ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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71話:ステイヤーズステークス・その1

 ジャパンカップが終わってからというもの、有記念までの()()()話題を求めた報道機関がステイヤーズステークスのことを連日報道していた。“今話題の大逃げウマ娘”アポロレインボウの次走に注目が集まり、その結果がこれである。

 

 大逃げという希少性と個性、同じく大逃げのサイレンススズカと対になるような長距離適性、ついでにスズカさんが休養中というのもあって、今どきでは珍しいくらいステイヤー路線に注目が集まっている。

 

 ステイヤーズステークスに出走している中で特に注目されているウマ娘は2人。言うまでもなくアポロレインボウとダブルトリガーである。メディア的な評価は五分五分で、ダブルトリガー圧勝という品評もあればアポロレインボウ快勝という声もあり、戦ってみなければ分からないといった状況である。

 

 こうしていよいよ開幕するステイヤーズステークスだが、現存する日本の重賞では随一かつ唯一の3600メートルという超長距離を誇るレースだ。ローテーション的には厳しいものになるが、有記念を目指すウマ娘にとっても重要な前哨戦のひとつとなっている。

 

 そんなG2・ステイヤーズステークスの舞台に集ったウマ娘は16人。ステイヤーズステークスでフルゲートになるのは珍しいのだが、何でもシニア級のスタミナ自慢達が打倒アポロレインボウを掲げ、ついでに海外からやってきた最強ステイヤーもぶちのめしてやろうという気骨のあるウマ娘が集まってきたらしい。

 出走表は以下の通り。

 

 1枠1番3番人気ジュエルジルコン。

 1枠2番7番人気スターリープライド。

 2枠3番13番人気ジュエルネフライト。

 2枠4番2番人気ダブルトリガー。

 3枠5番12番人気ハイタイムスーン。

 3枠6番1番人気アポロレインボウ。

 4枠7番16番人気アーケードチャンプ。

 4枠8番14番人気ブラボーツヴァイ。

 5枠9番5番人気ブリーズグライダー。

 5枠10番8番人気オータムマウンテン。

 6枠11番15番人気マルシュアス。

 6枠12番6番人気ミコノスチョーク。

 7枠13番9番人気リボンハミング。

 7枠14番4番人気リボンフィナーレ。

 8枠15番11番人気ワークフェイスフル。

 8枠16番10番人気ルーラルレンジャー。

 

 

 ステイヤーズステークス当日。中山レース場にやってきた私達は、早速G2とは思えないような観客の波に呑まれることになった。冬の冷たい空気を塗り潰すかの如き人の密度。見渡す限りの人。薄ら寒い外気から身を守るためにみんな厚着でいるが、額には人の熱気による脂汗が浮かんでいた。

 かの伝説のG2――マヤノトップガンとナリタブライアンが戦った阪神大賞典に勝るとも劣らない数の観客が中山の地に押し寄せている。

 

「あわわ、通してください! すいません!」

「え、アポロちゃんじゃん」

「わぁ、本物だ! かわい〜!」

「ガチで可愛すぎてやばたにえん」

「応援してるからな! 頑張れよぉ!」

 

 とみおと私はレース1時間前に現地入りしたのだが、至る所に人がギュウギュウ詰めで身動きが取りにくすぎた。人を掻き分けて何とか控え室までやってきたが、レース前に無駄な体力を使った気がする。髪も乱れちゃったなぁ。

 私は髪の毛を指先でくるくると巻きながら、ダブルトリガーさんのことを思い浮かべる。数日前のお食事会で親交を深めたとはいえ、私達は決して交わることのないライバルだ。もちろん友達でもありたいと思うけど、それは後々やればいい。今は彼女をぶっ潰すことだけを考える。

 

 ぶつくさ言いながら、時間もないので制服から体操服に着替えてストレッチをする。今日は久々の『体操服+ゼッケン』スタイルでの出走だ。何だか初心を思い出す感じ。

 

 とみおにストレッチを手伝ってもらいながら、もはや標準装備となったフクキタルさんのミサンガをつける。ウマスタに「フクキタルさんのミサンガのおかげで菊花賞に勝てました!! サンキューシラオキ様!!」と呟いた結果、普段ならインチキ臭いと一蹴されるフクキタルさんの占いグッズの人気が格段に上がったとか。

