ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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51話:宝塚記念

 6月4週、日曜日。天候は晴れ。6月と言えば紫陽花(アジサイ)や梅雨の季節を連想するものだが、実際のところは6月の終わり頃から7月の中旬にかけて日本上空に停滞前線が現れる。最近の地球温暖化の影響だか何だか知らないが、梅雨の訪れがずれ込んでやって来たこの頃。

 

 目覚ましが鳴る前にウマホを叩き落とし、私は早朝に目を覚ました。今日はトレーナーと宝塚記念を見に行く日だ。早く準備しなければ。私は速攻で顔を洗ってパジャマを脱ぎ捨てた。

 

 お化粧もオシャレもしっかり準備して行かないと、トレーナーの気を引くことはできないだろう。もちろんサイレンススズカの走りを見に行って逃げのヒントを得ることがメインなのだが……いい加減トレーナーとの関係を少しは進展させたいしね。

 

 私はクローゼットにしまってある数少ない私服を引っ張り出して、姿見の前で自分の身体と重ね合わせる。フリフリの可愛いスカートを履いていくか、かっこいいパンツスタイルで決めていくか……上半身もそれに合わせたオシャレを考えないといけないなぁ。オシャレって難しい。

 

 男だった頃は、上は適当なパーカーや無地のシャツを着て、下に黒のスキニーを履いてスニーカーを着用して……自分のオシャレを見てほしいような子もいなかったから、適当な格好で過ごすことが多かった。しかし、今は気になるあの人に対して少しでも良く見てもらおうと必死である。お小遣いを叩いて流行の服を買ったり、お肌のケアをしたりして、昨日の自分より更に可愛くなるように絶賛努力中だ。

 

 ……何でそんなに気合いを入れるのって? そりゃ、理由は単純だ。最強ステイヤーを目指すと同時に、トレーナーが私のことをもっと好きになってもらわないと困るからねぇ。

 

 ウマ娘になってすぐの頃は、オタク特有の夢である「可愛い女の子になって男を勘違いさせるムーブしたいな〜」という中々に汚い行動理念が強く根付いていたが……しばらくすると、そういう欲望が変遷して「トレーナーを落としたい!」という目標に変わっていた。この身体に元々根付いていたアポロレインボウの少女性と、成人男性だった頃の精神が混じりあった結果だろう。

 

 あ〜あ、あんまり仲良くない頃にでも、トレーナーはどんな女の子が好みなのか聞いておけばよかった。せめてかっこいい系か可愛い系かの好みくらい把握しておきたかったよ。今聞いたら多分雰囲気が()()な感じになってしまうから、そういう気負いが生じない内に、色々と聞けるくらいの話術があればなぁ……!

 

 自分のベッドの上に私服を積み上げて、悩みに悩んで。結局選んだのは、いつも着ている普通の私服セットだった。明るい色のブラウスにデニムパンツを履いて、両足には流行り物のスニーカーを選んだもの。街中を歩けば、似たようなファッションの子が間違いなくいるだろうという感じだ。そのまま小物として細めの腕時計とハンドバッグを身につけて、鏡の前でくるくると回ってみる。

 

 ……悪くないけど、飛び抜けていい感じはしない。でも、右耳についてるリボンは結構目立つし、服はむしろこういう地味めの方がいいかもしれないなぁ。とみおも大人しそうな子が好きそうだし、これで行くか。

 

 そうして服を選び終わった時、既に起床から30分も経っていた。うわっと声を上げそうになった口を塞ぎながら、グリ子を起こさないように気を使って化粧を始める。と言っても、ボブカットをふわふわにセットしたり、リップを塗るくらいの簡単すぎるものだったけど。

 

 ウマ娘――というか女の子になってからは、化粧をするという行為にも慣れたものだ。男だった頃は、外出する際にいちいち化粧なんてしてこなかったからな。初めは何だよこれめんどくせぇなと思っていたのだが、今は軽くでも化粧しないと恥ずかしくて人前に出られないようになってしまった。環境の変化というのは恐ろしいものである。

