龍明のバス停の前。楽しみからか隣でそわそわする菜子を他所にして、自分は腕時計で待ち合わせの時間を逐一確認していたものだった。
陽が昇る前の、早朝というこの時刻。共に早起きして張り切る自分らは今日、ラミア、レイラン、ニュアージュという龍明の女子メンツと、町の外へお出掛けする予定が入っていた。
先日の合同作戦の振り替え休日。一緒のメンバーだったグレンとカナタがしのぎを削ってギルドファイトに臨んでいるその傍らで、自分らは遊びのお出掛けに気合いを入れていく。特に菜子は、年の近い友達と遠くへお出掛けするということが初めてとのことで、少女は年相応の期待感を胸に昨日からずっとうずうずしていたものだ。
尤も、アレウスはこのお誘いを断ったことで、男が自分だけという心許無い状況下に置かれていた。さらにはこの状況をネタにしてラミアや菜子に笑われたことから、皆が合流次第にも自分はまたいじられるんだろうなぁ、という複雑な気持ちで頭を掻いていく。
……まぁ、それは杞憂に過ぎなかった。メンバーとしては男が一人だけなものの、ニュアージュが来るとなれば、キャシャラトという召使い兼護衛役の彼がついてきてくれるだろうから——
待ち時間に空を眺め遣る。この薄い青空を泳ぐ雲が目についていくその最中にも、ボーッとする自分へと突如“何か”が飛び掛かってきた。
ドーン!! という真横からの衝撃。これに自分が「うおっ!?」と驚きの声を出していく傍らで、あろうことか“彼女”が活発的に姿を現してきたのだ。
「やぁ!! ボクだよ!!」
「——ッ!」
無機質な銀髪。超越者ビアルド……ならぬ、ミント・ティー。どこからともなくと出現した彼女に自分は戦慄し、思わずと言葉を失って心臓を打ち鳴らしていく。だが、彼女の正体を知らない菜子がミントに気が付くと、次にも菜子はそれを提案してきたのだ。
「ミントちゃん!? おはよ……? え? こんな朝早くにどうしたの?」
「やぁ菜子!! グッドモーニング!! 龍明の朝は清々しくて気持ちがいいね!! ボクのことは気にしないでくれよ!! ちょうど近くを通りかかっただけなんだ!!」
「そうなんだ……? ん、つまり龍明のホテルに宿泊してる感じなのかな? ——ねぇねぇ、それならさ。これからアタシ達、この町の何でも屋のみんなと外に遊びに行くんだけど、良かったらミントちゃんも一緒にどうかな? こんな朝早くに、急すぎるかな……?」
最悪だ……。
自分とは対照的に、菜子からのお誘いに瞳を輝かせたミント。心の底から溢れ出す歓喜のあまりに彼女は「ボクもいいのかい!!?」と大声で聞き返し、菜子もいいよと頷いたことでミントは盛大に両腕を上げていったのだ。
「やったぁ!! ありがとう菜子!! 誰かと遊ぶこと、ボクの夢だったんだ!!」
「そうなの!? 実はアタシもこういうコト初めてだから、今日すっごく楽しみにしてたんだよね! ——じゃあじゃあ、ミントちゃんも一緒に行こうよ!」
「うん!! ありがとう菜子!! ——カッシーも、よろしく!!」
こちらの憂いなんて、超越者にとっては何とも思わないんだろうな……。
ただただ恐ろしい事態に寒気が止まらない。だが、ミントの正体を口にすれば最後、喋った相手もろとも自分は彼女に口止めされてしまうことだろう。
と、そこにラミア、レイラン、ニュアージュの三人が向かってくる。遠くにいる彼女らに菜子が手を振っていくと、三人は見慣れない銀色に興味津々なサマで駆け寄ってきたものだ。
もう、すぐにも三人は合流を果たす。ラミアとレイランが菜子へと「その子は誰ー??」という問いを投げ掛ける真後ろで、ニュアージュも純粋な無垢の微笑みでミントへと寄ろうとした、その時だった——
——彼女を遮る右腕。音も無く姿を現したキャシャラトが、ニュアージュの進行を妨げる。
「キャシャラト? どうかされましたか?」
