女騎士は巡る   作:いんの

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第10話 誰もが弱い

 どちらが先に仕掛けたか、そんな事は今となっては分からない。

 いやもし分かったとしても、意味なんてまるで無いのだろう。目の前に広がっている、この惨状を前にしては。

 

 その黒き狼人は戦った。皆を人間から守る為に、生き延びる為に、長い年月を懸命に懸命に戦い抜いた。いつかは何処かに逃げ切れると、そう信じて。

 

 その結果がこれだ。

 人間共によって壊された、人ならざる者たちの焼死体、溺死体、轢死体、切断死体。狼人が無駄なく返り討ちにした、人間たちの美しい死体。物言わぬ肉となったそれらから流れ出る、赤、青、黄色、緑、その他色とりどりな血液の湖。

 

 唯一無二、狼人だけがその場に生きて立っていた。無残な姿となった我が子を抱えながら、あらゆる部位が抉り出された妻の亡骸と相対しながら。

 

 涙は流れなかった。そんなものは、未だ治まる事の無い猛火に阻まれていた。

 一体誰がやったのか、ただそれが知りたかった。

 

 妻と子が殺される瞬間を確かに見たが、下手人の顔もその後の事も、もう覚えていなかった。気が付けば、周囲の人間共を皆殺しにしていた。

 ではこの死体の中に、殺した張本人がいるのだろうか。それとも、どさくさに紛れて逃げ果せたのか。

 もし仮にそいつが逃げ果せたのなら、もっと多くの人間を殺さねばなるまい。いや、一人残らず全ての人間を殺さねばなるまい。その中に、逃げた主犯が紛れているかもしれないのだから。殺し損ねた可能性が、僅かでも残っているのだから。

 別に良いだろう、何人殺したって。逃げたか死んだかも分からないその下手人と、同じ種族であるのが悪い。つい先程まで凶行を繰り広げていた、この骸共と同じなのが悪い。

 そして全員殺したら、自分も死のう。もうこの世界に未練も無ければ、生きる理由も無い。

 そこまでしなければ、この憎悪は止められない。

 

 そんな禍々しい決意をする直前、狼人はふと視線を落とした。

 何故かは分からない。それは自分の意思というよりかは、もっと本能的で、それでいて外なる力に引っ張られる様な感覚でもあった。その冷たい現実から目を離すな、とばかりに。

 

 視線の先には、未だ自身が優しく抱えている、変わり果てた我が子があった。もう息を吹き返す事も、抱き上げる意味すらも無い、冷え切った我が子が。

 それでも尚、血に染まった戦士の腕は、小さき亡骸を離さなかった。離せなかった。剣を握ろうともせず。

 苦痛に歪んだ、見るに堪えない我が子の顔。だのに黒き狼人は、どうしてもその目を逸らせなかった。逸らして代わりの誰かを殺せば、楽になる筈なのに。

 その帰結として、狼人の心を冷たい何かが満たしていった。

 

 煮え滾っていた復讐心は、今や凍り付く様な悲しみに飲み込まれていた。

 憎悪は、その冷たい悲しみとの同居を許していた。

 

―――ゴメンな

 

 妻と我が子の亡骸と向き合い、短くも悲痛なる謝罪の言葉を零すと、漸く狼人は涙を一滴零した。その一滴が決壊の起点となったのか、涙はそのまま川となった。

 

 怒りに身を任せた狂戦士は、最早そこには居なかった。

 居るのは、大切なものを守り抜けなかったという事実に、ただ嘆き悲しんでいる黒狼だけだった。

 

 それは或いは、妻と子が最期に残した、黒狼への救いの手だったのかもしれない。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 遅すぎる救出を受け、飛龍にてギヤ大陸へと渡った黒狼は、浜辺近くの村で偉そうな蛙男と相対していた。

 

「貴様…人間が憎くはないのか?ええ?」

 

 後に頭領と呼ばれるその小太りな蛙は、自慢の話術で説き伏せられない黒狼を前にして、歯軋りを隠せなかった。

 

「憎いさ、ティラント人は特にな。だがな、アンタら何か勘違いしちゃいねぇか」

 