 そういうわけで私はフクキタル様様状態で彼女を邪険にできなくなったが(もちろん良い先輩なのでするつもりはない)、スズカさんはいつも通り絡みに来たフクキタルさんに素っ気なく対応していると言う。

 

「アポロ。今回の敵はひとりだけ……ダブルトリガーだ。彼女だけを意識して走ってくれればいい」

「うん、分かってる」

「違和感を感じたらすぐに止まること。未知の領域の問題は解決したとはいえ、まだ心配だからな」

「それは心配しすぎだって。タキオンさんも言ってたでしょ? 『山場は越えた。後は存分に速さの果てを楽しむといい』……って」

「それはそうなんだけどな……」

「…………」

 

 ……今一番の問題は、私の内面だ。心の奥深くに巣食う夢への翳り――これが厄介極まりない。今のところはレースに若干の影響がある程度だが、()()()()()()()()()()()()()呆気なく傾いてしまいそうで恐ろしい。

 だから、考えないようにする。今はただ、目の前のレースに勝つ。夢のことは考えず、ひたすら我武者羅(がむしゃら)に気張り続けるのだ。精神的コンディションを「普通」未満に落とさなければ、私のパフォーマンスはダブルトリガーさんにだって負けないのだから。

 

 ただ――麻酔が必要だ。この濁った精神状態を完全に麻痺させ、レースに集中させてくれるような何かが。私は目の前にいるトレーナーを見て、ふと胸の内に疼く衝動に気付く。

 それば自分勝手な恋心で――とみおとキスしたいという衝動的な欲求だった。無論そんな邪念はすぐに打ち払って、彼の袖を摘む程度に留めておく。

 

「どうしたの?」

「ん……ちょっとね」

 

 しかし、彼の顔を見ていると不安や邪念はあっさりと消えていった。案外とみおクリニックはイケてるのかも。そう思った途端、私の思考を読み取ったかのようにとみおはこんな言葉を口にする。

 

「震えてるよ。何かあったの?」

「え、どうして」

「尻尾。ほら」

「あ……」

 

 とみおは腕に巻き付けられていた尻尾に優しく触れて、下から軽く持ち上げた。無意識中に彼の身体に尻尾を這わせていた上、心の乱れまで筒抜けになってしまうとは――

 頬に茹だるような熱が上るのを感じて、私は視線を逸らす。彼は椅子に座る私の前で膝をつき、視線を合わせてくる。彼の細められた双眸がこちらを見ていた。

 

「レース直前だけど、何でも話してごらん。俺にできることがあれば力になるよ」

「とみお……」

 

 『勇気を出してぶつかれば、きっと彼は大人として、大切なパートナーとして、真剣に耳を傾けてくれるはずだから』というダブルトリガーさんの言葉が脳内に響く。

 確かに人と話すことによって拭える不安もあるだろう。でも、今日はレースまで時間がない。底の見えない何かに立ち向かうには己と向き合う時間と勇気が必要だ。今は時間も勇気も足りない。今この瞬間に解決できるかどうかと言われれば厳しいだろう。

 

 ――しかし。とみおの慈愛に満ちた瞳がこの(もや)を晴らすことを期待して、ほんの少しだけ気持ちが揺れ動く。満杯の(さかずき)に衝撃を与えると水が溢れ出してしまうように、心の底からの言葉が絞り出される。

 

「……ちょっとだけ、分かんなくなっちゃって」

「うん」

「何でここにいるんだろう……とか、変なことばっかり考えてるようになって」

「……うん」

 

 一度気持ちが決壊すると、次々に言葉が飛び出してくる。あっちからもこっちからも、ぐしゃぐしゃで取り留めのないバラバラな台詞が浮かんで、視線の先の床にぶつかって弾け飛んだ。

 

「この前さ、占いで夢の話になったじゃん。その時からさ、夢を持つようになったきっかけが思い出せないことに気づいて。昔のこと、ずっと考えてるんだけど分かんなくて。別に悪いことじゃないはずなのに、根本からひっくり返されちゃったような感じになって、訳わかんなくなって――」

 