 

 手鏡の角度を色々と変えながら、色素の薄い桜色の唇を観察する。正直言って、男だった頃の私なら化粧前と後の変化なんて分からないだろう。多分とみおも分からない。いや、間違いなくあの人は分からないはずだ。ちょっとした潤いの具合が変わるだけだし。

 

 でも、分かってもらえなくてもいい。今日は2人だけのお出かけだ。好きな人が自分だけを見てくれる――それ以上のことなんて求めようはずがなかった。

 

 ハンカチや財布、予備の着替え、裂きイカと麦チョコ(おやつ)、その他諸々の小物をハンドバッグにぶち込み、改めて持ち物や自分の格好を指差しで確認する。

 

「……髪型ヨシ! 襟と裾ヨシ! オシャレヨシ! 持ち物ヨシ! おやつヨシ! 準備完了!」

 

 忘れ物は無い。私服もそこそこ似合ってる。トレーナー室への集合時間まではギリギリ。これ以上この部屋で何もすることは無い。さぁ、宝塚記念にいざ行かん。

 

「……とと、大事な物を忘れるところだった」

 

 扉に手をかけようとして、私はあることを思い出す。暇潰しのための分厚い本こと『ステイヤー育成論』をハンドバッグに入れるのを忘れていたのである。隙ある時にこの本を読まなければ、私やとみおは禁断症状が出てしまうのだ。具体的には、ステイヤー育成論に触れて最強のステイヤーになりたい、早くステイヤーを育てたいという欲望が溢れ出して止まらなくなってしまうのである。どうしようもないくらいステイヤー狂の私達である。

 

 机の上に置かれた分厚い本をハンドバッグに入れると、一気にバッグが重くなった。まあいいか、と私はハンドバッグをぶん回しながら寮室のドアノブに手をかけた。

 

「それじゃあグリ子、私は行ってくるから。ちゃんと昼までには起きるんだよ!」

「……んぁ〜……」

「大丈夫かこのウマ娘……」

 

 後ろ手に扉を閉めて、私はトレーナー寮に向かって小走りで進み始める。今日現地観戦するらしいのは私やスペシャルウィーク、マチカネフクキタルや(何故か噂が流れていた)アグネスタキオンだ。タキオンちゃん以外はサイレンススズカに縁のあるウマ娘なのだが……そのタキオンちゃんが現地観戦に向かう理由は不明である。

 

 常日頃からトレーナーを使った人体実験を繰り返しているらしいアグネスタキオン。その野望や目的は公にされていないが、サイレンススズカやエアグルーヴ達に興味が移ったと考えて差し支えないだろう。今日の宝塚記念は何かが起こる予感がする。

 

 色んな意味でワクワクしながらトレーナー室に行くと、いつものスーツ姿とは違ったオシャレをしたトレーナーが出迎えてくれた。落ち着いた大人のジャケパンスタイル。やば、ほんとにデートみたいじゃん……なんて見惚れていると、とみおがコーヒーの入ったマグカップを洗面台に置きに行った。デスク上に置いてあったノートパソコンをバッグにしまい、部屋の電気を落とす。腕時計を確認する仕草を見る限り、あんまりゆっくりしている時間はないらしい。

 

「おはようアポロ。こっちの準備はもうできてるよ」

「あ、うん。おはようトレーナー。もう行く感じだよね?」

「おう」

「オッケー」

 

 エアコンの電源を落とし、窓の鍵を確認してカーテンを閉める。そのままトレーナー室に鍵をかけた私達は、最寄りの駅に向かいながら雑談を始めた。その中でとみおが「今日のアポロも可愛いよ」なんて歯の浮くような言葉をあっさり言ってのけたので、もしかするとトレーナーは恋愛強者なのでは? という疑惑が浮上したのはまた別の話。

 

