カルス教 大教律書
教義ノ六 魔物について
・魔物とは、その外見が人と大きく異なる者、その中身が人とは言えない者、人との意思疎通が不可能である者を言う。
・神は、己が姿を人に与えた。神は、己が言葉を人に与えた。人こそが神の分身であり、それらを持たぬ魔物は区別対象である。
・神は、己と違う魔物を忌み嫌う。故に、人は全ての魔物を駆除せねばならない。ただし、作物や果物等の植物類、魚類に関しては、この限りでは無い。
・馬・牛などは、人の生活に欠かせない、言わば「人の一部」に等しい存在である。故に、魔物に近しいが魔物ではない。それらを狩る、食らう事は、同族を食らうに等しい忌むべき行為である。
・人を殺めるのは魔物だけである。故に、如何なる理由であれ人が人を殺めた場合、魔物として罰せられる。
・魔物に与する者もまた神敵であり、排除対象である。
・騎士を含めた聖職者には、民がこれら教義に則っているか取り締まる責務がある。
焚火の光も消え、就寝時の静寂に包まれている洞窟内。仰向けとなっているカイナは、青年から借りた予備の掛け布に包まれていた。
魔物への警戒に、環境の変化。野営に慣れている彼女にとってはどうって事無い。
(………駄目だ)
だのに眠れないのは、宿で既に十分睡眠を取っていたから。
否、ニスモの存在である。
思春期の少女にとって、会って間も無い若き異性と2人同じ空間で寝るというのは、精神的に酷なものがあった。加えてカイナは、自他共に認める美貌の持ち主。異性を警戒しない、というのは寧ろ不味い。
そんな訳でカイナの蒼い瞳が、天井代わりの岩々を無意味に行き来する。
「寝れないかい?」
それを察しているのか、同じく横になっているニスモが声を掛けてきた。
「貴方も眠れないのか?」
「いや、元々僕は余り寝ない方だから」
自分が居るから寝れないのではと思っていたカイナは、それを聞いて少し安心する。元々、向こうも思春期の男児ではないのだから、要らぬ心配な気もするが。
いずれにしろ、寝てないのなら丁度良い。この機に、疑問を解消しておくべきだろう。
「そう言えば、何故私がティラント人だと?」
あの時、カイナは「人か魔物か」と問うただけだ。それだけで、ニスモは彼女の出自を当てて見せた。まるでティランタニア以外の国々が、人と魔物の区別をそこまで気にしていないとでも言いたげに。
事実、ほぼその通りであった。
「ユートリアンで人と魔物を明確に区別したがるのは、君たちくらいだからね」
そう答えるニスモだが、カイナは即座に否定する。
「それはない。少なくとも我が国の属国は、みな敬虔なる信徒だ。私も幾度となく足を運んだのだ、間違いない」
「…そうかい。じゃ、そういう事にしておくよ」
では何故、半魔である自分は属国内を行き来できたのか。そう問い返そうとしたニスモだが、言わなかった。また錯乱されても敵わない。
属国であれ何であれ、誰しも「都」の人間には表の顔で接するものだ。
ニスモの反応が引っ掛かるカイナだが、目を背ける様に次なる質問へと移る事にした。
寧ろ、彼女にとってのメインはこちらだ。どの疑問よりもずっとずっと気掛かりな、その質問こそが。
「今更だが、何故貴方は私にここまでしてくれる?」
「…」
自身を匿っただけでなく、長き旅の同行から装備の貸与まで。確かに礼をするとは言ったが、それだっていつになるかも分からない確実性の欠けるものだ。カイナは今、素寒貧に近しい状態なのだから。ニスモの協力は、はっきり言って不自然だ。
カイナの質問に対し、ニスモは暫しの間を置いてから答える。
「さてね。大人には色々と思惑があるものなんだよ」
答えになってない答えに加えて、遠回しに「ガキ」と言われた事で、カイナは軽くむつける。
「子供扱いするな。私だって、酒の一つも嗜める女だ」
お堅く、
この青年は、その限りではない様だが。
「子供だよ。そうやって強がる所とかね」
10代も後半の子供は、基本的に子供扱いを嫌う。一応騎士家系でプライドの高いカイナは、それが特に顕著だ。
よって、意外にもしつこく噛みつく。
「貴方こそ、子供相手に随分大人ぶってる様に見えるが?ま、私はそもそも子供じゃないが」
「しょうが無いよ、大人なんだから」
「何を以てそれを証明する?」
「さっきから子供の君が優位に立てないから」
「…」
何を言っても即答であしらわれ、遂にカイナは歯噛みしながら黙り込んでしまう。どんなに冒険で名を上げようと、人生経験の差ばかりはどうにもならないらしい。
そんな彼女を励ます訳ではないが、ニスモは続けて答える。彼からしてみれば、単なる事実の一つに過ぎない。
「子供である事は、悪い事ばかりじゃないよ。色んな「考え方」を取り込めるし、幾らでも柔軟に変われる。大人になると、そういうのも難しくなる」
それは寧ろ、子供の方が羨ましいとでも言いたげな口調だった。
