ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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78話:総決算!有マ記念!その2

 地下道を共に歩く私とトレーナー。しかし、闇の中から姿を現したグラスワンダーが私に声をかけてきた。

 

「アポロちゃん。ちょっといいですか」

 

 照明の当たらない暗闇から溶け出すように出てきた栗毛の少女は、私達の進路を遮る。柔らかな言葉遣いの割に通す気は毛頭無いらしい。私はグラスワンダーに「ちょっと待って」と手のひらを向けて、トレーナーと軽い会話を交わしてから彼女と向き合うことにした。

 

「作戦通りに行こう。後は君の頑張り次第だ」

「うん。お父さんとお母さんによろしく」

 

 ささやかなグータッチをして彼と別れる。本来であればもっとお話をしたかったんだけど、そこまで時間が無い上にグラスワンダーが立ち塞がっているから仕方がない。作戦自体は半ば賭けではあるものの、グラスワンダーが勝つ唯一の線を潰すことのできるプランだ。乗らない手はなかった。

 グラスワンダー対策を悟らせないよう、唇をきゅっと結んで彼女に向き直る。私が不意に表情を波立たせたなら、聡いグラスワンダーはすぐに私の策略に思い至るだろう。

 

「グラスちゃん、何の用?」

「少しだけ、お話を――と思いまして」

「本番前だよ。あんまり話したい気分じゃないな」

「手短に済ませますよ」

 

 レース前のため気が立っている。耳を絞りながら答えたが、グラスワンダーは蹄鉄を鳴らしながら目と鼻の先まで接近してくる。グラスワンダーは私より少し小さい。多少見下ろす形になったが、何を思ったか彼女は背伸びして私の耳元に口を寄せてきた。

 

「アポロちゃん、私をマークしてください。最初から最後まで貴女と全力でぶつかりたいのです」

「……は、はぁ!?」

 

 ぎょっとしながら身を引き、グラスワンダーから距離を取る。何故わざわざ注目を集めるようなことを言うのだ。彼女は虎視眈々と息を潜め、レース中にやっと隠した爪を見せる手筈ではないのか。

 理解できない。元よりグラスワンダーをマークする予定ではあったが、さすがに予想外すぎる。本心で最初から最後までぶつかり合いたいと思っているわけではあるまいな。2500メートルとはいえ、私にベッタリくっついていたらスタミナ切れを起こす危険があるし……。

 

 思考を巡らせている私の目前で、グラスワンダーはにこやかに微笑む。そして矢継ぎ早に予想外の言葉を並べ立てていく。

 

「内枠のウマ娘のマークはある程度私が引き受けます。アポロちゃんはハナを奪うことだけを考えてください。スタート直後のホームストレッチからは本気で削り合いをしましょう」

「ちょ、ちょっとグラスちゃん、ほんとに何言ってんの……!?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――!?」

「無論、私の言葉に従わなくても構いません。ですが、アポロちゃんは私をマークせざるを得ない状況になりますよ。きっと、ね。……そろそろ時間ですから、私はこれで失礼します」

「え、ちょ、ちょっとグラスちゃん――わわ、行っちゃった……」

 

 私の前提を覆して、めちゃくちゃに荒らしまくって好き勝手した挙句、彼女は颯爽と返しウマへと向かった。思考が追いつかない。マジで分からん。どういうことだ? 内枠のウマ娘――セイウンスカイやマチカネフクキタルのマークを担当してくれるのか? だったら嬉しい限りだが、そんな素直にライバルの言うことを受け入れていいのだろうか?

 いや、グラスワンダーは嘘をつく性格ではない――はず。ならば信じても良いのでは――あぁ、勝負事については人一倍敏感で負けず嫌いだった。この有記念というビッグタイトルを奪うために、盤外戦を仕掛けてきた可能性だってあるじゃないか。

 

 …………。

 ……結局、私はどうすればいいんだ?

 

「…………???」

 

 分かんないよぉ……。

 

 いや、気にする必要はないはず。

 私は変わらずグラスちゃんマークで爆逃げ! これでいい。

 

 よし、返しウマ行くか!!

