朝の龍明。町の広場の、崖から飛び出した出っ張り。噴水が憩いの場としての空間を保つ中で、ベンチに座って景色を眺め遣るレイランの背中を発見した。
……放心に近い、呆然とした顔と視線。どことない途方を眺めて、何かを考えているのか、何も考えていないのか、巡らせる思考を感じ取らせないボーッとしたその様子。
配達用の、黒色のショルダーバッグを提げていた自分。今も配り物の途中だった仕事から寄り道して、自分はレイランの下へと歩み寄った。
「おはよう、レイラン」
…………。返事が無い。
空? 雲? 海? 港? 何を眺めているのかも分からないその目を見ながら、自分はもう一度、声を掛けてみる。
「レイラン?」
「ぇ。——あ、あぁ! カンキ君。やっほ! 私に何か用?」
「レイランが良ければ、隣に座っていいかな」
「あぁ、うん。いいよ!」
作った笑顔でレイランは喋り、自分が座るための空間をつくるべく横へ退いていくレイラン。と、レイランがベンチの端へと移動した、その時だった。
バキッ!! 突如とベンチの足が折れる音が鳴り響く。
同時にして、傾いたベンチでレイランは地面に転がり落ちてしまった。これに自分は「大丈夫!?」と声を投げ掛けると、彼女は笑いながらそう返答してくる。
「あっははは……! ヤだなーもー。私、最高にカッコ悪いねー……!」
レイランへと伸ばした手。これをレイランは手に取って起き上がり、壊れたベンチを眺めながらそんなセリフを続けてくる——
「……でも、私で良かったのかも。もしもさ、これがお年寄りの人だったら大怪我していたかもしれないし、観光客のお子様とかだったら町にクレームが入ってたかも。——そう考えると、災難に遭ったのが私で良かったなー。本当に」
……暫しとベンチを眺め、レイランは佇んでいく。
だが、彼女の目は、それが本心からの言葉ではないことを物語っていた——
「ねぇカンキ君。私、またドジしたのかな……」
「ドジ? ……いや、これはドジというよりは不運だった——」
「ごめん、違うの。……ラミアとのギルドファイトのこと」
出かけた言葉を呑み込んでいく。これに自分は掛けるべき言葉を探していくと、レイランはふと顔を上げてはこちらが提げているバッグを見て、そうセリフを続けてきた。
「……今日も探偵事務所のお手伝い? 今日一日さ、カンキ君についていってもいいかな?」
「俺はかまわないよ。誰かが居てくれた方が、俺も気が楽でいいな。……でも、レイランの方こそ、お仕事とかは?」
「私、今日はお休みとってあるから。ギルドファイトの振替休日。だから、カンキ君が断ろうとも勝手についていくつもりなんで、そこんところ、よろしく」
「レイランこそ、せっかくの休日なんだから無理せずに。休みたくなったらいつでも言って」
「大丈夫だって! ヘトヘトになっても、“これ”に乗って移動できるから心配ご無用!」
身に付けている、黒色のポンチョ。それがひとりでにヒラヒラと蠢いたことで、自分は「魔法の絨毯かな……?」という返答をしながら、レイランと二人で歩き出していった。
この日は、会話の絶えない一日を過ごしたものだった。レイランとしても、気晴らしのつもりでついてきたことが想像ついたため、途切れることのない話題の応酬で、気分転換になったかもしれない。
町中のお店を回って仕事をこなしていき、昼には海鮮丼を食べてレイランと味見し合っていく。そうして充実感ある時間を過ごしつつ買い出しも手伝ってもらい、外での活動を終えたことで、彼女と共に探偵事務所へと戻った時のことだった————
外付けの階段で二階へと上がり、事務所の扉を開けてレイランと中に入っていく。
「カンキです。ただいま戻りましたー」
「カンキ君についてきたレイランでーす。お邪魔しまーす」
