第5話 ギルドファイト制度
小鳥のさえずりで目を覚ます朝。寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こしていくと、そこに広がっていた光景は木製の個室というもの。
一人で暮らすには、十分な空間だった。そこには、簡易的に用意されたベッドや机、クローゼットという一式が揃えられており、部屋の隅も含めて一切と埃が積もっていない。
……全部、“彼女”が整えてくれたものだった。ギルドマスターの命令だからと渋々な表情で用意してくれたこの環境に、自分は感謝を述べながら眠りについたこの数時間。そして迎えた朝に気合いを入れ直し、紺色のアウターに白色のシャツ、黒色のパンツに焦げ茶の靴という一式で四角い一軒家から出ていくと、自分は真っ直ぐと、指定された二階建ての建物へと向かった。
「おはようございます」
一階がガレージになっている、とある事務所。外付けの階段で二階に上がって、扉を開けて中に入る。
扉を開いた先では、茶色をベースとしたクラシックな内装の事務室がお出迎えしてくれた。並ぶ本棚に詰め込まれた大量の本や資料に、背の低いテーブルや来客用のソファ。他、キッチンや洗面所に続く扉なんかも見受けられるこの空間の奥に、事務机で仕事を行っていたのだろう“彼女”がイスに腰を掛けている。
こちらの挨拶に対して、沈黙で答える彼女。イスから立ち上がってこちらへ歩み寄るその途中では、どこからか取り出した電子タバコを咥えて悠々としたサマを見せてきた。
「
「そうです。よろしくお願いします……」
「“ユノ・エクレール”よ。よろしく、
口から吐いた煙さえも、アクセントとしてしまうその佇まい。そんな彼女はユノ・エクレールと名乗り、冷たくも光を持つ黒色の瞳でそのセリフを投げ掛ける。
「気分はどう? 何か思い出したかしら?」
「いえ、何も思い出せないままです……」
「そう」
自分から聞いておいて、割とどうでもよさそうな返答。分かり切っていた、とも言える反応でユノは部屋の中を歩き、そうセリフを続けてくる。
「私はちょうど、助手を探していたところなの。だから、貴方が来てくれたことは私にとっても都合が良かったわ。——尤も、若い女の子じゃなかったのが唯一の不満だけれども」
「あの、ごめんなさい……」
「貴方が謝ることじゃないわ。それよりも、さっそく助手として働いてもらうから」
電子タバコを吸い、口から煙をゆっくり吐いていくユノ。そのまま振り返ってこちらを見据えながら、部屋の中を歩きつつそれを喋り出した。
「やることは既に山積みよ。主に部屋の片付けと朝食の準備、それに買い出しや洗濯をしてもらってから、夕食の献立を立ててもらう。そうね……今日は肉が食べたいわ。それも、とびっきり辛いやつ。肉料理をメインにした五人前の献立を、貴方に用意してもらおうかしら」
「は、はぁ……。——え? あの、献立……ですか?」
耳を疑った。確認のために聞き返していくと、ユノは表情ひとつ変えずに振り向いてくる。
「そうよ。何か問題でもある? まさか、料理ができないとか言わないわよね?」
「いえ、料理とか以前に、これ……助手としての仕事ではなく、どちらかと言いますと、家政夫のお仕事ですよね……?」
「?」
まさかの、お互いのハテナマークがぶつかり合う。
何というか、どこか話しづらいペースを持つ人物だった。ユノも本気で疑問に思う顔を見せてくるものだったから、自分は「分かりました、やれるだけやってみます……」と答えるしかなかったものだ……。
ユノさんが求めていた人材ってもしかして、探偵の業務をお手伝いしてもらう助手ではなかったのでは……?
