どの辺りから変なことになったのかなあと、思わず吐息する。
威羅が付いて来るのは、良くないがこの際百万歩譲って良いとしよう。
おそらく、それだけなら問題なくぶらぶら過ごせていたはずだ。
呆れたハゲがそのうち文句を言いだすだろうから、適当な軍へ所属するのを見送ってやればいい。そうすることで、またぶらり1人旅に戻れていたはず。
それで良いと思うし、それが良いとも思う。
だが、どうにも黄巾党員たちを拾った辺りから変な方向へ進みつつある気がする。
未だ黄巾の乱は終わっていない様子だが、趙雲という存在が出てきたのなら言っている間に三国志だろう。
劉備と曹操と孫権の覇権争いが、嵐のように辺りへ伝播していくはずだ。
面倒事にならなければいいなと呟きながら、最後に来月の出費予想へ視線を向ける。そこには、必要になるだろう物とおおよその金額が書いてあった。
こういう事が出来るのは、村で全体の仕入れを管理していたからかなと思考に逃げ道を作って竹簡を閉じた。
今度は解けぬようにしっかりと結び、璃撥へ投げ返す。
問題ないんじゃない? と言いかけて、それを遮るように1人の男が駆け込んできた。
見た顔だなと思う戒李の前で跪き、彼は頭を下げて焦ったように口を開く。
「大将、大変ですっ!!」
「……うん。物凄く物申したい単語があったが、今は無視してやる。報告しろ」
戒李は眉間の皺を、人差し指の腹で揉みほぐしながら続きを待つ。
はっ! と答えた男は、慌てながらも要点を絞って話し始めた。
どうも、近くの街が黄巾党の襲撃を受けたらしい。しかも、運の悪いことに身内が5人ほど出稼ぎへ行っていた場所なんだとか。
狙われたのは街そのものらしく、完全に運が悪かったしか言いようもない。
動けないものの生存確認はできているらしく、それが不幸中の幸いだろう。
「本当に面倒事しか持ってこないな、お前等は。とりあえず、さっさと行ってさっさと回収してこよう」
「移動。準備!」
戒李の意志を反映して、蘭芳の声が響く。
動きはすぐに来た。
休憩させていた馬を馬車と繋げ、広げていた荷物を纏めに入っている。
吐息と共に戒李も身体を起こし、威羅が持ってきた剣を帯刀しながら。
「念の為、男は武器を持て。女も、目立たない武器を懐に隠していろ。戦場の近くへ行く事になる。気は抜くな!」
応ッ!! と各所から返答が来る。
いつの間にか大将などに祭り上げられ、正直迷惑極まりないところだが。ここまで来たなら、少しは腹を括る必要もあるだろう。
さてと言葉を作ったところで、璃撥が馬に跨って寄ってきた。こちらを見下ろし、先行すると短く意志を伝え。
「いいだろう、許す。だが、威羅君も連れて行け」
威羅君!! と名を呼びながら指示をして、2人を送り出しながら思う。
(面倒事にならなければいいが)
きな臭い思いを抱きつつも、戒李は先頭の馬車へ乗りこむ。
2頭引きの馬車が、3つ連なって移動を開始。後続へ急ぐように号令を出しつつ、自分の乗る馬車を操る御者にも駆け足を命じる。
目的地までの距離は、それほどない。
威羅や璃撥から僅かに遅れて、馬車は道を急ぐ。
‡
炎の臭いが残る中央通りを、戒李は進んでいく。背後に続くのは威羅と璃撥、更に体格のいい男が3人だ。
先行していた2人と合流したのは先程で、今は巻き込まれた5人を回収に行く最中である。
「それで? 巻き込まれた5人は?」
「全員無事です。怪我もそれほど酷くありませんし、心配ないですよ」
「まあただ、1人が足を捻っててな。長距離の移動が無理そうだったから、本隊が来るまで酒場の前に待機するよう言っておいた。全員でかたまってるはずだ」
十分だと璃撥に答え、戒李の足は僅かに動く速さを増す。
今歩いているのがこの街の大通りで、この先に目的地の酒屋はあるらしい。
急ぐのには理由があった。
街の入り口からここまでの道のりで、3人は多くの住民たちとすれ違っている。
彼らは誰もが忙しそうに動き回り、また来る前に準備を!! という類の言葉を叫び散らしていた。
