ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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50話:踏み切り前

 宝塚記念を明日に控えた6月の末。トレーニングが終わって一足先にトレーナー室に戻ってきた私は、床にちらばっていた資料を見つけた。恐らくとみおのデスクから落ちたものだろう。勝手に見るのは悪いな――と思いつつ、私はそれを持ち上げて内容を流し見してしまった。

 

 その内容は『海外遠征』についてのものだった。タイキシャトル、シーキングザパールの名前に並んでアポロレインボウの名前があるではないか。遠征先はトゥインクル・シリーズの本場――欧州(ヨーロッパ)。対象レースには、モーリスドギース賞、ジャック・ル・マロワ賞など……海外のレース名がずらりと並んでいて。海外遠征とアポロレインボウという単語の掛け合わせにイメージが湧かなくて、何だこれ……と呟くと同時にトレーナーが戻ってきた。

 

「ん……その資料は」

「あ、ごめん。床に落ちてたから見ちゃった」

「いや、いいよ。たった今軽く話そうと思ってたところだから、そのまま座ってて。そんな大きな話じゃないから安心していいよ」

 

 とみおに促されるままソファに座ると、彼はデスクの前の椅子に腰掛けて詳細を話し始めた。

 

「タイキシャトルのトレーナーとシーキングザパールのトレーナーに、海外遠征の話を持ちかけられたんだよ」

「海外遠征……」

「まぁ、時期尚早だと思ったから断ったんだけどね。でも順調に行けばこういうプランを立てて海外に飛ぶことになるから、貰っておくのも悪くないと思って取っておいたんだ」

 

 彼に言われて、手元の紙に再度視線を落とす。タイキシャトルやシーキングザパールの次走が海外レースだと言うのは知っていたが、まさか私が誘われていたとは。

 

「少なくとも今年いっぱいは国内に専念するって言ったら、タイキシャトルとシーキングザパールのトレーナーは2人とも納得してくださった。無理強いをしてきたわけじゃなかったから、プランがこっちの意向にそぐわなければ直ぐにでも引いてくれるつもりだったみたい」

 

 海外遠征の計画はこうだ。海外の芝に慣れるため、7月中旬にヨーロッパに渡航。ゆっくり時間をかけて調整を行い、8月後半に行われる所謂『重賞ウィーク』に参戦するというもの。この時期にレースが盛んなレース場と言えば――この紙に記されているように、フランスのドーヴィルレース場が当てはまる。

 

 ドーヴィルレース場は、花の都パリからおよそ200キロメートル離れた海岸線にある。上流階級がバカンスを過ごすリゾート地として近代から発展してきたドーヴィル地方だが、何と100年以上前からレースが開催されていた歴史ある都市らしい。

 

 そうした街の特性が手伝って、ドーヴィルレース場は夏のヨーロッパ・トゥインクル・シリーズの代名詞と言うべき地位を確立したわけだ。もちろんレース自体は年間を通じて開催されているが、8月中は月の半分をレース開催日に充てたり、ドーヴィルレース場が舞台となって行われる5つのG1レースは全て8月に施行されることになっていたり……とにかくフランスの夏はドーヴィルが熱いのだ。

 

 かつての歴史では、1998年にシーキングザパールがモーリスドギース賞を、タイキシャトルがジャック・ル・マロワ賞を優勝する歴史的快挙を達成している。

 

 プランの紙に書かれたタイキシャトルの目標レースは8月3週のG1・ジャック・ル・マロワ賞、シーキングザパールは8月3週のG1・モーリスドギース賞。そしてアポロレインボウの目標レースは、8月4週のG2・ギョームドルナーノ賞と記されていた。右回りの芝2000メートル……つまり、私があまり得意ではない中距離。8月4週にはG2・ケルゴルレイ賞(3000メートル)という長距離レースもあったが……どちらにせよトレーナーは、菊花賞優勝を果たしていない私が行くには敷居が高いと判断したのだろう。

