ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい 作:へぶん99
8月2週から8月3週にかけて、フランスのドーヴィルレース場で『重賞ウィーク』が開催された。ジュニア級限定重賞からシニア級限定重賞まで、多彩な重賞5レース以上が集中して行われる時期だ。
その中でも目玉とされる2つのG1がある。ジャック・ル・マロワ賞と、モーリスドギース賞――それぞれフランスのマイル・短距離路線の最高峰競走として君臨する大レースだ。
その舞台に勇猛果敢に挑んだのは、タイキシャトルとシーキングザパール。彼女達が日本代表としてのフランスの最高峰レースに殴り込みをかけ、そして私達が旅館のテレビで見守る中、彼女達は見事に優勝を果たした。両者共に歴史的な快挙である。
ジャック・ル・マロワ賞やモーリスドギース賞の際、テレビの前はお祭り騒ぎだった。スピカのみんなはもちろん、トレーナー3人も大声を張り上げての観戦会である。日本とフランスでは時差があるから、真夜中まで起きる羽目になったけれど。
URAはウマ娘をなるべく国内のレースに引き止めて価値を保ちたいみたいだけど、私は海外挑戦に賛成派だ。海外に挑む時、心情的に日本対海外の戦いになるから、普段は敵になるウマ娘でも本気で応援できて楽しいからね。
何より、海外に挑戦する2人を見ている時の、みんなの一体感。これが形容し難いくらい好きなのだ。SNSでもタイキシャトルとシーキングザパールを応援する声が絶えなかった。何と言えばいいのか……日本のファン全員が彼女達を応援するような感じ。これが堪らないんだよね。
さて、モーリスドギース賞とジャック・ル・マロワ賞が終わると、いよいよ夏合宿も終わりである。
この夏合宿では見違えるくらい成長できた。夏合宿前に私が足りなかったのはパワーなのだが、合宿の1ヶ月を通してパワーはもちろん他の基礎能力も伸ばすことができたように思える。
スピードに関しては、サイレンススズカの走りに何とか食らいつけるようになった。逃げの性質上どうしてもハナを奪うことはできないけど、それでも大きな成長だ。長距離の舞台で劣化版サイレンススズカみたいな走りが出来るだけで結構強いんじゃなかろうか。
スタミナはメジロマックイーンに遜色ないレベルまで盛れた。合宿中は2500メートル以上の長距離を走ってないから詳しくは分からないけど、もしかしたら超えてるかも。感覚的には、4000メートルの重バ場をガチの全力疾走で駆け抜けてもギリギリ
パワーに関しては、これまでが低すぎた故か結構伸びた。ゴールドシップやスペシャルウィークには敵わないし、バ群をこじ開けるような芸当はできないけど……皐月賞で苦しんだ中山レース場レベルの急坂でも苦にならなくなったのだ。
砂浜トレーニングのおかげで足腰が鍛えられ、元々あった重バ場適性も上がったらしい。とみおは「これなら欧州の重い芝でも大丈夫だな」と満足そうにしていた。
……ただ、一向に良くならないのは頭の良さだ。あ、勘違いして欲しくないんだけど、レース中の柔軟な対応力とかそういう話だからね? 勉強の成績は優秀だし、いっつも満点取ってるから。今のところ賢さ不足で呈出した問題はあんまりないし、むしろ頭の悪い我武者羅さが勝利を引き寄せた時の方が多い。成長はタイムにしっかりと現れているし、大成功の夏合宿となった。
こうして迎えた夏合宿最終日。この日はリフレッシュを兼ねて1日の完全なオフが与えられる。昼間は海水浴にバーベキューを楽しみ、夕方からバスに乗って帰宅するという予定になった。
…………。
あぁ、遂に海水浴が来た――いよいよである。あの時買った(買わされた)水着を着なければならない時が来たのだ。私はスーツケースの奥底にしまい込んだ水着を摘み上げ、ため息をついた。完全に自分の趣味じゃない水着である。
