ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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54話:熱い夏合宿・その2

 夜が明けて朝に目覚める。ただ、寝起きはどうにも動き出せるまで時間がかかる。天井の木目をぼーっと眺めながら、私は大の字になって覚醒の時を待った。いや、待っているというか……起きなければならない理由を探っているというべきか。

 

「もう食べられないよぉ……」

「アポロせんぱぃ……」

 

 スペちゃんに腰をしかと抱き締められている上、ウオッカちゃんにも腕を絡め取られているため、起きる気が全然湧いてこない。早朝の海辺は真夏でも涼しいのだ。スペちゃんとウオッカちゃんの確かな温もりが眠気を誘う。湯たんぽみたいにあったかぬくぬくな感触が、人をダメにさせてきやがる。はぁ、もう一回寝ようかなぁ。

 

 僅かばかり上体を起こすと、雑魚寝しているみんなはすやすやと寝息を立てていた。とてもレース中の覇気なんて感じられない。何となく修学旅行の早朝を思い出す。普段は見られない友達の寝顔に特別感と面白さを感じたのは私だけではないはずだ。

 

 私は空いた手でスペちゃんやウオッカちゃんの髪の毛をさらりと撫でた後、ちょっとした異変に気づいた。サイレンススズカの姿がないのだ。彼女が寝ていたはずの布団は既に畳まれており、大部屋の扉が微かに開いている。

 

 私はスペシャルウィークとウオッカ両名の拘束を何とか解くと、ジャージに着替えてサイレンススズカの後を追うことにした。まだ日が昇って時間は経っておらず、朝食は用意されていないし、まだ周りは薄暗い。多分ランニングに出かけているのだろうが、彼女の様子がとても気になったのだ。

 

 旅館から外に出ると、トラックコースにサイレンススズカの姿があった。延々とトラックコースを走るサイレンススズカ。それを黙って見守るのは、アロハシャツを着た沖野トレーナー。邪魔するのも悪いかな、と思って私は砂浜に進行方向を変えた。

 

 前日にごみ拾いを徹底したからか、砂浜は波打ち際から乾燥した砂の辺りまでごみひとつない。軽装に身を包んでいる天海トレーナーがいたので、私は声をかけることにした。

 

「天海トレーナー、何されてるんですか?」

「あら、アポロさん。あなたこそ何か用事?」

「スズカさんが早起きしてたので、何してるのかな〜と思って後を追ったんですけど……トレーナーさんと何かされてるみたいで、邪魔するのも悪いと思って砂浜に来ちゃいました。貝殻でも拾って暇潰ししようとしてましたね〜」

「うふふ」

 

 天海トレーナーが突然、握っていた左手をこちらに向けてくる。彼女はその手をくるっとひっくり返して五指を開いた。手のひらには形の良い貝殻がいくつも収まっており、濡れた海砂がきらきらと輝いている。わあ、と声を上げて食い入るように貝殻を見つめる。どの貝殻も形がハッキリしているため見とれてしまう。天海さんは誇らしげに胸を張ると、その貝殻達を小さな箱にしまった。

 

「天海トレーナーにもそういう可愛いところがあるんですね」

「マックイーンにもよく言われるわ。可愛い趣味ですわね、って。貝殻集めに関わらず、こういう趣味があるってそんなにおかしなことなのかしら」

「おかしい……ってことは無いと思いますよ。ちょっと子供っぽいかもしれませんが」

「あはは、そう言われると色々と感じるものがあるわね」

「?」

「子供の頃から勉強ばかりしてたから、大人になった今になって青春を取り戻しているというか……いえ、なんでもないわ。アポロさんはやりたいことを今のうちにやっておきなさいね? トレーニングや勉強はもちろん大事だけど、やっぱり心に従うことってとても重要なことだと思うわ。子供の頃にできなかったことって、結構根深く残るものだから」

「趣味とか嗜好の話で、ってことですか?」

「まぁ……そうね。お節介かもしれないけど、今しかできないことといったら……うん、桃沢君のこととか」

「え、ちょ、どういうことですか?」

「…………トレーナーがこういうことを言うのは良くないから、今のは忘れてちょうだい。それじゃ、朝食を食べに行きましょうか」

「えっ……えっ!? 今のってどういうことですか!? ちょっと!」

 

 こうして天海トレーナーと旅館に戻ると、大部屋からみんなが起床し始めていた。食堂には朝食が並び始めており、早くもスペちゃん達ががっついている。私はと言うと、さっきの天海さんの発言に気を取られてご飯に手がつかなかった。

 