もちろん、詳しい状況などはわからない。だが、言葉から黄巾党が再び現れる可能性くらいは予想ができる。
それも今度こそ、この街を滅ぼす勢いで殺到してくるはずだ。
街並みはボロボロで、今後の収入減になるとは考えにくい。なら、いっそ潰して次に向かうだろうというのが戒李と威羅の共通会見である。
街の人間は、どうやらそれを撃退するつもりでいるようだ。
随分やられた割には心が折れていない事へ違和感を覚えつつ、すぐさまどうでもいいと思考を切り落とす。
さっさと脱出してしまえば、特になんということはない。
「そういえば戒李殿。我々の馬車はどこへ?」
「蘭芳君に指揮を預けて、街外れの森へ隠した。ここまで乗り入れると混乱を招きそうだったんでな。運搬の人選以外は、向こうの警戒に当たらせてる」
なるほどと威羅が声を漏らす横、不意に璃撥が戒李の隣を駆け抜けていく。
向かう先は、怪我人で溢れる酒屋だ。周りの建物と比較すれば、唯一まともに機能している家屋と言ってもいい。
扉が破られているだけで、建物には殆ど傷も付いていないように見える。
そんな酒屋の軒下、そこに見覚えのある5人がいた。
地面に座り込んでいるのは1人で、残りの4人は体中に擦過の痕が目立つ程度。さして大きな出血をしているわけでもなく、傷の手当てもしっかりなされている。
「無事で何よりだな。全員を馬車まで連れて行ってくれ。俺は、治療の礼を言ってから後を追う」
首肯で答える3人の男たちが、軒下の5人を連れて来た道を戻っていく。それを暫く見送った戒李は、同じく計8人が遠ざかる姿を見送る威羅と璃撥を見て。
その場で、思わず吐息した。
え、何でお前らも帰らないの? という意味を込めてだ。
両側やや後ろに立つ2人を順に見れば、それぞれが明後日の方向を見て白を切るような態度をとっている。
もう、何を言っても無駄だろう。
「まあ、好きにしてくれていいけどね」
言うと同時に「はい、好きにします」「ああ、好きにするさ」という具合で即座に答えが返ってきた。
とりあえずこれを無視して、戒李は周囲を見渡す。
この酒屋が無事なせいか人の集まりが多い。おそらく、酒屋の中にはもっといるだろうと予測をつけて中へ。
そして、やはり中の人口密度も高かった。
怪我をしている者から、街の入り口にいたような者まで。まるでひしめき合うようにして人がいる。
収容しきれなかった分が、外に溢れ出している状況なのだろう。
とりあえず、これだけ人が集中しているなら偉い人物がいるはず。領主でも県令でもなんでもいいから、と首を巡らせて。
そこで、再び戒李は違和感を覚えた。
確かに人は多いし、兵士と思われる人員もちらほら見える。だが、そこまでだ。
あくまで外見的特徴による判断基準だが、それ以上に偉い人間の姿が見当たらない。
てっきり、対策を立てているから街の指揮が高いのかと思ったが。おかしいなと首を傾げれば、それに気付いた威羅が耳打ちを寄越す。
短い説明の中で、戒李の表情はみるみる内に苦いものへと変わっていった。
「逃げたとか……逆に凄いな。もう、俺には言葉が見付からないよ威羅君」
「同感ですね。詳しくは知りませんけど、何か『天の御遣い』様とやらが今の偉い人のようです」
黙考3秒を経て、今度は微妙な表情を作る。
戒李の感想は『無意味に怪しい宗教みたいな響き』だ。
逃げる領主もあれだが、そっちもそっちでどうだよと思う。同時に、人心を掴むための冗談だろうなと無理やり結論付けた。
きっと、どこかの物好きが義勇軍でも立ち上げたのだろうと思っておく。精神の衛生上、これが最もいい方法だ。
(ご苦労なことだなあ)
なんにせよ、その天の御遣い様に礼を言えばミッションはコンプリートだ。
さっさと済ませて安全圏まで逃げ、あとは風の噂に結果が聞こえてくれば万々歳と頷いておく。
負けたなら、黄巾党勢力増大!! 勝ったなら、天の御遣い地上に降臨す!!
安っぽい週刊誌の見出しを彷彿とさせるテロップが、思い浮かんでは彼の頭を駆け巡る。
たぶん気にしたら負けだなと、再び頷いて思考を頭の片隅へと追いやった。