白っぽいハイネックビキニと、腰に巻く空模様のパレオだなんて……嫌ってほどじゃないけど、やっぱり恥ずかしい。女の子同士の旅行で着ていくならまだしも、とみおに見せつけなきゃいけないんだよ? そんなのできっこないって……。
しかし、男子学生じゃないんだから、下着一丁で海に飛び込むわけにもいかない。あぁいうのは一時のノリでやって後悔するものだしね。他に持ってきた水着は学校指定のものだけだから、イヤイヤ言っていた私も遂に覚悟を決めて水着に着替えることにした。
初めて着るタイプの水着に四苦八苦しながら、何とか上下水着に着替えきる。学校指定の水着や勝負服では感じなかったレベルで背中がスースーする。というか、こんなの上半身裸みたいなもんじゃん。姿見の前でくるっと回って、ほとんど全面に渡って露出した背中を見つめる。
……よし、ニキビや出来物はないみたい。でも、日焼け痕がちょっと目立つなー……ちゃんと日焼け止め塗ってたんだけど、毎日何時間も外にいたらさすがに焼けちゃうよね。スク水型にうっすらと日焼けしているのは目立つが、まあ遠くから見たら分からないかな。
私は腰につけたパレオの具合を確かめて、何回か頷いた。私、めっちゃお腹鍛えられてるじゃん。割れてる割れてる。6個にはなってないけど、すっごいスポーティな感じ。
こうして水着を着てみると、お出かけする時以上に注意を払わなきゃいけないんだなって分かる。あと、男だった頃は海なんて泳ぐためだけに行くものだったけど、女の子はガッツリ泳ぐために行かないんだなって理解できた。パレオなんてしてたらクロールとかバタフライとかできないじゃんね。水中メガネもオシャレじゃないし。
「アポロちゃん、そろそろ行こっ!」
「あ、はい!」
更衣室の扉からひょこっと顔を見せてきたトウカイテイオーに呼ばれて、私はサンダルを履いて旅館の外に出た。水着に躊躇って手間取っていたのは私だけらしく、既に砂浜にはパラソルを起点とした小拠点が完成していた。これまた買わされた麦わら帽子を深く被って、私は燃えそうなくらい暑い砂浜を歩く。
向こうを見れば、沖野トレーナーと天海トレーナーが談笑しながら早々とバーベキューの用意に取りかかっていた。とみおはちょっと離れたところでクーラーボックスを弄っている。反射的に「見られたくない」と思った私は、テイオーちゃんの背中にさっと隠れてとみおの視線から逃れた。
「その水着、桃沢トレーナーのために買ったんでしょ? 見せなきゃもったいないじゃん」
「そ、そうなんですけど。ほんとに恥ずかしくて……」
「えぇ〜」
私の言葉に、テイオーちゃんが肩を竦めて呆れた。「わけわかんないよぉ」とぼやきながらスピカのみんなの方に近づいていく。私も彼女の背中に続いて、とみおと一定の距離を保ちながらパラソルの下にやってきた。
「何やってんだアポロ。愛しのとみおチャンに早く見せてこいよ」
「そうですよ先輩。本当に似合ってますから、トレーナーさんも喜んでくれると思いますよ!」
ゴルシちゃんやスカーレットちゃんが口々に言ってくるが、私は深く項垂れて首を横に振った。呆れ返ったようなため息があちこちから聞こえてくる。
「だ、だって、水着だよ? 恥ずかしいもん……」
「学校指定のモノと何が違うんだよ。諦めろよアポロ」
「往生際悪いですよ」
私とスピカのみんなでは、何が違うのか。上手く言えないけど、みんなは自分の『カラー』を持っていて、それに合った水着を着ていることだろう。ゴルシちゃんやスカーレットちゃんの水着は長身モデルが着るような大胆極まりない朱の水着。堂々とした彼女の佇まいとスタイルが際立って、ゴールドシップやダイワスカーレットというカラーを作り出している。
