女騎士は巡る   作:いんの

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第5話 声

 聞こえる。人とは懸け離れたダミ声が。

 聞こえる。耳を塞ぎたくなる様な奇声が。

 

 オーク、人狼、リザードマン辺りが、間違い無くこの先に居る。今まで少女が、殺しても殺しきれない程、殺してきた相手が。

 

 そうして思い出した様に、彼女の緊張感が急激に目覚める。

 

「もう何度も言ってるけど、これから会う行商は顔見知りだ。変に構えないでね」

 

 すぐ後ろで殺気を帯びる少女に、駄目元で最後の忠告を送るニスモ。

 

 だが案の定、集中し切ったカイナの耳には届いていなかった。彼女は今にも抜剣しかねない気迫を帯びていた。

 彼女に与えられし神が、討伐(クエスト)によって根付いた血が、彼女に「殺せ」と命じていた。悍ましい呻き声の主を。

 

(さぁ、どうなるか)

 

 ニスモの無表情は、普段通りな様で少し違った。まるで死地へ赴く仲間を虚しく見送る様で、ごく僅かにだがプレゼントの中身を楽しみにしている様な、それらが混在した無表情であった。

 確かな事は一つ。この先が、カイナにとって最初の山場になると言う事だけだ。どちらに転ぼうとも、ここからニスモに出来る事などたかが知れている。

 

 

 それぞれの思惑を秘め、声の方へと歩く2人。大した距離でもない筈なのに、やたらと長く感じる。それでも、ニスモに聞こえる話し声も、カイナに聞こえる呻き声も、確実に大きくなっていく。

 

 

 そして遂に、嫌と言う程見てきた木々が失せ、丸く開けた空間が視界に飛び込んだ。

 

 

 

 それらを視界が捉えた瞬間、カイナだけが立ち止まってしまった。ニスモから切り離された様に。

 

 元々、余り信じてはいなかった。ただ、ある程度の事前情報は頭の中にあったので、どうと言う事は無いと思っていた。

 それでも尚、眼前に広がる情報を脳が拒絶していた。古めの荷馬車を、商品棚やら木箱やらが囲っており、そのコロニーが幾つも並んでいる。そこまでは理解出来る、嘗て幾度となく見てきた光景だ。

 問題は、それらを扱っている「商人」たちだ。

 

 オークが人狼相手に、リザードマンがゴブリン相手に、商品と金銭のやり取りをしている。或いは、ゴブリンがコボルドに、人狼が蛇女に。

 

「│┴┘┤┼┬├┌─」

「┬┼┐└┤├│┘┴└─┐┼」

 

 互いに、何か言っている、何か話している。カイナのよく知る、聞くに堪えない鳴き声で。

 

 そんな和の中に、慣れ親しんだ家屋に踏み入るが如く、何の躊躇も無く入っていくニスモ。

 すると魔物たちは、まるで家族が帰ってきたかの様に手厚く歓迎する。特に小さな魔物たちは、まるで抱っこをねだる様にニスモへ飛び付く。

 

「├┤┼┐┘┬┼┌│├┴┐」

「┘┬┴┤┌┐┼┤│┴┐└┤┼┘└┼┤」

 

 ニスモが、行商団の長らしき人狼と何か話している。相手と同じ、魔物の声で。眼さえ見なければ人そのものな筈のニスモは、どうしてか魔物に見えてしまった。

 改めて、カイナはニスモが魔物であると再認識した。

 

 だが、今やそんな事実すら霞んでしまう。

 居た。本当に、居た。魔物の行商団が。緑色の手で、金銭を数えている。毛むくじゃらの手で、商品を整理している。鱗の手で、テントの入口を開けている。

 その様はまるで―――

 

―――まるで?

 

 全ての状況を漸く把握した瞬間、カイナの芯から全身へと悪寒が駆け巡る。

 

(……まるで、何だ?)

 

 心の中で懸命に掻き消したソレを、カイナ自身が問い質す。魔物たちが、一体、「何」に見えたのだ、と。

 

 そんな風にいつまでも硬直していると、次第に人ならぬ視線がカイナへと注がれる。その目に敵意は無く、寧ろ好意的ですらあった。

 

 それが、()()()()()()()()()()()()()()()。必死に掻き消したソレを、思い起こされる様で。

 

「カイナ、何してるんだい?早く団長に挨拶しなよ」

 

 ニスモの催促により、ますますの視線がカイナへと集まる。暖かい様な、好奇なものを見る様な視線が。

 

―――アレ?

