ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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85話:すくうもの

 例え話になるが、最強の形とは何だろう。

 無敗でレース生活を終えること? 三冠を達成すること? G1でレコード勝ちを収めること? 最高のメンバーが揃った舞台で勝利すること? きっとその全てが最強の形のひとつと言えるだろう。

 

 そして――目の前にいるLe Moss(ルモス)というウマ娘は、2()()()()()三冠を獲得した唯一のウマ娘なのだ。走った舞台はStayers' Triple Crown(英国長距離三冠)というシニア級限定にして世界で最も過酷な三冠路線である。

 2年連続で三冠を達成したウマ娘は、本ウマ娘のルモスしかいない。世界唯一の快挙なのだ。これは当然、年齢制限のない()()()()()()()()という括り(ゆえ)の壮挙ではあるが、それでも二年連続となると奇跡としか言いようがない。

 

 1年目は圧勝に次ぐ圧勝で長距離三冠達成。そして2年目はArdross(アードロス)というウマ娘との激戦を制しての三冠。このアードロスも後年にステイヤー路線を中心に重賞13勝を上げ、凱旋門賞で2着を取ったりイギリス年度代表ウマ娘に選ばれたり、何ならルモスさんとトレーナーが同じだったりと逸話に事欠かないのだが――それはともかく。

 

「あ、あにょ、ルモスさん。お会いできて光栄です」

「うんうん、ワタシも嬉しいよ! キミのことはジュニア級からず〜っと見てきたからね」

「えっ」

「運命じみた何かを感じてたんだ。偶然メイクデビューを目にした時から……ね」

 

 妙に距離が近いルモスさん。私の手をニギニギしている。黄金の瞳が爛々と輝いて、形の良い流星が前髪に垂れている。身長は私と同じくらい。ビッグネームの割には案外小さくて可愛い系なんだなと他人事のように思う。思考ばかりが働いて身体が動かない。緊張で。

 

「ど……」

「?」

「どうして私のことを知ってるんですか」

「さっき言ったでしょう? 運命がワタシとキミを導いてくれたんだ。ここは騒がしい。沢山話したいことがあるから、もうちょっと静かなところで話そうよ。こっちにおいで」

「わわっ」

「アポロ、君が連れ去られたことはトレーナーに伝えておくから……まぁ安心してくれ。それじゃあごゆっくり」

「えぇ!? ルドルフ会長、この人止めてくださいよ!」

「いやぁ……私でも彼女を止めるのは難しいよ」

「そんなぁ!」

「ほら行くよ!」

 

 こうして私はルモスさんの強烈な力に引かれて、ホールから出て人気の少ない廊下まで移動させられた。既にトゥインクル・シリーズから退いたというのに、迸る生命のエネルギーが尋常ではない。恐らく今でもトレーニングを欠かしていないのだろう。これがステイヤー界の至宝たる所以か。

 ルモスさんは愛嬌いっぱいの笑顔を振り撒きながら、私に向き直った。この胸の高鳴りは、憧れだけではなく――本当に運命の繋がりがあるのかもしれない。そう思えるくらいに特別なものだった。

 

「――アポロ。さ、ここなら邪魔者もいないから。沢山お喋りしよ?」

「お喋りと言われましても……じゃ、どうして日本に?」

「観光!」

「……ドバイ遠征の時に連れていくから、そこが初顔合わせになるだろうって……ダブルトリガーさんが言ってましたけど」

「それはそれ、これはこれ。日本観光とURA賞授与式を兼ねてキミを見に来たんだ。いい機会だったから」

「は、はあ……」

 

 軽いノリだけど、彼女は生粋のお嬢様として生を受けた。姉のLevmoss(レヴモス)が凱旋門賞と4000メートルG1のカドラン賞・アスコットゴールドカップを勝っているし、妹のSweet Mimosa(スイートミモサ)はフランスオークスを勝っている。まさかの3人姉妹でG1ウマ娘という……想像の及ばぬほど名家の出自なのだ。

 実際、口調は砕けているけれど――ただし英語だが――所作はいちいち優雅だし、雰囲気からもうロイヤリティがぷんぷん漂っている。

 