 スピカのみんなだけじゃなくて、天海さんまで私ととみおの関係に口を出してくるのか。どれだけ気にされているのだろう、考えるだけで顔が熱くなる。そんなに私の好意がバレバレなら、逆にとみおは何で私の好きって気持ちに気付いてくれないんだよぉ。昨日の一件だってそうだ。本当に鈍い……ムカムカするくらいの、にぶちんトレーナー。レース前後くらいしか抱き締めてくれない、あほあほトレーナー。こんなに可愛いアポロちゃんがアピールしてるんだから、ちょっとくらいその気になってもいいじゃんか。

 

 こうなるとトレーナーを勘違いさせるとかそういう次元じゃなく、完全な『攻略』が必要だと言わざるを得ない。本人曰く青春は全てトレーナー試験の勉強に費やしてきたらしいから、異性の好意に疎いというのもあるかもしれないし、仕方のないところはあるかもしれないけど。

 

 う〜ん……水着を買ったは良いけど、よくよく考えたら私の水着姿程度じゃ悩殺できないのでは? ふ〜ん、可愛いね、くらいの反応で終わっちゃう気がする。やっぱり彼には……す、す、好き……とか言わないと伝わらないのかな……。でも面と向かってそんな告白なんて無理! 絶対死んじゃう!

 

「アポロ先輩?」

「ふぇっ!? ど、どうしたの!?」

「いえ、ご飯冷めちゃいますよ」

「え、あ! あはは、いただきます!!」

 

 ダイワスカーレットに指摘されて私はご飯を詰め込みながら、朝のトレーニングに向かった。

 

 今日は沖野トレーナーによるトレーニングだ。昨日ゴミ拾いをした波打ち際を駆け抜けるトレーニングをするらしい。旅館で学校指定の水着に着替えた後、私達はサンダルを履いて砂浜にやってきた。

 

「今日はみんな知っての通り、砂浜を使った粘り強さを鍛えるためのトレーニングだ! 知らない奴と忘れた奴のために言っておくと、波打ち際を2人1組で走ってもらう。相手に負けないよう全力で走れ! ちなみに、桃沢トレーナーが立ってる場所までが500メートルで、天海トレーナーがいる所まで行くと1000メートル! 行き帰りで2000メートル、これを休憩挟んで数セット行うからそのつもりで! 以上だ!」

 

 沖野トレーナーの指示を聞き、3人のトレーナーが見守る中で私達はサンダルを脱ぎ始めた。足裏のグリップ力を高めるために裸足で行う必要があるとか何とか。沖野トレーナーの用意ドンを合図に、サイレンススズカが1番に走り出すと、スペシャルウィークがすぐさま背中を追った。すぐにその姿が遠くなっていき、とみおがいる場所まで辿り着く。

 

 私のペアはゴールドシップ。ペロペロと舌を出しながら風を感じているのか、「塩味だな」などと言っている。ちょっとよく分からない。しばしの間隔を開けて、沖野トレーナーが突然合図を出した。瞬時にゴールドシップが走り出したので、私も負けじと砂浜を走り出した。

 

「オラオラオラーッ!」

 

 とてつもない爆発力でスタートするゴルシちゃん。私もスピードに乗って走ろうとしたが、地面は波打ち際。ダートコースのトレーニングとは全く勝手が違う。押し寄せる波、引く波に邪魔されて、バランスとフォームが大きく崩れてしまう。

 

 目の前を行くゴールドシップは、パワフルな走りで海水を切り裂いて走っていた。波に圧倒されるどころか真正面から蹴散らして、ざっぷんざっぷんと水飛沫を上げながらどんどん速度を上げている。私もそうしたいが、彼女に比べるとパワー不足なのか、水の抵抗力によって太ももが上がらない。

 

 考えてみて欲しい。お風呂に入っている時、湯船に沈めた四肢は普段通りに動くだろうか? 答えは否。全力を出しても、重い綿に包まれているように動きが鈍る。軌跡がぶれる。つまり、フォームが歪む。それと同じ現象が足元に起こっていた。

 

 しかも、足裏で踏んばろうとすると、渚の海砂は容易く沈み込む。更にバランスが危うくなる。無論、その頼りなさが原因で足への負担は減るのだから、憎いほど良くできたトレーニングではないか。

 

「はあぁぁぁあああああああっっ!!」

「おお!? このゴールドシップ様に食らいついてくるか!?」

「当たり前じゃん! 負けないからっ!」

「ゴルシちゃんお前に惚れちゃいそうだぜ!」

 

 身体を前傾させ、飛沫を上げる海を蹴りつける。重い。前に行こうとする足にかかる抵抗が尋常ではない。その瞬間だけ足枷をつけられているかのような、とてつもない不快感が襲い来る。