 胸が喘ぐように苦しくなる。語尾が上がり気味になり、声質が引き絞るようなものに変わっていく。

 涙を我慢しようとすればするほど、鼻の奥がつんとしてきた。情けないような気がして、泣くこと以上に相談すること自体が恥ずかしく思えた。この程度の悩みでくよくよする自分が矮小で惨めに見えて、膝を抱え込んで小さくなってしまいたい気分だった。

 

 誰よりも大好きな彼にこんなことを話したくはなかった。ずっとずっと、彼の目に映るアポロレインボウは可愛くて強い等身大の女の子でありたかったのに。

 でも、遂に最後の言葉が彼に向かって放たれる。

 

「……最強ステイヤーになるって夢、自信が持てなくなっちゃったかもしれないの」

 

 しん、と控え室内が静まり返る。時計の秒針が地虫の如く鳴って、1秒毎に耳障りな音を残して運んでいく。とみおの顔は歪んで見えなかった。

 ――とてつもないことを言ってしまった、と感じた。2人の関係に亀裂が入ってしまうかもしれない、とさえ思えた。だって、出会って一番最初に共有したものが「最強ステイヤー」という夢だったから。

 

 歯の隙間から声が漏れてきて、じーんと鼻の奥が痺れるほど熱い涙が溢れてくる。みっともない泣き顔なんて他人に見せたいものじゃない。手首で雫を拭って顔を隠そうとするが、どう考えても手遅れだった。

 そうして涙に震える私を見かねて、とみおはこちらに身体を寄せてきた。ふいに引っ張られる。優しく引き寄せられ、彼の胸に頬が当たった。太い腕が背中に回って、ゆっくりと抱き締めてくる。白いシャツを通して、私の肌に彼の体温と鼓動が伝わる。

 

 ……彼の身体はいつも温かい。夢のことなんてどうでもよくなるくらい、今この瞬間を衝動的に生きたくなる。彼の存在が眩い光となって、涙に溺れる私を救ってくれた。

 

「話してくれてありがとな」

「ごめんね、レース前にこんな……」

「ううん。今気づけて良かった」

「菊花賞に勝って、さぁここからって時に……私、ダメなウマ娘だ」

「そんなことないさ。視点を変えてみると良いんだよ」

「視点……?」

「そう。どんな苦しみも俺達の糧になる。今アポロが感じている苦しみは必ず将来、花が開く時の養分になってくれるって――そう考えることもできるだろ?」

「……うん」

「それにな、そういう苦しみから逃げたっていいんだ」

「えっ」

 

 私は顔を上げて、トレーナーの顔を見つめる。

 

「辛くて苦しくてたまらない時は、案外軽率に逃げてもいい。君みたいに根が真面目だと、ぶっ壊れるまで気づかない時だってあるしな」

「で、でも、それじゃ私……」

()()()()()()()()()()でいいんだ。今は原点に立ち返って、世界最強ステイヤーと勝負することを()()()()()()()()()()()! ……って感じで、どうかな?」

 

 心が洗われるような、ぱっと魅かれる笑顔だった。頼りないような、情けないような、抜けた笑み。でも、それがたまらなく心地よかった。

 やっぱり私の()り所はここしかない。そう思って深く彼を感じていると、今までの悩みが嘘だったかのように消え果てていく。

 

 問題が完全に解決したわけではない。後回しにしただけだ。しかし、別の視点を持つことによって柔軟な対応と冷静さを保つことが可能になった。少なくともステイヤーズステークスには集中できるだろう。

 あぁ、もう、どうしようもなくこの人が好きだ。私が欲しかった答えをくれる桃沢とみおが本当に好きだ。愛していると言っても過言ではない。

 

「……大好き」

「ん? 何か言った?」

「スッキリした。ありがと」

「そうか……ステイヤーズステークス、集中できそう?」

「バッチリ。絶好調だよ」

 

 やっとだ。やっと本腰を入れてダブルトリガーと戦える。容赦も躊躇もなく全てを出し切れる。全力で戦うことが、今日ラストランを迎えるダブルトリガーさんへの(はなむけ)だ。

 

