響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「弱い、弱いです。全然弱い」
合奏練習。滝先生の檄が飛ぶ。
「……すみません」
その標的となっているのは、高坂だった。普段注意を受けない彼女だ。周りからは意外そうな視線が向けられている。
「集中できていませんね。……やる気はありますか?」
真っ直ぐ、滝先生は高坂に問い掛ける。
「……あります」
そんな視線に応えようと、高坂も見つめ返す。彼女の異変は、遂には合奏練習にまで現れる様になっていた。集中出来ず、音が弱くなっている。
「では、直ぐに立て直してください」
「はい」
滝先生の問いかけに、高坂は淡々と返す。原因は、分からない。しかし、本人が弱みを見せないので手の施しようが無い。ここまで彼女の強みであった"孤高"が、今では足枷となっていた。
「では、今日はここまでです。各自指摘された事、次回までに修正出来るようにお願いします。」
「「「「はい!!」」」」
滝先生がの言葉に、いつも通り部員は返事を返す。しかし高坂は少し俯いたままだ。
「…………」
そんな高坂を、優子は心配そうに見つめていた。
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「……今日は随分と静かですね。お客さん」
「余計な詮索はしないでください。運転手さん」
夕方。いつも通り忍が自転車を漕ぎ、優子がその後ろの荷台に座る。しかし、今日はやけに静かだ。忍がそう聞くと、優子は何やら考え込むような口調でそう返す。
「お悩みがあるなら、私で良ければ」
「もう、運転に集中しなさいよ。……そうね、高坂の事よ」
優子がそう返すと、忍は意外そうな表情に変わった。
「意外。高坂さんの事気に掛けてたんだ」
「アンタは私のこと何だと思ってるのよ……」
相変わらず失礼な忍に対し、優子は不服そうな表情になる。兎も角、中世古の件であれだけ対立していたのにも関わらずこの面倒見の良さだ。彼女の性格を表している。
「………忍は、どう思う?」
「高坂さんの事?」
「うん」
そう言うと、忍は少し考える。同じスランプならば、何か原因があるはず。しかし、高坂は全くそれを見せない。本人が言いたがらない性格なのは二人も知っている。
「………何か悩んでるのは確かだろうね。でも、本人が言いたがらないから、ちょっと踏み込み辛い」
「そうなのよねぇー……アンタみたいに馬鹿正直なら、こっちもやりようはあるんだけど……」
「おう、流れでバカにするのやめてくれや」
忍の様に不満や不安がすぐ口や顔に出る性格ならば、やり易い。しかし高坂麗奈と言う少女は、それを隠す。自分が強くある為に。
「あ、そうだ。黄前ちゃんなら、何か知ってるんじゃない?」
すると、思い出した様に忍はそう言う。いつも高坂と一緒にいる彼女ならば、何か知ってるかもしれない。忍の提案に、優子も納得した様に頷く。
「黄前さんか……よし、明日何か聞いてみるわ。じゃあ運転手さん、今日もよろしくー」
「相変わらず運転手扱いが荒いお客様ですわ……」
そしていつも通りの会話に戻り、忍は自転車を走らせるのであった。
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「え?麗奈の事ですか?」
「うん、何か知ってるんじゃないかなって」
これと決めた吉川優子の行動は、とてつもなく早い。
翌日のパート練、目ざとく黄前を見つけては人気のない場所へ連れ出し、高坂の事を聞いていた。対して黄前はグイグイ来る優子に萎縮している。
「あー、うーん……なんて言いますか、知ってるは知ってるんですけど……」
「知ってるけど何?」
「と、とってもデリケートな問題と言いますかー……」
「何よ、煮え切らないわね」
言い淀む黄前に対し、優子はバッサリとそう言い捨てる。