 

 ようやっと500メートル地点を通過すると、とみおの声が飛んできた。ここで鍛えられる粘り強さが、レース中の底力となって君達を助けてくれるだろう――必死すぎてあんまり聞き取れなかったが、多分そんな感じの激励。確かにそうだ。スタミナが切れかかって足が止まる時は、まさにこんな感じなのだ。本番とそっくりの状況を作り出すとは、恐るべし沖野さん。沖野トレーナーが積み上げたトレーニング技術と経験の深さをここに来て思い知ることになるとは。

 

 横を走るゴールドシップとハナを突き合わせて疾走し、勝負根性を発揮しながら波打ち際1000メートルを争う。それは皐月賞で味わったセイウンスカイとのデッドヒートを想起させるようで、身体も心も非常に強く刺激させられた。やはり、トレーニングだろうと何だろうと、争う者には前を行かれたくないのだ。

 

 最終的に天海さんの横を駆け抜け、私とゴールドシップは息を荒らげて互いを睨み合った。1000メートル終了。ほぼ同時のゴールだったが、僅かにゴールドシップの勝利だ。ニヤニヤと意地の悪い笑いを張り付けながら、彼女は軽くピースサインを掲げてきた。

 

 やるじゃない、と汗を拭う。帰りの1000メートルも勝負だ。帰りは波打ち際ではなく、乾燥した砂浜を駆け抜ける。こちらは水の抵抗と言うより、先程より沈み込む足元を気にしなければならない。こちらは若干ダートと似た感じがしたけど、整備されたコースではなく自然が作り出した砂だ。やはりダートの良バ場とは若干似て非なる。

 

 とにかくパワーと根性がいるのである。何と言うかもっさりしている。後ろ足で砂を蹴る感触がないから、前に進みにくいと言うべきか。歩幅の大きいゴールドシップは推進力を思うように得られないためか、波打ち際の時よりも大分苦戦しているようだった。

 

 これはチャンス、と私はピッチ走法気味にペースを上げて、そのまま折り返しの1000メートルを走り切った。今度は1バ身差で私の勝ち。ゴルシちゃんにチラリと視線を送ると、こんにゃろうと言いたげな彼女が見つめ返してきた。

 

「――よし、終わった奴らから5分休憩だ! そのままどんどん回していくからな!」

 

 こうして合宿2日目は海のトレーニングを中心に行われ、ゴルシちゃんと何度も競うことになった。海岸では次第にダウンしていく者が増えていき、最終的に生き残った者がサイレンススズカと私とゴールドシップになったところでトレーニングは終了した。そして、それは午前中のこと。

 

 午後になると『砂浜に穴を掘って埋める』という如何にもスピカらしい謎のトレーニングが開幕し、これまた下半身と腕を虐め抜いて合宿2日目が終わった。途中で沖野トレーナーが埋められかけるというアクシデント(?)はあったものの、怪我人は無し。早くも結構な疲労を溜め込んだ私達は、就寝時間になると泥のように眠るのだった。

 

 

 

 合宿3日目は天海トレーナー指導のもとで敢行されることになっている。トレーニング開始10分前に集合場所のトラックコースに到着した私達は、天海トレーナーに言われるがまま準備体操やウォーミングアップを始めた。しかし、そこから指示は出なかった。

 

 最初で最後の指示が出されたのが4時間前――朝の8時のこと。つまり、午前中はずっとウォーミングアップに当てさせられていたのである。ちょっとおかしいな、と思ったのは私だけではないらしい。天海さんの指示はメジロマックイーンでさえ疑問に思っているようだ。そりゃ、せっかくの夏合宿の半日をストレッチに費やすなんて、勿体ないなんて話じゃないからね。

 

 私達を見守っていたとみおや沖野トレーナーに逐一疑問をぶつけていたのだが、彼らからは「本番レース前の調整だと思って本気でやっておいてくれ」とだけ言われたのである。いくら何でももったいぶりすぎだ。午後もこのままだったらぶん殴ってやる、とゴールドシップが言うくらいにはやきもきしていた。

 

 そして軽く昼食を食べ、再び私達はトラックコースに集合した。そんな8人の下に、機嫌の良さそうな天海トレーナーがやってきた。彼女は「みんなごめんね、スペシャルゲストが渋滞で遅れてたみたいで! そろそろ着くらしいから、ごめんだけどウォーミングアップしてて!」と両手を合わせると、トラックコース前の駐車場に走って行った。

 