 名残惜しく思いながら、トレーナーの身体から離れていく。心機一転とはまさにこのことだった。晴天の中山レース場の如く、視界がクリアになっている。脳内も最高潮だ。闘争心が膨れ上がって、どうやってダブルトリガーを打ち倒そうかと思考回路が高速回転している。

 力の入った私の目を見て気づくことがあったのか、とみおもニコニコと笑っている。目元が少し痛いけれど、不穏は涙と共に綺麗さっぱり洗い流すことができた。

 

 すると、手首で涙を拭き取ろうとした私の細腕がとみおによって阻まれた。視線で何をするのと訴えると、彼は胸ポケットから高そうなハンカチを取り出す。そのまま頬に布をぽんぽんと当ててきて、私は最後の一滴を拭き取られるまでされるがままになってしまう。

 

「最近のとみお、カッコつけすぎ」

「俺はアポロが笑ってる方が嬉しいな」

「っ……そ、そこまで行くと本気できもいんですけど。は〜あ、担当が私でほんとに良かったね。そうじゃなきゃ今頃ドン引きされてるよ」

「はは、俺はアポロ以外にこういうことはしないよ」

「〜〜〜〜っ」

 

 本当にキザで女たらしな男だ。思春期のウマ娘に猛毒すぎる。しかもこれを()でやっているんだからタチが悪すぎる。どういう教育を受けてきたのだろうと本気で疑問に思ってしまう。とみおがチームを持ったら他のウマ娘に背中を刺されるんじゃなかろうか。

 ハンカチは洗って返すから、という体で彼の手から布切れを強奪すると、私はそれをポケットに押し込んだ。パドックまで残り僅かだ。そろそろお披露目の準備をする必要があるな。

 

「目、腫れてない?」

「全然」

「そ。なら良かった」

 

 私は姿見でゆるふわボブカットを整え、耳に着けたリボンを結び直す。よし、と小さく呟くと、私達は観客のざわめきが鳴り止まないパドックに向かった。

 

 

 中山レース場のパドックに向かう足取りは軽やかで、少しの憂いも感じられない。天候は晴れ、気温は10度。ジャージを羽織りながら私達は中山レース場のパドックに足を踏み入れる。私は気合いが入っているからいいが、とみお含めたトレーナー陣は結構寒いんじゃないか。パドックということでコートを脱いでスーツ姿で臨んでいるわけだし。

 しかし数万人の観客に目をやると、異常なほどの熱気のせいか全員上着を脱いでいた。なるほど、人が集まりすぎるのも大変である。

 

 こうしてお披露目が始まると、人々の騒ぐ声が嵐のように広がった。ダブルトリガーの登場である。

 

『2枠4番、ダブルトリガー。2番人気です』

『ヨーロッパで一世を風靡したステイヤーです。英国長距離三冠を成し遂げた無尽蔵のスタミナは未だに健在。後続を引き付け、好位置でペースを巧みに操る逃げは長いレース経験を経て磨きがかかっています。4000メートル級G1を制したスタミナは、この異国の地でも輝きを放つのでしょうか』

 

 前髪を袈裟斬りにするような太い流星が輝いて、威風堂々欧州代表が上着を脱ぎ捨てる。かの舞台で輝いていた深紅と緑青の勝負服が見たかったけれど、逆に体操服というシンプルな衣装だからこそ彼女の身体の仕上がりが分かりやすかった。

 

 長い経験によってトレーナー要らずの調整方法を身につけている――ダブルトリガーがそう豪語していた通り、調子はかなり良さそうだ。素晴らしいトモの仕上がりと筋肉質な上半身が見える。

 

「やっぱりダブルトリガーさんマークだね」

「あぁ。ただ……他のウマ娘がダブルトリガーをマークしてくれるだろう。君は自由に大逃げしてくれ」

「りょ」

 

 他のウマ娘にしてみれば、この場で特に怖いのはダブルトリガーとアポロレインボウだ。群に捕まらない私はともかく、みんなはダブルトリガーにプレッシャーを与え続けるはずである。そういう意味では私がダブルトリガーをマークする必要性は薄いのかもしれないな。

 

