ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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Report:『2人の逃げウマ娘について』

 宝塚記念とそのウイニングライブが終わり、新幹線でトレセン学園に帰ってきた桃沢トレーナーとアポロレインボウ。日が暮れていたのでそのまま解散の流れになっていたはずなのだが――どういう訳か、桃沢トレーナーは誘拐されていた。

 

 桃沢は困惑していた。視界は全くの闇に囚われ、音しか聞こえない。瞬きすればまつ毛に何かが擦れる。どうやら頭から何かをすっぽりと被せられたようだ。脳裏にスペシャルウィークのトレーナーのことが思い浮かぶ。まさかゴールドシップか? いや、彼女と関わりを持っているわけではない。だったら、誰に誘拐されているんだ。

 

『えっほ、えっほ』

 

 トレーナー室の前でアポロと別れた直後の出来事だった。背後から何者かに襲われて、身動きを取れなくなったところを担がれて、どこかに運ばれてしまうハメになったのだ。

 

『えっほ、えっほ』

 

 ジタバタと暴れていると、桃沢のお尻に衝撃が伝わってくる。椅子か何かに座らされたようだ。しばらくして平衡感覚が戻ってくると、桃沢トレーナーに被せられていた袋が取り上げられた。

 

 そこは薄暗い部屋の中だった。薬品のものと思われる刺激臭が鼻をつき、閉じられた遮光性のカーテンが外界から断絶された空間だということを認識させる。目を凝らすと、薬品棚やガラス器具があちこちに散らばっているではないか。ここは……研究室なのか?

 

 辺りを見回すと、麻袋を足元に捨て去っているウマ娘――アグネスタキオンがいた。深い色合いの栗毛をショートヘアにして、その頭頂部からは特徴的かつ奔放すぎるアホ毛を突き立てていて、右耳には幾何学模様のイヤリングが揺れている。薄暗い部屋のせいか、ハイライトのない濁った瞳には言いようのない狂気が滲んでいる。

 

 アグネスタキオンがくるりと振り向くと、彼女は桃沢トレーナーの顔を見てどこか意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「ようこそアポロレインボウ君のトレーナー。君と話がしたくて、ご同行願ったのだよ」

 

 ご同行とは? とツッコミを入れたくなるようなセリフだった。

 

「アグネスタキオン……人を招くならもうちょっと優しい手段を取れなかったのか?」

「多少手荒くしたことは認めるが、この際そんなことはどうでもいいんだ」

「どうでもよくはないだろ……」

 

 桃沢が白衣を着たアグネスタキオンに食ってかかるが、アグネスタキオンはトレーナーの言葉を無視しながら一方的に早口でまくし立てる。

 

「今日の宝塚記念を見て確信したんだ。今から話す内容を理解するのは、早ければ早いほどいいからね。今後の君達にも、私の指針にも役立つし……予想不可能性を孕んだ興味深くも恐ろしい事態さ。これはサイレンススズカ君とそのトレーナーにも話すつもりだ。早いところ話しておかなきゃならないことだからねぇ」

「……?」

 

 何を言っているんだ、と思った。一応拘束はされていないので自由に動けるが、どうもアグネスタキオンの話そうとしていることが気になってその場を離れられない。桃沢トレーナーがアグネスタキオンの次なる言葉を待っていると、突然彼女の瞳孔が怖いくらいに縮み上がった。

 

「……アポロレインボウ君。彼女は素晴らしいウマ娘だよねぇ」

 

 アグネスタキオンは狂気的な笑みを浮かべながら顎に手を当てた。そのまま何かを調べるように至近距離で顔を覗き込んでくる。桃沢は思わず端正な顔の作りに見惚れそうになったが、滲み出る狂気に気圧されて現実に戻ってきた。

 

「……アグネスタキオン。もったいぶらずに話してくれ」

「ふむ、そうだねぇ。アポロレインボウ君のトレーナー、勝手ではあるが話してもいいかな? ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「可能性……?」

 

 トレーナーが呟くと、アグネスタキオンが瞳孔をかっ開いた。

 

