大木がポツリポツリと生えている奇妙な草原を、人の様な獣の様な、大小様々な足音たちが横断していく。
彼等が一歩進むたびに生じる金属音が、静かな大自然に不協和音として残る。
「メンドくせぇ」
そんな鬱憤を、集団の音に混ぜ入れる者が一人。
「人間2匹の為に、なんでこんな大移動せにゃならねぇんだ…」
疲労の吐息と溜息を混ぜる豚人に、同僚と思しきオークが答える。
「派手に暴れてきたからな。もう大陸中央部は監視が強いし、村々の守りも堅い。だから東部が手薄な内にとっとと進軍して、豊かな土地を拠点に戦力整えたいんだろ」
「んたこた分かってんだよ!オレが言いてぇのは、途中の村々に人間居なさすぎってんだよ!ガス抜きもできねぇし食料も確保できねぇ!少し前んとこ拠点にしても良かったろ!」
駄々捏ねに勤しむ同僚を、オークは静かに諭す。
「馬鹿言え。500の軍勢養うなら、この先のペムゼ森林以外無い。それに、オレたちの志は人間種根絶だ。たった2匹とは言え、見逃す訳にもいかんだろう。どっちにしろ進むしかないんだ」
苛立つ者に宥める者。目的地がもうすぐだと分かっていても、人間を殺せない日々は彼等にとって退屈なものだった。
兵たちの反応が千差万別な中、先頭で地竜に乗る蛙人だけは落ち着き払っていた。どころか、内心ではほくそ笑んでいた。
(ケッ、馬鹿どもが。人間なんぞどうでも良いわ、ハーピーさえ手に入りゃ…)
つい内心の笑みを表側にまで出してしまった、黄緑色の蛙男。
部下から「頭領」と呼ばれているそいつは、希少なお宝を見つけ出してくれたメムシを、こっそり撫でていた。
(ケヘヘ…しかもハーピー2体のうち1体はうら若い小娘!男の方は闇市場にチョー高値で売っぱらうとして、小娘は徹底的に調教してワシ専用の肉奴隷にしてくれるわ!人間を匿った「罰」としてな…)
人間種を除いた異種族の生娘に目が無いこの鬼畜蛙は、今日も今日とて頭領という仮面の下に、悍ましい興奮をひた隠す。
◇◆◇
2人の滞在から4日目。
正午の行商団は、曇り空など関係無いとばかりに、相も変わらぬ賑わいを見せていた。賊軍の接近はとうに知れ渡っている筈だが、客足の衰えは微々たるものだ。
それだけ、皆が黒狼の行商団を重宝しているのだろう。
そんな種族入り乱れる声の中に、一人の人間の声も混ざっていた。
その声には、どことなく初々しさが残っていた。
「こ・ん・に・ち・は」
「…こんちには」
「は・じ・め・ま・し・て」
「…はじめまして」
ニスモとイゼラが見守る中、バイゼルの発声を復唱するカイナ。
そうしてある程度の復唱を確認すると、ニスモがバイゼルに訊ねる。
「カイナの言葉、ちゃんと聞き取れたかい?」
「ええ。まったく問題ありませんでした」
バイゼルが控え目な笑みを零すと、それ以上に喜んだイゼラがいつもの如くカイナに抱き付く。
「やったねカイナ!」
「あ、ああ」
カイナは、戸惑いながらも嬉しそうな声色をしていた。
その喜びは漸く他種族と話せる様になったからか、それとも自身の意識が多少なりとも変わった事に対してか。
何はともあれ話せる様になったカイナに、早速バイゼルが訊ねる。
「改めて、おめでとうございますカイナ殿。…娘の相手は、大変でしたでしょう」
「根暗でジメジメしたパパより全然マシだもーん」
イゼラの言葉に貫かれたのか、バイゼルはピタリと硬直する。心なしか、瞳が微かに潤んでいる様な気がした。
そんなバイゼルの涙目について触れないで返答に集中するのは、カイナなりの優しさだろう。
「まぁ大変ではあったが、それなりに感謝はしている。彼女が居なければ、もう少し時間が掛かった…かもしれない…恐らく」