 黒狼は蛙と、復讐に取り憑かれた周囲の者たちを見回しながら、冷たく言い放った。

 

「家族だろうと親友だろうと、死んだらそれで終いだ。何をしたところでそれは変わらねぇ。だったら誰かを傷付けるより、死んだそいつと向き合う方が、よっぽど有意義だとオレは思うがね」

 

 数秒の沈黙の後、周囲から湧いたのは黒狼への罵声であった。

 やれ臆病者だの、革命を恐れる腰抜けだの、先の事を全く考えていないだの、人間の悍ましさをまるで解っていないだの、それはもう散々に言われた。

 

 確かに、黒狼と同じく大切な者を奪われた彼等には、そう言い放つ資格があるのかもしれない。

 だがそんな言葉を受けても、黒狼の意志が揺らぐ事は無く、周りを見る目はどこまでも哀れみに満ちていた。

 

 

 そして黒狼『モース』は一人、別の道を歩んだ。

 自身の中から復讐心を消し去ってくれた、大きすぎる悲しみを胸に秘めながら。

 

 だがそれで良かった。

 その悲しみは、妻子と過ごしてきた確かな証でもあるのだから。

 

 

 


 

 

 

 こんな夜に、時々こうして剣身を引き抜くと、そんな過去が鮮明に蘇る。まるで追体験でもしてるかの様に。

 刃。鏡よりも怪しく光るソレが、モースは忌々しかった。ただ喪失と悲しみばかりを、際限無く増やしていくから。

 自分が悲しいのはいい。だが他者の悲しみは、モースだって容認出来るものではない。

 

 その度に自覚させられるのは、自身の脆弱さであった。普段の豪傑さなど、長として必要な仮面に過ぎない。

 その弱さこそが、厄災からこの行商団を遠ざけ、少しでも最善へと導く選択を生んでいるのも事実だった。誇らしいと思った事は、モース自身今まで一度も無いのだが。

 

 ただモースは、隠しているつもりも無かった。

 この行商団こそ、妻子を失ってからこれまでにおける、モースの結晶体なのだ。第二の生涯そのもの、と言い切ったっていい。

 故に、己の弱さでそんな団を救えるならそれはそれで別に良かった。

 

 モースは違うのだ。復讐という暴力で弱さを誤魔化している、嘗て袂を分かった頭領たちとは。

 

 

「ヤッホー団長」

 

 勝手に入口を捲ってはズカズカと踏み入ってきたイゼラにより、折角のセンチメンタルな空気が台無しになる。それは果たして、今のモースにとって吉か凶か。

 

「何だ我儘姫。何と言おうと、今更オレの方針は変わんねぇぞ」

 

 鞘に剣を戻したモースが冷たくそう言うが、イゼラに反抗の意思は見られなかった。寧ろ彼女にしては珍しく、塩らしさすら感じる。

 

「…さっきは言い過ぎた、ゴメン。団を守る為に必要なんでしょ?」

 

 別にモースも気にしてはいなかった。自身が冷徹な判断を下した事くらい分かっているし、いずれ言われるとは思っていた。

 それに近しい言葉を返そうとした所で、イゼラが続けた。

 

「それと、団の非戦闘員を一時避難させるって話だけど…アタシ、パパと一緒に残るから」

「駄目だ、危険過ぎる」

 

 ほぼ反射的に、モースはイゼラの提案を切り捨ててしまった。却下した直後、遅れてモースが驚愕する程に。

 当然だろう。敵の頭領の本命がハーピーである事は、団全員が承知している。だからこそ、敢えてバイゼルだけを残すのがモースの作戦だ。

 つまりもしこの場に残れば、場合によってはイゼラが真っ先に狙われる可能性すらある。それを、父であるバイゼルが許す筈ない。

 

「もしアタシが皆と一緒に避難したら、敵の分隊が追ってくるかもしんないでしょ?どうせ連中、メムシいっぱい持ってるだろうし。そしたら尚のこと皆が危ない。けどアタシだけ別方向に避難させたら、それはそれでパパも猛反対する。だったら残って、アンタの作戦通り動いた方がマシ」

 