 私は思考停止しながら中山のターフへと足を踏み入れた。

 

 

 12月4週、日曜日。天候は晴れ、先日から降り続いていた雨により、生憎の重場。少々コースの内側が荒れ気味だが、皐月賞ほどではない。レースにはあまり関係ない程度だ。

 雑誌や新聞を握り締めるファン達の声を受けながら、レース直前のターフを足裏で確かめる。道悪状態というのは厄介で、芝のレースでは場の状態が悪くなればなるほど地面が柔らかくなり支持力を失う。そのため、ウマ娘にとっては普段以上に力が必要なコースになってしまうのだ。

 

 コースの端っこ、絶対にウマ娘が走らない場所に立つ。スタートダッシュをかける時のように地面につま先を叩きつけると、いとも容易く地面に黒々とした土が覗いた。雨が降ってターフの水分含水量が増えた結果、路面の土が柔らかくなって芝の根が抜けやすくなっているのだ。

 こうなるとスタートダッシュをしにくいことはもちろん、そもそもの走行中に滑りやすくなるというデメリットが生じる。走る際にターフがウマ娘の足をホールドせず、ウマ娘の足を支えていた芝が抜け飛んでしまうからだ。いつも通りのスピードを出すのに普段以上のエネルギーを必要とするので、良場に比べて時間がかかりやすくなるし、転倒の危険が増してしまう。

 

 無論、私にとって良いこともある。場が悪くなると逃げウマ娘が前残りしやすいのだ。その理由として、先行・差しウマ娘が不良場にスタミナを奪われ、最後の直線で前を捉えるだけの足が残らないということが挙げられる。

 この事実から導き出されるのは、これから2500メートルの消耗戦が行われる――ということか。グラスワンダーの言葉の意味を確かめる必要もあるな。楽しみだ。

 

 返しウマもそこそこに、年末の中山レース場に鳴り響くファンファーレ。次々にウマ娘が収まっていき、私も急かされるようにゲートインした。

 グラスワンダーとは目を合わせなかった。いや、彼女も合わせようとはしなかった。内心では意識しているだろうが、必要以上の注目は視界を狭めるだけだ。レース最序盤の敵は――内枠の逃げウマ・セイウンスカイなのだから。

 

『師走の空気が冷たく鋭い年末の中山。しかし、そんな寒々しさを吹き飛ばすような熱気がここにあります。トゥインクル・シリーズ最大のグランプリ――有記念! 晴れ渡る空の元、16人のウマ娘が覇を争うべくゲートに入っていきます!』

『各ウマ娘、気合いが入ってますね。オーラが見えるような気がします』

『ただいま全てのウマ娘がゲートインしました、発走準備完了です』

 

 誰に言われるでもなく、ゲートに入った16人のウマ娘が姿勢を沈めた。内なる刃を露出して、今まで秘めていた武器(オーラ)を見せつけ合う。私の両隣のゲートからも濃密な闘志が噴出していた。中でも凄まじいのは、内枠に固まったG1ウマ娘達だ。外枠にいても威圧感が伝わってくる。早くもスタミナを削られそうだ――

 楽しくなってきたな、と思いながら私は犬歯を剥き出しにした。さあ、グランプリの開幕だ。

 

 ――ガシャコン、と音がした。瞬間、私は足裏を地面に叩きつける。一瞬滑りかけたが、渾身の力で蹄鉄を食い込ませる。脹脛(ふくらはぎ)に怪物じみた凹凸を生み出しながら、誰よりも前へ出る。

 

『スタートしました! スムーズなスタートを切ったのは外枠のアポロレインボウ、ぐんぐん内に切り込んできます! 続くのは内枠のセイウンスカイ、彼女としては何としてもアポロレインボウを捕まえたいぞ! 3番手はエアグルーヴ、ハッピーミークが争っている! 更にその後ろではグラスワンダー、マチカネフクキタル、メジロブライトがいて、外からじわりじわりとメジロドーベルが合流して外側に張り付きました!』

『有記念はスタート直後にコーナーがありますからね、差は付きにくいでしょう』

 

 有記念はスタートから最初のコーナーまで距離が短く、小回りなコース形態なので内枠が有利だ。その時点ではセイウンスカイ有利と取れるが、コーナー周りの技術は彼女より私の方が上だ。内枠有利のセイウンスカイと、コーナー巧者の私でトントンと言った感じ。それに加えて、セイウンスカイは道悪が得意ではない。私も得意ではないが、足腰の粘りには自信があるんだよねっ!

