ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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69話:欧州の2連砲

 次なるレースは12月初旬に行われるG2・ステイヤーズステークス。菊花賞や秋華賞、秋の天皇賞に出たウマ娘はほとんどジャパンカップやエリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップに向かったため、今回戦うウマ娘の多くは初対面である。

 もちろん11月中に休養して有記念や香港G1に向かうウマ娘もいるが、菊花賞からステイヤーズステークスに矢印を向けたウマ娘はアポロレインボウただひとり。つまるところ、クラシック級からの参戦は私ひとりということになった。

 

 ここで問題になるのは、ステイヤーズステークスが国際重賞競走ということ。地方のウマ娘に加え、外国からやってきたウマ娘も出走可能なのである。

 ――()()()()()()()()()()()()。それが今年のステイヤーズステークスの肝であった。

 

 出走予定を明らかにしている外国出身のウマ娘に、Double Trigger(ダブルトリガー)というアイルランドのウマ娘がいる。この子が大きな問題なのだ。

 

 ――Double Trigger(ダブルトリガー)

 身長171センチ、バスト90、ウエスト62、ヒップ89(公開情報より引用)という世界レベルの肉体を持った栗毛のウマ娘で、得意戦法は溜め逃げ。ついでにかなりの気性難で重場の鬼という個性の塊のようなキャラクターである。

 

 しかし、その実力は折り紙付き。3年前、英国(イギリス)G1・アスコットゴールドカップ、同国G1・グッドウッドカップ、同国G2・ドンカスターカップを制して英国長距離三冠を成し遂げ、今なお活躍を続けるヨーロッパが誇る名ステイヤーだ。

 

 競走生活にして6年間という長きに渡って活躍をしており、長距離重賞で12勝という輝かしい成績を残している。英国長距離三冠を達成した3年前には欧州最優秀ステイヤーに選ばれるほど。

 

 その勝ちレースにして、3000メートルG3・イタリアセントレジャー、3200メートルG3・サガロステークス(2回勝利)、3200メートルG3・ヘンリー2世ステークス(2回勝利)、4000メートルG1・アスコットゴールドカップ、3200メートルG1・グッドウッドカップ(3回勝利)、3600メートルG2・ドンカスターカップ(3回勝利)……29戦14勝、うちG1勝利数4という、勝った重賞は全て3000メートル以上という驚異的な成績である。

 

 ダブルトリガーは9月に行われたドンカスターカップからステイヤーズステークスに目標を定め、既に来日しているという。

 

「ダブルトリガーさん……かっこいいなぁ」

 

 私は彼女のレース映像を眺めながらそんな言葉を口にした。モニターの中で、4000メートルという狂気的な超長距離を駆け抜ける大柄な栗毛のウマ娘。私の速度に任せた大逃げと違って、スローペースに持ち込んで有利展開を作り出す溜め逃げではあるが――ひたすらに先頭を走り続けるダブルトリガー。何と美しいフォームなのだろう。

 

「3年前……全盛期ダブルトリガーのゴールドカップを見てるのか」

「うん。迫力が凄いね」

「そりゃ、当時は世界最強ステイヤーと言われてたウマ娘だからな」

「今は違うの?」

「今も間違いなく強いが……最強では無くなったかな。下の世代から更に強いウマ娘が生まれてきたんだ。所謂(いわゆる)世代交代ってやつだな」

「…………」

 

 とみおの言葉に口を(つぐ)む。何もそんな言い方をしなくてもいいじゃないか、と思わないでもない。

 

 3年前の映像に映るダブルトリガーは、トリッキーさを兼ね備えつつパワフルでもあった。大きなストライドと迫力溢れる闘気によって、彼女の肉体がより大きなものだと錯覚してしまうくらいには力強かった。

 対して今年の9月に行われたドンカスターカップを走る彼女の映像は、全盛期に比べると円熟味を増して老獪なものに変貌していた。フォームは更に洗練されており、確かにパワフルさこそ無くなったが超一流のレースをしている。

 

 こうなると、ダブルトリガーを脅かす()()()()のウマ娘が気になるところだ。

 

「ダブルトリガーさんよりも強いって言われてるウマ娘って誰なの?」

「……カイフタラ。アポロの1個上のウマ娘だ」

「カイフタラ……」

「ま、今はヨーロッパのカイフタラより日本にいるダブルトリガーだ。彼女に勝てなきゃヨーロッパを制することなんてできないからな」

「……分かった」

 

