響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
音楽室には、忍の姿以外誰も見当たらない。
それもそのはず、もう時刻は夜の8時にもなろうかと言う時間だ。
忍の様子を見ると、ある程度のところまで吹くと一旦演奏を止め、唸るように首を傾げている。そして同じところを吹き直し、また同じところで演奏を止め、また首を傾げる。どうやら自分の演奏に納得が行ってない様子だ。
そんな一心不乱にトランペットに向き合うその姿を見て、松本先生は胸がキュッと引き締まる。
こんな子が、この吹奏楽部にも居たのかと。
そして次のフレーズを吹き終わったタイミングを見計らって、松本先生はガラリと扉を開けた。
「ん?あ、まつもっさん」
「松本先生だ。馬鹿者」
入って来た松本先生に気付き、いつものやり取りをする。
忍と松本先生しか居ない音楽室は、いつもよりやけに広く感じる。こんな中で、ずっと1人で吹いていたのだろうか?
「……いつから1人で吹いていたんだ?」
「んー……いつからでしょうか?」
肩をすくめ、ひょうきんにそう返す忍。自分でもいつからこの状況なのか、把握してなかったらしい。
「……もう下校時間もとっくに過ぎている。練習熱心なのも構わないが、学校のルールは従う様に」
教師としての言葉を淡々と述べる松本先生。対して忍はあまり反省の色も無く、「へーへー」と適当な返事を返していた。
自分から『やるなら中途半端は許さない』と言っておきながら、早く帰れとは矛盾していると、内心自分自身に毒付く松本先生。
「……調子はどうだ?」
しかし、頑張っている生徒を反故にするほど、松本先生は教師として落ちてはない。そんな事を聞かれるとは微塵も思っていなかったのか、少し目を丸くするも、忍は考え込むように唸る。
「……んー……いまいち乗れないって言いますか、やっぱ1人で吹いてるんで、限界は感じますねー。伴奏とかがあればまた変わって来るんでしょうけど」
「………そうか……」
たったそれだけのやり取り。
そして少し長い沈黙の後、松本先生は口を開いた。
「伴奏用の楽譜はあるのか?」
「え?……まあ、家にあるんで持ってこれはしますけど……」
「そうか、なら明日持って来い。それと、もう閉める。早く帰り支度を済ませるように」
「は、はい……」
最後に素っ気なく、それだけ言う松本先生。
有無を言わせぬ雰囲気を感じ取ったのか、忍もおずおずとトランペットの手入れをし始めた。
「………秋川」
すると、松本先生は何か考え込むような表情で忍を見据える。
「はい?なんです?」
「いや、その……なんだ」
松本先生にしては珍しく歯切れが悪い。何か言葉を選んでいるようだ。そして言うと決めたのか、いつもの鋭い目線を忍に向ける。
「今の部活で、お前は充実しているか?」
「………」
松本先生の問い掛けに、忍は直ぐに返事を返せない。
そして少しの沈黙の後、困った様に微笑んで松本先生を見つめ返した。
「まあ、ある程度は」
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翌日の天候は雨だった。まだ5月に入ってない時期の雨は、肌寒さも感じる。音楽室を見渡せば制服の上にカーディガンを着ている生徒がちらほら見える。
「はーい。じゃあ、今日の練習終了ー。机は1年生が元の位置に戻してねー」
「「「はい」」」
相も変わらず気の抜け切った声で部長がそう言うと、各々片付けを始める。すると忍は、部長へと近づいて行った。
「部長、今日も……」
「ああ、そっか。秋川くんは今日も残るんだね。……じゃあ、はい。音楽室の鍵」
「あざっす」
最低限のやり取りをして、部長から鍵を受け取る忍。それをポケットに入れると、他の1年と同じく机を元に戻し始める。
「お、秋川。今日も残んの?」
すると、同じく机を戻していた同パートの男子、滝野に声を掛けられた。どうやら先ほどのやり取りを見ていたらしい。
「まあね。まだ納得した演奏出来てないし」
まだあだ名で呼び合う前。忍は困った様に返す。
「本当に練習熱心って言うか……とにかくスゲーよ。お前」
「?、なんで?」
いきなり褒めて来た滝野に対し、首を傾げる忍。すると周りに聞こえないよう、滝野は顔を忍へと近づけた。
「だって、毎日毎日お前だけ残ってりゃ、そりゃ目立つだろう?結構今の秋川、他のパートとかでも話題になってるらしいぞ?」
傘木の耳にも入っていた様に、忍がソロコンに出る事は他の部員の間でも話題になっていた。
「そうなの?……まあ、別にどうでもいい事なんだけどさ」
本当に興味がなさそうに忍がそう言うと、滝野は苦笑いを返す。
「最近、なんだかお前の事が分かってきた気がするよ」
「へえ、滝野には俺がどう見えるの?」
少し考えるような仕草をすると、滝野は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「んー、なんって言うか、"自由"なやつだなって」
「おー……それは褒め言葉として受け取ってよろし?」
「はっ、抜かせ」
このやり取りから、滝野と忍は互いに友人としての意識が芽生え始めた。
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今日も今日とて、1人きりの練習。
吹いては首を傾げ、吹いては首を傾げの繰り返し。
「あー!クソッ!!」
あまり進歩の無い自身の演奏に忍自身、苛立ちが募る。
個人練習の1番のデメリットは、周りに音を聴いてくれる人間が居ない事だ。自分の感覚のみでいい音が悪い音かを判断しなければならないので、どうしても限界が来ることが多い。
確かな感覚を持っている忍ではあるが、"音楽は聞き手が居てこそ"と言う信念を待つ彼にとっては、1人きりの演奏と言うのはその分不安要素でもあるのだ。
「天気もこんなんだし……帰ろうかな?、今日」
そして本日は雨。窓の外を恨めしそうに見つめて忍はそう言う。
悪天候時にモチベーションが下がる悪癖はこの頃も健在らしい。
「なんだ?もう帰るのか?」
すると、音楽室の入り口から声が聞こえる。
振り向くと、腕を組んで不服そうに忍を見つめる松本先生の姿があった。
「まつもっさん……」
「松本先生だ。馬鹿者」
もはや常套句のようになって来た挨拶を交わし、松本先生は音楽室に入って行く。
「どしたんです?部活もう終わりましたよ?」
副顧問と言う立場上、松本先生は部活にあまり顔を出さない。
意外な人物の意外なタイミングでの登場に、忍も目を丸くしていた。
「随分と、苦労してる様だな?」
「演奏聞いてたんですか?そうなんすよねー。やっぱ1人だと気が乗らないって言うか……」
「そうか……」
松本先生はそれだけ返すと、その鋭い視線で忍を捉える。一生徒が頑張っているのだ。それを手伝わずして何が教師だろうか。
「伴奏用の楽譜は?」
「え?」
「昨日言っただろう。伴奏用のピアノの楽譜だ」
少し恥ずかしがるような表情で、松本先生はそう言う。そこまで言われて、やっと忍も理解をする。
この先生、練習を手伝ってくれる気だ。
「へー。ふーん……」
少し揶揄うような、面白がるような表情で、忍は松本先生の顔を見る。
「………なんだ?」
「松本先生って、ツンデレってやつですかぁ?」
それを聞いた瞬間、茹で上がったタコの様に松本先生の顔が赤くなった。
「ふざけた事を言うな!!馬鹿者!!!楽譜があるならさっさと出して来い!!!!」
今日一番の怒鳴り声をあげて、忍を一喝する松本先生。
「あははっ!!りょーかいであります!」
対して忍は、心底楽しそうにカバンから楽譜を取り出すのであった。