ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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77話:総決算!有マ記念!その1

 12月も終わりに近づいてきたトレセン学園。有記念とクリスマスがほとんど同時に行われるため、私達は簡素なクリスマスパーティーをしながら最後のミーティングに臨んでいた。

 

「俺達が挑む有記念、全員からマークされるという仮定をした上で話そうか」

 

 とみおはパーティメガネをつけた状態で真剣な話を進める。私は骨付きチキンをしゃぶりながら話を聞いていた。

 有記念に出走するウマ娘――特に内枠に入ったライバル――はルールの範囲内で進路を邪魔してくるだろう。スタート直後にコーナーがあるので速度が乗り切らないが、私のコーナー技術で加速しつつセイウンスカイ辺りを何とかオーバーテイクする必要がある。まずハナを奪うことが第1の関門。

 

 第2の関門は、ホームストレッチに入ってから。ハナを取れたとして、2番手と大きな差はついていないと考えられる。そこでメジロドーベルさん達にスタミナを削られまくって大逃げできないと、終盤の爆発力に欠けるため確実に競り負けてしまうだろう。

 だから、最終直線に入るまでに少なくとも5バ身くらいの差をつけていなければいけない。これが第2の関門。

 

 色々と話し合いたいことがあった。まず、どうやって私にかけられるマークを分散するか――については、もはや対策の施しようがないくらい厳しいものになりそうなので、どちらかと言うと()()()()()()()()()()()()()()に会話がシフトしていて――とにかく、今すぐに話し合うべきことはそれに加えてもうひとつ。グラスワンダーについての緊急チェックである。

 

 誰もがこの有記念には気を張って挑んでくるが、グラスちゃんに関してはそれが異常というか、いかにも大胆な作戦を打ってきそうな雰囲気があった。

 有記念前のインタビューにおいてそれは顕著だった。誰もがライバル視するウマ娘を挙げる中、彼女だけはアポロレインボウをマークすると言ってのけたのだから……嫌な予感しかしない。最近グラスちゃんに近寄り難いオーラが噴出しているのは、きっとグラスちゃんが何かしらの覚悟を決めたから。

 

 間違いなくグラスワンダーが脅威となる――そう言って差し支えないと私は考えていた。グラスワンダーをマークするウマ娘が居そうにないことも背中を押している。

 とみおはグラスワンダーを気にすることはないと言って聞かなかったが、ミーティングが進むにつれて考えを変えていく。

 

 多くのレース順位予想家達がアポロレインボウの独り舞台だと評したこの有記念。しかし、メンバーは間違いなく過去最高クラスで――エアグルーヴ、マチカネフクキタル、メジロドーベル、ハッピーミーク、セイウンスカイ、メジロブライト、グラスワンダーがいるのだ。まずアポロレインボウは()()()()()()()()の選択を迫られる。

 天皇賞・春の勝ちウマ娘・メジロブライトをマークする? それとも、最近調子を取り戻してきている菊花賞ウマ娘・マチカネフクキタル? 圧倒的な成績を安定して収め続けているエアグルーヴもいて。皐月賞で死闘を繰り広げた逃げのライバル・セイウンスカイに、ティアラ路線の女王メジロドーベル、芝&ダートの超万能ウマ娘ハッピーミークもいる中で――半年以上勝利が無い上に、前走から調子の悪いグラスワンダーをマークする余裕はない……そう考えるのが普通だ。

 そしてこの答えに辿り着いた時、最も大きな恩恵を受けるのがグラスワンダーそのひとなのである。

 

 そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 いや、()()()()()()。グラスワンダーにかまって他のライバルのマークを緩め、挙句の果てに負けましたなど許されようはずもない。

 アポロレインボウはグラスワンダーをマークできない。そういう風になっている――とグラスワンダー陣営は考えるだろう。

 

 グラスワンダーの実力は間違いなく高い。無敗で朝日杯フューチュリティステークスを制する実力は伊達じゃない、のだが――どうしても()()()しているように見える。それがこの有記念の恐ろしいところなのだ。

 

 私はとみおの前で力説した。グラスワンダーは自らの敗北を逆手に取って、ノープレッシャーの中で好き勝手に走り回ることが出来る。ジュニア級4戦4勝の王者が障害なく走ることの恐ろしさなど、言わずもがな分かるだろう――と。