 この優美な雰囲気と、豪神の如き気迫を迸らせるレースぶりのギャップも人気の秘訣である。彼女は豪快な末脚で次々とビッグレースを飲み下していった。超長距離における絶対無敵の加速力と無尽蔵のスタミナは壮烈で、絶対無敵と恐れられた彼女の紅白の勝負服は今なおヨーロッパ長距離界の語り草だと言うが――今日のドレスは()()を模したカラーリングである。

 いきなり天上人と対面して何を話せば良いか分からなかったので、とりあえずドレスでも褒めておくか……と思ったのだが。

 

 いや、とりあえずって何だ。それは失礼なんじゃないか? それにルモスさんほどのウマ娘は賛美の言葉に慣れているだろうし……当たり障りのない会話ではなく、もっと話すべきことがあるんじゃないか。

 どうせなら、ここに来た本当の理由を教えてもらおうじゃないか。多分あるんだろう、わざわざ海を渡って年始に日本に来た理由が。

 

「本当にそれだけですか? 私に会いに日本に来た理由」

 

 私は思い切った質問をしてルモスさんの内面に切り込んでみることにした。もし真意があったとして、それが何かは想像もつかないが……とにかく発破をかけてみようと思った。

 ルモスさんは大きな目を丸くして、きょとんと棒立ちになる。「えっ」というガチの困惑を漏らして、そのまま喋らなくなってしまった。

 

 ……この反応からするに、本当に日本観光と私のために来てくれたらしい。拍子抜けである。物好きすぎないか……?

 

「ワタシがここにいちゃ迷惑だったかな……?」

「いやいやいや! そんなことは!! 現実感がなくて緊張しちゃってて!!」

「あはは! ま、冗談はさておき……無くはないんだよね。話しておきたかったこと」

「あ、やっぱりあるんですね」

 

 ルモスさんは表情をころころ変えながら、人差し指を立ててつらつらと話し始めた。

 

「キミは最優秀クラシック級ウマ娘に加え、年度代表ウマ娘にも選ばれた。まずはおめでとう、だね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、()()()()()()()()については知っているかな?」

「ええ。多少は、ですが……」

「大変よろしい!」

 

 日本は単純に『URA賞』という括りで表彰がなされる一方、アメリカでは『エクリプス賞』、ヨーロッパはエクリプス賞に倣って創設された『カルティエ賞』という形で年末表彰が行われる。

 カルティエ賞の部門は大きく分けて6つ。『年度代表ウマ娘』、『最優秀ジュニア級ウマ娘』、『最優秀クラシック級ウマ娘』、『最優秀シニア級ウマ娘』、『最優秀スプリンター』、『最優秀ステイヤー』。ヨーロッパにはダートレースが存在しないため、その代わりにステイヤーを表彰する部門が設定されている。

 

「じゃあ、カルティエ賞最優秀ステイヤーの表彰を受けたKayf Tara(カイフタラ)ってウマ娘のことも……もちろん知ってるよね」

「……はい」

 

 ――Kayf Tara(カイフタラ)。英国長距離三冠ウマ娘・ダブルトリガーを退けて、今年のG1・ゴールドカップを優勝したウマ娘だ。その後もG1・アイルランドセントレジャーを勝利し、見事ヨーロッパ最優秀ステイヤーの栄誉を得た。

 現実の方では、1998年から2000年まで3年連続カルティエ賞最優秀ステイヤーを受賞した世紀末最強ステイヤーである。ゴールドカップ2勝、アイルランドセントレジャー2勝という長距離適性と息の長い活躍は、彼女が私の行く末を妨げるライバルになることを表している。

 

 ゴドルフィン・ブルーの鮮烈な勝負服を着たカイフタラの最も代表的な武器は――ズバリ爆発的な末脚だ。ある時は前方好位置から、ある時は最後方から仕掛ける自在性と――どの位置からでも勝てるという自信。精神力。或いは、ペースや展開に応じた作戦を取れる決断力と冷静さ。そして、4000メートルでも短いと言わんばかりの暴力的スタミナ量。

 ありとあらゆる要素がカイフタラというウマ娘の王道性を物語っており、彼女以上にステイヤーとして優れた者はいないだろうという滅法の評価である。

 