 

 地面を抉りながら、一歩一歩確かな加速を刻む私の肉体。加速したいウマ娘に立ち塞がる最序盤の3、4コーナーに怯まず、内柵に軽く肩をぶつけながら加速していく。セイウンスカイはこれで封じた。2番手追走の形だ。彼女は極悪な重場に手間取っているように見える。

 

「――ぐぅっ」

 

 出だしは順調、そう思った時だった。グラスワンダーの鋭い眼差しが飛んできた。いや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 これは()()()()の技術。私が背後を確認しなくとも後方を見渡せるほど視界が広くなったことを逆手に取って、殺意に満ちた視線で私を牽制してくるのだ。

 

 ごっそりとスタミナを持っていかれて、私は口を開いて苦しみに喘いだ。しかも、セイウンスカイがハナを奪えなかった恨みとばかりに私の動きを鈍くしてくる。強烈な悪意。いや、勝利への執念――当然の戦略だ。セイウンスカイめ、()()()()()しようというつもりか。

 

 そして大外を回ってハナを奪おうとしたセイウンスカイの動きが――ピタリ、止まる。驚愕に目を見開く芦毛のトリックスター。その後ろでは、7番手を追走する栗毛の怪物が瑠璃色の双眸を携えていた。グラスワンダーが動きを止めたウマ娘はセイウンスカイだけではない。先行勢のエアグルーヴにハッピーミーク。本当に内枠のウマ娘のマークを一身に引き受けようとしているではないか。

 

(何をする、グラスワンダー! アポロレインボウを止めなければ私達は――)

(いいえ。貴女はアポロレインボウと共に沈むのです)

 

 強烈なプレッシャーを受けて姿勢を乱すエアグルーヴと、女帝の抵抗(差し牽制)を受けながらも怯まないグラスワンダー。しかし、栗毛の少女の額には早くも珠汗が流れ始めていた。

 他のウマ娘にしてみれば異常事態だ。自然と作り出した15人の『アポロレインボウ包囲網』が、たったひとりのウマ娘によって瓦解しようとしている。しかもグラスワンダーの威圧感は強烈で、エアグルーヴのそれにも引けを取らない。

 私だって、グラスワンダーがここまで大胆に集団を乱してくれるとは思わなかったが――先刻の宣言通り、彼女は本気で一騎打ちを望んでいるということか。

 

 メジロドーベルやエアグルーヴが抵抗するようにグラスワンダーを押さえ込みにかかる。しかしグラスワンダーは全く怯まない。コーナーを曲がりながら持久力を回復し、一心不乱に私以外のウマ娘を叩き潰そうと威圧感を振り撒いている。

 第4コーナーを曲がって、私も混乱に乗じて深呼吸を行ってスタミナを回復する。この有記念、間違いなくやばいことになるぞ……!

 

『第4コーナー曲がってホームストレッチに入ります! アポロレインボウはあまり逃げられません、強烈なマークを受けているぞ!?』

『好き勝手に逃げられては勝ち目がないですからね。アポロレインボウはやりにくそうにしていますし、動きも鈍いように見えます』

 

 第4コーナー曲がってホームストレートに入る。スタンドに詰めかけたファンが私達の異常事態を知らないまま、地が震えるほどの大歓声を上げる。呑気なものだ。今中山レース場では、年頃の女の子がやってはいけないような地獄の削り合いが開催中だというのに。

 

 2番手セイウンスカイとの差は1身もない。これでは普通の逃げだが、普段通りに行かないのは仕方のないこと。そういうレースだと割り切って挑んでるからね。

 他の15人の思惑はあったが、グラスワンダーのおかげで制限こそあるがある程度自由に走れている。寧ろ、後続集団の混乱がひしひしと伝わってきていた。ある意味『暴走』と取れるグラスワンダーを潰そうと、レース支配型のエアグルーヴやセイウンスカイが激しく止めにかかっているのだ。

 しかし、その度にグラスワンダーは()()()とばかりに呼吸を整え、彼女達の(おぞ)ましい攻撃を躱していく。逆に超絶的なプレッシャー(先行・逃げ・差し牽制)を押し付け、何事かを()()()、彼女達のスタミナを目に見えて奪っていた。

 

 まるで肉を切らせて骨を断つ――有記念のために相当の準備をしてきている。てっきりスタミナ不足になるかと思ったが、グラスワンダーはギリギリのところで踏ん張って、それどころかエアグルーヴらに手痛い反撃を食らわせているのだ。

 やはりグラスワンダー。このウマ娘はやばい。彼女をマークしていて正解だった。もちろん安心する間はない。第1コーナーに差し掛かった途端、雨嵐の如く威圧感が飛んできて、私の動きを重く縛り付ける。