 

 2400メートルG2・青葉賞を勝ち、距離適性的にも問題ないことは証明されている。それに、グラスちゃんの勝負にかける気持ちは一線を画している。最近グラスちゃんのトレーニングを目撃したのだが、鬼気迫るとはまさにこの事で――彼女のオーラが阿修羅の幻影を作り出しているように見えたのだ。

 セイウンスカイはもちろん怖いが、インタビューからどうしても目を離せなくなったのはグラスワンダーである。

 

「……なるほどな」

「分かってくれた?」

「君がそこまで言うなら、セイウンスカイをマークするのは止めよう。グラスワンダーマークに変更だ」

「ほんと?」

「あぁ。君が怖いって言うんなら、きっとそうなんだろう。ウマ娘をデータでしか見てない俺には分からないことさ」

 

 とみおはケーキを食べながら呟き、キーボードに指を滑らせた。セイウンスカイを模した3Dポリゴンのウマ娘が消え、モニター上に小柄なウマ娘が生まれる。

 

「だけど、丁度良かったな。日本ダービー前に蓄えたデータと、ちょっとした出来心から調べておいたグラスワンダーのデータがある。セイウンスカイ対策に比べると急ピッチの仕上げになるが、グラスワンダー対策は任せてくれ。データを転用すればあと数十分で完成する」

「早くない?」

「二冠ウマ娘のトレーナーですから」

 

 有記念2日前、クリスマスパーティはこうして終わった。

 前年に比べると本気で忙しかったので、クリスマスプレゼントを渡し合う暇はなかった。

 

 

 

 みっちり会議をやり終えて迎えた有記念当日。早々とレース場に入場した私達は、両親の待つという控え室にやってきた。

 

 私には大切な両親が4人いる。「俺」だった頃の両親と、アポロレインボウの両親である。アポロの身体に憑依した当初は完全に「俺」が人格の全面に押し出されていたが、時間を経るごとに「俺」と元人格が混じり合ってしまったため、気持ち的にはどっちのお父さんお母さんも大好きなのだ。

 

 控え室の扉を開けると、割としっかりめの格好をしたお父さんお母さんがいた。まるで授業参観に来る時の親だ。本当だったらハグしに行きたかったが、とみおの前なので駆け寄る程度に留める。

 

「お父さん! お母さん! 道には迷わなかった?」

「ここにいるんだから迷ってないわよ。まぁ地下鉄には二度と乗りたくないけどね」

 

 とみおには『親にベッタリ』なんて思われたくないから、何とか尻尾の動きを抑えながら会話に努める。そうしてお母さんと話す横で、お父さんととみおがトレーナー同士で挨拶を交わしている。

 

「桃沢さん、初めまして。うちの娘がお世話になっております」

「初めまして、娘さんのトレーナーをさせていただいている桃沢とみおと申します」

 

 深々と頭を下げ合う2人はいかにも社会人という感じだったけど、色々な意味でひやひやした。とみおはしっかり屋さんだから大丈夫だけど、問題はお父さんだ。お父さんはとにかくお調子者で、家の中では冗談めかしたことばかり言っていたから。先日のグループチャットよろしく「ぴえん」なんて言い出さないか心配である。

 

「本日は中山レース場のスタンド席をご用意していただいて本当にありがとうございます」

「いえいえ、娘さんの晴れ舞台なので当然のことですよ」

 

 どんどん頭を下げて前屈姿勢みたいになっていく2人。ふと、お父さんの白髪が増えていることに気がつく。……1年半も会っていなかったから、当然っちゃ当然か。

 昔「お父さんもお母さんに似て芦毛になってきたよぉ」とか言って喜んでいたお父さんを思い出して吹き出しそうになったが、ギリギリのところで堪える。ヒトはそういう毛色の区分がないので単純な老化だ。

 

 とみおとお父さんがしばらく会話をした後、お父さんがお母さんを手招きして控え室の扉に手をかける。

 

「桃沢さん、ありがとうございました。私達は有記念前のレースを見てきますので、どうかうちの娘をよろしくお願いします」

「ええ、有記念は任せてください」

「何でとみ……トレーナーがそんな自信満々なのよ……」

「アポロ、有記念頑張ってね」

「お父さんも応援してるからな〜」

 