 

 実際、ドーヴィル地方にあるトレセン学園はフランス最大の規模を誇ると聞く。カラレース場のあるアイルランドのキルデア、チャーチルダウンズレース場のあるアメリカ・ケンタッキー州のレキシントン――世界を代表する各都市のトレセン学園とも交換留学生制度を取っているらしいし、ドーヴィルのレースが相当なレベルの高さで行われることは間違いない。

 

 確かにタイキシャトル達に便乗する……と言ったら悪いが、一緒に海外に挑戦するというのも心惹かれる話だ。でもやっぱり海外はなぁ、というのが正直な気持ちである。

 

「もしかして、アポロもフランスに行きたかったか?」

「行きたくないわけじゃないけど……少なくとも今じゃないよ」

 

 私の目標は菊花賞だ。だから菊花賞の前に海外に行くのは何と言うか()()()()()気がした。まずは菊花賞を勝つ――そういう気持ちでトレーニングをやっていかねば、同じく菊花賞を目指してくるスペシャルウィークやセイウンスカイに差をつけられてしまうだろう。

 

 とみおは私の言葉に納得したような表情を浮かべて、デスク上に置かれたノートパソコンに手を伸ばした。海外遠征の話はここで終わりらしい。もっとも、私だってこの話題について更に深掘りする気は無かったけれども。

 

「さて、雑談はここまで。6月も終わることだし、今一度アポロの現状を確認しようか」

 

 とみおはエンターキーを押してからプリンターの傍に寄ると、そこからプリントされてきた数枚の紙を手渡してくれた。私はペンを取り出して、ミーティングの準備をする。とみおがノートパソコンの画面を見ながら話し始めたので、大事だと思ったことをメモしながら相槌を打った。

 

「俺達の次走は菊花賞。これは前に話した通りだ」

 

 私の次走は、およそ5ヶ月弱の間を開けての菊花賞。朝日杯セントライト記念や神戸新聞杯などのステップを踏まず、ぶっつけ本番での勝負だ。その理由は、敵陣営に私の次走の予想を『菊花賞か天皇賞・秋か』で迷わせておくことで、対アポロレインボウの対策を立てる時間を与えたくないことと、とみおが今秋のローテーションに『菊花賞→ステイヤーズステークス→有記念』という予定を展望しているからだ。

 

 前者については、多くの陣営が『アポロレインボウは2400メートルが距離適性の上限』『アポロレインボウは疲労が溜まっているから次走はぶっつけで来るかもしれない』『次のレースは恐らく天皇賞・秋を選ぶはずだ』と思っているらしいので、それを逆手に取って意地悪してやろうという嫌がらせに近い作戦から来たものである。

 

 まあ、どちらかと言えば後者の理由が大事だ。『菊花賞→ステイヤーズステークス→有記念』のローテーション――秋の長距離重賞に絞って出走するレースを選択する場合、どうしても過酷極まりない日程となってしまうのである。今秋中に3000、3600と走った後に2500メートルのグランプリを走れだなんて正気じゃない。特に、ステイヤーズステークスを終えてからの有記念というのが鬼畜極まりない。『ステイヤーズステークス→有記念』は同じ12月中にあるため、疲労の面から見ると相当ヤバいのである。そういう意味で、菊花賞前に1戦するのは怪我のリスクが高まってしまうとして――ぶっつけ本番で菊花賞に挑むことにしたのである。

 

 ただ、この過酷なローテーションをこなすことは来年の長距離戦線を渡り歩いての海外遠征に繋がってくるだろう……と、色々話し合った結果合意に至った。冗談交じりに『菊花賞→メルボルンカップ(オーストラリアのG1・3200メートル)→ステイヤーズステークス→有記念』はどう? とか聞いたら、トレーナーに真顔で却下された。そりゃ、菊花賞からメルボルンカップまで中1週だからね。無理に決まってるわ。

