ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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59話:最低最悪な夢

 神戸新聞杯はスペシャルウィークの独壇場だった。ディスティネイトは下位に沈み、ジョイナスは8バ身差の2着。ジョイナスは「末脚が不発に終わったし、2600メートル以上じゃなきゃやる気が出なかった」と不満げだったが、果たしてベストな状態でもスペシャルウィークに追いつけたかどうかは怪しい。

 

 クラシック世代とシニア世代の混合戦・京都大賞典はセイウンスカイのトリックが見事に発動し、メジロブライトに自分のレースをさせずに完封。圧倒的な逃げのセンスを爆発させた。

 

 時は10月3週、菊花賞1週間前。私達は未知の領域どうこうと言うより、夏休みが終わってからも成長を続けていたらしいキングヘイロー・スペシャルウィーク・セイウンスカイの対策を練りに練っていた。

 

 私達には油断があったのだ。『このまま順当に行けば菊花賞はぶっちぎって勝てる』――などという驕りがあった。しかし、菊花賞前のステップレースで見せた3人の活躍はどうだ。鬼神の如き覇気とパワフルさではないか。結果的に『菊花賞は余裕で勝てそうだ』という予想は違っていて、私達の想像を超える努力によって3人の実力は予想不可能領域にまで突入してしまっていたのである。

 

 私が菊花賞に出走すると発表しても、世間の驚きように対してあの3人は特に驚いた様子もなかったし……手の内はある程度バレてしまっていると読んでいいだろう。

 

 だが、長距離をレコードペースで走る私を追い抜くことができるウマ娘が存在するのだろうか。正直なところ、()()()()()()()。と言うか、逆にそんなウマ娘がいたら私はお手上げだ。でも……あの3人がそういうウマ娘なんじゃないかという予感もあるわけで。

 

 結局のところセントライト記念で会話したように、未来視のできない私達は必死で頑張るしかないのである。それを認識すると同時に、究極の仕上がりを見せているキングヘイロー・スペシャルウィーク・セイウンスカイに対抗するためには個人練習だけでは足りない――と、トレーナーが合同練習をセッティングしてくれた。

 

 その相手とは、グリ子とハッピーミークである。

 グリ子はチーム所属だったが、彼女のトレーナーの厚意により菊花賞まで私のトレーニングに付き合ってくれるらしい。次走は1ヶ月後のマイルチャンピオンシップだから、リフレッシュのために他トレーナーの下でトレーニングをするのも悪くないという判断だろう。ハッピーミークのトレーナーこと桐生院葵は、とみおが話を持ちかけた途端二つ返事で頷いてくれたらしい。

 

 ちなみに、グリ子はスプリンターズステークスで1着。謎の太り気味で本調子ではなかったタイキシャトルとシーキングザパールに食らいつけたのは国内でグリ子が唯一だ。次走はマイルチャンピオンシップ。そしてその次は香港スプリント。2人とも次走に3週間以上のインターバルがあるから手を貸してくれたのだろう。2人を含めた友達には助けられてばかりな気がするから、いつか恩を返せる日が来るといいな。

 

「ハッピーミーク、グリーンティターン、今日から3日間アポロのトレーニングに協力してくれることに感謝するよ」

「ぶいぶい」

「ぶ、ぶい……?」

 

 この2人と臨むトレーニングは本番を想定した模擬レース風併走だ。セイウンスカイの逃げと、スペシャルウィーク・キングヘイローの差しを模した仮想敵として2人とのトレーニングを予定している。

 

 短距離の切れ味ならグリ子は日本最高レベルの水準にあるため、グリ子を差しの仮想敵として。先行を得意戦法とするハッピーミークには無理をしてもらって逃げの仮想敵として活躍してもらう。

 

 菊花賞に出走すると公表したので、今はもう隠れてトレーニングする必要はない。グリ子やミークちゃん、ついでに私に対して声援が降り注ぐ中、私達はトラックコースを使った特殊併走を始めた。

 

「アポロ! 全力で走れ! 2400メートル地点からハッピーミークとグリーンティターンが加わるからな!」

「分かってるっつの!」

 

 この特殊併走は、3000メートルを1セット――つまり菊花賞の距離を1セットとして扱う。その内容とは、まず0〜2400メートルまでを私ひとりで全力疾走することから始まる。そして、2400メートル地点にはある程度加速したグリ子とミークちゃんが待ち受けているのだ。ここからが本番で、それまでの2400メートルを全力で走ってきた私に対して、前後で挟み込むようにミークちゃんとグリ子がスタートする。つまるところ、残りの600メートルでグリ子の差しとミークちゃんの逃げに競り勝つことがトレーニングの目的と言える。