「こら優子。後輩怖がらせんなって」
「別にそんなつもり無いわよ!」
すると、一緒に話を聞いていた忍から注意が飛ぶ。優子は心外だと言わんばかりに眉間にシワを寄せていた。しかし、高坂が何かに悩んでいると言うのが分かっただけでも収穫だ。忍も黄前に視線を向ける。
「まあ、言えないんならしょーがないか。悪いね、黄前ちゃん。答え辛い事聞いちゃって」
「い、いえ……」
尚も困惑しながら、黄前はそう返す。正直、意外だったと黄前は感じていた。オーディションの事があってあれだけ対立したのに、今はこうして寄り添おうとしている。
「でも正直、意外でした」
「何が?」
本来ならこう言う事は言わないタイプなのだが、この二人の前では聞いても良いと思い、黄前は思った事をそのまま伝える。
「いや、オーディションの件があったのに、随分と麗奈の事気にかけてくれるんだなーって」
そう言うと、恥ずかしそうに目線を逸らしたのは優子の方だった。
「べ、別に、そんなんじゃないわよ。……ただ、今のままだとこっちも調子狂っちゃうから、それで……」
「ツンデレだな、お前」
「やかましい!!」
「いっだ!!」
相変わらず口の減らない忍に対し、いつもの優子のタイキックが炸裂する。そんな光景を見て、黄前は吹き出す様に笑った。
「あはは、お二人は相変わらずですね」
そんな黄前の姿を見て正気に戻ったのか、優子はこほんと小さく咳払いをして言葉を続ける。
「………別に、昔のことはもういいのよ。終わった事だし。ただ、高坂も同じトランペットパートよ。仲間がそんな調子だったら、放っておけないじゃない」
優子の言葉に、黄前は納得した様な表情になる。なるほどこの少女、表現の仕方はキツいものがあるが、故に情に厚いのだ。それで勘違いされる事もあるが、深く関わっていくに連れて彼女の良さは分かるようになる。
『アンタ、滝先生に言われたところ、苦労してるんだってね?』
黄前は、いつしか保健室で優子と喋った事を思い出していた。あの時だって、分かりにくいが優子の方から気をかけてもらっていたのだ。
本当に、優しい人なのだろう。
そう思うと、少しだけ高坂の事を託してもいいかなと、黄前の中でそんな感情が芽生えた。
「……麗奈って、"特別"になりたいんです」
ポツリと、呟くように二人に向かって黄前はそう言う。
「特別?」
何だか的を得ない発言に、優子は首を傾げる。
「ええ。すごく抽象的ですよね?……でも、あの子の強さって、そこから来てると思うんです。誰かの特別になりたい。誰から見ても特別な存在でありたい。それを真っ直ぐに目指してるのが、高坂麗奈だと思うんです」
これは、黄前の心からの言葉だ。彼女は高坂のその姿勢に心の底から尊敬してるし、心の底から憧れている。
「……………」
そして、"特別"と言う言葉を聞いて優子も何か思う事があるのか、考え込む様な表情をしている。彼女が思う"特別"。それは、一体何なのか。
「……ありがとう、黄前さん。ごめんね?いきなり引き止めちゃって」
そう言う優子の顔は、何か腑に落ちた様な表情をしていた。
「い、いえ。……私も少し安心しました。麗奈の先輩が、優子先輩でよかったなって」
「な、何よ?褒めたってなにも出ないわよ?」
やっぱり少し素直ではないのか、バツの悪そうに頬を赤らめて優子はそう返す。この少し素直ではないところも、彼女の魅力なのだろう。そう思うと、黄前の頬が自然と緩む。
「……ふふっ、そうですね。それじゃあ私、パート練に戻りますね」
「うん、ありがと。本番、頑張ってね!」
そんなやりとりをして、黄前は低音のパート練に戻って行く。
「……忍」
そして黄前がいなくなった事を確認すると、今度は隣に居た忍の名前を呼ぶ。
「なに?」
「高坂の件、私に任せてちょうだい」
そう言い放つ優子の顔は、何か覚悟を決めた様なものだった。
「……りょーかい。任せる」