 こうして騒がしい2人組は控え室から退出した。当たり障りない会話を繰り広げたのみだったが、子供としてはハラハラするものだ。私はほっと胸を撫で下ろして、パイプ椅子に腰を落ち着ける。

 

「どっちかがいつ失言するかビクビクしてたよ……」

「え? ……まあいいや。アポロのお父様は地方でトレーナーをしてらっしゃると聞いたんだが、それ本当?」

「うん、そだよ」

「道理で風格があると思った」

 

 お父さんは地方トレーナーをしている。そこで初めて出会ったのがお母さんで、そこそこの成績を残して地方トレセン学園を卒業した後にゴールインしたらしい。

 何でも、一緒に過ごすうちに自然と好き合って恋人になったとか。初めて聞いた時はお父さんに「公私混同してるじゃん」と思ったものだが、今の私はとみおに恋愛感情を抱いているので両親の馴れ初めに対して強く言えなくなってしまった。むしろ私も……いや、何でもない。

 

 溜め息ひとつ、私は荷物から勝負服を取り出す。ノートパソコンを弄っていたとみおがぼそりと呟いた。

 

「……アポロのお母様、物凄くお綺麗だったな」

「え?」

「いや、単純な感想だよ。他意はない」

「ふ〜ん……」

「わ、忘れてくれ……」

「はいはい」

 

 お母さんが可愛いのは否定しない。もう若くはない年齢なのにプロポーションはバッチリだし、芦毛のツヤも学生同然だ。そもそも私の顔はお母さん似だし、こんな可愛かったらそりゃトレーナーしてたお父さんも惚れるよねって感じ。

 とみおに対してちょっと引っかかるところはあったけど、有記念まで後少し。私は気持ちを高めるために音楽を聞くことにした。

 

 有記念開幕まで残り1時間となり、勝負服に着替えた私達はスタッフさんに呼ばれてパドックに向かうことになる。これといった緊張感はなく、変わったことと言えば家族が現地観戦していることくらいか。

 つまるところ、いつも通り。ちょっと四面楚歌なこと以外はね。

 

 パドックに入場すると、奇妙なざわめきが周囲から聞こえていた。それはウマ娘達が作り出す熱気を受けた観客の反応だった。轟々とうねる陽炎が、ウマ娘の燃え盛る闘志を表しているかのよう。

 元々ウマ娘の体温が高いのもあって、私の頭の上からは湯気が出ている。別に走ったわけではないのに……風邪でもないのだからちょっとシュールだ。

 

「緊張してないか?」

「そこそこ……って、やだ、頭撫でないでよぅ……」

 

 公衆の面前で頭を撫でてくる色男。メジロドーベルさんが目をひん剥きながらこっちを見てくるが、撫で方が上手いのでどうにも拒否しきれなかった。

 続々とパドックにウマ娘が集まると、解説の声がスピーカーを震わせる。有記念なだけあって、微かな緊張と興奮が声色に窺える。

 

『いよいよこの日がやってきました。年末の祭典、有記念! 日本を代表する16人のウマ娘が、ファンの声援に応えるため――ここ中山の地に集いました! これより16人のウマ娘達のお披露目が始まります!』

『秋のグランプリが今年もやってきましたね。今年は例年以上に優駿揃いですから……私、2日前からずっと寝られませんでしたよ。いつも以上に気合いの入ったウマ娘も多いですから、パドックを見るだけでも相当に楽しみです』

 

 有記念の創設は、かつて年末の中山におけるビッグタイトルが中山大障害(障害G1)と呼ばれていた頃に遡る。『暮れの中山レース場で日本ダービーに匹敵する華やかな大レースを創設したい』と願った当時のURA理事長の有。先に挙げた中山大障害は日本ダービーなどに比べると華やかさに欠けていたため、有理事長は当時としては斬新な『ファン投票で出走ウマ娘を選別するレース』を考案した。そしてURAは中山レース場の新スタンド竣工を機に、“中山グランプリ”を創設したのだ。

