ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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61話:未知の領域の予兆

 最初に彼の手が触れたのは私の耳だった。彼のごつごつした指に触れられると、私の耳は呼応するようにピンと反り立つ。先程までの押せ押せオーラはどこへやら、首元から額までが燃え上がるように熱い。彼に耳元を触られる度に身体が跳ね、彼の服を握る手に力が入る。

 

「……実はさ」

「あ、ん……な、なに?」

「ウマ娘の耳って触ったことないんだよね。知識としてしか知らないんだ」

「んっ……へ、へぇ〜……」

「だからもっと触っていい? これ、結構楽しいかも」

「っ……い、いいよ……」

「じゃ、遠慮なく」

 

 彼の指の腹が耳の溝をなぞる。彼の指が自在に動く度、脳天から後頭部にかけてとてつもない未知の快感が迸る。ぞわぞわするその感覚に対して、私の喉奥からは変な声が漏れ出てしまう。とみおは私の声なんて聞こえちゃいないのか、まるで子供が複雑怪奇な機械を弄くり回すように、ブツブツと小言を呟きながら指先を動かしてくる。

 

「前々から気になってたんだよね……アポロの耳って凄く大きいし、よく動くし。ライスシャワーの耳も大きいって言われてるけど、君は彼女よりももっと大きいんだね」

「ひゃぁんっ」

「芦毛の奥に皮膚があって……へぇ、凄いなぁ。ウマ娘の体温はヒトよりも高いって言うけど、本当に温かいぞ……」

 

 個人差こそあれど、ウマ娘の耳は竹を斜めに割ったような形をしている。その耳が開いている方向の音を選択的に聞き取れるようになっており、しかもクルクルとよく動く。よく目立つ上に動物的可愛さを備えたその器官に対して、フェチズムを抱く男性も少なくないらしい。

 

 スパークしそうな思考の中、「彼はウマ耳フェチなのだろうか」とどこか他人事のように考えてしまう。そんな中私の耳はぴょんぴょんと激しく動き、興味津々のトレーナーを喜ばせてしまう。

 

「おおっ、耳が見たことない動きをしているな。確かウマ娘の耳は10種類の筋肉に支えられていると記憶しているが……確かめてみるか」

「や、やんっ」

「あ、そろそろやめとこうか?」

「べ、別にどうってことないしっ」

「そう? なら続けようかな」

「んひっ」

 

 とみおの言う通り、ウマ娘の耳は10種類以上の筋肉に支えられている。対してヒトの耳の筋肉は「前耳介筋」「上耳介筋」「後耳介筋」の3つが認められるのみ。しかも神経の通い方が貧弱なため、耳だけを動かすことは非常に難しいのである。

 

 ウマ娘の耳付近には、ヒトのそこよりも神経が通っている。そのお陰で、前後左右と自由に耳の向きを変えることができるし、立体的に音を聞き取ることもできるわけだ。ただ、神経が通っているぶんヒトの耳の何倍も繊細で敏感だ。また、ウマ娘に特有の器官であるという事実も相まって、たとえ親しい仲だとしてもウマ娘の耳を触ることはほとんどタブーとされている。

 

 しかし、この男は研究者にでもなったように私の耳を好き勝手に触りまくってくるのだ。恥ずかしくって耐えられない。……が、やめてほしいとも言えなかった。彼にもっと触れて欲しいという欲望が、恥ずかしさと照れ臭さを押し切って私の思考を支配していた。

 

「……ヒトの耳よりもずっとしっかりしているし、溝も深い。ウマ娘にしかない組織――ううん、何か大事なことを見落としているような気がするぞ……」

「あっ、あっ」

 

 耳のふちを這わせるようにして、溝の内側を確かめてくるトレーナー。彼の「知りたい」という想いが手先の不躾な動きを通して伝わってくる。

 

「んにゃっ」

 

 指先で押され、表皮を擦られ、耳の中に生えた芦毛まで確かめられる。彼の吐息が肉薄し、意図せず耳の中に吹きかけられる。私は彼の胸板に顔を押し付けて、それでもなお耳をピンと反らして、永遠のような未知の感覚に耐え忍んだ。

 

 もしかしなくても、私達が及んでいる行為はとてつもなく淫猥なことなのではなかろうか。相手の身体を隅々まで知ろうとするなど、親密な間柄でも躊躇われることだ。それこそ恋人同士だって、こんなことはしないだろう。

 