 

 このトレーニング中、とみおが想定している場面は菊花賞の最終コーナーから最終直線だ。京都レース場の第4コーナーからゴール板まではおよそ600メートル。おおよそのウマ娘が仕掛け始めるタイミングであるという理由に加え、3000メートル全領域の併走に付き合っていたらグリ子のスタミナがあっという間に空になるからである。残りの600メートルだけを全力疾走すれば、グリ子の切れ味とスタミナはある程度持つ。

 

 そんなわけで探り探り始まったトレーニング。結果的に言えば、本番同様の感覚でトレーニングできたために、この模擬レース風併走は大成功だった。10度の併走中、セイウンスカイを模したハッピーミークに逃げ切られること3回、スペシャルウィーク・キングヘイローを模したグリ子に抜かれること2回。つまり5回勝って5回負けた。半々の確率で逃げ切ることができたのである。

 

 ただ、グリ子もハッピーミークも「3000メートルでこのパフォーマンスは無理」みたいなことを言っていた。グリ子はともかく、長距離も走れるミークちゃんが言うんだから、私のレーススタイルはかなりエグいらしい。

 

 特殊併走が終わってみれば、非常に実りあるトレーニングとなった。10回中5度重ねた敗因を研究できる上、彼女達の言葉から私自身の戦法への自信にも繋がったのだから申し分ない。これからも私は己の走りを磨いていくだけである。

 

「それじゃアポロ、君は先にトレーナー室に戻っててくれ。俺は桐生院さんと話してくるから」

「ん、それじゃ後でね」

 

 トレーニング終了後、一旦トレーナーと別れる。軽くシャワーを浴びて着替えた後トレーナー棟に向かい、合鍵を差し込んでくるっと捻る。すっかり秋になって肌寒く感じるトレーナー室。電気をつけてエアコンのリモコンを操作し、帰ってくるであろう彼と自分用にコーヒーを淹れておくため私はキッチンに向かった。

 

「ふんふんふ〜ん」

 

 彼はブラック。私は微糖。そして両者共にミルクを少々。あっという間に熱々のコーヒーができあがり。空っぽのデスクにマグカップを置いて、私はソファに座りつつコーヒーを啜る。いい加減疲れたので、このままボーッとしながらトレーナーを待つことにした。

 

「……おそ」

 

 ……5分経っても彼は来ない。桐生院さんと話し込んでいるのかもしれない。まあ、大人同士の事情に首を突っ込むわけにはいかないよね。コーヒーはすっかり飲み終わってしまったので、手持ち無沙汰だ。重力に引っ張られるようにズルズルとソファに横たわって、手すりの部分に頭を乗せる。

 

 ふぅ、と息を吐いて私は目を閉じた。とみおが来たら起こしてくれるでしょ。まさか寝顔を撮るようなおばかじゃないことを祈ろう。私ってば寝顔も可愛いけどね。

 

「ふぁ〜あ」

 

 

 

 意識はいつ途切れたのだろうか。

 気がつくと、そこは京都レース場のターフの上だった。どこかモノクロじみた風景。黒い霧が漂うスタンドは超満員で、私の周囲には17人のウマ娘がいた。理解の及ばぬまま、水の中に反響したような不協和音のファンファーレが鳴り響く。私は呆気に取られていたが、みんなはすんなりとゲートインしていく。

 

『■枠■番■■■■■■■、今ゲートインです』

 

 奇妙な体験だった。前提とか準備とか、そういうアレコレをすっ飛ばして私は京都レース場にいた。実況や歓声は遠く、集中力を発揮している時の聞こえ方とは違って非常に不愉快に聞こえる。囁き声のような……押し殺した笑いのような。明らかに周囲の全てが(マイナス)の雰囲気を纏っている。

 

 何なんだ、と思って首を振っていると、みんなが勝負服を着ていることに気付いた。京都レース場に勝負服……なるほど、ここは菊花賞の舞台なのか。ちょっと納得して、ぼんやり頷いた。

 

 ただ、もっと大事な何かに対して漫然と理解が追いつかない。アポロレインボウという己がふわふわと揺蕩(たゆた)って、どこを向いているのかも分からない。

 

 どうして私はここにいるのか。何故自分の足元を見下ろせないのか。四肢の感覚が鈍く、足元が覚束無いのは何故だ。その理由を必死に探らねばならないはずなのに、どうしても考えられない。筋書きをなぞるように、私は突っ立っているだけだ。