「それでは、まずは朝食の準備から行います。何を作るか考えますので、冷蔵庫を拝見しますね——」
「その前に一つ、貴方にしてもらいたいことがあるの」
キッチンへ向かおうとしたところで、ユノに呼び止められた。
事務机のイスに座る彼女。そこでファイルを手に取りながらセリフを続けてくる。
「貴方にはまず、“この町”に馴染んでもらう必要があるわ。これは私の独断による命令ではなく、ギルドマスターからの指示によるものよ」
「ギルドマスター……ネロさんからの?」
「これ、取りに来てちょうだい」
彼女に言われるまま、自分は事務机へと向かってファイルを手渡される。
「この町の案内図よ。貴方にはまず、この町に馴染んでもらうための挨拶回りをしてもらうわ」
「挨拶回り、ですか」
「ギルドタウンは、すぐに噂が広がるわ。既に貴方という存在は全員の耳に行き渡っているでしょうから、まずは町の人々に顔を出しにいきなさい。——こういうものは、最初が肝心だから。っていう、ネロさんからの貴方宛ての指令」
町の案内図を眺める自分。
傾斜に築かれたその見取り図は、海に面する形で人々の住む町が形成されている。案内図の上に行けば行くほど崖上になり、単純に高度が上がっていく様子がうかがえた。
「あの、マップに“
「このギルドタウンの名前よ。——
「それ……観光名所としてどうなんでしょうか……?」
「お手伝いを生業としている団体ですもの。人助けで十分に商売が成り立っている以上、観光地としての需要はそれほど必要ではないということね。——とはいえ、この町の景観は、現地の人間でさえ見惚れるほどのもの。他のギルドタウンが町の個性で勝負していくその中で、ここ龍明は、他にはないシンプルさを売りにしているわ」
「それが、ギルドタウンとしての利益に繋がっているんですね。なんともまぁ、奥深い……」
「いいから早く、挨拶回りを済ませてきなさい。戻り次第、助手としての業務にあたってもらうから」
ちょっとうんざりな顔を見せてきたユノ。これには「い、急いで行ってきます!」と答えるしかなく、自分は慌てて探偵事務所を飛び出した。
外に出て、自分の出てきた建物へと視線を投げ掛ける。
二階部分の壁に張り出されていた、『龍明探偵事務所』という大きな看板。なるほど、ここが龍明という名前の町だからか……なんという感想を抱いていきながら、自分は町の案内図を参考にして、挨拶回りへと励んでいった——
ギルドタウン龍明には、いろんな施設が用意されていた。
喫茶店を始めとして、雑貨屋や武器屋、定食屋に銭湯から、宿屋や港といった様々な形式の建物。町の上に上れば上るほど、このギルドタウンを拠点とする何でも屋の宿舎が建ち並ぶその光景。
海から流れてきた潮風を浴びる道のり。朝日が撫で掛けるよう自分を照らしてくる中、道行く町の人間に声を掛けられたりなどして、着実と挨拶回りを済ませていく。
町の菓子屋に顔を出した時になんかは、焼き立てのクッキーを頂いたりもした。これにお礼を述べつつクッキーを頬張り、心地良い風を受けながら、口の中に広がる龍明の優しさを噛みしめつつ歩を進めるこの時間……。
……圧倒されるほどの充実感。出会う人々は皆優しく、心から包まれるような温もりを実感する。そんな龍明という町が身に染み渡る感覚を覚えたことにより、自分は想定よりもだいぶ早い時間で、挨拶回りを終えることができたものだった。
ラミアやレイラン、アレウスといった、何でも屋の人間とはあまり挨拶ができなかった。しかし、施設を運営する人々とはほぼ顔を合わせたことから、自分は一度、探偵事務所に戻ることを決めていく。
挨拶回りの余韻に浸り、町の景観を眺めながら坂を下るその最中のことだった。
……下る度に段々と大きくなる、二人の少女の声。そのどちらもが荒げたように言葉を浴びせ合っていたことから、自分は帰り道から逸れる形でそちらに向かっていく。
聞き覚えのある声だったからこそ、気になって顔を出してしまったのかもしれない。次にも道端で目にしたのは、いがみ合っていたラミアとレイランの姿だった——
「どうして勝手に受け取りを拒否したんですか!? せっかくご厚意で弾んでくださった多額の追加報酬を、レイランさんの独断で全額拒否してしまうだなんて、とても信じられません!!」
「そりゃあ、みんなに相談しなかった私が悪かったのはそうだけど……! でも、依頼主から提示されていた金額が、追加報酬の上限金額を遥かに超えていたんだもん! あれを受け取っていたら今頃、規約違反で問題になっていたのかもしれないんだよ……!?」
「じゃあ上限ギリギリの金額で妥協するよう説得すればいいじゃないですか!!」
「したよッ!! したけど、どうしてもこの金額で支払いたいって、依頼主が頑なに意見を曲げなかったの! だからあの場面、追加報酬は受け取れませんってキッパリ断るしかなかったんだって!!」
「だからって独断で全額断わることはナイんじゃないですか!? ウチらの働きは完全に、事前に提示された報酬金以上の労働を強いられておりました!! つまり、ウチらには追加の報酬金を請求できるだけの立場にあったんです!! ——このことをギルドマスターに相談していたらきっと、追加の報酬金の受け取りを認めてくれたでしょうね!! それなのに、働きの半分以下の報酬金で勝手に手を打って。レイランさんのせいで、ウチらは完全に損したんですよ!?」