 太ももの付け根にキスされるような――実際にされたことはないけど――こそばゆい感覚が止まらない。彼の手は綿密に私の耳を愛撫し、的確に弱い所を探り当ててくる。彼にしてみれば単純な探究行為なのだろうが、それを受ける私にとってはそう単純なものではない。恋する相手からの接触だ。

 

 人間というものは面白いもので、苦痛には耐えられても快楽には中々耐えられない。触れられ、愛でられ、大切にされる悦びを知ってしまうと戻れなくなるのだ。アポロレインボウに男の精神が混ざり合っていようが、彼と積み上げてきた時間からは逃れられない。私は彼に夢中になっている。

 

 彼の親指と人差し指が私の耳をつまみ上げ、尖端に向けてなぞり上げる。肩がビクンと跳ねてしまい、私は彼に向かって抗議の視線を投げかけた。一体、何をしているのだ。これまでは我慢していたが、その行為は探究心から来るものではなく意地悪から来るものではないか。私は涙目になりながら彼を睨み付ける。

 

「にゃ、にゃにをしゅるの!」

 

 さすがに見過ごせなくて、私は彼の胸を一発叩いた。しかし、彼は突然鋭く息を呑んだかと思うと、その手を私の肩に置いた。

 

「――っ、そうか……そうだ……! 何故今まで気が付かなかったんだ。ここにヒントがあるかもしれないじゃないか。今までは興味だけで触っていたけど――もしかしたらっ」

 

 彼の瞳はとてつもない衝撃に打ちひしがれたような色をしていた。一体どんないやらしいことを思いついたのかは知らないが、私は彼の手を振り払おうと暴れた。しかし、彼は頑として私の肩を離さない。

 

「す、ストップ! これ以上はまだダメだからっ!」

「いや、待ってくれ。これはちょっとした予想というか、上手く言えないんだけど……未知の領域の危険を回避することのできるヒントが、君の身体に眠っているかもしれないんだ」

「え――?」

 

 きょとんとして、彼と目を合わせる。とみおの視線は真剣そのものだった。先の発言を脳内で反芻する。私の身体に未知の領域のヒントが眠っている――だと? どういうことなのだ。私は視線で彼の言葉を急かした。とみおは頬を掻いて、言葉を選びながら話し始める。

 

「セクレタリアトというウマ娘を知っているかい?」

「もちろん知ってる、伝説のアメリカ三冠ウマ娘でしょ? ……でも、今の私が置かれている状況とセクレタリアトは関係ないでしょ?」

「いや、あるかもしれないんだ。彼女にはこんな逸話があってね――」

 

 とみおがつらつらと言葉を並べ立てる。アメリカ一冠目のケンタッキーダービー、二冠目のプリークネスステークスを制したセクレタリアトは、アメリカ三冠の期待が高まる中、胸に違和感を覚えたそうだ。三冠目のベルモントステークスの1週間前のことである。

 

 彼女はすぐさま大病院で検査を受けた。その結果、心臓の重さが通常のウマ娘の2倍以上であることが分かったそうだ。生まれつきそうなっていたわけではない。トレーニングやレースを重ねる中で著しく成長したのだ。病気による肥大でもないと判明し、当時は取り沙汰されることもなかったが――この異常なまでの心臓の大きさは、セクレタリアトの圧倒的な強さの原動力のひとつであると言われている。

 

 そして臨んだアメリカ三冠目のベルモントステークスにて、彼女は2着のウマ娘に3()1()()()もの大差をつけた。ダートの2400メートルで、タイムは2分24秒0。従来のレコードを2秒以上も縮める大レコードで、彼女がターフを去った今もなお彼女の記録を破った者はいない。

 

 確かにセクレタリアトほどのウマ娘なら、未知の領域へと至ったウマ娘だと言われても納得できる。しかし、私の身体を触ることと何の関係があるのだ。ツッコミを入れようとすると、手で制される。

 

「セクレタリアトの他にも、かのウマ娘エクリプスの心臓も非常に大きかったという記録があるんだ」

 

 Eclipse first, the rest nowhere(唯一抜きん出て並ぶ者なし)――シンボリルドルフ会長がたまに口にする言葉だ。エクリプスというウマ娘は、その言葉の祖になるほど強い無敵のウマ娘だった。

 