 しかし第1回中山グランプリ直後、創設者の有が急逝。第2回からは有の功績を称えて“ 有記念”に改称し、現在のトゥインクル・シリーズを締めくくるレースとして定着した。

 

 最近、優勝賞金が3億円から4億円に増額された(ジャパンカップも同様に増額)。これは同時期に行われる香港国際競走や、ドバイ・サウジアラビアなどの高額賞金レースに対抗するためと言われている。

 

 そんな歴史深い有記念に集ったウマ娘達は16人。

 

 1枠1番5番人気マチカネフクキタル。

 1枠2番8番人気グラスワンダー。

 2枠3番2番人気セイウンスカイ。

 2枠4番3番人気エアグルーヴ。

 3枠5番9番人気ジュエルジルコン。

 3枠6番6番人気ハッピーミーク。

 4枠7番16番人気リボンフィナーレ。

 4枠8番4番人気メジロブライト。

 5枠9番15番人気ブリーズエアシップ。

 5枠10番13番人気リバイバルリリック。

 6枠11番14番人気ラピッドビルダー。

 6枠12番10番人気リトルフラワー。

 7枠13番1番人気アポロレインボウ。

 7枠14番7番人気メジロドーベル。

 8枠15番12番人気ジョイナス。

 8枠16番11番人気ディスティネイト。

 

 オグリキャップ伝説のラストランの際には17万人を超える観客が押し寄せたと言うが、今日の中山にもそれに近しい数の観客が訪れている。

 

『今日の中山も凄まじいことになってますよ! 何と観客入場数は確認できるだけで17万人!! これ、スタンド壊れませんかね?』

『さあ、いよいよ出てきました1枠1番5番人気のマチカネフクキタル! お披露目だけでこの歓声です!』

『これだけ人がいると、怪我人だけが心配ですよ……さて、マチカネフクキタルは菊花賞を制してから怪我による不調のため勝利はありません。しかし事前トレーニングでは好タイムを連発し、毛艶も他のウマ娘に全く見劣りしていませんよ。菊花賞で見せてくれたキレのある末脚が内枠から炸裂するでしょうか?』

『彼女の御守りがサイレンススズカやアポロレインボウに好評だったという情報もありますが……公私共に好調ということでしょうね』

 

 1枠1番のマチカネフクキタルがお披露目の舞台に姿を現すと、しいたけ型の瞳が爛々と輝いて――赤い上着が跳ね除けられた。全貌を曝すセーラー服じみた勝負服。

 マチカネフクキタルは両手で水晶を()ねるような動作をしつつ、尻尾や耳を忙しなく動かしている。ここがパドックでなければ、誰彼構わず話しかけていそうな雰囲気だ。

 

「フクキタルちゃ〜ん!! 頑張れ〜〜!!」

「可愛いよフクキタル〜〜ッ!!」

 

 喋らなければ間違いなく美人――いや喋っても愛嬌があって可愛いが――なマチカネフクキタルはかなりの集中状態にあるらしく、微笑を無言で振り撒きながら手を振っている。

 ……得体の知れなさで言ったらマチカネフクキタルはかなりの上位に来る。まず私は彼女の『領域(ゾーン)』を知らないし、戦ったこともないのだから。

 

 マチカネフクキタルがステージから去ると、次はグラスワンダーが顔を出した。ぎらつく瑠璃色の双眸が一瞬こちらに向けられて怯みかけたが、私は眉間に皺を寄せることで対抗する。グラスワンダーは私の様子を見て少し驚いたような顔をすると、すぐに真顔に戻った。

 

『1枠2番、グラスワンダー。8番人気です』

『ちょっと見劣りするでしょうか。調子はかなり良さそうなのですが、ダービー前の青葉賞から勝利がありません。しかし、人気がどれだけ低かろうと、勝利の女神は微笑みかけてくれるものです。好走に期待しましょう!』

 

 グラスワンダー。最高の内枠を引き、他のウマ娘からのマークは多分ない。実力を過小評価されてはいるが、私達の世代でも間違いなく上位のレースセンスと末脚を持っている。G1で勝つにはこれ以上ないチャンスだろう。

 だが、そうはさせない。インタビューで狂気的な闘争心を明らかにしてしまったこと……それが運の尽きだ。私はそのきっかけを経てグラスワンダーの尻尾を掴み、トレーナーの対策によって彼女の抑え込み方を知ったのだから。