 

 ゲートインには非常に手こずった。思うように前に進まないのだ。数メートルを歩くだけで、体感時間的には1分くらいもがいていた感覚があった。

 

 これは現実なのか? それとも夢? 判断のつかぬまま、どこか他人事で冷めきった実況の声が響き渡った。

 

『世代で最も“強い”ウマ娘を決める菊花賞が今、スタートしました』

 

 ガシャコン――という音は聞こえなかった。いつもの(こな)れた感覚で行うスタートではなかったのだ。集中しなければいけなかったはずなのに、気がついたらゲートは完全に開き切っていた。致命的な出遅れだ。しかし、誰もスタートしようとしなかった。両隣――いや、全てのウマ娘が背筋を伸ばして突っ立ったままピクリともしない。

 

 セイウンスカイ――らしき勝負服を着た、顔にモヤがかかったウマ娘――はもちろん棒立ちだし、スペシャルウィークやキングヘイローらしき影も全く動かない。ゲート内に収まって、黒い霧を纏ったままじっとしている。

 

 ――おかしい。さすがの私も異常に気付いた。絶対におかしい。ありえないことだ。現実であるはずがない。レース第一なウマ娘がG1の舞台で棒立ちなどと……夢に決まっているではないか! 火を見るより明らかだ。それでも、私の身体が抗議の声や異議を唱えることはない。異常を感じた精神は悲鳴でも上げたい気分なのに、肉体はおろか精神の主導権すら何かに操られているような感じだった。何もできない。私はレールの上を進むだけ。

 

 誰もが黙ったまま、スローモーションのようになったレースが開幕する。歓声は悲鳴に変わっていた。ノロノロと宙に浮いたような足取りのまま、アポロレインボウの大逃げが始まる。

 

 2枠4番3番人気セイウンスカイ。

 3枠5番2番人気アポロレインボウ。

 5枠9番4番人気キングヘイロー。

 8枠17番1番人気スペシャルウィーク。

 

 誰かの靴が視界の端で飛んでいる。赤いリボンの耳飾りが千切れ飛ぶ。一体誰のものなんだ? ま、どうでもいいか。よく分かんないし。水を掻き分けるように、私の身体はぐるぐる走る。視界は何度もぼやけ、歪み、伸縮を繰り返している。懸命に腕を振っているけど、視界には手先すら映らない。

 

 そう言えば、自慢にしていた長いまつ毛と艶やかな芦毛が見えないな。視界にかすりもしていないというか。違和感を持ってふと足元を見ると、胴体も勝負服も脚もなかった。そこに存在すらしていなかった。

 

 あぁ、なるほどな、と思った。私は宙に浮いていたのだ。愉快ではないか。痛快ではないか。だって、夢であることが今確定したのだから。

 

 しかし、四肢の存在しない私は上手く走れているのだろうか。ずっとスローモーションのようになった世界のまま、私はぼんやりと思う。悲鳴が鳴り止まないことから鑑みるに、多分上手く走れてるんだろうな〜。

 

 ……ん? 何だろう。スタート直後の淀の坂に靴が落ちてる。さっき吹っ飛んできた、白と黒の――ハイヒール? それと赤いリボンが、また。……は? 近くに誰か倒れてるじゃん。真っ赤な勝負服、ウケる。あはは。……あれ? 何で笑ってるんだろ。みんな真剣なのに。レース中に転倒なんて一大事のはずなのに――

 

「   」

 

 あ〜そういうことね。スタート直後にあの子は転んじゃったのか。でも、あんなに靴もリボンも飛び散っちゃって……スタート直後ってそんなに勢いはついてないと思うんだけどなぁ。それに、赤い勝負服の子なんていたっけ? 何か引っかかるなぁ。

 

 そのまま1分か1時間か分からないくらいハチャメチャな体感時間を刻みながら、殺人ペースのアポロレインボウがレース後半の淀の坂越えに挑む。いつの間にか黒い霧が立ち込めていて走りにくかったけど、関係ない。レコードペースでぶっちぎってあげるもん。

 

『おっと、アポロレインボウの様子がおかしいぞ。これは故障です。故障発生です』

 

 第3コーナーの坂越えに挑もうとした途端、足元がぐらついた。何かがぽっきりと破壊される音がした。黒いモヤが濃くなった。『領域(ゾーン)』の前触れのようなどす黒いアレ。何回か視界が跳ねる。あ、()()()()()()()()してる。そう理解できた。

 