 ステイヤーの本場であるヨーロッパで物凄い活躍をしているウマ娘ではあるが、ダブルトリガーは既に6年目の競走生活に突入しているため肉体的なピークを過ぎている。その分技術や経験は世界最高レベルにあるだろうが……慣れない日本の芝を舞台にする戦いなのだから、彼女に勝てなければヨーロッパに挑めるレベルでは無い――とみおはそう言いたいのだろう。

 

 まぁ、どんな相手が来ようと私は全力で挑むだけだ。走る前から気持ちで負けていたらダメだろって話。相手が最強ウマ娘だろうと勝つ。欧州最強ステイヤーだろうが何だろうが、私の大逃げに対策ができるならやってみろ。そういう意気込みで臨まなければ、勝てるレースも勝てなくなってしまうからね。

 

「そうだ。ダブルトリガーの情報を纏めておいたから渡しておくよ」

「お、ありがと〜」

 

 大まかな情報は既に収集していたから、彼から手渡された紙切れにはどうでもいい情報しか載っていなかったけれど――何気ないところから相手の弱点が見つかることもあるということで、私はその紙を隅々まで観察することにした。

 

「へぇ、『ドンカスターカップを3勝したことを讃えられ、ドンカスターレース場に銅像が立った』――か。いいなぁ、私も銅像とか立ててもらいたいなぁ」

「はは、どうやったら立つんだろうな」

「とりあえず勝ちまくれば立つのかな?」

「それができれば苦労しないよ……」

 

 その紙にはダブルトリガーの銅像が立てられたことの他に、彼女が怪我がちなこと、妹にダブルエクリプスというウマ娘がいることが書かれていた。

 

「クラシック級の春、怪我のせいでダブルトリガーさんは大きく出遅れたって書いてあるけどさ。経歴を見ていくと、結構な頻度で怪我しちゃってるんだね」

「あぁ……そもそも向こうはレース自体がかなり苛烈だし、元々の体質もそこまで強くなかったらしいからな。最近は回復力も落ちて、ドンカスターカップの後のカドラン賞やロイヤルオーク賞に出られなかったそうだ。このステイヤーズステークスがラストランになるかもしれない、って本人も言ってるよ」

「…………」

 

 ダブルトリガーさんをよく知っているわけではないが、“ラストラン”という言葉を聞いて何だか寂しいなと思う。いつかは私も終わってしまうのだろうか。あんまり考えたくない。

 

「にしても、何で日本をラストランの舞台に選んだんだろうね。これまでヨーロッパ一筋でやってきたのに」

「ヨーロッパが10月いっぱいでシーズン終わりだからじゃない? それに、ステイヤーズステークスは前走のドンカスターカップと同じ距離だし」

 

 基本的にヨーロッパのトゥインクル・シリーズは4月〜10月の開催がメインだ。11月〜3月のG1レースは数える程しかない。そのため、ヨーロッパのウマ娘はこの期間、香港・日本・オーストラリア・ドバイ辺りのレースに出走することが多い。

 しかし、香港には長距離レースが存在しないし、オーストラリアもドバイも時期違い。結果、この時期に開催されている3000メートル級重賞であるステイヤーズステークスに白羽の矢が立ったのだろう。

 

 ……さて、ステイヤーズステークス開催まで残り僅か。4000メートルを逃げ切れる欧州最優秀ステイヤーが相手になるから、菊花賞の時以上に気合を入れて対策を立てていかなければならない。

 何せ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()菊花賞とは違うのだ。敵は3600メートルという舞台に自信のあるウマ娘ばかりで、特にダブルトリガーなんかは超長距離レースに慣れ切っていると考えられる。

 

「とみお。そろそろ良い時間だし、トレーニング始めよっか」

「おう。チャリ取ってくるから先に外出て待っててくれ」

「は〜い」

 

 うかうかしてられない。私達はすぐさまトレーニングに行こうと立ち上がった。

 

 

 今日のトレーニングは川岸の堤防上に造られた道を走るというシンプルなもの。とにかく持久力を伸ばし、ダブルトリガーに競り負けないよう心肺機能を鍛え抜くという明確な目標があった。

 ヨレたジャージを着たとみおは、軽くランニングする私の後方で自転車を漕いでいる。ちなみに、チャリに乗っているとみおの方が先にへばりやすいのは笑い話だ。堤防ランニングはむしろ、とみおに対するトレーニングになっているんじゃないかと毎回思う。

 

「えっほ、えっほ」

 