 

 私の内心を知ってか知らずか、グラスワンダーはやけに澄ました表情だった。上着を突っぱねるように投げ出すと、栗毛の少女は胸に手を当てて桜色の唇を歪ませる。

 ――()()。彼女の周りの空気が歪んで見える。この世ならざる超越者の如き存在感。セーラータイプの清楚な勝負服とは違い、それを着るウマ娘が鬼の如き()()を放っている。

 

 ……『領域(ゾーン)』だ。これが彼女の真なる心象風景。全貌こそ掴めないが、グラスワンダーの力の源が目の前にある。

 周りにいたセイウンスカイを見ても、ここまでの力は感じられない。この場でグラスワンダーの存在感に気付いているのは、私……に加えて、メジロブライト陣営だけか。

 

 メジロブライトと目が合うと、彼女は小さく首を振る。どういう意味かは掴みかねたが、厄介に思っていそうなのは明らかだった。

 

 グラスワンダーが私の方に目を向けないままステージから降りると、2枠3番のセイウンスカイが軽やかなステップのもと姿を現した。

 

『2枠3番、セイウンスカイ。2番人気です』

『皐月賞ウマ娘の登場です。内枠の良い枠番に入りましたね。ダービー菊花賞と惜敗続きですが、2番人気という高い人気を受けて飛び立てるでしょうか。彼女らしいトリッキーな走りにも注目ですよ』

 

 セイウンスカイはいつも通りだった。G1レースにしてはそこそこといった風で、皐月賞の時には及ぶべくもない。彼女的には高い人気を得たのはあまり嬉しくないだろうが、彼女の実力がフロックでも何でもないというのは揺るがぬ事実。これまで通り気持ちよく走れることはないだろう。

 

 ……ハナだけは何としても死守しなければならない。横に並ぶような展開すら避けたい。レース的な賢さが低い私は、細やかな心理戦の敗北が積み重なって打ち負かされることが一番怖い。そもそも土俵に立たせずに黙らせるのが手っ取り早いはずだ。

 

 セイウンスカイ対策は、ロケットスタートからのコーナー加速。彼女も力の限り抵抗してくるだろうが、セイウンスカイの性質上、純粋な力比べになれば私に分がある。いつも通りやれば勝てなくはない敵だろう。

 

 セイウンスカイがそそくさと帰っていくと、女帝エアグルーヴが重々しい足音を鳴らしながら登場した。

 

『2枠4番、エアグルーヴ。3番人気です』

『圧倒的な実力と安定感を持つウマ娘ですね。これまで3着未満になったことはたった1度しかなく、そのレースも例の“カメラフラッシュ事件”の時ですから……彼女がどれほど秀でた競争者であるかは今更言うまでもありません』

 

 エアグルーヴ。先行を得意とするレース支配型のウマ娘だ。ある意味ダブルトリガーさんと似たところがあり、()()や広い視界で細かく情報を分析して、最後の展開を有利に持ち込むのが特徴である。

 18回戦って3着以内が17回、そしてその1回が例の秋華賞だけという安定感。普通にめちゃくちゃ強いとかいう嫌な相手だ。正直戦いたくない。

 

 続いては3枠6番6番人気ハッピーミーク。

 

『3枠6番、ハッピーミーク。6番人気です』

『ジュニア級はダート路線に行ったかと思えば、クラシック級はティアラ路線とダート路線を行ったり来たり。その後も地方ダートG1に顔を出したり、エリザベス女王杯に出走したりして、何と年末は中山のグランプリに出場です』

 

 ハッピーミークは何を考えているかよく分からない。ジュニア級の夏合宿で共に汗を流したり、トレーニングで併走したりする仲ではあるが……内心を窺い知れたことはあんまりない。桐生院トレーナーとは上手くやっているらしく、ウマスタや個人チャットで色々と教えてくれる。

 

 正直、彼女は評価に困るのだ。間違いなく強いが、この有記念を出走するにあたって確固たる強みがあるかと言えば……分からないと言うのが正直なところ。ここにいるのは芝・中長距離のスペシャリスト達だ。ハッピーミークはその超越した万能性が武器であり、長所が最も発揮されるのはレース選択の場面その時なのである。