 かかとから伝わってくる衝撃で眼底が揺れる。スローモーションだったはずの視界が速度を取り戻していき、風圧が額を襲った。かつての加速感が背中を押し、大きく前につんのめる。

 

 そのままあっという間にバランスを崩して、視界が回転する。耳に付けていた――ような気がする――虹色のリボンが弾け飛び、靴が吹っ飛んだ。水の音がした。

 

「?」

 

 回転が収まると、身体は再び上手く動かなくなった。顔を上げることもできず、私は目玉だけを動かして辺りを確認する。何も見えなかった。赤い。いや、黒くて青い? きらきら光っている。光を反射して……水溜まり? 何だろう。

 

 水溜まりに反射して、初めて脚が見えた。腕が見えた。あぁ、どっちを向いているのだ。何てことを。誰がこんなことを。頼んでないのに。こんなの全然楽しくないよ。

 

『■枠■番■■■■■■■、今ゲートインです』

 

 気がつくと、私はまたゲート前に立っていた。

 

『世代で最も“強い”ウマ娘を決める菊花賞が今、スタートしました』

 

 また走らなければならない。そう考えながら反射的にスタートした直後、私は淀の坂に倒れた自分の姿を今度こそ目の当たりにした。

 

 

「――――いやあああああっ!!」

 

 一瞬闇が掛かった視界の中央を蹴り飛ばすように身体を跳ねさせると、世界は一変した。と言うか、そこはトレーナー室だった。ぶるぶると震える身体を抱き締めながら、私は胸に手を当てた。

 

「――夢……?」

 

 夢。即ち妄想。今見ていたものは全て嘘だ。己が過去に取った行動と現在の状況を照らし合わせて、私はそう時間をかけずに断定した。だが、妙に嫌な夢ではないか。菊花賞の舞台で――怪我をする私の夢だなんて。

 

 夢とは本来理解不能で然るべきなのだ。何故こんな不愉快極まりない夢を見せてくるのだ、私の脳は……。よりにもよって菊花賞1週間前に。脳の化学物質と電気信号が生み出した無意味な幻覚にしては、やけにリアルではないか。

 

「……うぅ」

 

 私は頭に手を当てて、しばし考え込む。夢を忘れてしまわないうちに。

 ……あの夢は、私の肉体の限界を示しているのだろうか。アグネスタキオンが言うところの「ウマ娘の未知の領域」に達した結果、壊れてしまった未来の私だとでも言うのか?

 

 言わば『暗示』――私が無意識的に恐れているモノの表れ、という訳か。こんちくしょう――

 

 だが、バカバカしい――と一蹴はできなかった。怖かった。どこまでも基盤の緩い自信と客観性の低さが手伝って、私はどんどん夢の内容が恐ろしくなってきた。

 

 息が荒くなる。胸が押し潰されるような感覚になり、ソファに倒れ込んだ。トレーナーを介して伝わってきたアグネスタキオンの言葉が脳裏を()ぎる。『アポロレインボウは菊花賞で壊れてしまうかもしれない』。その言葉が現実味を帯びてしまった。あの悪夢の残滓が私の心を掴んで離さない。

 

「うぅ……怖い……怖いよぉ……」

 

 私は毛布にくるまり、トレーナーが帰ってくるまでがたがたと震えていた。

 

 それから5分後。やっとトレーナーが帰ってきたのだが、私はほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 

「ただいま〜……って、どうしたのアポロ?」

「こっち来て」

「え?」

 

 私はとみおの手を取り、強く握り締める。

 

 こんな言葉を聞いたことがないだろうか。『ウマ娘は人々の想いを背負って走る』――と。その言葉が意味するところは多岐に渡るが、強い想いが奇跡と呼ばれるモノを引き寄せた実例は多々ある。トウカイテイオーの復活、メジロマックイーンの怪我の完治などなど。

 ……だから、私は桃沢とみおの強い思いを信じ抜き、彼が信じてくれるアポロレインボウも信じることにした。

 

「コーヒー、少し冷めちゃったみたい。ごめんね」

「あ〜、ありがとう!」

 

 あの悪夢は最低最悪だった。だけど、いつまでも世界に振り回される私じゃない。運命よ、そんなに私が未知の領域へ踏み込むことは嫌か。笑わせてくれる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私は私の道を行く。

 

 原動力は私を信じてくれるトレーナーへの思いと――多少の怒り。私が未知の領域を超えるためには、もっともっと強い想いに()()、奇跡を引き出さねばならないのだ。

 

 私はトレーナーの手を取って、強く強く頬擦りした。


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