 新幹線に乗り込んで席に着き、一息つく。早朝とはいえ、土日だからか客が多い。どちらともなく『ステイヤー育成論』をバッグから取り出して、発車までの時間を潰す。その間、他の乗客が私の方を指さしてコソコソ話しているのが分かった。それも、2、3人ではない。10、20人の人間が私について話していたのだ。

 

 断片的に聞き取れたのは、「ダービーウマ娘がいる」「やべぇアポロレインボウちゃんだ」「私服はへそ出しじゃないんだ」――という会話。なんか変なモノも混じっているが、概ねはこういう反応だった。盗撮してくるような輩がいなかったからいいものの、私ととみおは結構な数の視線に晒されることになってしまった。

 

 私とトレーナーは顔を見合わせ、居心地の悪い雰囲気に肩を竦めた。すると、彼が何かを思い出したかのようにバッグへ手を突っ込んだ。今更手遅れかもしれないけど、という枕詞と共に手渡されたのは、ウマ娘用に穴が空けられた黒いキャスケット帽だった。伊達メガネと思しき丸いメガネも付属している。

 

「今からでも変装しておいてくれ」

「うん、そうする」

 

 とみおがわざとらしく咳払いすると、こちらに向けられていた視線が散っていく。乗客のみなさんも、オフなので邪魔しないでくれという意思を察してくれたらしい。

 

 私は細いフレームの丸メガネをかけて、後頭部の辺りでしっかりと固定させる。ウマ娘にはヒトの耳がないので、メガネを引っ掛けておくようにヒモのようなものが設けられているのだ。それを利用して伊達メガネをかけた形になる。

 

 そして帽子を被ろうとした私に向かって、とみおがボソリと呟いた。

 

「帽子を被ってもらうことになるって、先に言っておけばよかったよな。せっかく綺麗な髪の毛が……いや、何でもない」

「…………」

 

 この男、誤魔化すのが下手だな? 本音か知らないけど、最後の方に色々と漏れちゃってるよ。確かにふわふわにセットした髪の毛を帽子で押さえ込んじゃうのは残念だけど、そんなこと言われたら許しちゃうっての。ほんと罪なヤツ。

 

 私は照れ顔を隠すようにキャスケット帽を深く被ると、目的地に着くまで寝たフリを敢行することにした。

 

 

 

 ――宝塚記念。舞台は阪神レース場、芝の2200メートルという条件を取った、春を締めくくるグランプリG1レース。ファン投票で出走ウマ娘を決め、上半期の締めくくりを飾る大競走としてトゥインクル・シリーズを華やかに盛り上げようとの趣旨で企画・創設された。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられており、名だたるウマ娘がファン投票によって出走権を与えられる層の厚いレースだ。

 

 宝塚記念といえば、春のグランプリG1ということで、シニア級からのみ参加できるというイメージが付きがちだ。だが、実はクラシック級のウマ娘も参加自体は可能なのである。今年は――というか例年――クラシック級からの参加はゼロ。無理もない。春になって更に一皮むけたシニア級と満足に戦えるクラシック級ウマ娘がどれだけいるのか、という話だ。

 

 宝塚記念はある時期を境に『ブリーダーズカップ・チャレンジ』の対象競走に指定され、優勝ウマ娘には当該年の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と遠征費用の一部負担の特権が付与されるらしい。またそれに追随するように、当競走の優勝ウマ娘には当該年のコックスプレートへの優先出走権が付与されることになった。世界的に見ても、日本のトゥインクル・シリーズのレベルが高いことの証左であろう。

 

 昼前に阪神レース場に到着した私達は、スタンド内で適当な昼食を詰め込んだ。レース場に来たならレースのこと以外考えるべきじゃないよね、という風に観客席の最前列に押しかけた私達は、双眼鏡や出走表を片手に裂きイカをクチャクチャと食べていた。

 