 諸説あるが、エクリプスは18戦18勝の成績に加え、2着のウマ娘に240ヤード――およそ220メートルもの大差をつけたことがあるという記録が残っている。220メートルは2.4メートルを1バ身とするならば、何と約92バ身にも及び……控え目に言って化け物だ。時代を超えてなおその名を轟かせる彼女もまた、未知の領域の向こう側へと至ったウマ娘としても間違いはないだろう。

 

 そんな彼女の心臓も大きいとは知らなかったが、セクレタリアトとエクリプスの共通点が分かったところで何があるのか。……そういえば、アイルランドダービー(アイリッシュダービー)を制した経歴を持つウマ娘・ヒンドスタンの心臓もかなりの大きさだったと聞くが――まさか。私は顎に手を当ててしばらく考え込んだ。

 

 段々と彼の言いたいことが分かってきた。未知の領域へと至る可能性のあるウマ娘は、心臓が大きくなっていると言いたいのだろう。逆説的に言えば、未知の領域へと到達することのできる身体に変化したから心臓が大きくなったとか――凡骨なウマ娘では至ることのできない領域だからこそ、心肺機能が異常に発達していると言うべきか。

 

「言いたいことは何となく分かったかも。ってことは、私の心臓も大きくなってるかもしれないってことだよね?」

「いや、トモが異常に発達していたミホノブルボンの例もある。トウカイテイオーの驚異的な柔軟性ももしかしたら……とにかく。心臓の変化が本命だけど、それこそ身体全体を確かめないと分からない」

 

 スプリンターであったはずのミホノブルボンは、スパルタトレーニングによって長距離を走ることが可能になった。そのミホノブルボンは非常にトモが発達していて、尋常じゃないレベルで筋肉がバキバキである。()()()()()()()()()()()、生粋のスプリンターがステイヤーの本領たる菊花賞を制する可能性があったという、()()()()()()()()()であったと……そうトレーナーは考えているのか。

 

 トウカイテイオーは普通のウマ娘とは違って、胸の辺りまで脚を跳ね上げられるほどの柔軟性を持っている。高すぎる柔軟性と独特のフォーム故に怪我が多かったが、そのフォームがあったからこそレース中に強さを発揮して奇跡の復活を遂げられた。あの柔軟性も未知の領域へと至った証拠かもしれないとトレーナーは口にする。

 

「……予想を言うとね、君の身体は無意識中に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その身体の変化さえ分かれば、この状況から一歩前進できる。これをアグネスタキオンに話せば、サイレンススズカだってどうにかできるかもしれないぞ……!」

 

 未知を知るには、既知の領域から解像度を高めていく他ない。とみおはそう呟いて、私の身体を隅々まで眺め始めた。

 

 学校の定期検査があったのはダービー前。夏休み明けにも検診はあったが、普通の学校で行うようなごく簡単なものだった。心臓の検診は入学当初に行ったことがあったけど、ここ1年半は全くしていない。

 

「……明日の午前に病院に行くとして。今すぐにでも君の身体に起きていることを調べる必要がある。菊花賞まで時間が無いからね。多分研究室にいるであろうアグネスタキオンにも今夜報告したい。そして君の身体はトレーナーである俺がよく知っている。……アポロ、これは真剣な頼みなんだが――君の身体を調べさせてくれるかな?」

「うっ……」

 

 とみおが本気で申し訳なさそうな顔をして頭を下げてくる。私とて「はいはいさっさと調べてくださいね〜」と頷いてあげたい気分だったが、先程ウマ耳を執拗に弄くり回されたせいで今この瞬間も頭がおかしくなりそうなのだ。これ以上彼に触られては、恥ずかしさと気持ちよさによって本気でどうにかなってしまう。いけない気持ちに傾いて彼を襲ってしまうかもしれない。

 

 ただ、それ以上に菊花賞に向けて現実的な解決策が見えたかもしれないのは大収穫だ。どう足掻いても、お願いしますと言わざるを得ない。咥内に溜まっていた生唾を呑み込んで、心の中で呟く。『これは夢のため』。私とてウマ娘とトレーナーの関係は弁えているつもりだったが、今日ばかりは仕方のないことなのだ――私は決意したようにジャージを脱ぎ、体操服姿になった。

 

「……優しく触ってね」

「もちろんだ」

 

 トレーナーが追い詰められたような、ほっとしたような表情になる。だが、私を心配させないためか、すぐにその表情を戻す。

 

「じゃあ、触るぞ」

「……んっ」

 