「お下がりください、お嬢様」
——唸るように低い声音。冗談ではない真剣な様子に、ニュアージュはちょっと不機嫌そうに首を傾げていく。
「何を仰るんですかキャシャラト。わたくしも、皆様の“がーるずとーく”というものに混ざりたいです」
「このキャシャラトとて誠に遺憾ではございますが、お嬢様をお守りする陰ながらの執事として、これ以上とお嬢様を“危険”に晒すわけにはいかないのでございます」
「危険、ですか……?」
どこにそんなものが? ニュアージュの素朴な疑問が、彼女の見渡す仕草からうかがえる。その二人へと自分は近付いていくと、すぐさまキャシャラトが低い声音でそれを訊ね掛けてきた——
「超越者の件は、ユノお嬢様から直々におうかがいしております。それ故になぜ、“あれ”を龍明に受け入れたのか。それをご説明いただかないとなりませんね、カンキ様」
「俺としても不本意です。しかし、神出鬼没であるため未然に防げるものではなく、さらにはけん制されているので、周囲にお伝えすることができない状態なんですよ……」
「なるほど。——“脅かす者”、なだけはあるというわけですか」
こちらの意図を汲み取ってくれたキャシャラト。曖昧な表現で答えていくと、彼は顎髭をなぞるようにしながら暫しと考えに耽っていた。
……そして、彼は苦渋の決断を下していく。
「お嬢様。このキャシャラト、皆様方へのご無礼を承知の上で申し上げますが……たいへん楽しみになされていた今回のご予定は、直ちにお控えになられた方がよろしいです。——いえ、誠に勝手ではございますが、本日のお出掛けは、この私めが許可することができません。直ちに、我々の拠点へと引き返します。さぁ、共に参りましょう」
呆然。喜びで満ちていたニュアージュの表情が一気に険しくなり、差し伸べられた手を彼女は無視すると、次にもニュアージュは怒りを露わにしてきたのだ。
「ッ……何故ですかキャシャラト。たとえ貴方様でありましても、今回の横暴な真似はこのわたくしが看過できません。——先の提案は、急である予定の変更によってご同行なされる皆様方の迷惑を掛けるものでもありますが、それ以前としてこのわたくしの純粋なる喜びを弄ぶ、非常に身勝手な判断です。わたくしの気持ちにとんだ裏切りを働いたその愚行を、貴方様はご自覚の上で先の発言をなされたというのですか」
相当ご立腹だ。それも当然ではあるものの、キャシャラトも退けない立場である以上は、彼女の怒りに向き合って何とか説得を試みる。
「お嬢様のお気持ちはお察しします。ですが、今この場ではご説明できない、非常に込み入った事情に置かれた状況であります故、どうか、私めの提案を——」
「却下します」
ツンとした態度でそっぽを向くニュアージュ。彼女の様子に自分も静かな驚きを見せていくその目の前で、彼女はキャシャラトへと向き直っては、爆発した積年の気持ちをぶつけるように力強くそのセリフを放ってきたのだ。
「どうして、わたくしばかりが制限されないとならないのですか!? わたくしだって……皆様と同じような生活を謳歌したいです……!! わたくしも周りの皆様のように、企業や人脈などに縛られることなく年の近い友人と他愛のない会話を交わしていきたいものですし、立場に縛られることなく気軽に遊びの予定を立ててお出掛けしたりもしていきたいです……!! そして時には笑い合い、時には喧嘩をして、時には心行くまま遊び尽くして、時には恋の悩みを相談したりして……!! どうしてわたくしは、そのような“一般的”な生活さえも制限されないとならないのですか!!」
早朝の龍明に響き渡った、ニュアージュの悲痛な叫び。届いてきた聞き慣れぬ声に女性陣も振り向いてくる視線を受け、ニュアージュは涙ぐんだ顔でキャシャラトへと訴え続けていく。