 赤と白のジャージに身を包み、肌寒い道を走る。数キロ走っているうちに身体が温まってきて、逆にジャージが暑苦しく感じるまでに火照りが生まれている。

 軽く背後を確認すると、数キロ走っただけだというのにトレーナーがひいひい息を切らしていた。くすくす笑いながら、私は見せつけるようにペースアップしてやる。毎回10キロは走っているから、最後まで付いて来られるのか……後が思いやられるなぁ。

 

「あっ、アポロぉ! 勘弁してくれぇ! そんなペースで走るんじゃない!」

「はいはい、喋る余裕があるんだったら脚を動かす」

「運動してない社会人にはキツいって……!」

「いい加減バイクなりスクーターなり買えばいいのに……変なところでケチなんだから」

 

 ウマ娘の優れたフィジカルでトレーナーのようなヒトを揶揄うのは結構面白い。庇護欲を煽られるというか、昔の自分はこうだったんだなぁと不思議に思ったりするのである。

 

 まぁ、おふざけはここまでにしてトレーニングに集中しよう。私はとみおの指定する速度までスピードを落とし、フォームをチェックしながら一糸乱れぬ走行を再開した。

 そこにトレーナーとの会話はない。彼から一方的に「フォームは指先から足の裏までを意識しろ」「鼻から吸って口から出せ。呼吸は乱すな」という言葉が飛んでくることはあるが、私から彼に投げかけられることはない。

 

 怪我や事故の原因は、生じるリスクの軽視や無視、はたまた油断から生まれるものだ。いつものトレーニングが一転して、レース生活の呆気ない幕切れに繋がることだって有り得ない話じゃない。

 そうなったら私は悔やんでも悔やみ切れないし、己を呪うことになるだろう。そうならないように細心の注意を払ってトレーニングする必要があるのだ。思わぬ油断が命取りになって怪我をした――そういう教訓じみた話を耳にしないことはない。授業やトレーナーに口酸っぱく言われることもしばしば。

 

 私達のような学生は、誰もが口を揃えて「気をつけろ」と言葉にする意味を忘れがちだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、保護者たる教師やトレーナーの気持ちも知らないで、私達はたまに後先考えずにおふざけをしたりする。

 まだ精神が未成熟な学生だから、たまのおふざけが起こってしまうのは仕方のないこと。だが、その()()()()()()()を起こさぬウマ娘だけが強くなっていけるのだ。

 

 物事を真剣に遂行するのは比較的容易い。しかし、物事を()()()()()()()()()()()()ことは非常に難しい。余程強い憧憬や信念を持っていなければ、精神(こころ)が簡単に楽な方向へと傾いていくからだ。

 ()()()()()()()()()に対して気を配り続け、初心を忘れず長い期間に渡って真剣さを忘れず努力した者だけが特別になれる。

 

 どれだけのフィジカル・ギフテッドを持ち合わせていようと、努力する者には敵わない。

 どれだけの努力を積み重ねても、フィジカル・ギフテッドを持つ者には敵わない。

 

 時代を作るウマ娘は、持って生まれた破格の才能と、狂気すら滲むような努力を積み重ねてきたのだ。それでやっと、他のウマ娘を圧倒できる。

 日常に潜む数々の誘惑を押し退け、強者蔓延(はびこ)るトゥインクル・シリーズを勝ち抜いていくには、たかが数分間のレースのために青春の全てを捧げる覚悟と努力が必要なのだ。

 

 ……まぁ、努力努力と大雑把に言っても、努力(それ)は言葉で表すには余りにも簡単である。実際は死ぬほど苦しくて辛くて凄絶だと言うのに。

 トレーニング開始から数時間が経ち、昼の明るさが夕闇に押され始める。言うまでもなく、私は走りっぱなしだ。たまにトレーナーのママチャリからスポーツドリンクをひったくって喉を潤したり、頬を伝っていく汗をタオルで拭ったりしたが、それ以外はずっと走り詰め。

 

 フォームを乱さずに走り続けるというのは、想像以上に精神力を使うし疲れが溜まる。呼吸の仕方、腕の振り方、左右のバランスの取り方、足の裏の接地方法、他にも色々なことを1歩1歩気にして走らなければならないのだ。正直なところ、まともな思考ができなくなってくる。

 

 所々完璧ではなくなってきているし、汗を吸い込んだ体操服のせいか寒くなってきた。鼻から酸素を取り込む余裕が無くなり、あんぐりと開けられた口から無造作に呼吸せざるを得なくなる。

 

「アポロ、背筋を伸ばすんだ! 背中を丸めちゃいけないぞ、酸素を取り込みにくくなるからな。いいか、苦しい時こそ胸を張れ!」

「はっ、はっ――!」

「脚を止めるな! ()()()()()()()()()()()!?」

「ぐっ――」

 

