脇役系主人公は見届ける   作:祐。

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第14話 湯煙と月光 -Seeking a reunion編-

 湯煙と月の光。二つが合わさることで、朧気な幻覚を見ているかのような気分だった。

 

 もはや、この露天風呂の常連だ。今日の業務で蓄積した疲労を、このお湯に溶かしていくつもりで肩まで浸かっていく。その心地良さは極楽と呼ぶに相応しく、身体の中の疲れどころか、自分の身体そのものが溶けてしまいそうな気分になる。

 

 くつろぎの一時。味わうように過ごしていた、朧気な龍明の湯。この日はこれといって思い出す出来事もなく、自分はこの温もりに全てを委ねて、ボーッと夜空を眺めていた。

 

 ……と、その時にも、ひたひたと歩いてくる足の音が聞こえてくる。

 ここは、龍明に住む人間だけが入れる混浴風呂。町の人々が訪れることは承知であり、男の人であれ、女の人であれ、この場で顔を合わせればその日の一日が話題となる。

 

 今日は、どんな話でもしようかな。慣れたようにコミュニケーションモードへ移行した自分が、すぐ脇から視界に入ってきた存在へと視線を投げ掛け——

 

 ——た先で目撃した、女神のような女性の存在感。タオルも巻かずに生まれたままの姿で踏み入ってきた“彼女”の姿を見て、自分は思わずと驚いてしまった。

 

「ユ、ユノさんっ!!? なにやってんすか!!?」

 

「?」

 

 とても不思議そうな表情を向けてきたユノ。その手に掴んだタオルを巻かず、ポニーテールを崩したその長髪を揺らしながら首を傾げていく。

 

「銭湯に入りに来ただけよ」

 

「いや、いやいやいやそうじゃなくて!!! その、手に持ってるタオルを身体に巻いてから来てください!!」

 

「そういう決まりにはなっていないわ」

 

「確かに、任意とは言われておりますが! されど、こちらは公共の施設なんです! だから、こう……暗黙の了解というものがありまして——」

 

「私には関係ないわ」

 

 と言って、ユノ節を突き通しながら露天風呂へと入っていく彼女。

 相変わらずだなぁという気持ちと、一方で、そのプロポーションが別の意味で刺激になる焦燥感。

 

「あの……銭湯でも、いつもこうなんですか……?」

 

「えぇそうよ」

 

「皆さんも、俺みたいにご指摘しますよね……?」

 

「貴方ほど口うるさくはないわ」

 

「でも言われている以上は、やっぱり最低限のマナーは守った方がいいのでは——」

 

「なんでも、この銭湯にはご利益があるみたいね。私がここに訪れる日は、特にそう。その影響なのかは知らないけれど、おかげで今では何も言われなくなったわ」

 

「…………」

 

 そりゃあ、何も言われなくなるだろうな……。だって、注意をしてしまったら今後、”ご利益”が訪れなくなる可能性があるから……。

 

 月光の湯煙に溶け込む存在感。自分と少し離れたその距離で、露天風呂の岩に肘をついて寄り掛かりながら夜景を眺めていく彼女の姿。

 

 ……月夜の精霊。そんな印象を持った光景。確かにご利益がありそうという謎の納得をしていきながら、少し間を置いて話し掛けていく。

 

「今日、ネロさんの下へ尋ねに行ってましたね」

 

「そうね」

 

「勤務時間終了の時刻になっても事務所に戻られなかったので、相当、慎重に話を進めておられたのだとお察しします」

 

「ちょうどいいわ。そのことで、貴方に伝えなければならないことがあるの」

 

 こちらへ振り向いてくるユノ。お湯に広がる髪が水面を押し出しながら、彼女はこちらへとそのセリフを告げていく。

 

蓼丸(たでまる)菜子(なこ)ちゃんを、龍明に迎え入れる手筈になったわ」

 

「そうなんですか! 今日イチの朗報ですよ。菜子ちゃんを龍明で保護できるのであれば、あの子の身の安全は約束されたも同然ですからね」

 

「此処を買い被りすぎよ。でも、少なからずの安全が確証されているのは事実ね」

 

 安堵。自分はホッと一安心しながらも、そんなことを訊ねていく。

 

「ですが、ユノさんの身内の関係者と言えども、菜子ちゃんの査定も必要になるのでは……?」

 

「心配には及ばないわ。——いつでも迎え入れられるよう、既に査定は済ませてある状態だったから」

 

「さすがユノさん」

 

「褒められるべきなのは、ネロさんの方よ。——彼は以前から、私の事情に理解を示してくれていた。今回の件だってすぐに対応してくれて、スムーズに事を運んでくれたものだから」

 

 龍明の夜景を見遣るユノ。自分もその視線を追うように町の景色へと向いていく中で、ユノはそのように言葉を続けていく。

 

「ネロさんとも、それなりに長い付き合いね。彼と初めて出会った時、私の隣には、“ヒイロ”がいたわ」

 

「……蓼丸(たでまる)ヒイロさん、ですか」

 