「そう、可能性だよトレーナー。類まれなスピードで終始レースを運ぶサイレンススズカ君の走りと、類まれなスタミナで終始相手を削り取るアポロレインボウ君の走り。君達の走りが完成すれば、それは我々ウマ娘の走りを次なるステージに押し上げるかもしれないのだ!」

 

 アグネスタキオンの口から次々に出てきた言葉に、桃沢は困惑する。アポロレインボウとサイレンススズカの共通点などあったか? と。アポロレインボウがサイレンススズカを慕っていることは知っているが、同じ逃げウマ娘ということ以外に通じ合うものがあったのだろうか? たまにアポロが「スズカさんとは運命じみたものを感じる」と言っていることがあるけど、それもまた関係してくるのかもしれないな。

 

「ある意味アポロレインボウ君とサイレンススズカ君は()()()()()()に向かっているんだよ。そこでアポロ君のトレーナー。君達が行っている準備について、是非とも内容を聞かせてもらいたい」

「……やってることは普通……とは言い難いけど、決して特別なトレーニングを課しているわけではないよ。ただ、質より量をこなすスパルタトレーニングをしているだけだ」

「ふぅン……もし良ければ、内容を聞かせてもらっても?」

「言える範囲でなら――」

 

 興味津々のアグネスタキオンに向かって、つらつらとトレーニング内容を並べていく桃沢トレーナー。元々自分がアポロに課しているトレーニング内容は隅々まで理解しているが、こうして並べてみると強度が高めなだけで何の変哲もないスタンダードなトレーニングだ。

 

 アグネスタキオンもそう思ったのか、拍子抜けしたように独り言を呟いている。

 

「超人的なフィジカルを鍛え上げたわけではない……? やはり、精神的な面から来る何かが肉体に作用し始めているのか……例えば『領域(ゾーン)』を覚醒させるような死闘を繰り広げて、その結果が今の2人の姿ということで……うむ、私の目論見が多少外れてしまったか……?」

「……なぁ、アグネスタキオン。結局のところ、『領域(ゾーン)』って一体なんなんだ? 極限状態になったウマ娘の精神が、現実に影響を及ぼした結果が『領域(ゾーン)』なのか?」

「……ウマ娘は幾多の“想い”を背負って走る生き物なのさ。私のような研究者がそういう非科学的なことを言うのはどうかと思うが……精神面のアプローチが肉体に影響を与えるというのは聞いたことがあるね。……いや、話が逸れてしまったかな。話を戻そうか」

 

 アグネスタキオンが視線を彷徨わせる。

 

「サイレンススズカ君に、アポロレインボウ君……君達はG1で覚醒し、会心の走りを見せた。だが――()()()()()()()()。アポロ君に限って言えば、恐らく長距離の舞台が初めて全力を出せる舞台だろうし……スズカ君は肉体のピークが今秋に来ると見ている。成長の余地があることが、破滅に繋がってしまうかもしれないんだ」

「え、どうして長距離が得意だって――」

「おや、誰にも話していないから安心してくれ。君達のことを調べるうちに()()()()知ってしまっただけさ。おっと、それは今重要なことじゃないから話を戻そうか。……アポロ君もスズカ君も発展途上のウマ娘。しかし、彼女達の走りはほとんど完成形だ。だから次なるレースで()()()()()()()()()()()()()()()()。その時、アポロ君やスズカ君の脚は……」

「……壊れる、とでも言いたいのか?」

「いいや、分からない。ウマ娘は未だに多くの謎を持つからねぇ。不安にさせてしまったことは謝ろう。ただ、私は期待しているよ。アポロ君とスズカ君がウマ娘の次なるステージを見せてくれることを」

 

 ひとり納得したように手を叩くアグネスタキオン。訳の分からぬまま桃沢は解放され、「突然すまなかったね、帰っていいよ」と促される。打ちのめされたまま自分のトレーナー室に帰ってきたトレーナーは、晴れぬ気分のままその場に突っ立っていた。