 

 それはそれとして、2401メートル以上の長距離を走るにあたって新たに浮上してきた問題がある。私は貰った資料に線を引いたりしながら、とみおの話に聞き入っていた。

 

「アポロが夏休みを通して重点的に鍛えなければならないのは――スタミナだ。菊花賞で勝つためには、3()0()0()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が必要なんだ」

 

 あれほどスタミナだけが取り柄だなんて言っていたが。ここに来て浮上したのは、そのスタミナが若干不足しているという事実であった。恐らくスピードとパワーが付いたおかげで、燃費が悪くなってスタミナ消費量が増えてしまったのだ。中距離をある程度上手く走れるようになったぶん、しわ寄せが来てしまったのだろう。

 

 そもそも私が2400メートル未満などの中距離を上手く走れなかった理由は単純で。2400メートル未満のレースになると、長距離を走る時に比べてコーナーリングの細かな技巧が疎かになってしまったり、判断が一瞬遅れてしまったり――とにかく()()()()()()()()()が多いのだ。先天的に中距離が下手くそな事実は言うまでもないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、結果的に下手くそでズブいレース運びになってしまうことも、私が中距離を不得意とする原因である。

 

 日本ダービーを勝てたのは、とみおのスパルタトレーニングである程度のスピードとパワーがついて、ダービーの最後の最後で『領域(ゾーン)』が覚醒して限界を超えられたからだ。最初から激しく磨り潰し合うというスタミナ勝負になったのも運が良かった。返しウマで身体を騙していたことも勝敗を分けたと言っていいだろう。

 

 ……つまるところ、今まではある程度燃費良く走れていたのだが、力が増したためにガソリン(スタミナ)の消費量が増えてしまった。そんでもって、クラシック級に入ってからはほとんどスタミナトレーニングをしていなかったため、自慢のスタミナ量が心もとなくなってしまった……そういう話だ。

 

 幸いにして、私のスタミナ成長速度は平均を大きく上回っているらしい。この調子なら、同世代ナンバーワンスタミナ量の称号を取り戻せるとのことである。それくらいスタミナが伸びやすいからスタミナトレーニングを放置されていたとも言えるのだが……まあいいだろう。

 

 私は紙をめくり、本日行ったトレーニング内容の確認を行う。私達はスタミナを鍛えるため、最近はプールトレーニングにお熱だ。しかも、トレーナーは泳ぎの中でも最も身体を激しく駆動させるバタフライばかりやらせてくるのだから、本当に鬼も良い所である。また、「浮力によって重力による負担が減ることから、陸上で行う運動に比べて膝や腰や足首など関節への負担が軽減される」という理由で、とみおのプール版スパルタトレーニングが復活しかけているのもエグい。おかげで身体にかかる負担の割には、どんどんスタミナが成長しているんだけど。

 

「――で、アポロのスタミナを含めた身体の成長過程はだいたいこんなもんだ。アバウトな指標もあるが、そこはまぁ許してくれ」

 

 ページをめくり、定期的にトレセン学園が行う体力測定に加えて、トレーナーが独自に行っている測定の結果を見る。私がスパートをかけた時の最高速度や、握力や脚力などの筋力測定結果、肺活量の数値が、折れ線グラフの推移を通して目に入ってくる。

 

 こうして見ると、肺活量は特に右肩上がりに上昇していた。ダービー後から大きく肺活量を伸ばして、同年代の平均を大きく上回っている。逆に、他の項目は平均よりちょっと秀でている程度。とみおが言うには、「たとえスタミナに不安がなくなっても、これからはスタミナトレーニング中心に行くからな。飛び抜けた長所がある方がこちらとしてもやりやすいし、一点特化型の方がよっぽど勝機が見込めるし」とのことだった。

 

