ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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70話:『夢』たち

 英国長距離三冠を達成したウマ娘は、長い歴史を誇る英国トゥインクル・シリーズにおいてもたった6人しか生まれていない。

 Isonomy(アイソノミー)Alycidon(アリシドン)Souepi(ソーピ)Le Moss(ルモス)(2年連続)、Longboat(ロングボート)、そしてDouble Trigger(ダブルトリガー)。長い歴史に名を残す伝説のウマ娘達だ。そんなウマ娘のひとりであるダブルトリガーさんに誘われ、私はとあるレストランにやって来ていた。

 

「先日は罵るような言葉を言って済まなかったね」

「いえ、そんなことは」

「今日は私の奢りだ。遠慮なく食べていってくれ」

「ありがとうございます」

 

 ダブルトリガーさんと会った日の夜、ワールドワイドに展開しているアプリ“ウマスタ”にDMが来たのだ。自動翻訳されたらしい特徴的な日本語で『今日の無礼をお詫びしたいです、2人で食事をしませんか?』という違和感丸出しの文面が送られてきたものだから、ちょっとウケると同時に二つ返事で了承した。その結果、ステイヤーズステークスの3日前にあったオフの日に彼女と食事をすることになった。

 

 最初は2人きりということでどうなるか分からなかったが、ダブルトリガーさんが意識してゆっくり喋ってくれるので会話に関してはあまり問題なさそうだった。

 もちろん、昨日の出会い(がしら)の如く、ダブルトリガーさんが敵意を丸出しにしてクソほどキレてきた! ってわけでもない。彼女も良識あるウマ娘なのである。

 

「先日の無礼があったのに、ミスター・モモザワはよく2人きりでの食事を許してくれたね」

「彼も理解がある人ですから」

「えっ、なんだいその“彼は分かってくれてます”感は。急に見せつけてくるね。ニホンゴで言うところのセイサイというやつかい? え?」

 

 先程からダブルトリガーさんはずっとこんな調子だ。終始笑顔で指を組んで、前傾姿勢になりながら私のことをじっと見つめてくる。会話の内容からしても、彼女は私や私に関連することを根掘り葉掘り聞いてくる。私のようなウマ娘とも本当に親睦を深めたいと思ってくれているらしい。

 しかし、私よりも成績優秀だったり家柄の良いウマ娘が他に居たんじゃないか。何故私にこんなに付きまとってくる(?)のだろうか。後で理由を聞いておこう。

 

「気になるなぁ、ミスター・モモザワとアポロの関係。どこまで行ってるんだい? ン?」

「…………普通のウマ娘とトレーナーです」

 

 しかし、ダブルトリガーさんってばゴリゴリに距離を詰めてこようとする人なんだな。これがヨーロッパ式の親睦の深め方と言うやつなのだろうか。それとも彼女の性格なだけ? どちらにせよ嬉しくはあるが、詰問の内容が私の弱点すぎる。

 テーブルを隔てて会話しているはずなのに、彼女の前傾姿勢のせいで妙に顔が近いし、とてもじゃないが落ち着かない。上手く誤魔化せているだろうか。私は緊張を隠すように水を飲んだ。すると、ダブルトリガーさんは納得したように手を叩く。

 

「おぉ、たった今確信に至った。アポロはトミオに恋してるんだな」

「ぶっ! ゲホゴホ、うぇっほ!」

「あぁ! ごめんごめん、これは本人には秘密にしときたいんだよな? えぇ、えぇ、分かってますとも」

「〜〜〜〜っ……何でこう、初対面同然なのにバレちゃうのかな……私の気持ちってそんなにダダ漏れなの?」

「日本語を聞き取れないわけじゃないから突っ込ませてもらうが、前会った時からバレバレだよ。耳の動き、目の動き、指の仕草、と言うか尻尾揺れすぎだし彼の脚に巻きついてるし。逆に気づかない人はいないだろ」

「あっあっ」

「とどめは自転車に乗っている時のお前の顔だ。あれは傑作だったな。遠くの方から見ていたが、どこからどう見ても恋する乙女の顔――」

「あーーーー! やめてください分かりましたから!」

「可愛い反応だ。もっと揶揄(からか)いたくなるよ」

 

 ……この人嫌な人だ。ここの代金はダブルトリガーさんの奢りってんなら、ちょっと高めのデザートとか頼んじゃお。

 

 ――と思っていたのだが、私の注文量に青い顔をしたダブルトリガーさんに申し訳なかったので(彼女も学生の身分だ)、デザートを頼むのはやめておいた。

 