 先の剣幕が嘘の様な、冷静で合理的な考えだった。

 今回、賊軍の標的は頭領と軍全体とで異なっている。頭領個人の本命がハーピー、軍全体の建前が人間だ。だが確かにあの蛙野郎なら、臨機応変な話術で別の理由を組み立て、軍全体にハーピーを優先させても不思議ではない。

 

 あの猛抗議から、どんな心境の変化があったのだろうか。

 モースもそんなイゼラの変貌ぶりに触れたい所だが、未だ色々と問題点があるのでその部分に突っ込みを入れる。

 

「あの騎士見習いを大事に思うんなら、尚更お前は戦いから離れるべきじゃねぇか?連中がお前を人質に取る事も有り得る。第一父親はどう説得する?」

「アタシが此処から離れれば、カイナだってますます心配するでしょ。そうなったらきっと戦いに集中できない。けどアタシがパパと一緒に居れば、カイナだって安心する。パパはアタシがボコボコにしてでも説得する…これでいい?」

 

 梃子でも動きそうにない、強い目だった。言葉として聞くまでもなく、危険は重々承知であるとその目は語っていた。

 

 イゼラは戦える訳でも、何か特殊な能力を持っている訳でもない。持っているとすれば、精々軽い治癒魔法くらいか。

 それでも間違い無く、自分なんかよりもずっと強いと、モースは思った。

 それはきっと、彼女の根本にある原動力が「悲しみでない何か」だからだ。嘗てイゼラ自身も味わった、仲間の喪失ではないからだ。それが何なのかは上手く言い表せないが、もっと温かく、もっと前向きなものなのだろう。

 或いは、よりはっきりと高い次元に、研ぎ澄まされたのかもしれない。ここ最近の出来事により。

 

 本音を言うと、モースは戦いたくなかった。暴力を避けたかった。極力殺さないというのも、そう言った私情が僅かに交じっている。元凶たる蛙だけは別だが。

 殴られれば殴り返す、斬られれば斬り返す。理性そっちのけで憎悪ばかりが連鎖していくから、戦争とは度し難い。

 戦い抜いても、何も残らなかった。そんな嘗ての実体験が、モースを苦しめる。茨が手足を絡め取るが如く。

 やはり大人しく逃げた方が良かったのではないか。静かな夜にふとそう考える事も、少なくなかった。

 戦っても、戦わずにこの厳しい世界を彷徨っても、どちらにしろ団を危険に晒す。ならやはり、目の前の争いを避けるべきだったのではないか。

 

 だが、目の前の強い少女を見ていると、そんな迷いが薄れゆく。自身の判断は間違いではなかったと、少しでも胸を張れる。

 あの戦いの日々が、無意味ではなかったと言い切れる。そんな気がした。

 

 故にモースも、イゼラの意志と自身の判断を信じる事にした。

 

「分かった分かった。けれどな、絶対作戦通りに動けよ?いいな、絶対だぞ?」

「ハァイ」

 

 ただ、モースは気付いていなかった。

 強き心は一度崩れると、一気に負の側面へ飲まれるという事を。いざ訪れる悲しみへの耐性が無いという事を。

 

 イゼラにとってその崩壊の始まりこそ、カイナの喪失なのだ。

 

 イゼラだけではない。程度の違いこそあれ、誰もが何かの喪失に、日々怯えている。

 

 そう考えると、本当に強い心の持ち主なんて、この世の何処にも居ないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 深夜の広場。

 普段なら店終い後の閑散とした様相なのだろうが、今は違った。地には動かしたばかりであろう荷馬車の車輪跡があり、此処の日常では有り得ない様な「仕掛け」らしき物体もちらほらと見受けられた。それでもまだまだ乱雑としており、未だ「布陣」の完成には時間を要しそうだ。

 つまりは明日から、黒狼の行商団は暫くお休みだ。尤も、誰も休業なんて望んでいないだろうが。

 

 そんな広場中央では、ただならぬ表情の団員たちが集まっていた。ある種の局面に立つと、誰しもがそんな表情をするのかもしれない。

 そんな団員たちの中心で、先程からモースが内容を声に出している。作戦会議、は今からでは遅すぎるので、作戦の最終確認と言った所だろう。

 