それを忍も感じ取ったのか、短く、それだけ返すのだった。
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夕空に、トランペットの音が鳴り響く。切り裂く様なその真っ直ぐな音は、正に"孤高"と言うべきだろうか。美しくも、誰も寄せ付けない様な、一人だけ別の世界を見ている様な、高坂麗奈の音。3階の外廊下で空に向かって吹くその姿は、少しながらもがいている様にも見えた。
「なーんだ、全然音出てるじゃない」
そんな高坂に、声をかける少女が一人。髪は明るく、頭にはトレードマークの大きなリボン。
「………優子先輩」
高坂が優子の存在に気づくと、ゆっくりと高坂に近づいて行く。
「ここんところ、ずっと集中切れてるでしょ」
優子の問いかけに、高坂は僅かながらに俯く。鉄仮面は崩さないが、無言が優子の言葉を肯定している様なものだった。そして覚悟を決めた様に、優子は高坂を見据える。
「アンタが何のことで悩んでるのか、私には分からないわ。でも、アンタはそれを表に出そうとしない」
「…………」
優子の言葉に、高坂は黙って耳を傾ける。
「でも、私はそれでもいいと思ってる。それが高坂のやり方ってんなら、高坂が納得するまでそうすればいいと思うわ」
優しく、諭す様に優子は高坂にそう言う。そして一つ深呼吸をして、優子は本題に入った。
「これは、私の独り言だと思って。……私の好きな人でね、スランプになった奴が居るの。……本当に何をやっても上手く行かなくて、私も諦めかけちゃってた」
「………」
優子の独り言を、高坂は黙って聞く。名前は言わないが、その人物は高坂も良く知っている人物。
「………だけど、ある時に気付いたの。……いや、改めて実感したって言った方がいいかな?……そいつは、私にとって"特別"なんだって。そして、そいつにとっても私は"特別"なんだって」
高坂が目を見開く。彼女が固執する"特別"。その言葉を、優子から聞くとは全く思ってなかった。
「そいつはさ、普段はおちゃらけてる癖に、いざとなったら自分で抱え込んじゃう奴でね?厄介な奴でしょー?」
「………そうですね」
懐かしむ様にそう言う優子に対し、高坂は苦笑いを返す。そして、次に優子が放つ言葉に、高坂の心が揺れ動く。
「でも、私だけには本音を言ってくれた。……そん時に気付いたの。『ああ、コイツの中で私は特別になれたんだな』って。だから、乗り越えられた」
彼女が、高坂麗奈が心底手に入れたいと思う"特別"。それを、目の前の吉川優子と言う少女はもう手に入れていたのだ。
もう亡くなってしまった、かつての滝先生の奥さんがそうだった様に。
「…………私は、特別になりたいんです」
遂に出た、高坂の本音。少し動揺してるのか、高坂の瞳は少し揺れている。自分のこの気持ちは、今まで部員の誰にも話した事が無い。
ただ一人。黄前久美子を除いて。
「特別になって、全部手に入れたいんです。誰の手も届かない場所に行ってみたいんです。そうすれば私を見てくれる。私を特別に見てくれる。だから、私は……」
そして言い始めると、もう止まらなかった。特別になりたいと言う思いを、全てぶつける様に独白する。高坂のその言葉を聞いて、吉川の心の中で腑に落ちる。高坂の言う特別になりたいと言う言葉。それは彼女の中ではとてつもなく大きいものなのだろう。
だからこそ、吉川には伝えたい事があった。
「………一つ、いい事を教えてあげる。先輩の言う事だから、ありがたく聞いておきなさい」
「………なんでしょう?」
優子の側には、"特別"な男が居る。それはもう、とびっきりに。しかし、高坂とは決定的な違いがある。それは、意識の差か、それとも無意識のものなのか。
「本当に特別な奴ってね、自分は特別だとか、ましてや特別になりたいだとか、微塵も思っちゃいないのよ」
優子のその言葉は、高坂にとって正に金言とも呼べるものだった。