「……さて。アポロのことばかり質問するのも悪いな。私に対しての質問があったら何なりと答えよう」

「いいんですか」

「いいとも」

「じゃ、トレーナーさんとかいらっしゃらないんですか? 先日も今日もそれらしき人が見あたりませんけど」

「あぁ、トレーナーはいないよ。少し前に契約解消したんだ」

 

 あっけらかんと言い放つダブルトリガーさん。私は脳内であちゃーと頭を抱えた。もしかして彼女の地雷だったかもしれない。微かにグリーン・アイが揺れているのが見えた。

 

「……悪いこと聞いちゃいましたかね」

「気にするな。昔を思い出していただけさ」

 

 彼女によると、英国長距離三冠を成し遂げた年、トレーナーさんがご高齢のために契約を解除したらしい。今でも交流したりお茶会を開く良い関係だとか。

 

「もう現役6年目――シニア級に入って4年目だ。トレーニング方法も己の身体も熟知しているから、今更新しいトレーナーを必要としないのさ」

「自分でレース調整もしてるってことですか。ひえ〜……真似できないや」

「ヨーロッパやアメリカではクラシック級で現役を退くウマ娘も多い。日本でのトレーナー契約期間は基本的に3年間と聞くが、こちらや向こう(アメリカ)の基本契約期間は2年間なのだよ」

 

 競馬的なことを言えば、特にヨーロッパの競馬はビジネス的な側面が大きい。ヨーロッパ競馬で最も重要視されているのは種牡馬の種付け――つまりシンジケートで動く莫大なお金である。ヨーロッパにおける重賞の賞金は安いが、生産ビジネスで儲けられるお金が日本の比ではない。そのため、3歳(クラシック級)までに勝ちまくった馬が怪我のリスクを冒してまで古馬(シニア級)以降のレースに出走することは稀である。

 逆に日本の競馬はレース主体で、重賞の賞金がヨーロッパに比べてかなり高い。だから5歳6歳になっても走る馬がいる。

 

 『生産』主体か、『レース』主体か。ヨーロッパと日本の違いはそこにある。向こうの世界の常識がウマ娘世界にも当てはめられた結果が、トレーナーの契約期間の違いなのだろう。

 

 しかし、ウマ娘世界では「よっしゃ種付けするぞ! シンジケート、ドン!」って風にはならない。早期に引退したウマ娘達は何をしているのだろうか。もしかしたら、経験を活かしてトレーナーになったり、ヨーロッパ独特の受け皿が用意されているのかもしれない。いっそのこと質問してみるか。

 

「日本では引退ウマ娘に対して“ドリームトロフィーリーグ”だったりテレビ出演だったり、色々なお仕事や受け皿があるんですけど。ヨーロッパでトゥインクル・シリーズを退いたウマ娘は何をされているんですか?」

「多くはトレーナー業や子供のコーチング教室をするよ。それも、かなり大規模のね。ドリームトロフィーリーグ出走やテレビ出演なんかもあるが、多くは地元に帰って後続のウマ娘を育てることになっている。URAから勝ち数に応じた補助金も出るから、まぁそこが基本線だな……」

 

 へぇぇ……そういうことなんだねぇ。というか、URAがワールドワイドな組織だったとか初めて聞いたかも。そりゃ、ヨーロッパ・アメリカ・香港・ドバイ・オーストラリア……並びにパート2国にもそういう組織があると想像は付くが、まさか同一の組織がトゥインクル・シリーズを仕切っているとは思わなかった。

 

「……しかしな、アポロ。それが問題なのだ。ウマ娘は()()()()()()()()()()()()を行う。これだ。これによって長距離の人気は下落する一方なんだよ」

「え?」

「日本でもヨーロッパでも、長距離レースで本格的に戦えるようになるのはシニア級からだ。短距離マイル中距離は時期に関係なくG1があっても、長距離はクラシック級まで待たされる。加えて重賞の数も少ないとあっては、冷遇ここに極まれりと言ったところだ。中距離以下にウマ娘が流れるのは当然さ」

「つまり、長距離における充分な知識を持った指導者(ウマ娘)が減っていき……その結果、ステイヤーの指導を受けるウマ娘もいなくなっていくということですか」

「そうだ」

 

 仕上がりが遅い、そしてその割に見返りやレース選択にも乏しい――そんな修羅の道を誰が望むだろうか。私やダブルトリガーさんのような数奇な者がいたとしても、選択肢が多い上に注目度も賞金も高い短距離〜中距離路線にウマ娘・ファン両者の人気が傾いていくのは火を見るより明らかだ。

 