 息も絶え絶えなとみおの檄を受けて、私は歯を食い縛る。何故この男は私にこれ程までの苦痛を強いるのだという怒りを燃料に、何くそと腹の底に力を込める。

 そうだ。私は頑張らなければならない。

 あのテレビ画面に映っていたウマ娘。⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎に誇れるような、そんなウマ娘に私はなるんだ。

 

「――――あれ?」

 

 ――気合を入れ直そうと意気込んだ刹那、襲いかかってくる鋭い頭痛。痛みの奥深くから湧いてくる過去の記憶。砂嵐の吹き荒ぶ暗い記憶が呼び起こされ、微妙にエコーのかかった声と共に場面がフラッシュバックする。

 

 

 お母さん、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

 

 すごいわね。

 

 うん、かっこいい! 私もなれるかな?

 

 ええ、きっとなれるわよ。

 

 私も⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎みたいに、キラキラしたウマ娘になる!

 

 

 ぐらぐらと根底が揺れ、一瞬だけ意識が途切れる。そしていつの間にか、何もかも思い出せなくなっていく。鋭い痛みに顔を顰めてしまい、その結果崩れる視界。規則的な動きを続けていた走行フォームが乱れ、歩調が大きく狭まって動きを止めていく。

 

「っ……、ぁ……!」

「どうしたアポロ!?」

「――いや、なんでもない……」

「そんな。何でもないわけないだろ」

 

 とみおが自転車を投げ出して、その場に立ち止まった私の肩を抱く。ずきずきと鈍い痛みが頭に残っていたが、何故か大したことではないと予感じみたものを感じたため、とみおの手を解いて優しく笑いかけた。

 

「私は大丈夫だから」

 

 痛みが消えると、頭の中にあった違和感はすっかり消えていた。

 ――気のせいか。一体なんだったんだろう。何かを思い出したような気がしたのだけど。

 

「もしも疲れ以外の違和感があったなら、今すぐに救急車を――」

「や、そういうのじゃないから大丈夫……」

「…………そういうわけには」

「男の人には話せない悩みがあるのっ」

「そうなのか?」

「そうなの! ほら行くよ!」

「…………」

 

 心配そうな声色のとみおを振り切って、私は再びランニングを開始する。とみおとは「身体に違和感を感じたら、どれだけ些細なことでも報告すること」という約束事があったが、この痛みはそれに該当しない――そんな確信があった。だから私は走る。とみおを裏切ったつもりは全くない。

 

 だって、違和感は全部消えてしまったんだもの。身体の奥深くで疼く疲労の方がうるさいんだもの。()()()()()()()()()にかまけている暇はない。

 もっと走らなきゃ。もっと頑張らなきゃ。何かに駆り立てられるように私は走る。そんな時、夕暮れの川岸に耳障りな金属音が鳴り響いた。

 

「うお、いきなり止まるなよアポロ! このチャリ油がささってないからブレーキが利きにくいんだって……」

 

 その音の正体はとみおの自転車がブレーキをかけた音だった。そして、私がいきなり止まった理由は目の前に現れたウマ娘にあった。

 

「――えっ」

 

 とみおの素っ頓狂な声が飛ぶ。私達はその場に立ちすくんだまま動けない。

 ――そのウマ娘は、深い色の栗毛をロングヘアーにしていた。特徴的なグリーン・アイが輝かしい、堂々たる風貌のウマ娘だ。暮れる寸前の夕陽から照らされて、彼女の燃えるような栗毛が紅く煌めいている。運動着姿だからこそ分かる抑揚のついた肉体――並びに鋼並の硬度と密度が窺える筋肉が服の下に張り詰めていて、トモの発達具合が尋常ではないことが分かる。

 

 とみおが自転車から降り、私を守るために半歩前に出た。あまりにも鋭い眼光からは敵意が剥き出しである。値踏みするような冷酷な視線が私に向けられていて、底冷えするような寒さが背中を襲う。

 

「……ダブルトリガーさん……偶然ですね」

 

 欧州が誇る名ステイヤー、ダブルトリガーがそこにいた。

 

こんなところで会うとは奇遇じゃないか、アポロレインボウ。実際に会うと想像以上にちっちゃくて可愛いな、え?