 

 その主はディスティネイトを初めとした4人の下位人気のウマ娘達。()()()()。吐き気さえ催すようなスタミナ減少が襲ってきて、喘ぐように背中を反らしながら深呼吸に移行する。これでは回復が持たない。第2コーナーを曲がるまでに2000メートル相当のスタミナを持っていかれている。回復ありきでこの惨状はまずい。中盤から後半にかけてのデバフ・ラッシュを耐え切れるかどうか――

 

『第1コーナーから第2コーナーに入って、アポロレインボウが先頭! それにも関わらず、時計(タイム)は少し早い程度に収まっている! これは意表を突いた溜め逃げか? それともステイヤーズステークスの疲れによる失速なのか!?』

『おっと、セイウンスカイの歩調が乱れています。かかっているようですね』

 

 第2コーナー終盤、後ろのセイウンスカイが()()()()。マチカネフクキタルから飛んできた奇妙な()()()()によって余計なスタミナを消耗させられている。いや、それだけではない。鋼の意思を持つハッピーミークやスタミナに長けたステイヤーを例外として、普段マイルや中距離を主戦場とするウマ娘達の動きが鈍い。グラスワンダーの掻き乱しによってあちこちにプレッシャーが飛んで、スタミナ削りに備えていなかったウマ娘達が次々にペースダウンしているのだ。

 

 確かに後続はぐちゃぐちゃだ。そこそこ元気なのは、(動揺こそしているが)視界を広く保っているハッピーミークと、長距離レース巧者のメジロブライト、菊花賞ウマ娘のマチカネフクキタル、レースを大波乱に陥れた張本人たるグラスワンダー。逆にエアグルーヴやメジロドーベル、乱されまくって不本意な2番手を走るセイウンスカイはかなり苦しい。ジョイナスやディスティネイトはマーク薄なこともあってか、スタミナ管理を徹底しながら私に向けて次々にプレッシャーを飛ばしてくる。

 

 これがグラスワンダーの言う本気の削り合い。道悪かつ若干のハイペースなど差しウマにとっては地獄であろうに、敢えて彼女はそれを選んだのだ。しかも、こうなることを事前に伝えてきた。

 ()()()()()()()()。グラスワンダーは真剣の勝負事を心の底から欲し、楽しんでいる。その証拠に見ろ――笑っているではないか。

 

 確かに予想外が多すぎて、私も逆にテンションが高い。めちゃくちゃ楽しい。でも、いくら何でも面白すぎないか、グラスちゃん。

 それとも、更にペースを上げてみようか? ね、グラスちゃん。極悪不良の場なのに、もっと破滅的な爆逃げをやっちゃおうか? ここからレコードレベルの時計を刻むって、とっても素敵じゃない? 私も割とギリギリだけど……賭けに出ちゃおっかな。賭けをしないで勝てる相手じゃなさそうだし。

 

(とみお、レース最後半にグラスちゃんを封じる策略はしっかり覚えてるよ。その上で賭けに出るから、許してよっ!)

 

 向正面に入った瞬間。私は見通しの厳しいスタミナをふんだんに使って、菊花賞の如き爆逃げを開始した。第2コーナーを曲がり終えたウマ娘達が、速度を取り戻そうとしてプレッシャーを飛ばし損ねた隙を突いたのだ。

 背後のグラスワンダーが私の暴走を見て白い歯を見せた。彼女のオーラがもうもうと膨れ上がり、悦びに満ちた『領域(ゾーン)』の欠片が見え隠れする。間髪入れず、全てのウマ娘を絶望に叩き落とすために威圧感(逃げ・先行・差し焦り)を放ってきた。

 

(そうです。それでいいんです。私とやりましょう、アポロちゃん――!)

(ついてきなよ、グラスちゃん! ――ついてこれるもんなら!!)