「ステイヤーの指導者が減るということは、長距離レースの魅力を伝えられる者が減っていくということだ。ステイヤーの人気が落ちればテレビやインターネット中継も減るだろうし、とにかく悪いことづくめ。このままでは、私が愛した長距離の価値が本当にゼロになってしまう。それだけは何としても避けなければならない」

 

 会話が途切れた所で、注文した料理の数々がやってくる。しばしの沈黙が私達の間に流れ、ダブルトリガーさんに何と声をかけたものかと思案せざるを得ない。

 

 そんな気まずい静寂を破ったのは、視線を伏せたダブルトリガーだった。長い前髪が彼女の表情を隠し、その顔を窺い知ることはできない。だが、彼女の拳が震えていた。強く強く拳は握り固められ、息をすることも忘れるほどに強い『未知の領域(ゾーン)』が覗いていた。

 

「アポロ。お前には夢があるか? 私にはどうしても譲れない夢があった」

「……『あった』、ってどういうことですか?」

「かつて隆盛を極めた長距離というジャンルの復権――私は3年前までずっとそれを夢として掲げていた。しかし、それは無駄だったんだ。私が英国長距離三冠を成し遂げた時、誰も振り向いてはくれなかった。みんなの目が向けられていたのは、キングジョージや凱旋門、チャンピオンステークス、クイーンエリザベス2世ステークス。みんな長距離のレースなんて()()()()()()。長距離三冠の存在自体忘れられていた。私が勝ったグッドウッドやドンカスター、長距離三冠など、世間の連中にはこれっぽっちも響いちゃいなかったんだ」

「そんなことは……」

 

 ダブルトリガーというウマ娘の心象風景が私の脳内に満ちる。遥かなる大空の下、栄光を掴み取りつつも苦悩する少女の魂が咆哮していた。静かに根を張った無力感、過去の隆盛に対する狂おしいほどの憧れ、衰えていく己の身体への不安、いつ起こるか分からない怪我への恐怖。

 そんな負の感情から生まれた『未知の領域(ゾーン)』の世界がダブルトリガーさんの周りを取り巻いていた。きっと長距離の世界に身を投じるうちに薄々気が付き始め――長距離三冠に挑む際に歪な領域に目覚めたのだろう。記憶している限りでは、三冠を達成した年のゴールドカップで豪脚を披露していた。そこからずっと『未知の領域(ゾーン)』を練り上げ続け、今に至ったのだろうか。

 

 ……ダブルトリガーというウマ娘は確かにベテランと言われている。しかし、私アポロレインボウに対して()()()3()()()()()()()()()である。大人っぽい見た目をしているとはいえ普通に高等部の学生であるし、もっと広く見れば20歳にも満たない若造だ。

 ここまで()()()しまうなんて、彼女の苦しみはどれだけ深かったことだろう。私が想像する以上に、欧州の長距離というジャンルは衰退しているのかもしれない。

 

「……慰めは要らないよ。日本に来た時、誰も私のことを知らなかったのが答えさ。無論、私が衰えてしまった過去のウマ娘ということもあるだろうがね」

「ダブルトリガーさん……」

「…………」

 

 いたたまれなくなって、私は彼女の手を取る。どこか乾いたような栗毛の髪が動いて、隙間から緑の双眸が垣間見えた。ダブルトリガーさんは私の言葉に期待しているようだった。

 しかし――なんと言って良いか分からない。ぱくぱくと開いた口はいつしか噛み締められ、一文字の形で固まってしまう。

 

 「一緒に世界中の長距離復権を目指しましょうよ」「ダブルトリガーさんは衰えてませんって」――色々な言葉が脳裏を()ぎったが、どんな台詞も彼女に投げかけることができない。陳腐に聞こえてしまうだろうし、ダブルトリガーさんは私が想像できないくらいの絶望を感じている。どんな言葉も彼女の心には響かないだろう。

 

 それに、私は今――()()()()()()()()()()()()()()。夢の根幹にあたる何かを思い出せないのだ。最強ステイヤーになりたいと誓ったあの日の――ウマ娘の名前と、それに関係した()()()()()()()()

 記憶の欠落が疑問をもたらし、疑問が膨らんで不安に繋がり、『夢』というアポロレインボウという生物の芯を真っ直ぐ貫いていた1本の線を見事にぶち壊してしまったのだ。

 

 そんな私が、夢を打ち砕かれた誰かを立ち直らせるような熱い言葉をぶつけられるかと言えば……。

 ぐっと言葉を呑み込んだ私を見て、ダブルトリガーさんは薄く微笑む。そのまま前髪を掻き上げ、からっとした笑みを貼り付けながら私の手を握り返してきた。

 