 つまり、レース自体では()()()()()()()()()()()()()()()()――例えば切れる末脚や重機のような力強さ――がなければ勝ち負けするのも難しいということ。

 

 総合力の高い器用貧乏と言ったら失礼だが、ハッピーミークはそれに近い。ただ、桐生院トレーナー曰く彼女は晩成型。まだまだ成長の余地があるらしく、有記念は経験を積むために出走させたらしい。

 勝てばそれでいいし、負けることも良い経験にしてこいということだ。少し前まで頼りない人だなぁと思っていた桐生院葵だが、大局を見通す眼力とトレーナーとしてのセンスは抜群に高い。

 

 ハッピーミークが好位置につく展開にならなければ問題はないのだが……さすがに3、4番手で最終直線に向いたら彼女は止まらない。私との距離が近ければぶっちぎられるだろう。そこら辺はエアグルーヴ辺りの支配力に掛かっているか……。

 

『4枠8番、メジロブライト。4番人気です』

『長距離巧者の登場です。メジロブライトとアポロレインボウは特にステイヤーという感じがしますね。この有記念はスピードのあるウマ娘が有利とされていますが、果たして彼女は意地を見せてくれるのでしょうか』

 

 メジロブライト。底知れなさの塊というか、私以上にゆるふわな雰囲気のウマ娘だ。削り合いのタフな長距離レースには滅法強く、スピードのある展開には脆い。末脚は所謂『ズブい』と言われるロングスパートを得意としており、私が作り出す削り合い勝負に最も果敢に食らいついてきそうである。

 とにかく彼女も警戒が必要だ。私がいる以上、末脚勝負にならないことは確定しているようなものなので、ロングスパートを潰せるような策も講じておかねばならないだろう。

 

 しばらくして、スタッフに導かれるままにお披露目を行うことになる。ステージ上に上がり、肩にかかった上着に手をかけた。そのまま捲り上げるようにして上着を投げ飛ばし、私は純白の勝負服を堂々と見せつける。

 

『7枠13番、アポロレインボウ。1番人気です』

『日本ダービー、菊花賞、そしてステイヤーズステークスを3連勝した現役最強のウマ娘です。勝ったレースはどれも印象に残るものばかりで、ダービーの二枚腰と同着、菊花賞圧巻の大逃げ、ギリギリの破滅逃げとなったステイヤーズステークスと……特にステイヤーズステークスは欧州最強ステイヤーを蹴散らしての勝利ですから、ノリに乗っているウマ娘ですよ。私イチオシのウマ娘です』

 

 この勝負服にも慣れたものだ。初めてこのウェディングドレス風の服に袖を通したのは、12月のホープフルステークスだったか。今日と同じような肌寒い日で、へそが涼しかったのが印象に残っている。

 私は歓声を送ってくれるファンのみんなに大きく手を振りながら、最高の笑顔で自信を露わにする。両親を探そうと思ったが、雑念が入りそうなのでやめておいた。それに、見つけようと思って見つけられる人口密度ではない。

 

 そんな私の背後。やはり、濃厚な敵意を感じた。エアグルーヴ、セイウンスカイ、ハッピーミーク――いや、数えるだけ無駄だ。全員の威圧感が浴びせられている。特に強いのがグラスワンダーの殺意。

 あまりにも昂りすぎて、闘志が半ば暴走している。私が一瞬目をやると、にこやかな表情を取り繕う栗毛の少女。……もはや隠す意味などないと言うのに。

 

 私はステージを降りて、次の枠番となるメジロドーベルに後を譲った。

 

「なぁ、今日のレースは誰が勝つと思う?」

「どうした急に。俺は断然アポロちゃんだぜ」

「日本ダービー、菊花賞、ステイヤーズステークスを目の前で見てきて、俺も確信してるぜ。アポロレインボウが勝つってな」

「それフラグじゃないか?」

「そうか?」

 

 パドックが終わり、本場入場の時間になる。地下道を通り、いよいよトレーナーとお別れだというその時――

 

「アポロちゃん。ちょっといいですか」

 

 栗毛の怪物、グラスワンダーが私を呼び止めた。


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