「やっぱりサイレンススズカ先輩が勝つよ」

「いやぁ、エアグルーヴやメジロブライト、メジロドーベルもいるんだぞ? サイレンススズカは外枠だし、さすがに厳しいんじゃないか」

「とみおは見る目がないね! スズカさんが勝つの!!」

「えぇ……」

 

 最前列の柵に齧り付いて、勝者の予想をする私ととみお。正直、2人の雰囲気とかムードとかへったくれもない。そんな私達の隣では「俺はサイレンススズカが勝つと思うぜ」「どうした急に」という声もする。みんなメインレースの宝塚記念の発走を今か今かと待ちわびているのだ。なればこそ、私がトレーナーとのムードを気にせずレース予想に夢中になるのも仕方がないと言えよう。

 

 ああでもない、こうでもないと言っていると、レース場が一段と騒がしくなり始める。時間的に、どうやらパドックが終わったらしい。本当なら私達もパドックを見に行きたかったが、阪神レース場に集まった観客の数が多すぎて身動きが取れなかったのだ。

 

 観客席はぎゅうぎゅう詰めである。来場者数は9万人を超えたとか何とかで、人の圧がヤバい。関東に比べると客入りが少ないと思うかもしれないが、阪神レース場は本来8万人までしか収容できないようになっているのだ。だから、実は十分おかしい客入りなのである。

 

 人のざわめきと悲鳴のような絶叫が鳴り止まない中、どこからともなく現れたウマ娘達が返しウマを始める。女帝エアグルーヴ、ティアラ路線の覇者メジロドーベル、長距離砲メジロブライト、金鯱賞2着の雪辱を晴らせるかミッドナイトベッド、そして――現役最強ウマ娘と名高い狂気の逃げウマ娘サイレンススズカ。

 

 うおお、スズカさん! と聞き慣れたスペシャルウィークらしきウマ娘の声がしたような気がしたが――それはともかく。私も大きな声で声援を送った。

 

「スズカさ〜ん! 頑張ってくださ〜いっ!!」

 

 多分、いや、絶対聞こえちゃいないんだろうけど、それでも声を出さずにはいられなかった。そして、ふとスズカの目がこちらに向けられる。

 

「!」

 

 その瞬間、私は『領域(ゾーン)』の光を見た――気がした。

 

『……もちろんです。トレーナーさんの“想い”、受け取りましたから』

 

「――!?」

 

『私は、必ず戻ってくると約束します』

 

 瞼の裏でサイレンススズカが語りかけてくる。幻か、それとも他の何かなのか。突然のことに理解が及ばぬまま、サイレンススズカがターフを走っていく。目が合ったのは気のせいではなかったのか。様々な思考が巡る中、宝塚記念の舞台にファンファーレが鳴り響いた。

 

 ――宝塚記念専用ファンファーレ。宝塚と言ったらやはりこれだ。先程の幻で若干思考が落ち着かないが、このファンファーレは私が個人的に一番好きなものだ。年に一度しか演奏されることの無い特別感と弾むようなリズムが演出する高揚感は、他のファンファーレとは一風変わった厳格さを感じさせる。

 

 そのままゲート入りが進み、喧騒の中で宝塚記念が開幕すると――

 

『最終コーナーを回って、最後の直線! 先頭はサイレンススズカ! しかし後続も迫っている!! 外からエアグルーヴ! エアグルーヴも差を詰めてきた!! ここで先頭入れ替わるか!?』

 

 圧倒的な力を見せたサイレンススズカが先頭を突っ走り続け。

 

『だが先頭は譲らない!! サイレンススズカ!! サイレンススズカだ!! 直線に入っても脚色は衰えない!!』

 

 その身体から強烈な光を発しながら、集った優駿達をねじ伏せ――

 

『サイレンススズカ、今――ゴールインッ!! “逃げて差す”走りで、見事グランプリの座を手にしましたっ!!』

 

 サイレンススズカが見事、宝塚記念を1着で優勝。念願のG1タイトルをグランプリ制覇という最高の形で奪取するのだった。


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