになったか。感慨深さに涙腺が緩みそうになる。
「アポロのぱかプチはずっと前からファンの間で望まれてたらしくてな。ダービーを勝ってやっとゴーサインが出たんだとか」
下賎な話になるが、普通ウマ娘のグッズというのは人気がなければ作られない。つまり、
G1を勝つようなウマ娘だから人気とも言えるし、G1を勝ってから人気が出るウマ娘もいる。とにかくG1を勝てば一定以上の客が見込めるらしい。ナイスネイチャやツインターボ、イクノディクタスやマチカネタンホイザなど、G1で善戦を繰り返したり派手なパフォーマンスを続けた結果、並のウマ娘よりも人気が出た子もいるけどね。
…………。
……さて。
「ねぇ」
「ん?」
「ん? じゃないよ。何で私のぱかプチ抱き締めてるの?」
「いや、特大サイズのぱかプチがあったらみんなするだろ」
私の視線の先、とみおは私の特大ぱかプチをぎゅっと抱き締めていた。私の背中にしっかりと手を回して、ぱかプチの後頭部の辺りをよしよしと撫でているではないか。
それを見て、何故かイラッとした。モヤッとした。理由は上手く言えないけど、どうにも面白くなかった。とみおの腕を掴んでぱかプチを取り上げ、ソファに向かって放り投げる。あっ、とトレーナーが大きな声を上げたと同時、ボヨヨンと跳ねた人形が顔面着地を決める。床に落ちて汚れなかったことに安堵したのか、トレーナーはほっと息を吐いた。
「おいおい、乱暴に扱っちゃダメだろ。せっかくURAがくれたんだから、大切に扱わなきゃ」
「…………」
「急にどうしたんだ? ぱかプチの出来が気に入らなかったのか? それとも体調が悪くなった? エスパーじゃないから、言ってくれないと分からないよ」
「……なんでもない」
彼の言う通り、せっかく貰った物を乱暴に扱うのは良くない。子供でも分かることだ。それに、突然機嫌が悪くなった面倒な女だと言うのも分かっている。
でも――でもさぁ――目の前に本物がいるじゃん……! と思わざるを得なかった。私はぱかプチ人形に嫉妬していたのである。私はぐっと言葉を溜めて、とみおとぱかプチの間に割って入るように位置取った。もじもじと身体を揺らして、上目遣いになってみる。しかし、それが私に出来る限界ギリギリのアピールだった。
「……??」
とみおは私の不可解な行動に首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべている。――そんなに抱き締めたいなら、私を抱き締めれば? ほら来てよトレーナー――とか言ってコイツを惑わせられるほど、私の恋愛偏差値は高くないのだ。黙り込んで目線でめいいっぱいのアピールをするのがマジで精いっぱいである。
段々と理解できないものを見る目に変わったとみおは、「他のダンボールも開けてみようか」と言って踵を返してしまった。彼が向こうを向いた瞬間、私は膝から崩れ落ちる。あぁ……男だった頃の経験値を全くもって活かせていないクソザコウマ娘め。ダービー直後は照れもなく抱きしめ合ったくせに、意識した途端できなくなっちゃうんだよね……はぁ。人間って難しいね……。
彼に愕然としているのがバレないように姿勢を正した私は、とみおの背中に近づいて未開封のダンボール箱の中を覗き込んだ。残りのダンボール箱に入っていたのは、先に挙げたような数々のアポロレインボウのグッズであった。
とみおはグッズのひとつひとつを大切に扱いながら、いちいち嬉しそうに私に向かって見せつけてくる。いやいや、私の写真とかグッズだからわざわざ近くで見せなくても分かるっつーの……と思っていたが、あんまりにも彼が嬉しそうにしているものだから、ニヤニヤが堪え切れない私だった。
全てのグッズの開封が終わると、特大ぱかプチを筆頭に大移動が図られる。移動先は――日本ダービーのトロフィーや表彰状、写真が飾ってある棚である。各サイズのぱかプチと、とみおが気に入ったと言うグッズが戸棚へ仲間入りである。
「ここも賑やかになったなぁ」
「ね」
「……こうして見ると、本当に俺達が日本ダービーを勝ったんだなって……しみじみするよ」
「……うん」
結局、特大ぱかプチは棚に入り切らなかったためにソファが定位置になったが……改めて私のグッズやトロフィーを見ると、今までの道のりを思い出してしんみりした気持ちになってくる。
一番隅っこに、去年の6月――ちょうどメイクデビュー前に2人で撮った写真があった。トラックコースに立つ体操服姿の私とスーツ姿のとみおが、ちょっとだけ距離を取って撮影された写真。初々しいトレーナーの姿と、まだ堕ちてない頃の私。顔つきはあんまり変わってないけど……お互いに
次は、未勝利戦を勝って、そのウイニングライブの後に撮った写真。汎用衣装を身に纏ってブイサインを作る私と、思いっ切りガッツポーズを決めるとみおが肩を並べて写っている。この頃にはもう、2人の関係性の基盤はできていたような気がするなぁ。
その隣に、紫菊賞を勝った後の京都レース場で撮った写真があったり、ホープフルステークス前に撮った勝負服の私だけの写真、皐月賞に挑む前の写真があって――そして終着点には、日本ダービーを勝った後の写真があった。
東京レース場のターフの上で、お互いに目を擦りながら撮ったんだっけ。泣きすぎて恥ずかしかったなぁ。そういえば、ダービーはもう1ヶ月くらい前なのか……なんて思いながら、写真の隣で鈍く輝く日本ダービーのトロフィーを見た。
大きさの違うぱかプチに囲まれて居心地の悪そうな金の盃。レイアウトをミスったなぁとトレーナーが呟くと、私達はぷっと吹き出して笑い合った。ちょっと締まらないけど、これが私達らしいよね。そんな風に思いながら、しばらくの間緩やかな時間が続くのだった。
宝塚記念まであと1週間。
サイレンススズカの真なる覚醒まで――あと少し。