「常に護衛に囲まれ続ける閉鎖的な日々! 覚えたくもないテーブルマナーを教え込まれ、お偉いの方々と緊張を伴った食事を行わなければならないこの身分! 豪勢な寝室は気持ちが落ち着かず、何時、何処で、何方に対してもへりくだらなければならない品性を求められるこの人生!! それでも資本が豊かである故に、わたくしという人間は金と自由を持て余す財閥の箱入り娘だと妬みの視線を向けられて、身に覚えの無い恨みで命を狙われ続けるこの毎日と、そんな日々を唯一忘れることができる遊楽さえもわたくしには許されないというのですか!?」
「お嬢様、どうか興奮なさらず——」
「これも全て、わたくしがメデューズ財閥宗家の令嬢であるからなんでしょうか!? 望んだわけでもなく、富裕層の娘として生まれただけのわたくしがいけないのでしょうか!? わたくしはこんな、他人の理想に応えるだけの人生なんて望んでおりません!! わたくしはもっと、普通に過ごしたかっただけなんですッ!!」
振り切るようにして女性陣の下へと駆け出したニュアージュ。これにキャシャラトが「お嬢様!!」と呼び止めたものだが、彼女はそれを振り切ってラミア達の輪に混ざっていったのだ。
取り敢えず慰められるニュアージュ。その光景を見遣るキャシャラトは、頭を掻きながらも複雑な心境を表す渋い表情を見せていたものだった。
バスに乗って龍明を出た一同は、ラミア、レイラン、菜子、ニュアージュに加えて、ミントというメンツで女子会を行っていく。そんな彼女らを見守るように自分とキャシャラトが同行し、到着した平坦の、妖精が飛び回っていそうな西洋の華やかな町の中を、一同は歩き回っていく。
ちょうど祭りが開催される期間を狙ったお出掛け。集った人々が波を形成する光景が展開される町の中、クレープを片手に女子メンツがあちこちと屋台を見ていく傍で、自分はキャシャラトと世間話をしながらその時間を過ごしたものだった。
……往来の中でも、際立って存在感を放っていたニュアージュという娘。彼女が身に纏う豪勢な服装は祭り以上にひと目を引いていき、そんな女性陣に対して怪しい素振りを見せていった連中には、音も無く出現したキャシャラトによって静かなる制裁を加えられていく。
自分の真横にいると思ったら、キャシャラトは瞬時に対象への移動を終えている瞬間的な行動。その原理を問いただしても、「陰ながらお支えする義務を遂行するだけの能力でございます」と軽く流されることから、瞬間移動にも異能力が関わっているんだろうなぁという謎だけを抱えて、自分は屋台で買った焼きそばをただ啜っていたものだった。
龍明に帰る時間が近付いてきた。夕方に差し掛かるだろうその時刻の、町中の川沿い。幅の広い川が透明感と共に海と合流する光景と、その海を一望できる高台の、その柵に寄り掛かっていたミントの下へ、自分とキャシャラトは歩み寄っていく。
海をバックに、彼女の銀髪がしゃらんらと輝いている。出会った当時から不可思議なツヤを持つ彼女の近くへと自分らは接近していくと、次にも気配を察知したのか、こちらへ振り返ることなくミントは独り言のように喋り出した。
「カノジョが抱え込む孤独の苦しみは、ボクなんかに理解できるワケがないのさ。けどね、何となく共感はしてしまえるんだ。——夢見た普通の生活を心の底から望む、生まれてしまった以上すでに叶う事が無いカノジョの渇望に対してね」
語るように喋るミント。彼女はそのままこちらへと振り返ってくると、胸に手を当て、凛とした声音でそう続けてくる。
「神様というものは実に残酷でね、この世に生まれ落ちた以上は、我々はやり直しというわがままを許してはくれない宿命にあるんだ。この宿命に囚われた生物は、たった一度切りの行き当たりばったりな一本道を辿ることになってしまう。——全く、巻き戻しができない世界の中で、ただただ過ぎ行く時間に焦らされながらトライアルアンドエラーを行わなければならない宿命にあるなんて、本当にこの世界を創り出した神様は意地悪でさ、本当に、その存在が迷惑極まりないよ」