「で、そのカイフタラさんがどうかしたんですか?」

「キミも知っての通り、この1年カイフタラはドバイとヨーロッパでバリバリ走る予定なんだ。もちろんステイヤーズミリオンにも挑戦するだろうし、出走レースはキミと丸被りするだろうね」

「えぇ、まあ」

「単刀直入に言おう。カイフタラはかなり()()()()()嫌なウマ娘だ。ワタシのことを無下に扱うし、ダブルトリガーにも敬意を持って接する様子がない。きっと日本から来たキミのことを雑に煽るだろうし、キミを傷つけることも言うだろう――それでも。キミには()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「……はい?」

 

 突然、大量の情報が流れてきたため困惑する。カイフタラさんがひねくれたウマ娘だとか、私のことを煽るだろうとか――私のイメージと違いすぎて理解が追いつかない。

 レース映像を見ても、勝利後に喜んだような表情をすることは無かったから、感情の起伏が少ないんだなと思うことはあったけど……。

 

 ――カイフタラさんの心を救う?

 まるで意味が分からない。

 

「心を救うって……どういうことですか? 私の聞き間違いですかね?」

「いや、間違いじゃないよ」

「…………」

「あまり詳しいことは分からないが、とにかく彼女は荒んでいる。恐らく、ヨーロッパのトゥインクル・シリーズに揉まれるうちに、嫌な奴になっちゃったんだ。……それもこれも、じわじわ進行してる長距離界の人気下落によるものさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて――それだけで心は削られていくものだよ」

 

 突然、理想と現実が乖離していることをひしひしと思い知らされる。ヨーロッパが誇る長距離界のトップウマ娘から伝えられた真実は、私の心に暗い影を落としていく。

 日本にいるから気づかなかっただけなのだろうか。世界中を見ても、日本のファンは特に熱心で、ファンが作り出す大歓声に魅了される海外のウマ娘も多いと言うが……。ヨーロッパの超長距離G1を制するという目標が先走りして、私はダブルトリガーさんが私に語ってくれた現実から目を逸らしていただけなのではないか。

 

 ――ヨーロッパの長距離界は()()()()()

 目を逸らしようのない現実だ。

 

 ヨーロッパで過ごしているルモスさんがこう言っているのだ、恐らく本当にヨーロッパの長距離界は衰退している。気持ちが少し萎えないでもないが、受け入れるべき事実だ。

 

 日本には長距離G1が菊花賞と天皇賞・春と有記念しかない。というか、1年を通してG1が20~30程度しかない――しかもシニア級の競走は更に数が少ない――のだから、日本はヨーロッパに比べるとそもそも()()()()()()()のだ。

 そういう意味で差は生まれにくいが、複数国の集合体であるヨーロッパは重賞数的にも選択肢が多い。だからこそ、少しずつ長距離重賞が(ないがし)ろにされ――今に至るのだろう。

 

「日本には()()()()()()()として菊花賞があるだろう? でも、特にヨーロッパじゃ長距離レースの人気は落ちに落ちて……ほとんどの国じゃ、セントレジャーはシニア級との混合重賞にまで権威が落ちちゃってる。三冠の最終競走だよ? そりゃ、カイフタラみたいにやる気も無くなっちゃうよね」

「…………」

「カイフタラが勝ったアイルランドセントレジャー、何人のレースになったか知ってる? ……7()()()()()()()7()()。アイルランド三冠路線、最後のG1がこの有様じゃ……カイフタラがこうなったのも…………いや、これ以上はやめておこう。気が滅入る」

 

 三冠路線とは、まず一冠目のギニーを制覇する早熟性、ダービーを勝つスピード、そしてセントレジャーを走破するスタミナを併せ持つウマ娘を選定するための競走体系である。特に昔においては、セントレジャーステークスはクラシックレースの中でも最高の権威を誇っていた。

 しかし、徐々に有力ウマ娘の挑戦が減少してくると、セントレジャーのレベル低下に歯止めが掛からなくなった。最近では、凱旋門賞やイギリスチャンピオンステークスに向かうウマ娘が多い。日本でも天皇賞・秋などに流れていく場合があるほどで――

 

 中距離競走の充実と、レベル・価値低下によるセントレジャーの意義喪失。三冠がかかっている場合にようやく選択肢に入るかどうか――というくらい失墜したセントレジャー競走は、三冠路線最終戦としての性格を完全に失った。