 ユノの愛人である女性。突如と失踪したことにより、彼女の行方を探るべくユノは探偵になった、という話も聞いていた。

 

「あの……ヒイロさんの行方はやっぱり、まだ分からないままですよね……」

 

「依然としてね。ネロさんにも手伝ってもらっているのだけれど、この五年間、何も手がかりをつかめていないわ」

 

「そのことで、俺、少し気になる言葉を耳にしたんです」

 

 振り返ってくるユノ。

 ……こちらに寄りすがるような、真っ直ぐな目。彼女の視線を正面から受け止めながら、自分は“あの日”を思い返していく————

 

 

 

『んぎゃ——!!』

 

 自分の真上を飛んでいく少女。これに「菜子ちゃん!!」と慌てて駆け寄ろうとした瞬間にも、自分の襟を掴んできた“男性”によって、足止めを食らってしまった。

 

『お仲間かい? なら、見過ごせないね』

 

 振り返る自分。その真横を掠めてくる、槍よりも鋭い刃物の腕——

 

『用があるのは、あの女の子の方なんだ。聞くに彼女は、“蓼丸(たでまる)ヒイロ”という女性の妹さんだそうじゃないか』

 

『それが……っ、それが、どうした……!』

 

『わたしたちにはね、“彼女”という存在が必要不可欠なんだ。だから、“雲隠れした彼女の行方”を喋ってもらうために、まずは妹さんのご協力を仰がないとなんだよね』————

 

 

 

「雲隠れした、彼女の行方……」

 

 引っ掛かる。そういった調子で呟いたユノ。

 ……しばらく思考に耽る彼女。だが、考えたところで答えにありつけないヒントの断片に、自分は見かねるように言葉を投げ掛けた。

 

「彼は既に“いない”以上、その目的について問いただすことはできません。しかし、彼は『わたしたち』と仰っており、あの時点で彼は、ヒイロさんの行方を探っておりました。——そこから考えるに、まず、ヒイロさんは今でも生きている可能性があります。そして、彼と通じているのだろう“その勢力”が、ヒイロさんに繋がる何かしらのヒントを持っているのかもしれません」

 

「”その勢力”はおそらく、先日にも菜子ちゃんとひと悶着を起こした指定暴力団のことよ。でも、”あの組織”とヒイロが関わっていただなんて初耳だわ。……お手柄よ、柏島(カシワジマ)くん」

 

 ザパァッ、飛沫を上げて立ち上がるユノ。そして彼女は真っ直ぐこちらへ歩いてくると、次にも覆い被さるようにして腰を下ろしてきたのだ。

 

「ちょ、なに——」

 

「貴方のおかげで、ようやくヒイロに近付くことができた。今まで足踏みしてしまっていた状況から、ようやく、一歩、踏み出せそうなの。……これも柏島くん、貴方が機転を利かせて、あの場に合流してくれたおかげよ」

 

「俺はむしろ、菜子ちゃんに助けられただけですが——」

 

 自分の背にある岩が、迫るユノから逃さない。

 ——後ろの岩に手をついて、こちらに顔を近付けてきたユノ。これに自分は思考を巡らせて、言葉を選んでいく。

 

「滞っていた物事が動き出したその喜びは、お察しします。なので、少し落ち着きましょうユノさん……!」

 

「いいえ。その前に私は、貴方への感謝を形にしなければならないわ。この感謝の気持ち、今すぐに受け取ってほしいの。——今なら誰もいないから、済ませるなら好都合よ……」

 

 事務所でレイランに見せてきたその姿も含め、この人は”尽くしたがる人”なのか……!?

 

 それも、目先のゴールにくらんでいて、肝心の目の前が見えていないその状態。これに、自分が冷静となって声を掛けていく。

 

「ユノさん」

 

「遠慮しないで柏島くん。私の気持ちを受け取って——」

 

「ユノさん。……これは、違います。だから離れてください。今すぐに」

 

 彼女の肩を押し出して、距離を離す自分。これにユノは拍子抜けな表情を見せてくるものだったから、自分は言い聞かせるようにセリフを口にした。

 

「……これは、俺が望んだ謝礼じゃありません。それに、今はまだ、過程の途中なんです。そして、俺が本当に望んでいるあなたからの謝礼は——ユノさんの、ヒイロさんとの再会を喜ばれるお姿。それを“見届けたあと”に掛けられる感謝の言葉なんです。それこそが、俺にとって何よりの報いになるんですよ」

 

 ゆっくりと、立ち上がっていくユノ。そしてこちらも、“自分自身に従って”その言葉を伝え切った。

 

「だから、ユノさん。俺は、あなたから送られる感謝のお言葉を心待ちにしております。——必要であれば、俺もお力になりますから。なので、このまま足踏みせず、最後まで突っ走っていきましょう」

 

 腰を上げ、胸を張る自分。

 ……向こうの方が高身長である故に、見下ろす形でこちらを見遣るユノ。そして次にも彼女は短く息をついていくと、この自分に対して初めて、ユノは微笑みを見せてきたのだ。

 

「——ありがとう」


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