活発的で軽快な声音の裏に、ドスを利かせた調子でそう喋るミント。彼女の立ち姿もまた爽やかでありながらも、隠しきれない無機質な存在感がミントという人物の不可解さを醸し出していく。
そんな目の前の存在に、自分は勇気を振り絞ってそれを問い掛けることにした——
「なぁミント。いや……ビアルド。あんたが姿を変えたあの日からずっと疑問に思っていたことなんだけど、どうしてあんたは超越者でありながら、俺達の日常に馴染もうとしてくるんだ……?」
自分の問いに対して、ミントは首を傾げていく。
「超越者だから、キミ達の輪に入っちゃいけないっていう決まりはないだろう?」
「まぁ、そうではあるけれど……」
「いや、今のは意地悪だったね。すまない。カッシーがボクに訊ね掛けたいのは、つまりこういうことだろう? ——どうして、ボクという存在がキミ達のコミュニティに干渉してくるのか?」
そういうこと。自分は無言で頷いて、これにミントはうろうろしながら語るように答えていく。
「憧れていたんだ。人としての暮らし、というものに。ボク自身、生まれた時から超能力を持つスーパー人間でね、そのあまりにも卓越した能力を前に、人は皆、ボクという存在を極度に恐れて、排除しようとした。——当たり前だろうね。だって……あらゆる衝撃を吸収する“バリアを生み出す超能力”は時として武器に変貌し、こうして“外見を変化させる超能力”は、まさに変幻自在の立派な魔術とも例えられるだろうからね」
両腕を広げたその瞬間、瞬きも忘れるこの視界に姿を現した“もう一人の自分”——
目の前に、柏島歓喜が存在していた。彼は両腕を広げながら得意げな表情を見せていて、声も出せないまま驚くこちらのサマを面白おかしく眺めていたものだ。
すぐにして、目の前の自分はミントという活発的な彼女へと変化していく。
「方向性は違えども、カノジョと同様にボクもまた、“普通”を許されなかった人間の一人なのさ。——優れた超能力を持つ、友達がいない孤独の魔術師。どんなに素晴らしい力を持ち合わせていたとしても、その力は脅威と見なされて悉く追い払われた」
身を乗り出すようにして、手を差し伸べる動作。その先にはキャシャラトが存在していて、今も自身を警戒してくる彼を試すかのように、ミントはそう続けてきた。
「本音を言うとね、寂しかったんだ。ボクはずっと独りだった。菜子も言っていたね。こういうコト初めてなんだ、って。ボクもそうさ。年頃の近いお友達とお出掛けする楽しさを、今日、初めて体験することができたんだ。……すごく楽しかったよ。もしもキミ達が許してくれるのであるならば、ボクはまた、カノジョらと過ごす時間を共にしていきたい。——いや、むしろボクは、“キミ達のようになるために”、超越者として活動しているんだよ」
「…………」
沈黙を貫くキャシャラト。これにミントはフッと笑みを見せていくと、伸ばしていた手を戻して腰の後ろへ回していき、そこで手を繋いで可憐に佇んでいきながら、彼女は海風に銀髪を揺らしつつそれを口にしていったのだ。
「……少し、話しすぎてしまったようだね。たいへん名残惜しいものだけれども、ボクはこれで失礼するとするよ。また気が向いたらキミ達の前に姿を見せると思うから、その時はどうか、ミント・ティーとして“普通”に接してくれると嬉しいな!」
ニッと笑みを見せたミント。そして次にも瞬間的に姿を変えていくと、彼女は少女となった小さな背丈で、呑み込まれそうな深くて大きい瞳を向けながら、無感情かつ無機質なサマでその一言を伝えてきた。
「じゃあね」
——フッ。行方をくらましたその存在。これに自分は隣へ視線を投げ掛けるとそこには、消えた少女の跡形も無いその空間を名残のように眺めるキャシャラトが、ただ寡黙のままに佇んでいたものだった。