 その多くがシニア級との混合レースになり、今やシニア級を含めた()()()()()()G()1()として、もしくは下級戦としての扱いがほとんどである。

 

 ドイツセントレジャー(ドイチェスセントレジャー)はG2からG3に格を下げられた上、シニア級との混合競走になった。フランスセントレジャーことロワイヤルオーク賞もシニア級に解放されている。イタリアセントレジャーもドイツと同じ道を辿ったが、1()()()()()()――つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実はあまりにも重い。

 何とか踏みとどまっているのは、日本の菊花賞やアメリカのベルモントステークスくらいなものだ。

 

「ごめんね、初対面なのにペラペラと……しかも、これからヨーロッパに来てくれようっていう可愛いウマ娘にこんなことを」

「……いえ。いつかは直面することですから」

「…………Tu sais vraiment ce que ça veut dire?」

「へ? あ、フランス語ですか? もう1回言ってもらえると――」

「いや、独り言。そろそろ良い時間だし、今日はお別れということで」

 

 ルモスさんのフランス語は聞き取れなかったが、彼女がホールに向かって歩き出したので、フランス語のことなんてすぐに忘れてしまう。しかし、彼女の人懐っこい笑顔が少し曇っているように見えた。慌てて彼女の背中を追いかける。

 

「今のヨーロッパで最強ステイヤーの夢を追うなんて、アポロは物好きだよね」

「……まあ、そうでしょうね。でもかっこよくないですか? 長い距離を走って消耗し合う、あのえげつない過酷さ! 最終直線で最後のスタミナを使ってバチボコにやり合うラストスパート! たとえ今ステイヤーが冷遇されていたとしても、私の憧れは変わりません! このキラキラした夢、諦める気は絶対にありませんからね!」

 

 ホールに帰りかけていたルモスさんの足が、ぴたりと止まる。「絶対に?」 こちらに目を向けないまま、静かに問いかけてくるルモスさん。私は胸に拳を叩きつけて、日本語で「絶対にです!」と返した。

 しばしの沈黙があった。ルモスさんの形の良い耳と尻尾が静かに揺れている。ヨーロッパ長距離界の盟主に夢を誓ったのだ。しかも、絶対という重い言葉を添えて。だが、後悔はない。血反吐を吐いてここまで努力してきたのは、欧州の舞台で走って栄光を手にするためだ。

 

「……そうか。ま、なら止めないよ。心の底から応援しているよ」

「はい! 頑張ります!」

「だからこそ――もう一度言っておくよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――()()()()。どくんと心臓が跳ねて、嫌な音を立て始める。

 

「カイフタラの心は荒んでいる。志も何も無い。それでも強い。きっとアポロは、そんなカイフタラの心と()()()()()()なんだ。現役を退いたワタシじゃカイフタラを救えない。きっと彼女の無礼な行動に対して激怒することもあるだろうけど、その時はレースでぶちのめしてやって欲しい」

「注文、多くないですか?」

「あはは、ごめんごめん。先に言っておかないと、カイフタラに会った時にビックリするだろうと思って…… 」

 

 ルモスさんは向こう向きのまま、頭頂をポリポリと掻いた。本当に申し訳なさそうに肩を竦めて、彼女はこう言い残して会場へと消えていった。

 

「……長距離界におけるブリガディアジェラードとロベルトのようになってくれ。あ、いや、パパイラスとゼヴの方がいいかな……それはともかく。アポロ……ヨーロッパ長距離界に巣食う、()()()()()()()()()()()()()を全部ぶっ壊してほしい。異国の風で……あんな空気を吹き飛ばしてくれ」

 

 そのまま取り残された私は、ハイヒールを鳴らして歩いていく彼女の後ろ姿を見送った。

 

「……ルモスさんも大変そうだなぁ」

 

 

 


 

ルモス→強いウマ娘

レヴモス→強いウマ娘

スイートミモサ→強いウマ娘

アードロス→強いウマ娘

ブリガディアジェラード→強いウマ娘

ロベルト→強いウマ娘

パパイラス→強いウマ娘

ゼヴ→強いウマ娘

この程度の認識で全く問題ありません。


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