 

 何らかの幻術だろうか。外側から染み込む様に、視界が赤くボヤけてくる。行商団を囲い込む様に。

 

(私は…何を、殺してきたんだっけ?)

 

 残念ながら、幻術なんて都合の良いものでは断じてなかった。

 それでもお構いなしに、カイナの視界は赤々と染まっていく。いや、本当は染まってなんていない。

 ただ彼女のしてきた事が、彼女自身に見せているに過ぎない。

 

 他ならぬ自分自身により、思考も視界も浸食されるカイナは、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 それでも、現在進行している物事は待ってくれない。それに合わせて、お節介な脳は過去の光景を赤い視界に被せる。

 

 オークが何気なく、彼女を見ている。誰かの剣で身体を貫かれながら。

 人狼が笑いながら、彼女に手を振っている。誰かに首を削ぎ落とされた状態で。

 小さな魔物たちが、興味津々に彼女へと寄ってくる。誰かの手により、全身の骨を外皮へと突き出しながら。

 行商団の皆が、カイナを見ている。誰かが放った魔法に焼き殺されながら。

 

 音が聞こえた。

 カイナの中で、何かが決壊する音が。

 

 

 

「ウワアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!」

 

 

 

 気が付けば、カイナは全てを捨てて走り去っていた。騎士としての誇りも、唯一残った目的も、人としての立ち振る舞いも。

 あらん限り叫び続け、冷え切った汗を止めどなく流し切り、涙腺が干上がるまで涙を零し尽くした。

 

 それでも尚、過去という怪物はカイナを追い回した。どこまでも、どこまでも。

 

 

 

「何だあの嬢ちゃん。頭ダイジョブか?」

 

 不思議そうに目を細めるのは、行商団の長である黒き人狼『モース』。背丈はニスモと同程度で、人狼にしては小柄だが、纏うオーラは上に立つ者のそれだ。

 そんな彼に対し、ニスモが溜息交じりに弁明する。

 

「少し訳ありでね」

「フーン…この大陸の人間で金髪とは珍しいが、関係あるか?」

「それも内緒なんだ、ゴメンね」

 

 すると、モースの雰囲気が変わる。豪快な気配は失せ、その目つきは鷲の如く鋭くなる。

 

「まさかとは思うが、ティラント人じゃねぇだろうな?」

 

 もしそうならニスモ、例え貴様でもただでは置かん。そんな心の声まで聞こえるかの様な気迫だった。

 

「もしそうなら、今頃みんなに斬り掛かってるよ」

「…まぁそれもそうか」

 

 特段深読みはせず、あっさりと納得してくれたモース団長。

 ニスモは、彼のこういう単純な所を好いていた。誰かさんにも見習って欲しいものである。

 

「てか、追わなくていいのか?」

 

 思い出したかの様に訊いてくるモースに対し、ニスモの反応はあくまで冷ややかなものであった。

 知識を与え、思想を植え付け、放っておく方向性はここでも変わらないらしい。カイナがここで壊れる様なら、やはりそれまでの話なのだろう。

 

「暫くはほっとくさ。子供扱いするなって、彼女も言ってたしね。剣の腕はまぁまぁだし」

「ほう!アンタにまぁまぁと言わせるか!中々じゃねぇか!」

 

 感心するモースだが、ここでニスモが話題を変える。彼にとっては、カイナの装備調達と同程度に重要な事柄であった。

 

「それより、バイゼルと娘さんは?」

「ああ、2人なら…」

 

 

 

 

 

「ヴゥウオ゛エ゛エ゛ェエェェェェッッ!!……エ゛ッ……エ゛ッ……」

 

 疲れ果てたカイナは、行商団から少し離れた川辺で吐いていた。

 だがどれほど胃の中身を口外へ戻した所で、悪寒が消える事は無かった。蒼白し切った素肌の上では、肉体面と精神面から放出された汗が混ざり合っている。息は小刻みで荒く、腹痛も治まらない。

 

 そうして水を飲むべく水面を覗き込むと、彼女の顔が映った。大きく見開かれた両目の下には、谷の様に深い隈が出来ていた。

 まるで別人だった。自分の様で、自分でないような。

 

───お前が殺した

 

 自分でない自分はその口を大きく歪ませ、愉しそうに言い放つ。

 

「違う!!!」

 

 カイナは頭を掻き毟りながら、遠吠えの様に否定する。せせらぎの様に美しい金髪が、ささらの如く乱れる。

 その様を見た水面のカイナは、ますますの狂笑を見せる。美しいものが壊れゆくのを、愉しむが如く。

 

───どんな違いがあるのだ?