更にニスモは、その声を低く重々しいものにし、より真剣さを滲み出しながら続ける。先程、カイナの覚悟を確認してきた時と同じ様に。
「そう、僕はもう変われない。けど…君はどんどん、そして貪欲に変わって欲しい」
最後に意図の読めない事を言われ、カイナは首を傾げる。
「それより、そろそろ僕にも訊かせておくれよ。君の仲間、どんな子たちだったんだい?」
あからさまにはぐらかされたが、そんな事など気にならない程、カイナはその話題に食い付いた。
「おおっ!いいぞいいぞ!長くなるから覚悟してくれ」
そうしてカイナは自慢気に、嬉々として、彼等との冒険譚をニスモに話し出した。一つ一つ丁寧に、されど出来る限り簡潔に。
それはもう、一人一人の性格は勿論、強く記憶に残った出来事まで。
レザがタクトの気を引くべく買ったオシャレな服を自己流で更に改造し、言葉では決して言い表せない前衛的創作物を編み出し、仲間全員をドン引かせた話。
ミィリにばかり炊事を任せるのも申し訳ないから、当人が寝ている間に3人で朝食の準備に挑んだ結果宿が半壊し、ミィリと屋主に大激怒された話。
タクトとレザが好物を巡って口論になり、負かされたレザが腹いせとして「入浴時間」の嘘情報をタクトに教え、脱衣所で半裸状態のカイナと鉢合わせてボコボコにさせた話。
個性豊かな仲間達の話を聞いて、珍しくもニスモは小さく微笑む。もう行けない過去へ思いを馳せる様に。
「面白いパーティだったんだね」
「ああ、だがまだまだあるぞ?一晩では語り尽くせん」
止まる気配の無い、カイナが語る仲間達との冒険譚。
だが、その大半は魔物絡みの話が占めていた。どんな状況で誰がどうやって魔物を倒したか、誰がどんな魔物を何体倒したか、そんな話ばかりだった。
ニスモはそれらの話を頭に入れては、尚も意気揚々と語るカイナを見る。相変わらず、無表情と微笑とを織り交ぜながら。
ただその黄色い瞳の奥では、悲しみが小さな波紋を起こしていた。その悲しみは果たして、何に対しての、誰に対してのものなのか。
そんなニスモを尻目に、終わりの見えない冒険譚を途切れる事無く語り続けたカイナは、そのうち疲れからか眠ってしまった。
◇◆◇
虚構から意識が覚醒し、岩々が視界を埋める。それらは横から射し込む朝日により、昨夜とはまた違った様相を見せていた。
ここギヤ大陸にも、朝と昼と夜がある。瞼を開けて早々、そんな知識がカイナの中へスルリと入る。
そして、目が覚めても戻らない現実に溜息を吐きながら、カイナは起き上がった。
剣を携え、ブラウンのロングブーツを履き、されど寝間着姿という何とも不格好なカイナ。グレーのフード付きマントに身を包み、いかにも冒険者らしき格好のニスモ。
少し肌寒い青空の袂。2人は今、洞窟の入り口から草原を見渡していた。
これからすべき事は2つ、食料調達と防具調達。どちらもカイナ用だ。流石に今のままでは、行商の通る地まで辿り着けない。
その後、行商から本格的な装備を調達してから、移動手段の確保となる。ケピア草原付近は、馬なり何なりの提供を受けるには辺鄙過ぎる。
「本当にそんな装備で大丈夫かい?君は洞窟で待っていても良いんだよ?」
言われると思っていたのか、カイナは鼻を鳴らして自信気に言う。
「自分の分は自分で剥ぎ取る。魔物一匹狩るくらい、剣1本さえあれば十分!」
言葉を返すその様子は、転移直後より大部明るいものだった。就寝前の語らいもあってか、ニスモとの距離感が少しは縮まった様だ。
カイナのそれは慢心にも見えてしまうが、そうではない。様々な者達と出会い、相対してきたニスモには分かる。彼女から漂う、消えない程にこびり付いた魔物達の血の臭いが。相当場数を踏んでいる。
ならば、お手並み拝見と行こうではないか。彼女の力が、この地でも通用するかどうか。
草原の中を、五感を研ぎ澄ましながら歩く事数分。カイナは早速、この大陸に来て初めての魔物を見つける。二足歩行の鳥型魔物で、ユートリアンの魔物と大きな違いは見受けられなかった。
「ニスモ、あの魔物ならどうだ?」
「アイツの名は『クイヤン』。草食獣だから狩り易いけど、取れる肉が全然少ない。他を当たろう」
そうして散策する事、更に1時間。肉食獣と遭遇する事も無く、遂に条件を満たす魔物が見つかる。
四足歩行、全足蹄、額に一角が生えた草食獣。こちらも、ユートリアンの魔物と良く似ていた。
「『ケムニ』だ。これまでの獲物の中では、取れる肉の量が一番多い。毛皮も良質だから、そのまま防具兼防寒着になる」
「なら仕留めよう。これ以上散策に時間は掛けられん」
そう言うと、カイナは早速行動に出る。草食獣特有の広い視野に入らぬ様、高い草むらに隠れながら相手の背後へと回り込み、そこから距離を詰めて行く。足音は勿論、その気配すらも完全に消えており、見えていても居ないと錯覚する程だ。
そして、草むらの背丈が、しゃがんだカイナより低くなるかならないかという時。
ザッ!