 

 

 

 アポロレインボウが壊れてしまうかもしれない――夏休み寸前のトレーニングをこなす中で、桃沢の脳内にはその言葉がぐるぐると回っていた。視線の先にはウッドチップコースを駆けるアポロの姿がある。

 

 アポロレインボウ。華奢なウマ娘だ。普段はのほほんとしていて、とてもじゃないがダービーを勝った時のような覇気とは無縁の生活をしている彼女。三女神は、その小さな背中にどれだけの業を背負わせようと言うのか。まるで、限界を超えることを運命に邪魔されているかのよう。

 

 これまで散々惜敗を繰り返してきたアポロがようやく掴んだ勝利の先に、抗い難い破滅をご丁寧に用意しやがって……そんなこと、許せるはずがない。桃沢トレーナーも黙っていられなかった。ひとりの少女が――サイレンススズカを含めると2人か――競技者としてもウマ娘としても成長できるように導いてやるのがトレーナーの役目なはずだ。限界の先に破滅が待ち受けていたとしても、アポロを信じて“最強ステイヤーの夢”へと二人三脚でひた走る。それが今できるトレーナーとしての最善。だから、破滅への対策は万全でなければならないのだ。

 

 トレーナーはトレーニングを終えたアポロの身体に対して、丁寧なマッサージを施し始めた。病的に白い細腕。掴めば折れてしまいそうな肩。桃沢の手にすっぽりと収まってしまいそうな腰。筋肉こそ発達しているが、まだまだ成長の余地を残している脚。屈強な太い男の身体を持つ桃沢からすれば、アポロレインボウの身体などガラス細工同然だった。

 

 ウマ娘より出力が劣る人間でさえ、己の力を制御できずに怪我してしまうことがある。火事場の鹿力という言葉を聞いたことがないだろうか。火事の時、自分にあるとは思えない大きな力を発揮して重い物を家の外に持ち出したりすることから出来た喩えだ。

 

 もともと人間やウマ娘には、脳で意識的にコントロールして使える力を抑制する安全装置(リミッター)がかけられていると言われている。そのため過度の緊張や危険が迫っている状況など、精神的に追いつめられる要素がない通常時は、どんなに頑張っても「心理的限界」と呼ばれる、自分の意識の中で限界だと思っているところまでしか力を発揮できないものだ。

 

 しかしリミッターが外れた時は、「心理的限界」を超えて普段は出せない筋肉本来の持っている力、「生理的限界」と呼ばれるところまで力を解き放つことができるのである。「生理的限界」のおよそ70%が「心理的限界」だと言われており、いかにリミッターを外せるかがハイパフォーマンスのカギとなる。

 

 極限の死闘でしか発動しない『領域(ゾーン)』は、火事場の鹿力と密接な関係を持つ。レース中に脳のリミッターを破壊することができれば、()()()()()()()()()()つまり『領域(ゾーン)』が発現するのである。

 

 当然脳が設けたリミッターを超えることは、怪我のリスクを高めることに繋がる。そもそもリミッターとは、筋肉や骨の損傷を防ぐために課された制限なのだ。上手く利用できるならいいが、出力が高すぎて大怪我をした……なんて話はよく耳にする。

 

 アグネスタキオンが言っていたのは、アポロレインボウが本来の力を発揮できる長距離で『領域(ゾーン)』を発動してしまったら、彼女の脚は持たないかもしれない――ということ。されど、それは元々覚悟していた危険のひとつに過ぎない。

 

 ウマ娘は怪我に悩まされる生き物だ。怪我なく引退できたウマ娘がどれだけいるだろうか。むしろ、怪我が原因で引退したウマ娘の方が多いくらいである。

 

 こればかりはサイレンススズカのトレーナーと協力して、怪我による破滅の未来を防ぐべきだろう。桃沢トレーナーは、すうすうと安らかな寝息を立てているアポロレインボウの髪を撫でた。指先で優しく撫でつけると、絹のような芦毛が指先を包み込む。甘い香りが立ち昇り、桃沢の鼻をついた。無防備な寝顔を晒す彼女に愛おしさが爆発する。