 

 後ろ髪を引かれるように吐き気が襲ってきて減速するが、その瞬間に深呼吸して減速分のロスをカバーする。2番手・セイウンスカイとの差は3身。一瞬の隙を突いたにしては上々出来。だが、まだまだ足りない。

 私は更に足を伸ばして、第3コーナーに差し掛かるまでに5身の差をつけた。無理な加速が祟ってスタミナ量が半分を切りそうだが、後続のウマ娘達に冷静な思考力を持つ者はいない。――グラスワンダー以外。

 

(離せば離すだけ良いですよ。最終直線で邪魔者がいなくなりますから――ね)

 

 グラスワンダーは大きく息を入れて()()()()()()を行う。ぎょっとした。あれは私の深呼吸よりも遥かに効果の高い技術だ。それ相応に会得に時間がかかると聞いていたのだが、彼女はクラシック級にも関わらずそんなスキルを持っていたのか。

 驚きと同時、メジロブライトの()()()()()()()()が襲いかかる。

 

「う、ぁ――」

 

 メジロブライトのどす黒い闘気が足元を覆う。圧倒的な大局観に裏打ちされた不気味なまでの落ち着きようと、内に秘めた彼女の激情に呑み込まれる。慌てふためくセイウンスカイと私。そしてその様子を見て持久力を回復していくメジロブライト。そのスキルの原理は、パニックに陥る他人を見て落ち着きを取り戻すことに由来する。つまり、慌てれば慌てるだけまずい。

 何とか深呼吸して体勢を整えるが、セイウンスカイはダメだ。スタミナが尽きかけている。3000メートルの菊花賞を軽々と走り切るトリックスターが、早くも脱落寸前だ。何たる異常事態か。

 

 プレッシャーを放つには相応の精神力を使うと聞くのだが、慣れているのか彼女達に疲弊の様子はない。エアグルーヴ、メジロドーベルは相当消耗しているが、それでもまだ闘志は衰えていない。長距離には中距離以下と違った落ち着きが必要になるが、気持ちが萎えていないのは流石と言わざるを得ない。

 

『第3コーナーに入ったアポロレインボウ、時折(ときおり)息を入れながらハイペースを維持している! これが見たかったと言わんばかりに揺れる中山のスタンド!! アポロレインボウを出迎える準備はできているぞ!!』

『レース終盤、後続のウマ娘が仕掛けてきましたね。アポロレインボウに好き勝手されて終わるようなメンバーではありませんからね、ここからの()()()も十分に有り得ます』

 

 ――レース終盤。全員が第4コーナーに差し掛かった瞬間だった。『勝ちたい』と願うウマ娘達の最善の選択が最悪を巻き起こし、緑生い茂るターフを地獄へと変えた。

 

 ――まず、3番手のエアグルーヴが後続の息の根を止めるため、強烈なプレッシャー……()()()()()を振り撒いた。エアグルーヴの後ろにいたウマ娘達は強烈な視界狭窄に襲われ、進路を見失う。

 

 ほとんど同時に、メジロドーベルが()()()()()()()()。全てのウマ娘が激しく動揺し、特に後方のウマ娘は視界狭窄に加えてのダブルパンチだ。スタミナを大きく奪われ、闘志さえ根こそぎ奪われてしまった。

 

 逆に後方のマチカネフクキタルは、()()()の如きトリックによって前方の視界を奪った。私を含めた前方のウマ娘は動揺し、コーナーを曲がるのと同時だったため速度を大きく落とす。2番手以下の集団は視界狭窄に陥ったため進路を見失って密集し始める。

 

 滝のような汗を掻きながら、それでも笑っているグラスワンダー。7番手の彼女は前方に向かって()()()()()()()を撒き散らした。トドメを差されたエアグルーヴ、ハッピーミーク、セイウンスカイ、ブリーズエアシップがスタミナ切れを起こす。私も足元に震えを感じたが、決死の覚悟で歯を食いしばって、大きく減速した躰を足裏で突き飛ばした。

 

 しかし、スタミナ切れを起こして上体を起こしたウマ娘でさえ、勝利を諦めてはいない。ここに集ったウマ娘は、数千数万といるウマ娘の中から選ばれた16人の優駿だ。決して(こうべ)は垂れず、前だけを見据えている。

 

 ――だからだろうか。第4コーナー終盤、()()()()()()()凶悪なプレッシャーが降りかかった。

 ――それは、1()5()()()()()威圧感(逃げためらい)だった。

 

「――ぅ、お――」

 

 マチカネフクキタル。

 グラスワンダー。

 セイウンスカイ。

 エアグルーヴ。

 ジュエルジルコン。

 ハッピーミーク。

 リボンフィナーレ。

 メジロブライト。

 ブリーズエアシップ。

 リバイバルリリック。

 ラピッドビルダー。

 リトルフラワー。

 メジロドーベル。

 ジョイナス。

 ディスティネイト。

 