彼女は一気に飛び出した。獣よりも獣らしく。
その速度は矢の如く凄まじく、ケムニが気付いた時には既に遅かった。
「取ったッ!」
カイナの声は仕留めたという確信であり、その通りに刃がケムニの胴体へと振り下ろされた。
「グゥモォォォオオォォォオオ!!!」
ケムニが断末魔と共に傷口から鮮血を吹き出し、倒れ伏した所で、ニスモはカイナの戦闘力を評価する。
(警戒心の強いケムニに、あんな距離まで近付ける奴は見た事が無い。抜き足、気配遮断に至っては最上級レベルか。そこから相手が気取る間を与えない俊足、それなりに硬い毛皮を容易く切り裂く技量に膂力、それだけの身体能力を発揮させる膨大な魔力量。ここまで「純粋に強い」戦士もそうは居ない)
だが、剣士としては未知数である。それは正に、同じ「人型」と剣を交えなければ測れないものだ。
そんな分析をしながら、ニスモはカイナの元へ駆け寄る。
「グモォ……」
「しぶとい奴だな」
力無く横たわり、傷口から内蔵を覗かせながらも、生きようと懸命に唸るケムニ。
そんな魔物を見て、カイナは楽しそうに口角を上げると、魔物の頭を踏み付ける。
「薄汚い魔物め。このままジワジワと頭蓋を踏み砕いてやる」
そう宣言し、脚に力を入れようとするカイナ。それは最早、壊れた物を更に踏み壊す様でしかなかった。
「!?」
だが、何故かニスモにその脚を掴まれ、制される。
困惑するカイナを見上げながら、ニスモもまた淡々と告げる。
「この足を退けるんだ、カイナ」
「?…何を訳の分からない事を言って───」
抗議の声を上げるカイナだが、言い切る前にニスモの目を見た事で、それは中断される。
昨晩通りの無表情だが、その黒眼と黄色い瞳はカイナを激しく睨み付けていた。視線だけで射殺さん程に。
そして、低くドスの効いた声で、最後通告とばかりに再び告げる。
「カイナ、この足を、退けるんだ」
「っ」
底知れぬ恐怖に震えを覚えたカイナは、唾を飲み込みながら恐る恐るその足を退けた。
圧迫から解放されたケムニの頭を、ニスモは優しく包み込む様に撫でる。生まれたての我が子を抱く母の様に。
「もう、無理しなくていいから…ゆっくりとお休み」
手の平が生む優しい感触と、ニスモの穏やかな声を聞いて、ケムニは安堵の表情を見せる。もうすぐ、痛みから解放されるのだと。
そのままニスモは、ケムニの心臓がある部分に掌底を当て、一発の振動をトンと放つ。
心臓が完全に停止し、痛みもまたそれに合わせて引いていく。そしてケムニは、瞼をゆっくりと閉じていく。
「大丈夫、君は死なない。僕達の糧となり、僕達が生き続ける限り、君も生き続ける」
最期にその言葉を聞き、とうとうケムニは意識を手放した。
ニスモは両膝を着き、目を閉じ、合掌した。ケムニに感謝する様に。ケムニを与えてくれたこの世界そのものに、感謝する様に。
合理的に考えれば、無意味な行動だ。ニスモがそんな事をした所で、結果は何も変わらない。そもそも、存在が悪である魔物に命なんて無い。命の無い物を、慈しむ意味が分からない。カイナにとって絶対の価値観だ。
故に彼女は、声に呆れを含みながら温かみの無い言葉を吐き捨てる。
「たかが魔物如きに、理解に苦しむな。人が死んだ訳でもあるまいに」
魔物を徹底的に軽視したカイナの発言。対してニスモは合掌を解くと、静かに否定した。子供を諭す様に。
「同じだよ。人間の命も魔物の命も、等しく尊い」
カイナは一瞬、頭が真っ白になる。大きく目が見開かれたその顔は、絶対に有り得ない、あってはならない事を聞いたとでも言いたげな表情であった。
直後、この青年が何と言ったのかもう一度頭の中で復唱し、その意味を理解しようとする。「人間と魔物の命が等しい」………カイナは今度こそ、青年が何と言ったのか理解した。
途端、白かった脳内は真っ赤な炎に埋め尽くされ、嘗て無い程の怒りとなってカイナを突き動かした。