「どんなに働かされていたとしても、事前に提示されていた条件を遥かに超える過剰な追加報酬は、その時点で受け取ったら規約違反に引っ掛かるんだよ! そんなことくらい、ラミアでも知ってるでしょ! 下手すれば
「私達って言ってますけど、それはレイランさん個人の判断によるものでしょう!? ウチは、そうは思いませんけどね!!」
「ラミアは、お金に目がくらみすぎ! 規約違反のお金も気にせず受け取ろうとするその考えは、絶対にやめておいた方がいいって!!」
……町中に響き渡るほどの、激しい言い争い。
本気の喧嘩とも言える二人の争いを目撃して、自分は仲裁に入るべく一歩、踏み出した。
——その時だった。
「よーぅ、カンキちゃん。ちょっと待ちな」
「……ネロさん」
ネィロ・リベレスト。ギルドタウン龍明のギルドマスター兼町長である彼が、こちらの肩に手を置いて静止してきた。
彼の後ろからは、アレウスが歩いてくる。どうやら、アレウスが助けを呼びに行ったらしい。
そんなネィロは、こちらを静止するなりラミアとレイランの下へ歩を進めていく。
「ラミアちゃんと、レイランちゃん。おはようさん。オレちゃん、二人のことが気になって飛んできちゃった」
ネィロに気付いた二人は、言い合いを止めて彼へと向いてくる。
そして、先ほどの言い合いの内容を、ネィロへと説明していった。
「なるほどねぇ……。報酬金以上の働きをしたから、弾んでくれた追加の報酬が欲しかったラミアちゃんと、その追加報酬が規約違反に引っ掛かっていたから、違反にならないよう気を利かせて断ったレイランちゃん、か」
「相談もナシに、無断に、断った、です。ギルドマスター」
「ちょっと! そんな言い方は無いでしょ! 私はただ、皆が違反にならないようにって思って……!」
すぐに、ネィロが「ストーップ」と両手で静止させる。
「ラミアちゃんの意見も、レイランちゃんの意見も、オレちゃんにはよーく分かる。そんでいて、ラミアちゃんがお金を稼ぎたがっていることも、レイランちゃんが皆を気にしてくれていることも、オレちゃんはきちんと把握しているもんさ。だから、双方の意見は、よく分かるんだが……お二人さんはどーしても、お互いの意見に納得いかないんだろう?」
「当たり前です。これ以上レイランさんに勝手な真似をされたら、ウチの利益に影響しかねませんから」
「よく堂々と規約違反しようとするよね、ラミアは。私は、ラミアが規約違反しないようにって思っていただけなんだけど?」
すぐにも「ストーップ」と止めていくネィロ。これにラミアもレイランも口を閉ざしていくと、次にもネィロは、そのセリフを口にしてきたのだ——
「どちらの言い分もオレちゃん理解できちゃうんだよね。だからこそ、ニンゲン、どーしても折り合いがつかない部分があることも、分かってんのよ。——そこでだ。この二人の意見、“ギルドファイト制度”で決着をつけるのはどうかな?」
……“ギルドファイト制度”?
聞き慣れない単語を耳にしたことで、自分は首を傾げていく。これを見たアレウスは自分を呼ぶと、いつもの口パクで、そう説明してくれたのだ。
「…………!」
“ギルドファイト制度”は、ギルドタウンの、何でも屋が、『他の何でも屋に、勝負を挑める』、制度。原則として、何でも屋は、あらゆる私闘を、禁じられている。しかし、ギルドファイト制度は、ギルドタウンが公認した上で、私闘を許可する、制度……。
「それじゃあ、そのギルドファイト制度に則って、ラミアとレイランは戦うことになるの……?」
「…………!」
実力行使の私闘も、禁止はされていないが、周囲には、良い印象を、与えない。そこで、主な競い方として、『対象のギルドタウンへの貢献度』で、勝敗が決められる場合が、ほとんど……。
「つまり……ラミアとレイランはこれから、如何に龍明に貢献したかを競い合う……?」
「…………!」
貢献の、仕方は、人それぞれ。ギルドタウンの施設のお手伝いから、外部の依頼の達成まで、形式は様々。どのお手伝いが、どのくらいのポイントになる、という計測の方法が、世界共通で定められていて、龍明に限らず、全てのギルドタウンが、その方法に則って、ギルドファイト制度で私闘を行う……。
アレウスの説明が終わると共にして、二人から話を聞いていたネィロは大きく頷きながら宣言した。
「二人の同意を、ギルドマスターであるオレちゃんが直々に確認した。——よって! 今この瞬間にも! ラミア・エンプーサとレイラン・シェフナーによる、ギルドファイト制度に則った私闘を許可する!! 話し合いの末、この私闘に負けた敗者は、今回の勝者の意見を認め、今後、勝者側の意見を聞き入れることを条件とする! さ、既に私闘は開始されているぞ? ライバルに勝利するためにも、各々、この龍明に多大な貢献を捧げてみせろ!!」
随分とノリノリなネィロの号令と共にして、ラミアとレイランは睨み合ってからそれぞれ駆け出していく。
この様子は、周囲に集まっていた町の人々にも見送られていた。それだけ、ギルドファイト制度というものは、世間に馴染んでいるものらしい。
……町に公認された私闘。その勝敗を町の貢献度で競う戦いが開始されたことによって、龍明で過ごす一日目から、とんだ波瀾の立会人となってしまったものだった。