ぎこちない感謝の言葉に、ニスモが呆れ声を漏らす。
「もう少しマシな言葉ないのかな、この口下手は」
「…うるさい」
「ハハ…」
ニスモの苦言とバイゼルの苦笑を受けて、居辛くなったカイナは話題を変える。
「今度こそ装備調達に行ってくる。…イゼラ、行こう」
「ハーイ!」
カイナの口から自然と出た言葉を聞いて、ニスモとバイゼルは首を傾げる。
「失礼ながらカイナ殿。もう話せるのでしたら、お一人でも大丈夫かと思いますが…」
バイゼルにそう突っ込まれたカイナは、何かに気が付いてしまい固まる。
そして同じく気付いたイゼラは、飛び跳ねながらカイナに捲し立てる。
「え!?てことはてことは!アタシとそんなに一緒に居たいってこと!?もー本当カイナったら寂しがり屋!」
「ち、違う!それは、その…まだ話せない相手も居るかもしれないから…」
適当に作った言い訳だと、そうニスモたちに思われるのが腹立たしかったカイナは、ムキになって踵を返す。
「もういい、やっぱり私一人で行く」
「あーもー!拗ねないでよカイナー!」
地団駄を踏む様に市場へと向かうカイナを、宥めながら追いかけるイゼラ。
少女2人が見えなくなった所で、ニスモは溜息混じりに謝罪する。
「ゴメンねバイゼル。馬鹿弟子が素直じゃなくて」
「いえ、いいんです。難しい年頃でしょうから。ただ…」
バイゼルは一旦間を置くと、灰色の空を見上げて続ける。哀愁を漂わせるその表情は、自由に飛び回る事を諦めているのが見て取れた。
自由に生き自由に死ぬ種族である、ハーピー。そんな彼等でも、一度安寧に染まればこんな表情になるのだろうか。
「カイナ殿には、もう一歩だけ踏み出して欲しい気はします。何に対して、とは言えませんが」
せめてあの子たちは、少しでも自由でいて欲しい。男の言葉には、そんな念が乗せられている様な感じがした。
活気に満ちる、正午の市場。
そんなものとはまるで無縁とでも言いたげに、その武器屋は隅の方でひっそりと佇んでいた。その様は最早、常連以外お断りであると、見た者に分からせる程だった。
「ヤフ爺ー!入るよー?」
そんな雰囲気知った事かとばかりなイゼラの一声を聞いて、露店の奥から一体のゴブリンが不機嫌そうにやってくる。爺と言われるだけあって皺は深く、顎髭も伸び放題な様相であった。
「…なんじゃ」
「この子に武器見繕ってあげて!」
「…」
精気の薄い目で、観察する様にカイナをジトリと見上げる老ゴブリン。
控え目に言って歓迎されている風には見えないが、取り敢えず挨拶だけはしておくカイナ。漸く話せるようになったのだ、肝心の武器屋に悪印象を与えてはいけない。
「…カイナだ。宜しく頼む」
「……ヤフクじゃ。まぁ来な」
カイナが話せる事に多少驚いたのか、間を置いて軽く名乗るヤフク。だが相変わらず、その声に抑揚は感じられない。
どういう相手かイゼラからある程度聞いてはいたが、やはりとても商いに身を置いている者とは思えなかった。少なくとも接客の態度とは程遠かった。ゴブリン自体に良い印象が無い、というのもあるのだろう。
「!」
そうしてテントの奥へと通され、今度はカイナの方が目を見開く。
簡易的で狭い露店であるというのは、外見からとうに分かっていた。ただその内部には、剣やら槍やら斧やら盾やら、果ては弓矢までもが所狭しと置かれていた。それらは細い通路まで圧迫しており、店内は人一人通るのがやっとであった。
カイナも武器屋は星の数ほど見てきたが、小規模でこれだけの武器を揃えてる店は初めて見た。
(どうやって集めたのだ?)