「貴様ァッ!!今何と言ったァ!?」
そう言ってニスモの胸ぐらを掴み、両膝立ちだった彼を無理矢理立たせる。ごく1%未満の、己の聞き間違いという可能性に縋りながら。
「人の命も魔物の命も、同じ程に尊いと言ってるんだ。人だの魔物だのと、区別する事に何の意味がある」
聞き間違いではなかった。
それが自然であり当然であるかの様な言葉。それにより1%未満の可能性すら絶たれたカイナは、力が抜けた様にニスモの胸ぐらから手を離す。
その顔は地面へと俯いており、怒りの続きを伺う事は出来ない。代わりとして、芯まで冷え切る様な声が放たれる。
「………良い奴だと思っていたのだがな。結局は魔物と同じか」
心底残念そうな口調であった。それこそまるで、親しかった者が取り返しのつかない罪を犯したかの如く。
そうしてカイナは一歩、二歩と、ニスモから離れていく。十歩程離れた所で、彼女は漸くその顔を上げる。怒りの形相こそ消えているが、眼光には凍て付く様な殺意が篭っていた。
「カルス教の教律に従い、これより神敵を排除する」
それだけ言うと、カイナは輝く凶器を鞘から抜き、構えを取る。剣の切っ先はニスモへと向けられ、しかしてカイナは動こうとしない。待っているのだ、相手が同じく凶器を構えるのを。
カイナのそれは、せめてもの慈悲、無抵抗の相手は討てないという騎士としての矜恃。若しくは、もっと深い所にある別の何か。
カイナが宿す漆黒の瞳を覗き見ながら、ニスモは委細変わらない声で言葉を返した。
「君は昨晩、半魔であるこの僕に頭まで下げて、冒険の同行を申し出た。僕が魔物だとして、その判断は今更じゃないかい?」
「半魔ならまだしも、魔物であるなら話は別だ。見習いとは言え一介の騎士として、神敵の排除を最優先する」
「君が死んでも僕が死んでも、仲間との再会は果たされなくなるよ。それでもやるのかい?」
「ああ、それでもだ」
カイナの漆黒の瞳もまた、何一つ変わる事はなかった。今や両者の間に、昨晩の様な親睦は無かった。
魔物というだけで、少しは親しくなった者にも牙を剥く。半魔か魔物かの違いだけで、こうも決意が二転三転する。ニスモは改めて、信仰の恐ろしさを実感した。
やはり彼女も、所詮は騎士を語る盲信者でしかないのか。真の騎士なんて、やはり存在し得ないのだろうか。
違う、それを決めるのはニスモではない、カイナ自身だ。彼女がどうすべきか決めるべく、ニスモがすべきは彼女の狭き世界を広げる事だ。
その為ならば、真正面からぶつかる事になろうとやむを得ない。
己の本意気を再確認したニスモは、背中に眠る長剣へ手を伸ばす。頭の丁度後ろにあるグリップを利き手で掴み、そのまま鞘から引き抜こうとすると、どういう原理か鞘の側面が「カチカチカチ」という音と共に開いていく。そうして、ニスモの背中に隠れていた巨大な長剣が、その黒く美しい姿を現す。
次いで、グレーのフードマントも脱ぎ払う。僅かな防御すら必要としないその様は、攻撃への強い意志が垣間見える。
理不尽な決闘の申し出に応える、ニスモの真意は未だ何とも言えない。ただ一つ、確かな事がある。彼はこの瞬間、冒険者から「騎士」へと戻った。
そして黒眼の騎士は、己自身を壁と定めるかの様に、見習い女騎士へと告げる。
「来い、若き騎士よ。闘争の果てに、答えを見つけてみせろ」
「………参るッ!!」
カイナは名乗らなかった。魔物に名乗る名など無いから。
ニスモは名乗らなかった。まだ“その時”ではないから。
旅が始まってもいない、端も端の草原。そんな無作法で騎乗すらしてない決闘の幕が今、上がった。
次回はこのままバトル回です(負けイベ臭がプンプンしますが…)。スキル等の説明も織り交ぜる予定ですので、結構執筆に時間が掛かるかもですが、頑張って早めに書き上げたいと思います。