スペちゃんやテイオーちゃんは活発なパステルカラーの水着。これも彼女達のカラーだろう。でも、私はどうだ。可愛い水着を買ったはいいが、どうも水着に着られている気がする。似合ってないことはないんだけど、何かこう……アポロレインボウのカラーにそぐわないというか。自己評価が低いせいかもしれないけど、スピカのみんなと比べると浮いてるように感じるのだ。
とみおは皆みたいに堂々とした女の子の方が好きなんじゃないか。私みたいな子はタイプじゃないかもしれない。そんなことを思っていると、水着に羽織物を着た
「君達、アポロがどこにいるか知らないか? いつまで経っても姿が見えなくて心配なんだ」
とみおはみんなに手当り次第に声をかけている。みんなはニヤニヤしながら「知らないよ〜」と言っていた。とみおは困ったなぁなんて呟きながら頬を掻いている。彼も海水浴を楽しみにしていたのか、サングラスなんか掛けちゃって。普段ならそのことを弄りに行くかもしれなかったが、今の私は身長の高いゴルシちゃんの陰に隠れることしかできなかった。
「アポロちゃんならここにいるぜ」
「えっ?」
すると、突然ゴルシちゃんに手首を掴まれた。そのままとみおの前に引きずり出され、私は麦わら帽子のつばを握り締めて下を向いた。それを見てケラケラ笑っていたゴルシちゃんがメジロマックイーンに引き連れられて、天海トレーナーの方に向かっていく。空気を読んでくれたのか、それともバーベキューの準備が気になるのか、私以外のみんなは向こうに歩いていった。残されたのは私ととみおだけ。
「アポロ、探してたんだぞ」
「……っ」
「……アポロ? 調子でも悪いのか?」
優しく声をかけられるが、私は顔を上げられなかった。幼児のように首を横に振って、とみおを困らせることしかできない。
「何かあったの? 言ってごらん」
「……や、何でもないから」
「って言ってもなぁ……う〜ん」
私の視界には、分不相応の水着を着た己の身体と、とみおの素足が映っている。彼の足が一歩こちらに寄ってくると、私はぎょっとして身を引いた。その拍子に顔を上げてしまって、彼と目が合う。
とみおの手が私の顔に向かって伸ばされる。私はぎゅっと目を閉じて身体を縮こませた。すると、深く被った麦わら帽子が軽く持ち上げられる感覚がした。同時、前髪をさらりと撫で上げられる。大きな手のひらが私のおでこに当てられて、心臓が跳ね上がった。
「熱は……無いみたいだね」
「っ、ちょ、何やって――!」
「あ、ごめん。熱でもあるのかなって思ってさ。ちょっと馴れ馴れしかったね」
「え」
「まぁ、アポロがここにいることが分かって良かった。俺は向こうにいるから、困ったことがあったらいつでも言ってくれよ」
「あ……」
咄嗟に彼の手を払い除けてしまったためか、とみおは困ったような笑みを浮かべてから沖野トレーナー達の方へ戻ろうとしていた。私に拒絶されたのだから当然だ。慌てて彼の袖を掴んで引き止めると、彼は驚いたような表情で振り返ってきた。
「……どうかしたの?」
拒絶したかと思ったら引き止めるなんて、私……とんでもなく面倒臭い女だ。でも、とみおに水着の感想を貰っていないではないか。ここで勇気を出さずして、関係性の進展など見込めるはずがない。私は上目遣いになって、彼と真正面に向き合う。
ショッピングモールで水着を買った時、みんなに言われたのだ。まずは水着を着ている自分の感想をトレーナーに言わせ、脈がありそうかどうか確かめろ――と。恋愛感情の欠片が見えないことには告白しても玉砕するだけだ。確かにこれまで脈があるかどうかなんて確かめたこともなかったし――
そ、そうだ……恋愛はレースなんだ。どれだけクソかわのウマ娘だろうと、選ばれる側にあるとは限らない。相手にその気が無かったり、その他色々な要因があったりして、どんな美女でも後塵を喫することは多々あるのである。