 

 ……半分以上何を言ってるのか分からない。これは英語のリスニング力を鍛える必要があるな。あんまり好意的な接し方じゃないし、もしかしたら皮肉を言われてるのかも。

 

「……本当にお前がジャパン・セントレジャーを制したウマ娘なのか? ルモスさんが言うほどのウマ娘には見えないが」

 

 ジャパン・セントレジャーとは菊花賞のことだろう。それしか分からないが、彼女の表情から見るに私のことを疑問視しているようだ。

 翡翠の瞳がこちらを睨んでいる。どこか擦れ切ったような虹彩が気にかかった。

 

「何の用ですか……って、これ英語で言わないと伝わらないのかな」

「俺が話そう」

「できるの?」

「トレーナーだからな」

「えぇ」

「うちのアポロに何か用ですか?」

 

 わ、とみおって英語喋れるんだ。かっこいい。イケメン。

 

「もしかして今までの言葉はアポロに伝わってなかったのか。言語の違いは不便極まりないな……」

「先程からえらく挑発的ですね」

「この国のセントレジャーをレコードで制したと聞いたが、お前達は私に敵わない。ステイヤーの本場たる欧州の力を見せつけるために私はここにやって来たのだ」

 

 とみおが耳打ちで大体の翻訳を教えてくれる。即時翻訳ができるって相当な英語力だぞ……?

 にしても、相当私のことを煽ってくるな。こんな意地悪な人だったなんて、憧れを抱いていただけにちょっと複雑である。

 

「ルモスさんによれば、お前が日本最強のステイヤーらしいではないか。身体も小さい、覇気の欠片もないウマ娘が私に勝てると思うなよ。このステイヤーズステークスは私が貰う」

「……だってさ」

「…………」

 

 自信に裏付けされた宣戦布告。でも、私だって長距離の舞台で誰にも負けたくない。来年の海外遠征のためにもここでダブルトリガーさんを倒すくらいの勢いでなければ……私はきっとヨーロッパで戦っていけない。

 ダブルトリガーさんは慣れない日本の芝に加え、アウェーで戦うのだ。こうして強く気を張っていないとダメだと見える。ここはひとつ挑発返しということで、La victoire est à moi !!(調子に乗んな!)――なんて言ってみたさもあるが、あまり波風を立てたくはない。

 

 私はあえて正面から彼女に近づき、下手くそな英語でこう返した。

 

「ダブルトリガーさん、あなたの活躍は海を越えてここ日本にも伝わってますよ! こうして日本の舞台であなたのような歴史的名ステイヤーと戦えるなんて光栄です! サインください!」

「え、サイン?」

「サインください!」

「え、あぁ……分かったよ」

 

 私の言葉に(ほだ)されたのか、ダブルトリガーさんの雰囲気がかなり柔らかくなった。とみおのカバンに入っていた『ステイヤー育成論』という本を手渡すと、ダブルトリガーは照れくさそうにサインをし始めた。

 どうやら異国の地で気を張っていただけで、悪い人ではなさそうだ。

 

「英語、中々上手いじゃないか」

「ありがとうございます!」

「私も当日を楽しみにしているよ、アポロレインボウ」

 

 ダブルトリガーさんは静かな微笑みを湛えると、先程の嫌味を忘れさせるように握手を求めてきた。嬉々としてそれに応えると、彼女は更に喜んだような仕草を見せて、満足そうにこの場を走り去っていった。

 

「……変な人だったね」

「6年も走ってりゃ色々とあるんだろう。嫌味っぽくはあるが、悪い子じゃなさそうだ」

「暗くなってきたし、私達もそろそろ帰ろっか」

 

 夕闇に溶けていったダブルトリガーさんを見送って、私達は帰路につく。とみおが疲れ果てた私を見兼ねて、自転車の後ろ側の席――ママチャリだから席でもなんでもないが――を差し出してきた。

 

「アポロ、後ろに乗るか?」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 

 後から知ることになったが、私が座った場所はドレスガードと言うらしい。とみおの腰に手を回し、横を向きながらドレスガードに腰かける。

 私が彼の背中に寄りかかったのを合図に、とみおのママチャリが発進する。さすがに少女ひとりを乗せた自転車は重いのか、右に左にハンドルを切りながらゆっくりと進んでいく。

 

「……遅くない?」

「アポロが重……いや、2人乗りだと上手くいかなくて」

「誤魔化せてないからね」

「ごめんなさい」

「……ま、いいよ。ムカつくけどね」

「反省します」

 

 成人男性に比べたら、ひとりの少女の体重なんて軽いものだ。しかし、重いものは重い。生きているんだから。

 ウマ娘が走る速度よりはずっと遅かったけど、彼と同じ速度で風を切る感覚は何物にも代えられない安らかな温もりを与えてくれた。

 


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