 ひとりひとりが練り上げた技術と、勝利への渇望が生んだ『アポロレインボウ殺し』。決して同一ではない威圧感が、彼女達の激情を乗せて私の脚を殺す。

 

「――ぁ、が――」

 

 鎖だ。地面から伸びてきた無骨な鎖が私の両脚を繋ぎ止めていた。塵も積もれば山となり、ただのプレッシャーは『領域(ゾーン)』じみた超越的な力を手にしてしまったのだ。

 

 背筋にぞわぞわという悪寒が走り、喉仏の寸前まで酸っぱいものがせり上がってくる。いや、少し漏れてしまった。最低最悪の酸味が咥内に広がって、それでも勝ちたいという意志は衰えなくて、私はどろどろした液体を無理矢理嚥下してから思いっ切り深呼吸した。

 15人分の想いを乗せた速度減衰をモロに食らって無事で済む者などいない。私のラストスパートは無慈悲にも圧殺され、僅かばかり残った(かす)のようなスタミナで多少の再加速をすることしか叶わない。

 

『第4コーナーに入って、アポロレインボウ大減速!! 怪我でもしたのかと思えるような減速でしたが――いや、走っている!! アポロレインボウはゴールを諦めていない!! しかしスタミナに余力のあるマチカネフクキタル、メジロブライト、グラスワンダーが一気に追い上げてくる!! 他のウマ娘はスタミナ切れだあっ!!』

 

 ラストスパートをかけてくるマチカネフクキタル、メジロブライト、グラスワンダー。生粋のステイヤー達と、グランプリに立ち塞がる最凶の敵。対して、スタート直後のような鈍間(のろま)な速度で走る私。予想などできない最悪の出来事だったとはいえ、極限まで追い詰められている。果たしてここまで敵同士の思惑が一致することなどあるのだろうか。

 

 ――『グランプリは2500mの長丁場だが、コーナーを6つ回ることから、途中にペースダウンするなど息を入れる余裕がある。そのため、マイルから中距離以下が得意なウマ娘でもスタミナが持つケースは多い。中山の急坂を前にした3コーナーからペースが上がる場合が多く、まくり気味の差し・追込が比較的決まる傾向にある』――

 

 これは有記念の傾向――『こうなることが多い』という通説である。だが今は異常事態が起こりまくっていて、通説など意味を成さない。ライバルのスタミナを先に枯渇させた者が勝つという常識外れの消耗戦へと変化している。

 

 先頭から7身の差を詰めてくるグラスワンダーは、私よりも圧倒的にスタミナが少ない。数値で言えば3分の1もない。それなのに、私にかけられるプレッシャーと同等の足枷を跳ね除け、その度に不屈の意思でスタミナを回復して私に食らいついてきていた。

 

 何という誉高い戦士だろう。スタミナ自慢の私に消耗戦の勝負を敢えて挑み、それを楽しむその姿勢。異常だ。試合(レース)にも勝負(アポロレインボウ)にも勝ちたいなどと、何とも常軌を逸した欲深いウマ娘ではないか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――う、ああぁぁぁあああああああああああああああッッ!!!」

 

 恐怖を振り払うように、己の『未知の領域(ゾーン)』を切り開く。

 

 ――【果ての銀雪、月虹が照らす先へ】

 

 最終直線に向き、グラスワンダーに向けて心象風景を叩きつける。桜吹雪が舞い、中山のターフに霜が降りる。グラスワンダーの行く手を阻む異形の桜。されど、加速は乏しい。

 このままではグラスワンダーに追いつかれる――そう思って、私は一度『未知の領域(ゾーン)』を引っ込めた。

 

 ()()()()()()。誰かがそう言っている。

 そして思い出した。私ととみおのグラスワンダー対策を。

 

 私は勇気を出して減速し、一旦息を整える。そして酸素の回った脳で考える。残り310メートル、私とトレーナーが立てたグラスワンダー対策のミソはレース最後半にある。序盤・中盤はどうでもいいのだ。グラスワンダーが()()()()()()()()()()()()()中段に控えてレースすることは分かりきっていたから。

 

 後続集団に注目する。エアグルーヴ、ハッピーミーク、セイウンスカイ、ブリーズエアシップが垂れている。マチカネフクキタルやグラスワンダーの進路を塞ぐ形だ。メジロブライトは大外を回っているため関係ないが、距離ロスは免れない。

 