とみお以上に私を理解してくれる男の人なんて、今後現れるかも分からない。この一瞬の恥を忍んで、恋を勝ち取るのだ。行けアポロ、何とでもなるはずだ。
恐る恐る。或いは、期待を込めるように。
私はちっぽけな勇気に後押しされて、言葉を紡いだ。
「あの……さ」
「うん」
「わ、わた、私の……」
「……わたしの?」
「私の水着……似合ってる?」
「……え? ごめん。もう一回言ってくれる?」
「……っ」
この瞬間だけは、私はとみおを恨んだ。女の子が涙目上目遣いになって振り絞る言葉を聞き逃すんじゃないよ。まあ確かに、私の声量が小さかったのは問題だ。だから私は、とみおが羽織っていた服の襟首を引っ掴んで彼の身体を引き寄せた――引き寄せてしまった。
引き寄せれば当然、お互いの顔がめちゃくちゃ接近することになる。驚いたように見開かれる彼の黒い双眸。よく八の字になる眉。唇を突き出せば、キ、キスできちゃうくらいには近いお互いの口。
急に頭が真っ白になって、思考回路がオーバーヒートする。視界がぐるぐるになる。あ、あれ。なんで私ってばこんな大胆なことしちゃったの? もっと上手く話せなくなっちゃうじゃん。私のバカバカ、なにやってるの。
とみおの顔も何だか赤い気がする。気のせいかな? 多分気のせいだ。とにかく、このままじゃ色々とまずい。会話。会話しなきゃ。何だっけ。あ、そうだ、アレ。水着の感想を貰うんだった。
「つ」
「――つ……?」
「ちゅぎは、聞き逃さないでよね」
「え?」
ガッツリ甘噛みしたが、もう関係ない。私は声が小さくなっても聞き取れるように、とみおの耳元に口を近づける。彼が身を引いたような気がしたが、そこはウマ娘パワーでガッチリホールドして逃がさない。水着の感想を聞く以上の行為をしている気がするが、知ったことか。
「わ、私の水着……可愛いでしょ? 何か感想言ったらどう?」
――もっと私を見て、と彼の耳に言い放つ。
精一杯の挑発というか、照れ隠しというか。耳まで真っ赤にして言ってみたが、効果は覿面だった。囁き声を聞いていたとみおの耳は真っ赤になり、彼は私とすぐさま距離を取る。
「あ、アポロ。急にそんなことをされると困るよ」
「……どう困るの?」
「…………」
慌てふためくとみおの顔を見て、私は勝ち誇った気になって胸を張る。とみおは気まずそうに目を逸らすと、「凄く似合ってるよ」と言ってくれた。続け様にこんなことも呟いた。
「アポロはそういう水着が似合うね。すごい大人っぽいと言うか。それを着てビーチに行ったら、多分ナンパされまくるんじゃない」
最後のは余計な一言だ。私はとみおに見せるためにこの水着を着てきたんだから。気持ちがちょっと不機嫌に傾きかけたけど、彼は口上手な方ではない。彼なりの褒め言葉なのだ。そう思って、私はふふんと彼に笑いかけた。彼からも笑みが溢れる。
「ね。私、可愛い?」
「はいはい。可愛い可愛い」
「ちょっと。ちゃんと心を込めて言ってよね」
「アポロは可愛いよ」
「もっと!」
「可愛いって言ってるじゃん。本当に可愛いって」
とみおがムキになって強めの口調で言ってくる。それが何だかむず痒くて、背中から尻尾の辺りが堪らなく疼いてきた。無防備に曝された背中も相まって、謎の感覚はどんどん広がっていく。
「……あは、あはは! 何か暑くなってきちゃった! 私もう行くね!」
「え、うん」
そして私は気づいた。この会話の中で、とみおが本当に照れていたことに。つまり――水着という衣装が手伝ったのかもしれないけど――脈が無いわけではない、かもしれない。恋愛弱者たる私でさえその結論に達して、舞い上がりそうな気持ちの中、私はスピカのみんなが待つ方向に向かって走り出した。沖野トレーナー以外は全てを察したような表情をしていたが、私の恋は確実に一歩前進したので、そんなことは気にならなかった。
こうして夏合宿は終わりを迎え、秋のトゥインクル・シリーズが始まった。