「……そうだな、アポロ。お前にも夢があるんだろう? しんみりした空気を吹き飛ばすような夢を聞かせてくれないか?」

「……それ、は……」

「この厳しい世界に身を投じ、結果を出せるようなウマ娘は皆強い夢と精神(こころ)を持っているものさ。ルモスさんが目をつけるようなウマ娘が、行き当たりばったりなウマ娘であるはずがない」

「……私、最強ステイヤーになりたくて」

「おぉ! いいじゃないか」

「でも」

「……でも?」

「何故だか分からないんですけど、夢への自信を失ってしまったような気がして。菊花賞にも勝って、最強ステイヤーへの道を踏み出したばっかりだって言うのに、どこか不安で……怖いんです」

「おいおい。シリーズを走り続けて、私のように()()()わけでもないだろうに。一体どうしたと言うんだ?」

「……分からないんです」

「…………。私が言うのも何だが、アポロは思春期真っ只中だからね。悩むのも無理はないし、気にすることはない。誰だってそうさ。そのくらいの歳は、自分の夢や目標、生き方に対する疑問、色々な不安が出てきて苦しい時期なんだよ」

 

 思えば、この嫌な感覚は()()()()()()()()()に似ているかもしれなかった。かつて男でガキだった頃の「俺」は、野球選手だとかサッカー選手に憧れていた。しかし、今のように()()()()()()努力をしていたわけではない。世界中で目立ちまくっている僅かな成功者ばかりに気を取られ、「いつかそうなるんだろう」と子供心に何となく思っていただけで。そして世界的に有名なスーパースターになることを疑うことすらしなかった。

 しかし、現実に揉まれるうちに俺は夢を諦めて勉強し始めた。サッカー選手にはなれない。野球選手にはなれない。それどころか、「将来なりたい職業ランキング3位」に書いておいたゲーム制作者にすらなれそうにない。どうやってなればいいのか分からないまま、手から零れ落ちていく。軽い挫折のような、必然の理解のような。あの不思議な諦めをもっと重くしたような、不可解な感覚が私に襲いかかってきていた。

 

 最強ステイヤーの()()()に変わる瞬間はそう遠くないと言うのに。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と心に誓って菊花賞を制したと言うのに――精神の揺らぎとは、かくも呆気なく私の世界を壊していく。

 

 凡人であった頃の自己意識と、ウマ娘である今の自己意識がぐちゃぐちゃに混じり合って、まるで悪影響を及ぼし合っているかのよう。これまでは()()()()()()も互いに上手く干渉し合って生活できていたのに、この瞬間ばかりは互いの悪影響しか感じられなかった。

 

「何と言うか、ウマ娘やヒトの(サガ)なのかね。死ぬほど苦しい悩みがあるってのは」

「いきなり不安が生まれてきたんですよ。最悪です」

「ふふ。分かるよ。ああ、最悪だとも」

 

 ダブルトリガーさんはケラケラと笑った後、すっかり冷め切っていたグラタンを頬張り始める。対面の私は注文した料理に手をつけようだなんて考えられなかった。すっかり食欲は収まって、消極的な食事になってしまいそうだと予想がついた。

 ダブルトリガーさんは慈悲深い瞳をこちらに向けながら、大人っぽい仕草で料理を楽しみ始める。私はスプーンに掬ったオムライスをじっと見ながら、彼女の言葉を脳内に刻みつける。

 

「不安だとか、怖いだとか、苦しいだとか。誰かに頼りたいなと思ったなら、ミスター・モモザワに話してみなさい。私達は、相手のことが好きで、大切に思うからこそ、その関係を大事にしがちだ。しかし、互いの心の奥深くまで打ち明けられる関係だというのに、宝物のように扱いすぎると――それは時に毒になる。失敗した私からのアドバイスになるが、()()()()()()()()()()()を避けずに敢えてぶつけることも大切だぞ。勇気を出してぶつかれば、きっと彼は大人として、大切なパートナーとして、真剣に耳を傾けてくれるはずだから」

 

 私は、この人みたいな優しい人になりたいなと思った。彼女の言葉をそっと胸にしまい、心の底から感謝の言葉を述べる。「ありがとう」という言葉は日本語のまま伝えた。ダブルトリガーさんは人の良い笑みを浮かべて、「日本のご飯は美味しいな」と口元に手を当てる。

 苦しいけれど、楽しい時間だった。同じステイヤーとしての悩みを吐露し、少しだけ楽になれた気がした。

 

 しかし、ステイヤーズステークスでは完膚無きまで叩き潰してやる――そう思った。


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