「…以上が、練りに練った作戦の全容だ。最初の索敵以降もメムシを何度か飛ばしてみたが、全体的な行軍速度はさして変わらん。やっぱ予定通り、3日後の夜には連中も辿り着くだろうな。まぁ変わってたら、お前らにもとっくに伝えてるが。…ほんじゃ質問は?」

 

 モースがそう言って見渡すが、誰も彼もモースを真っ直ぐ見たまま挙手しない。その目に、迷いは微塵も無かった。

 と思いきや、そんな緊迫した空気知った事かと徐に手を上げる少女が一人。

 

「ハイ、見習いの嬢ちゃん」

 

 当てられた事で、皆がカイナに注目するが、特に意に介す事もなくカイナは口を開こうとする。だがやはり、モース団長と言葉を交わすのは始めてだからか、その表情は硬かった。

 始めてなのはモースも一緒だが、今はお互いそんな感慨に浸っていられる場面でもない。情報は、隅々まで早急に共有されなければならない。

 

「敵の頭を殺せない理由について、まだ聞いてない」

 

 カイナの問いに対し、黒狼は難しそうな表情をする。どう答えるべきかと言うよりは、自分だって可能ならそうしたいと、愚痴を零す様な顔だった。

 

「連中は言わば、いつ暴走するかも分からん「狂信者」に近い。上手いこと統率する奴がいるから、どうにか軍としての規律を保ててるんだ。そんな荒くれ者共から頭を奪った暁には、何が起こるか分からん。最悪、人間種かそうでないか自分たちで勝手に解釈決めて、今まで以上に理不尽な略奪をするかもしれん。ペムゼ森林周辺には、村やら里やらが多いからな」

 

 そのまま空中分解する可能性もあるが、そうなった場合も結局は同じだ。危険思想を抱いた武装集団が、周囲の村々へと解き放たれるのだから。そうして村々に犠牲が出れば、村民はこの地から離れていく。それは、行商団にとって大事な顧客を失うも同然だ。

 この辺りに人間種は居ないが、それも連中の()()()()()による。連中の目的は「人間を殺すこと」、その人間が居なければ新たな矛先を見出すまで。復讐に囚われた者の末路だ。

 

 つまり頭領を殺める事は、後々自分たちの首を絞める事にもなり得るのだ。

 

「…他には?」

「敵のメムシとやらは、破壊出来ないのか?」

 

 またしてもカイナの質問に、モースは答える。まるで講義中の学生と教授だ。

 

「ああそりゃ無理だ。とにかく頑丈なんよ、メムシってのは。例えるなら、ニスモが放つ渾身の一振りでどうにか破壊出来るかどうかだ。おまけに大抵上空を飛んでるし、小さくて半透明で素速いからよ、そもそも当てんのが至難だ。こんな暗がりなら尚更な」

「捕獲もか?」

「同じ理由でな。一応、アラクネのガストレに糸を張らせるが、やらないよりはマシ程度に思ってくれ。…んで、まだ何か訊きたそうだな?」

 

 最初に「質問は3つある」と言えば良かったと、カイナは少し申し訳なさそうにしながら最後の質問を繰り出す。

 

「周辺の村々に、増援の要請は?」

「そんなんとっくに出してるわ、駄目元だがな。んで誰も来なかったってのは、まぁそういう事だ。いくら此処が大事な市場だろうと、負け戦に貴重な働き手送り出すほど、村もお人好しじゃねぇ」

 

 それで漸くカイナの疑問を解消すると、モースは呆れた視線を黒眼の青年に差し向ける。

 

「つーかニスモよぉ。もうちっと嬢ちゃんにも教えてやれ!特にメムシの知識なんざ、この辺じゃ基礎中の基礎だろうが!」

 

 周囲から小馬鹿にされた様な笑いが小さく響くと、ニスモはそのままの表情で頭を掻いた。

 

「ゴメンよ」

「弁明は無しか?」

「無い」

 

 無表情で清々しい程に短く済ませたからか、点々と響いていた小さな笑い声は大笑いの渦となった。そんな中でモースだけは、困った様な溜息を短く零した。

 