 

 あぁ、何と可愛らしい少女だろう。何と綺麗なウマ娘だろう。彼女を護りたい。二度と怪我なんてさせたくない。たとえ己の手を離れても、アポロには真っ直ぐ大きく育ってほしい。どれだけ大きな壁が立ち塞がってきても、絶対に彼女だけは傷つけさせやしないぞ。

 

 桃沢はアポロレインボウの大きな耳を触る。「んぅ……」と小さな声が漏れた。起きてしまっても構わない、と桃沢トレーナーは彼女のウマ耳を指先でなぞり始めた。

 

 アポロ本人は気づいていないかもしれないが、彼女が桃沢トレーナーの声を聞く度、いつもその耳を大きく跳ねさせるのだ。正直、触りたくて堪らなかった。桃沢が声をかければ、嬉しそうに耳をピンと逸らして、満面の笑みで桃沢に向かって振り向くアポロレインボウ。人懐っこく、屈託のない可愛らしい笑顔。桃沢は自分が思うよりもアポロレインボウに夢中だった。

 

 それが果たして恋愛感情によるものか、それとも妹に対するような家族愛に似たものなのかは分からない。しかし、名前をつける必要はないな、と思った。アポロレインボウを大切に思っている……その自覚だけで十分だった。

 

「君はトレーナーたらしの才能があるなぁ」

 

 瞳を閉じながら頬を緩めているアポロレインボウに、桃沢は独りごちる。すると彼女のウマ耳が横に倒れ、「もっと撫でろ」とアピールしてくる。

 

「寝てるんじゃないのか? 仕方ないな、全く……」

 

 アポロレインボウが心を許してくれている。桃沢はそれがたまらなく愛おしかった。彼は大きな手でアポロレインボウの髪を撫で続けた。優しく、慈悲深く。

 

 桃沢は心に誓う。

 もう一度クラシックの空に虹をかけよう、と。アポロレインボウが涙を流すことは、二度とあってはならないのだ。怪我を未然に防ぐためのアプローチを調べまくり、サイレンススズカのトレーナーと共有して乗り越えていこう。

 

 ウマ娘のレースは過酷を極める。レース中の事故で競争生命を絶たれるウマ娘だって少ないわけじゃない。もしも、目の前で眠る少女がターフを走れない身体になったら。そう考えるだけで胸が締め付けられるような感覚に陥る。

 

 桃沢トレーナーにとって、アポロレインボウは愛なのだ。二度と出会えないような、波長の合った最高のウマ娘なのだ。彼がアポロに賭ける夢や想いは、並大抵のものではない。だからこそ、アグネスタキオンが示した破滅の予感――菊花賞に待つ何かを乗り越える準備が必要だった。

 

 人事を尽くして天命を待つ。やるべきことをこの夏休みでやり切って、来たる菊花賞では運命に全てを任せる。桃沢自身が持つ想いの力を信じて、アポロレインボウの背中を押す。自分ができることなど、その程度でしかないのだ。トレーナーはウマ娘を支えることしかできない。桃沢は拳を握り締め、トレーナー室の天井を見上げた。

 

「アポロ……」

 

 君の背中にのしかかる何かを背負えたらいいのに。トレーナーはアポロレインボウの頭をさらりと撫でた後、デスク上にあるノートパソコンに向かった。菊花賞まで時間がない。アポロレインボウを完璧な状態に仕上げるために、どれだけ睡眠時間を削っても足りやしないのだ。

 

 彼は脳内で眠るアポロレインボウに謝りながら、冷蔵庫にしまってあった栄養ドリンクの蓋を開け放った。

 

 

 桃沢とアポロレインボウが次に抗わなければならないのは、距離適性などというチンケなものではない。アポロレインボウ自身と、運命によって定められた結果だ。皐月賞と日本ダービーでは完全に覆すことの出来なかった史実の運命を変えるため、2人は夏のトレーニングに臨む。

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