鍛冶屋でないのなら、他所から仕入れているということ。そしてその繋がりの幅は、これだけの武器を見れば一目瞭然だ。であれば、この爺も伊達に年を重ねてる訳ではないのだろう。
しかもどれも埃を被っている様子は無く、サイズ順に綺麗に並べられているので、手入れが行き届いている様に感じられる。
それだけでカイナは、この老ゴブリンがそれなりに信用出来ると、一先ずは判断した。
「貸してみぃ」
「?…ああ、剣か」
「盾は?」
「結構だ」
流石に察しの良いカイナは、自身の剣をヤフクに渡す。重量、長さ、グリップの感触、これまで使ってきた剣になるべく合わせて貰わねばならない。
とは言え、まさかゴブリンに大人しく武器を渡す日が来るとは、カイナ自身思ってもみなかったろう。
「剣身80キータ、フラー有り、リカッソ有り、両手剣か」
慣れた手つきで鞘から刃を引き抜いたヤフクは、会った時とは別人の様に目を鋭くする。鋼鉄を睨むその目からは、ヤフクも嘗ては鍛冶屋であった事を窺わせる。
「ちと待っとれ」
そうして刃の状態を確認し再び鞘に収めると、手際良く同サイズの剣を持ってくる。
真ん中の作業台に次から次へと並べていく、鞘に収められた凶器たち。置かれる度に響くゴトリ、ゴトリという音は、剣に内包された殺意が解放を待っているかの様だ。
一つの動きで容易に命を奪い去る、薄い鋼の塊たち。戦を知らぬ者にとっては禍々しいそれらを、カイナは無感情に見ていた。
そうしてある程度並べ終えると、ヤフクは剣の集団を指差して驚きの発言をする。
「1本はおまけでくれてやる」
「いや、は?」
「うわ太っ腹」
何を企んでいるのかと疑惑の目を向けるカイナと、自分の事の様にただ喜ぶイゼラとで、反応が分かれた。
「もうすぐ連中とやり合うんじゃろ。お前さんたちが負けたら、儂らみな追い出されちまう。…早い話が必要投資みたいなもんじゃ」
かと言って、剣はそれなりに高価だ。剣を新調した所でカイナたちが勝てる保証なんて無いのに、無料譲渡はやり過ぎではないか。
ついそう考え、カイナは躊躇ってしまう。
そんなカイナに、イゼラが耳打する。
「多分ヤフ爺、カイナのこと気に入ったんだよ。言ったでしょ?根暗で卑屈なジジイだけど、努力してる子はほっとけない質だって」
カイナには気に入られる心当たりなんて無いが、ヤフクの心を少しでも動かしたものがあるとすれば、それは最初のぎこちない挨拶だろう。
言葉の通じない者が、言葉が通じる様になる。この短い期間でそれを成すのがいかに難しいか、ヤフクは良く理解しているのだ。
そんな懸命な若者を後押ししたくなるのは、どの種族も変わらない年寄りの性なのだろうか。
「勘違いをするな、この団を護る為じゃ」
「やば、聞こえてた」
「金額付けたら、その武器が本当に今の自分に合ってるのか、目利きが曇るじゃろうが。慣らす時間も無いんじゃ」
イゼラの耳打を聞いた後だと、その言葉も単なる強がりに見えてくるから不思議なものだ。そう言う点が妙に自分と重なるからか、カイナはこのゴブリンに親近感を覚え始めていた。
何はともあれ、イゼラとヤフク双方の話はまるで温度が違ったが、カイナの反応を変えるには十分だった様だ。そこまで言うのなら遠慮無く選ばせて貰おう、と。
「お勧めはコイツとコイツじゃ。魔力注入と相性が良い。刃も厚いから、殺傷能力よりかは武器破壊寄りじゃ」
「…殺しては駄目なんだな?」
「おう。黒目の旦那から聞いとるじゃろ」
今回の戦いでは、数では行商団側が圧倒的に不利だ。敵の頭を討つという手もあるが、それだけは絶対に駄目な理由が、行商団にはあるらしい。
故に作戦は、最終的に交渉に持って行くという方向で意見が一致した。
何でも、戦闘中に敵側が交渉せざるを得ない状況にするとか。戦闘前に交渉出来た方が良いのだが、その場合だと無理難題を押し付けられるのが関の山で、事実上の降伏だ。
その交渉に踏み入る最低条件こそが「殺さない」だ。
敵は一応、人間種以外は殺せないという制約を自らに課している。だがもし仲間が殺されれば、死んだ仲間の為にも自分が死なない為にも本気で反撃してくる。そうなれば、今度は行商団側に死者が出る。
そんな殺す殺されるの状況に陥っては、最早交渉どころではなくなってしまう。増幅された憎悪は、最善など関係無しに暴走する。
ただこの作戦は、人間種であるカイナとニスモにとっては極めて厳しい戦いとなる。本気で殺しに来る相手を、殺さず無力化せねばならないのだから。2対500よりはマシかもしれないが。
それを知ってるからか、ヤフクは何かを鼻で笑う様に言い零す。
「これ以外方法が無いとは言え、酷な話じゃて。モースもえげつない奴よの」
「…どういう事だ?」
「分からんか?」
すると、ヤフクはカイナを正面に捉え見上げる。小さく老いたゴブリンだが、その真剣な目は確かに「モース団長を良く知っている者」の目だった。