 そんな周囲を見回して、緊張感が有るのか無いのか良く分からない行商団だなと、カイナは思った。同時に、モースと団員の関係性が改めて垣間見えた気がして、カイナも強張りが緩んだ。

 

 だがそれは、もう二度と解けないであろう呪いが、カイナの胸をチクリと刺す前触れでもあった。

 呪いはこう囁く。今こうしている自分と、嘗て何とも思わず異種族を狩り回っていた自分は同一人物なのだと。

 カイナは悟った。まるで消える気配の無いこの「疲弊」は、生涯消える事なんてないのだと。自分が彼等と一緒に喜んだ分だけ、自責の念が付き纏うのだと。

 いっその事、かの賊軍の様に復讐心剥き出しで迫られた方が楽かもしれないと、そんな馬鹿らしい発想さえ浮かんでくる。

 

 変に盛り上がっている皆と、誰にも知られず一人沈み行くカイナ。

 そんな雰囲気を一度リセットする様に、モースは質問の締め切りに入る。

 

「他に質問はねぇな?…ねぇなら解散!後はしっかり睡眠を取るように!明日も一日布陣の為に働いて貰うぜ!」

「ウィー」

「あいよー」

 

 モースの号令により、オークもリザードマンも蛇女も、他の皆も各々の寝床へと戻っていく。

 カイナ一人を除いて。

 

 沈鬱に支配されながらも、実はもう一つ訊いておきたい事柄がカイナにはあった。本当に、イゼラも作戦に加わるのかと。

 理解はしている。それが一番、マシな選択肢であろう事は。皆にとってもイゼラにとっても、そしてカイナにとっても。

 だから訊かなかったし、訊けなかった。自分の感情に任せた意見は、きっと合理性に欠けているから。奴等から少しでもイゼラを遠ざけたいというのは、完全にカイナの私情だ。

 イゼラの前で、そんなみっともない姿を晒したくはなかった。

 

 自分たちが作ったルールを律儀に守るなら、連中がイゼラを殺す事なんてないのかもしれない。

 それでも、心であれ身体であれイゼラが傷付くのであれば、どうにかならないものかと考えずにはいられない。

 

 そして考えた分だけ、どうしても憤りを向けたくなる。富も他者すらも我が物にしようとする、我欲の権現に。

 己が欲の為に、どうして他者を傷つけられるのか。どうしてその力を、他者の為に使えないのか。カイナには理解出来ない。

 その思いは、今も昔も変わらない。知識と経験が増え、視野が大きく広がってしまう事で、今のカイナの様に苦しんでしまうだけなのだ。

 

 誰であろうと何であろうと、傷つけずに済むのなら傷つけたくない。カイナがその内心に気付いたのは、「敵を殺してはならない」とニスモから聞かされた時だ。

 あの時、カイナは面倒だなと思う反面、安堵もしていた。逆に殺されるリスクが上がるのだとしても。

 愚かなあの頃の様に、異種族を手に掛けずとも良いのだから。

 

 きっと自分は、思っていた以上にずっと弱くなっているのだろう。何も知らなければ、あの頃のまま強く居られたのだろう。

 

 

 一人取り残されたカイナが沈んだままそう思っていると、偶然にもイゼラと目が合ってしまう。

 

「…」

 

 少し距離があるというのもあったが、互いに言葉は交わさなかった。

 加えて、テントでの一件からまだ数時間しか経っていない。少なくない気不味さはあるだろう。何がどう気不味いのかは、当人たちにしか分からない。

 

 カイナは表情を変えぬまま動かないが、それでもずっとイゼラを見ていた。自身を更に弱くしてしまった張本人である魔女に、ただ見とれていた。

 

 対するイゼラは、らしくもない表情をしていた。

 目を合わせようともせず、そのくせ頬と耳が妙に赤い。それがどういう感情なのか、察せられない程カイナも鈍感ではない。

 

 そしてイゼラは、はぐらかす様に笑顔を零すと、カイナに小さく手を振った。

 

 

 その表情を見て、その表情を生み出したのは自分だと知って、カイナは思った。

 まぁ、別に弱くても良いか、と。

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