 とみおが初めに触れたのは首筋だった。命の本流が流れる頸動脈付近。脈拍でも測っているのだろうか。彼は瞳を閉じて、指先に神経を集中させていた。眉間に皺を寄せる彼を見て、少しだけ心臓の鼓動が早くなる。私のことを大切に思ってくれているのだとキュンとしてしまった。多分バレてない。

 

「…………」

 

 続いて彼は目を開き、首の表面を軽く圧した。

 

「……首の固定も変わらない……」

 

 トレーナーの視線が首筋を伝い、肩へ向かい、腕へと到達する。視線が会合し、触るぞ、と視線で合図される。私は小さく頷いて腕を差し出した。

 

 彼の大きな手のひらが、私の手のひらを拡げる。五指の一本一本を丹念に調べられ、爪の生え具合までチェックされる。指を目視した後は、手首に向けて視線が移る。

 

「ひゃ、ひゃっ」

「痛かった?」

「や、えと、違くて。あはは」

 

 その最中に手相をなぞられて、ちょっと声が出る。手のひらを触られると案外くすぐったいのだと、今日初めて知ることになった。

 

 手首や二の腕を触診され、その後は肘を曲げたり伸ばしたりさせられる。彼は首を横に振ると、私の腕から手を離した。腕には特筆するような変化はない、夏休みで筋肉が付いた程度の変化しか見受けられない、と。

 

「次は心臓なんだが……さすがに心臓の大きさは目視じゃ分からんから、明日検査してもらおう。じゃ、こっちに脚を向けてくれ」

「……ん」

 

 私は靴下を脱ぎ、足の裏をとみおの目の前に持っていった。彼はアキレス腱の辺りを片手で持つと、もう片方の手で足の筋肉を優しく探ってくる。脚を触られるのはウマ娘である以上慣れっこではあるが、()()()()()は初めてだった。

 

 病的に白い私の肌の上を、彼の節くれだった手が動く。頼りない新雪を踏み締めるように、彼の指は既知の領域を押し拡げていく。筋肉が非常に発達しているとはいえ、ウマ娘も女の子だ。力を入れなければ当然柔らかい。

 

 マシュマロのように、押し込めば弾力を持って跳ね返す私の柔肌。彼は私のような女の子の肌に触れても何も思わないのだろうか。真剣に私を慮ってくれるからこそ、そういう邪な気持ちはないんだろうけど……女心としては複雑である。

 

 彼の手はふくらはぎを調べ終わって膝まで達し、太ももへと侵攻しようとしていた。さすがにこれ以上上に行くと恥ずかしさが勝ってくる。そもそも今の状況は私が一方的に恥ずかしいのだから、勝つも負けるもないんだけど。

 

 すると突然、とみおの手が私の太ももの裏側――つまりトモに滑り込んだ。耳と同レベルのデリケートゾーンを触られて、私の喉奥からは自分も知らないような嬌声が漏れてきた。

 

「あんっ……後で絶対やり返す……

 

 しかし、彼の冷や汗をかいた表情を見ると、何かを見つけたらしい。

 

「こ、これだ……! ここがアポロにおける未知の領域の予兆だ、間違いない……!」

「見つかったの?」

「ああ、トモから足先にかけての()()()()()! 見た目じゃ何も分からないが、触ってみたら一目瞭然だ……今までのアポロじゃありえないくらい()()()()()()()()()()()()

 

 人間やウマ娘が走る時に地面を蹴る時に使う筋肉の部位はどこですか? そう聞かれた時の答えとして挙げられる筋肉は大体3つある。ハムストリングス(腿裏)、大腿四頭筋(前腿)、下腿三頭筋(ふくらはぎ)――つまりトモから足先にかけての筋肉である。

 ハムストリングスは膝を曲げるための筋肉で、走るときは地面を蹴って推進力を得る効果がある。走るための基礎筋肉、アクセル筋とも呼ばれている。下腿三頭筋はハムストリングスの動きをサポートする役割があり、ウマ娘でも陸上でもここを鍛えずしてどうするという筋肉の部位だ。

 

「今まで違和感は無かったのか? 痛かったとか、ハリがあるとか」

「う〜ん……全然無かったなぁ。お風呂で洗う時も分からなかったよ。多分、毎日少しずつ筋肉の密度が高まっていったからじゃないかな」

「なるほど……分かった。いや、これは大きな発見だ。アグネスタキオンにも報告しなければ」

 

 とみおはそう言って私の頭を撫でると、トレーナー室から出ていった。私は火照った身体でその場に項垂れ、しばらく休憩した後に寮室に戻ることにした。

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