 スタミナは心肺持久力や全身持久力とも呼ばれ、心臓や肺の機能により身体を長時間にわたり活動させることができる力のことだ。私達ステイヤーには欠かせない能力のひとつである。アホみたいなスタミナがあれば、たとえ遅かったとしても長く末脚を使えるようになるわけだし、彼の考えには賛成である。

 

「さて、明日の宝塚記念が終わったら……いよいよ夏休みだな。今年こそ大きな合宿を行うことを予定してるんだが、詳細はまだ決まってない。追って知らせるけど、スピードとパワーをそこそこやりつつ徹底的にスタミナを鍛えていく予定だから、そのつもりで。もちろん他の子と合同の合宿になるはずだから、楽しみにしててね」

 

 そう言って、とみおは『合同合宿トレーニング案(仮)』と書かれた紙を見るよう促してきた。その内容は――地獄そのものだった。以下、ギッチリ詰め込まれたとみお手書きの文字である。

 

 ――心肺持久力を高めるには、軽度の運動を長時間行う“有酸素運動”が効果的です。例を挙げれば、ウォーキングやジョギング、スイミングやサイクリングのように、全身を使用して一定時間運動する有酸素運動が最も効果的と言えるでしょう。

 最もムラなく安全な有酸素運動はスイミングです。スイミングは全身の筋肉をバランス良く使用する運動で、水圧による負荷によって呼吸筋が鍛えられ、水の抵抗によって全身の筋肉に軽度な負荷をかけることが可能です。

 スイミングをすることで何を鍛えられるか、脳死になってダラダラとトレーニングを行うのではなく、しっかり自分の頭で考えながらトレーニングを行いましょう。海を使ったトレーニングでは――以下略。ここから30行くらい細かい文字がギッチリ詰め込まれていたので、私は読むことを諦めた。

 

 …………というか、ちょっと怖かったくらいだ。でも、とみおがステイヤー狂なことを久々に思い出して、ちょっと懐かしくもある。嬉しくもあった。ダービーが終わるまであまり見かけなかったステイヤー育成論の本がトレーナー室の片隅で山積みになっているし、どうやら菊花賞で本領を発揮できるのは私だけではないみたいだ。

 

 ミーティングが終わり、明日の宝塚記念のことについてちょっとだけ話し合って。よし、と息を吐いたとみおがミーティングの終わりを告げた。

 

「――今日もお疲れ様、アポロ。これからも菊花賞に向かって頑張ろうな!」

「うん! それじゃ、おつかれ〜!」

 

 こうして私はトレーナー室から退出し、スキップしながら寮室に戻った。明日はサイレンススズカが出走する宝塚記念だ。私はベッドにダイブすると同時にウマホを開き、脚をバタバタさせながら公式サイトを覗いた。

 

 ――ファン投票1位、8枠13番サイレンススズカ。圧倒的な得票数を受けて、遂にサイレンススズカが初G1制覇に向けて大きな一歩を踏み出そうとしているのだ。しかし、この宝塚記念には年度代表ウマ娘のエアグルーヴや、メジロ家からメジロブライトとメジロドーベルが出走することになっている。この春のグランプリがどう転ぶかは見ものである。

 

 サイレンススズカの勝敗が気になるのは勿論だが――明日の宝塚記念、私はとみおと一緒に現地観戦を行うことになっているのだ。ちょっとしたデートみたいでワクワクしている自分がいて、今から「どんな私服を着ていこうかなぁ」なんて悩んでしまう。

 

 公式サイトからアプリを切り替えてサイレンススズカのウマスタに飛ぶと、短く『明日の宝塚記念に出ます。応援よろしくお願いします。』とメッセージが更新されており、数万の「ウマいね!」と応援メッセージが付与されていた。スペシャルウィークやマチカネフクキタルも「ウマいね!」を押しつつ、頑張ってくださいねスズカさんと熱い言葉を送っているではないか。

 

 私は速攻で「ウマいね!」を押し、ダービー前に背中を押してくれた感謝を込めるように、長文メッセージを送るのだった。


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