 距離ロスと言ったが――ことマチカネフクキタルにおいて、その考えは及ばない。マチカネフクキタルの『領域(ゾーン)』は少々特殊なのだ。とみおの推測曰く、彼女の『領域(ゾーン)』はレース終盤に前方が詰まると不思議な力で進路が開かれるというもので。

 

 現在状況を確認する。6番手のマチカネフクキタルは、前方に位置しているエアグルーヴ、ハッピーミーク、セイウンスカイ、ブリーズエアシップが壁になって最短進路を取れない。しかし――その『領域(ゾーン)』を使えば。

 

『おっと!? マチカネフクキタルの目の前に進路が開けたぞ!? 大内の最短経路に()()()()!! ウマ娘1.5人分のスペースが開いたあっ!!』

 

 ――()()()()()によって道が開けるのだ。

 エアグルーヴ、ハッピーミーク、セイウンスカイ、ブリーズエアシップが外に縺れ、()()の産物がマチカネフクキタルの勝利を導こうとしている。

 

 そして、()()()()()()()()

 

『マチカネフクキタルがその進路に飛び込――いやっ、栗毛のウマ娘が!! マチカネフクキタルがこじ開けた進路に、グラスワンダーが一足先に滑り込んだ!? 7番手を走っていたグラスワンダーが、一瞬の隙を突いて大内をぶち抜いたあっ!!』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――だから。俺達は()()()()()()()()()()()()()()()()()、グラスワンダーの最短進路を塞ごう。

 

 ――それが桃沢とみおの作戦(賭け)だった。敵が優秀なことを信頼して、その行動を読み切って潰す。蜘蛛の糸ほども細い勝算を信じて、私達は全力を尽くしてきた。願いは通じ、グラスワンダーはこの道に飛び込んできた。

 マチカネフクキタルの背後につけ、『領域(ゾーン)』発動直後のフクキタルの隙を突いてオーバーテイク。そのまま最短経路を奪ってしまう。それが最終局面におけるグラスワンダーの作戦だったのである。

 

 スタミナ削りや大荒れの展開を作り出すことは、私を極限まで弱体化するための前フリに過ぎなかった。グラスワンダーの勝機はここにあったのだ。己を極限まで追い込み、ベストを尽くすであろうライバルを利用し、アポロレインボウというウマ娘との一騎打ちを仕掛けることによって勝負根性を発動し――それでやっと私と競り合える。そう考えていたのだ。

 そしてそれは正しかった。グラスワンダーの作戦に気づかなければ、私はスタミナロスを恐れ、この局面の内ラチいっぱいを走れなかっただろう。だが、スタミナがギリギリなのは栗毛の怪物とて同じこと。だからこそ最短距離を潰し、斜めに走らせることによって絶大な効果が見込めるのだ。

 

 擬似的なゴールドシップ・ワープ潰し。コーナーで作った最短距離のメリットは、最終直線で無に帰す。

 

『アポロレインボウは最内を走っている!! 丁度グラスワンダーの進路の先!! グラスワンダーは外に持ち出さなければならない!!』

 

 私は最終直線に向いた直後、内柵ギリギリに進路を変更した。その結果、荒れ気味の内場から泥が飛び跳ねまくるが――些細なこと。眼球に泥が弾けようとも構わない。グランプリウマ娘を渡すつもりはない。

 

 2番手のグラスワンダーは内ラチ側にいる私を避けるため、群を抜けてからは外に進路変更して距離ロスを覚悟しなければならない。初めて栗毛の怪物の顔が歪み、3身ほど後ろから猛烈な勢いで走ってきた彼女は外に進路を取った。

 

 そして、斜めに走る彼女を見届けると同時――『未知の領域(ゾーン)』を再び展開した。対抗するように、グラスワンダーが『領域(ゾーン)』を魅せつけてくる。

 濃度では全く劣らないグラスワンダーの心象世界が、私の生んだ世界と衝突した。

 

 ――【果ての銀雪、月虹が照らす先へ】

 ――【精神一到何事か成らざらん】

 

 阿修羅の如き威圧感を纏いながら薙刀を振り回す少女と、異形の一本桜を背にした私が激しく衝突する。吹き荒ぶ猛吹雪。決して倒れない栗毛の怪物。一本桜が(たわ)み、軋む。悲鳴が上がる。

 領域発動時の初速が遅すぎたせいだ。『未知の領域(ゾーン)』の加速でも足りない。唇の端に泡を吹きながら、眼球が飛び出さんばかりにグラスワンダーを睨めつける。真横に並ばれている。距離ロスと不良場の不利を受けてなお、真っ直ぐに食らいついてくる。

 

(お父さんお母さんが見てるんだ!! 絶対負けられないっ!! あなたに勝つっ!! 勝つ勝つ勝つ、絶対かぁぁぁつっ!!!)