「確かにモースは単純で良い奴じゃが、したたかでもある。「危険だからまだ団を出るな」ってのは、黒目の旦那とお前さんに残って貰う為の方便よ。戦力になるからのう」
カイナには、モースがどう言う相手なのか未だ良く分からない。精々、擦れ違ったら会釈する程度だ。そもそも、イゼラ以外の団員と話せる様になったのがつい今さっきなのだから、話した事すらない。
ただ少なくとも、モースの冷酷な一面を語るこの老ゴブリンからは、どうしてか団長に対する軽蔑の念は見られなかった。
それはきっと彼等の長が正しい選択をしているのだと、確固たる信念を持っているからだと、分かっているからだろう。
「巻き込まれたお前さんはどうじゃ?うちの団長が憎いか?」
だからカイナもその問い掛けには、あくまで淡々と答えるしかない。モース団長と違って、何が自分にとって正しいのか間違っているのか、もうカイナには分からないのだから。
「別に、命懸けの戦いには慣れてる。そもそも巻き込んだのは私とニスモの方だ」
どんな戦いだろうと、カイナにとっては何てことないものだ。今の彼女には、大義も無ければ正義も無い。眼前の物事を、ただ処理していくだけだ。
それが堪らなく虚しい。今回の戦いで勝とうが、それで何を得られるというのか。
ただ旅を続ける為に戦う。そうして仲間たちと再会した所で、これまでの様な日々は送れないだろう。今のカイナは、タクトたちの良く知るカイナとは言えない。
つまりは、ただ死なない為の戦い。死にたくないから生きるその先に待つものは、到達点のあやふやな虚無だ。それは果たして、死ぬ事とどれ程の差があるというのか。
だが、死ぬのは怖くない。
そんなものは、とうの昔に捨て去った。神に忠誠を誓った時から、或いは戦いに慣れた時から、今この瞬間まで。それはきっと、これから先も変わらないのだろう。それは騎士として、戦士として、避けられない宿命だ。
目的も曖昧で、欲も無ければ、正義も分からず、死すらも怖くない。それで死なない為の戦いなど、気力を維持出来る訳がない。
もしこれで死ぬのが怖ければ、自分の中で何かが変わったのだろうか。
いや、きっと何も変わらない。弱い人間が死を恐れた所で、ただ蹲って震える事しか出来ないのだから。
そんな事を無意味に考えていたからか、イゼラが女騎士の腕を掴んでいた事に、当の本人は気が付かなかった。それはいつもの感触とは違い、消える様な儚さを感じた。
振り向いてみると、予想した位置にイゼラの顔があった。不安気な表情を健気な笑顔で覆い隠す、それでも変わらず美しい、イゼラの顔が。
「カイナは…死なないよね?」
恐らくは「殺してはいけない」の辺りから、そんな表情だったのだろう。声も、まるで別人の如く弱々しい。
どう返せば良いものか。
死なないと答えれば、その表情は晴れるのだろうか。だがそれは、あくまで一時的なものに過ぎない。もしカイナが死んだら。
その先は、何も想像出来なかった。想像したくなかった。
だからカイナは、また逃げてしまった。
「……分からない」
その返答を聞いて、イゼラの顔に辛うじて存在していた笑顔は今度こそ消えてしまう。その顔をカイナに見られたくないからか、イゼラは遂には俯いてしまった。
「…ゴメン、アタシちょっとその辺ブラついてくる」
そう言い捨てると、イゼラはテントから出て行ってしまう。涙によって波打つ黄金の湖を、僅かに覗かせながら。
嗚呼、やってしまった。
選択を誤ったカイナはそう思いながらも、追いかける事は出来なかった。今優先すべきは、一分でも早く剣を厳選する事だ。屋外で実際に持って、振って、己の身体と照合させる事だけだ。衣服や装備品の調達も急がねばならない。敵は待ってくれないのだから。
若しくは、それすら体の良い言い訳なのかもしれない。今すぐイゼラを追わねばならない事は、流石のカイナにも分かっていた。
「…急に何を恐れる」
「?」
突然何を訊いてくるのかと、カイナはヤフクを見て首を傾げる。
ただその爺が作業台に並べられている剣、もといそれらを品定めしているカイナの手を見ていた事に気付き、カイナも同じく己の手を見る。
そして、柄を握る己の手が、酷く震えている事に気付く。
それは最早痙攣に近く、心臓に毒でも直接流し込まれたかの様だ。
(…何だ?)
どんなにその手を押さえつけても、両手で身体を包み込んでも、剣を見る度に震えは止まらなかった。
初めて異種族と戦った時も、どれだけ難関な
今更になって何故こうなったのか、己の心を理解しきれていないカイナには分からない。
それでも、これだけは認めるしかなかった。
縋るイゼラの波打つ黄金を見てから、震えが始まったのだと。
今まさに、人生で初めて、己が死を明確に恐れているのだと。
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