「スペシャルゲスト?」

「そういえば、トレーナーがそんなこと言ってたっけなぁ」

「誰か知ってる〜?」

「聞かされてないですわね」

「私達も駐車場に行ってみませんか?」

「そうしようかしら」

「いいですね! みんなで行きましょう!」

「さんせ〜い」

 

 口々に呟きながら、私達も天海トレーナーの後を追うことにした。いい加減身体は温まり切っている。スペシャルゲストが誰か、見に行ってやろうではないか。

 

 駐車場にやって来ると、そこには見覚えのある深紅のスポーツカーが止まっていた。丁度やって来て停車したところなのか、運転席のドアが訳の分からぬ方向に開く。高級車特有のウイング開き。ウオッカちゃんが瞠目しながら口を開ける。バイク好きでも分かる()()()があったのだろう。というか、素人でもあれはクソ高いって分かる。同時に、あの目立つスポーツカーに乗る人物も。

 

 深紅の高級車から出てきたのは、赤いジャージを着たウマ娘。腰まで伸びたウェービーな鹿毛を揺らし、特徴的で優しげなタレ目をした彼女は――

 

「ハァイ♪ アポロちゃんはナタデココ食べてるぅ〜? お姉さんからのアドバイス! 辛い時はイタ飯と合わせてバッチグーよ☆」

「マルゼンさん! どうしてここに!?」

 

 間違いない。私の憧れのウマ娘にして恩人、マルゼンスキーだ。彼女がスペシャルゲストだと言うのか。だとしたら、とんでもない大物だ。既に現役を退いた立場とはいえ、伝説として轟いたその走りは今なお一級品に違いない。沖野さんやとみおがストレッチやウォーミングアップを本番前同然に行えと言ったのは、彼女と走るからなのかもしれない。

 

 そんな中、天海トレーナーが私達の姿を見て何かを口走ろうとしたが、マルゼンスキーの人差し指に止められる。何だろう、と疑問視したのも束の間、スポーツカーの()()()が開いた。

 

 そこから姿を現したのは――途方もない威圧感を纏った鹿毛のウマ娘。特徴的な三日月の白い前髪を持つ彼女は、そう――無敗の三冠を成し遂げ、7つものG1を制覇した最強のウマ娘――シンボリルドルフだった。

 

「マルゼンスキーと私がゲストとして招待されている、という話は及んでいなかったかな? アポロレインボウ君」

「えっ――し、シンボリルドルフ会長!?」

 

 ――彼女の操るスーパーカーの助手席から現れたシンボリルドルフに、私達は動揺を隠せなかった。トウカイテイオーとゴールドシップを除いて。テイオーちゃんはすぐさまルドルフ会長の懐に飛び込んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

 ジャージ姿のシンボリルドルフを見るのは何度目だろうか。1度か2度なら見たことはあるが、こうして目の前にしたのは初めてだ。まさに『別格』。マルゼンスキーが纏う柔らかさを一切取り除いたような、鋼の如きオーラを振り撒いている。

 

 突然、ウマスタで無礼極まりない絡み方をしたことを酷く後悔した。多分、私は殺されるのだ。しかも、名前も覚えられている。終わりだ。あんなダジャレを言うんじゃなかった。うわぁ、天下のルドルフ様に渾身のダジャレを決めちゃったよ……ってニチャるんじゃなかった。最悪だ。おしまいだ。消えてなくなりたい。

 

「カイチョー! スペシャルゲストってカイチョーとマルゼンスキーのことだったんだぁ! ボク達とトレーニングしてくれるの!?」

「あぁ。今日は私達を相手取って、レースをしてもらうのさ」

「ルドルフ。予定が遅れちゃってるみたいだから、早いところウォーミングアップしちゃいましょ?」

「そうだな。という訳でテイオー、ちょっと離れてはくれないか」

「え〜! しょうがないなぁ……」

 

 シンボリルドルフの腰に巻きついていたトウカイテイオーが帰ってくる。……その間、私はルドルフ会長の視線をハチャメチャに感じていた。これは本気でヤバい。ウマスタ上では大人にリプライをしてくれるなどして振舞ってくださったけど、もしかして私のダジャレがクソつまんなかったからブチ切れてるとか――ないよね?

 

 私は遂にがたがたと震え始めた。歯の根が合わなくなり、ビクンビクンと痙攣が始まる。スズカさんが私の背後で引いたような声を出している。そして、シンボリルドルフが私の横をすり抜ける際――

 

「アポロ。君との勝負――楽しみにしているよ」

 

 ――と、にこやかな笑みを添えて呟かれて、私は無事撃沈した。

 

 やっぱり私、殺されるんだ。

 お母さんお父さん、ごめんなさい。


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