少しだけ、元気が戻ってきたのだろうか。明るくなったレイランの声に自分は安堵しながらも、手に提げた紙袋を擦り合わせながら事務所へと入る。
と、事務所の奥では、窓から景色を眺めながらスマートフォンで会話を行うユノの姿が見受けられた……。
「えぇ、分かったわ。連絡ありがとう。——それじゃあ、また」
通話を終えたのだろう、手に持つ端末を事務机に置きながらこちらを迎える彼女。
「
「あー……これはどうも、すみません……」
彼女がまとうクールビューティな風格は、時として耐え難いほどのプレッシャーとなって圧し掛かってくる。
コツコツとブーツの音を鳴らして歩いてくるユノ。目だけで責め立ててくる威圧感に自分は冷や汗を流し、ただただ視線を逸らしてしまうばかり。
……だが、その足が向かう先は、想定していたほどの一直線を描くことはなかった。
隣へ逸れる軌道。そして、荷物運びを手伝ってくれていたレイランへと立ちはだかり、彼女へと手を伸ばしたユノはそのまま——
「——いらっしゃい。ようこそ、私の探偵事務所へ」
レイランの頬に添えた手。流れる手つきで少女の顎を摘まむようにしていくと、次にも、クィッ、とレイランの顔を上げていく。
「歓迎したい気持ちは山々なのだけれども、まずはお礼をしなければならないようね。……先日の一件から、疲労が癒えていないでしょうに、わざわざ私の助手くんのお手伝いまでしてくれて、本当にありがとう。心からの感謝を貴女へ捧げる許可を、私にくれないかしら——?」
「ぇ、ぅえ、ぇぇえ……?!」
困惑するレイラン。そして顔が近い!
思わずと唖然してしまう自分。これにユノは、現実に戻されるようこちらを見遣ってくると、まるで繊細な芸術品を扱うかのようにレイランの背に触れながら、ユノはそれを口にしてくる。
「
ネィロとの会話の時もそうだったように、自分のような男性との会話になると、途端に冷淡な態度を見せてくるユノ。これには、レイランの方から訂正が入ってくる。
「ち、違う違う! 私が! 私が勝手にカンキ君についていっただけだから!」
「なら、
どちらにせよ、感謝を求められる……!
いや、感謝してるのは確かだけど! という内心の返答。それを言葉として表に出そうとしたものだが、直後にも事務机へと向かって歩き出したユノの動作を見送る意識で、このセリフが喉に引っ掛かっていく。
と感じている最中にも、ユノは電子タバコを吸い始めた。
「……何というか、自由な人だなぁ」
ボソッ。ふと呟いた自分のセリフ。
「
「え、あハイ!! すみませんごめんなさい!!」
「至急、急ぎの用事が入ったわ。翌朝、早朝にも龍明を発つから、それまでに準備を済ませておきなさい。いいわね?」
「あハイ!! ……あ、ハイ……?」
突然とぶつけられた仕事の話。思いもよらず、聞き返すような声を出してしまった自分に対して、ユノは事務机から何かを取り出して、真っ直ぐとこちらへ向かってくる——
——その軌道も、目の前で隣のレイランへと逸れていく。
「こんな、その場しのぎの些細なお礼しかできなくて、ごめんなさい。それでも、貴女への感謝の気持ちは本物なの。——今度、それを証明してみせるわ。次の休日はいつかしら? もし予定が合い次第、私から貴女へ、至福の一時をプレゼントすると約束する。絶対にね」
甘美な声音。美貌を武器にする彼女。口説きと何ら代わりの無い雰囲気を醸し出しつつも、レイランの手に一個の饅頭を手渡していくユノの様子。
……自分、この人のことが分からないよ……。
もはやお手上げと言わんばかりの思考放棄。今も目の前では甘いマスクで場を掌握するユノが口説き続け、そんな彼女にただただ困惑するレイランという光景が、もうしばらく展開されていたものだ————
【1章1節:タンポポを守る良心 ~END~】
【1章2節:Seeking a reunion】に続く…………。