(アポロ、ちゃん――っ!!!)

 

『最終直線に入った!! 残り200メートル!! アポロレインボウとグラスワンダーが競り合っている!! 後続は大きく離れた!! グラスワンダーが抜き去るか!? アポロレインボウは苦しいぞ!!』

 

 最凶最悪の消耗戦。史上稀に見る足の引っ張り合い。後続は遥か後方。置き去りにしたのはウマ娘だけではない。中山に吹く風さえ置き去りにして、鋭く切り裂いていく。

 

 次第に足取りは軽く、飛ぶように、跳ねるように。限界を振り切って、超加速するグラスワンダーの身体に追い縋った。

 驚愕に瞠目する栗毛の怪物。視界が赤く染まり、涙が止まらない。辛くて辛くて、苦しくて痛くて――それでも絶対に諦めない。

 

 刹那、私の激情に『未知の領域(ゾーン)』内の一本桜が揺れ動いた。根の部分が肥大化し、硬質化していく。一瞬で分かった。これは、ダブルトリガーが長い時間をかけて練り上げた心象風景の片鱗なのだと。

 私の背後からダブルトリガーの幻影が姿を現す。だが、彼女に構う暇などない。一心不乱に前を向き、ゴールに向かって走り続ける。

 

 ――ヘイ、アポロ。相も変わらず醜い走りをしているな。

 

 ――うるさい。

 

 ――お前のそのひたむきな我武者羅(がむしゃら)さ、本当にかっこいいよ。ほら、もうちょっと頑張れ。

 

 刹那、ダブルトリガーの幻影が光になって、英国長距離三冠ウマ娘の『未知の領域(ゾーン)』が私の背中を押した。ステイヤーズステークスで見た退廃的な心象風景が脳内に拡がり、激情に火を灯す。

 ()()()よりも心象風景は暗かった。ヨーロッパの長距離レースは凋落し、日本のような熱狂はそこに存在せず。深い暗闇の中で何も見えないが、ダブルトリガーの大きな背中だけは感じることができて。深く長い夜の中に閉じ込められても、何故か希望だけは感じられて。

 ダブルトリガーが感じた『走ることの悦び』が胸を打ち、私の背中に翼を与えた。

 

 瞬間、グラスワンダーをあっという間に差し返した。

 

『いや、アポロレインボウ差し返した!! アポロレインボウ差し返した!! グラスワンダー必死に追い縋る!! しかしアポロレインボウ突き放す!! これが王者の走り!! これが王者の走りだ!!』

 

 忘れていた夢の欠片が煌めいて――根幹に関わる何かを思い出しかける。菊花賞を勝ってから、何故か自分の夢の根幹に揺らぎを感じてしまって。そして今、根底にあった不安が吹き飛んだ――ような気がした。

 夢への自信は完璧には回復していない。しかし、気が楽になった。単純な話だったんだ。

 

 ――楽しい。

 G()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 今はこれでいい。きっと、私の夢はこれで正解なんだ。

 

『アポロレインボウとグラスワンダーの差は2身!! グラスワンダー咆哮するが縮まらない!! アポロレインボウは血の涙を流しながら全力疾走している!!』

 

 目から血液を垂れ流しにしながら、残り100メートルのターフを駆け抜ける。『未知の領域(ゾーン)』の重ね掛けによる超越的な疾走。それはウマ娘という生物の範疇を超え、神々の領域に至ろうとしていた。

 されど、()()()()()()()()()。誰かがそう言った気がした。

 

 ずきり、血に染まった右眼の痛みが私を現実に引き戻す。全力疾走が緩み、ランナーズ・ハイの絶頂が急激に冷却される。私の走行はいつの間にか緩んでいた。

 ――無意識にゴールを認知して、緩んでいた。

 

『アポロレインボウが1着でゴォォルッッ!! 一度はグラスワンダーに並びかけられましたが、とてつもない勝負根性を発揮してアポロレインボウが見事に差し返したぁっ!! 2着は2身でグラスワンダー!! 間違いなく年末のグランプリに相応しい熱戦となりました!!』

 

 

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