 

 再び、過去と言う名の恐怖に捉えられた。そう感じたカイナは、またも半狂乱となりながら水面から離れる。カイナ自身から逃げる為に。

 そしてその手で頭を覆い隠し、そのまま地べたに蹲った。

 

「魔物は神敵だ!私の16年は間違ってない!」

 

 だがそんな行為で恐怖から逃れられる筈も無く、壊れた彼女はしつこく陰湿に耳元で呟く。お前も壊れて楽になれ、そう言いたげな口調で。

 

───お前は騎士になる為、お仲間と楽しく過ごす為、殺してきた。ああ、お前流に言うなら「壊してきた」の方が正しいか?

 

「黙れぇ!!」

 

───目を瞑ったって無駄だ。お前の記憶に、べっとりとこびり付いてるのだからなぁ

 

 その言葉を再現する様に、瞼を閉じた暗黒の世界に血の影が浮かび上がってくる。

 影たちは言う。どうして斬ったの、どうして殺したの。どうして嗤ったの、生きていては可笑しいの。止めてと言ったのに、どうして聞いてくれなかったの。

 嘗てカイナに殺された影たちが、カイナを囲う。何をするでもなく、罵声を浴びせるでもなく、ただ何故と訊いてくる。

 

 カイナは何も答えられなかった。ただ恐怖に震えるしか、悍ましい事実から目を背けるしかなかった。

 だが、助けを呼ぶ事も、何かに縋る事も出来なかった。過去の影たちに応える事もせず、未来の道すら定められない自分に、どうしてそんな資格があろうか。

 そう思い詰める事だけが、彼女にやれる精一杯であった。

 

 

 

トントン

 

 

 

 暗黒を裂き、影を蒸発させた一閃は唐突に訪れた。

 背中に受けた感触により、カイナの意識は一気に現実へと引き戻される。誰かに触れられたと認識するより遙かに早く、カイナは飛び起き後退る。

 

 そして、尻餅をついた状態で見上げる。空を背に立ち、前屈みになりながらカイナを見詰めるのは、人型の魔物であった。

 

「……ハーピー?」

 

 最初に抱いた印象が、そのまま漏れる様に言葉として出た。

 桃色の羽毛に覆われた、翼にも腕にも見えるそれら一対の先端からは、人と似通った五本指の手がそれぞれ生えていた。対照的に、脚はというと寧ろ人に近く、足首から先は逆に猛禽類のそれであった。

 両腕を除く上半身はより人らしく、羽毛など微塵も生えてない素肌は白く、くびれた腹部と豊満な胸部はとても女性らしかった。顔立ちも非情に整っており、髪と思しき羽毛は外側へと跳ねていた。

 そして何もかもを照らす様な、それでいて吸い込まれる様な、黄金色の美しい瞳をしていた。幻想的な瞳とは裏腹に、今まさに浮かべている快活な笑顔は、不思議とよく似合っていた。

 

 偶発的とは言えそんな彼女の手により、絶望から引きずり出されたカイナは、全てを忘れた赤子みたいにその黄金色の瞳を見上げていた。それこそ天を仰ぐ様に。

 

「┼└┘┴」

 

 だが彼女の…魔物の声により、一気に正気を取り戻す。

 

「ッ!」

 

 慌てて立ち上がり、剣の間合いまで下がると、すかさず柄に手を当てるカイナ。その目に宿る敵意は、虚しい程にこれまでと変わらない。

 

「…それ以上近付いてみろ」

 

 対するハーピーの少女は、キョトンと首を傾げるだけだった。カイナの言葉が解らないのは勿論、向けられている敵意にすら気付いていない。

 不思議そうに、それでいて状態を細かく確認する様に、カイナを見詰め続ける少女。

 すると、また同じ様にニコリと笑ってカイナに近付こうとする。

 

「来るな!」

 

 怒声に構う事なく、少女は歩み寄ってくる。

 その度にカイナは後退り、剣の間合いを維持する。少女の背丈はカイナより少し高く、奇妙な威圧感がカイナをより警戒させていた。

 

(何をしている…!早く剣を抜け!)