『3枠6番、アポロレインボウ。1番人気です』

『クラシック級では頭ひとつ抜けたウマ娘ですね。菊花賞を2分台という大レコードで制したウマ娘で、陣営の発表によると長距離路線が得意なのでそこを基本軸にしていく、とのことです。3600メートルという前走に比べて600メートルの距離延長に加え、相手にはシニア級のウマ娘達やヨーロッパの優駿がいます。壁は高いですが、1番人気に応えることができるでしょうか』

 

 名前を呼ばれた私は肩にかけたジャージを鷲掴み、天高く放り投げる。日本代表を自称するつもりはないが、それくらいの意気で私はダブルトリガーに挑む。

 身体の仕上がりは最高だ。有記念まで間隔の短いローテーションのため、この最高潮を維持したままグランプリに挑みたいというトレーナーの狙いがある。精神的な盛り上がりも、熱された鉄よりずっと煮え滾っている。ダブルトリガーの背後に黒いオーラが見えるように、私の背中からも何かしらが噴出しているのではなかろうか。

 

「菊花賞では世界レコードを記録したアポロレインボウだけど、さすがに今回は相手が悪いんじゃないか」

「どうした急に。俺はそう思わないけど」

「3000メートルの菊花賞に勝てても、3200メートルの春天に勝てないウマ娘がどれだけいるって話だ。たとえ200メートルの距離延長であろうと、ウマ娘の身体には重くのしかかってくるんだよ。その距離を走れることと勝てることは別問題なんだ」

「つまりこういうことか? ただでさえ大逃げという不安定さを抱えているアポロレインボウは、600メートルもの距離延長をしたこの舞台では勝てないと」

「アポロちゃんには勝ってほしいよ。でも不安要素が大きすぎるんだ。相手は4000メートルG1の勝ちウマ娘だぜ? 全盛期は5身6身の勝利が普通だったって聞くし……アポロちゃんは厳しいかなぁ」

「う〜ん……」

「ダブルトリガーはどうかな?」

「俺はダブルトリガーにも頑張って欲しいかな。確かにアポロちゃんに勝って欲しい気持ちもあるけどさ、ダブルトリガーは6年間の長いレース生活を飾るラストランなわけじゃん。絶対日本には来ないようなすげぇウマ娘が、わざわざ日本をラストランの舞台に選んでくれたんだぜ? 有終の美を飾ってほしい気持ちもあるよ……」

「……どっちも勝ってくれねぇか。はあ、全員同着希望」

 

 パドックを去ると、すぐに本場入場が始まる。その際、ダブルトリガーがこちらに寄ってきて声をかけてくる。

 

「やぁ。戦う前にちょっと質問しておきたくてな」

「ダブルトリガーさん、何かありました?」

「いやね……単純に驚きなんだ。日本のステイヤーズステークスというのはG2だったよな?」

「そうですよ?」

「そうか……そうだよな。いやね、G1でもないのに、こんなに観客がいるものかと不思議に思ったんだ。日本の長距離路線というのはこんなに観客が入るものなのか?」

「え? あぁ、まぁ……今日みたいな日はあんまりないですけど、ファンの皆さんは長距離路線でも結構見てくれてると思います」

「……ふむ、変なことを聞いて悪かったな、レースではお互い死力を尽くして戦おう」

「もちろんです!」

「それじゃ、私は先に行くよ」

 

 踵を返してターフへと駆け出すダブルトリガー。何と言うか、彼女の背中に深紅のマントを幻視してしまう。これがレースの本場、ヨーロッパの一線で活躍し続けたウマ娘の威圧感――『格』と言うやつだろう。

 ――()()()()()。今はこの背中に追いつきたい。いや、彼女から逃げ切りたい。そう思い至って、今この瞬間、刹那的な夢ができる。

 

 それは、ダブルトリガーに勝つという夢。

 色んな問題は置いておき――今はただ、この偉大なウマ娘に勝ちたい。激情が膨れ上がり、こめかみに力が宿る。本能的な闘争心が剥き出しになり、獰猛な吐息が漏れる。

 

「それじゃトレーナー、行ってくる」

「おう。ウィナーズサークルで待ってるぜ」

 

 苛立ちの堰を切るように、私はターフへと走り出す。その時とみおが言った言葉は聞こえなかった。

 

「……俺も大好きだよ、アポロ」

 


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