 

 己にそう発破を掛けても、柄に当てている手は微動だにしない。まるで己の手ではないかの様な、そこだけ時が止まっているかの様な。

 

 そしてとうとう、カイナの背中が大木にぶつかった事で、後退は終わりを迎える。

 再びの絶望と混乱が、カイナの顔を歪める。

 

(来るな…)

 

 拾われた小動物の様に震えながら、少女を見上げる。

 

()()()()で…見るな…)

 

 ニスモのしょうもない掟なんざ放り投げ、斬り伏せてしまえばいい。

 だのに、できない。害意の無い少女の目と、そんな目を無視出来ない自分自身に、カイナは怯えていた。

 

 虚栄、妄信、無知、後悔、罪悪、無力、天罰、それらを恐怖が頭の中でかき混ぜ、もう訳が分からなくなる。

 

 いっそのこと殺してくれ。

 そんな結論を導き出すのに、時間は掛からなかった。

 カイナの中の全てが、臨界点を迎えていた。何でもいいから、早くこの世界から解放されたかった。

 

 

ギュ…

 

 

 待っていたのは、カイナの願望からは程遠い、どこまでも柔らかいものだった。自分の全てを、受け止めてくれる程に。

 

「…」

 

 「柔らかい」の後に、自分以外の体温を感じ取った事で、漸くカイナは「抱き締められている」と認識した。

 そんな事態にもう精神は追いつかず、敵意も警戒心をも白く塗り潰される。

 

 では何故、今こんな状況で、それらを思考する余力すらも無かった。いや、完全に奪われた。カイナのクシャクシャになった頭を、まるで整える様に撫でる手によって。撫でられる事に慣れていない女騎士にとっては、それだけでも十分すぎた。心の磨り減った彼女には、特にその優しい手が奥まで染み入った。

 そして、物理的な力でも魔力でもないただ温かい少女の肉体が、全ての抵抗を許さなかった。故に相手の為すがまま、大きく弾力のある乳房に顔を埋めるカイナ。故郷の宿の様な、どこか懐かしさを感じる香りが鼻腔を満たすと、締め付ける様な腹痛も治まっていく。同時に、身体中から寒気が取れていくと、柄に当てていた手すら力が抜けてだらりと下がる。

 羽毛でいっぱいな両腕に包み込まれ、体温が更に上がる。青白かった素肌は、段々と元の血色を取り戻していった。それに従い、カイナの瞳も生来の光沢を取り戻していく。まるで「生きているし、死にたくない」と、カイナの身体全体が主張している様であった。

 壊れたもう一つのカイナは、今や彼女のどこにも見当たらなかった。

 

 そこで漸く、空の青さに、雲の白さに、日射しの暖かさに、カイナは気付いた。

 

 過去も未来も、この時のカイナには無かった。あるのは、魔物…彼女に抱き締められている、ただ純粋に心地良いという「今」だけ。

 そんな「今」を享受しているのに、どうして壊れる事が出来ようか、どこに逃げ果せる事が叶おうか。そんなのただただ億劫ではないか。

 

 その小さな2人だけの世界を、カイナは確かに受け入れていた。この大陸に来て初めて、カイナはしっかりと目の前の存在を受け止めていた。

 少女がそうしてくれた様に。

 

「よしよし…良い子だから、大丈夫だから」

 

 やっと、聞こえた。本来聞くべき「声」が、「言葉」が。

 

 声と体温と感触の全てが気持ち良かったからか、単に精神的な疲れからか、カイナの瞼は静かに閉じていった。

 閉じられた目からは、もう出尽くしたと思っていた涙が小さく零れた。感極まった訳でも、辛く苦しい訳でもないのに。

 

 カイナの涙を見た少女は、優しい笑顔を崩さないまま、抱き締める力を少しだけ強くした。壊れてしまわない様に。




次回も、可能なら一週間以内に投稿したい所存です。
しばらくは行商団の話が続くかと思います。
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